ボヘミアンラプソディー 見てきた!!

テニスクラブで音楽の話をよくする知人から良かったと聞き、「ボヘミアンラプソディー」を見てきた。音楽が最高だった!!ボーカルのフレディー・マーキュリーがすごい。初めて気づいたのだが、歌詞も抜群にいいのだ。セリフと歌があまりに自然なので、この歌は俳優の地声かと思っていたが、ネットで調べると吹き替えで、本物のフレディ・マーキュリーのものを使っていると書かれていた。ブライアン・メイのギターのソロなどもとても感動的で、クイーンの演奏をかぶせて使っているのだろうが、全然違和感がない。

主は、学生時代にツェッペリン、ピンクフロイド、オールマン・ブラザーズバンドなどに熱中していたが、歌詞はほとんど気にせずに聞いていた。ところが、この映画では素晴らしい歌唱力に加えて、屈折したやるせない思いに溢れる歌詞が字幕に映し出され、これにはシビれた。思わず涙が出てきた。主はジムへ行った帰りに見たのだが、バッグからスポーツタオルを取り出し、音楽が始まるたびに泣きながら見ていた。筋の方は、ベタと言えばベタだが、その分分かり易いし、2時間で過不足なく理解するにはちょうどよい。また、映画のメッセージがわかりやすく、共感を呼ぶのだろうと思う。

映画館では普通、声を出したりできないように注意が流れる。しかし、映画館によっては、客席でスクリーンと一緒歌えるところがあるらしい。そんな仕掛けで、何度も足を運ぶ客が多く、動員数を伸ばしているらしい。

「映画.COM」には、次のように書かれている。- 第91回アカデミー賞で5部門にノミネートされた映画「ボヘミアン・ラプソディ」が、1月22日までに累計興行収入100億4168万7580円、観客動員727万904人に到達した。2018年公開作では唯一、興収100億円という“天井”に穴をあけた作品に。国内の音楽・ミュージカル映画で歴代1位を誇る「美女と野獣」(124億円)を超えるか

主が見た映画のベスト10に入る!

おしまい

グールド おすすめCD 「坂本龍一コレクション」

今回は、これからグールドを聴きたいと思っている人向けのコンピレーションアルバムを紹介しよう。コンピレーションアルバムとは、ウィキペディアによると「何らかの編集意図によって既発表の音源を集めて作成されたアルバム」と書かれている。

絶対的と言って良いのが、「坂本龍一セレクション」だ。バッハ編とバッハ以外の2種類があり、各々2枚組なので4枚のCDにまとめられている。(厳密に言うと、バッハ以外のセレクションの最後には、「マルチェロのオーボエ協奏曲」をJ.S.バッハが編曲した「協奏曲ニ短調BWV974」が入っている。)

坂本龍一は、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)、映画「戦場のメリークリスマス」、アカデミー賞やゴールデングローブ賞を受賞した作曲家でもあるが、東京芸大大学院の修士課程まで進んでおり、その過程でグレン・グールドの影響を非常に強く受けたと言う。

坂本龍一は、このアルバムを録音時期に沿って選曲しているのだが、広く漏れなく曲を選んでおり、グールドの魅力が網羅されている。バッハ以外では、ベートーヴェン、ブラームス、ウェーベルン、シェーンベルク、バード、スクリャービン、C.P.E.バッハ(息子バッハ)、シューマン、モーツァルト、グリーグ、シベリウス、ヒンデミットと続く。この中には現代曲であるシェーンベルクとヒンデミットの歌曲が3曲含まれている。残念ながら、オーケストラ曲はなく、唯一のアンサンブルがジュリアード弦楽四重奏団とのシューマンのピアノ四重奏曲である。いずれも、数あるグールド映画にもよく使われる素晴らしい演奏がチョイスされている。

バッハ編の選曲について、坂本龍一は「今回この全体を選ぶのに、もちろん、基本的には僕が好きな曲であって、しかもいい演奏だというのが前提なんですけれども、傾向としてはですね、クロマティックなもの、つまり、半音階的なものを、なるべく入れるようにしてみたんです」と語っている。

バッハ編の最後には、ピアノ版の「フーガの技法」から第1曲と終曲の第14番が入っている。第14番は未完、バッハの絶筆であり、唐突に終わる。この突如音楽が終わってしまう違和感を軽減させるため、グールド以外の演奏者は、聴衆へのサービス(?!)なのか、バッハが死の床で口述筆記させたコラール「汝の御座の前に、われいま進み出て」BWV668を多くの場合に付け加えることが多い。だが、グールドはこの14番を未完のまま譜面どおりに演奏し、最後の小節を少し強調して弾き、最後の音が虚空へ消える、余韻、空白感を残す演奏をしている。「フーガの技法」はそうした曲なのだが、最後に持ってきたこの未完の曲のあとに、坂本龍一はゴールドベルグ変奏曲から、3曲しかない短調で半音階的で無調的な響きのある第25変奏で締めくくっている。

グールドは「フーガの技法」のオルガン演奏による第1曲から第9曲までの録音も残しているが、圧倒的にピアノの方が内容が濃い。これは、ピアノの方が楽器としての表現力が高いためだ。オルガンは、鍵盤を押さえている間は音が減衰せず、多声音楽の演奏に適した面があるものの、ピアノのような強弱や微妙は変化は表現できないからだ。

このアルバムには、坂本龍一とグールド研究の第一人者である宮澤淳一の対談、宮澤淳一による曲目解説冊子がついており、こちらも読みごたえがある。その解説冊子の対談の最後で坂本龍一が、面白く刺激的なことを言っているので紹介したい。

- 「僕は、あんまりピアノも上手くなくて、練習もほとんどしなかったので、演奏家にならなくてすんだので良かったんですけども、やっぱりグールドの後に演奏家になる人は本当に大変だろうなと思って。本当に自分にはそういう能力がなくて良かったな思ってますけども。それにあまりにも磁力が強すぎてね、あるいは魅力が強すぎてね、真似したら真似だって言われるだろうし、でもグールドのあとに今さら古典的にね、バックハウスみたいに弾くって訳にもいかないしね。つまり、グールドの魅力を知っちゃったらそれはもう出来ないし、がんじがらめでダブルバインドで、もうどうしようもないですよね。だから、今グールドの後に演奏家になるってのは、ほんとに大変なことだと思いますよ。でも、みんな乗り越えてやってほしいとは思いますけどもね。やっぱり、グールドのような演奏家はなかなか出てこないでしょうね」

なお、発言の中に出てくるバックハウス(1884年 – 1969年)は、グールドよりひと昔前のピアノの巨匠で卓越した技巧の持ち主なのだが、決してストイックで堅苦しくはなく、ロマンティックな人間味あふれる演奏を聴かせた。彼が、1905年のルービンシュタイン・ピアノ国際コンクールで優勝した時、2位になった作曲家のバルトークが、ピアニストの道を断念した逸話があるという。

ところで、YOUTUBEで「坂本龍一 グレン・グールドについて」というのを見つけた。これがとても面白い。

https://www.youtube.com/watch?v=5-LcfWMTDuI

おしまい

 

シューマン:ジュリアード弦楽四重奏団/ピアノ五重奏曲&ピアノ四重奏曲 グールドvsバーンスタイン

グールドは、ロマン派の曲をあまり演奏しなかったが、シューマン(1810-1856)については1曲だけ残している。ジュリアード弦楽四重奏団とピアノ四重奏曲(変ホ長調作品47・1968/5/8-10録音)で、このレコードはレーナード・バーンスタインがピアノを演奏したピアノ五重奏曲(変ホ長調作品44・1964/4/28録音)がカップリングされている。本来であれば、ピアノ五重奏曲もジュリアード弦楽四重奏団と録音するはずだったが、グールドとジュリアード弦楽四重奏団には演奏をめぐって「ひび」が入ってしまい、2曲目の共演は実現しなかったらしい。このレコードは、1969年11月にコロンビアから発売されていることから、2曲ともグールドの演奏で売り出す予定を、バーンスタインの演奏ですでに録音していたピアノ五重奏曲とのカップリングへと変更したのだろう。

四重奏曲と五重奏曲どちらの曲も、付点音符によるシンコペーションが多用され後拍にアクセントがあり現代的で気持ちよい。同じ変ホ長調なので雰囲気はよく似ているのだが、楽章の中でも旋律や曲想が目覚ましく変化するので、聴いていて飽きない。比べると四重奏曲の方が全般に穏やかで優しく、五重奏曲はより激しく、両方とも最終楽章ではより前衛的な不協和音に近いところが出てきてドキッとさせられる。

主は、このブログを書くために何度もこの曲を聴いたのだが、すっかりシューマンに魅せられてしまった。実際にシューマンは精神的に病み自殺未遂をしたこともあったようなので書きにくいのだが、この2曲には「狂気」が感じられる。音符には不協和音は出てこないが、不協和音に近い淵までは行っている。その淵をもっと長く見せてほしいくらいだが、他の部分も予定調和の音調ばかりではない。主は、クラシック音楽に「狂気」が感じられないものは値打ちがないと思っている。ベートーヴェンに「狂気」があると言われると分りやすいだろう。クラシック音楽の歴史は、過去の音楽様式の超克の歴史であり、発表当時は常にアバンギャルドであり、前衛音楽だったはずだ。

話を戻すと、四重奏曲は、4楽章あり、急(Allegro)、急(Vivace)、緩(Andante)、急(Vivaceo)で構成されている。第3楽章の緩(Andante)のところでは、穏やかで愛らしい韓国ドラマ「冬ソナ」のようなピアノの右手が奏でる美しいメロディーが出てくる。

この曲では、グールドのピアノの存在感がすごい。逆説的だが、存在感がすごいのだが、その存在感が表に出ることはなくて、曲の良さや楽しさ、激しさや穏やかさを引き出すことに徹している。グールドが弦楽器の背景で音量を抑えて低音で伴奏をするときや、小さく高音を弾く時でさえ、耳がそちらに行く。リズムが正確で心地よいことと、強弱のつけ方が上手い。弦楽器が主役の時にはピアノの音量を抑え、ピアノが主役に代わる時には表に出ていく。常に滑らかなのだ。グールドのピアノが、弦楽器の背景で鳴っている時でさえリズムに説得力があるので、ジュリアード弦楽楽団のメンバーはリズムを崩せない。グールドのこのアンサンブルは、次のバーンスタインもそうだが、きわめて正統的でこの曲自体が持つ魅力を十分に気付かせる演奏だ。

バーンスタインによる五重奏曲は4楽章あり、急(Allegro)、緩(Modo)、急(Vivace)、急(Allegro)で構成されている。極端なシンコペーションと徹底した裏打ちのアフタービートが現代的で過激、時代を超えたところがある。バーンスタインはジュリアード弦楽四重奏団をぐいぐい引っ張っていく。弦楽器よりもピアノの方がキレが良く、弦楽器の方が合わせるのに苦労しているように聞こえる。バーンスタインは、指揮者だけではなく、ウエストサイドストーリーの作者としても有名だが、ピアノもこれほど上手いとは思っていなかった。バーンスタインの演奏は、後拍のリズムが徹底していて、その一貫性に確信のようなものが感じられる。グールドの演奏の方がむしろおとなしく、バーンスタインの演奏はアナーキーなところがある。どちらも天才だ。

グールド、バーンスタインの演奏のどちらも、楽団全体のバランスがとても良い。バーンスタインの五重奏曲は、ヴァイオリンが2丁になるのでより激しく動的な感じを受けるのかも知れない。ちなみに下のリンクで、グールドの演奏をYOUTUBEで聴けるはずだ。

https://www.youtube.com/watch?v=iSiwMR3dBUY&list=RDepchw_8tKow&index=3

主は、「ひび」が入ったというのは、グールドが弾く四重奏曲がとても正統的な演奏に思えたので、ジュリアード弦楽四重奏団の要望に折れる形でグールドが妥協したのかと思っていた。それほどにどこにも違和感がないのだ。

ところが、YOUTUBEで他の演奏者のシューマンのピアノ四重奏曲、五重奏曲を聴いてみてわかった。やはり「折れている」のはジュリアードの方だ。いろいろ名演奏があるのだが、アルゲリッチが著名な部類だろう。若い時分のものと最近のお婆さんになった現在のものも聴くことができた。日本の若手のものなどもあった。そういえば、辻井伸行が優勝したヴァン・クライバーン・ピアノコンクールのピアノ五重奏曲の演奏もYOUTUBEにアップされており、短いものだったがなかなか良い雰囲気だった。

若いころのアルゲリッチ。中学生のころに父親が持っていたLPレコードジャケットを見て、あまりの美人ぶりに日本人としてコンプレックスを感じたのを思い出す。

これらを聴くといずれも弦楽器、ピアノともどんなアーティキュレーション(メロディーライン)であってもほどほどルバートしない演奏はない。アルゲリッチでさえ、弦楽器が好きなようにリズムを揺らしながら旋律を歌わせている時には、ピアノは出しゃばらない。かなり音量を抑えて控えめに弾いている。そしてピアノの出番になると、自分もリズムを揺らして感情をこめて弾く。お互いがずっとこの調子で進んでいく。

好みはあるのだろうが、グールドのアプローチは、頭に入っている4人分の楽譜を俯瞰してどのように演奏するのが良いかについて自分の考えがあるところだろう。そのため、グールドのピアノは弦楽器の伴奏に該当する部分でも存在感があり、弦楽器各自が感情をこめてルバートするのを許さなかった。すなわち、グールドとジュリアード弦楽団が対立したのは、グールドが基本的にインテンポ(テンポを変えない。ルバートしない)での演奏を弦楽奏者に求め、楽章ごとにメリハリをつけながら、4楽章全体を見通して考えた構成に合ったドラマを作ろうと考えていたに違いない。こうしたアプローチは、素人の主には当然と思われるのだが、おそらくクラシックの演奏家にとっては違っていて、特に弦楽奏者にとってはルバートしながらリズムを揺らし、思い入れたっぷりな演奏をするのが名人芸なのだと思う。ここで付け加えたいのは、グールドの演奏がインテンポで常にルバートしないとしても、機械的な演奏だとか、冷たい演奏になっているのではなく、彼の演奏には非常に心がこもっている。ペースを守っているのだが、間の取り方がうまく、音量の変化も繊細で、とてもロマンチストなのが良く分かる。常に冷静に計算しながら、恍惚としたエクスタシーの中へ入り込むことが同時にできている。

彼のバッハもそうだ。彼のバッハは普通のバッハではない。非常にロマンティックな演奏だ。バッハにぜんぜん聴こえない。

おしまい 良いお年を!

「グレン・グールドは、クラシックの音楽家ではない」宮澤淳一 

青山学院大学教授で日本のグールド研究の第一人者の宮澤淳一氏は、「グレン・グールドはクラシックの音楽家ではない」と言う。http://www.walkingtune.com/gg_07_kangaeruhito.html 氏は、「グールド本人が意識していたかどうかはともかく、彼の演奏はクラシック音楽での解釈の約束事を無視した営為であって、これは作曲家よりも演奏家の創意が重視されるジャンル(ジャズやロック等のポピュラー音楽)でこそ輝く個性である。だから、異端視するよりも、『グールドはクラシック音楽ではない』と考えた方がすっきりする。」と結論づける。 この発言は、もちろんデフォルメした言い方でグールドはクラシックの音楽家なのだが、グールドだけが他の演奏家と比べるとまったく違った考え方をしているという意味で、とても分かりやすい。

昨年12月カナダ大使館で行われたGlennGouldGatheringでの宮澤氏の解説風景

クラシック音楽の世界では、作曲家が王様であり、演奏者は作曲家の家来という構図であり、演奏家は如何に作曲家の意図を忠実に再現することができるかが、この業界の指標となっていた。楽譜に忠実に演奏することに加えて、作曲年代と楽器の制限(例えば、現代のピアノの性能はロマン派の作曲家の時代と性能が異なっている)を考慮する古楽器ブームもある。バッハの時代にピアノはなかったし、モーツアルト、ヴェートーベンの時代のピアノも今のピアノに比べるとちゃちで、当時の楽器で忠実に再現したらという考えは今でもある。音楽を楽しむことより、方法論を優先する、言ってみれば原理主義が幅を利かしている。

時代とともに楽器そのものが変わり、作曲家たちも新しい語法で作曲し、オーケストラの規模は大きくなり続け、行き着いた極限がマーラーだと言われる。

主は、最近読売交響楽団(井上道義指揮)が演奏するそのマーラーの「千人の交響曲」のコンサートへ行ってきた。この「千人の交響曲」はオーケストラ自身の各楽器の構成数が大きいのもあるが、パイプオルガンが使われ、ハープが何台も並び、チェレスタ、トライアングル、マンドリン、ソロ歌手8人に加え、大人の合唱団200人以上、子供の合唱団50人以上が加わる。第1部と第2部を合わせて90分ほどある大曲なのだが、手を変え品を変えさまざまな旋律を楽しむことができ、あっという間の90分で大いに感動した。しかし、感動の仕方が、ピアニッシモとフォルテッシモの落差のスケールに圧倒されるという面が確実にあり、「こりゃあ、一種のスポーツだな。何の哲学も感じられないな」とも思ったし、「やっぱ、ヴェートーベンの方が深いな。シェーンベルクの方がカッコ良いな」とも感じた。当り前だが、音楽は時代を下れば良いものになるとは限らない。

グールドの音楽の演奏態度は、音程以外、どのクラシックの音楽家誰もが金科玉条とする作曲家の指示を守らない。楽譜の強弱記号、速度記号、反復記号を守らない。常に守らないわけではないが、自分の判断を優先する。音符の装飾方法も業界の概念を覆して独自な面があるらしい。和音を和音として同時に打鍵することはほとんどなく、10本しかない指で3声、4声を際立たせる。モーツアルトは「クリシェ」(紋切り型でありきたり、新しいものがない)だと批判して、世間に対して挑戦的になり、「こうしたら面白くなるぞ」と上声のメロディーだけだったところに内声の音符を加えポリフォニックに改変した。グールドには作曲家への指向が常にあり、どの曲もその持つ曲の本来の良さ、作曲家さえ知らなかった良さを、従来の演奏方法・観念に囚われず示そうとした。

音楽家は普通、師匠に師事し師匠の言う事を絶対として受け取り、業界の固定観念の中で生きるのが常だ。有名な音楽家への道は、コンクールで優勝することだ。そうして名を知られ、コンサートツアーへ年に何百日も巡る。コンクールで優勝するためには、多くの審査員からまんべんなく票を得る必要があり、優れた感受性や斬新さよりも、そつなくこなす技術が求められる。当然、曲の解釈も個性的なものより平均的で新味がないものになる。こうしてどんな名曲に対しても、ありきたりで、平均的な演奏をする演奏者が再生産されるシステムが出来上がる。

ところがグールドの両親は、コンクールで優勝するための競争は息子を消耗させると考え、コンクールに息子を極力出さないようにし、グールドは自由に自分の頭で音楽を考えるように育った。グールドは母親に10才までピアノを教わったが、やがて母親が教えることができないレベルになる。案じた母親は、10才から19才までチリ人のピアニスト、アルベルト・ゲレーロが教えるように手配した。ゲレーロは生徒に子供を取らない主義だったが、グールドのレベルの高さにすぐ気づき生徒に取ることを引き受けた。ゲレーロに言わせるとグールドは “Unteachable” な生徒だったという。教えようとすると猛烈に反発するために、答えを自分で発見させるように仕向け、単に教えられるよりも自分で発見させるほうがグールドにとってより活性化できると考えたという。プロデビューを果たした後、ゲレーロから大きく影響を受けたのは明らかだったにも拘わらず、グールドは「ピアノは独学でした」と言い張りゲレーロは落胆したが、「それでいいんだ」と落胆したそぶりを見せなかった。

ピアノは打鍵した後、鍵盤を押さえている間、打鍵された音が減衰しながら続く楽器だ。ピアニスティックとかピアニズムという言い方があり、いかにもピアノらしく響かせるという意味なのだが、メロディーをレガートに音価(音の長さ)一杯に引っ張り、メロディーと伴奏をゴージャスに、流麗に弾くのがピアニスティックな演奏である。ところが、2回目のゴールドベルグ変奏曲の録音に関する1982年のティム・ペイジ(TP)との対談では、グールド(GG)は自分の奏法に関して次のように言っている

(GG)「・・僕が大バッハを扱う時の音のコンセプトは、また例の言葉をあえて使うなら、デタシェ(=音と音がつながらない、隙間がある)なんだ。つまり、ふたつの連続した音の間のノン・レガートの状態そのものや、ノン・レガートの関係、ないしは点描画法的な関係が基本なのであって、これが例外的な奏法ではない。むしろ例外的なのはレガートでつなげることなんだ」

(TP)「もちろん、君の主張がピアノ奏法の大前提を覆すことになる点は承知しているよね!?」

(GG)「うん、結局そうしようとしているんだ」(翻訳:宮澤淳一)


このデタシェという言葉はフランス語なのだが、英語は “Detach”(=de-touch 切り離す、分離させる)、名詞形は “Detachment” である。

この”Detachment” が、夏目漱石の小説「草枕」に出てくる。グールドは、「智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。 住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る」という名文で始まる「草枕」をこよなく愛した。冒頭から芸術と世俗、非人情と人情の対比をして、漱石の「芸術とは何か?」が語られる。「住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、難有(有難)い世界をまのあたりに写すのが詩である。画である。あるは音楽と彫刻である」と言う。人情を「苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世にはつきものだ。余も30年の間それを仕通して、飽き飽きした」と言い、これに対して、超然としているさまを漱石は「非人情」と言い、「非人情」の訳語に翻訳者のアラン・ターニーは “Detachment” を使った。「・・・淵明、王維の詩境を直接に自然から吸収して、少しの間でも非人情の天地に逍遥したいからの願。一つの酔興だ。 勿論、人間の一分子だから、いくら好きでも、非人情はそう長く続く訳には行かぬ」と言う。グールドは「草枕」を二十世紀小説の最高傑作のひとつだと愛してやまず、従妹のジェシーに電話で全文を読み聞かせたり、晩年にはラジオで「草枕」を朗読する番組を作ったほどで、死後グールドの部屋には多くの書き込みがされた何種類もの「草枕」の翻訳本があり、脚本を書こうとしていたという。

このデタシェの点描画法は「非人情の天地に逍遥」することであり、緊張の弛緩、軽妙なユーモアだ。逆に、レガートは緊張を高める。グールドは、複数の旋律があるポリフォニックな曲では、旋律にデタシェとレガートを弾き分けており、時に交代させ飽きさせない。一般的なピアニストの場合はレガートが基本で、美しく緊張を保つものの一本調子となり飽きてくる。

グールドは、ポリフォニックな対位法で書かれた曲を好んだ。また、子供時代にオルガンを学び足でも旋律を弾くことで、和音であっても自然と和音を分解し、別のメロディーとして捉える。ピアノで各声部を弾くとき、あたかも弦楽四重奏を演奏するように別の楽器が鳴っているように演奏していた。

普段の生活でも、コンピュータ用語を使えばマルチタスク人間だった。レストランでは、近くの席の複数のテーブルで交わされる3つか4つの会話を同時に理解できた。テレビでドラマを、ラジオでニュースを流しながら、スコアを頭に入れ、どれも理解できていたという。彼は対位法的ラジオと言われるドキュメンタリーのラジオドラマ、極北で暮らす人々の孤独をテーマにした「北の理念」などの「孤独三部作」を作ったのだが、5人の登場人物が全く違う内容を語る話声をフーガのように合成したもので、誰も話の内容を理解できないとの批判もあったが、グールドは「私たちの大半は、自覚しているよりもはるかに多くの情報を取り入れる耳を持っている」とライナーノーツに書く。後にはこのラジオドラマのTVバージョンも作られる。

グールドは、誰でも知っている有名な曲は、特に確信犯的にこれまでになかった演奏をした。バッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻第1曲のプレリュードは有名で、ググってみたら大和ハウスと資生堂がCMに使っていた。この有名な曲は、どのピアニストも流れるように優しく美しく弾くのが普通だが、グールドはやはりスタッカートで弾き、度肝を抜いた。変っているが、この曲がもつ良さは伝わってくる。 ベートーベンのピアノソナタ「月光」、これも第1楽章は特に有名だろう。(大和ハウスはクラシックが好きなようで、この曲の第3楽章をCMに使っている)こちらは感情を思い切りこめスローテンポでドラマチックに弾くのが普通なところ、グールドはアップテンポで抑揚をつけず淡々と同じリズムで弾きとおす。それが新鮮で、逆に清潔、潔癖、秘めた激情を感じさせる。 モーツアルトで有名な曲と言えば、「トルコ行進曲」だろう。この「トルコ行進曲」はピアノソナタ第11番の最終楽章なのだが、やはりグールドは破天荒な演奏をしている。下の写真は、「グレン・グールド・オン・テレヴィジョン」に収録されている1966年に行われたハンフリーバートンとの対話だ。この番組でグールドは、自分の音楽観を披露しながらピアノを弾く。これが実に刺激的だ。ごく一部だが、YOUTUBEにその様子アップされていたので、再生していただけたら嬉しい。また、「トルコ行進曲」聴き比べというのもあり、ギーゼキング、グールド、グルダ、バックハウス、ホロヴィッツが並んでいるのだが、グールド以外は軽快な元気さだけが伝わってくるくるのみだ。グールドはこの「トルコ行進曲」を断然ゆっくりと、初めは控えめに弾き始め、徐々に抑揚をつけメロディーの音色を変え、変化を楽しませてくれる。伴奏の和音をことさら崩して弾き、やはり抑揚をつけクライマックスを最後に持ってきているのが良く分かる。主は大いに感動してしまった。

1966年BBC向けハンフリーバートンとの対談

ちょっと長くなってしまったが、この番組の中で、他にもグールドは面白いことをいくつか発言している。自分は偏屈だったので、誰でも練習するこのピアノソナタを弾いたことがなく、どのように弾くか1週間前までアイデアが決まらず、スタジオに入ってもまだ確信がなかった。また、すでに立派な演奏が残されているので、それと同じ演奏をするのではなく、違った演奏をするのが演奏家の務めで、それが出来なければ職業を変えるべきだとまで言っており、次回にでも紹介したい。

おしまい

グレン・グールド 二つのフーガの技法

グレン・グールド(1932-1982)は、J.S.バッハ(1685-1750)のフーガの技法をオルガンとピアノの両方で録音している。この曲は、4段のオープンスコアで書かれており、楽器の指定がないために当時あったハープシコードだけではなく、弦楽四重奏をはじめ、オーケストラや金管楽器でさえも演奏されている。アンサンブルではどの演奏者も目の前の楽譜の音を出す義務を果たそうとし、自己主張を捨て去ることがないので、結果として平板な演奏になりがちだなと主は思っている。

グレン・グールドがこの曲を録音した時期は、オルガンが1962年(コントラプンクトゥス(=フーガ)第1番-第9番)、ピアノが1967年(第9、11、13番)と1981年(同第1、2、4、14番)である。あいにく、どちらも全曲を録音しているのではないが、どちらも十分に聴きごたえがある。というか、グールドが愛したバッハの中で最も評価していた曲であり、両方とも他の演奏者の追随を許さず、傑出している。その二つの楽器によるグールドの演奏だが、オルガンとピアノではイメージが180度違う。

まず、オルガンの方は、速いテンポで弾きとおし非常に聴きやすい。また、オルガンは鍵盤を抑えている間は同じ強さの音が継続する楽器であり、音価(音符の長さ)一杯にレガートで演奏するのが一般的なのだが、グールドはデタシェ(ノンレガート、スタッカート)を基調で始め、終盤の山場に差し掛かるにつれてレガートな奏法も使うことで迫力を出している。オルガン曲といえば、バッハの「トッカータとフーガニ短調」を思い浮かべる人が多いだろう。高音部のメロディーで始まり、轟々と鳴り響く低音のペダルの音で圧倒する。そうした演奏とはあまりにかけ離れているので、グールドの1967年のレコードが発売された時は非難轟々だったらしいが、オルガン演奏のスタイルを覆し、曲全体の良さに感動する。グールドは、どの部分部分を聴いても常に良いのだが、全体を聴いた時に違った発見があるように、楽しめる演奏をする。グールドのこのオルガンの演奏は、第1曲から第9曲まで(終曲は第14番で未完である)なのだが、第9曲にここまでの総決算のような趣があり、クライマックスを迎え全曲を聴きとおしたかのような満足感が得られる。

ピアノの方は逆に、非常に遅い。それも他のアンサンブルやアーティストより圧倒的に遅い。グールドより遅い演奏はおそらくないだろう。遅く演奏することは、テンポを保つことが困難になるため早く演奏するより難しい。グールドはそれができる。それだけ遅く演奏すること、また複数の旋律のうち強調するものを入れ替え、レガートとデタシェの両方で歌わせることで、悠久感というか宇宙の広がりのようなものを感じる。特に未完で終わる終曲の第14番は、3つのパートからなるのだが、パートごとに雰囲気が変わり、天上のメロディーともいえる美しいメロディーが出て来たり、倦むことがない。スコアの上で和音になっていても、同時に鳴らすことはまずない。目立たせたい音をわずかに早く弾き、他の音をずらして弾き、なおかつ、レガートで弾くメロディーとデタシェで弾くメロディーを区別しながら線が繋がっていく。

グールドが1963年にディヴィッド・ジョンソンとの対談で次のように語っている。「・・・ピアノでは、ある特定の声部のうちでは絶対的であるにもかかわらず、しかもなお同じ型のデュナーミク(音量の強弱表現)に一致しないといった、そういう関連性によって思考することができるからです。いい換えれば、ソプラノにある一連の動機をしかじかの強さで演奏し、アルトにある別の動機を、ある小節ではソプラノより3分の1だけ少ない強さにして、ソプラノを支えるためにその下に滑り込ませ、次の小節ではその逆をやる、といったことができるわけです。・・・」

人間の指は10本しかない。しかしながら、その10本の指でグールドは4つの旋律を弾き分ける。強さ、長さを区別して4種類の旋律を弾き分ける。

下のYOUTUBEのフーガの技法第1曲(楽譜は最後にある)を見ていて発見したのだが、アルトから始まり5小節目にソプラノが入ってくる。これをグールドは右手一本で弾き、左手はバスが入ってくる9小節目から弾き始める。右手だけで弾いている8小節の間は、いつものように左手は指揮をしている。

これに対して、次のリンクである福間洸太朗の演奏ではアルトで始まる最初の部分を左手で弾き始め、ソプラノが入ってくる5小節目に早くも右手を使い始める。

もちろん、福間洸太朗の演奏も非常にうまいのだが、この曲に限らず進行するにつれて複雑になる。その時、グールドのように片手で二つの旋律を同時に引き分けることができるというのは並大抵なことではない。というか、こんな演奏家は他にいない。

最後にグールドのモットーというかキャッチフレーズ、彼の芸術観を書きたい。「・・・・芸術の目的は、神経を興奮させるアドレナリンを瞬間的に射出させることではなく、むしろ、少しづつ、一生をかけて、わくわくする驚きと落ち着いた静けさの心的状態を構築していくことです」- この「わくわくする驚きと落ち着いた静けさ」は英語の “wonder and serenity” から来ているのだが、一生の目標が単に “serenity” だけでなく”wonder”を伴っているところが、実にグールドらしい。

おしまい

Glenn Gould-J.S. Bach-The Art of Fugue (HD) 広告の音量に注意!

バッハ/フーガの技法 コントラプンクトゥス1・2/演奏:福間 洸太朗

フーガの技法 第1曲

「グレン・グールドシークレットライフ」を自分で翻訳してみた!

上の写真の「グレン・グールドシークレットライフ」(マイケル・クラークスン 道出版 岩田佳代子訳 税抜3200円)は、2011年9月に出版されたのだが、段落単位!!でかなりの部分の原文が翻訳されていないのだ。

それなのに、大っぴらに販売しているのだから呆れてしまう。翻訳していない段落は、どの章にも複数存在する。この本は、基本的にグールドの女性関係を中心にする私生活に焦点を当て、インタビューによる綿密な取材をもとにして書かれている。そうした取材には、当時の恋人本人だけではなく、男性の友人やアシスタント、音楽家、プロデューサーなども含まれるのだが、こうした部分はバッサリ翻訳していない。

この本は、「道出版」というところから出版されているのだが、大きなところではなさそうだ。なぜ、出版するにあたって、かなりな割合(15%ほど)を活字にせずに販売したのだろうか。理由は分からないが、原書の全体を翻訳しないで発売することは、音楽ファンに対する背信行為だと思わなかったのだろうか。グールド(1932-1982)は没後36年になるが、人気は今なお健在で、2015年にはコロンビアレコードの正規録音81枚(うち3枚はインタビュー)をテープからリマスターしたCD全集が発売された。昨年はグールドのデビュー録音(1955年)である、バッハのゴールドベルグ変奏曲の製作セッションのテイクすべてを、8枚のCDとLPレコードにして発売された。ここでは、伝説的なアルバムが生み出されていく過程を追体験できる。作品を世に出す過程で作られたテイク集が、売り出される演奏家はグールドしかいないだろう。今なお新発売されるCDも多く、これまでの録音の組み合わせを変え、姿を変えて発売されるだけではなく、テレビ、ラジオやコンサートのライブ録音などが発掘され、手を変え品を変え新発売されている。

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グールドに関する書籍は、グールド自身の著作集、書簡集、発言集、研究者や伝記作家がグールドを分析したもの、写真集、グールドをモチーフにしたオマージュ作品など、これまでに100点近くが刊行されており、ほとんどが、日本語訳が発売されている。死後年数が経っているが絶版とならずに、再販される書籍もあり、2017年はみすず書房の「グレン・グールド発言集」が新装版となり再発売された。

この「グレン・グールドシークレットライフ」は、これまでのゲイではないかとも言われてきた中性的、無性的なグールド像を、根底から覆すインパクトのあるものだ。この本をクラークスンが書いたのが2010年(グールド没後28年)である。グールドは、1982年に50歳でなくなっているので、女性たちがグールドと同年齢であれば、今では86歳という計算にる。このため、実際のインタビューをもとにしたこうした本を出版することは、もう不可能だろう。

グールドは自分のことを「最後の清教徒」と言い、周囲にそのように思わせてきたし、現実にそれは成功をおさめてきた。しかし、実際の彼は、彼が世間に与えようとした「清教徒」のイメージのようなものではなく、非常にドロドロしていたことが、この本を読むと分かる。彼自身には親友が多くいなかったし、まして女性関係はずっと秘密にしてきたため、ほとんど私生活は知られてこなかった。グールドは自分が好まない発言をされると、直ちに関係を断ってきた。このため、関係を断絶されることを望まない友人や関係者は、率直に何でも語るということをしなかった。特に女性関係は、彼がもっとも秘密にしたい最有力で、誰もが見て見ぬふりをした。クラークスンは、没後30年近く経ったということを説得材料にしたのだろう。そして、女性たちの固い口を開かせることに成功した。映画の「グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独」の元にもなっており、これまでのグールドのイメージを完全に一新した。強調したいことは、この本のように、グールドのないと思われてきた女性関係に焦点をあてた類書は他にないことだ。グールドファン、クラシックファンは外せない。

これほど今なお人気を誇るグールド、この彼の貴重な「シークレット・ライフ」を全部翻訳せずに知らん顔を決め込んで、発売しているのだ!出版社は責任を取ってもらいたい。すぐに版権を放棄して、違う出版社が改めて出版できるようにすべきだ。

おしまい

 

 

「グレン・グールド、音楽、精神」ジェフリー・ペイザント 訳:宮澤淳一 音楽の友社2007年

上の写真の「グレン・グールド、音楽、精神」(ジェフリー・ペイザント 宮澤淳一訳 音楽之友社)は、グールドの生前に書かれた、世界最初の単行本である。これは非常に良い本だった。内容の方は、あまりに盛りだくさんなため紹介しないが、主には新しい発見が山のようにあった。加えると、遅まきながらで申し訳ないが、おそらく、グールド好きならまず押さえるべき最初の本だと思う。

ここでは、この本の出版と再版の経緯や、気づいたことを書きたいと思う。

FACEBOOKから

ジェフリー・ペイザント(1926-2004)は、本書の裏に書かれている略歴によると、カナダ東部のハリファックス生まれで、トロント大学で博士号をを取得し、長年同大学哲学部で美学を講ずるとある。グールドとは、ゴールドベルグ変奏曲が発売された1956年の秋にグールドに論文を依頼したことが、二人の交流の最初である。その後は、会えば挨拶を交わす程度で、密接な関係ではなかったようだが、おひざ元のトロントでグールドの活躍を間近で見ていたはずだ。

次に、ペイザントがこの本を書こうと思った動機。彼は、第6版(第6版はグールドの死後になる)の前書きに次のように書いている。「・・・当時のグールドは、自分の(ときに奇妙な)考えをエッセイや各種メディアの台本の形で公表し始めてから、すでに20年を費やしていた。著作は恐るべき量にのぼっていたわけだが、数名の評者に嘲弄されたのを除けば、ほとんど無視されてきたし、著作全体が厳密に検討されたためしは一度もなかった。このギャップを埋めたい。それが本書を書いた動機である」

グールドの死は1982年だが、初出版は、生前の1978年春である。ペイザントが着手した時期は、宮澤淳一氏のあとがきによると1974年9月からで、ペイザントは、執筆にあたって自ら4つの制約というか条件を課していた。すなわち、①執筆は公にされたものを題材にする ②グールドと出版まで会わない ③グールドは原稿を見ることができ、中止させる権利がある ④事実関係の確認にグールドが応じる というのがそれだ。

この4条件の結果、グールド自身が驚くほどの明晰な分析となっており、グールドが亡くなる直前に「あなたの本が私を変えた」と語るほど、読者のみならずグールド本人に、影響を与えたということが非常に興味深い。宮澤氏は、あとがきで次のように書いている。「(グールドが)分析され、肯定され、高められた自分と対峙することで、何かに気づいてしまったのであろうか」

グールドの演奏は、ほとんど常に高く評価された。ただし、もちろん『正統派』の人たちは常に批判したのだが、グールドの演奏に心酔し、救われたファンのほうが圧倒的に多い。

他方、彼の発言や著作がメディアで取り上げられた場合、それには、時として厳密な一貫性がなかったり、部分的に冗談があったり、奇妙だったり常識外れな面が、一部とはいいながら、あるのは間違いなかった。このため、専門家や評論家からは、良くてバッシング、ほとんどの場合は無視されるのが常だった。一方で、ヒポコンデリー(心気症)で薬物依存症のグールドには、そうした批判や無視は耐えがたかったはずだ。そうした位置に置かれたグールドを、ペイザントが一から丁寧、真剣に、是々非々、かつ大局的にこれまでの発言や著作を解釈し直したことにより、彼自身が整理できていなかった矛盾点を、整理できたのではないか。

ペイザントは原稿を書き上げた時に、二つの出版社と交渉する。一つは、アメリカの大学の出版局、もう一つは一般向けの出版社だった。ペイザントは一般向けの出版社を選ぶのだが、「これは原稿に手を入れて、哲学や心理学の調子を抑えることを意味していた」と書いているように、編集者から、哲学や心理学は一般向けではないと判断され、省かれているからだ。おかげで、最初の出版は、読みやすいものとなっている。そのせいがあるのかもしれないが、この本はベストセラーとなった。

その後カナダでは、出版社が何度か潰れたこともあって、1984年に新版が出されることになり、これまで割愛されていた部分が補遺Aとなって、新版に加えられた。日本では1981年に「グレン・グールド – なぜコンサートを開かないか」というタイトルで音楽之友社から翻訳出版されロングセラーとなるのだが、2007年に翻訳者が宮澤淳一氏に代わり、氏が集められたペイザントの論文を新たに加えた補遺Bも加わり、新訳・増補版が出された。

こうしたことから、この本は「日本の読者へ」で始まり、「前書き」が3つあり、「後書き」が2つ、「訳者あとがき」があり、本文の他に、補遺A、補遺B、注、文献目録、ディスコグラフィーA,B、があるという盛沢山さである。注釈など非常に厳密なものであり、これを辿っていけば原典に容易にあたることができるだろう。本文もさることながら、補遺もとても読みごたえがある。帯に書かれているとおり、「今なおグールド研究の最良の基本書」だ。

おしまい

グレン・グールド・ギャザリング その4 宮澤淳一さんのトークショー

12月15日(金)に行われたグレン・グールド・ギャザリング(Glenn Gould Gathering = GGG)の一環で行われた宮澤淳一さんのトークショーのことを書いてみたい。宮澤さんは、ライブに先立ち、13日~14日にカナダ大使館で上映されたグールドに関連する映画5本すべての解説をされた。ご自身でも、吉田秀和賞を受賞した「グレン・グールド論」(2004年 春秋社)を書かれている。また、今年でグレン・グールドに関する書物は、85冊が刊行されているとのことだが、日本語に翻訳されたものの半分は、宮澤さんが翻訳されていると思う。また映画など映像の字幕の翻訳は、ほぼすべて宮澤さんが監修されているのではないか。日本のグールド研究の第一人者であるだけではなく、世界の第一人者だ。

では、メインイベントの宮澤さんから伺ったお話の主なところを紹介しよう。下が、トークショーが行われた会場の様子だが、開始時には満席になっていた。

まず最初に、おっしゃっていたのは、クラシック音楽の特殊性あるいは伝統のことだ。つまり、クラシック音楽は、ずっと作曲者が一番偉くて、演奏者は下。聴衆はさらに下という歴史があった。(この言い方は、ちょっとデフォルメがあると思うが、喩えとしては分かりやすい)。作曲者が王で、演奏者は家来、聴衆は臣民という位置づけで、仮に作曲者がなくなっても、演奏者は作曲家のことを尊重するのは自明のことだ。(そういう教育が音楽大学でずっと行われてきたはずだ)。それが、曲の言い表し方に端的に表れている。クラシックでは、誰が演奏しようと作曲者と曲名が表記される。例えば、「ベートーヴェンの交響曲第5番」と言われる。付随的に、バーンスタイン指揮、ニューヨークフィルというのが説明的に出てくるが、曲名はあくまで「ベートーヴェンの交響曲第5番」だ。これが、ポピュラーやジャズ、歌謡曲であれば、「マイルス・デイヴィスのカインド・オブ・ブルー」がタイトルになり、そのものズバリである。

ところが、グレン・グールドは正統的なクラシックの演奏家とはまったく違った。ケヴィン・バザーナが「グレン・グールド演奏術」で明らかにしているように、グールドは音程と長さは守っているものの、それ以外のテンポ、強弱、アーティキュレーション(フレーズの作り方)、装飾音、反復記号など、作曲家の指示があっても自分の考えを優先し、囚われていない。さらには、モーツァルトのピアノソナタなどで低音部に音符を足して、低音部に別のメロディーラインを作っている。これが、「再」作曲家と言われる所以だ。

映画「グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独」で、不倫関係にあったコーネリア・フォスが、グールドのバッハ演奏を次のようにいう。 : 「グレンの演奏は、いわば楽曲を組みなおした感じね。分解した時計を元どおりでなく別の形にしたのよ。時計は動くけど全く異質のものになった。音楽に対する前例のない画期的なアプローチだったわ。私はあまり好きじゃない。バッハの良さが台無しだと思った。でも音楽家は衝撃を受けたでしょうね。演奏技術はすばらしかったわ。見事だった」

同じ映画でチェリストのフレッド・シェリーはいう。 : 「作品と作曲家の内面に侵入し、その反対側に突き出た。作曲者に対する共感を通り越し、作品を完全に乗っ取っていたと思う。自分の個性に塗り替えたんだ」

グールドが、このような演奏態度をとった理由をいくつか宮澤さんは上げられていた。そのうちの大きなものとして、グールドは作曲家でもあったことを指摘されている。すなわち、グールドがニューヨークでデビューし、コロンビアレコードと専属契約した1955年は当時22歳で、「ゴールドベルグ変奏曲」を録音した時期でもあるが、「作品1番 弦楽四重奏曲」を完成した時期でもあった。こうした彼は、他の作曲家が書いた楽譜を作曲家である自分の目で見ていた。こうした態度をとるクラシックの演奏家は、他にまったくいないわけではないが、ここまで徹底した態度をとり、それが説得力を持ったのはグレン・グールドだけだろう。

そうしたグールドは、レコードが爆発的に売れ、一夜にして世界一流のピアニストになった。そのため、世界中を演奏旅行する期間が1964年(32歳)まであった。その後は、よく知られているようにスタジオから自分の「再」作曲家としての試みで挑戦を続け、彼本来の作曲活動は、結果的に十分にできなかった。

こう言われると、彼の特異な演奏については「やっぱり、そうだったんだ!!具体的な証拠があるのね!」という風に感じる。

ところで、カナダ大使館は巨大だった。上の3枚の写真は、カナダ大使館の外側から撮ったもの、4階のロビーへ向かうエスカレータ、地下2階にある、GGGの映画が上映されたオスカー・ピーターソンホールの入り口受付の写真だ。カナダ大使館は実にでかい!欧米の大使館は、ずいぶん立派だと思う。日本の海外の大使館と、比べ物にならない。いろいろ税金を使っている関係で、あれこれ言われるのだろうが、この大使館をみていると日本ももう少し頑張ってもいいような気がする。

おしまい

グレン・グールド・ギャザリング その3 ライブ(坂本龍一、フランチェスコ・トリスターノ)

12月13日(水)~12月17日(日)、グールドへのオマージュ(尊敬)というべきグレン・グールド・ギャザリング(Glenn Gould Gathering = GGG)という催しが開かれている。そのメインとなるのが草月ホール(青山一丁目)で行われている坂本龍一、フランチェスコ・トリスターノ、アルヴァ・ノト、リクスチャン・フェネスによるライブである。

この催しは、グールドの関連映画の上映や、グールドにまつわるトークショーとライブがあり、キュレーター(展覧会を企画する人)が、坂本龍一氏である。主は、9月頃に先行予約のチケットをとろうとしたのだが、抽選にはずれて全く取れなかった。そのため、一般販売が始まる時刻をカウントダウンしながら待ち、宮澤淳一氏によるトークショー(1,500円)とライブ(8,500円)のチケットをようやく1枚ずつだけ手に入れることができた。3日あるトークショーの他の日のチケットも取りたかったのだが、次につながった時には、すでに売り切れで買えなかった。グレン・グールドは没後35年で、主はこれほど人気のあるプログラムだとは思っていなかった。

ところで、下の写真は草月ホールの入り口すぐのGGGのパネルを撮った写真だ。

こちらが12月15日(金)、草月ホールのライブ会場の様子。写真では空席があるが、実際は満席になった。スクリーンにグールドが生きた時代のカナダの様子などが写されていた。演奏が始まると、抽象的な画像になるのだが、昔懐かしい大阪万博を思い出した。リーフレットには、「還元主義」「実験音楽」「ビジュアル」「独特な世界観」「概念的」「クラシックと電子音楽の融合」という言葉が並び、全くその通りなのだが、こうした種類の音楽は何十年も前からある音楽で、主は一言で言えば、「環境音楽」という言葉を想起した。

冒頭は、バッハの「フーガの技法」から未完となった最終第14曲、主がとても好きな部分を、坂本龍一が照明の落ちたステージで静かに演奏した。これでいやがおうにも主の期待が高まったのであるが、約2時間ずっとだらだら演奏が続き、途中、バッハ以前の作曲家であるバードだったか、ギボンズだったかの曲がアコースティックピアノで演奏された時と、現代ジャズ風に盛り上がった時だけ、「いいな!これからどうなるのだろう!?」と思ったが、基本的に誰かのオマージュ(芸術や文学において、尊敬する作家や作品に影響を受けて、似たような作品を創作する事)というのは難しいものだと感じさせられた。CDでもグールドのオマージュ作品が、何点か出ているのだが成功しているものは少ない。なお、氏はオマージュという言葉は使わないで、「リモデル/リワークを披露する」という表現をしている。

また、主はこのライブに先立ち宮沢淳一さんのトークショーを聞いたのだが、その中でグールドの作曲したものを何曲か披露するとの情報があった。そのためそれを期待をしていたのだが、実際のライブではそのようなことはなく非常に残念だった。

ただ、この一連の催しは、坂本龍一氏の人気や評価に大いにあやかっていることは間違いない。これだけ人を集められたのは、彼の功績だ。また、演奏後には観客の非常に大きな拍手が起こり、この種の音楽を好きな人には良い演奏会だったのだろう。

また、同じ3日間の日程で、草月会館の入り口のプラザでカナダ人でグールドに影響を受けたコンポーザーのLoscilが、スペシャルライブを行った。写真はその様子である。このプラザは非常に大きな空間なのだが、草月流の生け花を感じさせる、巨石で構成されたバブリーな作りで、近くに行ったならこれだけでも見に行く価値のある場所だ。

写真に写っている観客は少なく見えるが、実際はかなり盛況だった。主がおそらくグールドの映画の中で見たのだと思うが、彼に影響を受け、新しいものを作っているLoscilの姿を見たことがある。結構ユニークな人だったように思う。惜しむらくは、時間の都合で主がちらっと前を通り過ぎただけだったことだ。

おしまい

グレン・グールド・ギャザリング その1 ローン・トークとエドクィスト

12月13日(水)、建国150周年を記念したカナダ大使館で、5日間の日程でグレン・グールド・ギャザリングという催しが始まった。グールドはそれほどカナダにとって、偉大な有名人なのだ。この催しは、青山通りに面したカナダ大使館と公園をはさんで隣接する草月会館の2か所で行われている。このグレン・グールド・ギャザリング(Glenn Gould Gathering = GGG)の主催は、朝日新聞社なのだが、カナダ大使館が特別協力し、大使館で無料映画の上映やミニライブなども行われる。メインは、12月15日(金)~12月17日(日)の3日間、草月会館で行われるライブと関連の深い人たちによるトークショーだ。なお、キュレーター(展覧会を企画する人)は、坂本龍一氏である。

下の写真は、12月13日(水)に草月会館で撮ったものだ。主は、カナダ大使館の地下ホールで上映されたグールド研究の第一人者の宮澤淳一さんの解説による、無料映画を2本見てきた。この2本の映画の上映の合間に時間があり、草月会館の2階(下の写真)で流されていた「グレン・グールドについて」(2017年11月トロントにて)という映像(インタビュー映画)を見ることができた。

このインタビュー映画は、グールドの仕事を支えてきた二人の裏方である録音エンジニアのローン・トークと調律師のヴァ―ン・エドクィストのインタビューからなっている。グールドは、1982年に50歳の生涯を閉じ、今年は没後35年にあたる。そのため、現在存命する周囲の友人や関係者たちは、かなりの高齢であり、このインタビューは今年の11月に撮られたもののようだが、登場する二人は、ともにお爺さんだ。だが、生きて証言してくれるだけでファンにはありがたい。配られていたリーフレットには、このインタビュー映画の説明が次のように書かれている。

「CBC(カナダ放送協会)の録音エンジニアで、グールドの仕事も多数手がけた友人でもあったLorne Tulk(ローン・トーク)とトロント・オーディトリアムでの録音セッションでトークとともに仕事を担当した調律師のVerne Edquist(ヴァ―ン・エドクィスト)。グールドの活動を影で支えた2名の最新インタビュー。」(2本で50分)

まず、エドクィスト(86才):下がの写真が調律師のエドクィストだ。彼は「グレン・グールドのピアノ」(筑摩書房 ケイティ・ハフナー 訳:鈴木圭介)という本に、主な登場人物として出てくる。視力が極端に弱かったので、盲学校で調律を学んだのち、調律師になる。若くして実力を認められる。映像の中で、エドクィストは調律に慣れてくると一日に10件(軒)はこなせるようになり、それは完璧なチューニングではなく、おおざっぱに基本的な部分を押さえただけだけのチューニングだという。グールドの場合は、毎回、二時間かけて完璧にやっていたという。

グールドはずっと専属契約を結んだスタンウェイのピアノを使っていたのだが、彼はピアノの選択には非常にこだわっていた。タッチの浅い、アクションの敏感なピアノを好んだ。グールドはCD318というスタンウェイのピアノを好んで使っていて、アメリカ公演の際にはそのピアノをわざわざ運搬していた。また、望むタッチを実現するために、アクションにさまざまな改良を繰り返した。こうした時にエドクィストは、大いに働いたはずだ。だが、このCD318は最終的に、輸送中の事故で壊れてしまう。その後は、既存のピアノのを探し求め、改造を試みるのだが、なかなか気に入ったものにならない。そうしたときにも、エドクィストは腕を振るったはずだ。

ところで、最晩年の「ゴールドベルグ変奏曲」の再録音には、YAMAHA のコンサートグランドを使ったのだが、YAMAHA という文字が見えないようにするためだと思うのだが、鍵盤の先にある饗板を外していた。しかし、こうすると弦がむき出しになっているのが見え、かなり異形ともいえる姿だ。ただ、主は日本製のピアノが使われたと知って嬉しいということはある。

エドクィストは次のように言う。

グールドは、444HzのAの音が好きだったのは知っていたので、そのように調律していた。彼は完璧主義者だったが、レコードになっているものの中には完璧に調律されていないものがあり、よく聞くと唸りが聞こえるものがある。

録音作業を終えて、イートン・オーディトリウムを出る際にグールドが、鍵が見つからないと言い出したことがあり、結局、最終的に見つかるのだが、グールドは本当のところ、鍵のありかを知っていてそういうことを言っていたかも知れない。

私が、出身の田舎を話題にする定番のジョークを言ったら、グールドはすぐに察して笑ってくれた。職場はジョークを言い合って、楽しい雰囲気だった。ただ、グールドが言うことに対して私は反論はせず、グールドが言いたいことは言わせておいた。

次に、ローン・トーク(78才)。なお、写真のセリフは、グールドを語る際によく話題になるテープの切り貼りを話している場面だ。

グールドは、人間より動物の方が好きだった。

仕事を通じて親友になった私に、義理の弟になって欲しいというグールドが言い出した。この発言は2~3年間続いた。私はずっとあいまいな返事をし続けていた。最後にいよいよグールドが本気になって、弁護士に相談したり、役所へ行こうというので、私は兄弟の了解をとらないとならないと返事し、彼はようやく諦め、その後その件は何も言わなくなった。

録音作業は、第1楽章を録音したあと、何か月かのちに第2楽章を録音するといったことをしょっちゅうしていた。このため、マイクの位置を決めるのにグールドとずいぶん試行錯誤したが、いったん場所を決めるとその位置を動かすといことは一切しなかった。おかげで、録音されたものについてはマイクの位置の問題は起こらなかった。

前述のCD318でバッハの「インベンションとシンフォニア」という曲集を録音するのだが、CD318のメカニズムをそれ以前にさんざんチューニングしていた。グールドはレスポンスが改善され、改良が気に入るのだが、これを録音する際「しゃっくり音」が良く起こった。しゃっくりのような余分な音が入ってしまうのだ。しかし、グールドは、その「しゃっくり音」がどこの場面で起こったか、正確に完璧に覚えていた。このため、その前後の小節だけを再び演奏して、私がテープを差し替える作業をした。

グールドの記憶力に関して、私が「ある本のどこどこに、こう書いてあった」とかいうと、グールドは「ああ、何ページの上の方に書いてあったね」という風に答えを返した。実際にそれが正しいかあとで確認すると、そのとおりの場所に書かれており、もっと驚かされた。

グールドは、絶対にピアノに楽譜を置かなかった。モニタールームで楽譜を見ていることはあったが、モニタールームを出るときに楽譜はそこに残し、ピアノは必ず暗譜で弾いていた。恍惚となって弾いているように見えるが、頭の中では、極端に演奏に集中しているというより、漠然と虚空を見ていたんだと思う。

おしまい