医者たちの身勝手さ その2(まやかしの数字を使う)

今回のコロナ禍でも痛感するが、医療関係の表現は非常に紛らわしい。誤解を招くのが狙いとかしか思えない。例えば、・・・

報道では、たとえば「どこどこ(南アフリカ型)の変異ウイルスは、1.7倍の感染力がある」とかという表現がある。「2倍死ぬ」とかとの表現も一般になされる。このような表現をテレビなどで聞くと、「うわっ怖い!!」と素人が思うようにアナウンサーは喋っている。しかし、こうした表現には、非常なまやかしがある。つまり医療機関の発表する数字は、いつも変化率を言っており、母数を考慮から除外した表現である。

例えば、下の表は、新型コロナの今年3月23日現在の各国の感染者数と死者数である。これを見ると、何よりまず、日本が欧米と比べると何十分の1という、少ない数字でありながら、禄に金銭的な補償もしないまま、欧米と同じような制限を社会に加えているのには驚くが、それはここでは脇におく。

つまり、ここで言いたい何倍とかいう表現だが、表を見ると日本では100万人あたり感染者が3626.1人、死亡者が70.4人であるので、日本の人口を1億2千万人とすると、全体の感染者が、435,132人、死亡者が8,448人となる。 つまり、もし感染力が1.7倍になると、739,724人になるのだが、人口に対して0.36%の感染率だったものが、0.6%になるということだ。死亡率に至っては、0.007%が、仮に倍になったとしても0.014%になるという話だ。つまり、圧倒的にコロナにかかっていない人が大多数(99.5%)で、死ぬ人はさらに少ないと数字は語っている。 しかも、この死亡者数は、厚労省の通達が出ており、交通事故で死んだ人でも、がんで死んだ人でもPCR検査で陽性ならばコロナ死にカウントされ、相当水増しされている。 

おまけによく指摘されることだが、この感染者数は、PCR検査で、陽性になった者のことを指しており、健康で無症状の者が含まれている。しかし、この無症状者は、従来の概念では、治療の必要がないので感染者に含まれなかったものであり、除外するなら感染率はさらに下がる。

主が思うのは、このコロナの被害者の多くは既往症のある高齢者なので、この人達に重点をおいた対策をすべきだ。それも、隔離というようなQOLが下がる方法ではなく、屋外の公園を散歩するなど、免疫が上がるような配慮をすべきだ。そして、若者や健常者は通常通りの社会生活を認めるべきだ。そうでないなら、100%の生活保障を政府はまずするべきだ。

札幌医科大学医学部 附属フロンティア医学研究所 ゲノム医科学部門のHPから引用
札幌医科大学医学部 附属フロンティア医学研究所 ゲノム医科学部門のHPから引用

その2 おしまい その3へ続く

医者たちの身勝手さ その1

————– 2021.7.7 Rewrite ————

主は、多くの医者たちはとんでもない存在だと思っている。そして、「そうだ、自分もそうだ」と考える医者たちが確実に増えている。

主は、近藤誠さんを始めとするとする、日本の医療を激しく批判する著作をけっこうたくさん読んだ。この近藤さんに続く医者たちが増えているのは確実だ。

アマゾンから

もし興味をお持ちになられたなら、何といってもご自身のQOL(Quality of life = 生活の質)にかかわる大きな問題なので、是非読んで下さい。

穏やかな死に医療はいらない (朝日新書)」を書かれた萬田緑平さんは、在宅緩和ケア医として終末期医療に献身されている。その萬田さんが、現在のコロナ対策が間違っているという小林よしのり氏との「コロナ論2」の対談中次のように語っておられる。

小林よしのり「テレビにいい加減な学者ばかりが登場するわけだ・・・」

萬田緑平「医者だけではありません。感染症の専門家や研究者も『コロナは怖い』という空気を醸成するのに加担している。前にも述べたように、彼らにとって新型コロナは恐いウイルスでなければならない。普段、風邪の研究なんてまったく注目されず、脚光を浴びるのは死をもたらすがんなどの恐い病気の研究ばかり。死にそうな病気を治す研究でなければ、学者としてのステータスは上がらない。感染症の研究者にすれば、新型コロナが死をもたらすウイルスであった方が都合がいいんです。同じ理由で、コロナが恐いことを示す実験データしか表には出てきません。」

小林よしのり「私利私欲のために、こんなことをしているのか?」

萬田緑平というより、医者ってみんなすごく頑張るんですよ。世間の抱くイメージのように、頭が良いから医者になるわけではなく、頑張るから医者なんです。論文の執筆なんて本当に大変。僕はもう書きたくないけど(苦笑)。」

コロナ論2 扶桑社

主は、萬田さんの発言の趣旨とは少し違うが、こうして異常なほど頑張ってきた人たちにとって、無意識のうちに、犠牲にした対価を求めたくなるのが、自然のなりゆきだろうと思う。

同時に、これまで脚光を浴びることがなかった感染症医が、コロナで脚光を浴び、悪気なく異常にハッスルし、知らないことまで知っているかのように断言し、世間を余分に自粛させようとしているとよく指摘される。人間の性(さが)として、よく知っているつもりのことを問われると、自分を権威付け、必要以上の啓もうをしようとするということだ。

医者は、医者になるために、医者になってからも、大きな犠牲を払っている。医者になるために、小中高と青春時代に大きな犠牲を何年間も払い、暗黒の我慢の時期を過ごしている。また、医者になってからも、臨床医の中で、出身校や、外科か内科か、麻酔医か、街中の開業医か、大学病院の教授かといったヒエラルキー争い、論文競争がある。そういうずっと競争意識の中で人生を過ごすとどうなるか。ここには主の偏見やヒガミが大いに交じるが、その後の人生において、我慢に見合う対価を得られないと満足できない人間が出来あがる。少なくとも、周囲に対して威張り散らしても許されるという潜在意識ができる。

主は、医者ほどコミュニケーションが下手にもかかわらず、周囲から奉られている職業を知らない。

昔、産業医を契約していた大学病院の助教授の医師とよく話をする機会あった。この人と話していると、彼は、自分のことを「科学者」と考えていた。一般人から見ると、臨床医は「科学者」には入らないだろう。しかし、臨床医たちは「科学者である」と思っているし、町医者であれば「かつて科学者であった」と思っているのではないか。

そうした専門家を自認する傾向は、程度の差こそあれ、エリートと思っている弁護士、有名大学を出たキャリア官僚、ジャーナリストなどにも通ずるものがあるだろう。 

ところが、暗い時期を過ごして、医学部に入学し、医師になった時、あるいは、エリートの地位を獲得したとき、大いにはじけて成功を謳歌するものの、人間はそれほど単純ではない。仮に異性にモテたとしても、「それはぼくが医師だからだ、成功したからだ。彼女が、素の僕を好きになってくれた訳じゃない。地位がなくなったら、ぼくはない。」というひがみ根性は一生抜けない。日に影に姿を現して、彼を苦しめる。

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医療に対する批判本を大量に書かれている近藤誠医師によると、女性の乳がんのかなりの割合は「がんもどき」で、治療が必要ないという。

過去に、近藤医師は、少なくとも女性の乳がんについて、アメリカの論文を日本に紹介し、全摘手術をした場合と患部のみをとった場合で生存率に変わりがないとずっと言い続けていた。しかし、日本の執刀医たちは聞く耳を持たなかった。このため、治療法が14年間変わらず、女性の乳房が全摘され、おまけに胸筋まで切り取るので、腕も上がらくなり苦しんだ女性がずっと出続けた。要するに、執刀医たちが間違いを改めるためには、執刀医の世代交代が終わるまで、改まらなかった。

一方で、そうした暗い過去と現在を持つ異常なほど頑張る大半の医師たちは、患者にサディスティックな復讐をする。同級生が異性と楽しく遊んでいた時期に、「ネクラ」と陰口を叩かれながら勉強をつづけた彼、「がんもどき」など存在しないとする標準治療の僕(しもべ)の彼は、あいかわらず不要な乳房切除術に励む。乳房の切除は肉の部分を多少多めに取っても生死に影響しづらいので、よい練習台になる。切除した後は、再建術がセットになっており、医者は、不要で多額の出費を患者に強いることができる。 

また、高齢者の前立腺治療も、前立腺がんの進行が寿命と同じくらい遅いこと、排尿障害の懸念などを考えると、やらない方が良い。しかし、これに類することが日本の医療では横行している。 要は、医者は患者が死にさえしなければ、QOLより、患部を取りきることが大好きなのだ。

付け加えると、標準治療を謳う医師たちと近藤誠さんは、お互いにエビデンスを出せと言い合い、どちらも出せないジレンマの中にいる。つまり、がんの手術をした患者が、しなかった場合にどうなったかというエビデンスは、出しようがないからである。

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日本の医療システムは、健康保険制度がどんとあり、自由診療は美容整形や歯科治療などに限られ、自由診療だけでは医師が評価されないので、患者が集まらない。

ところが、この健康保険制度は、多くの患者を診察しないと儲からない仕組みになっており、医者の側は、常に多くの患者が必要である。さもなくば、高収入・安定収入は望めない。そのため、収入を上げやすい高齢者に必要以上の措置を施すことが、安定的に高収入を得るための方策になる。つまり、余命が尽きかかっている高齢患者に対して、胃ろうや人工呼吸、透析などの延命措置を行ない、長く治療するのである。患者の心臓は動いているのだが、寝たきりであり、QOLゼロである。日本人の8割が病院で亡くなるのだが、これは非常に痛ましい。日本の医療は、延命さえすれば成功と考えている。 ところが、海外では死ねば天国へ行くという宗教の教えがあることもあり、日本のような天国へ行くのを邪魔する延命治療は、海外では「虐待」になる。

分かりやすい現象が今年(2021年)見られた。日本の医療制度では、本人が3割負担するのだが、75歳以上はこれまで1割負担だった。これを政府は改正して、一定の収入がある場合2割負担にしたのだが、負担率の増加に医師会は、患者が病院に来なくなると言って反対したのである。 日本の健康保険制度は、皆保険といえば聞こえがいいが、医療費を支払う老人にすれば安すぎ、医療側のコストである診療報酬と薬価も異常な安価に設定されているために、需要と供給が歪んで、財政的にも、死生観的にも世界とかけ離れた老人医療問題を引き起こしている。

主は、延命を希望する老人は、10割負担にすべきだと思うし、コロナのテレビ報道を見ていると日本の老人は、自身の不死身を希望しているように見えてしまう。

ちょっと観点が変わるが、各地の自治体で行われている子供の医療費無料制度も同じである。補助金(助成)を広くあまねくばらまくと当然ながら医療のマーケットは歪み、医療産業の成長にも良くない。うまく、貧困家庭に限定するとか、無料にせずに少額の料金は取るべきである。

話を戻すと、老人医療にたいする反省は、一部の良心的な医師たちの発言と、医療費の異常な膨張の危惧により、徐々に白日のもとにさらされるようになってきた。もちろん、医療が人類に貢献したのは間違いないが、医療より食糧事情と衛生環境の改善や運動の導入の方が大きい。医療で成功したのは一部の感染症などに限定され、がんや糖尿病などの加齢現象は、病巣を取り除いても、すべての場合に有効ではない。むしろ、高齢者などに対しては、望まない治療をして延命させても、QOLゼロな治療に注力してきただけだと、医者自身がとうの昔に気付き始めている。そこで疑問を感じた良心的な医者たちが、大勢転向し始めている。 

コロナは、それを逆回転させて、医者のステータスを再度、上げようとする悪あがきだ。医者たちも、特に日本の医者たちは、生気のない老人をベットに横たえ、胃ろうや人工呼吸で生かしておくことが非人間的だと、疑問を感じだした。そこで、ウイルスによる新型コロナの登場により、この恐怖を煽ることで、医療に対するマインドを根本から変えさせ、ワクチンを毎年打たせ、違った活路を見出そうとしているように見える。

つまり、各国の権力者たちにとっても、1本5,000円と言われるワクチンを何十億人にも打つビジネスは、自国民を恐怖に陥れ、従順に接種させることが、医者たちの利害とも一致する。自国が、ワクチンを開発する側に回ろうが、購入する側に回ろうが、製薬会社が手にする何兆円もの利益のおこぼれにあずかれる。そのためには、怖いウイルスであると何かと都合がいい。

その1 おしまい その2へ続く

ストリングマシンを買った! ストリンギング、ストリングスの話

凝り性の主は、テニスのストリングマシンを買って、ストリングスを自分で張りはじめた。この機械が鉄の塊で非常に重い! 

こんな感じの機械です

ネットであれこれ調べると、ストリンギングに関する記事もさることながら、YOUTUBEの動画も数多くアップされており、非常に参考になる。昔、インターネットやYOUTUBEが一般的でなかった時期に、ストリンギングを始めたという友人は、簡単な説明書しかなく、苦労して張り始めたという。 そういう意味では、今はありがたい時代だ。

赤枠の中、うっすらマーカーしたのが目飛ばし

しかしながら、このストリンギング、結構難しくて、何回も上の写真のように目飛ばしをしてしまう。目飛ばしというのは、ガットの目が上下に交互にならず、同じ目を繰り返すことをいう。自分は器用だと思っていたのに情けない。メガネを外しても、昔のように目が見えていないと感じられ、目が交互になっていない部分ができてしまう。(とほほ)

ノットがうまく行かなかった!

また、最後に結ぶ(タイオフ)のだが、これも結構難しい。上の写真は、結び目(ノット)に失敗、あわてて力技で上から再度結んだところである。こうなると、直前に張ったストリングスが緩んでしまう。スポーツ量販店などでは、さまざまなストリンガーさんが張られておられるものの、技量がこの域に達するのはなかなか大変である。(とほほほ)

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さて本題のストリンギングとストリングスである。

ラケットのストリングスは、縦(メイン)と横(クロス)からなり、必ず縦を先に張り始める。これは、横から張り始めると、張力でラケットが壊れてしまうというこだ。

ストリングスの張り方にはいろいろな種類があるのだが、一般的には、縦を張り終わってから横を張ることになる。中には、ぐるっと縦糸と横糸の一番外側の周りを張らずに、最後に張るアラウンド・ザ・ワールドと名付けられた張り方もある。

YOUTUBEでストリンギングの動画をたくさん見せてもらったTTOさんという方の理論をもとに、主なりのストリンギングの考えを整理したものを要約する。YOUTUBEには、多くのストリンガーさんの動画がアップされているのだが、横ガットのテンションなどは企業秘密にしていることが多いと感じる。その点、このTTOさんはその当たりのノウハウをオープンにしてくださっているように感じ非常にありがたい。

http://taibowto.cocolog-nifty.com/blog/ ←TTOさんのブログ

① ラケットは、縦を張り上げた段階では、上下に縮んで、左右に膨らんでいる。この左右のふくらみを横のストリングスを張ることでもとの姿に戻すのが、ストリンギングのプロセスである。また、ラケットは、形状や剛性などの特性がモデルによって様々なのだが、上部が固く(剛性が高い)、下部はしなる構造のため軟らかい(剛性が低い)のは、共通している。

② また、縦、横とも、ストリングスを張り進めていくにつれ、最初に張った部分は、後から張られた部分により、さらに圧縮が進むため、テンション(引っ張り強度)が下がる。この下がったテンションで、ラケットの一番幅広の部分である中央部分が、スイートスポットになる。

一般的には、ラケットの中央部分が縦横とも長さが長く、したがって、テンションは低いため、柔らかい打感のスイートスポットになる。ただし、スイートスポットが上の方にある方が、ラケットをスイングした際に、遠心力をもっと利用できる。このため、スイートスポットを上に持ってくる張り方などがある。

③ 前述したように、剛性(ラケットの固さ)が上部と下部で違うため、横のストリングスは、上から張った場合と、下から張った場合では、違う張り方をする必要がある。つまり、上から張った場合に、同じテンションで下まで張ると、下の部分で強く引っ張りすぎになるため(ラケット下部が細りすぎる)、下の方を張る際にはテンションを下げる必要がある。 逆に下から張ると、最初に張った下の部分は、自動的に細ってテンションが下がるため、同じテンションで張っても問題はあまり生じない。

下の写真は、ラケットの横ストリングスだけを切ったものを通常のラケットに重ねてみたものである。上の縦ストリングスしか残っていないラケットは、上が下に短く、左右に長いように見える。同じものであるが、2枚目は少し拡大しながら撮ったものだ。 これらを見ると、縦ストリングスだけを残した状態では、たしかに歪んでいる。(写真をクリックすると拡大されます。)

上のラケット 横ストリングスを外したところ。
同じ。少し拡大した。

次に、ストリングスだが、種類がいろいろあり、それぞれに特性がちがう。

素材としては、牛の腸を使った「ナチュラル」と、「ナイロン」「ポリ(ポリエステル)」の3種類がある。さらに、ナイロンには細かい繊維を束ねた「ナイロンマルチ」と、丸く太い「ナイロンモノ」の2種類に分かれる。これらは、それぞれに違いがある。 簡単に言ってしまうと、性能が高いが、値段が高く切れやすいナチュラル。ナチュラルの打感を目指して開発されたナイロン。近年よく使われる、なかなか切れないポリである。

主がブラジルにいたころ、グーガ(GUGA)の愛称で呼ばれるグスタボ・クエルテンという大英雄の選手がいた。彼は、1997年の全仏オープンにランキングの下位で出場し、ラケットを2本しか持っていなかった!のだが、優勝する。優勝したコートに大きなハートマークを描き、その中で寝転んで喜びを表し、ブラジル中が大騒ぎになった。 その彼が使っていたのが、まだ当時誰も使っていなかったポリのストリングスである。このポリのストリングスを使い、ボールを潰す新しい打法で、彗星のように現れた。これが、ポリが注目を浴びたきっかけである。

全仏を3度優勝したブラジルの英雄グーガ

プロ選手の場合は、試合中に何度もラケットを交換する。試合では、最初7ゲーム、後に9ゲームごとにニュー・ボールに交換する。このタイミングでラケットを交換する選手が多い。これは、スピード、威力の出るニュー・ボールに負けない状態にしたいというケースもあるだろうが、基本的に、ストリングスは張った直後が一番性能を発揮するからだ、と言われる。

ところが、アマチュアの世界では、ストリングスの張り替えはお金がかかるので切れるまで使う、というのが一般的だ。

だが、主は、正しいスイングをしているのに、打ったボールがネットの白帯に際どく引ってしまう場合、多くはストリングスのせいではないかと睨んでいる。際どいアウトも同じだ。

プレイヤーは、状況に応じ、過去の経験に基づいてラケットを振り回しており、それは結構正確だと思う。しかし、ストリングスの経年劣化や、気候や気温の変化により、望ましいストリングスの状態から遠ざかっていることも多いだろう。プロのよう簡単にストリングス、テンションをアマチュアは選べないないが、あまりに頓着していない気がする。

主が考えるアマチュアの問題点は、次のとおりだ。

① 前に書いたが、ストリングスは、本来、張った直後が一番性能がよく、打感が良いはずのものだ。ストリングスは、張った直後からテンションが落ち始める。1球打つごとにテンションが下がると言っていいくらいだ。 テンションの落下率は、ナチュラルがもっとも少なく、ナイロン、ポリの順に大きくなる。特にポリのテンション落ちは激しく、1週間ほどで何割も下がる。 完全に伸び切ってこれ以上伸びないガットは、弾力性を完全に失い、弾力のないトランポリンのようで、腕力だけで打つことになる。

このため、ポリの寿命は非常に短く、長く見積もって1ヶ月。ナイロンであれば、寿命は3ヶ月。一方、ナチュラルは切れるまでOKである。

素人が、性能の落ちたなかなか切れないポリを使い続けるというのが、一番の問題だと主は思う。プロであれば、ポリはひと試合限りだし、腕力のある体育会の学生なら、ラケットを振り回してストリングスを切り、1週間程度で交換するためのものである。 しかし、ボールをこすって打つタイプの素人が、ストリングスの交換を嫌って、切れにくいポリを選んで使い続けていることが多い。

体育会の学生がするテニスのレベルと素人のウイークエンドプレイヤーではスイング速度が違い、ストリングスも選び方が違ってくる。例えば、スイングスピードの非常に速い大坂なおみ選手や腕力のあるナダル選手は、ポリを愛用しているのだが、多くのプロ選手は、ナチュラルを主体にしている。

しかし、素人が、クエルテンや大坂やナダルのように、ボールを潰すような打ち方をするのは難しい。素人にとっては、価格の点と体への負担の点から、ナイロンを選ぶことが多いと思うが、できればナチュラルを選ぶことが、最後まで性能が落ちないことと、体への負担がもっとも少ないので、最良の選択肢になると思う。

② ストリングスは、気温によっても結構左右される。真夏はストリングスも緩みがちになるので、テンションを上げる必要がある。冬場でも、日差しのある暖かい日と日差しのない酷寒の日ではかなり違ってくる。昨日調子が良かったストリングスでも、今日は具合が悪いということがある。 また、体調によって違ってくる。ラケットを振り回す元気のない日は違う。

③ ストリングスのテンションは、ラケット面の大きさにもよって変わってくる。楽器に張る弦と同じで、同じ50ポンドで張った場合、フェースの大きなラケットでは緩く、小さなラケットでは、強く張り上がる。

つまり、小さなフェースのラケットの打感を大きなフェースで得ようとすると、より高いテンションで張る必要がある。

④ ラケットは、一般的に、縦より横の数が多く、16✕19、18✕20というラケットが多い。しかし、横のほうが少ない16✕15、18✕16などのS(スピン)ラケットもある。

ラケットの形状は、卵型、涙型、YONEXの長細い形といろいろあるが、どれも縦長であり、横のストリング数が多く、縦横似たようなテンションで張ったときに面全体の圧力が正しくなる。しかし、横のほうが少ないS(スピン)ラケットは、数が少ない分、横のテンションを高くしないと面圧が下がることになり、打感が変わってくる。

⑤ ボールは、ナチュラルが一番良く飛び、打感の点で優れているのだが、高価で切れやすいという難点がある。これは、縦横のストリングスが交点で擦れるために起こるのだが、緩和する方策がある。

一つは、ハイブリッドで、縦ストリングスをナチュラル、横のストリングスをナイロンなどを組み合わせると、摩擦が緩和され、弱いナチュラル・ストリングスが切れにくくなる。 プロは横ストリングスをポリにする場合が多いが、彼らのストリングスは、一試合限りを前提にしているので、素人がナチュラルを長く使いたいという趣旨であれば、横にナイロンを張ると、ナチュラルの打感を残したまま、摩擦が減り長持ちする。

もう一つの方法として、ストリングスの滑りを良くする潤滑剤をストリングスに塗るという方法がある。テニス小物を発売する会社から何種類か、発売されている。下は、ガットライブとという製品である。ストリングスの滑りを良くし、寿命を長持ちさせ、さらにスピンがかかりやすくなるスナップバック(「ぱちんと弾く」という意味)の効果があるという。

ガットライブ

主は、上のテニス用品が、結構な値段(約3,000円)するために、同じフッ素樹脂配合の下(約600円)を使っている。こちらは汎用品なのでお安い。

ドライファストルブ

おしまい

 

アメリカ大統領選 コロナ禍 財政均衡論について思うこと

主は、世界中がメチャクチャ、デマで満ち溢れていると思っている。

アメリカ大統領選挙は、インチキだったと思っているし、コロナもそうだ。新型インフルエンザということだが、従来のコロナウイルスとかわらないのに、世界中が大騒ぎだ。この新型コロナについては、日本は被害が欧米の数十分の1なのに、欧米と同様の不安をマスコミが煽り、人気取りに走る政治家が我先に便乗しようとして、誰も例年と変わらない風邪だ、インフルエンザだとは言わない。

もう少し書くと、このコロナは、感染症法の第2類に分類されるのだが、厚労省の通達によりエボラ出血熱、ペストと同じレベルの行政上の扱いがされている。昨年の中頃、安倍首相の退任時、このコロナがひと段落したところで、第2類を普通のインフルエンザ並みの第5類に変更しそうだったのだが、誰も決断せず、うやむやになっている。

世界じゅうも、新型コロナに便乗して、ワクチンの開発と販売で一儲けしようとする勢力と政治家の思惑が一致、そもそも風邪やインフルエンザはずっと特効薬がないのだが、あたかもワクチンが特効薬のようなことが喧伝されている。中国は、無料のワクチンを途上国に提供することで、途上国を自国側に囲い込もうとしているし、ロシアを含む欧米勢は絶好の商機到来で、遅ればせながら日本も何とか食い込みたい。

アメリカ大統領選挙は、こちらはグローバリスト(エスタブリッシュメント)とトランプの反グローバリズム(グローバリズムに痛めつけられてきた人たち)の戦いだった。圧倒的に力のある産業界、政治家、マスコミと、そこから支援されてきた教育、医療などのグローバリズム勢力が、なりふり構わないインチキ郵便投票によってバイデン大統領を勝たせたのだが、負けた被支配階層には声を出す手段がなく、大統領選挙で不正があったと思う4割のアメリカ国民の声は、表に出てこない。

当然これを読まれている方は、不正の証拠を見せろと言われるだろうが、そこはあまりに巨大で、希薄な状況証拠ばかりなので書かない。興味を持たれた方がおられるなら、インターネット(YOUTUBE)では、林千勝氏、ケント・ギルバート氏などの動画を見てください。著作なども多く書かれています.

あと、これもまた世界的な現象なのだが、従来の経済学は、金本位制時代のままの経済観を見直してこなかった。つまり、金本位制は数十年前に廃止され、兌換から不換の管理通貨制度へと代わっている。この変化により、各国の政府は、その国の供給力まで通貨を発行、国民に交付しても、インフレを起こさないことがわかっている。 つまり、日本のようなデフレの国では、国民に毎月10万円手渡しても何の問題もおこらないどころか、国民を救うことなる。 むしろ、今のようなコロナ対策では、バタバタと倒産を引き起こし、そもそもの供給力の喪失を意味する。いったん倒産し供給力を失うと、もとに戻るには何十年もかかる。

今コロナで、欧米の各国政府は、赤字国債を発行して国民に休業補償をしているのだが、日本はお金は出さないが協力してくれという、太平洋戦争のときのようなことをやっている。あの保守的なIMF(国際通貨基金)さえ、「経済を救うために、各国政府は、最大の政府支出をしたうえ、さらに政府支出を上乗せしろ。」といっているのだが、日本ではこのようなことは、財務省の目があり、報復を恐れるマスコミは報道しない。

近い将来、政府支出は国債の暴落と金利の上昇を招くという従来型の経済学が間違っていたことが明らかになるだろうが、ここ数十年で、こうした財政均衡の呪縛に囚われなかった中国は、西側の諸国が果たせなかった経済成長をあっという間に果たした。中国の成功を、これまでの経済学者は、バブルと表現し揶揄していたが、供給力を増やしてきた中国は、バブルではなかった。遅れを取ったのは、日本だ。

供給力(生産力)さえ伴っていれば、財政支出の拡大が国民を救うという事実がやがて世界中で理解されたとき、日本はすでに沈没してるかもしれない。はたして間に合うのか?

おしまい

チェンバロリサイタルは最前列で。 辰巳美納子リサイタル・東京文化会館小ホール

1月29日(金)、東京文化会館小ホールで行われた辰巳美納子のリサイタルへ行ってきた。曲目は、バッハのフランス組曲第5番とゴルトベルク変奏曲の2曲である。

この小ホールは649席ある
開演前、休憩中ともずっと調律している

上の写真が開演前の様子である。コロナの真っ最中で、公演中止を心配していたのだが、無事開かれ、観客席は3分の1くらいが埋まっていた。

チェンバロは、おそらく鍵盤楽器では最古参だろう。金属製の弦を張り、爪が弦を引っ掻いて、音が出る仕組みになっている。鍵盤を強く叩いたからといって大きな音が出るわけではなく、優しく弾いても音量が小さくなるわけでもない。音量も小さい。そのため、楽団と合奏すると埋もれがちだ。 しかし、繊細で美しい音色が最大の魅力の楽器だ。

主は、熱烈なコンサートファンではないので、お好みのプログラムの時に、チケットの値段がほどほどのコンサートに出かけている。オーケストラの場合、S席などより、むしろホールの後ろの方とか二階席の方でも、音響設計が良くされているので問題はないし安いので、こういう席を選んでいる。今回も、足が延ばせるという理由で、中央右側の端っこの席を選んだ。鍵盤楽器の場合、演奏者が舞台に向かって左側に座るので、左側の方が手の動きが見えてよいのだが、左側は人気があり、選択できなかった。

チューニングを聞きながら、「この楽器、これはすぐ近くで聴くに限る。」と思った。大音響が出る楽器は、反響音により後ろの席のほうがよく聞こえるのだが、チェンバロは音自体が繊細で小さく、間近で聴くのが良い。

また、常にチューニングが必要なようで、20分間の休憩の間も、調律師がずっとチューニングをしていた。

そもそもこの楽器は、ヨーロッパの貴族が室内で楽しんだ楽器だ。大きなホールで民主化さとれた大衆どもが聴く楽器ではない。 というわけで、主は、コロナのせいで観客席が空いていたこともあり、休憩を挟んでほぼ最前列に移動して聴いていた。 同じように考えた観客もいるらしく、周囲には何人かステージ近くに移ってきた人がいたようだった。

この日のプログラムは、前半がバッハのフランス組曲第5番、後半がバッハのゴルトベルク変奏曲だった。

バッハは、鍵盤楽器のために有名なところでは、パルティータ集、フランス組曲、イギリス組曲、トッカータをそれぞれ6曲ほど作曲している。トッカータは、1楽章形式で、アドリブ的で奇想的な曲である。パルティータ集、フランス組曲、イギリス組曲が、当時のダンスミュージックである舞曲を何曲も組み合わせて作られた大曲である。

フランス組曲も素晴らしいのだが、やはりパルティータが全体としてのまとまりをよく考えて作られており、さらに大曲という趣がある。

辰巳美奈子のゴルトベルク変奏曲の感想を書いてみる。

何といっても、

① 演奏時間がめちゃ長い。

おそらく、80分間以上演奏していたが、グールドの倍程度になるはずだ。原因は簡単で、おそらく反復を全部しているからだ。グールドは、溌剌とした1955年のデビュー録音が38分、瞑想的な1981年の再録音が51分である。反復は、「1955年にはグールドは一切のくり返しをしなかったが、1981年には、カノン9曲と厳格な対位法の変奏曲4曲で、前半のみを繰り返した。」(「グレン・グールド神秘の探訪」 ケヴィン・バザーナ:サダコ・グエン訳 478頁)と書かれており、この日の演奏はちょっと冗長だ。グールドの2回の録音は、長短あるが、いずれの場合にも、極端に遅い演奏と極端に早い演奏が組み合わさっており、きわめて刺激的だ。

辰巳美納子の演奏も、現代的で明るく楽しい演奏を繰り広げているのだが、古楽器を使って楽譜に忠実に、当時のままに演奏しようとしているのかと思えるフシもあり、強いて言えば、指向性がはっきりしない。おそらく、彼女は、古楽を忠実に演奏するより、現代的で楽しくこの曲を演奏しようと考えているのだろうと思うのだが、さらにメリハリがほしい。冒頭のアリア、最後のアリアなどは極端にゆっくり弾いて欲しいし、疾走するところは疾走して欲しい。

逆に、グールド以前の大御所であるワンダ・ランドフスカ(1879年 – 1959年)の演奏のように、博物館にあるような年代物の演奏を、現代の今やったら、それはそれで面白く値打ちがあるだろうと思う。

要は、その人なりの「狂気」がないと面白くない。グールドは、音高と音価(=楽譜上の音の長さ)は変えていないが、拍子や速度記号を無視し、場合によっては音符も加えている。

② この日のパンフレットに「鋭い感性と自在な表現で全体を支える通奏低音に定評がある」と書かれていた。伴奏ともいえる通奏低音をホメるというのは、パンフレットとして、どうなのかなと思った。しかし、通奏低音のリズム感は安定していて、こういうことなんだと納得する。聞いていて安定していて、とても気持ちが良い。もちろん、他の声部もなかなか良かった。 

③ このゴルトベル変奏曲は、最初と最後のアリアの間に、30曲の変奏曲が挟まるのだが、最後の方に近づくにつれ、クライマックスに近づくのが感じられ、最後の変奏曲、クオドリベット(=宴会などで行う、複数人がそれぞれちがう歌を同時に歌う遊び:Wikipedia)で爆発する、その感じがよく出ていた。

このクオドリベットは、当時の俗謡が2曲入っていて、楽しくてとても聞きやすい。それまでのバッハの小難しさが消えて、すっかり楽天的になる瞬間である。ある意味、この曲はクオドリベットが出てくるまでが辛抱であり、この曲の到来で辛抱から解放され、最終的に、再び静かで美しいアリアの円環に戻る。

そう考えると、アリアに戻るところは、もっとゆっくり、極端にゆっくり、じっくり聴かせたらどうなんだろう。 しかし、終わりよければすべて良し。とても、感動的で、楽しめる演奏だった。観客も大きな拍手を盛大におくっていた。 主は、アンコールになにか、最低もう1曲を弾いて欲しかった。

おしまい

グレン・グールド 夏目漱石「草枕」と出会った経緯など

グレン・グールドは、「草枕」を読んでその芸術観につよく共感する。その経緯を、漱石研究者であるダミアン・フラナガン(Damian Flanagan)が、アラン・ターニーの翻訳による”The Three-Cornered World(草枕)”のペーパーバックの再版のイントロダクションで詳しく書いている。

ダミアン・フラナガンは、イギリス生まれの夏目漱石研究者で、日本とイギリスを往来しながら、日本語、英語の双方で著作や評論を発表されている。彼の書いた評論は、日本人研究者よりよほど核心をついていて、読んでいて納得がいく。非常にお勧めである。

そのダミアン・フラナガンが書いたイントロダクションのうち、グールドが出てくる段落を、拙いが、主が翻訳したものを最後に書いてみた。もし、目を通してもらえると有り難い。

また、そのイントロダクションと重複する部分があるのだが、ざっとした経緯を主も書いてみた。

1967年、35歳のグールドは、すでにコンサートの世界から身を引き、コンサートを開かなくなっていた。

休暇を過ごしたノヴァ・スコシア州アンティゴニッシュ(カナダの最東部にあり、トロントから約2000キロ離れている。)からトロントへもどる列車で、化学の大学教授のウィリアム・フォレイが、グールドが同じ列車に乗っていることに気づき、思い切って話しかける。二人は意気投合し、グールドは別れ際に、前年5月に「音の魔術師」と評される巨匠、ストコフスキー(1882-1977)と録音したばかりのベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番のレコードをプレゼントする。フォレイは、この日話題に上った「草枕(三角の世界)」を返礼として送った。

GoogleMapから 赤丸がアンチゴニッシュ
ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番のレコードジャケット

グールドのお気に入りの本は、トーマス・マンの「魔の山」だった。しかし、アラン・ターニーの翻訳による、”The Three-Cornered World”(三角の世界・「草枕」)を読んでからは、今や彼が愛情を注ぐ本は、「三角の世界・「草枕」」が完全にとって代わった。

夏目漱石が「草枕」を発表したのが、1906年、アラン・ターニーが、27歳の1964年に、”The Three-Cornered World”というタイトルで「草枕」を翻訳した(刊行は1965年)。アラン・ターニー(1938-2006)は、1978年にロンドン大学で日本文学博士号取得、ICU(国際基督教大学)や清泉女子大学教授を務めた人である。

ちなみに、「草枕」の翻訳は、アラン・ターニー版だけではなく、何種類か出ている。夏目漱石の原作は、日本語で読むと、漢語や仏教用語がふんだんに使われ、多くの和歌や俳句、英詩やヨーロッパ文学者への批評も同時に出てきて、漱石の小説の中でももっとも難解で、漱石の知識の深さ広さに圧倒される。注釈を対照しながら読むのだが、腰を落ち着けてそれでも分からない単語をGoogleで調べて読まないと、しっかり理解できない。逆に、英訳のほうが、分かりやすく読み易いという。

グールドは、この本を知った後、従妹のジェシー・グレイグに二晩かけて、電話でこの本全部を朗読して聞かせたという。また、死の前年になるが、1981年に15分間のラジオの朗読番組で、第1章を抜粋して朗読した。この番組の冒頭で、グールドは次のように解説している。「・・・草枕は、いろいろな要素を含んでいますが、とくに思索と行動、無関心と義理、西洋と東洋の価値観といった対立や、『モダニズム』のはらむ危険をあつかっています。私が思うに、これは二十世紀小説の最高傑作のひとつです・・・」と。

さらに、死の直前は「草枕」を使ったドラマ番組を作ろうとしており、死の床には聖書と「草枕」が残されていたという。

この小説を、漱石は脱稿するまで、わずか2週間で書いたというから驚くが、漱石(主人公)の芸術観と、主人公の絵描きの旅行先での出来事(ストーリー)が交互に語られるという珍しいスタイルで作られている。

下の絵は、「草枕」に出てくるシェイクスピアのハムレットの登場人物オフィーリアが、川で溺れる直前、歌を口ずさみながら死にゆく情景を描いたもので、漱石はこの絵を批判的に描写している。

Wikipediaから

主が手にしている、アランターニーによる”The Three-Cornered World”のペーパーバックは、2011年発行のもので、《序論》を書き加えたダミアン・フラナガン(Damian Flanagan)の「天才から天才へ」という段落を引用する。二人の天才というのは、もちろん、夏目漱石とグレン・グールドである。もし誤訳があれば、ご海容願いたい。

(以下の日本語訳文は、以前に書いたブログを改めたものです。)

序論の抜粋《天才から天才へ》(ダミアン・フラナガン)

草枕が、全員が同じく平等だという現代風の考えによって、大いに哄笑される理由となる落日の列車に乗っていると考えると、十分に皮肉なことだが、漱石の折衷的(和洋折衷的であり、過去と現代の折衷的)な傑作に精通したいと考える、おそらく、その小説を西洋でもっとも熱烈に評価する偉大な人物が、その列車に乗っていた。さらには、この熱烈な評価者は、芸術形式と音楽の第一人者であり、その小説のナレーターの音楽の第一人者は、ー おそらくは、すべての他のものの上位にあるこの芸術という形態が、穏やかな超越状態にもっとも到達できると躊躇なく認めるとはいうものの ー (「草枕」のバックボーンを)からきし何も知らないと認めている。

1967年、その世界的に有名なピアニスト、グレングールド(1932-1982)は、ノヴァ・スコシア州のアンティゴニッシュでの休暇から戻る列車旅行をしていた。グールドは22歳で彼の革命的なバッハのゴールドベルグ変奏曲の解釈で名声を獲得し、9年間の間、世界のコンサートホールをピアノ演奏の異端的なスタイルで聴衆を目も眩むような思いにさせてきた。レーナード・バーンスタインのようなクラシック音楽界の巨人たちは、ちゅうちょなく彼を天才と認めた。

グールドは、行動においてだけではなく、思想においても完全に独創的だった。彼は、ショパンとモーツアルトの多くの作品をあざ笑い、モーツアルトが、そのオーストリア人が手早い称賛のために、本質をいつも犠牲にする単に派手で「ぼくを見て」的な子供でありながら、批評家からそのような尊敬を集めたことに驚かされると主張する。グールドは、(楽壇の)支配者層を無視し、彼自身の道を追求することが完全に心地よかった。彼は、彼自身を音楽家だけではなく一人のオールラウンドな創造的な芸術家と見なして、音楽の演奏同様、著述と記述された言葉で演じることに興味を抱いていた。クラシック音楽の世界の尊大さとうぬぼれを揶揄するために、彼は想像上の性格の過度さを生み出し、彼は興味を持っているテーマのラジオ放送に関心を向けた。

1967年に、グールドは列車のラウンジに一人座っている時に、聖フランシス・シャビア大学の化学の教授であるウィリアム・フォレイが気付く。彼は、グールドの音楽の録音物への称賛を表明する勇気を奮い起こし、会話に引き込んだ。二人の男は意気投合し、その会話で、フォレイは最近読んだ「草枕(三角の世界)」と呼ばれる魅力的な本に言及した。二人の男たちが別れる時、グールドは自身のベートーヴェンのピアノ協奏曲「皇帝」の演奏のレコードをフォレイにプレゼントし、そして、後にフォレイは、ピーター・オーウェン版の「草枕」をグールドに送ることで好意に報いた。

行き当たりばったりに出会った本が、それほどのインパクトを読者に与えるのはまれなことだ。「草枕」は、たんにグールドの好きな本になったというだけではなく、彼の人生の残りの15年間で夢中になりとり憑かれたものの一つになった。日本に特別な興味を持っているわけでもなく、その国を訪れたわけでもないのに、最後にはその本の版を4冊所有し、2冊が英語版で、驚くことには2冊はオリジナルの日本語版だった。彼は、他の小説家の手による本よりも多く、書店に並んでいる全ての漱石の売られている小説の翻訳を、購入したと思われる。彼の人生を通じて彼にもっとも近かった人物である、従妹のジェシー・グレイグに、彼は、「草枕」への愛を、電話口でその全部を二晩かけて読むことで表明した。

彼がフォレイから受け取った版に激しく注釈を書き込んだだけではなく(残念なことに、これと、その他の素材は1988年に行われたパリでのグールドの展覧会での運送で失われた)、グールドは実際に37ページの別のノートを小説として生み出した。彼は第1章を凝縮し、それを1981年11月にCBCラジオ「ブックタイム」で、15分のラジオ放送番組として朗読した。(同じ月に、彼は、26年の歳月を経て、ゴールドベルグ変奏曲を改めて解釈し直し再録音した)また、彼は、翌年の死の間際まで、「草枕」に基づくラジオ劇を書き、公演する準備をしていた。彼が亡くなった時に、たった2冊の本しか枕元になかった。1冊は聖書で、もう1冊は「草枕(三角の世界)」だった。

その「草枕(三角の世界)」が1965年に刊行されたとき、その若い翻訳者もその刊行者も、その文学史上の重要性の観点からなんの真の理解をしていなかった。当時のスタイルに適合させるために、その本のカバーは日本に言及されることはなく、上品で最小限主義の黒地に中心を外れた小さな円の絵があった。それは、ピンク・パンサーかゴールド・フィンガーの一連のタイトルと同種なものに見え、その小説は東洋的な作品の一つとして印をつけられ、その著者は世界中の主要な、あるいは主要でない才能の大勢のひとりとして、ひとくくりにされていた。

グールドにとって、それは本当に単純に20世紀のもっとも偉大な大作の一つだった。以前には、グールドのお気に入りの本はトーマス・マンの「魔の山」だったが、今や彼が愛情を注ぐもののなかで、これ「草枕(三角の世界)」が完全にとって代わっていた。実に、グールド自身が指摘したように、多くの親和性が二つの小説の中にあった。マンの小説もせかせか立ち回る資本主義の世界から、穏やかなアルプスの風景への後退を描いているが、漱石の小説のなかの大量殺戮(戦争)の引力同様、ここの若いヒーローのハンス・カストルプが世界大戦を逃れられない。

何がグールドの興味をそれほど漱石の小説が呼び起こしたのか。それは、彼にとって、ほとんど自分のためにだけに書かれた一つの小説がここにあったと思えることに違いない、あるいは、彼自身によるものかと思えるほどに、完全に彼の芸術的な信念を例示していた。グールドは、音楽と芸術が非常に感情主義になっていることに飽き飽きし、悪態をつき、それから自由になることを求めていた。すなわち、彼の願いは個人へ向かい、超越することと静穏さだった。さらに、グールド自身の(従来の観念から)超然としたクラシック音楽の再解釈よりも、漱石の芸術の区分ほど、主題物と単なる雰囲気を定義し明らかにするものはなかった。漱石はいかにすべてものが見られ、再び違って見られるか、聴かれ再び違うように聴かれるか、書かれ再び違うように書かれるかを示し、創造性と芸術は文化的なパースペクティヴと精神的な状態から生まれるだけではなく、たえず、再発明と再解釈されるものだと示した。

実のところ、グールドは、「草枕(三角の世界)」を自分のラジオ劇に書きなおしたいという彼自身のアイデアがあった。もし、ターニーが「草枕」を「三角の世界」へ変えることを決めたのであれば、グールドは他のタイトルを使うことを計画していた。彼が持つその本の表紙と彼が書いた37ページのノートの両方に、グールドは傑出している志保田の娘を描いた。誰もが無慈悲な早すぎる心臓発作が、芸術の天才たちの間のこのもっとも魅力的な衝突の世界を奪ったことを残念に思うだけだ。もし、グールドがさらに長生きしていれば、「三角の世界」が、「カルト・クラシック(少数ながら熱狂的なファンを獲得している過去の有名人)」という評価を打ち壊し、英語圏で受けるべきより高い世界の名声を獲得したと信じられる十分な理由はある。

Introduction by Damian Flanagan
“The Three-Cornered World” by Natsume Soseki Tlanslated by Alan Turney

次回のブログは、このダミアン・フラナガンさんの研究成果をもとにいろいろ書ければと思っている。

おしまい

ブラジル ボアッチの話 その2

ブラジリアにあったボアッチ

「人生の3分の2は嫌らしいことを考えてきた。」とイラストレーターでありエッセイストであるみうらじゅんさんは、かならずこの書き出しで始める。この人に限らず、男はだいたいそうだ。主は、4分の3かもしれない。

アマゾンから

みうらじゅんさんを冒頭に持ってきたが、内容には関りがない。単に、エロから連想しただけなのだが、今回はブラジル、ボアッチネタを取り上げたいと思う。なにしろ、15年前のブラジルの話なので、事情はけっこう変わっているだろうと思うがご容赦を・・。

冒頭の写真が、当時のブラジリアにあったApple Night Clubという昼間のボアッチの写真だ。当然ながら、夜の雰囲気は全く違う。夜には、手前の駐車場が、お客の車で一杯になる。左半分が教会でブラジルらしい。ここのお姉ちゃんと話をしていて、「お客と出かけた後、となりの教会で懺悔するのよ。」という冗談を言っていた。 Googleで検索するとどんな場所でもヒットするので驚く。

こちらは、同じくGoogleで出てきたブラジリアのボアッチの写真。Lago Sul(湖の南)のボアッチの内部写真。夜が更けるにつれて、男女でいっぱいになる。ビートのきいた音楽が大音量で流れている。15年前には、この地域は豪邸の建ち並んだ地域で、ボアッチはなかった。

主がブラジルの首都ブラジリアに赴任した時、日本でボアッチというナイトクラブの存在は聞いていたのだが、どうも風俗系のことを人に聞くのが恥ずかしいタチなので、職場の人に聞けなかった。そのため、ボアッチの存在はかなり長い間よくわからなかった。しかし、さすがに1年を過ぎる辺りから事情が徐々に分かってきた。

ブラジルの法律は、日本の売春防止法のような法律がなく、組織的な売春は違法であるものの、個人が自由恋愛することは禁止されていない。日本も、組織(営業)が絡まない、「援助交際」という名目で個人が自由恋愛している分には問題ないらしいので、細かくは違うだろうが、どちらも似たようなものだと思う。

最近は日本も、途上国化が激しいので、女性の供給は増える一方で、かなりブラジル化していると思うが、ブラジルはやはり何といっても日本以上に格差が大きいので、ボアッチで稼ごうという女性は多い。端的に言ってしまえば、ボアッチ以外でも、道路の特定の場所で、こうした女性が、車のドライバー目当てに客引きをしている場所もある。

また新聞の求人(募集)欄に、こういう種類のお姉ちゃん(お兄ちゃんも?)が、例えば、『混血、美人、大柄。20歳。電話******』とか、広告を載せていた。主は、結構長くブラジルにいたのだが、このことに気づいたのは、かなり時間がたってからだ。ブラジリアの職場の現地スタッフによれば、ブラジルではどんな田舎へ行っても、この種のサービス?、仕事?は必ずあり、お金次第で、超高級なものから長距離トラックの運転手向けのもの、違法な子供が出てくるもの、同性愛向けもあるということだった。

ブラジルの女性は、全般に、日本人のように照れることもなく、フランクだ。ボアッチは、男性が入場料として料金を払うが、女性は無料でやって来ており、お酒を飲みながら、女性と話をすることを目的に来る男性も多い。意気投合すれば、一緒に出ていくこともある。店の女性の管理が厳しくないので、電話番号を教えてもらって、直接電話して、食事に誘ったりすることも可能だ。

おしまい

トーマス・マン「魔の山」その2 ネタバレのあらすじ

ネタバレのあらすじ

舞台は、世界中から結核患者が集まるスイスのダボスの高地の《ベルクホーフ》という名のサナトリウムである。

標高1500メートルのダボスには、何十件もサナトリウムがあったらしい

第1次世界大戦の7年前である1907年、24歳のドイツ・ハンブルグ生まれのハンスが、従弟のヨアヒムを3週間の予定で見舞いに訪ねる。ハンスは、造船工学を学んだエンジニアで、造船所で見習いとしての就職が決まっており、気軽な立場で、任地へ赴任する前に見舞いに立ち寄ろうとしていた。ハンスは、この就職前の試験勉強のために、たいへんな勉強をして疲れ果ててしまい、医者からアルプスでの転地療養を勧められ、ヨアヒムを訪ねるところだった。

一方、従弟のヨアヒムは、ハンスより背も高く、肩幅も広い立派な体格をしていた。しかし、実のところ風邪をひきやすく、すぐに熱を出し、ある日とうとう血痰を吐いた。ハンスは、家族の希望通り法律を勉強していたが、やむなく進路を変えて、プロシア軍の士官候補生として採用されていた。ところが、結核の治療のため入院していた。

ハンスは、人生をこれから始めようとする青年であり、ヨアヒムは、一刻も早く病気を治して、軍人としてデビューをしたいと考えていた。

ハンスは、ヨアヒムに教わりながら、《ベルクホーフ》で様々な国の様々な人たちに囲まれて、サナトリウムの生活を始める。サナトリウムの生活水準は、医師や看護師の他に、料理人、給仕たちや門番などが揃って高く、患者の食事は、栄養があり豪華で、日に5度もあり、厳しいが美しいアルプスの高地を散歩をしたり、バルコニーで体を延ばして労わる安静療養の時間など規則正しい生活を送るようになっている。

しかし、バルコニーは隣の部屋とつながっており、患者同士の不倫や情事が密かにおこるなどもあり、根底にある倫理観や道徳観は、1900年ころの当時と、今も変わらない。

そのサナトリウムには、古くからの患者に、30代のイタリア人でフリーメーソンのセテムブリーニがいた。人文主義者を自称し、代々続く文学者の家系にあるセテムブリーニは、いつも同じ着古した一張羅を着こなす紳士だが、若い二人を見込んで、ヒューマニズム、啓蒙思想、自由、博愛など様々な思想について皮肉交じりにウンチクを語り、ある種、矯正的な感化及ぼそうと語ってくる。

フリーメーソン:16世紀ころに成立した秘密結社。「自由」「平等」「友愛」「寛容」「人道」を理念とする。

サナトリウムでは、補佐役の医師が、患者相手に病患形成力としての」というテーマで連続講義する時間を設けていた。世界中から集まった老いも若きも、男も女も、既婚者も未婚者も、様々な患者たちが揃っているサナトリウムだが、「愛」については、誰もが興味深々で、精神的な愛と肉欲的な愛がごちゃ混ぜになった話に、婦人たちは頬を紅潮させ、男たちは耳を揺すぶらせて聞き入っていた。その医師の結論は、「病気は、愛の表現である。」というものだった。

療養者にロシア人の若く美しいクラウディア夫人もいた。ハンスは、一目見たとたんに、彼女に恋心を抱く。クラウディア夫人は、夫と別居し、結婚指輪を嵌めず、処々方々の療養地を渡り歩き、ハンスの目には、無作法でだらしのないところがある夫人なのだが、ハンスは自身の自負心と照らし合わせ、クラウディア夫人に対し優越感を覚え、クラウディア夫人の手の平にキスをする夢を見て、甘美な感情に満たされる。ハンスは最初のうちは、クラウディア夫人との関係を休暇中の一ロマンス、遊びぐらいにしか考えていなかったが、それが微妙な関係から生まれてくる興奮、緊張、満足、失望などを感じることで、これが夏の旅行の真の目的へと変わっていく。

ハンスのクラウディア夫人に対する恋心は、ヒッペという男子の同級生に対する好意に類似していた。ハンスは12,13歳のころ、飛び級をしている模範生のヒッペに好意を寄せていた。その感情は、直接にヒッペに分かるように告白するというようなものではない淡いものだった。ハンスは、クラウディア夫人を一目見たときに、ヒッペに再開したような感覚になる。そして、ハンスは、クラウディア夫人に恋心のサインを送りはじめる。そのサインは周囲の人たちに簡単にバレていたが、ハンスの行為は、回りくどいものだったので、クラウディア夫人は知らぬ顔で無視を続ける。

従弟を見舞いに行ったはずの気楽な立場のハンスだったが、彼にも発熱症状があることがわかった。見舞いの立場から、患者としての療養生活が始まる。ハンスは、療養生活がすぐにでも治るものと考えていたが、最終的に第1次世界大戦がはじまるまでの7年間に及ぶことになる。

やっとのことで、二人きりで話ができる瞬間が訪れ、ハンスはクラウディア夫人に跪いて愛を告白する。しかし、クラウディア夫人は「坊ちゃんが、何を言うの。」と取り合わない。この時、ドイツ語やフランス語では男女の間で親しくなってからでないと使わない「君」という表現をハンスはクラウディア夫人に使い、「なんて図々しい人なの!」と呆れられる。 しかも、彼女はこのサナトリウムを明日去るという。翌日になって、ハンスは、呆然となってクラウディア夫人を建物の陰から見送ることしかできない。

映画「魔の山」

文学士、啓蒙家で、貧乏なセテムブリーニはやがて、サナトリウムを出て、村人の家の屋根裏部屋でほとんど調度のない暮らし始める。その家の階下には、贅沢な調度品に囲まれて暮らすナフタがいた。ナフタは、オーストリア生まれのユダヤ人だったが、イエズス会のカトリック教徒に改宗し、出世街道を進んでいたのだが、病気の発病により出世の道が閉ざされていた。 このセテムブリーニとナフタは全く正反対の意見を持っており、セテムブリーニから「人生の厄介息子」と評されるハンスとヨアヒムの前で、いつも議論を戦わせている。この二人の話が非常に熱を帯びていて、長いのだが、説得力はない。しかし、「魔の山」の特色を形作っているのは、間違いない。

イエズス会 資金面で豊かなだが、「イエズス会員」を表す言葉(たとえば英語のJesuit)が、しばしば「陰謀好きな人、ずる賢い人」という意味でも用いられ、近代において、プロテスタント側のみならずカトリック側の人間からも、さまざまな陰謀の首謀者と目されることが多い

セテムブリーニは、ナフタのいないところで、ナフタがいまだにイエズス会に養われている身であることをばらし、悪魔的だと非難する。ナフタは、同じようにセテムブリーニのいないところで、セテムブリーニを、フリーメーソンだとばらし、彼の思想は時代遅れも甚だしいブルジョワ的啓蒙精神と自由思想的無神論であるにも拘わらず、滑稽な自己欺瞞に酔っていると非難する。

二人の議論の一例をあげると、こういう具合である。こうした議論が、延々と果てしなく続く。

「・・・・セテムブリーニはびくともしなかった。ナフタ氏は、と彼は言った。問題は墨で字を書くことではなくて、人類の本源的要求である文学、文学的精神にほかならぬことを百も承知の上でこういうことを言われるのであるが、何とも憐れむべき嘲弄家ではないか!文学的精神とは精神そのものであり、分析と形式の結合という奇蹟であるこの精神こそあらゆる人間的なものに対する理解を覚醒せしめ、愚昧なる価値判断や信念などの力を弱めて解体させ、人類の教化、醇化、向上をもたらすのである。・・・・・

ああ、しかし相手のナフタも黙ってはいなかった。彼はセテムブリーニ氏の天使的頌歌(ハレルヤ)を意地悪い、目覚ましい反論をもって撹乱し、あの熾天使のごとく高尚なる偽善の背後に潜むのは破壊の精神であると断じ、それに対してみずからは保守と生命の味方にたつといった。セテムブリーニ氏が声をふるわせて独唱された奇蹟の結合なるものは、要するにいんちきな手品にほかならない。なぜなら、文学の精神は・・・・

それをハンスは、こう思っていた。

「・・・ところでハンスは自分の哀れな魂こそ彼らの弁証法的争論の主要な対象だと考えたがっていた。・・・」

軍での出世が約束され、軍に貢献したいと願うヨアヒムだが、いつまでたっても病気が回復しない。とうとうしびれを切らした彼は、回復しない状態で、軍に入隊すると強く決心し、サナトリウムを降り、出発する。 しばらくは、昇進し少尉になったとか、軍隊で元気にやっているといた内容のヨアヒムから手紙がハンスに届くのだが、徐々に軍隊生活が病気によりうまく勤められない様子が伝わってくる。

ハンスは、スキーを初めて履いて一人で冬の山中を彷徨う。最初天候は良かったのだが、突然吹雪き、方向が全く分からなくなる。疲労困憊し、ちょっとした小休止の時に葡萄酒を口にして眠ってしまい、海辺で母と娘や、乙女たちが舞う美しいが性的な夢を見る。やがて夢は、醜い老女が半裸で、幼児を引き裂き、肉片をむさぼり食う場面でハンスは、夢から覚める。彼のスキー行軍は、いつの間にか元の場所に戻るという非常な困難を伴うのだが、ハンスは桎梏からどうにか身をほどき、なんとか奮起して下山する。

ハンスは、スポンサーであるティーナッペル叔父の訪問を受ける。叔父は、ハンスがいつまでこの高地にいるつもりか詰問しにやってきたのだった。しかし、サナトリウムの多くの病人たちや感染状況などを知るにつれ納得するようになり、また、自分が狭量だと思われたくもなかった。ティーナッペルは、サナトリウムで下界ではできないような様々な体験をして、療養中のある夫人の豊満な乳房に魅了されたたり、むしろ下界の生活を送ることが当分の間、完全に間違った不自然な不法なものに感じられるという予感を抱いて恐ろしくなり、ハンスに別れを告げることなく、朝一番の列車で逃げるように帰ってしまう。 これで、下界にはハンスの療養生活を否定する者はいなくなる。

さらに時間がたち、ヨアヒムは、再び病気がひどくなり、母親に伴われてサナトリウムに戻ってくる。ハンスはもちろん、サナトリウムでヨアヒムを知る者たちは、ヨアヒムの帰還を知ってを喜ぶ。

ヨアヒムと彼の母親は、アルプス旅行中の汽車の中で、クラウディア夫人に会い、近く彼女がサナトリウムに戻ってくるということを聞かされていた。母親が、ハンスにそのことを伝え、「とても奇麗な人でした。どこか開けっ放しで投げやりなところがあったけど・・・」と言うのに対して、ハンスは、「あの人には人文的風俗習慣の尺度をもって近づいてはいけない。・・・」と急に饒舌になり、ネガティブな言葉ばかりを言い、母親を驚かせる。

ヨアヒムは、再入院の当初、軍隊生活で男らしさを増したように感じられ、ハンスをはじめとするサナトリウムの面々は喜ぶ。しかし、ヨアヒムの病状は、目に見えて悪化し、やがて食事さえも困難になり、ヨアヒムはまもなく死亡する。呆然とするハンス。ここで物語は、第二部へと進む。

そこへハンスが恋心を抱いているクラウディア夫人がベルクホーフに戻ってくる。ハンスは、軍隊に行っていたヨアヒムから、クラウディア夫人が戻ってくると前もって聞かされていた。しかし、クラウディア夫人は、オランダ人のコーヒー王、ペーペルコルンという老年の男性と一緒に戻ってきた。衝撃を受けるハンス。 しかも、ペーペルコルンは大きな存在感、人間性があり、議論好きなセテムブリーニやナフタをはっきり凌駕する。

もともと慇懃すぎる性格のハンスは、クラウディア夫人をペーペルコルンと争うようなことは全くせず、どんな場面でも王者で、支配者であるペーペルコルンを「人物だ!」と尊敬する。冷淡だったが、どこか肩透かしをされるクラウディア夫人。

ハンスとセテムブリーニ、ナフタ、クラウディア夫人、ペーペルコルンとあと二人、ヴェーザル(ピアノで結婚行進曲を弾くマンハイム生まれの商人・青年)とフェルゲ(ペテルスブルグ出身。高尚な話に向かないと自称する善良な忍従者)の6人は、行動を共にすることが多かった。ヴェーザルは、ハンス同様、クラウディア夫人を自分のものにしたいと思っており、同類と感じてハンスのコートを持ったり、ハンスに対しへりくだった態度をとる。

金持ちのペーペルコルンが費用のすべてを負担して、彼らは、盛大にカード遊びや酒盛りを連夜、遅くまでする。

セテムブリーニとナフタは相変わらず、熱心に哲学的な神学論争を烈しく続けるのだが、ペーペルコルンのいるところでは、いつも彼の存在感の方が上回り、「彼の影響力のために、論争はその決定的に重要だという印象をぼかされてしまい ー こう言っては大変気の毒だが ー 結局こういう議論はどうだっていいのだという印象をみなに与えてしまった。」

遊びなど、共通体験を深めることで、ペーペルコルンに信頼を寄せるハンスをペーペルコルンも評価する。その長い盛大な酒盛りの深夜、別れ際に、酔っぱらったペーペルコルンは、ハンスがクラウディア夫人に接吻するように求める。「お別れにこの美しい女(ひと)の額に接吻したまえ、お若いお方。」と言い、ハンスは「いけません、閣下」「あなたの旅のお連れに接吻するなどということは、私にはできないからです。」と拒む。

ある晩、ハンスは、クラウディア夫人がパトロンであるペーペルコルンが寝ている時間を見計らい二人だけで話をするチャンスを得る。相変わらずハンスはクラウディア夫人を、「君」と呼び、クラウディア夫人は「そういういい方は、問題にしないことにするわ」と応じる。ハンスは、相変わらず、理屈っぽく遠回りにクラウディア夫人に言い寄る。最後に、クラウディア夫人は「あたしはあんたが冷静なのに腹をたてていたのよ。」「あんたがあの人を尊敬しているのを見て、うれしかったわ。いいわ、二人で同盟を結びましょう。」といい、ハンスの手を取り、ロシア風のキスをする。

ハンスは、ペーペルコルンとさらに仲良くなり、いろいろ教わる間柄になる。ある日、病気の老人であるペーペルコルンはハンスに問いかける。ここが、この小説のハイライト。

あなたは、一度もマダム(クラウディア夫人)を『あなた』と呼んだことがない。・・・あなたは、盛り上がった宴の最後に私がマダムに接吻するように求めたとき、馬鹿げているという理由で承知されなかった。そう言う釈明では、もう一つ別の釈明が入用だとあなたも異存がないはずです。その義務を果たしていただくわけにはいきませんか。あなたはクラウディアが前にここに居たときの愛人だった?」

「あなたには嘘をいいたくないです。ぼくはクラウディアを ー 御免なさい ー 旅のお連れを世間的な意味合いでは交際は全くありませんでした。しかし、ぼくは心の中でクラウディアを親しみを込めて『君』と呼んでいました。ただ、クラウディアがサナトリウムを出ていく前の晩、はじめて親しく話をしたのです。」

「あなたは今でもあの人を愛しておいでなのですね。」

「ぼくはあなたを非常に尊敬し讃嘆しておりますから、ぼくのあなたの旅のお連れに対する気持ちを、ぼくのあなたへの気持ちから言ってどうもおもしろくないのですが。」

「あの人(クラウディア夫人)も同じ気持ちを持っているのでしょうか?」

「ぼくはあの人が今までにそういう気持ちを持ったことがあるとは申しません。ぼくにはむろん女性に愛されるようなところはあまりありません。ぼくにはどんな人間的な大きさがあるでしょう。・・・ぼくがこんなことをお話したのは・・・過去のいきさつのせいで、ぼくに好意をお寄せくださるのをおやめにならないようにお願いしたかったからです。それだけが気がかりなのです。」

「それにしても、私があなたに自分では知らずに与えた苦しみは、たいへんなものたったに違いない。」

ハンスとペーペルコルンの熱のこもった会話は続く。

ハンスは、病気により長くサナトリウムに留まり世間と縁が切れてしまい、死んだも同然で、クラウディアへの理性を失った愛情表現も病気に屈服したからだというような意味のことを述べる。これに対し、ペーペルコルンは、もし自分が悪性の熱に参っていなければ、男対男ととして武器を手にして、あなたの名誉回復の要求にこたえただろう、また、自分が知らずにハンスに与えた苦痛に対して、また、自分の旅の連れがあなたに与えた苦痛に対して、あなたの満足のいくように取り計らっただろうと言う。さらに、ペーペルコルンはハンスに、お互い『君』と呼び合う兄弟になろうと申し出る。 ふたりは、グラスを交わして兄弟と認め合う。

仲の良い6人は、2頭の馬車を仕立てて森と峡谷の中にある滝へピクニックに出かける。

その途中、同じ馬車に二人で乗るヴェーザルはハンスに言う。「あなたは今では、ペーペルコルンが出てきて、おかしなことになっているが、一度はうまい巡り会わせで楽園に遊んでクラウディア夫人の腕を頸に巻き付けられたことがあるから、わたしに対して上から目線なんです。」「私は、クラウディア夫人に、もう、ぞっこんです。私がどんなに彼女に焦がれ飢えているか、しかもその思いが遂げられずに我慢していなければならないか、その苦しみはとても言葉ではいいあらわせません。・・・。」とハンスにこぼす。

滝では、ペーペルコルンがワインを何杯も飲みながら、立ち上がって口を動かすのだが、何を言っているのか誰にも理解できないものの、全員がその存在感に圧倒され、頷きながら頭を縦に振って納得していた。やがて、ペーペルコルンは出発を命じた。

そのピクニックの晩、ペーペルコルンは、象牙を使いコブラの歯を模し、毒を入れた注射器で自殺する。その夜、よく眠れなかったハンスは、深夜2時、クラウディアに呼び出されペーペルコルンが自殺した部屋で二人で話をする。

「この人は私たちのことを知っていたのかしら。」とクラウディアが言う。「この人は、ぼくが君にキスをしなかった時に、万事察してしまったのです。いま、この人が言ったとおりにするのを許していただけないでしょうか。」とハンス。クラウディア夫人は目を閉じて、彼の方へ顔を差し出した。ハンスはその額に唇をつけた。そのあと、クラウディア夫人はベルクホーフを去る。

ハンスは、ペーペルコルンとクラウディア夫人を失い、完全に行き詰まっていた。ハンスの顔は、ヨアヒムが自暴自棄な反抗を固めはじめたころに見せた顔つきを、はっきりと思い出させた。 ハンスは、自分の周囲を見渡した。周囲のものは、時間のない生活、心配も希望もない生活、停滞していながらうわべだけは活発に見える放蕩な生活、死んだ生活だった。

ベルクホーフでは、あらゆる慰みごとが流行っていた。写真の現像、切手の蒐集、チョコレートをむさぼり食う、目をつぶってブタの絵を描く、数学、トランプなど、ハンスもこられに夢中になる。 ハンス自身、自分の身に巣くう「恐ろしい鈍感」に慄然とする

 サナトリウムに突然最新鋭の蓄音機が設置させる。その蓄音機は最高級品であり、素晴らしい音を出した。また、200枚以上のレコードがあり、最高峰の楽団が演奏していた。療養者全員が夢中になるのだが、ハンスはその蓄音機の操作者になることを買ってでる。そして、一人でもその音楽を楽しむ。ハンスが好きだった曲は、オペラ、「アイーダ」。これを味わった後にドビュッシーの「牧神の午後」を聴いて息抜き。その次が、オペラ、「カルメン」。グノーのオペラ、「ファウスト」の中の「祈り」の歌。最後にシューベルトの「菩提樹」の「泉のほとりに」。 ハンスは、この「菩提樹」の中に希望を見出す。

ベルクホーフでは補佐役の医師が研究結果を講演で発表していたが、やがて神秘的な世界へと入り込んでいく。若い生娘を霊媒にしてこっくりさんに熱中する。生娘には霊が取りつき、死者を呼べる。ハンスは、ヨアヒムを呼び出すよう依頼する。不思議な現象が様々に起こる。

ベルクホーフは、毒々しい口論、憤怒の爆発、名状しがたい苛立ちに支配されるようになる。 最近入所した反ユダヤ主義者は、ユダヤ人の入所者と悪童のような取っ組み合いから、誰も見たことがないような死に物狂いの喧嘩をする。

また、ポーランド人の間で、名誉棄損事件が起こり、お互いが非難する文書を入所者にばら撒いていた。これを受け取ったセテムブリーニとナフタの二人は、決定的な口論に発展し、ナフタはついにセテムブリーニに決闘を申し込む。これを受けるセテムブリーニ。何とか翻意させようとするハンス。

しかし、二人は翻意せず、ピストルを至近距離から撃ちあう決闘を行う。フェルゲとヴェーザルが介添え人となり、ハンスは立会人となる。15歩離れたところで、お互いが向き合い、3歩ずつ前進し、ピストルを互いの胸に向けあう。その時、セテムブリーニは空に向けて何発かは発射する。「あなたは空へ向けて発射された。」怒るナフタ。「どこへ撃とうと私の自由です。」「もう一度うちたまえ。」「そのつもりはない。さあ、あなたの番だ。」 ナフタは「卑怯者!」と絶叫し、自分の頭に弾丸を打ち込んだ。

ハンスは、サナトリウムでは人畜無害な人物であり、放置されるようになっていた。自由と呼んでよいのか放恣(気儘で節度がない)なのか。

 しかし、このとき轟然と世界がどよめき、青天の霹靂がとどろいた。オーストリア・ハンガリー皇太子銃撃事件を契機にする第1次世界大戦の勃発である。セテムブリーニは、決闘事件以来、呆然自失となり無気力だったが、破局へ向かうヨーロッパの運命とともに複雑な心境だった。

ベルクホーフは、母国へ降りていこうとする人たちで混乱していた。ハンスもそうだ。セテムブリーニは、ハンスを駅まで見送り、「あなた」と呼びかけるのを止め、「ジョヴァンニ」(Giovanni)と「君」と何度も呼びかける。「私は君がもっと違った形での出発をするところを見たかった。でも、いいでしょう。・・・勇敢にお戦いなさい。さようなら。」 

ジョヴァンニというのは、モーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」からきている呼びかけで、「色男!」的な親近感を表す呼びかけだろうと、主は思う。

ハンスは、3千人の増援部隊の一員として、戦場にいた。彼らはすでに甚大な被害を被っていたが、目的地まで戦わなければならない。弾丸が当たり、額を、心臓を、腹部を撃たれ、腕を伸ばしながら倒れる、顔を泥の中に伏せて横たわる戦友の間を、よろめきながら突進していく。生存を期待できない悲惨な戦争である。

一番最後の部分を写し取ると、・・

「君は『鬼ごっこ』によって、死と肉体の放縦との中から、予感に充ちて愛の夢が生まれてくる瞬間を経験した。この世界を覆う死の饗宴の中から、雨の夜空を焦がしているあの恐ろしい熱病のような業火の中から、そういうものの中からも、いつかは愛が生まれてくるであろうか?」

(あらすじ終わり)

上巻は、物語がゆっくり、どこか牧歌的に展開し、下巻ではピッチを上げて、異常事態が短いインターバルで頻発する。最後には、第一次世界大戦が起こり、ハンスが病気をおっぽりだして、ドイツ軍の作戦に加わる。他の患者たちも、出身国の兵士となるべくサナトリウムを我先にと飛び出し帰国する。物語は、ハンスの生死も不明な状態で終わる。戦争は、これまでの病死や喧嘩、自殺などとはるかにスケールが違う。

翻訳が、率直に言うと、読みにくい。一般に意味が通じない日本語表現が、かなり出てくる。例えば、「あなた」と「君」という表現の違いは、ドイツ語やフランス語の二人称が親近度や長幼で変化するのだが、読者向けに補足説明があったら親切だろう。

おしまい

グールドがいちばん愛読したトーマス・マン「魔の山」その1

兎に角長い。
上下二巻で各巻が、
800ページほどある。

1932年生まれのグレン・グールドが、ニューヨークデビューしたのは、1955年なので、第二次世界大戦も終わり、社会は平和と繁栄を謳歌し始めた幸福な時期である。その戦争の影響が非常に少なかったカナダ、トロントで育ったWASP(ワスプ=ホワイト・アングロ-サクソン・プロテスタント《≒新大陸に渡った、白人支配層の保守派を一般に意味する》)の彼は、それまでの西洋文化のバックグラウンドと戦後の自由や民主主義、社会の旧弊への反抗などを胸に抱えて青年期を過ごしたはずだ。

そうしたグールドは、トーマス・マンを筆頭に、トルストイ、ドストエフスキー、ヘッセ、カミュなどの世界的な名著をひろく読んでいた。日本の作家では、安倍公房、三島由紀夫や夏目漱石を読んでいて、とくに夏目漱石の「草枕」を絶賛しており、「草枕」の朗読番組を作ったこともある。亡くなる直前に彼は、「草枕」の番組を作ろうとしており、枕元には日本語版と何種類ものびっしり書き込まれた英語版「草枕」が残されていた。自分を芸術家と定義するグールドは、とくに漱石の芸術観につよく共鳴し、芸術が人を長閑(のどか)にし安らぎを与えるというところに、漱石と自分の共通項を見ていたように思う。

そんなことで、グールドはどんな思いで、マンの「魔の山」を読んでいたのかと思いを巡らせながらこの本を読んでみた。

この「魔の山」だが、兎に角長い! 文庫本で上下2冊あるのだが、それぞれの巻が800ページほどある。

そのなかで、登場人物に年長のイタリア人の自称、人文主義者と、カトリックに改宗した虚無主義のユダヤ人修道士が人生の先輩として説教しに出てくる。主人公を交えて、ああだこうだと議論するのだが、これが延々と長い!!どうでもいいとしか思えない、結論が見えないような熱のこもった議論が、延々と続く。その挙句の果てのオチに、もう一人の堂々とした多くを語らないオランダ人のコーヒー王(主人公が恋心を抱くヒロインの情夫である老人)が出てくるのだが、その人間的な魅力の前に、二人の屁理屈王たちの存在が霞んでしまう。

こういう未熟な主人公が、成長するにつれて人格を形成していく小説を、「教養小説」というそうだ。夏目漱石の「三四郎」などもそうらしい。そういう意味では、様々な読み方があるはずだが、決して権威を肯定するような小説ではない。

ただし、市民社会と言いながら、社会階級からくる差別意識は色濃い。夏目漱石の小説もそうだが、このマンの小説にも、下層階級のだらしなさを非難する描写がふんだんに出てくる。こうした下層階級の人たちを二人の作家が否定しているわけでは全くないが、ある種のエリート意識があるのは否めない。 むしろ、グールドの場合、彼は自分を芸術家と考えており、それは普通の人たちとは違うことを意味しており、その分芸術で、視聴者に責任を負っていると考えていたのは明らかだ。むしろ、人類みな平等というスローガンより、芸術家としての義務感が感じられてよろしい。グールドの思いが出ているところを例示すると、次のようになる。

● 「本質的には、芸術の目的は、癒しなおすことです。音楽は心を安らかにする経験なのだと思いたいのです。」(「グレングールドは語る」)

● 「聞くものにこの世のことを忘れさせてくれない音楽は、それができる音楽より本質的に劣っていると私は思う。」(「グレン・グールド 著作集2」)

● グールドではないが、カラヤン大先生の発言は分かり易い。『演奏者だけが盛り上がって聴衆は冷めているのは三流、 聴衆も同じく興奮して二流、 演奏者は冷静で聴衆が興奮して一流。』ヘ ルベルト・フォン・カラヤン

小説の登場人物それぞれに、やむをえない事情があり、それぞれが正しい人生や模範となる人生を歩もうとしながらも、簡単にそうはならない矛盾がとうぜんある。とりわけ、最後に出てくる「霹靂」の第1次世界大戦は、世界中から患者が集まるサナトリウムを一瞬で一変させ、患者たちがわれ先にと出身国に帰り、戦争に参加しようとするという結末は、それまでのサナトリウム内の騒動である喧嘩や、情事、人文主義者とニヒリストの議論、日常的に起こる個人の死などすべてのひとの営みを軽々と吹き飛ばすものだ。

もう一つのテーマと思えるヒロインとの淡い恋物語も、単純でキレイな話ではなく、主人公ハンスのプライドや世間体と、淫蕩な欲望が絡んだせめぎあいから出発している。主人公の態度は現代ではじれったいし、時代がかっているだろう。しかし、主人公のまどろっこしい態度とヒロインのある種の冷ややかな態度は、万国共通で時代を超えて普遍的であり、とても納得ができるものだ。

読みながら主は、自身のプライドや自尊心を守りながら、女性に対し欲望や欲情を満たそうとしても、簡単に見破られ、とても成就しないものだと感じる

グールドは、両親が極端にまじめなプロテスタントの家庭で育ち、性的な話や下ネタ系の下品な話は全くタブーだった。このため、友達が「ファック!」とかガールフレンドとの性的な話などと言おうものなら、そんな言い方は止めてと懇願したらしい。そんな抑圧を抱えたグールドは、自分の女性関係を徹底的に隠し、女性関係は今もってベールに奥深く包まれている。

しかし、プロデューサーのアンドルー・カズディンは、グールドが精力的に仕事をしていた後半の15年ほどの期間、一緒に仕事をしていたのだが、グールドの女性への態度を次のように語っている。

グールドには、正常な発達がどこかで阻害されたのではあるまいかと思われることろが幾つかあった。それは・・・世間一般の常識からすると、確かにグールドの女性に対する態度は変わっていた。それは私にもはっきり感じられた。彼は女性を、あたかも思春期前の少年のような純真な眼差しで見ていたのである。彼が抱く想像の世界では、十代の若者にありがちな未熟な要素と、年輪を重ねた者でなければ決して持ち得ない、創造性に飛んだ高度の知的要素といったものが分かち難く同居していた。そして、その二つが同時に顔をのぞかせることが多かった。」

「創造の内幕 グレン・グールド・アット・ワーク」

この小説の主人公のヒロインに対する恋心は、相手を貶めながらも、自分のものにしたいという矛盾したところがあり、グールドにも似たような部分があるかもしれない。

この長い小説を読むのには、骨が折れた。特に前半は、展開がゆっくりして忍耐を要した。しかし、話の展開が進むにつつれて、意外な事件が次々おこり、読みやすくなった。 

この本を読んでいると、西洋の歴史の厚みというか、圧政で押さえつけられてきた民衆がやっとのことで王政を打ち壊し、自由や平等、啓蒙思想の市民社会を作り上げた分厚くて困難な歴史が背景にあることを実感する。そのプロセスには、様々な哲学論争や、政治思想、また、カトリックだけでなくプロテスタントによる宗教革命など激しい争いがあったのだろう。そうした歴史を経て生まれた市民社会だが、それは依然として完成形ではなく、戦争によって簡単に壊されてしまう、そんな風にも読めた。

またこの小説は、様々な二項対立を描いている。我々の世界観の中に含まれる両極端な考えを、わかりやすく対比して示しているのは間違いない。それがグールドの価値観、我々の価値観の形成につながっているに違いない。

なお、次回アップしようと思うのだが、「魔の山」のあらすじをできるだけわかりやすく面白く書きたい。

おしまい

コートが10センチ大きく ネットが3センチ低くなる! ウィルソン Sラケット!?

主は、別にウィルソンの回し者ではないのだが、ラケットを使っていることもあり、ちょっとマニアックな話だが、ウイルソンのラケットの話をしたい。

YOUTUBEにウィルソンのWilsonTV Morningという番組がある。「モーニングコーヒーを飲みながら、聞き流していただく感じで聞いていただきたい、Wilsonテニスに関するいろいろなお話です。 ゆるーい感じで聞いてみてください。」というコピーが書かれていて、お馴染みのお二人(日本法人担当っぽいヨコヤマさんとストリンガーぽいミチバさん?)が登場され、結構な頻度でテニスフリークのための番組をアップされている。

この番組を見ていると、ケガをした錦織選手がラケットのテンションを下げ、今では40ポンド以下で張っているとか、セリーナ・ウィリアムスも65ポンドで張っていたものを、今は一気に20ポンド下げて張っているとか、テニス業界の小ネタを知ることができる。

そうしたウィルソンのラケットに、昔からなのだが、スピンがよくかかるという人気のSラケットというものがある。

テニスのラケットは卵型で縦長のため、縦のガットより、横のガットの本数の方が多いのが一般的であり、縦16本×横19本とか縦18本×横20本である。

ところが、縦より横のガットの本数を減らすと、スナップバック(snapback)が起こりやすくなり、スピンがかかりやすくなるという。スナップバックを辞書で引いてみると「急に元へ戻る、鋭く言い返す 」という意味で、インパクトの瞬間にたわんだガットが、急激に元に戻るのでスピンがかかりやすくなるという。

スナップバックが起こる瞬間

このSシリーズは2013年から始まっており、フェデラーが「このラケット使うとみんなナダルになっちゃうね」と言ったとか言わないとか! あまりにスピンがかかってコートに収まるので、コートが10センチ大きく ネットが3センチ低くなる!とカタログに書いたらしい。この番組は、ゆるーい感じで聞いてほしいとのことなので、???かもしれないが、信じる者は救われるという言葉もあり、要は打ち方次第、本人次第だろう。

ただ、身も蓋もないのだが、人間は横着な生き物なので、ラケットを変えてもしそんな驚く効果があっても、すぐに体の動きが怠けてしまうのが人間の常ような気がしないでもない。

こちらがそのスナップバックを紹介するお二人の動画である。いつもながらだが、テニスをして、ラケットについていろいろトライしているような人にはとても興味深い話が聞ける。

このスピンがよくかかるSラケは、2013年に発売された時の初代ラケットに、フェース面積が105平方インチ、縦16本×横15本の STEAM105S があり、モデルチェンジしながら昨年まで続いていた。フェースが大きいほど、また、ガットの目が粗いほどボールは飛びやすくなる。

しかし、この大きいフェースに目の粗い縦16本×横15本のラケットは、ガットがすぐに切れる欠点がある。スイングするときにこする打ち方をするプレイヤーは、すぐにガットが切れる。極端な場合は、ガットを張ってすぐに切れるくらいだ。

ウイルソンSTEAM105S

そうした欠点を克服するために、ウイルソンの昨年発売された新しいシリーズでは、フェースサイズを100平方インチほどにして、縦18本×横16本で売り出したのだろうと思う。

2020年現在、売られているSラケ、左からクラッシュ100S、ブレード98S、ウルトラ100Sである。

また、ガットが切れるという現象は、縦と横のガットがはげしく摩擦するからであり、縦横のガットの種類を変えてハイブリッドにし、横に摩擦の少ないポリガットを張るなどを推奨している。

下が、テニス365の記事である。こちらも参考にさせていただいた。こちらには、ジョコビッチ選手も市販品より1本横のガットを減らしているとか、ラケットを変形させないために横糸を強く張るとか、さらに興味深いことが書かれている。

ウイルソン】「Sラケの魅力再発見!クラッシュ、ブレード、ウルトラ三つ巴試打」

おしまい