なぜはまったか!(グレングールド(1932年~1982年)考4)

TOWER RECORDなどに行くとカナダ人ピアニストのグレン・グールドのCDやDVDが大量に販売されている。没後31年になるが、様々にリメークされて発売されおり、人気は衰えない。また、今では値段も安くなって買いやすい。(コンプリートバッハコレクションは、CD,DVD合わせて80枚ほど入っているが、わずか1万円少しで買える。昔、レコードからCDへの移行期、CD1枚3000円以上したと思う。)同様に、書籍も多数販売されており、未だに出版点数は増えている。

グールドは、1955年録音の「ゴールドベルグ変奏曲」でデビュー、名声を獲得するのだが、1982年に50歳で亡くなっている。死の前年に再録音した「ゴールドベルグ変奏曲」が遺作である。この時には、すでに多くの演奏家がこの曲を録音しており、ピアノ、チェンバロ、ギター、ジャズなどもあった。主の音楽CDの棚には、何種類もの「ゴールドベルグ変奏曲」があった。主は、特にクラシック音楽が大好きというわけではなく、音楽は静寂が恨めしい時、この恨めしさをを紛らわせるために流していた。

そうしたゆるいクラシックファンだった主だが、2年ほど前にレンタルで借りた二本の映画DVD「エクスタシス」と「アルケミスト(錬金術師)」をきっかけにして、グールドが音楽鑑賞の唯一の対象となった。ちょうどそのころ「天才ピアニストの愛と孤独」が日本でも封切られ、渋谷の映画館で見て感動した。

これらのドキュメンタリー形式の映画は、グールドの演奏のハイライトともいえる部分をバックで聴かせながら、いろんな人がグールドの印象について語り、出演者全員がグールドを絶賛する。このため、映画を見て、CDを聴く、これを繰り返すたびに彼の価値を、再発見することになる。

徐々に気づいたことは、音楽は耳を澄まして集中して聴くものということだ。音楽は勉強しながら聴くものでもなく、家事をしながら聴くものでもない、車を運転しながら聴くものでもない。耳を澄まして集中しながら聴いた時に感動するし、興奮もする。(そんなこと当たり前と言われそうだが、音楽に集中しつづけることは結構困難だ。)

後に知ったことだが、グールドは6歳の時に同級生と遊ぶことはやめ、対位法を勉強しようと決心する。10代には楽譜を読むことに没頭した時期がある。デビューし、コンサートピアニストとしての名声がピークの時に、コンサート会場でピアノを弾く事をやめ(コンサートドロップアウト)、スタジオを活動拠点にする。この時には、脚本を書き、4人の登場人物の映像と声を重ねるという実験的な対位法的ラジオ≪「孤独」三部作≫、対位法的テレビ≪北の理念≫という番組を作っている。

グールドの関心は和音ではなく、時間に沿って流れる複数(3声から4声)の旋律を、主役を時には並立させながら、また、時には交代させながら全曲を通じて弾くことにある。普通のピアニストは、主旋律だけを強調して弾く。もちろん、主旋律以外も意識しているが、あくまで短い時間だけだ。グールドだけが、対位法の分析しつつ曲全体を再構成して弾いている。頭の中で楽譜を再作曲した人なのだ。時には、作曲者ですら知らなかった良さを聴かせてくれる場合もある。

また、対位法と言えばバッハ。バッハ弾きと言われる所以もここにある。

消費される音楽(グレングールド考3)

グレングールド(カナダ人ピアニスト1932~82)の友人、プロデューサーだったバイオリニストのモン・サンジョンが、グールドは生前に音楽評論家から全く理解されなかったと語っている。

グールドは、集団としての観客を「悪」と言い、大喝采を浴びているカーテンコールの最中でさえ、「たった今の演奏は気に入らなかった。もう一度やり直したい。」と思っていたという。人気ピアニストの地位が不動になった32歳の時に「コンサートは死んだ。」と言い、コンサートから「ドロップ・アウト」宣言し、発表の場をスタジオに移してしまう。 グールドにとってスタジオは、やり直しができる最高に贅沢な場所だ。録音の前にはピアノに触れず、発想を縛らずアイデアを膨らませ、10通り以上の演奏法を頭に描きながらスタジオ入りする。そして、録音テープを聴き比べながら絞り込み、そのスタイルの演奏を気に入るまで何テイクも録音する。 そうして何日もかけ、必然と言えるスタイルを完成させる。

こうした方法で録音されたもの(コンサートを開いていた時期のものは絶賛か酷評)は、聴取者から大きな評価を得るものの、音楽評論家からは酷評されるづける。グールドがうまく演奏できたと考えたものでさえ酷評され、「評論家に気に入ってもらうためには、下手に弾かないといけない。」と言っている。(下手とは昔の演奏スタイルのこと。) 

この評論家がグールドを評価しない原因について、モンサンジョンはグールドの音楽が評論家にとって「脅威」だったのだと語っている。グールドの考えは常識(最高の演奏には生の観衆が必要だという通念)を覆すものだったし、コンサートを全否定した。グールドの方法論を認めれば、ベストな演奏が出てくればそれでお終い。毎回毎回、あれが良い、これが悪いという商売が成り立たなくなる。それを評論家は本能的に感じたのだろう。

モーツアルトのピアノソナタ11番は最後に「トルコ行進曲」がついていることもあり、誰もが知っている有名な曲だ。グールドは、この曲が「これまで多くの演奏家によってさまざまにアプローチされつくした」ため、極端に遅い、前代未聞のスタッカートで演奏し、聴く者の度肝を抜く。これを聴いたブログの主の女房は「近所の女の子が弾いているみたい。」と言ったほどだ。その後、徐々にスピードを上げ、グールド曰く「邪悪なところまで行き」、譜面にアダージョと指定されているところをアレグロで突っ走る! それでも、グールドの演奏に納得させられるのは、私だけではないだろう。

グールド(カナダ人ピアニスト1932~82)考その2

天才はどのように生まれるのか?

5歳から2年間、両親の計らいで同時代の子供たちと離れ、音楽に没頭する素晴らしい時期を過ごす事が出来る。一日にピアノを弾く時間は4時間までと決められていて、母親は、グールドをピアノから引き離すためにご褒美を用意する必要があった。放っておくと、何時間でもピアノを弾き続けたという。 6歳以降は、小学校へと行かざるを得なくなるのだが、粗野な同級生と団体行動が全くできず、授業時間ではなく休憩時間が耐え難かったと語っている。周囲からますます孤立して、音楽の世界(対位法の魅力)に深く逃げ込んだと言っている。映画「ヒアアフター(時の向うへ)」で子供時代の写真が出て来るが、この子供が同年代の子と全ての点で違っているのが一目でわかる。完全に内向的で社交性がない。野球をしてグラウンドを駆け回る少年や同級生とふざけあう少年の姿がまったくない。(映画「ヒアアフター」から)少年時代のグールド

下のリンクは、映画「天才ピアニストの愛と孤独」である。自分で「20世紀最後の清教徒」と言っているが、そういう雰囲気が感じられる。グールドが23歳でアメリカCBCのレコードデビューすると、一夜にして大ブレーク、女性ファンが彼の後に押し寄せたという。http://www.uplink.co.jp/gould/

彼が愛したものは三本足(ピアノのこと)、マイクロフォン(コンサートで演奏しなくなる代わりにレコーディングに表現の場を見つけ出す。)、子供時代から死ぬまで使い続けた椅子(巨匠と言われる指揮者ジョージセルとの共演で、リハーサルの前に30分以上延々とグールドがオーケストラを放り出し椅子の高さを調節する≪儀式≫に、頭にきたセルが「椅子の高さを調節するより、ケツを1インチの16分の1削ったら。」と言ったそうだ。)、色分けされたラベルの貼られた薬瓶5種類。(睡眠薬やら頭痛止め、緊張を和らげる薬、血液循環をよくする薬など。グールドは大量の薬を処方してもらうために複数の医者に同時に通っていたという。)他にも愛したものとは言えないが、数々の偏愛の品・奇行を彼は必要とした。

グールドに最も近い友人でバイオリニストのモン・サンジョンは、「ヒアアフター(時の向うへ)」でどんな有名な音楽家でも名誉欲や堕落したところがあると言い、それに比べて私生活でグールドは無欲だったという事を言っている。真の天才は世俗に自然と距離を置くのだろう。合掌。(^^)

グレングールド (カナダ人ピアニスト1932-1982)考

ほとんどクラシック音楽ではグレン・グールド以外は聴かなくなってしまった。

エクスタシー、これ以上ないというくらいの明晰さ。常にこの二面性を保ちつつ、彼の音楽は進んでいく。カナダ人というヨーロッパ音楽から少し距離を置いた位置に生まれたことが幸いしたのだろう。彼は10代最後の数年間を楽譜を読むことに没頭する。これまで演奏されていた常識と全く別の、彼独自の解釈を目の前に彫刻のように浮かび上がらせる。

バッハの鍵盤曲を弾く時、現れる複線のメロディーを対比しながら浮かび上がらせ、その演奏はスタッカート、レガート、テンポのアップダウン、音量の強弱、すべてが意識的にコントロールされ、コーダするときも途中で引き方を、ちょっと意外な弾き方を交え、聴いていて飽きるという事がない。残されたビデオ映像では、演奏するときの彼の様子から表現したい内容がより理解しやすく、さらに演奏に引き込まれる。

演奏のスタイルはあまりに独創的だ。10代の頃から50歳で没するまで使い続けた、何度も修理を繰り返したした異常に低い椅子。ヘッドホンで静かに聞いていると一定のリズムでこの椅子がきしむ音が録音されている。また、ピアノの演奏に合わせて歌う彼の唸り声。エンジニアは、録音を発売する際に如何にその唸り声を消去するかマイクロホンと格闘する。グールドの右手が最初のテーマを奏でるとき、左手は指揮者の腕のように指揮をしている。体を旋回させながら、どんな長い曲でも集中を切らすことなく、恍惚となる。グールドのように「フーガの技法」のテーマをこれほど遅く弾いて聴衆に共感を与えられるピアニストは他にいない。異常な遅さなのに緊張感を失わない。普通のピアニストには出来ない技だ。また、異常な速さで引く場合もある。ベートーベンの3番のピアノソナタは、聴いているこちらの耳が区別できないほどのスピードで疾走する。それでいて、主旋律をしっかり歌わせる。バロック時代のバッハ、古典時代と言われるベートーベンの曲をロマン派の曲のように歌うように聴かせる。バッハが映画音楽のようにロマンティックだ。

コンサートからドロップアウト(彼は32歳でコンサートホールの演奏を公開することはなくなった。)し、発表はスタジオ録音のみ。

一般的な常識では、クラシックの音楽家は、コンサートホールで如何に神がかった演奏をするか、その一回性が評価される。このため、一般的なクラシック演奏家はスタジオで録音するとき、その演奏家は彼の頭の中で考え抜いたただ1種類の演奏方法で録音しようとする。

グールドは、スタジオに10通り以上の演奏のアイデアを持ってくる。晩年の「ゴールドベルク変奏曲」のある変奏は26テイクにもなったとプロデューサーのモン・サンジョンが語っている。場合によっては、曲の途中のテープをつなぎ合わせることもする。全く録音時期の違うテープを配置することもある。こうした作業は、グールドの探求心が満たされるまで続けられる。何十テイクもある中で、素人には善し悪しが判別できないところで、グールドは試行錯誤しながら、様々なアイデアを試してみる。エンジニアがしびれを切らそうとも、グールドは納得がいくまでテイクをやめない。こうして発表された演奏は、ほぼ完ぺきな音楽だ。

モンサンジョンの言葉。「(GGは)分節ごとに作業ができ、なおかつその分節すべてをひとつにまとめ上げられる人間は、ごくわずかしかいません。GGは常に、作品全体を完璧にして理論的な目で見つめつつ、最初の一音から最後の一音に至るまで見事な整合性を持たせたうえで、同時に、分節ひとつひとつにも目を配っているのです。」(グレン・グールドシークレットライフから)

私は、ウイーンの巨匠フリードリヒグルダの演奏も好きだが、グールドの演奏はどこまでも考え抜かれており、作曲者が考えた以上の素晴らしさを聴く者に示してくれる。グールドは≪再作曲≫すると言われる所以だ。

GLENN GOULD 中毒 (書籍について)

グレン・グールドに関する書籍をいくつか読んだので、感想を書いてみる。

【小澤征爾さんと、音楽について話をする】

村上春樹、小澤征爾が二人で実際にレコードやCD、DVDを聴きながらの対談を行う。グレン・グールドのみを論じているわけではないが、冒頭にグールドの話題が出てくる。ここで取り上げているのは、ブラームスのピアノ協奏曲1番とベートーベンのピアノ協奏曲3番。ブラームスのピアノ協奏曲1番は、演奏の前にバーンスタインが聴衆に向かって、これから自分の意思とは異なり、非常にゆっくりしたスピードで演奏するというスピーチも前代未聞なら、”Who is the Boss, Conductor or Soloist ?” というフレーズに驚かされる。ベートーベンのピアノ協奏曲3番は、バーンスタイン版とカラヤン版の聴き比べである。

小澤征爾は1935年生まれなので、グールドより3歳年下ということになる。すでに人気が出ていたグールドをトロントでも知っていたし、自宅にもいったことがあるという。当時のことを、「グールドにまつわる活字にできないような話も小澤征爾から聞かされた。」と村上春樹が書いている。その中身は何だろうと興味をひかれて仕方ないが、小澤征爾のグールド評は的確だと思う。グールドに関する書籍はたくさん出版されているが、多くは、天才、変人、奇人という説明がなされるが、小澤征爾はグールドの音楽を「結局のところ自由な音楽」「間の取り方がうまい」と評している。 本書は、その後、マーラー、古楽器、マツモトキネン、オペラの話と話題を変えて行くが、やはり村上春樹のリードが上手で、オーケストラ、音楽がどのような過程を経て指揮者により作り出されるのがよく理解できる値打ちのある本だ。

【グレン・グールドのピアノ】

ケイティ・ハフナーというアメリカ人が書いた本だ。反応の素早い、軽いアクションのピアノに対する希求、調律師エドクイストの存在などグールドのこだわりが非常によくわる。グールドは自分に合った非常に敏感なアクションのピアノを求め続け、地元トロントにあったスタンウエイCD318にようやく巡り合うが、不運にも運送中の事故で壊れてしまう。グールドは困り果て、この時期ピアノを弾かずチェンバロの録音を出したりする。2回目のゴールドベルク変奏曲は、ヤマハのピアノで弾かれたものだ。DVDでそのピアノを見ることができるが、鍵盤の前の板にYAMAHAと書かれた部分が、本来ならあるはずだが、この板が取り外されており、ちょっと異様だ。 この本は、意味不明で感傷的な追及に力点がなく、事実に即して書かれており、読む値打ちがある。

【グレン・グールド 未来のピアニスト】

青柳いづみこの本。筑摩書房から2200円というこの種の本にしては、買いやすい値段のため買いましたが、端的に言えば、面白くない。ドビッシー弾きのピアニストということで、ピアニストから見てグールドはどのような存在に見えるのかという興味から購入した。この本は、いきなり「同業者の目から見ると」と始まるが、グールドは自分のピアノ演奏は、「業」とか、一般の人がするように仕事でピアノを弾いていたのではないと思います。彼女が1970年前後に東京芸大の学生だった時には、変わった演奏をするグールドに対し賛否両論があり、一種の踏み絵の様相を呈していた時期があったと書き、わたしはどちらにも属さなかったと書いているが、この人はグールドを否定する側だったと思ってしまう。(日本でグールドが正当な評価を受けるのは、1963年の吉田秀和の評論以降である。) 途中で読むのを止めた。

【グレングールド】中川右介

没後30年で、CD販売なども大盛況なので「グールド」の本を出せば売れるだろうと著者は計算したと思う。(この計算は正しい。朝日新書というメジャーなところから820円という手軽な値段のため手に取った人は多いと思う。)青柳いづみこもそうだが、グールドの良さが十分に分かっているのかな?と思ってしう。 また、本文もグールドと同時代のエルビス・プレスリーの話やら、ジェームズ・ディーン、J・D・サリンジャーなどの話が長くページ数を無駄に増やしている。 書かれている内容はグールドの奇行ぶりを中心に書かれており、これまでに書かれたグールド本は多いので、いろんな本をつなぎ合わせた感は否めない。 『グールドの発言や書いたものには「嘘ではないが本当でもない事柄がある。」』と書き、その点には興味を惹かれたが、全体を通してグールドについて懐疑的な評価である。

Glenn Gould 中毒

1年ほど前にツタヤで借りた「エクスタシス」「アルケミスト(錬金術師)」の2本の映画をきっかけに、グレン・グールド中毒が始まった。

グールドは、1932年生まれ、1982年没のカナダ人ピアニスト。今年が没後30年ということになる。30年ほど前にレコードの「ゴールドベルク変奏曲」などを聴いていたが、このたび価値を再発見。特にバッハ演奏で評価が高いが、ベートーベン、モーツアルト、シェーンベルク、ベルク、ブラームスなど、どれを聴いても他のピアニストとは違った素晴らしい演奏が聴ける。

幸い輸入盤のCDが1枚700円程度で買えるためどんどん揃えていった。そうこうするうちに、CDとDVD合わせて40枚「バッハ・コンプリート・エディション」が12,000円程で発売される。大半はすでに持っているものだが、まだ持っていないものもあり、こちらも購入。DVD3枚組のバッハシリーズは、輸入盤が3000円と安く飛びついたが、結局は、日本語字幕付きの同じ内容のものを、9000円とお高いがモンサンジョンとグールドの対話を知りたくて買ってしまった。

書籍類も並行して購入。

しかし、他のピアニストは聴く気がしないほど素晴らしい!

フリードリヒ・グルダも好きで、これまで聴いていたが、グルダはジャズに傾倒する時期もあるものの、やはりクラシックの中心地であるウイーン正統派。生まれた時からクラシックの中心地で過ごし、何をやっても根底にクラシック音楽の伝統が流れている。一方、カナダ生まれのグールドは、母親やゲレーロに師事するが、クラシック音楽は、トロントにやってくるオーケストラやレコードなどから入ってくる情報から成り立ち、楽譜を自身でじっくり読みなおし、「再作曲」する。新しい解釈、これまでなかった誰かの真似ではない解釈を提示する。