恐るべし中国製極安アンプ LEPY LP-2024A+

デスクトップパソコンに接続する安いデジタルアンプを探していた。しばらくググったところ、中国製のLepy LP-2024Aを見つけた。口コミを見るとすこぶる評判が良いのだが、値段が何とわずか3千円!ほどだ。

パソコンの音出し用と割り切って早速購入した。下が写真なのだが、口コミが良いだけあって、値段以上の性能を発揮する。とても3千円とは思えない音がする。

LEPY LP-2024A+
Lepy LP-2024A+

中音域は心もとないのだが、低音域と高音域は自然な音が出ていて立派なものだ。残念なことは入力に、RCA端子というアナログの規格しかないことだ。デジタルアンプなのだから、デジタル入力があればよいと思うのだが装備されていない。値段が安いので仕方がないか。

デジタルアンプで入力にもデジタル入力を備えている機種を探すと、DENONなどのオーディオ機器メーカー製のものがある。大体5万円前後で販売されている。この値段が意味するところは、決して高級品のゾーンではないということだ。デジタル方式でオーディオ向けの良い音を出すのはかなり難しいと言われている。ただ、軽い、小さい、発熱量が少ないというメリットがある。

そのため高級志向のアンプは、アナログ方式となる。アナログ方式というのは、音源の波形を忠実に再現(拡大)しようとする方式だ。スピーカーから出る音が、歪のない正確無比なものであることが肝要だ。このため、歪を最小限にするよう厳選されたパーツで構成する必要があり、値段は高く、重いものになる。

ただ、現在のデジタルアンプは、既に高級品を駆逐する威力を持っている。現にiPodやスマートホンなどには、デジタルアンプが使われている。これは昔のアナログアンプを凌駕しているし、十分に実用的だ。

以下はオマケだが、下の写真がデスクトップパソコンで使っているスピーカーとUSB DACだ。スピーカーのスキャンダイナはデンマーク製らしいが、ユニークなデザインで気に入っている。

スキャンダイナ
スキャンダイナ MICRO POD SE

 

DAC-1000
ONKYO DAC-1000

 

 

 

 

B&W 805D3 購入!

主は、下の写真のB&W CM8というスピーカーを2年ほど使っていた。B&Wというのはイギリスの会社である。秋葉原のヨドバシカメラに高級スピーカーを並べた部屋があり、やはり高級アンプ、高級CDプレイヤーの試聴をする際のリファンレンススピーカーとして店員が勧めていたのがこのB&W CM8だった。店員のこの話を聞き、これを買ったのだが結構気に入っていた。

B&W
B&W CM8

ところが、主がふだん行っているテニスクラブに、やはりクラシック好きでオーディオマニアの爺さんがいる。もちろん主も爺さんだが、このご仁は東京国際フォーラムで行われるオーディオフェアへ毎年欠かさず出かけるという筋金入りだ。

80歳の少し手前で、気の毒なことに現在は心臓病を発病し、いまはテニスを休んでいるのだが、秋には復帰できるらしい。この年齢だが、エドバーグ(この名前を知っている人は昔からのテニスファンですね)が使っていたようなフェース面積の小さい(85インチ!)こだわりのラケットをずっと愛用している。

音楽/オーディオの方は、チェロのミーシャ・マイスキーのファンだがジャズも聴くというオーディオマニアで、主はテニスクラブで音楽談義に話を咲かせていた。次の写真が、彼が持っているスピーカーだ。このスピーカーは1980年代に発売され、その後も大ヒットを続けた。

B&W_matrix801
B&W 801Matrix

B&Wのこのスピーカーのシリーズはその後も改良され、高い人気を保ち続けるのだが、昨年の秋にもモデルチェンジをし、主はその評判を耳にしていた。このB&Wの最高位のラインナップは800シリーズといい、主が購入したのは下の写真の805D3だ。最初は、評判を知っていたが、価格ゆえに躊躇していた。だが、普段聞いているグレン・グールドの協奏曲物とピアノソロ、ちょっと録音が古く音質が良くないものなど取り混ぜて、何度かヨドバシカメラへ持って行き試聴はさせてもらっていた。

B&W_805D3
B&W 805D3

試聴すると、表現される内容の次元が、これまで使っていたスピーカーとは違う。これまでは朦朧として気が付かなかったのだが、例えば、グールドのベートーヴェンピアノ協奏曲3番(指揮:バーンスタイン)は、1959年の演奏(グールド27歳、バーンスタイン41歳)でステレオ録音が始まった時期のものだが、オーケストラの音色、金管楽器と弦楽器がフォルテで全奏するところなど、古式蒼然とした音色だということに気が付く。大仰といってもいいし、歴史的録音という表現もできるだろう。それに、グールドのピアノのトラックが、真ん中に非常に大きな音で強調されており、今の録音ならこう極端なことはしないよなと今更ながらに思う。

主は、これまで器楽曲や室内楽といった小編成のものばかりを聴いてきた。というのは、オーケストラなどを聴くと、普通のスピーカーでは解像力が劣るために、音が混じってしまいいまいち好きになれないのだ。ところが、この805D3ではオーケストラが、オーバーな言い方だが、コンサートホールではこのように聞こえるだろうという再現性を見せる。さらに、このスピーカーに替えて気が付いたのは、チェンバロの音の美しさだ。特に録音が古いチェンバロ、例えばグスタフ・レオンハルトのもの(1972年の録音だった)などはあまり聴きこんでいなかったが、初めてその価値に気づいた。音が正確に表現されると違って聞こえるのだ。レオンハルトおそるべし。

チェンバロに限らず、「このCDには、こんな音が入っていたんだ!」と思うこともたびたびある。(おかげで、ジャズのマイルス・デイヴィスもよく聴くようになった)

この800シリーズのラインナップは次の4種類あるのだが値段がすごい。一番左が、802D3 で¥3,400,000、左から二番目が803D3で¥2,700,000、左から三番目が804D3で ¥1,460,000、右端が主が購入した805D3で¥880,000である。この805D3はブックシェルフ型なのだが、写真の純正スタンドは¥140,000する。

B&W800series

このヨドバシカメラでの試聴の際に、顔見知りになった店員に小声で「ここだけの話ですぜ。即決するなら、スピーカー2台で6万円まけます」と言われるのだ。ここで、最近の円高で輸入品の仕入れ値は下がっているはずだから、値下げされないかなと思っていた主の心は揺れる。ぐらぐら。とりあえず、名刺をもらって帰る。

そこで、奥さんに反対されない方便を考える。前から考えていたのは、古いスピーカを息子に譲り、有効活用を図る。これなら仕方なく認めてくれるかもしれない。

結局、ヨドバシカメラと自宅で同じ音が再現できたか? それは残念ながら、ヨドバシカメラの方が良いようだ。なぜなら、ヨドバシカメラでは純正のスタンドを使い、スピーカーケーブルは最高のものを使っている。アンプも相当、高級品だ。エージング(暖機運転を十分にすること)も十分だ。

オーディオの世界は、壁の電気コンセントとアンプなどの電気機器をつなぐケーブル(電線)や電気コードを差し込むタップに、10万円以上するものが売られているほどキリのない世界なのだ。オーディオにどんどん凝っていくと、究極は、電力会社にオーディオ専用の電柱を立ててもらうところまで行く。間違ってもそういう世界に入らないように、気を付けながら愉しもうと思っている今日である。

 

老親の医療について (その2 父の場合)

主の出身は大阪だ。当然、父母は大阪に住んでいたのだが、母は5年前に83歳で亡くなった。このとき父は85歳で、主と父が一緒に地元の脳神経外科医から聞いた診断では、父はアルツハイマー型の認知症を患っており、普通の人の状態を100点満点とするなら、父の認知能力は35点しかないという説明だった。だが、当時の父の反応は、もちろん頼りない面があちこちにあるものの、当時は一応それなりの反応ができていた。

この脳神経外科医の診察の際、配偶者が直前に亡くなり、息子が東京から父に付き添っていることを説明した。すると医師は父に向って、銀行の預貯金などの管理がどうなっているのか今のうちに息子へ伝えなさいと諭すように言ってくれ非常に助かった。

また、父は内科へも通い、高血圧の薬、睡眠導入剤を貰っており、加えて前立腺癌を患っていた。内科医の説明では、高齢者の前立腺癌は、寿命で死ぬか癌で死ぬかどちらが早いかというくらい進行が遅いとの説明があり、治療の意味がどのようにあるのかと主は疑問を感じたのだが、内科医は「癌なのですよ!!」と主に驚けとばかりに促した。

母の葬儀が済むと、父は大阪のマンションで独り取り残されることになった。だが、認知症に加え、料理・洗濯・掃除などそれまでほとんどやってこなかった男である。主は仕事があり、千葉へ戻らなくてはならない。しかし、父をほったらかしにするのは無理がある。

このため、訪問介護事業者の力を借りることにした。自宅に近い事業者に相談、まず市の介護認定を受けた。認定結果は、要介護1だったように思う。並行して、ヘルパーさんに自宅の訪問をお願いした。この事業者は派遣会社系の事業者だったが、大変お世話になった。非常に親身に対応していただいた。

介護保険の経費面の説明をすれば、受益と負担は、当然、介護度と収入により当然変わってくるが、ざっくり言うなら、その当時は、1か月あたり15万円程度のサービスを1割の負担で受けられた。この制度により、父の場合、週に3~4回程度ヘルパーさんに来てもらい、食事の用意、買い物の同伴、洗濯、掃除などの家事をやってもらい、別に週1回通所のデイケアサービスを受けることができた。

父は大阪でヘルパーさんの力を借りながら、3か月ほど独り暮らしをした。だが、父はすでに85歳で認知症がかなり進んでおり、大阪で独り暮らしをしたまま、千葉の息子が大阪のケアマネージャーと電話で相談しながら進めるのは無理だと感じていた。

このため、まず父を主が住む千葉へ移し、同居をしながら介護付き有料老人ホームを探すのが良いだろうと考えた。ヘルパーさんを通じて千葉への引っ越しをしても構わないかという意向を父に聞いてもらったが、あまり肯定的な返事をしないということだった。このため、父にはヘルパーさん二人から「千葉へ旅行に行って下さい」と騙してもらうようにお願いし、新大阪駅まで見送ってもらい、主が東京駅まで迎えに行くという方法を取った。

父が千葉へ来ても、本人は旅行のつもりなので夕方になると「それでは大阪へ帰ります」と言い出したりする。一方で、父を宥めながら老人ホームの下見に出かけたりした。認知症がある程度進行すると、直前に考えていたことが思い出せなくなる。哀れだが、優しく話をされると何でも肯定的に受け止めてしまう。

父はこのような調子だったが、一方で必要な手続きはいろいろあった。 母の死亡により預貯金が銀行で凍結されてしまった。これを解除するため、相続権のある者の書類を取り寄せ、「遺産分割協議書」を作成して銀行へ提出しなければならなかった。また、父は賃貸マンションに住んでいたのだが、引っ越しをすると家財の処分、原状回復もしなければならない。当然ながら役所の手続きもある。銀行の支払いでどの印鑑が使われているのかわからず、銀行員の好意にすがって印鑑を教えてもらうということも必要だった。母の入院後、父が千葉へやってくるまでの間、主は毎週のように千葉と大阪を往復しなければならなかった。

Bestlife

老人ホームに対して、父はバラ色の幻想を抱いていたようだ。よく「ホームへ入れてくれるか?」と言っており、入居を希望しているように見えた。このため介護付き老人ホーム探しは順調に進み、上の写真のところに入居した。

だが、父が抱いていたイメージと違うことがこのホームに入ってすぐに分かり、他の老人ホームへ移りたいと言い出した。実際に入居してみると入居者同士の会話が全くない。何もすることがない。散歩もさせてもらえない。このあたりが本人が抱いていたイメージとのギャップだと思う。認知症とはいうものの、大阪から突然縁もゆかりもない千葉の老人ホームに入り、周囲は見ず知らずの人ばかりだ。集団生活といいながら、会話もない。(ちなみに、元気な老人の場合は外出も認められていた)

父の意向に従って、他の有料老人ホームの見学を実際にしたのだが、状況は全く同じだった。むしろ、今入居しているホームの方が、毎日の体操(チェアエクササイズ)やお誕生会など入居者同士のコミュニケーションを取ろうとしていた。

ただ、父は何が嫌だと感じたのか、それ自体を忘れてしまう。他の老人ホームの見学に行ったことも覚えていない。無意識の領域に、不快な気持ちがあるのだが意識の端までは上ってこない。そんな状態で、父はこのホームに5年間住んでいた。この間に認知症は非常に進んでしまった。

やがて、父は意識もはっきりせず、意欲も低下していることが外からもわかるようになる。昔趣味にしていたクラシック音楽のことなどは雲散霧消し、朝食が和食か洋食だったかも言えない。家族や親せきの関係も分からなくなり、かろうじて息子である主だけは分かっていたようだが。表情は穏やかだが、昔の気性やはっきりした意識はまったくなくなり、最低限のできることとして食事を取ること、短い距離の歩行ができること、排泄ができるということだけだ。もう生きることに倦んでいたのは、間違いない。

主は見舞いに行き、ホームの近くにある大規模ショッピングセンターによく出かけたのだが、当初、レストランで昼食をとっていた。だが、徐々に食べこぼしが激しくなるにつれて、喫茶店やフードコートでの喫食だけになった。最後は、おしめをするようになるのだが、小便が漏れないかと気にかかる。

入居当時に医者と治療方針を老人ホームへ毎月診察に来る若い内科医と相談する機会があった。このときには、年齢が年齢で昔の面影がすっかり失われており、積極的な治療は希望しない旨を伝えたのだが、それでも約10種類の薬を処方されていた。

また、前立腺がんの権威らしい老教授と相談する機会もあった。この老教授に診察を受けたのは父が85歳の時だったが、「あと5年くらいは生きるでしょう」「(呆けてはいるが)治療を続けて安寧な状態を保つのが、家族、老人ホーム、皆にとって都合がいいだろう」というような意味のことを言った。

どちらの医師も薬を止めたりすることは、毛頭考えないようだった。父にかかるコストは、老人ホームの入居費が月々20万円弱、介護保険の総額が20万円程度、医療費が10万円弱かかっている。介護保険と医療費は本人負担が1割なので、3万円ほどになるため、ホームの入居費と合わせると本人負担は20万円ちょっと超える。だが、コスト全体は月々50万円くらいになるということだ。

今となっては確かめようはないのだが、ホームへ来る若い医師の診察は毎月1回問診がさらっとあるだけなのに、明細を見ると医療費が診療に月3万円程度、薬剤に7万円程度かかっていた。何故そんなに費用がかかるのか疑問だった。

父は、亡くなる直前におむつをしたり徘徊をしたり手がかかる状態になったが、これは亡くなる直前だけだ。それまでは頭がぼけていたが、着替えもできたし排泄もできた。その人物に、毎月50万円の費用がかかり、ホームは介護保険と入居費用の40万を受け取り、医師は月1回の問診で3万円、薬局が7万円受け取る。関係者にとって大きな収入だが、老人の介護費、医療費が大きな問題になるはずだ。

 

 

LITERA 「稲田朋美防衛相に領収書偽造が発覚、なんと520万円分!」

ネットでは、LITERAというところがソースになり多くのニュースサイトに稲田朋美防衛相の領収書偽造が発覚したと流れている。内容を一部コピーする。

————————-以下コピー

安倍首相肝いりの重要閣僚・稲田朋美防衛相に、政治資金を巡る“巨額不正疑惑”が発覚した。本日14日発売(2016/8/14)のしんぶん赤旗日曜日版が「稲田防衛相 3年間で約520万疑惑領収書 自民パー券代“金額は自分たちが記入”『白紙』で領収認める」と題してスクープしたものだ。        記事によれば、稲田氏の政治資金管理団体「ともみ組」の領収書のなかに金額、宛名、年月日が同じ筆跡の領収書が大量に存在することが発覚した。これは、自民党議員らの政治資金パーティの会費支払いの証明として稲田氏側が受け取ったものだが、実は、この領収書は「ともみ組」の収支報告書の担当者が記入したものだったことが筆跡鑑定の結果判明。稲田氏の事務所は赤旗の取材に対し、金額の入っていない「白紙」の領収書に稲田氏側が書き入れていたことを認めた。赤旗の調べでは、この白紙領収書は2012〜14年の3年間で計260枚、約520万円にのぼるという。

————————-引用終了(抜粋)

ここからが主が不思議に思うことだが、スクープしたのが共産党機関紙である赤旗のせいか、ネットではいろいろな媒体が取り上げているものの、新聞各紙は全く追随、報道していない。

唯一それを追いかけたのが、ネットニュースのLITERAなのだが、LITERAというのはネットで調べるとかなり左翼的な位置にあるようだ。そこらへんが、新聞が追随しない理由かもしれない。

だが、この内容にはニュースバリューが十分にあると主は思うのだが、赤旗自身にこれを追求して、さらなる問題にするそぶりが見えない。共産党ならず、民進党が問題視してもよさそうに思うのだが、今のところそのような気配もなさそうだ。

さて、今後この問題はこのまま鎮火するのだろうか。それとも、また週刊文春あたりが取り上げて、大騒ぎになるのだろうか。その成り行きは主には分からない。だが、何かの圧力が働いているのではないかと、下衆の勘ぐりをしてしまう。

2016/8/30 追記 ———- その後、ネットを見ていると、FLASH、女性自身といったところが記事で追求しており、稲田朋美はじめ疑惑をもたれている者が「誰でもやっていることだ」と開き直っているとある。主が一番不思議だと思うのは、やはり、野党がスルーしているところだ。

2016/10/8 追記 ———- その後、6日の参院予算委員会で共産党の小池書記局長がこの白紙領収書問題を追求したようだ。次がそのリンクである。稲田大臣の返答は「どこでもやっていること」で、おまけに政治資金を所掌する高市総務相は「法的に問題ない」と答弁している。

http://www.sankei.com/politics/news/161006/plt1610060052-n1.html

総務省のマニュアルでは領収書への記入について、宛名は発行者の依頼があれば、受領者側が追記することが認められているが、それ以外のことは明記されていないらしい。

そりゃあそうだろう、白紙の領収書に勝手に書くことは許されないだろうというのが、庶民感覚だ。

ただ、今回は大手紙も報道しているが、これ以上に大きくはならないだろう。

 

 

 

 

 

 

最強は誰? お笑い芸人 > 東大医学部卒

主は、東大卒、京大卒という看板をあまり信用していない。もちろん、優秀だなあとは思うのだが、昔、朝日新聞の記事が彼らを「基礎学力のチャンピオン」と評しているのを見て、そのとおりだと納得したからである。世の中は基礎学力だけでは何も解決できない。基礎学力の先が大事だからだ。それに大学の4年間で学ぶ総量は知れている。大学院まで行ったとすると、今度は専門分野に細分化されており、何でも知っているというのには程遠い。どんなにスタートラインで基礎学力の点で優れていても、社会人になってから学ぶことの方が、量も深さも大きい。

だが、医学部出身者に対しては、ちょっとした畏敬の念を抱いていた。医学部の出身者は、受験において他の学部の出身者と比べると、偏差値が明らかに隔絶している。そのため、勝手に、凡人とは違うエライ人種だと思っていたところがある。

しかし、最近バラエティ番組に彼らが登場する機会がたびたびあり、「我々と同じじゃん」と思うようになった。「そりゃそうだよ」と彼らから言われそうだが、例えば、東大医学部などといえど、バラエティ番組の振る舞いを見ると凡人と同じで、さまざまなジャンルの知識が豊富なのは間違いないのだが、「それがどうしたの?」「プライドが高いだけじゃん」ということを感じさせるように番組は作られている。画面に映る若い彼らの中に、特別な問題意識や目新しい解釈が見出せるわけではないからだ。

ノブレス・オブリージュ(仏: noblesse oblige)という言葉があり、優秀で高貴な立場にある者は、下々の民衆を導く義務があるという意味なのだが、そういう状態は実際にはなくなり、死語になっているのかもしれない。

東大を出て優秀な官僚や民間人として成功して高い報酬を貰うのは、下に従う人間の福祉を高めるのであれば、望ましい。だが、上に立つ人間が、自分の利益だけを追求しているケースが多いのではないか。

next_sp_01 テレビ朝日のHPから

前置きが長くなってしまったが、又吉直樹の「火花」が、主の見方が変わるちょっとした契機になっている。この本は、お笑い芸人の又吉直樹が芥川賞を受賞したベストセラーなのだが、お笑い芸人が、ネタ作りや観客にいかに受けるかということに深く葛藤、苦悩する姿が描かれている。その姿は凡人にはないもので、その葛藤のプロセスが芸人の人間性を成長させるのは間違いない。火花_

そして今、バラエティ番組に限らずドラマやあらゆる番組で、高学歴のアナウンサーや評論家たちを押さえて、お笑い芸人が跋扈、席巻している。彼らの話は面白いし、極論に走らず的確だ。演技もうまい。それはそれまでの苦労を考えると、当然の帰結なのだと思う。お笑い芸人は世界を導くか。

 

親を断捨離!「もう親を捨てるしかない」島田裕巳

幻冬舎新書、島田裕巳の「もう親を捨てるしかない」を読んだ。サブタイトルは「介護・葬式、遺産は要らない」である。

親捨て

帯に「親を断捨離!」というきわめて衝撃的なコピーが書かれている。例によって裏表紙を引用する。

『年々、平均寿命が延び続ける日本。超長寿とは言っても認知症、寝たきり老人が膨大に存在する現代、親の介護は地獄だ。過去17年間で少なくとも672件の介護殺人事件が起き、もはや珍しくもなくなった。事件の背後には、時間、金、手間のみならず、重くのしかかる精神的負担に苦しみ、疲れ果てた無数の人々が存在する。現代において、そもそも子は、この地獄を受け入れるほどの恩を親から受けたと言えるのか? 家も家族も完全に弱体化・崩壊し、かつ親がなかなか死なない時代の、本音でラクになる生き方「親捨て」とは?』

実際にこの本を読んでみたところ、上に書かれたことで内容はほぼ網羅されていると思った。興味がそそられるのであれば、買って読めばよいが、概ねこれ以上の目新しいことは書かれていない。とはいうものの、「よく口にした!」「目から鱗」ともいえる側面が確かにあり、ここに書かれている内容はことさらしっかり意識しておくべきだ。

確かにバブルがはじけて20年、長く続いたデフレにより日本人のライフスタイルは完全に変わってしまった。この本では、お金が許せば、親を介護し、葬式を挙げるという従来のスタイルのままやればよいが、そうでなければそうしたものから逃げろと言っている。

さもなければ、子供の側も沈没してしまう。実際に、子供に縁を切られて孤独死する老人もいるが、経済的に無理な状況で親の介護に乗り出して、尊属殺人を犯す子供を親は望んでいない。テレビなどで、親のために介護離職し、わずかばかりの親の年金で生活する人がよく登場するが、これは非常に危険だ。共倒れになる可能性が高い。経済的にゆとりがないなら、それなりの対処をしなければならない。親の介護は義務だという固定観念に囚われ共倒れになるより、親を見捨てることだ。

間は孤独死を「悪」のように言うが、実際に死にゆく老人にとって孤独死は悲劇でも何でもない。穏やかに死ぬだけだ。

寿命が伸びすぎたのだ。昔は生きている人は、みな健康だった。今は、健康でないのに生かされている現実がある。

60歳を過ぎた老人で生殖機能がなくなれば、基本的に人生に未練はない。元気でも、諦観のようなものが横たわっている。

一方で、親にとって子供の存在は、子が大きくなるプロセスで親に十分に楽しい思いをさせており、それにより親に対する恩義はすでに果たしている。

親の方も、子供に老後の面倒を見てもらいたいという期待は、本気で抱いていないはずだ。金持ちの親ならそういうこともあるかも知れない。だが、貧しい親が、経済的に余裕のない子に面倒を見てもらいたいとは思っていないはずだ。

 

 

 

 

テニスクラブ プレイヤーのスタイル

主は、週のうちかなりの日数を地元のテニスクラブで過ごしている。今回はテニスの格好の話である。

女性会員たちの場合、基本的に日焼けを嫌がるので、頭部は下の写真のようになる。下の写真の女性は目の部分を出しているが、テニスクラブでプレーする女性はたいてい黒いサングラスをかけているので、目の部分も覆われている。

そうするとちょっと想像してほしいのだが、対面しても完全に誰だかわからなくなる。ぱっと見ると、イスラム過激派!覆面強盗!!という感じになる。この格好でコンビニに入れば間違いなく警察への通報ボタンが押されるだろう。

テニスクラブですれ違う際には、挨拶をしてくれるのだが、こちらは誰と挨拶を交わしたのかがわからない。相手が誰かわからずに挨拶するというのは、ちょっと微妙な違和感がある。

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そのような完全覆面状態に加え、彼女たちは色とりどりの最新のテニスウエアを着用しており、ウエアの感じはだいたい下の写真のようになる。このようにカラフルなウエアで全身を包み、顔も覆面状態となると、シルエットからすると20歳代の娘さんなのかなと思ってしまうのだが、多くの場合は孫がいる婆さん!なのだ。

わがテニスクラブの会員の年齢構成には、20歳代、30歳代はほとんどいない。若くて40歳代、多くは60歳代、70歳代なのだ。70歳代でも普段からテニスで体を鍛えているので、ウエアに身を包み、スタイルだけをみれば若い娘に見える。というか年齢不詳である。

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一方、男性会員の方はどうか。こちらは全身をウエアで覆うということはほとんどない。その代り、めちゃくちゃ日焼けをして真っ黒だ。普通に見ると、日本人には見えない。日本語が上手なアジア人!、または日本に長く住んでいるアジア人としか思えない。

前にも書いたが、テニススクールの方は、錦織圭を目指す小中学生や、体を動かそうとやってくる若者の生徒が多く、平均年齢は低い。一方、テニスクラブの方は、何十年もの経験があるテニスホリックのベテラン高齢者ばかりだ。もし、テニス初心者がクラブにやってきたら、ベテランメンバーにコテンパンにやっつけられる。

このためテニスが上手で、余暇を自由に使える若者でなければテニスクラブで楽しくプレーすることができない。このように恵まれた条件の若者は少ない。したがって、テニスクラブは新陳代謝が行われず、年々平均年齢が上がる運命にある。

 

 

 

 

 

 

安達誠司「円高」になる本当の理由–「日本円=安全資産」神話はウソだった

written on 2016/7/9

今年の1月下旬に1ドル120円程度の為替レートだったものが、急に変調をきたし、円高と株安へと転換が始まった。この時日銀は、マーケットに催促される形で金融緩和の一環として「マイナス金利」を導入する。「マイナス金利」は、最初の一日だけ効果を発揮し、円安と株高が起こるのだが、翌日からはもっと逆に動き円高、株安となる。このとき、日銀は「マイナス金利」は効果を上げており、これがなかったらもっと円高になっていたはずだと説明した。

その後も一向に円高、株安に歯止めはかからず、現在は1ドル100円を割るかどうかという水準で、株価は日経平均が15,000円ほどに低下している。この間には、アメリカ景気の回復遅れによる利上げの延期やイギリスのEU脱退の国民投票などがあり、日本の円高は、世界でリスクが意識(リスク・オフ)された際に安全資産を買おうとする需要がたかまり、安全資産とされる日本円が買われることによって円高が生じたと、マスコミが説明することが一般的だった。

安達誠司

しかし、上記の説明に真っ向から異論を唱えたのが、安達誠司さんだ。2016年7月7日付の現代ビジネスで「「日本円=安全神話」はウソだった!リスク回避局面で「円高」になる本当の理由—-投資家に見透かされた日銀の無能」を書いている。以下がそのリンクである。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49114

安達誠司さんは、主が信用しているエコノミストの一人である。いい加減なことばかり言うエコノミストが多い中で的確な発言をされており、もっと重用され、今後さらにメジャーになってほしい。

この論文の中で、消費税アップの議論の際に「日本は財政的危機の真っ最中にあり、増税をしないならば財政破たんするしかない」としばしば語られてきたことに対し、円が安全資産であるということと全く矛盾するということを指摘している。つまり、このロジックでは、消費増税をしなければ財政破たんの状況になる=円の信認が失われ、円が暴落することになるはずだ。ところが、今度は円高の進行が進むにつれ、その理由は「世界的リスクの際にも、円は最も信用があるから円高になる」と説明しているわけで、完全に矛盾している。

この年初からの円高への推移の原因を、安達さんは日銀の無策のせいだと結論付けている。過去のVIX指数(恐怖指数)が高まった時期の収益率をしらべ、スイスフランや金などに比べても円のみが高い収益率を上げている。この時期の日米の金融緩和の度合いを調べると、アメリカの緩和の割合の方が大きく、日本の割合は少ない。つまり、恐怖指数の高い時期においても日銀は金融緩和をせず、円高へと誘導されている。円を買うことは、さらなる円高により、儲けが見込めるのだ。

つまり、今起こっている円高は、海外の投資家が、今後さらに円高になると考えて円を買っているのであり、円が安全資産だと考えているわけではないことになる。日銀が2月に実施したマイナス金利は、発表されたその日に限っては円安をもたらしたが、その翌日にはそれまで以上の円高をもたらした。これはマーケットが一時的に動揺したものの、海外の投資家に日銀はこれ以上のQQE(量的緩和)の手段を持っていないと見透かされ、「日銀は何もしない。これからは円高だ。いま円を買えば儲かる」と思われたのだ。この説明は非常に説得力があるし、真実に最も近いだろう。

マイナス金利だが、もちろん金利を下げることで投資や消費を喚起したいという意図はわかる。だが、金利がゼロでも今の日本ではなかなか借り手がいないというのが実情だ。その状況で、唯一上昇しているのが不動産価格だ。不動産価格の上昇は、不動産を庶民の手の届かないところへと押し上げるので、住宅投資の減退を招き、望ましくない。金利が下がっても、物件の価格が上がったのでは売れ行きは増えない。むしろ、金融緩和の手段としての「マイナス金利」は、金融機関の儲けを減少させ、保険商品の運用にも悪影響を与えたりして、デメリットの方が大きい。

今すべきは「マイナス金利」ではなく、さらなる量的緩和なのだ。安倍首相のブレーン(内閣官房参与)である浜田宏一さんは、短期、長期の国債の買い上げとともに民間企業の社債を買う、さらに外貨を買うという選択肢を挙げている。外貨の購入は財務省の管轄のようだが、財務省が国債を発行し日銀が引き受け、それを原資に財務省がドルを買えば同じ効果があると述べている。

浜田宏一さんが「マイナス金利」をどのように評価しているのか、残念ながらググってもわからなかった。だが、「2020年世界経済の勝者と敗者」の著書では、「・・・話をヨーロッパに戻すと、スイスは銀行支払い準備金に対してマイナス金利を払っています。スイスフランの10年国債はまだ少しマイナス。5年国債はさらにマイナスです。そのことを見ても、ヨーロッパの経済がいかに弱い状態であり続けているかが分かります」と記述されており、マイナス金利は日本への金融政策の手段として評価していないように思える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

老親の医療について (その1 母の場合)

母は、5年前に83歳で亡くなった。歩くことが不自由ということのほかに、間質性肺炎という持病があったのだが、風呂場で倒れているのを父が見つけて救急車で大学病院の救急救命センターへ搬送された。自律呼吸が十分にできずすぐに人工呼吸器がつけられることになった。両親は大阪で住んでいるのだが、主は千葉なので、大阪の郊外に住んでいる妹から連絡を受けて病院へ駆けつけた。父が少し認知症の傾向があり、主が長男ということで医師との治療方針などを決める役回りだった。

5年前のことなので細部は正確ではないかもしれない。だが、救命センターに主が着いた時には母は意識はなかったものの、口にあてるタイプの人工呼吸器をつけていたように思う。ところが、医師は喉を切開して人工呼吸器を装着したいと言った。当然のことながら「病状が回復すれば人工呼吸器を外すことができるのか?もとの状態に戻るのか?」と医師に聞くのだが、「いったん呼吸器を装着すると外せる可能性はほぼない。また、呼吸器をつけているのは苦しいため、麻酔を続けることになる。このため、意識が戻ることもない」という返事だったように思う。子の立場からすると、麻酔をかけられた状態で、人口呼吸器をつけられているのはあまりに痛々しい姿に思え、延命をするのではなく器具を外すことはできないのかと医師に訊ねてみた。しかし、救急センターの担当医は、ここに来た以上治療を続けないわけにはいかない、切開手術をして呼吸器をつけさせて欲しいというのだった。なお、現段階で人工呼吸をやめることは刑事責任を問われかねないのでできないとも言ったように思う。そうして、書類にサインさせられ、回復の見込みがない治療が開始した。

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一方、救急車で運ばれた最新設備の整った救急救命センターは、当然ながら次々と新しい患者が運ばれてくるため、医師に紹介状を書いてもらい1週間ほどで転院させられる。新しく転院した病院は、前の救急医療センターとは大きく異なり、入院病棟の施設は古びていて、如何にも亡くなる直前の患者を多数入院させているため雰囲気も暗いといった病院だった。ここでも最初に治療方針を担当医と確認するのだが、人工呼吸器をつけながらでも(もちろん回復するわけではないが)成分の輸血をするなどの手段を講じることで、延命はいくらでも可能だいう主旨の話になる。松竹梅のコースがあるので選んでくれという感じだった。母に対しては、晩年に十分に楽しい時間をもっと過ごせなかったかとの悔いがあった。しかし、植物人間になってしまっては、それはかなわない。医師には、人工呼吸器を外し元の生活に戻れないのであれば、呼吸器を外すことはできないことは理解するものの、延命のみを目的とする治療は希望しないと伝えた。最終的に、母は転院して約1月後に亡くなった。

ここで主が大きな問題だなあと感じた点を述べよう。それは医療費のことだ。母の場合、救急車で運ばれた救急医療センターの入院・治療費は、総額が130万円ほどだったが、患者の自己負担額はわずかに5万円ほどだった。差額の125万円は、公的なお金が使われるわけだ。健康保険に加えて高額医療に対する補助制度があるからだろうが、こんなことをしていては、国民全体の医療費が赤字になるのが当然な話だ。転院した先の病院の医療費は月額30万円程度だったが、やはり自己負担額は、1割負担のため10分の1だ。10分の9は公的な負担だ。日本中で考えると、このように助かる見込みのない患者の治療に莫大なコストが、かかっているに違いない。おまけに、患者の側が望まない医者の利益のために行われている治療費が、かなりの割合で含まれている。

ところで、麻生太郎副総理兼財務相が2016年6月17日、北海道小樽市で開かれた自民党の集会で、「90になって老後が心配とか、わけのわからないことを言っている人がテレビに出ていたけど、いつまで生きているつもりだよと思いながら見ていた」と発言し、これを複数のメディアが報じたことがあった。

発言の主旨は、老人が個人資産を潤沢に持っていながら、使わないのが問題であるというものだが、主は政治家には珍しいストレートな発言で面白いなと感じた。だが、この麻生大臣の発言に対して、「この物言いは人権侵害だ」と言う人がきっといるのだ。このような分かったような「人権発言」をすることが、日本全体の老人医療の方向性を誤らせ、医療費増大の原因を作っていると主は思っている。

おしまい

 

反面教師としての「舛添要一騒動」 

6月15日、公私混同を厳しく指摘された東京都知事の舛添要一が、ようやく辞任を表明した。masuzoe_blog2

週刊文春の記事が発端で、さまざまな公私混同が発覚したのだが、ご本人は政治資金規正法に照らして、違法ではないとことをよく知っていた。また、高額な出張旅費や公用車の私的使用なども指摘されたが、違法性がないことをよく知っていた。このため、「行った行為に違法なことは含まれていないが、指摘の趣旨に鑑み今後は改める」とは言うものの、「申し訳なかった」とは言わなかった。これにより批判がますますエスカレートし、最終的に支持母体の自民党にも見放され、辞職せざるを得なくなった。このとき、今後の対応として「しっかりやる」とか「きっちりやる」とか「全身全霊でやる」とか言っていたが、具体的なことが何一つ言えず、ますます聞く側の反感が増幅された。

ただ、政治資金規正法がお金の使途を制限せず、政治に使ったと言えばそれで適法とされるのであれば、こうした行為は他の政治家も当たり前のように行っていると思わざるを得ない。説明に窮するような支出がいろんな政治家にあるのではないか。

それはともかく、この舛添要一という政治家を見ていると、何と自己中心的で権力欲が強いのかと呆れる。他の政治家と比べると、この男はとびぬけて世間の空気を読めないのだと思ったが、中身は他の政治家も大同小異なのではないかと思う。

6月14日の産経新聞の記事に中山泰秀議員のことが出ている。ちょっと引用すると、「自民党大阪府連会長で元外務副大臣の中山泰秀衆院議員=大阪4区=が、12日に開かれた大阪市との国家予算要望説明会で『前の市長(橋下徹氏)の時に、秘書が覚醒剤で逮捕されたというのは本当ですか』との趣旨の発言をしたことに関し、橋下氏は14日、自身のツイッター上で「完全な事実無根」として中山氏を激烈に批判。『法的措置を執ります』と明言した。」というのがある。

この後記事は、橋下徹が中山泰秀を「無能政治家」「アホボン」と評したと続くのだが、この中山泰秀もたしかにとんでもない政治家の一人だ。父は中山正暉といい、政治家のキャリアの終盤に建設大臣にしてもらうのだが、大臣になると舞い上がってしまい、きわめて地元に配慮のない発言をし、ヒンシュクをおおいに買ってすぐに辞任に追い込まれたような記憶がある。父親の引退により地盤を引き継いだ息子の泰秀は、無類のスポーツカーマニアで車庫に外車が何台もあると聞いたことがある。真偽のほどはわからないが、イスラム過激派ISILに後藤健二さん、湯川遥菜さんの二人の日本人が拘束され殺害された事件では、外務副大臣として現地の責任者としてヨルダンへ派遣されるのだが、「白米を現地大使館まで送れ」と電話で言ったとバッシングされたことがある。

他に目立ちたがりで思い込みの激しい政治家として浮かぶのは河野太郎だろう。まさに政治家一家に育ったサラブレッドかも知れないが、存在を目立たせたいがために自民党の総裁選挙に当選の見込みもないままに立候補したりする。行政改革にご執心なのは良いが、書類を投げたり罵声を浴びせたりして官僚を痛めつけるという話をよく聞く。成果を上げたいという危機感はわからないでもないが、ボンボン育ちの坊ちゃんのため、何が問題なのか本質のところがわからないまま、功名心だけで突っ走っているように見える。

似たような本質がわからず空回りしている政治家の例として、谷垣禎一がわかりやすいだろう。やはり、先祖からの政治家だ。自民党が民主党に政権を取られ下野していた時期に自民党総裁をつとめ、その後も粉骨砕身努力しているのは伝わってくる。だが、この残念ながら方向性がない。理念がない。

こうした、舛添要一、中山泰秀、河野太郎、谷垣禎一のような政治家は、出世欲や権力への欲求は感じられるが、具体的な理念が感じられない。それでは努力をするにもしようがない。自民党の代議士などの名前を挙げたが、民進党や共産党の議員も同様、いやもっとひどい。

石原慎太郎が「天才」を書き、田中角栄を再評価して見せたが、学歴を誇るのではなく、地に足がつき、人生経験が豊富で、真に日本のあるべき姿を描ける政治家の登場が何より必要だ。