エブリバディ・ノウズ【日本病】その6 韓国に負ける日本 - 最低賃金

日本は病気だと、主は確信している。 昨日(2018/7/27)、政府は、今年度の最低賃金を平均26円、3%を上げることを決定し、10月頃から実施するという。この3%のアップは3年連続で、マスコミは、来年度には首都圏の最低賃金が1,000円を超え、中小企業の経営が心配と書いているが、1日7時間、1か月20日働くとして、3,640円の増加。年にすると43,680円の増加にしかならず、上げ幅は小さく思い切りが悪すぎる。過去に円高不況に対する日本政府の財政支出が、海外から”Too small, too late”と批判を浴びたが、同じ愚を繰り返している。

朝日新聞記事:最低賃金 首都圏は1千円目前? 中小企業は悲鳴

日経新聞:最低賃金、なぜ上げ幅最高? 3つのポイント 経済

新聞紙面を読むと、上げ幅が過去にない大きさで例がなく、経営者目線で経営に対する悪影響を危惧する論調になっている。だが、この3%、26円というのは、あまりにもみみっちい。

さまざまな視点から日本経済に警鐘を鳴らすデービット・アトキンソン(小西美術藝術工芸社・社長)は、日本は世界に例を見ないほど最低賃金の低い国であり、現在の不況の原因の一つに、最低賃金の低さを指摘し、本来の水準は1,313円だと言っている。現状は、約5割低いということになる。中小企業経営者にとって最低賃金を上げることは、支払い給与が増え、経営を圧迫し、大企業に比べて死活問題になりがちだ。しかし、アトキンソンは、日本の企業数は多すぎ、過当競争に陥っているという。経営効率の悪い弱小企業が日本全体の生産性の足を引っ張っているのは間違いなく、生産性の低い企業は、速やかに退場した方が日本社会にとって望ましい。

東洋経済:「低すぎる最低賃金」が日本の諸悪の根源だ 2020年の適切な最低賃金は1313円

デービットアトキンソン

このアトキンソンは、長引くデフレ状況下における日本人のマインドについて、「良いものを安く提供することがよいことだとしても」、「例えば、500円以下で弁当を提供したり、50円で味噌汁を提供することは、デフレ状況にある日本経済にとって自殺行為だ」という意味のことを言っている。

だが現実は、コンビニやスーパーで売られている弁当類は、500円以下で売られている場合がとても多い。 主は、前々から思っているのだが、「サイゼリヤ」、牛丼の「吉野家」、「松屋」などのような極端に安い単価で食事を提供するビジネスモデルが、同業のレストランの経営を駆逐している面があると思っている。同様に、メーカーが文房具店などで高い値段で売っている商品を、100円均一ショップ向けに製品の分量を減らして100円で販売している。このようなことをすると、目先の売り上げを確保することはできても、競争激化と販売価格の低下を引き起こし、大きく儲けることはできないだろう。書籍では、「ブックオフ」という中古本の販売店があるが、消費者の選択肢は増やすものの、出版不況の一因になっていることは間違いないだろう。また、社会のトレンドも変わり、「メルカリ」で中古品を個人で売買したりするようになった。自動車も個人が所有する比率は昔と比べると、はるかに下がっているだろう。 こうしてみると、昭和の高度成長のように、日本国民全員が牧歌的な中流意識を持っていた時代環境は、今後もう来ないのかもしれない。

そうは言っても、アトキンソンが言うように、日本は生産性を向上させる以外に生き延びる術はない。日本の少子高齢化が加速するだけだとしたら、収入と支出の両方の単価を上げるしかない。給与所得のアップと、付加価値をつけて高い単価で販売することをしないと、日本経済はさらにシュリンクするだろう。さもなくば、税収も低下し、福祉への負担で破綻するしかないだろう。人口減少の割合以上に単価アップしないと、デフレからの脱却は出来ない。アベノミクスで2%の物価上昇という一定のコミットはしたものの、結果は出ていないわけで、さらに強いメッセージが必要だと思う。(アトキンソンは、生産性の向上に技術革新せよと言っているわけではない。高い値段で売れ、儲けを得よと言っているだけだ)

経済学の世界で「実質実効為替レート」という概念がある。

現在の日本の為替レートは、1ドル=110円あたりだ。だが、1985年のプラザ合意以前に240円程度だった円は、120円へと急激に円高となった。その後、政府は円高不況に対する財政出動をたびたび行いバブルが起こり、その処理に、大蔵省の土地融資の総量規制、日銀による急激な利上げを行い、バブルははじけ長い不況が続くことになった。だが、この長い不況の間、為替レートは、一部の例外的な時期を別にすると、1ドル=110円程度を保っている。この25年間は、デフレのため日本の物価は上がっていないが、世界を見渡すとデフレの国は日本しかなく、海外諸国の物価はインフレにより上がっている。これを考慮すると、日本の為替レートは、不当に円安になっていると言われかねないのだ。競争力を維持しようと血のにじむような節約の努力がデフレを引き起こし、その日本人の我慢してしまう性格が元で、為替レートが不当に安いと言われる結果を引き起こしている。次のリンクによると、1ドル=75円位が妥当ということになる。 今、日本では、インバウンドと言われる外人観光客の波が押し寄せて来ている。これはリーマンショック後の円高から、円安に変化したことに加え、日本国内の物価が上がっていないために、外人観光客にとって日本は物価の安い国になった(実質実効為替レートが安い)ことが原因だ。 先進国の中で、マクドナルドのハンバーガーを日本のように500円~600円で食べられる国は少ないはずだ。

やはり、デフレは金持ちに対する優遇策であり、貧しい大半の国民にとってはマイルドなインフレと円安の方が、経済成長による所得の向上が期待できるので、望ましい。

「実質実効為替レートで見れば円安が進んでいる」とは?

ところで、韓国は日本より大胆で、過激な政策を実行している。

朝日新聞:韓国の最低賃金835円に 10年で2倍、日本に迫る

韓国は、なんと最低賃金を2017年に16.4%上げ、2018年には10.9%上げるということだ!!もちろん、韓国経済がうまくいっているとは、主は思っていない。日本以上に問題があるのかもしれない。だが、一人当たりの多くの経済指標で、日本は先進国中で最低となっており、韓国文在寅(ムンジェイン)政権の方が、安倍政権より心意気を強く示しているのは間違いがない。政権もマスコミも同様だが、最低賃金をわずか3%上げて「高率のアップ」と言うようでは、あまりにも経営者に都合の良い判断で、情けない。日本の指導者は「八方美人で腰砕け」の「自己チュー」だとしか思えない。野党はさらにだめだ。

参考までに補足すると、日本の最低賃金は、この10年間でわずか2割ちょっとしか上昇していない。

おしまい

 

ロックの話と弦楽四重奏団モルゴーア・クァルテット

2018年7月14日(土)モルゴーア・クァルテットのコンサートへ行ってきた。このモルゴーア・クァルテットは、日本のベテラン演奏者が集まるクラシックの弦楽四重奏団なのだが、主が高校生、大学生の頃に熱中していたロックのうち、イギリス系のプログレッシブ・ロックを編曲演奏してCDをリリースしている。今日のコンサートも前半は、ショスタコーヴィッチなどのクラシック曲で、後半がプログレッシブ・ロックだった。

50年近く前に遡るのだが、このプログレッシブ・ロックのバンドには、ピンクフロイド、キングクリムゾン、エマーソン・レイク・アンド・パーマー(ELP)などがいて、当時はメッチャ新しい音楽で、キラキラ輝いていた。というのは、シンセサイザーが発明され、オーケストラのような音を出したし、どの曲も、ポップスと違って曲が長く、構成もドラマチックだった。また、コンサートではステージで歌を歌うだけでなく、さまざまな照明や煙(スモーク)などの演出も斬新だった。

当時のロックには他にもジャンルがあり、レッドツェッペリンやディープパープルなどのハード・ロック、オールマン・ブラザーズ・バンド、ボブディランが居たザ・バンドなどのアメリカ系のブルースっぽいロックもあった。主がロックにハマっていたのは、高校生の頃だが、各自それぞれに好みの方向性があった。

当時のLPレコードのジャケット(キングクリムゾン)

そういえば、主は思いだした。中学生の時に、フォーク・クルセダースの「帰ってきたヨッパライ」という曲が、日本中を席巻するくらい大ヒットした。当時の音楽はテープに録音され、その再生スピードを上げると、歌った声が高くなり早口になった。それを利用して、フォーク・クルセダースはコミカルな歌を作っていた。13歳の主にとって、この曲を、これまで聞いてきた歌謡曲の革命のように感じて、夢中になって聞いていた。

そのような時代、友人の中学生3人で「幼な妻」という映画を見に行った。その映画は、関根恵子と新克利という俳優が主演していたのだが、女子高生の関根恵子が結婚し「幼な妻」になるという、タイトルも怪しいし、ヌードシーンが出てくるという友人の説得に期待をふくらませて行った。そのヌードシーンは、今考えると子供だましのようなたわいのないものなのだったが、けっこう感動したような気がする。 

その映画の中(だったと思う)のだが、関根恵子の兄だか、弟だか若い男が出て来て、LPレコードをかけるシーンがあった。そのLPレコードから出てくる音楽が、主の知らないもので、衝撃を受けた。それまでに聞いたことのないサイケデリックな種類の音楽で、スクリーンには、見たことのないサイケデリックな映像も流れたと思う。まったく、キラキラ眩いばかりで、まったく理解できなかった。それがロックとの出会いだったと思う。

当然、こうした音楽は最初がビートルズなのだが、日本のビートルズ世代は、団塊の世代にあたる。そのために、主の年代より上の世代が熱狂していた。日本の沢田研二がいたザ・タイガース、萩原健一のいたザ・テンプターズなどのグループサウンズもそうだ。主の時代に流行ったのは、吉田拓郎、井上陽水の時代になっていたが、主の仲間内では、拓郎、陽水を商業主義と軽蔑し、高田渡や加川良などアングラ路線に心酔していた。

こうしてみると、刻一刻と、新しいカルチャーとカウンターカルチャーの両方がドンドン出てきた幸せな時代だったと思う。

ところで、この日のモルゴーアカルテットの演奏だが、300人程度が入れるホールで行われ、バイオリン2台、ビオラ、チェロの4人で行われた。生の音ながら、十分な迫力があり、なかなか良かった。グールドは、コンサートは廃れるだろうと予言したが、自宅で聞くオーディオ装置での再生音が、生演奏の音の魅力には敵わない以上、生演奏(コンサート)は残るだろう。主は、最近音の良いヘッドホンで、マーラーなどの交響曲を聴くのにハマっているのだが、マーラーの良さは、弱音と強音の両方にあり、自宅のステレオで再生する時に強音に合わせてボリュームを合わせると、弱音が聞こえなくなる。こうしたことがあるので、自宅で交響曲をステレオ装置で聞くのは難しい。やはり、生演奏には敵わない。今のオーケストラ団員には、難聴になる人が居たり、耳栓をしながら演奏する人がいると聞く。それくらい、強音と弱音の差が激しいからだ。

おしまい

 

 

エブリバディ・ノウズ【日本病】その5 外国人の発言のほうが面白い!

テレビ番組には様々な日本人の評論家連中がしたり顔で出てくるが、いずれもうさん臭く、お笑いタレントに敵わない。主は、最近いろいろな発言を比べるとき、外国人の方がストレートでずっと新鮮で面白いと感じている。テレビによく出てくる外人タレントは、厚切りジェイソン、パックン(パトリックハーラン)、ロバート・キャンベル、デーブ・スペクターあたりだが、なまじな日本人より気が利いたことを言える。

書店に並んでいる本の中でもそう感じるところがあり、日本人学者の書いている経済学書などは読みたいと思わない。読んで真っ当で、そうだな首肯するのはほとんど外人である。2018年の春の番組改編でなくなってしまったNHK BSテレビの経済ニュース「経済フロントライン」では新鮮な話題を取り上げて毎週見ていたのだが、金融コンサルタントのジョゼフ・クラフトさんが好印象だった。また、この番組には、森永卓郎さんがよく出ていた。オタクに見られている節があるが、リフレ派でけっこうまともなことを言っていた。ただ森永氏は、今年1月の放送で「今が、今年の株価のピーク」とか、「安倍首相は、総裁選で消費税を5%へ引き下げ表明する」と言いたい放題言っていたのが、番組がなくなった原因かもしれない。

経済フロントライン

話がそれてしまったが、主が新書をあっという間に6冊買い、読み易い、聞き書きの手法の新書5冊を読破したエマニュエル・トッドの炯眼ぶりには、驚いた。彼は、クリントンが敗れ、トランプ(民主党の予備選で負けてしまったが、サンダース)の勝利を予想していた。グローバリズムの終焉と国民国家への回帰傾向を予想していた。2018年7月時点の現在、トランプは、あいかわらず日米のマスコミからバッシングされまくっている。米中は、貿易戦争の様相を呈してきたにも拘わらず、マーケットの反応は、意外と冷静だ。中間選挙で勝てば、どのようなことが起こるのだろう。主は、トランプが勝ってら面白いと思っている。

さらに書店やネットでよく目にするのが、デービット・アトキンソン(小西美術藝術工芸社・社長)だ。彼はオックスフォード大学で日本学を専攻している日本通で、キャリアもすごい。アクセンチュアの前身のアンダーセン・コンサルティング、ソロモン・ブラザーズ、ゴールドマン・サックスなどを経て渡日した。生憎、主は読んではいないのだが、「新・所得倍増論新」「新・観光立国論」が書店で平積みのベストセラーになっている。立ち読みしたり、書評を見ただけだが、どちらも現代の日本の病弊をズバリと指摘している。その視点が外人ならではで、本質をズバリつき力強い。このように分析する日本人学者がいないのは、情けない。日本人は「日本人は勤勉だ」、「安くていいものを提供することが大事だ」、「日本は民主的で平等な社会」、「日本の製品、サービスは高品質」などという刷り込みに囚われすぎだ。

2020.9.25追記—–デービット・アトキンソンは、菅新首相のブレーンであるが、竹中平蔵と並び日本の不良債権処理を急がせた人物であり、日本の国債残高に対する立場を明らかにしていない。竹中平蔵と同様に見るべき点はあるが、根本的なところは弱肉強食の新自由主義者だ。グローバリズムや自由貿易に対する懐疑どころか、否定的総括がされる今の現状からすると、彼の提案は、短期にも長期にも、格差を広げるだけだ。

デービットアトキンソン

他には、ケント・ギルバート(読んだことはないのだが、右翼チック?な著述業)がいる。

逆にいい加減なことばかり言っているオオカミ少年の経済系の学者や評論家は、日本人だ。たいていは、財政破綻とハイパーインフレの懸念をセットにして、大声で恐怖を煽る。参議院議員で評論家の藤巻健史、超整理法で有名になった野口悠紀雄あたりか。ピントが外れているのは、デフレ下の日本を「低欲望社会」とみる大前研一。これに似たことをいう人は、結構他にもいて、人口減少と高齢化は社会の成熟であり、デフレはむしろ望ましく、低成長下で心豊かな社会を実現しよういという論調だ。しかし、これは実現不可能な一種のユートピア思想といってよいだろう。1ドル=50円を唱える浜矩子。この人も現政権のアベノミクスに批判的なため、朝日や毎日といったマスコミに相変わらず重用されている。伊藤元重、伊藤隆敏は有名だが、御用学者と言われる。「御用」というのは、財務省べったり(財政再建と消費増税)ということだろう。こういうメジャーな経済学者は、たいてい若い時分に、アメリカの今となってはちょっと古い経済学(小さな政府、合理的に行動できる個人)を学んだ信奉者である。

参考までにリフレ派・非主流派の経済学者、評論家には、浜田宏一、高橋洋一、若田部昌澄、安達誠司、田村秀男などがいる。宮崎哲弥もリフレ派のようだが、機敏に転向した口だろう。

ただ主は、現在の日銀による量的緩和策で大量の国債、株式、リートの引き受けが、財政ファイナンスと批判的に言われたり、通貨発行益(シニョレッジ)という言葉が使われることもある。学者の立ち位置により解釈が違ってくるようだが、ここが肝だと思うので、なんとか調べて書いてみたい。

おしまい

 

「グレン・グールドシークレットライフ」を自分で翻訳してみた!

上の写真の「グレン・グールドシークレットライフ」(マイケル・クラークスン 道出版 岩田佳代子訳 税抜3200円)は、2011年9月に出版されたのだが、段落単位!!でかなりの部分の原文が翻訳されていないのだ。

それなのに、大っぴらに販売しているのだから呆れてしまう。翻訳していない段落は、どの章にも複数存在する。この本は、基本的にグールドの女性関係を中心にする私生活に焦点を当て、インタビューによる綿密な取材をもとにして書かれている。そうした取材には、当時の恋人本人だけではなく、男性の友人やアシスタント、音楽家、プロデューサーなども含まれるのだが、こうした部分はバッサリ翻訳していない。

この本は、「道出版」というところから出版されているのだが、大きなところではなさそうだ。なぜ、出版するにあたって、かなりな割合(15%ほど)を活字にせずに販売したのだろうか。理由は分からないが、原書の全体を翻訳しないで発売することは、音楽ファンに対する背信行為だと思わなかったのだろうか。グールド(1932-1982)は没後36年になるが、人気は今なお健在で、2015年にはコロンビアレコードの正規録音81枚(うち3枚はインタビュー)をテープからリマスターしたCD全集が発売された。昨年はグールドのデビュー録音(1955年)である、バッハのゴールドベルグ変奏曲の製作セッションのテイクすべてを、8枚のCDとLPレコードにして発売された。ここでは、伝説的なアルバムが生み出されていく過程を追体験できる。作品を世に出す過程で作られたテイク集が、売り出される演奏家はグールドしかいないだろう。今なお新発売されるCDも多く、これまでの録音の組み合わせを変え、姿を変えて発売されるだけではなく、テレビ、ラジオやコンサートのライブ録音などが発掘され、手を変え品を変え新発売されている。

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グールドに関する書籍は、グールド自身の著作集、書簡集、発言集、研究者や伝記作家がグールドを分析したもの、写真集、グールドをモチーフにしたオマージュ作品など、これまでに100点近くが刊行されており、ほとんどが、日本語訳が発売されている。死後年数が経っているが絶版とならずに、再販される書籍もあり、2017年はみすず書房の「グレン・グールド発言集」が新装版となり再発売された。

この「グレン・グールドシークレットライフ」は、これまでのゲイではないかとも言われてきた中性的、無性的なグールド像を、根底から覆すインパクトのあるものだ。この本をクラークスンが書いたのが2010年(グールド没後28年)である。グールドは、1982年に50歳でなくなっているので、女性たちがグールドと同年齢であれば、今では86歳という計算にる。このため、実際のインタビューをもとにしたこうした本を出版することは、もう不可能だろう。

グールドは自分のことを「最後の清教徒」と言い、周囲にそのように思わせてきたし、現実にそれは成功をおさめてきた。しかし、実際の彼は、彼が世間に与えようとした「清教徒」のイメージのようなものではなく、非常にドロドロしていたことが、この本を読むと分かる。彼自身には親友が多くいなかったし、まして女性関係はずっと秘密にしてきたため、ほとんど私生活は知られてこなかった。グールドは自分が好まない発言をされると、直ちに関係を断ってきた。このため、関係を断絶されることを望まない友人や関係者は、率直に何でも語るということをしなかった。特に女性関係は、彼がもっとも秘密にしたい最有力で、誰もが見て見ぬふりをした。クラークスンは、没後30年近く経ったということを説得材料にしたのだろう。そして、女性たちの固い口を開かせることに成功した。映画の「グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独」の元にもなっており、これまでのグールドのイメージを完全に一新した。強調したいことは、この本のように、グールドのないと思われてきた女性関係に焦点をあてた類書は他にないことだ。グールドファン、クラシックファンは外せない。

これほど今なお人気を誇るグールド、この彼の貴重な「シークレット・ライフ」を全部翻訳せずに知らん顔を決め込んで、発売しているのだ!出版社は責任を取ってもらいたい。すぐに版権を放棄して、違う出版社が改めて出版できるようにすべきだ。

おしまい

 

 

ヘッドホン AKG K812 《オーディオ熱》

主は、AKG K812(アマゾンで14万円くらい)というオープンエア型のヘッドホンを約2年ほど前から使っている。AKGは、オーストリアのメーカーで、放送局用の高性能機材で知られている。今ではN90QというDAC内蔵の特殊な製品や、K872という密閉型のさらに値段が高いヘッドホンも発売されているが、このAKG K812がこのメーカーのフラッグシップのヘッドホンといっていいだろう。

AKG K812

以前は、同じAKG社のK701という製品を使っていた。現在2万円弱で売っているが、5年ほど前に買った当時は、もっと高かったはずだ。これをパプアニューギニアまで持って行き、PCに入れた音楽ファイルをDAC経由でよく聴いていた。こちらもけっこう気に入っていたのだが、秋葉原のヨドバシカメラで試しにK812を聴いてみて、その違いに驚かされた。一言で言うなら、本当に自然なのだ。音楽だけを聴くことができ、他の全てを忘れることができる、そんな感じの音だ。

AKG K701

そもそも主は、36年前に没したカナダ人クラシック・ピアニストのグレン・グールドにずっとはまっており、何とか彼の演奏を良い音で聴けないかと悪戦苦闘してきた。彼が生きたのは、1932年から1982年と大昔で、デビュー作のバッハ「ゴールドベルグ変奏曲」の録音は今から63年前の1955年である。当時発売されたLPレコードはモノラル録音で録音状態がよくない。1958年頃からステレオ録音となるが、やはり録音は良くない。また、ラジオやテレビの録音も残っているのだが、レコードより悪い。

ただこの悪い録音であっても、良いオーディオ装置を使って、録音されたデータを余すことなく再生できるとけっこう聴ける。このため少しでもよい音で聴きたいと願って、オーディオ熱、ハイレゾ熱の世界に足を踏み込んできた。

先にも書いたが、このK812は、さすがリファレンス機だけあって最高の音を出す。主は、スピーカーにB&W 805D3を使っているのだが、1組90万円近い値段がするのもあって、こちらも最高の音質だと思っている。この音質だが、何と比べて高音質かというと、つまるところ、コンサートホールの生演奏と比べてということだ。

この805D3だが、器楽曲や小編成のアンサンブル、例えば弦楽四重奏や、ダイナミックレンジの低い古楽器合奏などでは何の文句もないのだが、さすがにオーケストラになると苦しい。オーケストラのフォルテッシモのトゥッティ(全奏)では、モコモコ感が否めない。

B&W 805D3

ところが、ヘッドホンK812は、この上を行く。どの楽器の音も明晰で、オーケストラの配置に奥行きが感じられる。マーラーは、交響曲の中でも大編成で知られるが、その交響曲でティンパニが轟音というべき強音を鳴らした時でも、他の楽器の音がちゃんと聴きとれる。もちろん、弱音であっても、クリアに美しく再現する。その繊細な音に胸がドキドキする。オーケストラが奏でる、何とも言えずに美しい和音の響きのハーモニーに感動する。さまざまな楽器が入れ替わり立ち代わり旋律を奏で、作曲者の曲の構成の妙に驚かされる。この素晴らしい環境が自宅で手に入るというのは、実に素晴らしい。他に代えがたい。たゆたうマーラーのハーモニーの美しさと、耳を澄まさないと聞こえないピアニッシモから、爆発するような轟音とどろくフォルテッシモへの変化に圧倒される。この体感なしに、マーラーは語れないだろう。

スピーカーのB&W 805D3では、オーケストラが弱音のピアニッシモの時には、せっかくの美しいハーモニーが聴きとりにくくなり、轟音が鳴るフォルテッシモの時には、どの楽器が同時に鳴っているのかわからなくなる。中程度の音量の時にのみ、バランスが取れて良い感じだ。

主は、ジャズも結構好きで、一時はキースジャレットをよく聴いた。マイルス・デイヴィスもよく聴く。このヘッドホンでジャズを聴くと、臨場感が半端なく、このCDには「えっ、こんな音も録音されていたの!!」と驚くことがたびたびある。

こうしてみると、クラシック音楽を自宅のオーディオで忠実に再生しようとすると、それなりにお金がかかるのだろう。B&Wの一番高いスピーカーは、1組425万円するが、世の中にはこれよりも高いスピーカーも当然ある。音響を問題にすると、部屋も当然問題になるだろう。結局のところ、そうした問題を避け、良い音を聴く安上がりな方法は、ヘッドホンを使うということだろう。

おしまい

 

エブリバディ・ノウズ【日本病】その4 日本の医療のすりこみ

日本は病気だと、主は確信している。「日本の医療水準は世界のトップクラスだ。健康保険制度はどこの国より優れている」というのはどうやらそうでもなく、我々は間違った情報を与えられているようだ。

主は、近藤誠さんの「医者に殺されない47の心得」「クスリに殺されない47の心得」の2冊の本を読んだ。近藤誠さんは医師で、元慶応大学医学部の講師、現在は近藤誠がん研究所長である。肩書が定年まで勤めて、慶応大学の講師というのにも医学界における立ち位置が表れている。次がYOUTUBEのご本人の講演で、冒頭を見るだけでどのように過激なのかわかる。

とにかくこの本の内容はすごい。この2作の全編を貫いているのは、日本の医療は、患者不在で、ビジネスを動機にして行われている。様々な医療界で使われるデータは、効能が不明であるにも拘らず、明白で大きな副作用がある。主は、この2点に要約できると思う。結局のところ、我々が抱いている日本の医療のイメージの全否定である。ビデオを見るのが面倒だと言う人のために、この本の「章」タイトルを6個紹介しよう。こういう内容が、2冊の本で94個ある。

  • ① 「とりあえず病院へ」は、医者の”おいしい”お客様
  • ② 医者によく行く人ほど、早死にする
  • ③ 「血圧130で病気」なんてありえない
  • ④ がんほど誤診の多い病気はない
  • ⑤ 「乳がん検診の結果は、すべて忘れないさい」
  • ⑥ ポックリ逝く技術を身につける

もちろん、こんなことを言う近藤医師は、前記のとおり、既存の医学界から総スカンされているのは間違いないわけで、もちろん反論もさまざまある。参考に、2つだけリンクを貼っておく。

ただ、主が両者の主張を比べると、反論は弱く、近藤医師の主張の方に分があるように感じられる。どの反論でも、近藤医師の主張を真っ向から否定していない。否定できているのは部分的であり、かなりの割合で無駄な治療が現実に行われていることが、いずれの論からでも窺える。

話が転換するが、主は母親の死の際に、医療の奇妙さを実感した。死に際になっても、出来る限りの医療措置をするのが、日本社会の社会常識(共同幻想)で、医師はとことん延命させることが役割と思っているようだった。だが、主は腑に落ちなかった。

高齢の母は、ちょっと認知症が始まった父と二人で暮らしをしていたのだが、風呂場で倒れ、呼吸不全を起こし、意識不明になり救急車で救急病院へ運ばれた。主が、千葉から関西の救急病院へ駆けつけたとき、意識がない状態で酸素呼吸のマスク(気管挿管)をされていた。このとき医師は、このあと気管切開して人工呼吸器をつけたいと言った。当然ながら、医師に「前のような生活に戻れるのか?」と聞くと、「そのような可能性はほぼない」という答えがかえってくる。やるせなさはもちろんあるが、母親が元に戻らないというのは素人目にも見てわかる。それならばと積極的な治療に難色を示すと、救急医は「救急車で救急病院へ患者が運ばれてきた以上、我々としては何もしないわけにはいかない。人工呼吸器をつけさせてほしい」と選択の余地がないと説明する。その説明に違和感は感じるものの、母が危篤なのは現実であり、少しでも生かしてやりたいと思う気持ちは当然ある。同意書にサインし、母には気管切開をして人工呼吸器がつけられた。その高度な医療が可能な救急病院は、患者が次つぎと運ばれ、ベッドを回転させる必要があり、1週間ほどで違う病院へ転院させられる。転院した先の病院では、意識が戻らないままでの延命措置はいくらでも可能だと説明を受けた。結局、母は1か月ほどで亡くなったのだが、傍らで見ていて、意識がないといっても、苦しい思いをしているのはわかる。栄養は点滴で注入され、麻酔も含まれているらしいが、意識が全くないわけではなく、無理に生かされている状態で苦しんでいるのが横にいてわかる。

一方で、医者たちは高額の治療報酬を手にし、公的なお金はさらにもっと多く使われたはずだ。こんなことを日本中でしていたら、医療制度が破たんするのは当然だ。それに加えて、それより先に、我々は安らかに死にたいではないか。

つづく

エブリバディ・ノウズ【日本病】その3 「『半分、青い。』でわかる日本経済の無策」でわかる平均的経済評論家像


ーーーーーーー Rewrite 2021/7/8 ーーーーーーー

以前は下のように考えていたのだが、MMT(現代貨幣論)を知り、考えが間違っていたと気づいた。

つまり、主は、黒田日銀の金融政策である量的緩和によるアベノミクスを支持していたのだが、これではうまくいかないと思うようになった。 つまり、この量的緩和政策の具体的なことを言えば、政府が大量の国債を発行し、市中銀行が引き受け、これを日銀が買い入れることで国内の通貨供給量を増やし、低金利への誘導と相まって、銀行の貸し出しが増えることで、投資が増え景気が良くなるという考えである。

しかし、MMTを勉強すると、このように通貨の供給量を増やしたところで、投資環境が改善しないと、民間企業は借金して投資しない。通貨が、銀行の残高として「ブタ積み」の状態になって留まるにすぎない。デフレの状態では、手元の現金の価値が自然に上がっていくので、企業は投資しようとしない。投資するより、しない方が得だからだ。

ところが、このMMTでは、実際に国債を使って政府が支出をする。実際に国民の手にお金を渡すことが、肝である。同時に、政府は民間とは違い、インフレにならない限りにおいて、いくら国民にお金を渡しても問題が起こらない。そこが根本的に違うところだ。(細部は、他のMMTの項目を見てください。)

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日本は病気だと、主は確信している。経済評論家が語る経済の内容があまりにも貧弱だ。素人同様の評論家が多すぎる。

MSNニュースに小宮一慶(以下、敬称略)が書いた「「半分、青い。」でわかる日本経済の無策」というプレジデントの記事が転載されている。朝ドラの話でもあり、興味を持ってさっと楽しく読める。

半分青い

このドラマは、高度成長期の終わり1971年に生まれたヒロインのすずめが、少女漫画家を目指す。日本経済は、彼女が高校生の時にバブル期に突入、これは5年ほどで終わり、その後25年間続くデフレの現在へといたる、挫折や波乱を経験しながら成長する物語だ。

小宮一慶は、NHKから経済面の時代考証である『経済考証』を依頼され、内容をチェックしているということで、経験に裏付けられたバブル時のエピソードなどが面白い。また、時代の変遷が要領よくまとめられている。

だが肝心の、結びの部分が駄目だ。多くの経済評論家同様、彼はこう書いている。

  • 現在は、バブル期など比べ物にならないほどの超金融緩和政策アベノミクスでなんとか景気を維持していますが、しょせんはカンフル剤でしかありません。
  • 人口減少や高齢化がますます進み、対名目GDP比での財政赤字が先進国中で最悪という状況下で、「本物の成長戦略」が望まれますが、なかなかこれといった処方がでてきません。
  • またドラマの経済考証担当として、今後、日本が得意とする製造業やおもてなし上手のサービス業などがその技に磨きをかけ、さらには規制緩和により農業などを「強い」産業にしていく、といった施策が必要だ、とつくづく感じています。

アベノミクスの金融政策の処方箋が「カンフル剤」と表現されることは、よくあるものだが、カンフル剤とは、要は一時しのぎなので、早く正常な軌道に戻せということになる。カンフル剤とは、何時までも使えないという認識を示している。異次元の量的緩和は、過去20年間の日銀の無策と比べると異次元ということであって、経済の成長に市中の通貨の流通量が不足すると、経済成長の足を引っ張る。実際に日銀は、金融政策ではずっと無策で、プラザ合意の円高不況後のコントロールに失敗し、バブル崩壊とともに日本経済はハードランディングしてしまい、為替が原因の不況がずっと続いている。その間、政府は”Too small, Too late”と言われる景気対策を何度も打ち出すのだが、効果は上がらず、現在の財政赤字が積みあがった原因である。

2008年のアメリカ発のリーマンショックによる世界的な不況は、世界中を覆ったが、不良債権が一番少なかった日本が、一番遅くまで景気回復できなかった。これはアメリカとヨーロッパがいち早く、市場へ通貨供給量を増やしたのに対し、日本は、安倍政権と黒田日銀が登場する2012年まで、通貨供給量を増やさなかったためだ。金融緩和政策は、アメリカもヨーロッパも日本以上に緩和をしてきたのであって、実際に経済が上向くまで続けなければならない。

下は、日経新聞に載った世界の通貨供給量のグラフだが、日本はこの通貨供給供給競争に乗り遅れたことが読み取れる。このグラフを見ると、世界中の通貨供給<緑線>がGDP<青い部分>を越えてしまいカネ余りが起こりっているのが分かる。リーマンショックの2008年を見ると、GDPが下がったのに対し、世界は通貨供給量を増やしたことが読み取れ、何もしなかった日本が取り残された。

ちなみに2014年の低下は、原油価格の下落によるロシア、ドイツなどの低下が要因だ。

世界の通貨供給量
2017/11/14日経新聞「世界のカネ1京円、10年で7割増 実体経済と乖離鮮明」

量的緩和は「カンフル剤」だからといって、もし量的緩和を急にやめれば、日本は確実に死亡するだろう。日銀は買えるだけの日本国債だけでなく、日本株や不動産投資信託と言われるリートなども大量に引き受けている。この量的緩和により、一定程度の円安が実現できている。日本の景気が十分回復し加熱しはじめる前の段階で、量的緩和を止めると表明したら終わりだ。この政策は、ノーマルだと考えるべきだ。

人口減少や高齢化は間違いなく大問題だ。だが、財政赤字の問題は別次元の問題だ。一つには家計や企業と、政府の借金を同一レベルで考える愚が、世間に蔓延している。しかし、「日本に財政問題はない」と正面からいう学者に高橋洋一もいる。

高橋洋一

高橋洋一はこの本の帯に次のように書いている。

  •  □国債は日本の借金。だから、少なければ少ない方がいい。
  •  □国債は、発行されればされるほど、国民の負担が増える。
  •  □国は出来るだけ「節約」して予算を減らすべき。
  •  この中に、1つでも「そのとおりだ」と思うものがあっただろうか。もし、あったならば、あなたは「一国の経済」というものを間違って理解している。

巨額の財政赤字の原因だが、過去の財政政策(公共事業や減税)は、いずれも小出しで、かつタイミングが遅れ、適切な金融政策(量的緩和)を取らなかったた。このために、一向に経済が上向かずに失敗し、ずるずる借金だけが積みあがった。アベノミクスの開始で、ようやく金融政策の舵取りを変更し、1年目に為替安と株高が起こり大成功した。しかし、生みの親の浜田宏一があれほど反対したにもかかわらず、2年目に消費税を5%から8%に上げた。その結果、低成長が続きデフレ脱却もはっきりしなくなった。いずれの施策も、ドカンと徹底的にやらないとだめだ。

同じ意味あいだが、来年10月に消費税を10%に上げると法律で決まっているが、実際にそうなれば、マイナスの影響は大きく致命的だろう。リフレ派(安倍首相や浜田宏一、高橋洋一などのマイルドインフレ肯定派)に対し、反対派(=財政再建派、多くの政治家、マスコミ)の方が多く、反対派は、アベノミクスを止める出口戦略を語りたがる。アベノミクスは社会のインフレ「期待」へと変化させるところに目的があるのに、出口戦略を語ること自体がベクトルが逆だ。

小宮一慶の話に戻ろう。日本の今後の施策として「日本が得意とする製造業」「おもてなし上手のサービス業」というのは、従来の固定観念に縛られていて陳腐だ。

小宮一慶は、バブル崩壊の端緒としてプラザ合意に触れている。その後の日本の製造業の不振に、エルピーダメモリの倒産、シャープ、東芝、サンヨーなどの白物家電の身売りなどがぱっと頭に浮かぶが、これらはずっと続いている円高の影響が大きい。日本の製造業にとって、国際競争力という観点から為替レートが一番影響が大きい。「日本が得意とする製造業」は、もちろん新しいアイデアや技術革新も重要だが、基本的に円安であることが前提だ。

「おもてなし上手のサービス業」は、日本のどこにあるのかと主は思う。日本には「おもてなし」などない。オリンピックの招致で、滝川クリステルが「オ、モ、テ、ナ、シ。オモテナシ」と言うシーンが何度も流れたが、あれは日本人の自己満足だ。日本にあるのは、せいぜい安全、清潔といったところだ。

コンビニで客が代金を支払った瞬間、店員が客に小銭を渡そうとし、「たいへんお待たせしました!」と心をこめずにイヤイヤ頭を下げる。客は、財布に釣銭を戻すのに大慌てになり、四苦八苦する。この店員のどこが、おもてなし精神なのかと思う。主はブラジルで生活していたが、レジでは、お金のやりとりに急ぐところがなく、女性の店員が、心の底からにっこりと微笑んでくれて気持ちが良かった。これが本当のおもてなしだ。

デービット・アトキンソンが、日本人の多くが、温泉旅館の接遇をおもてなしだと誤解していると書いている。日本旅館で女将が正座して頭を下げ、女中が運んだ懐石料理を食べて日本人は満足しているかもしれないが、欧米人は違う。彼らは、1か所に何泊もしたい。また、家族全員が一部屋に泊まる風習はない。何日も同じ懐石料理を食べたくない。また日本の温泉地は、夜に出かける魅力的な場所がない。料理を食べて温泉に入ったら、寝るしかない。これをおもてなしと思えと言うのでは、外国人理解が足りていない。

新観光立国論

最後だが、「規制緩和により農業などを『強い』産業に」と書かれているが、これ自体には異論がない。しかし、『強い』産業というからには、国際競争力があることが前提であり、一定の円安基調が必須だ。日本はプラザ合意後の円高を、涙ぐましい努力で乗り越えようとしてきたが、その努力には限度がある。むしろ、その努力(節約志向)はデフレマインドを招く。このためにも金融政策が必須である。

結局のところ、小宮一慶は法学部出身であることもあり、その後も金融機関を経て経営学や会計学の畑を歩んできている。このため、従来の一般常識や固定観念の域を出ていないと思う。もちろん悪いことではないが、マクロ経済を語るのであれば、その後にしっかり勉強すべきだ。

ちなみに、もし主が日本の処方箋を書けと言われたら、こう書くだろう。

 

  • ① 40代、50代の経営層の一掃(不況をいつまでも脱せないのは、この層が投資をしないからだ。儲けを新規投資ではなく、楽なM&Aにつぎ込み失敗する例が多い) 
  • ② 財務省の財政赤字キャンペーンの公式訂正(これは国民全体で真剣に議論すべきだ。あらゆるところで足枷になっている) 
  • ③ 消費税の5%への減税。同時に、高所得者、企業への累進税率のアップ 
  • ④ ベーシックインカムの国民的議論 
  • ⑤ 医療の見直し(あまりにも日本の医療が島国化し、めちゃくちゃ無駄遣いされている。介護費の増加にもつながっている) 

そんなところかな。

つづく

「もやもや病」と診断された!

主には、ここ1年以上顔面けいれんの症状があり、頬がぴくぴくするようになった。それほど不便ではないのだが、人と話をしているとぴくぴくとひきつる感があり、何とかならないかと思っていた。症状も進んでいる気がしたので、脳神経・内科、耳鼻咽喉科、神経内科と1年ほどの間に3か所の医者をわたり歩いてきた。

ようやく最後の神経内科で顔面けいれんが診療内容に入っていて、脳のMRIと脳の血管を調べるMRAという2種類の画像診断を受けた。結局、顔面けいれんの原因は分からなかったのだが、この神経内科で「もやもや病」が疑われるので、専門病院で診てもらった方がいいのでは言われた。この時、主はあまりよく考えず、神経内科の医師の説明が丁寧で好印象を持ったこともあり、勧められるままに、MRAの画像(CD-R)と紹介状を持って、地元にある大学病院へ行ってしまった。

最後に行ったのは、大学病院の脳神経外科である。脳神経外科という専門が細分化され、主が初めて行った診療科の40歳くらいのバリバリ壮年の科長(准教授)から『あなたは「もやもや病」だ』と告げられた。この診断や治療方針の説明には20分以上を要し、3分診療に慣らされている身としては、それだけで何か得をしたような気分になる。これまでに1000例以上の手術経験があり、95%は成功する手術だと言う。痛いとかありますかと聞く主に、医師は「子供でも受けているので、安心しなさい。まずはさらに細かいことが分かる検査をしましょう」と精密検査のための検査入院を勧められる。

その検査の目的なのだが、人間の脳の血流というのはさまざまな事態に対応できるよう、かなりの余裕をもっているらしいのだが、正常な人と比べて、その余裕がどの程度失われているのかを調べることによって、手術が必要か経過観察で済むのか判断がつくという。フムフム。

一応、検査入院には同意して自宅へ帰ってきたのだが、「もやもや病」とはどんな病気なのか、ということをネットでざっと調べてみた。脳へ繋がる血管は、下の図の左側のような状態が正常なのだが、もやもや病の患者の場合は、右側のように太い血管が梗塞(詰まり)して機能が弱くなり、その機能を代替する細い血管が、他のルートから「もやもや」と現れて来るらしい。また、頭蓋骨の外側からも血液が供給される代替ルートができたりもするらしいのだが、いずれも本来のルートに比べると血液の供給量が少なかったり、無理しているので出血する可能性、詰まってしまう(虚血)の可能性が高いらしい。このもやもや病は、東アジアに多く、他の地域では少ない。また、子供から幅広い年代に見られ、男性よりも女性が多い。Wikipediaによると、年間発症率が10万人に0.3人から0.5人である。また、難病指定されている。

名古屋第二赤十字病院のHPから

ここをクリックすると、もやもや病のいろいろな写真が出ます

 

主は、検査入院3泊と聞いて、夜には隣接する公共施設のジムでトレーニングするかとか、新しい経験ができて気分転換になるだろうとか軽く考えていた。しかし、そう甘くはないようだった。病院に3泊するのだが、ネットの体験記などを読むと検査といいながら大変そうだった。

初日は、血液検査、レントゲン撮影、心電図、呼吸器検査(肺活量の測定)、心臓エコー、再度のMRI、認知症のテストなどを行う。二日目は、「核医学」という聞きなれない名前なのだが、脳血流シンチグラフィー検査というらしく、放射性医薬品を2回注射し、2回目には負荷薬剤を加えて注射し、SPECTという機械で撮影するということだ。血流量を見ることができる。この時、頭部を1時間固定しなければならない。三日目は、股の付け根の大腿動脈からカテーテルを刺して、ヨード造影剤を頭の下あたりから放出して、脳内の血管をX線撮影する。麻酔医がつき、検査後4時間固定。二日目、三日目の検査は合併症(トラブル)があるので、同意書に3枚署名する必要がある。

ところで、主は、前に「大往生をしたけりゃ医療とかかわるな」(中村仁一・幻冬舎新書)を読んで「死ぬなら、だんぜん自然死だよね」と思っていた。健康診断は、60歳を過ぎてからは受けていない。どうもこのポリシーに反する気がしてきた。同時に、主は、「医者に殺されない47の心得 医療と薬を遠ざけて、元気に、長生きする方法」(近藤誠・アスコム)を読みはじめた。この本は、中村仁一さんの本よりも、さらに過激だ。この本を読んでいると、感染症以外の病気に、医学は無力ではないのかと思えてくる。これまで、日本の医療は世界の最先端を行き、健康保険制度は極めて優れていると思っていたのだが、間違った刷り込みをされてきたようだ。ただ、出版社の名前が怪しい。「アスコム」、初めて聞く名前だ。医学界から総スカンを喰っているに違いない。

この本の中には、検査の造影撮影1回で、福島原発の事故で避難を余儀なくされている地域の放射線被ばく量の1年分くらいを浴びることになり、これが癌の原因になってもおかしくないとあった。そうだよなあ。それに主は、腰痛(脊柱管狭窄・すべり症)があり、四苦八苦している。こんな体を固定しなければならない検査を何度もしたら、ダメージでQOL(生活の質)が下がるに違いない。

そして、2回目の診察時に入院検査を断ったのだが、医師からはせめて1年後にMRIだけでも受けて、その後の変化を見てはどうかと勧められる。だが、こちらは「知らぬが仏ということもありますし」と言った。医師からは、ありがたいことに「じゃあ、具合が悪くなったら、気持ちが変ったら来てください」と言われた。実際のところどうなるか分からないが、主に脳梗塞や脳出血が起こったら、自分で判断して、救急車に乗らないようにしたいと考えている。

頭部血管造影:岡山大学脳神経外科のHPから
頭部血管造影:岡山大学脳神経外科のHPから

おしまい

 

エブリバディ・ノウズ【日本病】 その2 米山新潟県知事女子大生買春事件

日本は病気だと、主は確信している。日本の若者の6人に1人は、若者同士で恋愛できないほどの貧困にある。

米山新潟県知事が、2018年4月27日、出会いサイトで知り合った有名私大女子学生を買春していたと週刊文春にスッパ抜かれ辞職した。文春オンラインの次のリンクで冒頭の部分を読むことができる。「女子大生が告白 新潟県知事・米山氏「買春」辞任へ」

ネットの文春記事には、米山新潟県知事が、知事に当選する以前から1回3万円で女子大生の買春を始め、当選後には、知事当選を報告して、当選祝いとして単価を1回4万円へアップをしていたと書かれていたように思う。その米山知事なのだが、灘高から東大医学部を出て、在学中に弁護士資格もとり、医師資格も持っているとのことで、庶民からするとスバラシイ頭脳の持ち主なのだろう。(もちろん皮肉だが)

他方、このスキャンダラスな辞任会見と後のワイドショーなどを見た人は、3万円出せば有名大学の女子大生を買春出来ること、それが違法ではないことを知った人は多いだろう。「買春」は「売春」に該当するものの微妙に違うらしい。

同時に、主が驚いたのは、弁護士資格のあるこの男、新潟県知事に当選したことで嬉しくなり、それを女性に打ち明け、手当てを3万円から4万円へ増やしていることろだ。これは、知事の公職にある素性を買春相手に明らかにしていることを意味し、公人としての責任や社会的影響が理解できていないことを示している。また、その甘えが、週刊誌へのリークの動機になっていることは間違いない。

その後のメディアの報道は、他に大きな事件である北朝鮮の非核化、米朝対話、モリカケ事件、財務事務次官セクハラ事件などが続いたこともあり、深く掘り下げるむきは少なかったように思う。買春された側の女性の世間の受け止め方は、2チャンネルのような媒体をざっと見た感じでは、売春婦だのAV嬢だと単純な非難調なだけのようだし、主は、女性が被害者という報道は目にしていない。

だが、主が思う最大のポイントは、バブルがはじけて25年。格差が広がったことと、そのしわ寄せが若者にいっていることだと思う。

今の若者の中にも、当然格差があり昭和の時代と同様に、楽しく暮らしている若者も多いとはいえ、経済的な理由で若者同士で恋愛したり、あるいは、恋人と結婚することができないくらい、悲惨な状況におかれている若者も多いのだ。

大学生だけではない。とくに、地方から都会へ単身で働きに出てくる若者も、同じような状況がある。自分の出身地を離れて、都会で単身生活を送る学生や若者は、自宅通学(通勤)の学生(社会人)に比べると、月あたり10万円程度、家賃や光熱水費などで余分にかかる。ところが、学生の場合であれば、親からの仕送りが、親の世代の収入が昔より減っているため、ほとんどないかわずかのことが多い。社会人の場合は、給料水準が20万円以下ということがかなりある。この収入レベルだと、家賃などの支出に10万円かかるのは、大きく生活にのしかかる。

日本の貧困率は、少し前は7人に1人と言っていたが、今では、6人に1人と悪化している。例えば、1学級が30人のクラスなら、貧困状態にある生徒の数は5人である。この日本の貧困率はOECD加盟先進30か国の中で、下から4番目の悪さである。お隣の韓国よりも悪い。貧困率とは、ざっくり言うと、平均所得の中央値のさらに半分を言い、次のリンクが分かりやすい。【悪化する日本の「貧困率」】このリンクの説明によると、この貧困率は相対的貧困率なので、平均所得自体がバブル崩壊後の20年間以上低下しているので、名目値(絶対値)も下がっているはずだ。

多くの大学生は『奨学金』に頼るのだが、『奨学金』とは名ばかりで、実態は学生ローンだ。返済義務のない給付型の奨学金は絶望的に少ない。学生ローンを借りると、卒業時に数百万円の借金を背負うことになる。借りる奨学金を減らそうとすると、いきおい、学業よりアルバイトを優先することになる。これの同じ延長線上にあるのが、女子学生の「援助交際」だ。

「援助交際」を生活のためではなく、好んでやっているという見方があるのかもしれないが、それは偏見に満ちた考えだろう。時給の低いアルバイトより、割の良いアルバイトと考えていることはあるかもしれないが、「援助交際」という選択は、好んで選択しているのではなく、余儀なくされているのだ。若い女性が、好んでクソ親爺に抱かれたくはないだろう。

こうした異様な事態の背景に、日本中の就労形態でボーナスの出ない派遣社員だったり、官公庁や大学で働きながら「期限付職員」だったり「嘱託」が増えたという現状がある。公的セクターの施設の運営などで、コンセッション方式と言われる民間委託が導入されて久しい。しかし、その場所で働く労働者は、年功序列の恩恵を全く受けられない同じ賃金が続く。たとえば、市町村の図書館の運営は、コンセッション方式でTSUTAYAがやっていたりするが、契約は一定の期間ごとに入札されるので、働いている人の給料が上がることは期待できない。教員や研究者も、似たような状況が多く、正規雇用のシニアの教員や研究者は年功序列があるが、若者は期限付きの契約が多く、こうした契約の場合は、年限が来るとキャリアがリセットされてしまう。

コンセッション方式、PPP(Public Private Partnership)、PFI(Private Finance Initiative)などと言うと、なにやらもっともらしく響くが、実態はぜんぜん違う。公的セクターで行っていた切り取りやすい仕事を、民間のビジネスチャンスへと分け与え、儲けているのは請け負った会社の経営者であり、経費節減をしたと胸を張る官公庁の幹部だけだけだ。そこで働いている労働者は、同じことの繰り返しでスキルアップすることもないし、働き続けてもずっと低賃金のままだ。こうした低賃金で働く若者の存在は、正規で働く職員の賃金上昇にもブレーキをかける効果があるだろう。

結局のことろ、世の中はまやかしで蔓延している。25年間続いてきたデフレは未だに解消していない。現金を含む資産の値打ちは、25年前より上昇しているわけで、資産を持っている権力者や金持ちはデフレで困ることは一向に何もない。むしろ、値打ちの上がった資産効果により、女子学生を容易く合法的に妾にできる。「パパ活」という言葉もある。こうした金持ちは、大勢いるのではないかと透けて見えてくる。

NHKのテレビ小説「花子とアン」では、花子(吉高由里子)の華族で友人の「白蓮」(仲間由紀恵)が年の離れた好色な夫・伝衛門(吉田剛太郎)に苦しめられる様が描かれる。しかし、考えようによっては、明治の当時も今も、権力者や資産家が妾を囲っていることは暗黙の了解であり、ある意味責任と義務を果たしていた気が、主はする。女性の面倒だけではなく、子供の面倒などすべてを見ていたからだ。

日本病というにはインパクトがなかったかな?!(^^);;

ただ、今起こっているのは、ちょっと違うのではないか。1回3万円払って女子大生を買春するのと、妾を囲うのとでは、どこか趣が違う気がする。FACEBOOKが出会いアプリを始めたという報道がある。この違和感に近いものがある。「新しい恋愛」を「実名を出さず」、「友達に知られず」、「タイムラインに流れず」テンポラリーな恋愛を繰り返す事態は、これまでの家族観や家庭観が変る過渡期へと突入しはじめたのかもしれない。

つづく

 

エブリバディ・ノウズ【日本病〕 その1 「モリカケ問題」

日本は病気だと、主は確信している。その局面をこれからぼつぼつ書いていきたいと思っている。

主は、安倍政権のアベノミクスを高く評価している。しかし、安倍首相の「モリカケ問題」の対応を見て、日本に限りないインチキがまかり通っていると思っている。佐川前国税庁長官の国会での証言、セクハラ辞任の福田前事務次官、大田理財局長、矢野官房長官、柳瀬経産審議官など、公僕であって国民に説明責任を負っている意識など微塵すら感じられないが、その疑惑の頂点にいる安倍首相が、我がことであることを感じず、まるで他人事のように「徹底解明してウミをだしきる」とほざいていて、日本の政治もここまで劣化したのかと主は驚いた。

この二つの件は、官邸の指示だったのか、官僚の安倍政権に対する忖度だったのかが白日のもとに曝されることがないのかもしれないが、仮に忖度だったとしても、安倍首相は責任を負うべきだ。

週刊東洋経済4/28号に海上自衛隊の特殊部隊におられた伊藤祐靖さんという方が「上に立つものが部下の忖度を責めるのは禁物」というタイトルで寄稿されている。要旨を紹介すると、忖度は日本特有の心配りではなく、世界中のどこにでもある、部下が上司から指示を貰ったときにするミッションアナリシス(任務分析)だという。部下は上司の直接の命令そのものだけではなく、背景や真意などを含めて任務を遂行しなければならない。そして、彼はこう結んでいる。- 「それは部下が勝手に忖度(任務分析)してやったことだ」とはならず、「それはいつも私が求めたことであり、だからこそ部下は任務分析(忖度)してやったのです」ということになる。部下の行った忖度を責めるなど、上に立つものとして本末転倒の態度である。

仮に、直接指示を出していないからと、安倍首相が責任を取ることなく政権が続いたり、霞が関の高級官僚たちにも実質的な処罰が下されないのなら、日本に計り知れないほどのダメージをもたらすだろう。上に立つ者を表して「ノブレス・オブリージュ」という言葉が20世紀にはあった。この言葉は、財産、権力、社会的地位の保持には責任が伴うことを言い、こうした者は自分だけいい目をしてはいけない、下々の人たちに配慮しなければならないといことだった。ところが、この言葉は死語になってしまった。さまざまな苦労に喘ぐ下々を下敷きにして、上に立つものが憚(はばか)る状況になっている。

芥川龍之介の小説に「蜘蛛の糸」があり、小学校の教科書にも載っているようなので、誰もが知っているだろう。この話は、自分だけ助かろうした泥棒の男が、その蜘蛛の糸を上ってくる大勢を蹴落とそうとしたら糸が切れてしまうという話なのだが、今の日本をよく象徴している。例えば、いつまでたっても克服できないデフレは明らかにそうだ。自分だけ助かろうと、競って販売価格を下げた結果、日本全体がデフレになってしまった。「モリカケ問題」は、この蜘蛛の糸を上る政治家や官僚を思わせる。ともすれば、彼らはその糸を登り切ってしまいそうで、恐ろしい。

つづく