アメリカ大統領選 コロナ禍 財政均衡論について思うこと

主は、世界中がメチャクチャ、デマで満ち溢れていると思っている。

アメリカ大統領選挙は、インチキだったと思っているし、コロナもそうだ。新型インフルエンザということだが、従来のコロナウイルスとかわらないのに、世界中が大騒ぎだ。この新型コロナについては、日本は被害が欧米の数十分の1なのに、欧米と同様の不安をマスコミが煽り、人気取りに走る政治家が我先に便乗しようとして、誰も例年と変わらない風邪だ、インフルエンザだとは言わない。

もう少し書くと、このコロナは、感染症法の第2類に分類されるのだが、厚労省の通達によりエボラ出血熱、ペストと同じレベルの行政上の扱いがされている。昨年の中頃、安倍首相の退任時、このコロナがひと段落したところで、第2類を普通のインフルエンザ並みの第5類に変更しそうだったのだが、誰も決断せず、うやむやになっている。

世界じゅうも、新型コロナに便乗して、ワクチンの開発と販売で一儲けしようとする勢力と政治家の思惑が一致、そもそも風邪やインフルエンザはずっと特効薬がないのだが、あたかもワクチンが特効薬のようなことが喧伝されている。中国は、無料のワクチンを途上国に提供することで、途上国を自国側に囲い込もうとしているし、ロシアを含む欧米勢は絶好の商機到来で、遅ればせながら日本も何とか食い込みたい。

アメリカ大統領選挙は、こちらはグローバリスト(エスタブリッシュメント)とトランプの反グローバリズム(グローバリズムに痛めつけられてきた人たち)の戦いだった。圧倒的に力のある産業界、政治家、マスコミと、そこから支援されてきた教育、医療などのグローバリズム勢力が、なりふり構わないインチキ郵便投票によってバイデン大統領を勝たせたのだが、負けた被支配階層には声を出す手段がなく、大統領選挙で不正があったと思う4割のアメリカ国民の声は、表に出てこない。

当然これを読まれている方は、不正の証拠を見せろと言われるだろうが、そこはあまりに巨大で、希薄な状況証拠ばかりなので書かない。興味を持たれた方がおられるなら、インターネット(YOUTUBE)では、林千勝氏、ケント・ギルバート氏などの動画を見てください。著作なども多く書かれています.

あと、これもまた世界的な現象なのだが、従来の経済学は、金本位制時代のままの経済観を見直してこなかった。つまり、金本位制は数十年前に廃止され、兌換から不換の管理通貨制度へと代わっている。この変化により、各国の政府は、その国の供給力まで通貨を発行、国民に交付しても、インフレを起こさないことがわかっている。 つまり、日本のようなデフレの国では、国民に毎月10万円手渡しても何の問題もおこらないどころか、国民を救うことなる。 むしろ、今のようなコロナ対策では、バタバタと倒産を引き起こし、そもそもの供給力の喪失を意味する。いったん倒産し供給力を失うと、もとに戻るには何十年もかかる。

今コロナで、欧米の各国政府は、赤字国債を発行して国民に休業補償をしているのだが、日本はお金は出さないが協力してくれという、太平洋戦争のときのようなことをやっている。あの保守的なIMF(国際通貨基金)さえ、「経済を救うために、各国政府は、最大の政府支出をしたうえ、さらに政府支出を上乗せしろ。」といっているのだが、日本ではこのようなことは、財務省の目があり、報復を恐れるマスコミは報道しない。

近い将来、政府支出は国債の暴落と金利の上昇を招くという従来型の経済学が間違っていたことが明らかになるだろうが、ここ数十年で、こうした財政均衡の呪縛に囚われなかった中国は、西側の諸国が果たせなかった経済成長をあっという間に果たした。中国の成功を、これまでの経済学者は、バブルと表現し揶揄していたが、供給力を増やしてきた中国は、バブルではなかった。遅れを取ったのは、日本だ。

供給力(生産力)さえ伴っていれば、財政支出の拡大が国民を救うという事実がやがて世界中で理解されたとき、日本はすでに沈没してるかもしれない。はたして間に合うのか?

おしまい

チェンバロリサイタルは最前列で。 辰巳美納子リサイタル・東京文化会館小ホール

1月29日(金)、東京文化会館小ホールで行われた辰巳美納子のリサイタルへ行ってきた。曲目は、バッハのフランス組曲第5番とゴルトベルク変奏曲の2曲である。

この小ホールは649席ある
開演前、休憩中ともずっと調律している

上の写真が開演前の様子である。コロナの真っ最中で、公演中止を心配していたのだが、無事開かれ、観客席は3分の1くらいが埋まっていた。

チェンバロは、おそらく鍵盤楽器では最古参だろう。金属製の弦を張り、爪が弦を引っ掻いて、音が出る仕組みになっている。鍵盤を強く叩いたからといって大きな音が出るわけではなく、優しく弾いても音量が小さくなるわけでもない。音量も小さい。そのため、楽団と合奏すると埋もれがちだ。 しかし、繊細で美しい音色が最大の魅力の楽器だ。

主は、熱烈なコンサートファンではないので、お好みのプログラムの時に、チケットの値段がほどほどのコンサートに出かけている。オーケストラの場合、S席などより、むしろホールの後ろの方とか二階席の方でも、音響設計が良くされているので問題はないし安いので、こういう席を選んでいる。今回も、足が延ばせるという理由で、中央右側の端っこの席を選んだ。鍵盤楽器の場合、演奏者が舞台に向かって左側に座るので、左側の方が手の動きが見えてよいのだが、左側は人気があり、選択できなかった。

チューニングを聞きながら、「この楽器、これはすぐ近くで聴くに限る。」と思った。大音響が出る楽器は、反響音により後ろの席のほうがよく聞こえるのだが、チェンバロは音自体が繊細で小さく、間近で聴くのが良い。

また、常にチューニングが必要なようで、20分間の休憩の間も、調律師がずっとチューニングをしていた。

そもそもこの楽器は、ヨーロッパの貴族が室内で楽しんだ楽器だ。大きなホールで民主化さとれた大衆どもが聴く楽器ではない。 というわけで、主は、コロナのせいで観客席が空いていたこともあり、休憩を挟んでほぼ最前列に移動して聴いていた。 同じように考えた観客もいるらしく、周囲には何人かステージ近くに移ってきた人がいたようだった。

この日のプログラムは、前半がバッハのフランス組曲第5番、後半がバッハのゴルトベルク変奏曲だった。

バッハは、鍵盤楽器のために有名なところでは、パルティータ集、フランス組曲、イギリス組曲、トッカータをそれぞれ6曲ほど作曲している。トッカータは、1楽章形式で、アドリブ的で奇想的な曲である。パルティータ集、フランス組曲、イギリス組曲が、当時のダンスミュージックである舞曲を何曲も組み合わせて作られた大曲である。

フランス組曲も素晴らしいのだが、やはりパルティータが全体としてのまとまりをよく考えて作られており、さらに大曲という趣がある。

辰巳美奈子のゴルトベルク変奏曲の感想を書いてみる。

何といっても、

① 演奏時間がめちゃ長い。

おそらく、80分間以上演奏していたが、グールドの倍程度になるはずだ。原因は簡単で、おそらく反復を全部しているからだ。グールドは、溌剌とした1955年のデビュー録音が38分、瞑想的な1981年の再録音が51分である。反復は、「1955年にはグールドは一切のくり返しをしなかったが、1981年には、カノン9曲と厳格な対位法の変奏曲4曲で、前半のみを繰り返した。」(「グレン・グールド神秘の探訪」 ケヴィン・バザーナ:サダコ・グエン訳 478頁)と書かれており、この日の演奏はちょっと冗長だ。グールドの2回の録音は、長短あるが、いずれの場合にも、極端に遅い演奏と極端に早い演奏が組み合わさっており、きわめて刺激的だ。

辰巳美納子の演奏も、現代的で明るく楽しい演奏を繰り広げているのだが、古楽器を使って楽譜に忠実に、当時のままに演奏しようとしているのかと思えるフシもあり、強いて言えば、指向性がはっきりしない。おそらく、彼女は、古楽を忠実に演奏するより、現代的で楽しくこの曲を演奏しようと考えているのだろうと思うのだが、さらにメリハリがほしい。冒頭のアリア、最後のアリアなどは極端にゆっくり弾いて欲しいし、疾走するところは疾走して欲しい。

逆に、グールド以前の大御所であるワンダ・ランドフスカ(1879年 – 1959年)の演奏のように、博物館にあるような年代物の演奏を、現代の今やったら、それはそれで面白く値打ちがあるだろうと思う。

要は、その人なりの「狂気」がないと面白くない。グールドは、音高と音価(=楽譜上の音の長さ)は変えていないが、拍子や速度記号を無視し、場合によっては音符も加えている。

② この日のパンフレットに「鋭い感性と自在な表現で全体を支える通奏低音に定評がある」と書かれていた。伴奏ともいえる通奏低音をホメるというのは、パンフレットとして、どうなのかなと思った。しかし、通奏低音のリズム感は安定していて、こういうことなんだと納得する。聞いていて安定していて、とても気持ちが良い。もちろん、他の声部もなかなか良かった。 

③ このゴルトベル変奏曲は、最初と最後のアリアの間に、30曲の変奏曲が挟まるのだが、最後の方に近づくにつれ、クライマックスに近づくのが感じられ、最後の変奏曲、クオドリベット(=宴会などで行う、複数人がそれぞれちがう歌を同時に歌う遊び:Wikipedia)で爆発する、その感じがよく出ていた。

このクオドリベットは、当時の俗謡が2曲入っていて、楽しくてとても聞きやすい。それまでのバッハの小難しさが消えて、すっかり楽天的になる瞬間である。ある意味、この曲はクオドリベットが出てくるまでが辛抱であり、この曲の到来で辛抱から解放され、最終的に、再び静かで美しいアリアの円環に戻る。

そう考えると、アリアに戻るところは、もっとゆっくり、極端にゆっくり、じっくり聴かせたらどうなんだろう。 しかし、終わりよければすべて良し。とても、感動的で、楽しめる演奏だった。観客も大きな拍手を盛大におくっていた。 主は、アンコールになにか、最低もう1曲を弾いて欲しかった。

おしまい

ブラジル ボアッチの話 その2

ブラジリアにあったボアッチ

「人生の3分の2は嫌らしいことを考えてきた。」とイラストレーターでありエッセイストであるみうらじゅんさんは、かならずこの書き出しで始める。この人に限らず、男はだいたいそうだ。主は、4分の3かもしれない。

アマゾンから

みうらじゅんさんを冒頭に持ってきたが、内容には関りがない。単に、エロから連想しただけなのだが、今回はブラジル、ボアッチネタを取り上げたいと思う。なにしろ、15年前のブラジルの話なので、事情はけっこう変わっているだろうと思うがご容赦を・・。

冒頭の写真が、当時のブラジリアにあったApple Night Clubという昼間のボアッチの写真だ。当然ながら、夜の雰囲気は全く違う。夜には、手前の駐車場が、お客の車で一杯になる。左半分が教会でブラジルらしい。ここのお姉ちゃんと話をしていて、「お客と出かけた後、となりの教会で懺悔するのよ。」という冗談を言っていた。 Googleで検索するとどんな場所でもヒットするので驚く。

こちらは、同じくGoogleで出てきたブラジリアのボアッチの写真。Lago Sul(湖の南)のボアッチの内部写真。夜が更けるにつれて、男女でいっぱいになる。ビートのきいた音楽が大音量で流れている。15年前には、この地域は豪邸の建ち並んだ地域で、ボアッチはなかった。

主がブラジルの首都ブラジリアに赴任した時、日本でボアッチというナイトクラブの存在は聞いていたのだが、どうも風俗系のことを人に聞くのが恥ずかしいタチなので、職場の人に聞けなかった。そのため、ボアッチの存在はかなり長い間よくわからなかった。しかし、さすがに1年を過ぎる辺りから事情が徐々に分かってきた。

ブラジルの法律は、日本の売春防止法のような法律がなく、組織的な売春は違法であるものの、個人が自由恋愛することは禁止されていない。日本も、組織(営業)が絡まない、「援助交際」という名目で個人が自由恋愛している分には問題ないらしいので、細かくは違うだろうが、どちらも似たようなものだと思う。

最近は日本も、途上国化が激しいので、女性の供給は増える一方で、かなりブラジル化していると思うが、ブラジルはやはり何といっても日本以上に格差が大きいので、ボアッチで稼ごうという女性は多い。端的に言ってしまえば、ボアッチ以外でも、道路の特定の場所で、こうした女性が、車のドライバー目当てに客引きをしている場所もある。

また新聞の求人(募集)欄に、こういう種類のお姉ちゃん(お兄ちゃんも?)が、例えば、『混血、美人、大柄。20歳。電話******』とか、広告を載せていた。主は、結構長くブラジルにいたのだが、このことに気づいたのは、かなり時間がたってからだ。ブラジリアの職場の現地スタッフによれば、ブラジルではどんな田舎へ行っても、この種のサービス?、仕事?は必ずあり、お金次第で、超高級なものから長距離トラックの運転手向けのもの、違法な子供が出てくるもの、同性愛向けもあるということだった。

ブラジルの女性は、全般に、日本人のように照れることもなく、フランクだ。ボアッチは、男性が入場料として料金を払うが、女性は無料でやって来ており、お酒を飲みながら、女性と話をすることを目的に来る男性も多い。意気投合すれば、一緒に出ていくこともある。店の女性の管理が厳しくないので、電話番号を教えてもらって、直接電話して、食事に誘ったりすることも可能だ。

おしまい

タダほど高いものはない マスコミの報道

主は、これまでテレビや新聞などのニュースを見たり読んだりすれば、世間のことに詳しくなり、そうすれば、正確な判断ができるとずっと思っていた。

しかし、ここ1年、政治や経済系の専門書を読み、YOUTUBE、TWITTERを主な情報ソースにしたら、テレビやマスコミの従来型のメディアは、スポンサーの意向や為政者の願望などにコントロールされていると思うようになった。

つまり、こうした無料で手に入るテレビの放送や、お金を払うと言っても安く大量に情報が流される新聞やNHKなどを含めて、真実を報道しようとする意思がないと思うようになってきた。 どうも真実は違うところにあり、タダや安く手軽に手に入るテレビ、新聞の報道は、意図され操作されたものであり、間違った方向性を帯びたものだと思うようになった。

ただし、このこうした傾向の厄介なところは、日本に限らずどうも世界規模で同じ問題を抱えていると思われることだ。

一番わかりやすい例が、トランプのアメリカ大統領選挙だろう。

日経新聞から

トランプもバイデンも、グローバリズムの仕組みが最も恩恵を得られる巨大金融資本(エスタブリッシュメントといっても良い)の支配や支援を、根っこのところで受けている点では同じなのだが、トランプは、アメリカにいる約半数の国民である、グローバリズムの恩恵を受けず貧しくなった白人を集票の基盤の中心にしている点が、バイデンと異なっている。

ところが(というか「当然」というべきか、微妙なのだが)、アメリカ中のマスコミや、産業界、経済界を始め、他の医療、教育などの分野も、巨大金融資本(エスタブリッシュメント)が支配しており、巨大金融資本(エスタブリッシュメント)にとっては、グローバリズム、自由貿易、規制緩和が自分の利益にとって最も都合が良い。ツイッター社は、トランプの投稿を信ぴょう性が疑問としてブロックし、大手テレビ局はトランプの記者会見を途中で打ち切りさえした。

そのことからトランプは、「たった一人の反乱」といった報道のされ方をしており、往生際の悪いエゴイストと表現されている。 こうした報道は、アメリカに限ったことではなく、日本ではさらに徹底していると言われ、トランプに好意的な報道はゼロである。また、ヨーロッパなどでも同じだろう。

何故こうなっているかということを、一言だけ背景の説明をすると、まさに陰謀論なのだが、世界は、19世紀に起こった石油を中心とする巨大金融資本(ロスチャイルドとロックフェラー)をルーツに持つ末裔たちに支配されているという人がいる。

この巨大金融資本が勃興するプロセスで、富を独り占めする資本家への国民の猛反発が起こる。すなわち、巨大金融資本が、周囲の国民から潰されるほど危機感が高まった時期がある。この時、ロスチャイルドとロックフェラーは、世間の非難が自分たちへ向かわない方法を考える必要に迫られ、解決法として自分たち以外の国民の敵を別に作る、という戦略をとる。

すなわちそれは、一番驚くのだが、陰で行った共産主義者に対する支援であり、黒人への教育・社会参加、あらゆる分野の社会貢献を通じた世論形成など、自分たちの隠れ蓑を巧妙に作ることだった。 こうした流れの中で、独自の道を行っていたバブル期の日本潰しなども含まれる。

また、新型コロナの騒動もそうである。

日本のマスコミは、臨床医たちの意見を引用し、この冬に向かって第三波、第四波の感染者が急激に増加し、医療崩壊が起こらないかと危惧する報道が一般的だが、新型コロナの評価には、別の見解があり、そもそも、8月の安倍首相が退任する際に、コロナは2類から5類に扱いを下げると言われていたのに、菅総理になってうやむやになり、何も扱いを変えなかった。

日経新聞の記事から

つまり現状は、PCR検査を増やした結果、症状のない新型コロナ患者が多数発生しているものの、相変わらず2類に分類されるためピンピンした者が国の負担で治療を受けている。

主が知っている範囲のもっとも分かりやすい新型コロナの現状説明には、京都大学の上久保教授(検査技術科学コース准教授・癌創薬イノベーション研究室の室長)のもの、同じ京都大学の宮沢孝之准教授(獣医学者、ウイルス・再生医科学研究所准教授)の2種類がある。

この上久保教授が言われていることだが、PCR検査をして、陽性になるかどうかというのは、カットオフ値というものがあり、これをどこに置くかで如何様にもなる。つまり、ほとんどの国民はカットオフ値に至らずとも免疫を持っており、この教授によると、現在、補足される陽性者は、再罹患であり、免疫を持っているために自然治癒する性質のものであるという。

NEWSPOSTセブンに分かりやすく要約されているので、下にリンクを貼った。

京大教授「日本人はコロナを克服。年末に終焉」説の論拠

この上の記事に書かれている上久保教授の説明の要約になるが、簡単に説明すると、2019年の10月ころから、従来型のインフルエンザが減少するにつれ新型コロナが増えてきた。この二つのインフルエンザは、ウイルス干渉という現象のため、同時には流行しない。この流行プロセスを詳細に調べると日本はロックダウンが遅れたことが幸いし、何度も変異した新型コロナが蔓延した結果、既に集団免疫を獲得しているというものだ。

一方の宮沢氏の見解は、上久保教授よりYOUTUBEで回数多く試聴されており、免疫に触れていないものの、新型コロナ感染拡大のピークは過ぎており、過剰な自粛は必要ない、ウイルスと共存できるというものだ。

たしかにアメリカ、ヨーロッパでも感染が拡大しているという報道がある。しかし、死者数はこの春と比べると激減している。欧米は日本と違い、免疫ができていない状態で強毒性のウイルスに暴露したために、被害が大きいのは事実であるが、やはり、もう上久保教授によれば欧米も集団免疫を獲得しているという。

欧米の各地で、今後もロックダウンということになっているが、前述したとおり、死者数で見ると激減しており、これも政治家、マスコミ側に意図があるように感じられる。

それは日本も同じなのだが、医療関係者(臨床医と製薬会社)、政治家やマスコミにとってコロナ危機は、自分たちのステータスをあげる絶好機であり、ワクチンを開発する動機を持つ国、購入する国にとっては、簡単に新型コロナ・パンデミックという医療危機が、単なる普通の風邪・インフルエンザに変わっては困る。政治家は、単に世間の風向きを一番気にして、国民(この場合はマスコミ)からバッシングされることを恐れており、国民が不幸になろうと、国が傾こうと一向に気にしていない。 つまり、どこの国の政権にとっても、マスコミや世間にハレーションを起こしてまで、真実を明らかにして国民を救うことより、反対の大合唱になって支持率を失わないようにすることの方が優先するのだ。

おしまい

紅葉の季節 水戸もみじ谷、千波湖、偕楽園へ行ってきた

11月18日、今年は台風が少なく紅葉が奇麗というので、前から一度行きたいと思っていた水戸の偕楽園に行ってきた。この日は天気に恵まれたのだが、さすがに日本三名園の一つと言われるだけあって素晴らしいものだった。

紅葉を目当てに行ったので、最初に、偕楽園の線路を挟んだ反対側にあるもみじ谷へ行った。

それほど、長い距離ではないのだが、気持ちの良い公園を歩ける。道路が平行しているので、完全な静寂の地というわけではない。平地のせいか、まだ完全に紅葉していない木もあり、しばらく見ごろが続きそうだった。

もみじ谷の入り口
とってもキレイ
紅葉していないもみじもある

残念ながら行かなかったが、もみじ谷では夜間ライトアップもしている。隣の護国神社へも行ったが、こちらもとても感じの良いところだ。

こちら、もみじ谷のお隣の護国神社

ランチは、千波湖(せんばこ)に面した好文Cafeへ行った。ほどほどの値段のカジュアルなレストランで、テーブルから千波湖レークビューを楽しめる。この日は、ちょっとした小春日和で、外のテラス席や屋上でもランチを楽しむ人がいた。

好文Cafe
千波湖から市街地を望む

さていよいよ、偕楽園である。ガイドブックに従い陰と陽の世界を実感するために好文亭表門から入る。まず、陰の世界からスタートである。

好文亭表門
一ノ木戸
鬱蒼たる森、左は竹林

好文亭に入るといきなり、室内から明るい庭が見える仕掛けになっている!

こちら最上階(3階)は楽寿楼という名前だが、パンフレットによると、幕末のお殿様(徳川斉昭)が領民と周囲の景色を楽しむ目的で作ったと言われる場所である。

楽寿楼
室内と風景はこんな感じ
とってもキレイ

あいにくだったが、現在、好文亭の一部は改修中で、すべては見ることができなかった。しかしながら、工事現場である内部も、歩きながら見れるようになっている。

ところで茨城県は、都道府県魅力度ワーストワンを7年続けたのだが、やっと2020年、最下位を脱出したという。主は、こういう調査に信ぴょう性を何ら感じず、逆に悪意を感じる。ニュースは、知事を先頭に県庁全体が努力した結果という報道のベクトルだったが、マスコミは言えるのかよ、自分はどうなんだと突っ込みたくなる。

その茨城県の県庁所在地の水戸、徳川御三家の一角、さすがに歴史を感じさせて、とても魅力的だった。県庁所在地はどこも、当然ながら、歴史の蓄積と魅力がある。

その帰りにスマホのGoogleさんに訊いて、近くで口コミの良い喫茶店で休もうとした。1軒目に行こうとした一風変わったノラズカフェ(★4.2)は、「コロナで15時閉店です。」と言われたのだが、まともに看板をあげていない古民家だった。

Googleに教えてもらったノラズカフェ

それで、二軒目に目指したのが、表通りを一筋中に入った駐車場のない場所にあると思われる、CAFE RIN(★3.9)。車でぐるぐる回ったのだが、残念ながら、見つからなかった。

二軒目のCAFERIN、見つからず

そうこう裏通りを走るうちに、水戸の風俗街!に突入してしまった。どうも、Googleさんは一風変わったマニアックな店を紹介したがる。

これはこれで、なかなかこれも趣があってよろしい。どんな都会にも陰と陽はある。朝もあれば夜もある。写真を探すのにあれこれググったら、けっこうディープな場所が他にもあるみたいだった。

両側に風俗店が並ぶ一角に突入。ググりました。

おしまい

リフレ派の間違い 浜田宏一氏、黒田日銀総裁など

ELLEから 真ん中がオカシオ・コルテス

主は、安倍政権の登場以来ずっとリフレ派といわれる経済学者を支持して、ブログを書いたりしてきたのだが、いつまでたっても一向に景気が回復せず、今年、MMT(Modern Monetary Theory=現代貨幣理論です。)を知って、リフレ派のどこが間違っていたのかがようやく分かるようになった。

主流派経済学者の中にリフレ派といわれるグループがあり、浜田宏一さん、若田部昌澄さん、安達誠司さんなどがおり、黒田日銀総裁もその中に入れて間違いがないだろう。

彼らは、量的緩和による金融政策で、市中に通貨を大量に供給し、金利を下げることで経済を刺激することでデフレを脱出しようと考える人たちである。具体的には、銀行などの民間が保有する国債を日銀が大量に買い取り、通貨を市中に供給すれば、投資に回りやすいだろうというのが目論見である。

しかし、このリフレ派の量的緩和は、リフレ派以外の主流派経済学者から、この方策はカンフル注射見たいものなので、いつまでもやるべきでない、出口戦略を練るべきだと当初から評判が悪かった。

ここで注意したいのは、このリフレ派、リフレ派以外のどちらも、新自由主義、新古典派と言われる主流派の経済学者である。(詳しくは書かないが、グローバリズム、自由貿易、小さな政府などが理論の中心になります。)

一方、非主流派(だが、正しい!)のMMTは、主流派経済学と貨幣観のところが全く違う。

主流派経済学の貨幣観は、昔、希少な貝殻を貨幣の代わりに使っていたことを起源とし、やがてアメリカで金本位制が導入されたように、貨幣は「金」との交換を約束する証書であり、政府は「金」がなければ貨幣を発行できなかった。大戦後、「金」と交換しない不換紙幣、管理通貨制度(政府の裁量で通貨が発行できる)の時代になるのだが、主流派は、従来の貨幣観をアップデートしなかった。ここに間違いがある。

つまり、MMTは、現代の主権国家(変動相場制のものとで自国通貨建てで国債を発行できる。)である、日本、アメリカ、イギリスなどは、インフレにならない限り国債を、いくらでも発行可能だという。

そして、発行した国債を元手に政府がお金を手にして、民間企業や国民に公共事業や年金給付などでお金を使うと、企業や国民の資産が増える。

また、通貨のうちの1万円などの紙幣は、2割程度の流通量にすぎず、残り8割は銀行預金なのだが、この銀行預金は、いくらでも元手なしに銀行が発行できる。すなわち、ソフトバンクがみずほ銀行から1兆円融資を受けるとしよう。そのとき、みずほ銀行は、ソフトバンクの口座に、1兆円とデータを入力するだけである。それで、1兆円の通貨が増え、ソフトバンクが手にする。

こうして考えると、浜田宏一さんや黒田日銀総裁のやってきた(異次元の)量的緩和というのは、国債を銀行から買い集めただけで、売却代金を手にした銀行にとって、ほとんど運用先がない、借り手がいないブタ積みになっているだけなので、たいした効果がない。

このように書くと、「政府がいくらでも国債を発行できるなら、税金を取る必要がない」という意見が出るだろうが、① 政府が税金を取り納税の手段として認めることで、通貨を人々が求めるようになる効果と、② 景気の調整、不公平の是正の手段として、税金は非常に重要である。

しかし一方で、このようなバラ色のMMTが、なぜ世間で認知されないのかという問題がある。

このMMTの理論は難しいものではないし、経済に興味がある人には、雑誌でもYOUTUBEでも見る機会はいっぱいあり、財務省の役人も国会で追及されているので、十分に知っているはずだ。しかし、国債を財源に国民にお金をバラまいたり、消費税を廃止して景気が良くなったら、主流派経済学者や財務省、マスコミのメンツは丸つぶれだ。20年以上続いた不景気で、苦しい人生を歩んだ人は限りなく大勢いるだろう。

そんなところで「王様は裸だ!」とバラしても、権力者たちは簡単に認めるわけにはいかない。

ただし、世界中でコロナ禍で、各国政府が財政支出を拡大している現状がある。

日本も、第3次補正予算が議論にあがり、100兆円程度の支出になるかもしれない。これは、2年分の予算になる。バカなことを素面でいう池上彰氏や、小林慶一郎氏をはじめとする主流派経済学者のバカな連中が、コロナが終わったら増税だと言っているようだが、まず、自身の非を認めるか、発言を控えてもらいたい。まず、マインドチェンジが必要だ。この100兆円の支出を行っても、国債は暴落せず、金利も上昇しない、主流派が説明できない事態が続く。

アメリカでは、カマラ・ハリス(=医者と大学教授の娘、夫は弁護士で、けっこうエスタブリッシュ。)が、副大統領になる可能性があるが、もう一人人気のある下院議員オカシオ・コルテス(ブロンクス生まれ、本当の貧乏人育ち。)がおり、主は、バーニー・サンダースともどもこちらを好んでいる。オカシオ・コルテス、バーニー・サンダースともに、MMTをバックグラウンドにしている。

さらに白状すると、グローバリズムにたった一人で反対を唱えているトランプ大統領の支持者でもある。

アメリカ民主党の人気女性議員、ELLE : カマラ・ハリス&オカシオ・コルテスを徹底比較

おまけ

下が、MMTの重鎮、ニューヨーク州立大学ステファニー・ケルトン教授。オカシオ・コルテス、ステファニー・ケルトンと美人ぞろいで、ブログの趣旨が変わってしまったかな。

ステファニー・ケルトン WIKIPEDIAから

おしまい

スターバックスコーヒー

主は定年退職後、自由時間が増えた。ところが、パートで働いている日を別にすると、じっとしていられず運動をしているか、もっぱら大きなショッピングセンターをうろうろしている。 買い物もするのだが、本を読んだり、ノートパソコンを開いていることも多いので、喫茶店へよく行く。

そうした理由で、喫茶店遍歴をしているのだが、今はほぼほぼスタバになってしまった。長い時間、落ち着いて過ごすのには、スタバの客層が一番大人しいというか、他人をジロジロ見たりすることなく、お互い不快な思いをすることがいちばん少ないというのが理由である。

スタバ お世話になってます

最初のうちは、値段の安さが一番のマクドナルドへよく行っていた。マクドは、コーヒーが100円、アイス系が150円からあり、コスパ最高なので、もっぱら両方頼んでいた。マクドは、家族連れ、高校生、平日は老人も多い。週末、お客がごった返すと床など汚いこともある。騒がしい。 

ミスタードーナツもよく行った。ホットコーヒーがお代わり自由で、ドーナツを加えても400円ほどで食べれる。ミスドは、高校生や、お母さんと幼児などの組み合わせが多いように感じる。独立した店構えより、スーパーマーケットのフードコートにある場合が多い気がする。 

ドトールコーヒーへも、よく行った。こちらは、コーヒーが300円弱である。ここは、駅前など場所によるのだろうが、主の地元では、老人が非常に多い。また、学生の勉強部屋になっていることも多い。唯一、喫煙室がある。

また、喫茶店というよりレストランのカテゴリーであるが、昔の会社の先輩とは、毎回決まってサイゼリアに行く。ここは平日のランチにドリンクバーをつけて、税込610円という破格値である。ここで毎回何時間もさまざまな会話を楽しんでいる。いくら粘っても店員が嫌な顔をするということがない。

ここからは、なぜスターバックスなのかというお話である。是非、飲食店などの運営に関係しておられるなら、参考にしてもらえれるとうれしい。

まず、WiFiが使いやすい。 ノートパソコンを開くと、簡単にFREE WIFIにつながる。イオンなどのスーパーのフードコートなどの共有スペースで、FREE WIFIを使おうとしたことがあるが、PC側で警告メッセージが出たり、使い勝手が悪かった。おそらく、経営側の偉い人は「うちのフードコートはWIFIがある。」と思っているのだろうが、実際に自分で使ったことがないに違いない。経営者は部下任せにせず、スタバと是非比べてもらいたい。

お次。アプリがよくできている。このアプリをインストールし、お金をチャージしていれば店頭で小銭を出さずに買えるし、店の近くまで来たタイミングで、アプリで商品を注文すれば、レジに並ばずに受け取ることができる。チャージ額が減った段階で、一定額を自動的に追加する機能もあり、とても便利である。以前は、プリペイドカード方式だったが、アプリになって数段良くなった。

スタバのアプリ

欠点としては、他のチェーンと比べると値段が若干高めなことである。コーヒーとケーキを頼むと、ケーキの種類によって800円くらいすることもある。フラペチーノ類も500円以上して高いが、若い女性には人気で、きっとお洒落な感じが楽しいのだろうと思う。


コロナ禍でお客が減る中、スタバは相変わらず人気だ。 その理由は、お店に魅力があるからだろうと思う。店員さんは若くて感じのいい男女が多いし、礼儀正しい。それよりも、行く気になるのは、来ているお客が、温厚というか変な客が少ない。静かな客だけではなく、女性客同士で会話を楽しんでいたり、男女だったり、赤ちゃんを連れたお母さんと友人だったりするのだが、そういう客に非難の目を向ける客もいない。すべての客たちが、その自身の空気の中にいて、他の客を妨害しない、という感じがある。 そのような雰囲気になるように店が作られているのだろう。

日本は不景気が続き、安くて品質の良いものを提供しようと効率のみを追求してきた。たしかに、マクドナルドは、驚異的な安さで大量に商品を供給するモデルで成功した。他のミスタードーナツ、ドトールコーヒー、サイゼリアもそう考えているだろう。

しかし、消費者はコストだけではないパーフォーマンスも求めている。少し割高でも、他人に邪魔されない落ち着く空間と時間が欲しい時が、結構あるからだ。

おしまい

テスラ 異次元のイーロン・マスク ガラパゴスの日本

消費税廃止を訴えて自民党の先頭で旗を振ってられる国会議員に、参議院の西田昌司さんがいる。非常な炯眼の持ち主で、財務省や国会で消費税廃止をはっきりと訴えているのだが、自民で権力を握る幹部連中は、耳を貸す気がない。

この西田議員は、YOUTUBEでも活動を普段から行っていて、テスラが与える自動車業界への衝撃についての動画をアップされている。この動画に限らず、どの動画もインパクトがあり、お勧めだ。

西田議員もテスラについて、うかつにも知らなかった、初めて知ったということを言われているが、主もこんな状況になっているとはつゆ知らなかった。マスコミなどの報道も、耳に優しいことばかりしか言わず、肝心なことにはフォーカスしていないのだろうと思う。

詳しくは下の動画が、その出所である。面白いので、ぜひ見てください。

西田さんが言われているのは、まったく宣伝をしないテスラの電気自動車、一番安いタイプがもう日本でも5百万円ほどで販売されており、その性能・品質がこれまでの既成概念を打ち破る桁外れの出来だそうだ。

テスラの電気モーターによる発進時の加速は、これまでのポルシェなどのスーパーカーの上を行く(一番安いモデルで、0-100キロ、3秒!)ものであり、航続距離も500キロ以上あり、しかも自動運転がかなりできる。

モデル3

ところで、ちょうど今日(2020.11.11)のNHKニュースで、ホンダ車のレジェンドが、レベル3の自動運転を搭載した車を発表し、高速道路で渋滞している場合に自動運転ができるということを伝えていた。このニュースを聞くと、日本の技術が世界初の実用化を果たし、世界のトップにあるのかなと思ってしまうが、実はテスラの方は完成間際であることが隠されているとしか思えない報道の仕方である。

テスラの自動運転については、アメリカでは自動運転のベータ版(完全版の一歩手前バージョン)が提供されている。ただし、日本では「・・・同時に規制当局による認可も必要で、国や地域によっては長い時間がかかることが予測されます。・・」との記述がホームページに書かれている。

レベル3の自動運転 ホンダレジェンド

西田議員によると、もうこれは、既存の製品と次元が違う。「車というより、ロボット」だそうだ。この値段は、あと数年すれば300万円に下がるだろう。そうすると、既存のガソリン車はおろか、ハイブリッド車も存在できないだろう。

ところが、日本はこの10年、官民を挙げてガソリン車から電気自動車への移行のつなぎとして、水素自動車の開発を支援してきた経緯があり、全国に水素ステーションを普及させようとしている。それでは間に合わない、早急に電気に転換すべきだ、また、ガラパゴス化すると警告している。

このテスラは、2020年7月、株式の時価総額でトヨタを抜いたとか言われるが、設立者はあの有名なイーロン・マスクである。

このイーロンマスクは、自動車だけでない。宇宙に進出しているスペースエックス社も経営している。ZOZOTOWNの前社長の前澤さんが女優の剛力彩芽さんともども宇宙旅行を申し込んだことで有名だ。

このスペースエックス社、単に民間企業が宇宙ロケット分野に進出したというだけではない。3年前の動画があるのだが、これがまた、めちゃ凄い。エンジン部分だけが、元の場所に飛んで戻ってくるのだ。下の動画が、実写である。

このロケット、下部についたメイン・エンジンの推進力で打ち上げられるのだが、頭部のコックピットを切り離した後、メイン・エンジンが、地球を周回して、逆噴射を繰り返しながら発射地点に戻ってくる!!これまで、エンジン部分といえば、海に墜落していたイメージしかないが、地球を周回して、姿勢を変えつつ同じ場所に見事に戻ってくる。めちゃ凄い!

昔馴染みのスペースシャトルは、飛行機の上に乗った子亀のような宇宙船が宇宙へ行った後、地上に戻ってきていたが、打ち上げの終わったエンジンが自動飛行して戻ってくるというのは、結構不気味な感じもして、語彙不足で恥ずかしいが、凄いという言葉しか出てこない。

このイーロン・マスクのアイデアは無限で、列車を真空状のチューブのハイパーループに入れて、時速1000キロで走らせるという。こちらも、規模を縮小した形で実際の工事が始まっている。下が、写真と記事のリンクだ。

BUSSINESSINSIDER誌から

https://wired.jp/2019/04/25/elon-musks-boring-company-takes-small-step-toward-reality/

おしまい

テニスクラブ 猿山に登る猿たちの熾烈な戦い!?

(2023/4/22 修正しました。)

久々にテニスネタを披露したい。

と、いいながらグレン・グールドが、他のクラシックピアニストたちのことを「ジブラルタルの猿[1]だ。」と侮蔑的に評していたのを思い出した。テニスクラブの会員たちも同じようなもんだなと、親爺は思った。(グールドの発言の注釈について、ChatGPTに聞いた答えを次に掲げた。しかし、ChatGPTは、なんか間違っているような気がする。怪しい。)

[1] ChatGPTの答え。「グレン・グールドは、他のピアニストを「ジブラルタルの猿」と表現することで、彼らが自動的で、繰り返し同じことを行う生き物に例えていました。この表現は、彼の1974年に放送されたCBCのドキュメンタリー「On the Record」で語られました。彼はこうした発言を通じて、自分の演奏スタイルが他のピアニストとは異なり、独自の解釈と創造性を持っていることを主張していました。」


グレン・グールドは、他のピアニストを「ジブラルタルの猿」と表現することで、彼らが自動的で、繰り返し同じことを行う生き物に例えていました。この表現は、彼の1974年に放送されたCBCのドキュメンタリー「On the Record」で語られました。彼はこうした発言を通じて、自分の演奏スタイルが他のピアニストとは異なり、独自の解釈と創造性を持っていることを主張していました。

ヨーロッパで唯一、野生の猿が生息する場所として有名なジブラルタルがあり、標高400メートルの「ザ・ロック」に猿たちが暮らしている。(ジブラルタルはスペインの南の端にあり、向かいはアフリカのモロッコである。)

「ザ・ロック」野生の猿

主が所属するテニスクラブは結構規模が大きい方で、テニスコートが約20面あり、そのうちハードコートは4面、残りはオムニコートである。周囲は林に囲まれていて緑も多く、結構恵まれた環境である。

そのため、バブル華やかしころには、プロの下部大会が開かれていた。下部大会には、フューチャーズとチャレンジャーがあり、上位のATPツアー(女子はWTAツアー)を目指す若者が世界を転戦しており、彼らと出くわすことがあった。

錦織選手がお笑い系テニス番組に出たセンターコート

最近では、錦織選手が出演する年末に放送されるお笑い系のテニス番組のロケが行われたことがあり、テニスクラブのメンバーには風呂場で一緒だったという者がいる。

そんなで、規模が大きくメンバーの数も多く、高齢化したメンバーの間で、ジブラルタルの猿山の頂上を目指すシビアなマウンティング合戦が、日々繰り広げられている。

テニスをしない人にはピンとこないかも知れないが、テニスをプレーする場所には、スクールとクラブがあるのだが、日本人選手の活躍で、若者や子供に人気があるのは、スクールの方である。

テニスクラブの方は、テニス人口の絶対数の減少と高齢化による会員数の減少で潰れるクラブが近隣でもかなりある。クラブで相続があると、相続税を払えなくなり、閉鎖する場合もある。

そのような事情で、近隣のテニスクラブが閉鎖されると、市街化調整区域内にある大規模な我がクラブは、ブラックホールのように閉鎖されたテニスクラブのメンバーを吸収してきた。

テニスクラブのメンバーたちの多くが、少なくとも60歳以上の高齢者で、「超」がつくテニスホリックばかりである。彼らは、今の上皇、上皇后さまが、軽井沢でテニスをしていた1960年頃のテニスブームか、天地真理がスコート姿で「恋する夏の日」を歌ってブームになった1980年頃に、テニス歴を開始しており、テニス歴が半世紀ある者もザラである。

アイドルのはしり、天地真理。
「恋する夏の日」は、「あなた~を待つの~、テニス コ~ト」で始まる。メチャクチャヒットしました。

ここの老人たちは、学校の部活の硬式テニスクラブでテニスを習ったわけではなく、大半は自己流である。しかし、キャリア半世紀ともなると、それなりに上達する。ほぼ全員がフォアハンドが大得意である。バックハンドは下手だが、ロブやドロップショットはめっぽう上手い。また、長年のキャリアの蓄積で、相手の下手なところ、人のいないところへ打つ技術も半端ではない。 そのため、若者たちと対戦しても、クラブなどで本格的にやっていなければ、年季に勝る老人たちが勝つことになる。その結果、テニスクラブに気軽に若者が来ないというループが生まれる。

つまり、テニスという競技は不思議なところがあり、年をとっても衰えないどころか、いつまでも練習次第で上達する性質がある。言い方を変えれば、強化ジュニアに在籍する小学生が、大人相手に楽に勝てる競技であり、年寄りも下手な大学生ならばやっつけることができる競技でもある。

サラリーマンなら、現在の定年の年齢は一般的に65歳であるが、以前は60歳だった。この定年を迎えた、時間のたっぷりあるテニスクラブの老人たちは、どうなるか?

当然、他に趣味のない老人たちは、平日もテニスクラブへ通うようになる。そうすると、もともとベテランの彼らは、さらに凡ミスのないボールを自在に操るマウンティング猿への道を歩み始める。

基本的にテニスクラブは、メンバー同士がダブルスの試合を楽しむ場所なので、自然とうまければ尊敬を集める。座布団を積み上げた牢名主の位置に上がることができる。勝てば官軍の世界である。

世の中に上下関係があるように、テニスの技量にもうまい下手があり、大体似たようなレベルの者たちが群れることになる。

人間誰しも、ゲームで負け続けるとめげるし、行きたくなくなる。そのため、ゲームに対する姿勢は真剣だ。爺さん・婆さんたちが、勝敗にこだわってプレーしているのは「いったい何歳になったら煩悩を捨てられるの?!」という話なのだが、勝てばうれしいし、負けると悔しいという精神構造はいつまでも変わらない。むしろ、年齢を重ねるにつ入れて、頑固に、融通が利かなくなるのは間違がなく、感情のコントロールができなくなる。

しばらく前に最高齢の93歳の老猿が辞めたのだが、左右に走るのは得意だったが、前後には全く走れない年齢になっていた。ところが、試合では70歳代の対戦相手がドロップショットをしばしば繰り出していた。「そこまでして勝ちたいか!」と思うのだが、負けたくないのだ、誰も。実際、誰しも弱い相手と試合しても楽しくないし、強い相手に勝った時に最大の満足が得られる。そういう側面があるので、どの試合も真剣勝負になる。

つまり、テニスクラブは楽しみの社交の場ではなく、つまるところ修練・鍛錬の場であるという結論になる。

そうすると暇を持て余した老人たちのテニスの技量が上がるとき、中には技量が上がらない者、加齢により若い時のように体が動かなくなる者もあり、負けが込んできて、やがてクラブを去る者もでてくる。負けが込んできたときに、レベルの低い者たちに混じってプレーする者もあれば、退会してしまう者もある。つまり、誰でも、極端に負けが込まないように注意しつつ、テニスを続けるモチベーションを保とうと四苦八苦しているのは、確かである。

わがテニスクラブが所在するこの県では、年齢別大会、市主催の大会があり、そこでの優勝を目指しているメンバーが結構いる。JOPという5才刻みの全国テニスランキングもあり、このポイント獲得に、国内各地を転戦している者もいる。ベンチで話をしていると、そういう大会で勝つことが最大の目標になるというのが伝わってくる。

しかし、そうした県や市の大会で優勝した場合に得られるのは、自己満足の達成感、同じ価値観を持つ老猿たちの称賛だろう。賞品はせいぜいテニス用品と賞状で、エネルギーの空費なのは間違いない。プロのようなリアルな利得はなんにもない。 それなのに、みな熱い。このエネルギーの空費に、最大の努力を払っている。ジブラルタルの猿山の頂上を目指す戦いを、老猿たちが連日繰り広げている。

おしまい

せっかく買ったオーディオイヤホン失くしてしまった!

先日買ったオーディオイヤホンなのだが、どこへ行ったか分からなくなってしまった。けっこう値段が高かった(6万円程度)ので、心当たりの店などに問い合わせまくったのだが、出てこず、ガックリである。とほほ。最近加齢とともに、物忘れが酷いのだ。スマホも何度か忘れたことがある。こわ。

ソニーIER-7

今回、デジタルオーディオプレイヤー(DAP)とイヤホンの購入にあたって、日本製品を応援しようと大御所のソニーを選んだのだが、改めて専門雑誌を買ってじっくり比較してみた。この雑誌には、多くの評論家が選んだ様々な機種が紹介されている。

ところで、NHKが、朝の経済コーナーとニュースの2回、紹介していた会社があった。オーツェイドという社員5人ほどのイヤホンメーカーなのだが、安価な製品がバカ売れしており、「良い音を安く提供して、イヤホンメーカーのユニクロ、GUを目指しています」という社長の声を紹介していた。

おはBIZ 「ハイレゾイヤホン ヒットの秘密は“ガラケー”」

そういうわけで、速攻で秋葉原へ行って、実際に試聴してきた。

こちらが、NHKに紹介された会社の最近発売開始になったオーツェイド社のフラッグシップ機だ。安価な製品は、4,000円ほどからある。NHKがインタビューしていたE-イヤホンという専門店で、試聴した。この店では、あらゆるイヤホンが網羅されており、自分の持ち込んだプレイヤーを使って、好きなだけ試聴できる。

社員が5人しかいないこの会社が最近売り出した「受注生産」の《intime翔》を報告したい。音質だが、非常にいい音がする。グールドのバッハのパルティータなどをかけると音の良さだけで涙が出そうになる。音楽の演奏は、音が良いと印象がガラッと良くなる。聞こえてこなかった音が聞こえるからだろうと思う。我々は、生の楽器の音に惹かれることがよくあるが、この現象がイヤホンの良さでも起こる。

intime翔(税込66,000円)

ただ、大オーケストラが演奏するマーラーの交響曲(ハイレゾ)をかけた場合、突然のフォルテッシモになるところでは、シンバルの音などで「?」となる部分はある。データ量が少ないCD音質の録音では、大規模な交響曲の場合、忠実な再現をしようとすること自体が無理だと思う。それ以外の部分では、非常にきれいな音がする。

次は、線路の反対側にあるヨドバシカメラで試聴したスタックスという会社のヘッドホンである。ご覧の通りけっこう変わった形をしている。駆動方式が他のヘッドホンが違うのだが、音もまったく違う。びっくりするほど美しくて奇麗な音だ。ただ、このヘッドホンは、下の写真のドライバーという部品が別に必要だ。このため、二つ買うと結構な値段になる。この二つの製品の組み合わせが、先に書いた雑誌では高評価を得ていた。 しかし、この製品にはほかにも、10万円以下から、70万円くらいまでのラインナップがある。主は、ラインナップの中から、安いタイプのものをお金を貯めて買いたいと思っている次第である。もちろん、値段が高ければ音が良いのだが、安いものでも十分に良い音だ。

SR-L700 MK2(税別148,000円)
SRM-700T(税別298,000円)

あと、例によって辛口批評を一つ。何でもイヤホンを試聴できるE-イヤホンで、ソニーの最高級機IER-Z1R(税抜198,000円)を試聴したのだが、ソニーファンには申し訳ないが、はっきり言ってガッカリした。音に全然魅力がないのだ。雑誌の評価もほとんどないのも頷ける。がんばれ、ソニー!! 再起して、法人税をいっぱい国に収めてくれ!

おしまい