林真理子「不機嫌な果実」「下流の宴」 ストーリーの作り方

林真理子の小説に「不機嫌な果実」(1996年)がある。帯に「夫以外の男とのセックスは、どうしてこんなに楽しいのだろうか。衝撃の問題作!」と刺激的なコピーが書かれているらしい。(らしいというのは、主はブック・オフで108円で買ったのでこの帯はなかった。)テレビドラマや映画にもなっている。書かれた時期はバブル崩壊後だが、背景はかなりバブリーだ主人公麻也子は、ブランド品を持ち、高級レストランで食事。見栄やら嫉妬、鬱屈もしているが世間体には過剰に敏感だ。 登場人物が連絡に固定電話を使っている時代で、そのころはそうだったなあと思い出した。同じ林真理子の話題作「下流の宴」(2009年)は、高校中退しネットカフェでバイトする息子に業を煮やす母親の姿が描かれており、流行作家は上手に世相を反映するのだろう。

「不機嫌な果実」で描かれているのは、(子供のいない)結婚生活の倦怠感。「結婚は人生の墓場」というが、まさにどの夫婦にも起こる、熱が冷めた後の日常の空虚感が描かれている。結婚後6年、夫は妻の誕生日プレゼントを選ぶのが億劫になり、妻にカードで好きなものを買うようにいう。妻は夫の罰に高額なスーツを買って復讐する。結婚前の楽しかった思いは消えてしまう。妻は徐々に浮気に生きがいを求め始める。赤裸々な性描写。林真理子の小説は、単純だが納得できる。話は刺激的に急展開していくのだが、常に納得させられる。人生がリアルに描かれている。主人公は常に計算しながら、男を天秤にかけ、最も自分が満足できるように生きている。

この小説を読んで感じたことだが、結局、この小説は「論理」の積み上げなのだ。奇抜な展開で、麻也子が衝動的な性行動をとったように見えるが、そうした行動を引き起こす原因が手前にあり、作者は説明している。そうしてみると、この本のストーリーは、一般常識が積み上がっている。そのために、違和感がなく、そうだよなとなる。興味を失わず、どんどん前に進みたくなる。話のオチは、・・・これから先はネタバレなので、この本をこれから読みたい人はここでストップしてください。

不倫の果て、麻也子は夫と離婚し、独身の音楽評論家と結婚する。母親の援助おかげで彼は「高等遊民」になりたいというほど恵まれた環境にあったのだが、母親は息子が離婚したバツイチと結婚すると知り、息子への援助を打ち切ってしまう。平凡な生活へと追い込まれる二人。浮気にも飽きた麻也子は、自分に欠けているものは何か考え、「子供だ」と結論を出す。前の不倫相手が今の夫と同じ血液型であることを知っていた麻也子は、排卵誘発剤を飲みながらこの男と避妊せず不倫する。

男女の関係に飽きた女が、子供を欲しくなる時、子供は自分の子供でありさえすればよい、どの男の子供でも構わない、というオチをまず作者は思いついたのではないか。自分の遺伝子を持った子供、誰の子であろうと夫が気づかなければ良い。これはショッキングだが、説得力がある。男にとっては、子供が自分の子だという確証はない。逆に自分と同じ血液型の子どもだったら、それだけで自分の子供だと信じるだろう。このアイデアがスタートだ。

これを思いついた作者は逆算を始める。この結末に違和感のない筋をバックしながら作っていったに違いない。

そういえば、「下流の宴」も似たような終わり方だ。これは高校を中退してネットカフェでアルバイトする息子翔と沖縄の離島からやってきた珠緒が同棲を始め、結婚しようとする。母の由美子は、死亡しているが医者の父を持っておりプライドが高い。二人が社会の底辺から抜け出せるわけがないと結婚に反対、珠緒を責める。珠緒は「そんなに医者が偉いなら、医者になってやる!」と言い、実際に医者になってしまう。普通に読んでいるとサクセスストーリーだ。ところが、珠緒が医学部入学を果たしたとき、翔は珠緒が自分とは違う人間になったといい、別れてしまう。これがオチだ。

ダメな二人が周囲からさんざんに言われ、片方の一人が猛烈に努力して成功したとき、ダメな方は成功した方を心から祝福して、結婚できるだろうか? と作者は考えたのだろう。

 

主の政治観(中国、韓国、アメリカ、日本)

政治への批評は、個人的なブログに書いてもたいした意味がなく、読者の気分を害することがあるだろう。だが、世の中はミスリーディングな言い回しに溢れている(と思っている)。ついては、個人的な意見を述べてみたい。興味のある人に読んでいただければ幸いだ。

【中国について】

日中の最大の問題はやはり、外交問題だろう。尖閣諸島の領土問題などは、経済成長でGDPが世界第2位になるほど成長した最近の出来事だ。経済成長を果たす前、中国は地域の主権の主張をしていなかった。近年の覇権主義をきっかけに、資源の賦存量の大きさから主権を主張するようになった。南沙諸島でも似たようなことがベトナムとの間でも起こっているようだ。 「中国人には個人のレベルでは善い人が大勢いるのだが、共産党が前面に出てくると様相が変わってくる」という話をよく耳にする。 チベットの少数民族に対しても、共産党は愛国主義を醸成するためといいながら、弾圧する。自衛隊機への異常接近やベトナム艦船との衝突でも、自分の非は全く認めようとしない。このような国に対しては、日本の正当性を面倒がらずにずっと主張し続けることが必要だ。

戦後50年を機に戦争責任を認めた村山談話を日本政府は表明したが、このような表明は過去を清算するどころか逆に火に油を注ぐような事態を招いている。日本のマスコミにも進歩派を自認し、南京大虐殺などを大きく取り上げる新聞があるが、どれほど本当のことだったのか。これまでの中途半端な平和主義、自虐的な左派の歴史観が招いた結果のように思えて仕方がない。

日本国内の歴史観には、対立するさまざまな見方が存在している。しかし今となっては、敗戦国のバイアスがない客観的な歴史観の獲得と発信を、地道にやるより仕方がないのではと思う。つまり、敗戦後の日本の思想史においては、勝戦国アメリカが推し進めた民主思想や戦争遂行の全否定をベースにした左派思想がある。それらは当然評価すべきだが、行き過ぎた面があり、事実ではないこと、誇大に言われていることが多いのではないかと思う。当時の歴史において、日本だけが特殊な行動をとってはいないと思う。(ドイツのホロコーストとは違うと思う。)

【韓国について】

韓国では大勢の高校生が乗った船が沈没するという痛ましい事故が起こった。しかし、背景に監督官庁と民間企業の癒着があり、同種の事故が何度起こっても一向に改善されないことに対し国民の怒りが向けられているようだ。財閥系企業のサムスンやLG、現代などが好調で、韓国経済が一見好調のように思われがちだが、利益はこれらの企業に出資する欧米企業が享受し、韓国国民には恩恵がさほど行っていないと言われる。こうした中で、韓国民は苦悩しているように見えるが、人口が少なく市場規模が小さいため、輸出に依存せざるを得ないという事情があるようにも思う。 慰安婦問題などでは、日本政府は過去に河野談話を発表しているが、こちらも中国同様、このことが足をすくわれる結果をもたらしたように思う。談話発表の背景にある日本政府の韓国政府に対する配慮が逆手に取られ、誇張され過ぎているのではないか。

外交で、安易に謝罪するというやり方が如何にまずいかということを示していると思う。相手国から非難され続けて、それにこたえる形で反省を口にすると、今度はそれを口実にされさらに非難がエスカレートするという構図だ。

【アメリカについて】

アメリカはブッシュ大統領の時代にアフガン侵攻、イラク戦争を行い、世界の警察を標榜していた。オバマ大統領になり、この方向性が変わるかと期待したが、根っこのところは変わらないようだ。民主党も共和党におとらず根っこのところは、一部の金持ちを優遇するようだ。ただし、アメリカのどの政権も表面上金持ち優遇とは言わず、自由競争、グローバリズムを旗印にして公平を装っている。

アメリカの経済状況は、独占禁止法を緩めたり、金融分野の自由化すら進めた結果、過去30年間にわたり富は1%の金持ちに集中し、99%は貧しくなっている。こうしてアメリカンドリームなど全くない状況になっているのに、国民は多くはいまだにアメリカンドリームを信じている。上手く金持ちの宣伝に乗せられているのだ。レーガン政権以降にはトリクルダウン(trickle down)という、金持ちがさらに金持ちになることでその下の大衆は、水がこぼれてくるおこぼれ(トリクルダウン)にあずかるということが真面目に言われていたくらいだ。

ウクライナ危機だが、アメリカをはじめとする西側諸国はロシアを非難している。しかし、これはロシアにしてみれば、西側の勢力をバックにしたクーデターと映っており、180度とらえ方が違っている。ただ、西側が結束してロシアを非難すればするほど、孤立するロシアは中国と接近する。これは世界を分断し、経済のためによくないのは明らかだ。

【日本について】

日本は、経済の立て直しが間に合うかどうかが最大のポイントだ。高齢化、人口減少、20年間続いたたデフレ。これらで特に地方は壊滅的な状況にある。地方に限らず、弱者ほど過去にない厳しい状況にある。東京に住み、貯えもあり、安定した職業についているとデフレは困らないのだが、地方在住、非正規社員、シングルマザー、就職できない若年層、貧困のサイクルに取り込まれた者にとってデフレは、賃金低下による地獄だ。アベノミクスで回復の兆しが少し見えるが、財務省、マスコミ、御用経済学者は、相変わらず財政赤字への警鐘を国民に発信し続けている。財政赤字の解消は、景気が回復してから考えればよいのだ。景気回復が先、財政赤字はその後に解消すればよい。赤字のレベルも一定の水準まで下げれば、必ずしも解消しなくともよいのだ。政府の赤字と家計の赤字は意味が違う。

この経済の立ち直りには、なんといっても円安が重要だ。相対的に世界を見ると、今のところ、日本の状況は悪くない。(日本の財政赤字の債務残高は、円建てで日本国内で大半が消化されており、財務省が言うほどマーケットは不安視していない。)このため、ヨーロッパの通貨危機、中国経済の減速、ウクライナ危機などの不安材料が生じるたび、円は買われ、円高になる傾向がある。黒田日銀は登場の時に、「異次元の金融緩和」を行ったが、その後はまったく音沙汰がない。幸い、今のところ消費増税の落ち込みを乗り越えられそうであるが、105円まで下がった円は、現在101円台にまで上昇し、それに伴って株価も上昇できないでいる。製造業の一部には、アベノミクスの円安により生産拠点を日本に戻す動きがあるという。こうしたトレンドを定着させるためには、今以上の円安になることが望ましい。リーマンショックの前の水準は120円ほどだったはずだ。このくらいの水準になると、日本の競争力は十分に余裕をもって発揮できる。

中韓との外交は先に述べたとおりだが、安倍首相はウクライナ危機の前、ロシアのプーチン大統領とは良好な関係を築き、北方領土の返還がまとまるかも知れないというところまで来ていた。だがこの危機で踏み絵を踏まされ、早々にアメリカなど西側諸国に同調し、ロシアを非難する側に回ってしまった。アメリカは、中韓、北朝鮮などとの外交に必要なパートナーであることは確かだが、日本が常に尻尾を振ってアメリカについていく必要があるのかは考えるべきだろう。もっと、中間的なポジションをとれなかったのだろうか。TPP交渉ではオバマ大統領が訪日する中、日米が最後まで譲らず決裂したが、この交渉は見ごたえがあった。この交渉のようにアメリカ追従ではなく、日本の国益を重視しロシアと協調、北方諸島の返還と天然ガスの輸入を勝ち取ってほしかった。

また、民主党政権の前の第1次安倍政権でホワイトカラーエグゼンプションという制度を導入しようとしていた。ホワイトカラーエグゼンプションというのは、労働の対価を、時間ではなく成果で測ろうとするもので、「成果を出せば会社に来なくていいですよ。ただし、逆に時間がいくらかかろうとも残業代は払いませんよ。」というものだ。この第1次安倍内閣の時にこの案は世間から総スカンを受けたのだが、これを再びテーブルに乗せようとしている。やはり、労働コストを下げたい財界などの圧力があるのだろう。このままではいただけない。

 

STAP細胞 小保方晴子さん

誰もが、好奇の目で見ている小保方博士。STAP細胞の論文発表で脚光を浴びた後、一転してねつ造疑惑で涙の記者会見。

ねつ造疑惑が出てきたとき、同僚の看護師(女性)は小保方博士の博士号について「彼女が可愛いから、おじいちゃん先生が甘い審査で博士号を与えちゃったのよ。」と早々に指摘していた。そのとき主は「いくらなんでも、そんな単純な話がありなの?」とツッコミを入れていた。しかしその後も疑惑はどんどん大きくなり、理化学研究所から論文の取り下げ勧告が行われるまでになる。小保方博士はずっと姿を現すことがなかったのだが、弁護士に伴われて記者会見をおこなった。彼女は、ばっちりメークし、髪形も美容院から出てきたばかりのようだ。服装も記者会見に合わせたのか隙がない。彼女は、記者会見の途中で涙を見せるのであるが、計算していたのかのように、マスカラが涙で黒くなるという事がない。これを見た先の看護師は「自己中の虚言壁で病気!」と一刀両断した。本当にそうなのか? 日本最高レベルの研究機関で、三面記事的な動機が原因で、「オオカミ少女」の極めてお粗末な話が起こったのだろうか? そうした疑問が浮かぶのだが、小保方博士は本質的な疑問を解消しようとせず、見ている側も「本当なの?」と思ってしまう。つまるところ、彼女(看護師)の観察が正解なんだという感じがしてしまう。職業がらか、女性だからか、直観力は鋭い。

一番迷惑したのは、何より他に真剣に実験に取り組んできた大多数のリケジョだろう。ちょっと変わった目で見られ、ある種のリスペクトが含まれるリケジョの危機だ。リケジョの中に、お色気フリフリが混じっていた!

今回はの事件が、定性的な文系の議論、たとえば、『集団的自衛権』の議論と同じような性質のものだったとすると、いくら議論を続けても白黒はっきりしない。しかし幸い、これは白黒がはっきりと出せる科学の世界の話だ。もし、小保方さんの話が事実と立証されたら世間の評価は180度様変わり。ノーベル賞学者の理化学研究所理事長野依良治さんは、こんどは何というのだろうか?

外野席で野球を観戦するように今回の事件の行方を見る無責任な観客としてではあるが、世界中を騒がせたことだし、小保方さんが200回成功したという実験とは何だったのか、他に実験を成功させたというインデペンデントは本当にいるのか、あるいは、誰なのか、上手に真実を説明することが必要なのではないかと思う。(この種の「オオカミ少年」の話って、そこらじゅうにある話なんだとだんだん思えてきた。つまらん。やっぱり、もう一度再逆転すると面白いのになあと思ってしまう。)

 

「こけろ! アベノミクス」と陰の合唱

今回は、ちょっと硬い話をなるべく柔らかく語りたい。

日経新聞は、株価が少し下がると相変わらず日本の産業力の低下を憂いて見せる。円高によって日本株で利益を出した海外の投資家が、ポートフォリオを一定に保つために売っているとは決して言わない。(「日経新聞の真実」のトピックがカテゴリー『経済学』にあるので興味のある人は見てね。) ヒステリックとも言えるほど、啓蒙主義的で、常に読者に警告を発しようとする。アベノミクスの成功で、20%以上円安になり株価は大幅に上昇、企業収益も改善、その果実を労働者にも分配する傾向が見え始めてきた。日本の産業構造は、昔のように輸出一辺倒ではないが、依然として輸出産業のウエイトが高く、円安は有利に働く。現在の為替レートは102円/ドル程度。民主党政権時の80円/ドルに比べると大幅な改善だが、バブル崩壊時以降は120円/ドルの水準が長く続いた。それを考えると、まだ昔の円安水準にまで戻っているわけではない。(なお、経済オンチの人のために付け加える。1ドル80円が1ドル100円になったら、円高になったと思う人が結構いる。しかし、表現を変えると1円あたり0.0125ドル/だったものが1円あたり0.0100ドルになったということで、値打ちが下がっているので、円安だ。)

安倍政権の発足に伴う黒田日銀総裁の「異次元の量的緩和」により、円安と株高が同時に起こりデフレ脱却の希望が見えてきた。しかし、世界を見るとリーマンショック後、ヨーロッパの通貨危機、中国経済の減速、アメリカの金融引締めを発端にする新興国不安、現在はクリミア半島の欧米・ロシアの対立が起こっている。こうした要因は円安の阻害要因であり、円高の原因である。(信頼を失った国の通貨は売られ、信用のある国の通貨が買われる。)アメリカの金融引き締め(量的緩和の中止)は、ドル安政策の転換を意味し、本来であれば相対的に円の価値を下げ、円安になるはずだ。だが、実際にはアメリカの新興国への投資資金が引き上げられ、新興国経済が失速するという懸念から新興国で通貨安が起こった。日本はそうした不安材料が少ないために、相対的に安心感があり円は上昇傾向になる。もちろん、日本は財政赤字という大きな問題を抱えているが、世界から致命的な問題と見られていない。

アベノミクスの最大のブレーンのイエール大学教授浜田宏一は「アメリカは日本経済の復活を知っている」の中で、白川日銀前総裁とそれまでの金融政策を激しく非難した。この浜田の提唱する政策を掲げた安倍政権が経済政策の転換を行った。日本の「失われた20年」と言われるデフレから脱出できるかどうか、ようやくこの成果が出るかどうか期待されるところだ。浜田の書名のとおり、日本経済の底固さは世界中が思っていることなのだ。

第二次大戦後、経済学の主流は新古典派と言われる学派だった。この新古典派はケインズの理論を発展させ、「合理的経済人」を仮定する。すなわち、人間は合理的で常に正しい決断が出来ることを前提にすれば、市場を通じて資源が最適配分されると考える。その後ミルトン・フリードマンが「選択の自由」を発表し、大きな影響を与える。マネタリストであるフリードマンは財政支出に反対(=ケインズ経済学の否定。公共事業の否定。)し、景気循環を貨幣供給量と利子率により説明した。彼は同時に「小さな政府」を提唱したため、レーガン、父ブッシュ、クリントン、子ブッシュ、オバマ大統領とアメリカの経済政策に大きな影響を与える。すなわち、国内向けには減税、規制改革、民営化、対外的にはグローバリズム宣伝の根拠となる。

しかし、2001年、スティグリッツが「情報の非対称性」によりノーベル経済学賞を受賞する。「情報の非対称性」と言うのは、需要者と供給者で情報が非対称であること、例えば学生ローンを借りる学生は銀行ほどの情報量を持っていないことを言う。そのような状態で資源が最適に配分されないことを証明した。この学生ローンの場合は、社会全体でゼロサムではなくマイナスサムが生じているという。スティグリッツの著作には「世界を不幸にしたグローバリズムの正体」もある。 2008年、クルーグマンが次のことを証明しノーベル経済学賞を受賞する。生産規模が拡大するほど費用が低下する「収穫逓増」の産業は、歴史的な偶然によって国際競争力が決まることをモデルで説明した。例えば米国の航空機産業は、ベトナム戦争に伴う生産拡大で競争力が高まったという。(従来の経済学は「収穫逓減」を謳っていた。)

この二人の研究は新古典派の学者の経済理論を葬り、フリードマンの市場至上主義の誤りを指摘したはずだ。「勝者総取り」という現代最大の問題が透けて見えてくる。「勝者総取り」は、主の最大の問題意識である。)しかし、スティグリッツやクルーグマンも書いているが、旧来の経済学者はなかなか自分の非を認めようとしない。それは日本も同じだ。

日本の書店に並んでいる経済学の書籍は、浜田宏一をはじめとする金融政策によるリフレ派(インフレターゲットを設定し、デフレから脱出しようとするグループ)はマイノリティーだ。相変わらず新古典派経済学者やフリードマンを崇拝する学者が主流だ。当然ながら、従来型の学者はアベノミクスの金融政策について国債の暴落と金利の上昇を声高に警告し、財政健全化を至上命題にしている。決して、日本の財政赤字はお札を輪転機で刷れば解消するというようなことは言わない。

1年前の消費税引き上げ論議を思い出してほしい。浜田宏一はじめとするリフレ派は消費税増税に反対だった。デフレから脱却できるかどうかという大事な時期の消費税増税は、「風邪をひいている患者に、体力をつけるために『グラウンドを走ってこい!』と言うようなものだ。」と時期尚早を説いていた。しかし、財務省の「財政再建」宣伝が行き届いているため、世論は「消費税増税せよ!」の大合唱だった。野田前首相は財務官僚に完全に丸め込まれた。 前述のクルーグマンは、日本がどうしても消費税を上げたいという場合でも、経済への影響を最小にするためには、消費税を毎年1%づつ上げたらよいと発言していた。ところが、この案は技術的に困難であると一蹴されてしまう。その結果、5%から8%、10%へと上がることが決まる。(おかげで今、駆け込み需要の後の反動が心配されている。そやから1%ずつ上げ言うたやろ!)ここに日本人の性癖がよく表れている。事の本質より、小銭の扱いが面倒とか煩わしいという枝葉末節を優先する発想が出てくる。景気への影響より、技術論が優先したのだ。もっとひどいことには、増税により景気が良くなると真面目に主張した経済学者もいた。かくして、マスコミをはじめとする消費増税キャンペーンは奏功する。 安倍首相は、世論とブレーンであるリフレ派の板挟みとなり、消費税増税を決定するが、経済の落ち込み分を財政支出で補うという折衷案を採用する。

ところが、マスコミや御用学者たちは消費増税が昨年秋に決定したとたん、発言内容が180度転換し、消費の冷え込みによる不況の懸念を声高に言い始める。常に世間に向かって危機を煽っている。(そんなことを言うなら、最初に消費税を増税すべきだと言うべきでないだろう。)

主の学生時代(40年前)、経済学の講義で一番最初に教わったのは「賃金の下方硬直性」だった。「賃金の下方硬直性」というのは賃金が生産性の向上に関係なく、上がることはあっても下がりにくいことを言う。しかし、日本はバブル崩壊後、ずっと名目賃金が下がり続けた。企業は収益の落ち込みに対して、生産性を上げることより費用を小さくすること、すなわちリストラや賃下げを競って行った。

ここで、名目賃金の解説を少ししよう。もしインフレ下で賃金水準が同じ場合、インフレ分だけ実質賃金は下がっている。逆に、デフレの場合、実質賃金は上がることになる。このため日本のデフレを、まことしやかに「良いデフレ」と言った学者がいたほどだ。同時に為替レートのことも考慮する必要がある。名目賃金が同じでも、円高になるとドルで換算した賃金は増加することになる。すなわち、民主党政権では急激な円高が起こったが、ドルで換算した日本人の賃金水準は、円高にに比例して上昇した。これは国際競争力を失うことを意味する。為替レートの変動(円高)で国際競争力を失い、実際に倒産したエルピーダメモリーのような企業がある。

話を元に戻すと、「賃金の下方硬直性」は確かにあり、欧米では名目賃金は下がっていない。不況で名目賃金を下げたのは、唯一日本だけなのである。欧米では不況は起こっているが、デフレになっていない。日本のデフレは世界の不況とは様相が異なっており、かなり特殊だ。この原因の一つは、国民性にあるのではないか。他の国では、企業の利益が出なくなった時にも、名目賃金を下げることは出来なかったのだ。もちろん、ペイオフや人員整理はやっているだろうが、賃金水準は保たれた。ところが、日本の労働者はリストラとともに賃金水準の低下も受け入れたのだ。日本人は、外国人に比べ真面目なのだ。こうしたスパイラルの結果、デフレになった。

現在日本の新古典派学者も表立って、私は新古典派だと名乗っている訳では勿論ない。フリードマン信奉者はそれより、分かり易く敬意を表明している。しかし、その両者の理論はあり得ない前提が必要だ。彼らは根拠を明らかにせず、表向き様々な学派の意見を公平にくみ取っているかのような発言をする。だが、彼らは心の中で思っている。「こけろ!アベノミクス。」

 

 

刺さる動画 — 3.11

『祈りにも悲鳴にも異なる声をあげて、今すべてが止まるようにと願いを心から言った』http://dout.jp/305

Face Bookを通じて知人にこの『刺さる動画』を教えてもらった。3年目となる3.11の映像なのだが、いまさらながらあまりの悲惨さに言葉がない。合掌。

ただ、思うところが一つあった。このリンクをクリックして是非実際に見て貰いたいのだが、多くの写真に人が写っている。亡くなった人の手足だったり、救助する自衛隊員や消防隊員、幸い生き延びる事が出来た人が、とても現実とは思えない背景のうちに写っている。人が写っていることで、被災した人、自衛隊員、消防隊員が見たであろう惨状が目に浮かぶ写真がある。おかげでこれを見て、初めてこの災害が我がこととして実感できたような気がした。

何故なんだろう?『刺さる動画』に刺さったのか。

前から気になっていたのだが、日本のマスコミの自主規制のせいだ。日本のテレビ局の報道では、死体や血の流れる映像は削除されて報道される。当然ながら、その分リアリティが失われる。瓦礫の山だけをいくら流しても、人間が写っていなければ他人事だ。人間が写っていて初めて自分のこととして共感する。

なお、こういうリンクの仕方がアリなのかよく分からないのだが、うまくTweet出来なかったので、このようになってしまった。

3.11

薬剤師という職業 & 医療費の膨張

ブログの主は、処方薬を買う薬局でたいてい憤慨してしまう。

医者に行ったあと、処方箋にしたがって薬局の薬剤師が処方薬を販売するのだが、薬を渡す際に「調子はいかがですか?」「前回と違う薬ですが大丈夫ですか?」的なことを聞いてくる。ここで彼らを専門家だと思って、薬について質問したりしてはダメだ。知識があっても、無難なことしか言わない。

医師の診察でじっくりと話を聞けることは少ないので、薬剤師から病状などを質問されると、ついこちらも質問してしまうのだが、結局のところ素人とたいして変わらない無難なことを言うだけだ。当然だが、医師の診察分野は、細分化されている。その細分化された分野で医師が処方した薬について、薬剤師がそれ以上の詳しい知識を持っているはずがないし、慢性病の場合は患者もそれなりに詳しくなっている。それでもし薬剤師に聞けば、最終的に「相談は医師にしてください。」となる。

主はアレルギー体質で、長年アトピー性皮膚炎を患っている。大学病院の皮膚科の教授から「アイピーディーという薬を体質改善のために2,3年飲みましょう。」と言われたことがあった。その後、大学病院へ行きつづけるのは大変で、町医者に通っている。このように長く飲む薬というのは、どのように評価したらよいのか(効果の判断がわからない、どうなったらやめるのか?)疑問に思ったので薬剤師に質問すると、大学病院の医師に聞いてくれと言われる。このような時、せめて次回までに調べてくれてもよさそうに思う。それぐらいの勉強はしているはずだ。

医療費は、診察より薬剤費のほうが何倍も高い。薬剤以外に、薬局にかかる費用もあるはずだ。薬を受け取る際には、薬の説明書などや、「お薬手帳」に貼るシールなどを受け取るが、これらは調剤基本料や薬学管理料として上乗せされている。医薬分業になって久しいが、医薬分業の狙いは、薬価差(昔、医院は薬を処方する際に、薬代の仕入値と患者が支払う差額で儲けを出していると言われていた。)をなくすことだった。これが院外処方により医療費の削減につながったかというと、薬剤師は医師の処方通り調剤するのみで、そのような効果は上がっていない。むしろ、医薬分業により調剤コストは増えており、節減には薬価基準の引き下げが大きい。

この調剤薬局の多くは、MR(Medical Representative=製薬会社の営業社員)が起業したものなのだそうだ。MRは、自社の製薬会社のために営業活動で医院を回っている。この営業で生まれる医師とのコネクションを生かし、医院の門前薬局という形で調剤薬局を開店する。 

薬剤師の働きぶりを見ていると、6年間勉強する割には、せっせと薬を棚から取り出し、詰めているだけだ。混ぜ薬も少なくなっているし、処方箋の内容どおり正しく薬を詰めるだけなら、機械でも可能だ。テレビの報道では、実際にコンピューター制御された機械が、薬を多くの棚からピックアップするところがあるらしい。なんで、薬局にはあんなに多勢薬剤師が働いているのか。薬局は、コンビニより数が多いという。

また、最近薬学部は、4年制から6年制へと変更されたが、薬剤師の供給過剰が背景にあるのだろう。多くの薬剤師は、専門家であるという幻想をすでに抱いていなさそうに見えるが、専門的なことを言わないのであれば、矛盾が多い、おかしな職業だと思う。

また、こうして見ると、医療費が高い原因が透けて見えてくる。

日本の薬の値段は、世界水準では異常に安いという。つまり、医療費が老人医療のせいで膨張し、その膨張を抑えるため、政府は診療報酬と薬価を上げないばかりか、むしろ、下げて、医療費を抑制しようとする。しかし、国民皆保険制度は、75歳以上の老人は基本的に1割負担である。こうした助成は、確実にマーケットの需給を歪ませる。 つまり、必要がないのに医者へ行く患者が多数現れ、医療費を膨張させる

こうした老人を優遇する医療制度と、生きてさえいれば成功とする医師の条件反射のような救命マインド。安楽死を否定する司法の判断。延命を常に唱えるマスコミの報道。一般大衆は、いつまでも生き続けたいという無理な願望を持つように洗脳されているのではないか。

そして、必要がないのに医者へ行って治療を始め老人たちは、やがて死期が近づいても、体中にチューブをつけられて生かされる。天井を向いて、生きているのか死んでいるのかわからない老人がチューブにつながれて碌に意識もない、というのは本人も望まない、尊厳を踏みにじる虐待でしかない。

おしまい

 

もてない男 1 (親友/昔話)

(2022/8/18)一部修正しました。

じじいが中学の時、同級生に目茶苦茶女子生徒にもてる男がいた。 彼が高校に入学したとき、彼の性格とルックスに惹かれた全校の高1、高2、高3の女子数十人が交際を申し込んだ。彼は、放課後、交際したい女子高生を教室の廊下に順に並ばせ、彼は教室の真ん中で一人、全員の交際希望者を順番に面接をした。そして、最終的に同じ学年で、面接で一番気に入った目鼻立ちのはっきりした、ちょっとグラマラスな彼女と交際していた。

じじいとは、中学は同じだったが高校は別だった。当時(昭和40年代)子供の数は多く、中学校は1学年に17クラス、約700人いた。生徒が多かったので、3年間同じクラスにならなかった。 唯一、中学で彼の記憶があるのは、グラウンドで野球部が試合をしていた時だ。大勢の女子生徒のキャーキャー言う歓声がしているので、そっちを見ると、彼がバッターボックスに入っていた。彼はその女子生徒の大歓声の中、バットを力一杯振るとボールは外野の間を抜け、スリーベースヒットを放つ。さらに大きくなる女子生徒の歓声。満塁の塁上からホームへ帰ってくる選手たち、土煙、三塁ベース上で大きく腕を突き上げて笑う彼。(「何やねんこれ!」とニヒリストだったじじいは思った。)

じじいたちが卒業した中学校

高校は、違う高校に通うことになったじじいと彼だが、当時流行っていたフォークソングが縁で二つの高校の間で同じ学年同志の交流が始まり、一緒にコンサートを開いたりするようになった。「おんなじ中学やん!」と友人づきあいが始まった。フォークソングと言いながら、吉田拓郎や井上陽水は商業主義でダメだった。加川良や高田渡という世間では知られていないアンダーグラウンドな歌手評価していた。

彼が入学した高校には野球部がなかったので、彼はラグビー部に入り、3年間は、その彼女と付き合っていた。高校卒業時、彼は大学受験に失敗し浪人になる。この浪人が延々と続く。一浪から二浪になるとき、その彼女とは別れるが、浪人生活は実に、五浪まで続いた!!!

その彼の予備校生時代の話である。やはりというか、予備校に入っても彼は、大勢の女子から次々交際を申し込まれる。彼が女子に声をかける訳ではない。つねに、女子から交際を申し込まれる。じじいは、大学にストレートで進学したが、中学、高校、大学とずっともてたことがなく、勉強なんかより、彼の様にもてたいと切実に思っていた。勉強なんかより、女にもてたい!!!!

そんな彼だが、ある日、同じ予備校に通う女子と、彼女の家で昼間ベッドに入っていた。その時、旅行に行っているはずの彼女の両親が、突然帰ってきた。玄関で鍵を外す音がガチャガチャと聞こえる。彼女も予定外の出来事に必死になりながら「こんなとこ、うちのお父ちゃんに見られたら、あんた!殺されるで!!と彼女。彼はベッドからはじけるように飛び降り、ベッドの周りに放り出された衣服をかき集め、裸のままパンツ1枚、窓から外へ脱出した。(なんか青春ドラマで見たことあるような。デジャヴか?)

やはり、彼の浪人生活中、もう一人の男の友人と民宿に泊まり山陰へ海水浴に出かける。現地で同じく旅行でやってきた大阪の女子大生3人と意気投合し、夜は花火と酒で盛り上がる。相当酔っぱらい、最後は乱交状態になったという。あげくに酔いつぶれて寝てしまった。翌朝、「昨日は酒も飲んだし、女とやったし、ええ夜やったあ!!」と布団で伸びをしながら目を覚ますと、枕元に服を着た昨日の女子学生が3人並んでおり、「大阪に帰ったらわたしと付き合ってください。」と全員からお願いをされる。

つづく

もてない男 2 (親友/昔話)

つづき

その彼が、高校のラグビー部の合宿でやはり海に行った。厳しい練習を終えて部員たちが銭湯へ行く。行った銭湯は、どうやら工事中らしく、男湯と女湯の境が薄い板1枚になっていた。その時、壁のところにいた部員の一人が「おっ! 穴から女湯がみえるで」と声を上げた。すぐに彼を含む周りのラグビー部員が反応し、「何や、何や!俺にも見せろ!」とその第1発見者の後ろに覆いかぶさっていった。「おーすごい!」「早よ代われ」「俺にも見せろ」と喚きながらその穴に向かって部員たちが重なり合った。するとやがて、その壁は、ラグビー部員たちの重量に耐えきれず女湯の方にばったりと完全に倒れてしまう。男湯と女湯の境がなくなり、女性たちの悲鳴。ラグビー部員たちはやはり、裸のまま服だけ持って、だーっと旅館へと一目散に走った。

彼の母親は、百貨店でマネキンさんと呼ばれる店頭販売員を派遣する会社を経営していた。いわゆる派遣会社の草分け的存在である。当時は日本の高度成長期だった。百貨店でマネキンさんが食品を販売すると飛ぶように売れた。また、百貨店の売り場は、今のように中高年社員やパートの主婦がまばらに売り場に居るという感じではなく、若い女性がてんこ盛りで、花園のような職場だった。その彼の母親がマネキンさんの派遣を仕切っているのだが、やりくりがつかず、息子の彼が、マネキンさんの代わりに売り場に立つこともあった。じじいも何度か狩り出されたことがある。そして、彼が百貨店で販売員のバイトをすると、100%!売り場の何人もの!!の女性社員から「今晩、晩御飯一緒に行ってえ」と誘われるのだ。もちろん、食事の後はホテル。彼より女性社員の方が社会人で給料も貰っている立場なので、すべて女性持ち。 じじいもそのバイトに行き、近くの売り場に居たアルバイトの美人女子高校生に思い切って声をかけたこともある。だが、やっぱり話に乗った子はいない。(とほほ)女性も人数がいると、美人がいるものだと思ったのだが、もてる男、もてない男、何事にも偏りがあるのだ。

彼の人となりの一端を紹介すると、女性と話をする時は、かならずファーストネームで呼ぶ。「xxちゃん」か「xx」と呼び捨て。苗字で呼んでいるのは聞いたことがない。若いころ、主を含めた男の多くは、それぞれに何か過激なこと、毒のあることを口にしていたが、彼はあまりそのようなことを言わなかった。主は、「微温的」とか、「ちょっとじれったい」と感じていた。もちろん仲間内の友人をけなしたり非難したりはするのだが、聞き手に同意を求めるようなところがあり、強く断定することがなかった。一方、常に気配りができる。そつがない。ユーモアがある。運動センス抜群である。女性にとって、頭が凝り固まっていと男は敬遠される。

だが、今還暦を迎える年になってようやく分かる。その「じれったい」こともある「微温的」な、人を否定しないところがもてる秘訣なのだ。人間だれしも否定されたくない。女性は男よりずっと、否定されることが許せない。鈍感な男はそのことに気が付かない。何か言われて、もちろん彼が断ることもある。だが、相手を傷つけるような言い方はしない。それがきっと女性にもてる絶対条件だ。

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じじいは社会人になり郷里を離れ、彼の方は浪人生活5年でとうとう大学進学を諦め、母親の人材派遣会社の経営を手伝っていた。たまに主が郷里に帰った時に、他の友人と何度かゴルフに出かけた。ちょうどバブルの最中で、「自腹でゴルフするのは、こんな具合に友達同士でするときだけや。」と言う。懐かしい時代だ。じじいも彼も30を過ぎて結婚していた。派手な女性関係が相変わらず続いているのか聞きたいところだったが、普通の結婚生活をしているようだった。ゴルフ場の芝生に腰かけて男同士で昔話に盛り上がったが、女房とのセックスについて「ずっとセックスしてたら、何遍でもイキよる。」という。『さすがや』『俺はあかん』と納得した。

つづく

もてない男 3 (親友/昔話)

つづき

そのもてる男に最近また再会した。1泊する高校時代の同窓会が関西であり、じじいがはるばる関東から出席した時に、近くに住む彼が旅館まで訪ねて来てくれたのだ。高校の同窓会と言うが、来年1年のうちには全員還暦という年齢である。

彼は、マネキンさんを派遣する会社をずいぶん前に母親から引継ぎ、社長になっていた。最近、知的障害のある児童向けの施設を始めたと言った。「こうした施設は一人資格のある人を置いておけば、他の人は資格がいらんから、うちの派遣社員をそのまま使えるメリットがあるわけよ。それに運営費の大部分が自治体の補助金から出て、残りは児童の親が負担するから、金が確実に入ってくる。赤字になる心配がないんや。これは大きいで。府会議員さんは、みんなこうした福祉事業をやってはるわ。」

彼の話は、北新地(高級クラブで有名な梅田の一画)の話になる。「最近、高校時代の同級生と北新地へ行ったんやんか。そいつらは、公務員とかサラリーマンとかで、普段そんな高級な店に行ってないわけや。いつも、居酒屋とか赤ちょうちんで飲んどる。そのへんわしら自営業とはちょっと金銭感覚がちゃうやろ。そやけど、そういうクラブのホステスと話してたら、話も上手やし、どんな話にもついてきよる。それで、結構盛り上がったんや。当然、最後に会計になるわけや。一人あたりにしたら結構な金額になるけど、そんな額をそいつらから取れへんやろ。そやから、一人一万円ずつ集めて、残りは俺が払ろうたんや。そしたら、『安かった、おもろかった。』言うてみんな感激しとった。それでそいつらだけで、別の日にその店にまた行きよったんやな。そんで、会計したら、高い金をとられるやん。そんで、俺のところに『ぼられた』言うて文句の電話がかかってきたんやわ。正直なことばらすのもなんやから、露骨な説明は言わんかったけど、それくらいわからなあかんわなあ。」

その後、ホステスの話になる。「昔は、若い女が良かったけど、この年になると若い女はあかん。もうちょっと、年いったほうがええわ。30代後半やな。そこら辺が、味が出て来て一番ええわ。」

「ほいでや。新地のホステスが、店がはねた後、夜中の3時とか、4時や。毎晩俺に会いたいちゅうてメールして来よるわけや。こっちも女房の隣で寝ながら、メール来てるんは、気ついとった。そやけど、起きるのん面倒やん。それに女房は、亭主の携帯見るような女やないし、その辺はしっかりした女や。ところがや、あんまり毎日深夜にメールが来るもんやから、最後に女房が俺の携帯を見よったんやな。ほんなら、ホステスからぶわーっと一杯メールが来てるわけや。それ見た女房、どないしたと思う? その携帯に『xxの女房です。あんた、うちの旦那に何ぼメール送っても無駄や。あきらめなさい。』ちゅうて、返信しよったんや。その後女房に起こされて、布団の上でこんこんと説教されたがな。」「それで、大人しいに謝ったんかいな?」「謝ったがな。女房に金の管理すっかり任してて、俺は小遣い貰てる身や。全部事情説明させられて、もうしません言うて、謝ったがな。」

つづく

もてない男 4 (親友/昔話)

つづき

我々の友人の間に、そのもてる男を表す伝説があった。もてる男、小学校高学年、放送室での話。もてる男は、放送室に同級生の女の子と二人きりだった。女の子がなにやら真剣な表情になり「うち、あんたのこと好きやねん。そやからうちと付き合うて欲しいねん。」もてる男。「わかった。付き合うて欲しかったら、パンツ脱げ!」

!!。この伝説をもてないじじいが、同類の友人から聞いた時、もてる男はさすがに早熟やなあと思った。じじいが小学校の5,6年生の頃はずいぶん幼稚で(今も幼稚だが)、告白された女子に「パンツ脱げ!」という発想はほぼなかった。(主が大人になるにつれ、この妄想に大いに悩まされる。)

(松本人志, 高須光聖 松本人志の放送室 1)から

実際の話だったのかどうか真偽がわからないまま、とうとう約40年が過ぎた。本人にこの話の真偽を確かめたいと昔から思っていたので、この機会に本当かどうか聞いてみた。もてる男「俺もそういう噂があるのは、知っとった。」しかし、もてる男に説明しながら、じじいはどうしても笑ってしまう。どうも力が入らない。こういう肝心なところで、照れて脱力してしまう。肝心なところでダメなじじいだ。

結局のところ、真剣に質問する事が出来ず真相は藪の中のまま、他の話題になってしまった。申し訳ない。

もてない男ともてる男の一番大きな差は、もてない男は人格まで否定してしまうところだろう。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」と簡単になるようでは人間が出来ていない。じじいはぜんぜん人間がなっとらん。もてる男も結構いろんなことに憤慨していたが、相手の人格を全否定することはなかった。

 おしまい