ハイパーマーケット

ポートモレスビーには、巨大なスーパーマーケットが何か所かある。

今回は、ビジョンシティと言う名のスーパーを紹介しよう。1階に売り場やらフードコートがあり、2階には電気屋などの専門店が入っており、3階には映画館がある。

売り場の様子は写真の感じ。大量に商品が並んであるが、日本のような品ぞろえの豊富さはなく同じものが大量に並んでいる。それでも、大概のものは揃う。写真は豚肉と魚の切り身の様子。肉は、日本のような薄いスライスは基本的にない。結構厚い塊である。魚は、写真ではわかりにくいかもしれないが、丸ごと一匹を輪切り(縦切り)にして売っている。肉はまだしも魚を輪切りにして売られていると、さすがにびっくりする。こちらには焼いて食べるという以外の調理法がないのだろう。表示も「魚ステーキ」となっている。現地職員に生魚を食べるか聞くと「そんな恐ろしい(terrible)ことはしない。」との答えだった。

商品は、殆どが輸入品。PNG産は、バナナ、ココヤシ、ヤムイモ、タロイモ、コーヒーぐらい。レタスも、キャベツも輸入品である。輸入品は、中国産、オーストラリア産、ニュージーランド産など。中国産の食品は、調味料、麺類など大きな棚を占めている。おそらく、中華系の人口が多いのだろう。

ビジョンシティ売り場豚肉魚

ビールじゃんけん

ポートモレスビーには、テニスコートが2か所しかないのだが、一つがAviat sport clubである。ここは名前がスポーツクラブと言うだけあって、スカッシュコートやジム、プール、レストランがあり、テニスコート2面がある、

ここで、土曜日、日曜日の午前中に欧米人、PNG人とプレーする。写真に赤いシャツを着た男が小さく写っているが、この男がボス的存在。日曜日はsocialと言って、会員ならだれでも参加できるのだが、土曜日はこの男が9時から12時までコートを貸し切っている関係でこの男の許可がいる。(もっとも普通にプレーできればOKだ。)

土曜日の夕方には日本人会のテニスを2時間やっている。日本人のテニス会は、わが社の社員や商社などの駐在員、PNG航空会社のパイロット、その家族、子供たちも来るので、賑やかかつ和やかにプレーする。テニスでひと汗流した後、盛り上がるのが、ビヤガーデンのようなスペースでするジャンケン。負けると全員の分をおごるというバトルを毎回やっている。ビールを飲むのは大体、6人~10人程度なので、日本円で、3000円程度をおごることになる。大勢でジャンケンをするとアイコが多くなるので、白熱し、声が大きくなるので、周りの店員や客も注目している。ブログの主はこのジャンケンがからきし弱い。何故なんだ!!

ジャンケンは無意識の場合、パーかグーを出してしまう。とっさに出しやすいからだ。当たり前だが、グーとパーだけならパーが勝つ。だが、パーを出しそうな相手にチョキを出せば、必勝法となるはずだと思うのだが、・・ところが負けてしまうのだ。(くっ)

Aviat正門テニスコート(Aviat)

ゴロカショー シンシン2

欧米人が大勢ゴロカショーを見に来ている。アジア人より、白人が多い。出演者にも白人が一人混じっていた。(毎年マッドマンになりに来る日本人がいるそうだが、今回は残念ながら会えなかった。)そして、誰を見ても大変なシャッターチャンス(全員フォトジェニック!)なので、非常に本格的・高性能なカメラを持って来ている人が多かった。

若い女の子は、さすがに上半身裸と言う子は非常に少なかった。10年前に旅行でこちらに来た人が全員が裸だったと言っていたが、年々、世界のすう勢が押し寄せてきたのだろう。やっぱり他の世界を知ってしまうと、服を着てカメラを持っている人の前で、裸は恥ずかしいかもしれない。

男も女も多いのは、顔・全身にペインティングをした豪華・おどろおどろしい仮装系。まったく人間離れしたものに変身しているグループもある。シンシンは、そもそもハレの日にやるものなので、毎日するものではない。戦いに勝った喜びも含まれるだろう。高揚する部族のしるしだろう。

また、会場にやってくる大勢の現地人観客は、乗り物を使ってやってくるわけではない。多くは何時間もかけて、二日、三日!かかって歩いてくるそうだ。現地の日本人から聞いた話だが、ゴロカにやってきたPNG人が、帰りの飛行機が不定期なので5日歩いて家まで帰ったそうだ。そのとき、ビーチサンダルを履いて帰るのは勿体ないので裸足で帰ったそうだ。girls若者

大群衆2緑人

ゴロカショー シンシン

PNGの独立記念日を含む3連休にゴロカというハイランドの街へ旅行した。

ポートモレスビーからゴロカまでプロペラ機で1時間ちょっと。乗客30人ほどが乗れるプロペラ機は驚きの定時運行!遅れることは当たり前、キャンセルも珍しくないこちらの航空機。何かの禍々しい前兆か?

特に禍々しいことは起こらなかった。ともあれ、写真を。シンシンと言うのは英語のsing singからきた言葉で踊りの意味だ。3枚目の写真は、マッドマンと撮ったもの。マッドマンと言う名前も凄い。独立記念日のこの日、全国各地からシンシングループがゴロカに集合する。ショーは朝10時から始まり、夕方まで続くのだが、12時まではツーリストタイム。我々ツーリストは一般の人の20倍の料金を払ったVIP待遇のため、12時までの間、フェンスの向こうの大群衆をしり目にゆっくり見る事が出来る。

料金の詳細は次のとおり。シンシンショーは3日あり、これをすべてVIP待遇で見ると約1万円。2日の場合は7千5百円。1日の場合は5000円。これに対し、12時から入場できる券は1回、250円。

シンシン2シンシン3MADMAN&soichi

トレッキング中に2人殺害

【2013年9月12日 AFP】(一部更新)
http://kizyo.publog.jp/archives/32886314.html
(ブログの主 注:上記のリンクのまるごとコピーです。)

プアニューギニアでトレッキング中のオーストラリア人とニュージーランド人の観光客グループが、盗賊とみられる男たちに襲われ、同行していたポーター2人がなたで惨殺される事件が起きた。被害に遭った観光客らが12日、首都ポートモレスビー(Port Moresby)で恐怖の体験をメディアに語った。

観光客8人らの一行は10日夕方、ジャングルに囲まれた北部モロベ(Morobe)州にあるトレッキングコース「ブラック・キャット・トラック(Black Cat Track)」で、 設営したテントの中で休んでいたところを槍やなた、ナイフなどで武装した6人の男たちに襲撃された。ポーター2人がなたで切り付けられて死亡。1人は、首がほとんど切り落とされた状態だったという。 槍で脚を突かれるなどしてオーストラリア人4人を含む複数の負傷者が出ており、6人は重傷という。

惨事を生き延びたニック・ベネット(Nick Bennet)さんが豪テレビ「チャンネル・ナイン(Channel Nine)」に語ったところによると、 当時は雨が降り出したため、一行は三々五々テントの中で休んでいた。 突然あたりが騒がしくなったが、「誰かが野生のカンガルーでも見つけたんだろうと思った」という。 「それから、何が起きているんだ?と思ってテントから頭を出したら、強い衝撃を(頭に)受けた。撃たれたんだと思った」とベネットさん。 頭から血を流しながら上を見上げると、覆面をした男がすぐそこに立っており、銃の台尻で殴られたのだと分かったという。 男たちがポーターたちに襲い掛かり、なたで切り刻むのをベネットさんは見ていた。「ぞっとする光景だった。(助かった)僕らは実に幸運だった」 一方、同じく生き延びることができたピーター・スティーブンス(Peter Stevens)さんは豪AAP通信(Australian Associated Press)に対し、 襲撃犯らは一行を地面に伏せさせ、荷物を漁ってパスポートから何から奪っていったと語った。男たちはブッシュナイフを手に襲いかかってきたが、うち2人は明らかに薬物の影響下にある状態だったという。

パプアニューギニアからの報道によれば、襲撃グループのうち3人は脱獄犯とみられる。 襲撃の目的は強盗だったとみられているが、トレッキング人気の高まりが地元社会には恩恵をもたらしていないことに反感が広がっていることも背景にあるのではないかとの報道もある。

 

百田尚樹 「永遠のゼロ」  ポートモレスビー上空の日米空戦

百田尚樹の「永遠のゼロ」を読んだ。「海賊とよばれた男」に続いて、あっという間に読んでしまった。「海賊とよばれた男」は大正時代から、太平洋戦争をはさみ現代へ続く話だが、「永遠のゼロは」特攻で死んだ祖父の人となりを孫たちがかつての戦友から戦後60年経って探し当てるというものだ。

この2冊を読むと太平洋戦争(当時は大東亜戦争)に巻き込まれた日本人がいかに真剣にこの時代を生きたか、涙なしで読めなかった。

それはさておき、太平洋戦争の舞台にパプアニューギニアも含まれることを漠然と知ってはいたが、日本軍航空隊の主要な基地がラバウルで、ポートモレスビーはアメリカ軍の基地のあったところ。 ガダルカナルに日本軍の設営隊がジャングルを切り開き飛行場を作ったとたん、完成を待っていた米軍に守備力の薄い日本軍は、この飛行場を奪われてしまう。日本軍はこのガダルカナルを取り返すために、最悪な戦法、戦力を小出しに投入する逐次投入をしてしまう。日本軍の被害が拡大し、日米最大の激戦地になる。 主人公は、今見ればおもちゃのようなゼロ戦でラバウルからソロモン・ガダルカナル島まで片道約1000キロを飛び、ガダルカナルでわずかな時間の戦闘を行い、燃料を気にしながらまた1000キロを戻るという大変な戦いをしていたのだ。 またポートモレスビーから4000メートル級のスタンレー山脈を越えたところの都市(ラエ)に日本軍航空隊の基地があった時期もあり、ポートモレスビー上空でもアメリカ軍とゼロ戦が空戦していたのだ。

同時に日本軍はポートモレスビーを攻略するため、この4000メートルある山脈を陸路で越えるという無謀な作戦を立て悲惨な結末を迎える。パプアニューギニアは、日米双方にとって重要な地域であり、あまりに悲惨な死に方をした日本人兵の魂が、今でも浮遊しているのではないかと思う。 戦況の悪化とともに、日本軍は「特攻」しか選択できなくなるが、特攻は志願だったのか命令だったのか、現代のテロの自爆とどう違うかを考えることが出来る。

一方で、当たり前と言えば当たり前だが、フィリピンやインドネシアも戦場だった。サイパンやグアムなども同様だ。勿論、アメリカと戦争を始める前から中国とも戦争をしており、その面積はすざましい。もし戦争に勝っていたら、世界1の面積の国だろう。

なぜ、戦争に負けたかということも書かれている。もちろん欧米列強との国際政治に負けて追い詰められた、戦争するという判断自体が誤っていたと思うが、現在の日本人は、当時の日本人のメンタリティ、スケール感を失ったと思う。

地図

ソロモン ホニアラその2

こちらに来てからはじめて知ったが、ソロモンの首都ホニアラがある島の名前はガダルカナルだった。太平洋戦争の激戦地餓島である。そうしたことから今でもその名残がある。

餓島大砲

上は、市内の中心部に残るものだ。

餓島(沈没船)餓島桟橋

こちらは、ホニアラ市街から少し離れたところだ。日本の沈没した輸送船と桟橋だそうである。 

「海賊とよばれた男」(百田尚樹)は、出光興産を作った出光佐三をモデルにした感動的な小説だ。この時代が背景になっている。日本軍は、開戦直後の半年間は快進撃するが、この快進撃の戦勝気分で気が緩み?!、ミッドウエー沖海戦、ガダルカナル島の戦いで大敗。その後優勢に立つことがなかった。 そもそも、日本は戦前の最大の資源提供国であるアメリカを敵に回した戦争をしていた。そのためアメリカに代わる資源の獲得先が必要であり、マレー半島やボルネオなどの太平洋地域から日本まで資源を運べるということが、戦争遂行の絶対的条件である。しかし、欧米列強をはねのけて、何千キロにも及ぶ地域の制海権、制空権が確保できると考えること自体に無理があったと思う。

パプア・ニューギニア、ソロモンへとジェット機で来て思うが、日本を離れてはるばる来たもんだと思う距離である。この時代の日本人の精神力を考えると圧倒される。しかし今なお、現地人と比べると(こういう比較は良くないかもしれないが)生産性という点では日本人はどこへ行っても通用しそうだ。

ソロモン ホニアラ出張

昨日からソロモンの首都ホニアラに来ている。この国No.2のなかなか立派な日系のホテルがあり、今夜は土曜日の夜だけあるという250ソロモンドル(3500円ほど)という破格値の寿司ブッフェをいただいた。白梅という高級感溢れる店構え。寿司ブッフェというタイトルだが、刺身はマグロのみ。刺身のつまが大根ではなく人参だが贅沢は言えない。

白梅マグロづくしマグロ刺身

そばもあった。デザートもあるぞ。見てくれもいまいちだが食べられるだけ素晴らしい!!

そばデザートお客は日本人というより、韓国やタイなどのアジア人が多いように思える 。ちなみに主。

私

ポートモレスビー/オカマの床屋

ポートモレスビーでどこへ散髪に行くか悩んでいたが、先達が行っているという、ちょっと遠い床屋に行くことにした。フィリピン人のオカマと訊いていたが、一目見るなりそれと分かる兄ちゃん(おねえちゃん)だった。ロングヘア。ばっちり化粧をしており、PNGで濃い化粧をしている人はいない。それで、濃い化粧をしているだけで、普通の人じゃない。

テーブル絵

こういう(テーブル敷を撮影)のは、化粧とは言わないかもしれないが、こういうものならシンシンでよく登場する。

さて、この散髪屋、ブログの主の英語力では「ほんの少しだけ髪を切ってくれ。」というのもなかなか伝わらず「not very short」という一言を彼が言うのだが、ブログの主がもごもごいうものの、毎回大胆に切られてしまう。

この店は奥でマッサージもやっており、1時間約5000円でマッサージを受けられる。この国で1時間5000円も稼げる庶民の仕事は他にきっとない。健全なマッサージだが、結構気持ちが良い。日本のショッピングセンターなどのマッサージ店などよりずっと本格的だ。主は、日本で「ヘルニア」「脊柱管狭窄症」と言われ鍼灸や整形外科のマッサージをよく受けていたが、やはり国家免許を持ったこれらに従事する専門家のマッサージがベスト。

我々外人が行く場所は、この床屋、レストラン、ショッピングセンター、テニスクラブなど必ず二重の鉄柵で囲まれている。敷地の内側に鉄柵を開ける警備員がおり、店の扉の前にも鉄柵があり、警備員が二重にいる。現地のパプアニューギニア人の仕事の仕事のほと  んどはこうした警備員だろう。

スーツがカビた! (ポートモレスビーの気候など)

パプアニューギニアは南半球にあるので8月は冬で、乾季である。しかし、スーツが黴てしまった。ほとんどない着る機会のないサマースーツとネクタイが、2か月クローゼットに下げていたらカビてしまった。薄手のウールのセーターも怪しい。間もなくカビそうだ。

パプアニューギニアの中でもポートモレスビーだけは、サバンナ気候で過ごしやすいとされている。だが、晴れていても湿度はかなり高い。隣人によると湿度が常に80%あるという。洗濯物がなかなか乾かない。洗濯機で脱水した綿製の衣類は、1日干しても乾かない。乾燥機で完全に乾燥させた衣類を手元に置いておくと、そのうち湿気を帯びてしっとりしている。

また、蚊などに刺されて皮膚を掻いたりするとすぐに傷になる気がする。体のどこかが、いつも傷になっている。(風土のせいか年のせいかわからいが・・)地方にいる同僚は、草むらなどで怪我をすると傷口から正体不明のばい菌が入り腫れてくると言う。また、そのような症状はよくあることなので特効薬が簡単に手に入るとも。

今の季節は冬であるが、日中はかなり暑い。平日は幸いクーラーの効いた部屋で過ごしているので、あまり気にならないが、まれに外出すると気温も高く、湿気も高い。誰にとってもせっせと働ける状況ではない。ブログの主は、毎週末テニスをしているが朝早い午前中・午後遅い時間にプレーする。正午前後はさすがにできない。

このあと夏になり、雨期になると、・・どうなるのだろう?

サバンナの雰囲気が出ている写真を1枚。ポートモレスビーから車で30分ほど離れた場所を撮影したもの。近くに首都の水源がある。ビールの絵は「SP」というブランドの国産ビール。少ない国産品の一つ、PNG人自慢のブランドである。

郊外の売店