もうそろそろ死にたい、と思っている年寄りは山のようにいる。ただ、死ぬのに痛い目をするとか、恐ろしい目にあいたくないという場合が多いのではないか。それでは、主は薬局で青酸カリを自殺用に売ればよいと考えていた。ただし、これには自殺に見せかけて殺人をする輩がきっと出てくるだろう。そんなことが起こるようでは、青酸カリを薬局で売るわけにはいかない。ちょっと、乱暴すぎ、現実味がないか。
こういう風に思っていたところ、眼からウロコの本を見つけた。いずれも幻冬舎新書であるが、 ①「思い通りの死に方」中村仁一 / 久坂部羊 ②「日本人の死に時」久坂部羊 ③「大学病院のウラは墓場 医学部が患者を殺す」久坂部羊 ④「大往生したけりゃ医療とかかわるな 自然死のすすめ」中村仁一 の4冊である。まず、この4冊の著者を簡単に紹介すると、中村仁一さんは、1940年生まれ京都大学医学部卒業、病院の院長を経て老人ホームの診療所長をされている。久坂部羊さんは、1955年生まれ大阪大学医学部卒業、読んでいるとパプアニューギニア大使館で医務官の経験があり、主はこの国の赴任中に、もちろん別の医務官だが、診察を受けたことがあり、世間は狭いなあと思う。この10年ほどは老人医療に携わる傍ら、ベストセラー「破裂」などの小説も書かれている。
われわれ普通の市民の側からすると、医療は昔と比べてどんどん進歩し、様々な病気を克服できるようになって科学技術の進歩は有難いと単純に考えているが、これらの本を読んでみると現実は大いに違っており、老人医療を考えた場合、延命技術は進歩したものの、「老いの克服」には程遠い。加齢から生じる老化現象には、現在の医療は無力であり、近い将来に克服できるものでもない。
日本人の寿命は世界一というところまで来ているが、この寿命を迎える年寄りが完全な元気ということはまったくない。老人医療は、病気を治すための医療ではなく、老化による麻痺や機能低下、認知症(老人性痴呆)、腰痛や耳鳴り、さらには末期がんなどであり、今までの医療からは見捨てられてきたものであるということだ。治らない状態の人を医学的に支えるというのが、老人医療であり、重視するのは治癒ではなく、本人のQOL(生活の質)ということだ。
だが、現実の医療の場面では「中途半端に助かってしまう人」が大量生産されており、今の介護危機を生んでいるのは容易に想像がつく。
現状の法律が非常にまずいと思ったことだが、老人の意識がないままに、腹部に穴をあけ栄養をチューブで送る胃ろうをしたり、人工呼吸器をつけて延命をする場合がある。いったんこの胃ろうや人工呼吸器をつける措置が始まると、途中で外すことは死へ直結するために、今の法律では誰も手を下すことができない。医師がこれらの器具を外せば、殺人罪に問われる。この結果、医療費をどんどん使いながら、意識のない患者が延命措置を施され続ける。こうした事態は、過去には起こり得なかったことだ。
マスコミの報道ぶりについて、主もまったく同感なのだが、皆の耳に心地よいことばかりが報道されており、過酷な現実はほとんど報道されない。老人医療についていえば、近い将来、老化が克服され、アンチエイジング技術の進歩で若返りできるような気分になっているが、まったくそうではないことがわかる。
ところで、主は61才。今のところテニスに明け暮れているとはいうものの、さすがにこの年齢になると、体調を常に意識しており、この後の人生をどう過ごして、いかに死ぬかを意識するようになってきた。
4冊の本のうち、「大学病院のウラは墓場 医学部が患者を殺す」だけは、他の本とは趣を異にしており、大学病院の実情や現在の医療制度の問題点など、かなり暴露話的な内容も含まれている。われわれ市民の側からすると、大学病院は高レベルの医療を受けられるところだろうと思ってしまうのだが、現実は単純ではないようだ。
重要な問題点が他にもさまざまに書かれているのだが、診療を受ける側にとってもっとも気になる点があり、一つだけ紹介したい。
患者は、優秀な技術を持った医師の治療を受けたい。だが、医師の側からすると、若い医師は未熟で技量も伴っていない。このため、若い医師が技術をレベルアップするためには、患者を練習台にする期間が必要だ。この両者の二律背反を解決する手立てはない。要は、患者は実験台にならざるを得ない。しかし、不慣れな研修医にはベテランのサポートがあり、最善の体制は取られている。もしもの事故に備えては、医師の技術を云々することなく、医療保険を充実させることだという。
そうした状況を踏まえると、繁殖期(繁殖が可能な時期、女性で50歳、男性で60歳まで)を過ぎると、病院に掛からず治療を施さずに、寿命を迎えるのがQOLが最も高く最善だ。
仮に大学病院で手術してもらうというのであれば、実験台にされる覚悟で行き、術後の厳しい闘病生活に耐える覚悟があるのならば良いのではないか。