ベートーヴェン・ピアノソナタ”テンペスト”聴き比べ 辻井伸行 vs グールド vs グルダ 

辻井伸行(29歳・1988~)は、2005年(17歳)にショパンコンクールで批評家賞、2009年(21歳)にヴァン・クラインバーン国際ピアノコンクールで優勝した。この優勝は、全盲のピアニストであることもあり大きく取り上げられ、お母さんがたいそう喜ばれていたのが印象的だった。父親は産婦人科医である。元アナウンサーのお母さんが、全盲の我が子を案じながら、音楽の才能に早くから気付き、英才教育を施した。やがて、猛烈なステージママとなり、有名コンサートの優勝に向かって二人三脚で努力してきたNHKの放送を見た記憶がある。

主は、辻井伸行が、お師匠さんの手ほどきした弾き方を目が見えないため単純になぞっているような印象を放送から持っていた。このため彼の演奏は、完全に「聴かず嫌い」だった。ただ、彼の出すピアノの音色は、シャープで澄んだ綺麗な音だとは思っていた。

だが、たまたまピアノ好きの知人から、ベートーヴェンのテンペスト、ショパンの英雄ソナタやムソルグスキーの展覧会の絵など、とてもいい演奏だということを聞いた。実際にYOUTUBEで聴いてみたら、他の日本人ピアニストとは異質のレベルの高さだとすぐに気が付いた。

コンサート情報などが載っている雑誌を主はよく見るのだが、辻井伸行のコンサート情報は全然宣伝していない。多分、宣伝する必要がないほどに売れているのだろうなとは思っていた。クラシック人気が凋落して久しいが、レンタルCDショップでは、辻井伸行のCDはほとんど並んでるのではないかというほど多数のCDが並んでおり、彼の人気ぶりが窺える。

実際、チケットの売れ行きはすさまじいようで、東京や大阪などの都会ではすぐに売り切れ、プレミアをつけてネットで転売され、地方公演ならやっと取れるかどうかという状況だ。また彼は、毎週のように全国をコンサートツアーで巡っている。コンサートのプログラムを見ると、作曲もするようで、自作曲が相当含まれる。グールドファンの主としては、グールドがコンサートツアーが嫌でツアーを引退し、スタジオに籠った経緯があるので、辻井伸行が全国ツアーをいつも巡っていると音楽生命を消耗してしまうのではないか心配になる。

さて、世界の巨匠(グレン・グールド(カナダ・1932-1982)とフリードリヒ・グルダ(オーストリア・1930-2000))と比べるのはちょっと無理があるとも思うが、ベートーヴェンのピアノソナタ17番”テンペスト”の第3楽章の録音で比べてみたい。いずれもYOUTUBEからリンクだが、この第3楽章は、とっつきやすい曲で、非常に聴きやすく心地よい。

なお、グールドの演奏は、1960年10月にCBCテレビ(カナダ放送協会)で放送されたものと思われる。約60年前のものであり、白黒だし録音状態が良くない分不利だ。別にレコードでは、1971年8月に録音したものが発売されており、こちらはかなり録音が良いのだが、YOUTUBEにはアップされていないようだった。フリードリヒ・グルダの演奏は1968年にアマデオというレーベルから発売されてたもので、こちらもかなり古い。辻井伸行の演奏は、2012年の録音なので、他の二つとは完全に異質の録音のレベルだ。最近の録音は、iPodなど安い機器で聴いても十分に美しい音がする。

まずは、辻井伸行から。彼の演奏を聴いて驚くのは何といっても、曲全体の構成がしっかりしていて、それを貫き通す力があるところだろう。日本人のピアニストの場合、一定の意図したテンポを守れないことが多い。もちろん好きなようにルバート(自由にテンポを変えること)していいのだが、自己陶酔だけではリスナーは不愉快だし、ましてテクニックがないためにリズムが揺れてしまうとすぐわかる。その点、辻井伸行はテクニックに裏打ちされた構成力を見せる。また、曲の表情の変化のつけ方もうまい。強弱、レガート、ノンレガートなど弾き方を意図しながら自在に変え、聴くものを飽きさせず愉しませる。アーティキュレーション(フレージング)も自然で、正統派の弾き方なのだろうと思う。

次は主が一番好きなグレン・グールド。録音が古く、おそらくモノラル録音で、小さい音量で録音されているのが残念だが、グールドの力量は十分に分かる見事な演奏だ。この曲は、バッハ以前の曲のようにポリフォニック(複旋律的)ではないが、彼の演奏は、高音部のメロディのみが目立つ演奏とは違い、他の声部も同様に存在感がある。メロディーと伴奏ではなく、複数のメロディーが入れ代わりながら、並走するところに妙味がある。このために、「低音部を強調しますね」と評される。正確なリズム、一音一音の粒立ちの良さ、コントロールされた強弱、10本の指のレガート、ノンレガートの弾き分け、慈しむようなタッチ、決して爆発し暴力的にならないフォルテッシモ。グールドを普段聴いていると、他のピアニストの演奏は、「乱暴!」とか「楽天主義!」「単細胞!」という風に感じてしまう。

グールドのタッチは、フィンガータッピングという特殊な奏法だ。指が鍵盤を押さえた時に、力を抜くと指は自動的にバネのように戻ろうとする。この反作用を徹底的にチリ人ピアニストのゲレーロに叩きこまれ、先生のレベルを超えたのがグールドだ。だが、この奏法は爆発的な大音量を出せない。現代奏法、特にロマン派の曲の演奏では、この爆発する大音量のフォルティシモは、ピアニッシモとともに不可欠な奏法だが、グールドには出せないものだ。これがグールドがロマン派の曲をほとんど演奏しない大きな理由だろう。

最後にフリードリヒ・グルダ。このピアニストは、裸でステージへ上がったり、ジャズへと走った時期もあるため、格調高いクラシックファンには好かれないのだが、オーストリア生まれで生粋のウイーン正統派どストライクの音楽家だ。ジャズに走ろうが、自作の現代曲をやろうが、どんなに崩しても、体の奥底にはクラシックウイーン正統派の精神が流れている。この流れるような美しい演奏は、何といってもピカイチだ。

だが、やはり高音部のメロディーとそれを支える左手の伴奏という感じがしてならない。また辻井もそうだが、フォルテッシモでは、グールドにはない爆発するような強音を出すことができる。指を鍵盤へと叩きつけるので、表現のダイナミックレンジ(強弱の差)が大きい。ただし、強弱の烈しさによりドキッとさせられ、感動し、美しく聴きやすい。

時代がポリフォニー(複旋律)からモノフォニー(単旋律)へと移ったように、われわれの耳はメロディーと伴奏・和音の組み合わせが聴きやすいのはたしかだ。だが、ジャズバンドのようにいろんなメロディーを同時に聴くのは、メロディーの丁々発止の掛け合いが喚起する非常に楽しい感覚だと思うのだが・・・

おしまい

 

「グレン・グールドとの対話」ジャナサン・コット(晶文社 高島誠訳)と「グレン・グールドシークレットライフ」再出版の願望

グレン・グールドの本は何でも読みたい思っているため、カバーの絵を見てこれは初めてだ!と思って買ったのが、「グレン・グールドとの対話」ジョナサン・コット(訳:高島誠 晶文社)だ。だが、下に掲げた「グレン・グールドは語る」(ちくま学芸文庫)と同じ本だった。下の方は、訳者と出版社が異なり、グールドの翻訳を多数手がけておられる宮澤淳一さんが訳されている。

ちなみに、ちくま学芸文庫の「グレン・グールドは語る」は、2010年に出版されたものだが、今回紹介する晶文社の「グレン・グールドとの対話」は、1990年出版で、主が古本で購入したものは1998年の第8刷だった。

こんな風に時間が経過して同じ本が違う出版社から出版されるのであれば、「グレン・グールドシークレットライフ」マイケル・クラークスン(訳:岩田佳代子 道出版)も改めて再出版してもらえないのだろうかと強く思う。

というのは、この本は、原書(英語版)のかなりの部分を翻訳しないまま販売されている。主は、日本版、英語原書とキンドル版の3種類を購入したが、この日本版は段落単位で翻訳されないままに出版されており、こんなことがあるのかというくらいいい加減だ。おそらく全部を翻訳すると、もっと分厚い本になってしまうので、適当な分量になるように調整したのではないか。おかげで、翻訳されたものを読んでいるとどうも意味が通じない。これはもう無茶苦茶で、大勢いるグールドマニアは浮かばれない。アマゾンの書評にこの苦情を書いていることもあり、音楽関係者の方からこのブログへ賛同のコメントをいただいたこともある。

仕方がないので、主は、キンドル版をPC上にペーストしたものをGoogle翻訳を使って、少しづつ自分で翻訳している。これはこれで、「自動翻訳もこんなに実用になっているのか」という面白い発見があるので、また別に書きたい。(翻訳家の皆さんに対する批判ではないので、是非翻訳・出版してください)

感想は前に書いた下のとおりだが、あらためて本書の感想を書くなら、やはり6時間もの時間をかけた電話インタビューなので、グールドの個性が良く表れていると感じる。グールドは対面して話すのが苦手だった。このため真夜中に相手の迷惑を顧みず長電話をしたことで有名だ。それも相互に話をするというより、グールドが思っていることをずっと喋りまくったらしい。その分、本心がよく出ているのではないかと思う。例えば、テレビなどのメディアのインタビューや自分の番組では、批評家の批判を嫌ったために、晩年になると必ず入念な原稿を用意し、ユーモアや才気煥発さが出るように準備していた。(原稿を用意することで、インタビューが昔と比べてつまらなくなったと言われる)このインタビューでもそうだと思うが、やはり好きな電話ということで面と向かった対談よりは、彼ののびのびした一面を感じることができる。

  • 以下は、以前に書評を書いたちくま学芸文庫の方のコピーである。
  • 【グレン・グールドは語る】(訳:宮澤淳一)ちくま学芸文庫

【著者のジョナサン・コットは、1942年ニューヨーク生まれのノンフィクション作家。グールドの10歳年下である。グールドとの関わりを本書の中で語ってているが、デビュー作「ゴールドベルグ変奏曲」を13歳の時に聴いて以来ファンとなり、ニューヨークで行われる公演をすべて聴きに行く。ファンレターも書いて、返信を貰うこともあったと書いている。コットは、その後「ローリング・ストーン」誌の中心的なライターになり、1974年に3日間6時間にわたる電話インタビューをもとにして、同誌へ2回にわたって記事を連載する。グールドの映画を見ていると、長電話、それも明け方や深夜の普通でない時刻にもグールドは話をする相手がいたことがわかるが、コットも生涯にわたって、その一人だった。

【個人的には、ジョージセルによるグールドの良く知られた逸話がでっち上げだったこと、ワーグナーの「マイスタージンガー」前奏曲、ベートーヴェン「第5番交響曲」(ピアノ版)で多重録音していることを知った。

【ジョージ・セルの逸話というのは、1957年(グールド25才)にクリーヴランド管弦楽団との共演のリハーサルの際に、準備万端の楽団員の前で、グールドが生涯持運びつづけた特製の椅子(座面が床から35センチしか離れていない!)の調整に時間を費やし、苛立ったセルが「君のお尻を16分の1インチ削ったら、リハーサルを始められるのだがね。」「あいつは変人だが天才だよ。」と言ったと言うものだ。この記事は、雑誌『タイム』に載ったものだが、記者にもっとユーモアのある逸話がないかと聞かれたセル自身が創作したものだった。 他に主が感心した点は、椅子をこれ以上に低くすると無理な姿勢になってしまうため、自宅で実証済みの方法、ピアノを持ち上げるというグールドのこだわりだ。映像を見ていると、実際彼のピアノは何センチか持ち上げられている。

【本書は、コットが「ローリング・ストーン」誌のインタビュー記事にジョージセル事件を付け加えたかたちで1984年に出版され、邦訳が晶文社から1990年に「グレン・グールドとの対話」として出版されていた。2010年にそれを出版社と訳者が変わり出版されたものだ。最後に訳者の宮澤淳一の分かりやすい「解説」に、「付録」としてレーパートリーなどのデータが載っている。

【グールドの書籍の中では、昔から刊行されているもので、定番と言える書籍だろう。「ローリング・ストーン」誌は、その名の通りクラシック愛好者向けの雑誌ではない。ロックや、政治を取り上げる雑誌で、日本でも翻訳が売られているほどのメジャーな雑誌だ。この本で、彼のインタビュアーへの(ユーモアのある)真剣な回答、彼らしさが多面的に分かるし、読者層を意識してかビートルズに対するネガティブな評価なども語っている。クラシックを聴かない層にもインパクトを与えた。◎だ。

トーク&試聴イベント『目と耳で楽しむグレン・グールド~ゴールドベルグ変奏曲1955』

2017年10月8日、主が愛してやまないカナダ人ピアニスト、グレン・グールドの宮澤淳一さんによるトークと試聴イベントが渋谷のタワーレコードであり、主も行ってきた。

グレン・グールド(1932-1982)は、今年生誕85年、没後35年になる。人気は今なお健在で、彼にまつわるいろいろな録音が発掘され発売されたり、催しが開かれたりしている。

彼は、1955年、23歳の時にJ.S.バッハのアリアと30の変奏曲からなる「ゴールドベルグ変奏曲」でセンセーショナルなレコードデビューを果たす。この録音で何度もテイクをとり、テープを切り貼りしながら、一番いいものを選んで仕上げたことが知られている。このテープの切り貼りは、今では当たり前になっているが、当時、大きな批判や議論が起こった。演奏は1回の通し演奏をすべきで、録音を切り貼りするとは音楽の冒涜だといった批判があがった。

今年はカナダ建国150周年だそうで、カナダ人の誇りであるグールドの記念物を出そうということになったのだろう。デビュー作の1955年の「ゴールドベルグ変奏曲」レコーディング際に使われなかったテイク(アウトテイクというそうだ)全てを含むCD集7枚プラスLPレコード1枚からなる「グレン・グールド ゴールドベルク変奏曲コンプリート・レコーディング・セッションズ1955」が発売された。下の写真がそれである。詳しくは次のリンクを参照してもらえば良く分かる。タワーレコードの商品紹介ページ 重さは5Kgあるそうで、ポスターや分厚い解説も入っており、値段は1万円ほど、マニアには有難い値段だ。

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この発売を記念して、宮澤淳一さんのトークと試聴イベントが行われた。宮澤淳一さんは音楽評論家で青山学院大学教授なのだが、日本のグールド研究の唯一無二といって良い方で、ご自身の「グレン・グールド論」を出版されているほかに、英語で書かれたグールドの出版物の大半を、宮澤さんが翻訳されているほどの第一人者だ。また、グールドを描いた映画「ヒアアフター(時の向こう側へ)」では、数少ない日本人の一人として登場されている。

この日、会場に用意されていた椅子は20脚ほどで、最初「こんなものか、淋しいなあ」と思っていたのだが、時刻になると50人以上の人が立ち見も含めて集まり、けっこう盛況だった。集合時間と比べてかなり早く来られた愛好者は、主と同じような年配者が多かったが、開始時刻間際には若い人たちがぞくぞくと集まってきた。グールド人気が、年寄りだけではなく、若者にも受け継がれているように、主には思われた。

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トークイベントの様子。左が宮澤淳一さん。右はソニーの録音エンジニアの方だったと思う。
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手前に並んでいるのはすべて「ゴールドベルグ変奏曲」のCDで、1955年録音のものと死の直前の1982年録音のもの、自動再生ピアノに演奏させたものなどが並んでいる。

この日面白いなと思ったことを何点か、以下に書いてみよう。

一つ目、グールドは何通りにも録音した演奏を聴き比べて、一番気に入ったものを最終作品としていたとよく言われているが、この日の話によると、グールドは何度も録音を繰り返すのはその通りなのだが、ほぼ最後に録音したテイクを最終作品にしているということだった。つまり、ランダムにいろんな演奏をして、その中から気に入ったものを選ぶというより、気に入った演奏が出来るまで録音を繰り返し、うまくいったらそこでそれでストップしたということだ。ある程度か、明確なのか主にはわからないが、最終形のイメージはあったということだろう。

具体的にいうと、ゴールドベルグ変奏曲は、最初と最後のアリアで2曲、変奏が30曲あるので合計32曲からなるのだが、グールドはそのうち20曲は最後に演奏したテイクを採用しているとのことだ。(当日の宮澤氏のレジュメをPDFにし、次のリンクにさせていただいた)

宮澤淳一氏 レジュメ

二つ目、レジュメにもあるこの日の宮澤氏のお話の中で、グールドの性格をあらわすエピソードだ。グールドはジェフリー・ペイザントの「グレン・グールド、音楽、精神」(宮澤淳一訳)の中で、冒頭のアリアは20回取り直したと回想しているが、「コンプリート・レコーディング・セッションズ1955」から実際は11回目であることが分かるとのことだ。

この差について、宮澤氏は「グールドは20回という数字が恰好いいと思ったんでしょうね」といった旨のことをおっしゃっていた。

グールドの性格は、彼は嘘をついていたということではないが、周囲に写る自分の像をコントロールしていたのは間違いない。実像を隠し、実際と違う像を世間に見せていたし、それは完全に成功していたということだ。

楽しいお話はもっとあったのだが、またの機会に紹介しよう。

特記すべきは、12月にGlenn Gould Gathering(GGG)という催しが、坂本龍一さんがキュレーターとなり草月会館、カナダ大使館で開かれる。チケットの発売はすでに始まっており、早くも残り少ないようだ。関心のある方はググって下さい。主は購入しました。

おしまい

 

 

J.S.バッハを墓場から掘り出した男  「フーガの技法」聴き比べ グールド、シャオメイ、高橋悠治

グレン・グールドが弾くピアノ版の「J.S.バッハ(1685-1750)フーガの技法」は主が最も好きな曲の一つだ。グールド自身、この曲について面白いことを言っている。音楽のスタイルが世紀(100年間)で見ると、流行りすたりがあり、ベストな曲は一番流行っていたスタイルの曲の中にあるのが一般的だが、バッハが活躍した18世紀の最大の名曲「バッハ・フーガの技法」は、その時代の流行スタイルにまったく背を向けた曲だという意味のことを言っている。バッハは時代を先取りするどころか、頑固なまでに時代に取り残され前時代の遺物に拘っていたというのだ。参考までにWIKIPEDIAには、この曲を「クラシック音楽の最高傑作のひとつ」と書ている。バッハの時代は、フーガの様な多声音楽を意味するポリフォニーの時代からから、メロディー重視の和声音楽を意味するホモフォニーの時代へと向かっていた。にもかかわらず、バッハは新時代へと向かう息子たちとは違い、フーガの様な多声音楽にこだわり続けたのだ。

この曲は、バッハがオープンスコアで楽譜を書いており、かつ、楽器を指定していない。オープンスコアというのは、一つの五線譜に全ての声部を書くのではなく、4段になった五線譜に声部ごとに記譜したものを言う。このため様々な解釈があり、弦楽四重奏やオーケストラ、チェンバロ、ピアノ、オルガン、管楽器でも演奏されているし、ジャズバンドが演奏することもある。

バッハ 平均律クラヴィーアのオープンスコア 4段になっている

主もこの「フーガの技法」はいろいろな楽器や編成のもので聴いている。下にリンクしたのは、ヨーヨーマが弦楽四重奏のライブ演奏なので、実際に聞いてもらえると嬉しい。この演奏では最初の主題の1曲目と未完で終わった最終のフーガだけを演奏している。この曲を全曲演奏すると1時間以上になるため、中間の曲をすっ飛ばしているのだが、17曲(自筆譜と初版で曲数は異なるらしい)で構成される曲の中でもこの2つがベストとも言えるので、このように大胆なことをしているのだろうと思う。ちょっと地味な感じがするかもしれないが、主は大好きだ。

ここで独りで演奏するのではなく、アンサンブルで演奏する場合との印象の違いを書いてみたい。主は、音楽家は基本的に楽天主義者の集団だと思っている。間違いなく、音楽家に悲観主義者はいない。演奏をさせると、肯定的にしっかり自分の音を主張する。しかも、控えめという選択肢は多くの場合ない、と思う。このため、一人で演奏したものの方が、曲のまとまりとしては明らかに統一性を持っていると思う。 言い方を変えると、アンサンブルで演奏したものは、自分の担当する声部を常に目立たせようとし、主役にならなくてよい時まで主役になりたがり、フーガの特徴である、声部の声部の「応答」「掛け合い」が減じてしまいがちな気がする。もちろん、違う楽器でこの「応答」の妙技を聴かせるものがあるのは当然だが、独りで演奏すると4人で演奏するように各声部を強い表現で演奏することは絶対にできない。一人でやるとどこに表現の重点を置いて、逆に言うなら、どこを弱く演奏するか自分で判断することになる。 このため、ピアノ演奏は音色、音域、ダイナミズムなどの表現力で他の単体の楽器と比べると図抜けており、ピアノ1台の演奏が、この曲の素晴らしさと、演奏者の狙いや世界観、解釈が最も的確に表現されると思う。

では、具体的に3人のピアノの「フーガの技法」を比べてみよう。比べると言っても、主は、完全に「グールド押し」なので、ベストはグールになるのはご容赦願いたい。比較するためにまず、最初に出てくる主題(1曲目)の演奏時間を調べる。

本当は全曲でも調べたいのだが、この曲は諸説あり、演者によって微妙に全曲数が違うことや、未完の曲(曲の途中で突然終わる!)のために「恐らくこうだろう」という曲を付け足していたり、冒頭にコラール(讃美歌)を入れている例もあり、バラバラなのだ。

  • グレン・グールド(pピアノ.1番は1974年の録音、7曲録音しているうち3曲は1967年の録音):4分51秒  
  • シュ・シャオメイ(p,2014年):2分55秒 
  • 高橋悠治(p,1988年):2分47秒 
  • コンスタンチン・リフシッツ(p,2010年):3分13秒 
  • トン・コープマン(cem =チェンバロ,1979年):3分21秒 
  • グスタフ・レオンハルト(cem,1987年):4分14秒 

あまりに狙い通りなので、アンサンブルも調べてみよう。

  • ジュリアード弦楽四重奏団(1987年):4分10秒 
  • Sit Fast(弦楽四重奏団,2011年 日本人演奏者も入って結構いい)4分29秒 
  • ベルリン古楽アカデミー(弦楽+チェンバロ他合奏,2009年):3分13秒)

以上からわかるように、グールドの演奏が一番古く、また、一番遅い。

グールドはオルガン版(1962年に録音)も弾いており、恐らくピアノを弾けない体調の具合などがあったものと思うが、1番から9番までを非常にあっさりした演奏で弾いている。ピアノ版(レコード向けに1967年と1974年に録音)の方は7曲だが、最大の大曲である14番の未完のフーガが含まれており、緊張感が漲る驚くべき表現力だ。余談だが、1967年に録音された3曲は残念ながらかなり録音状態が悪い。

まず、遅いという点に関して思うところを述べたい。主は、グールド以前にどのような演奏があったのか知らないが、速弾きで有名なグールドは、遅く弾けるということも大きな特徴だ。一定以上に遅く演奏するのは非常に難しい。なぜなら、破綻が耳に聴こえてしまうからだ。リズムを一定に保ち、音をしっかりコントロールしながら緊張を保つのは、非常に高度な技術がいる。これは他の音楽家にはない才能だと主は思っている。グールドが演奏する音は、すべてコントロールされている。アンサンブルは比較的遅いものが多い。アンサンブルは指揮者がいるし、誰かのピッチが揺れたとしてもソロほど大きな問題にならないだろう。しかしソロ演奏では、グールドのように遅く弾きたくとも不可能なのだろうと思う。出来るだろうが、売り物にならない。

次にグールドの演奏が一番古い点について考える。下のリンクによると、グールド以前の録音は、ヘルムート・ヴァルヒャ(cm,1956年)のみだ。実際の初演は1927年、ゲバントハウス管弦楽団なのだが、バッハの没後実に177年経っている。1955年にバッハの「ゴールドベルグ変奏曲」で、彗星のごとくセンセーショナルなデビューを果たしたグールドだが、それまでバッハは演奏されないことはなかったものの、堅苦しい面白味のない宗教音楽だと考えられてきた。この概念をグールドは覆したのだ。バッハを墓場から掘り返したのは、グールドだと言って過言でない。このことを敷衍すると、今のバッハの流行はすべて根本のところにグールドがあると言って良いと思うし、グールドに続いてバッハ演奏する人たちは、真似をしているか、少なからず影響を受けていると思っている。http://classic.music.coocan.jp/chamber/bach/fugekunst.htm

下はYOUTUBEからだが、1979年に映像用に収録されたものだ。グールドは1982年に亡くなっているので、非常に草臥れた姿が映されている。彼の姿勢の悪さや陶酔(エクスタシー)の様子は、音楽に対する特異性が端的に出ていて一見、一聴の価値がある。

ようやくシュ・シャオメイと高橋悠治を登場させよう。高橋悠治の「フーガの技法」は、主が20代終わりの頃(約35年前)に買ったCDでよく聴いていた。主は学生運動が終わって以降の世代だが、高橋悠治はこの運動の闘士達に好まれていると聞いていた。ちょっと屈折したインテリっぽい感じを主は受け、膝を抱えて部屋の隅っこに向かい自分の傷口を舐める、そんな時には最高にフィットする。ちょっと言い過ぎたが、独特の時間スピード、世界観があって気安いところが好ましい。演奏スタイルは、声部が良く分かれているが、グールドは声部でスタッカートとレガートを弾き分けたり、強弱が入れ替わったり変化を常につけている。高橋は全体にどの曲も、同色っぽく、それが好ましく感じる人も多いと思う。

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2004年発売CDジャケットの高橋悠治
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中国上海生まれのシャオメイ

シャオメイは、ピアノ版のフーガの技法を主が前から買いたいと思っていたところ、たまたま行ったタワーレコードで見つけたものだ。このCDは結構当たりだ。とても良い。まず、2014年の録音なので音がいい。アコースティックな美しい響きは何とも言えない。 声部が非常に上手く分かれており、曲の起伏や強弱のつけ方が自然で、なおかつ、攻守が上手に交代しており、説得力がある。グールドと違うのは、他のピアニストも同様だと思うが、いろんな声部の音が同時に重なっているとき、グールドは基本的に和音として打鍵していないように思う。もちろん、重ねて同時に弾いた方がいい場合は、そのようにしているが、複旋律(ポリフォニー)として独立して聴かせたいときは、別に聞こえるように弾いている。また、フォルテであっても指を鍵盤に叩きつけるような和音を出さない。 だが、この人の弾く「フーガの技法」は何と言っても、曲全体の構成力がある。原曲の魅力を余さず引き出すのに成功している。グールドのコンサートへ行けない今、シャオメイのコンサートへ行ければ幸せだろう。

次のYOUTUBEなのだが、1983年のNHKのラジオ放送で日本人の室内楽団員達による「フーガの技法」を分かりやすい解説とともに生演奏で聴くことができる。とても分かりやすい解説と良い演奏を聴くことができる。演奏者は、徳永ニ男(ヴァイオリン)山崎伸子(チェロ)小林道夫(チェンバロ)他とのことだが、錚々たるメンバーだ。これを聴いて、この曲がバッハの没後実に177年!(1927年)経って初演されたということ知った。

おしまい

ジュリアード弦楽四重奏団協演 グールドvsバーンスタイン ピアノ演奏スタイルの違い

グレン・グールドの器楽曲との合奏はそれほど多くない。

正規録音には、バッハは、チェロ・ソナタ集(レナード・ローズ:3曲)、ヴァイオリン・ソナタ全曲集(ハイメ・ラレード:全6曲)が録音されている。他は、シェーンベルク、ヒンデミットやウェーベルンの現代曲がある。

正規録音ではないが、テレビのCBC(カナダ放送局)で放送されたドビュッシーのクラリネットピアノのための第1狂詩曲、ショスタコーヴィチのピアノ五重奏曲などがある。また、有名なヴァイオリニストのユーディ・メニューインと共演したバッハ、ヴァイオリン・ソナタ第4番、シェーンベルク、幻想曲作品47、ベートーヴェン、ヴァイオリン・ソナタ第10番の3曲がある。他に、バッハのチェロ・ソナタ3曲を録音したレナード・ローズが、ベートーヴェンのチェロ・ソナタ第3番を協演している。

言ってしまえば、チェロのレナード・ローズとヴァイオリンのハイメ・ラレードは、グールドの子分のような存在だ。メロディーを奏でるチェロやヴァイオリンがピアノを伴奏者として従えるのが一般的だろうが、グールドの場合は、伴奏しているピアノがリズム感、存在感の両方で大きく、主客が完全に逆転している。

片や、ヴァイオリニストのユーディ・メニューインとの協演は、さすがに一流奏者らしく、簡単に主導権をグールドに渡さない。お互いに丁々発止と譲らず、ずっと緊張感が漲っている。3曲とも名曲というのも作用しているだろう。

グールドは、ロマン派の弦楽器との合奏では、シューマンをジュリアード弦楽四重奏団と協演している。録音されているのは、ピアノ四重奏曲変ホ長調作品47なのだが、このレコードはレナード・バーンスタインが弾いたピアノ五重奏曲変ホ長調作品44がカップリングされている。ディスクガイドを読むと、本来五重奏曲もグールドと共演したものが使われる予定だったが、双方の関係が途中で険悪になり、最後には修復不能までになってしまった。このためバーンスタインの演奏が使われたということだ。

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この2曲のジュリアード弦楽四重奏団の協演が、バーンスタインの場合とグールドの場合でどのように違うのか感じているところを書きたい。

この2つの曲は、同じ調で、同じく4楽章の構成で作曲されており、かなり似た印象を持つ。こっちがバーンスタインだよな、グールドだよなと聴きながらも聞き流していたが、真剣に聴き比べてみた。

バーンスタインは、チェロやバイオリンが主役になるメロディーの場合は、かなり音量が抑え気味で、リズムの崩し方も弦楽器にゆだねている。この場合のピアノは控えめで、弦楽器はのびのび自由に弾いている。曲が進みピアノが主役になるときには、俄然音量を上げ、自分のリズムで演奏し、存在感を急に高める。間違いなく、このように主役が交代しながら、自分のアーティキュレーションで演奏するのはストレスがなく楽しいだろうと思う。しかし、うまく行くときは良いが、ややもすると曲全体の構想が希薄だったり、ベクトルのはっきりしないものになりがちだ。(後で述べるが、たいていこの現象が起こっていると言って過言ではない。)

グールドの場合は、真逆だと言っていいだろう。チェロやヴァイオリンがメロディーを奏でているときでも、バックのピアノがリズムをインテンポで奏で、なおかつ存在感を消さない。このため、弦楽器が崩して演奏したりすることが、全体のバランスが崩れるためにできない。ピアノが足枷となるのだ。弦楽器の裏で、ピアノが小さめの音で伴奏をする場合でも、リズム感に大きな説得力がある。もし、ジュリアード弦楽四重奏団がグールドと違った考えを持つなら、グールドとの協演は大きなストレスになるだろう。

一般に合奏では、主旋律を演奏する者に合わせて、他のメンバーがサポート役に回る。ただ、主旋律は時に違う楽器へと交代するし、同じメロディーをユニゾン(同度の音程)で奏で、音色の違いや緊張感を楽しませることもある。この場合、曲全体をどのように解釈して表現するかはっきりさせ、全員が理解したうえで、意図に沿った演奏ができなければならない。

グールドの頭の中には、常に曲の全体像がある。曲の構造と言ってもいいだろう。それを見失うことがない。だが、その全体像の着想を保ちながら、目の前の演奏の細部を失うこともない。ここが彼の凄いところだと。

同じことをバッハのフーガの技法BWV.1080で説明したい。この曲はグールドがピアノで演奏したものとオルガンで演奏したものと二つある。オルガンも良いが、ピアノ版が空前絶後だ!バッハの遺作で未完の曲なのだが、楽器の指定をしていないこともあって、ピアノの外にもチェンバロ、オルガン、弦楽四重奏、金管楽器、アンサンブルやオーケストラなどで演奏されている。

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第1曲は4声のテーマで、2曲目以降はフーガがさまざまに変形される。第1曲目のテーマだが、グールドの演奏は速度が非常に遅い。もちろん、すべてを聴いたわけではないのだが、グールドの演奏がダントツに遅い。曲を一定以上の遅さで演奏するというのは、非常に難しい。バランスを保つことが難しいからだ。だが、グールドはその遅いスピードで演奏しても破綻しないし、強い緊張感を保っている。4つの声部を弾き分け、最初はどの声部もレガートで弾くのだが、曲が進むと、主旋律をレガートなまま、対旋律をデタッシェ(ノン・レガート)で弾き趣を変える。彼の演奏は、常に時間に沿った横のメロディーが、4声なら4つのメロディーが並行しながら流れていく。ほとんどのピアニストは拍の頭に4つの音が楽譜に書かれていると、4つの音を同時にならす。それでは4声にはならない。鳴るのは和声、和音になってしまう。一人のピアニストでありながら、グールドの頭の中では、あたかも違う楽器を持った4人が演奏しているイメージで演奏している。

そして、テーマの最後に、休符が2度来るのだが、グールドは完全無音の状態を長い時間演奏する。このように完全な無音を奏でた演奏は、フーガの技法を演奏した他の演奏者にはないだろう。グールドがこの曲を録音したのは1974年だが、グールドの死後、1987年にジュリアード弦楽四重奏団がやはりフーガの技法を録音しており、休符を長くとって演奏しているが、グールドほどではない。(グールドは、楽譜どおりに演奏するより、この方がインパクトがあり彼にとって正しいと考えていたのだろう。そのような例は他にもいろいろありそうだ)

そして本題。グールドはこのような対位法で書かれた曲やポリフォニーの曲は、旋律ごとに違う楽器を持った演奏者が演奏している意識でピアノを弾いている。このために、実際の弦楽四重奏団や室内楽団が演奏する場合より、曲の統一感がずっと明確だ。管弦楽団によるフーガの技法で非常に美しく演奏されたもの(シュトゥットガルト室内管弦楽団など)があったりするが、美しいだけで、「それで何が言いたいの?」という感想だけが残る。

いろんな演奏者によるフーガの技法があるが、どれもグールドの演奏にある緊張感、深遠さ、美しさ、無常感、虚無感、統一感、十全さ、ドラマ性、永遠性、宇宙を感じさせる広大さといったものが及ばない。

グールドのポリフォニー的演奏については、「グレン・グールド発言集」(みすず書房 宮澤淳一訳)で自身が述べている。これについては、あらためて述べてみたい。

 

グールドの人間性はどこから来たか 両親のBPDの可能性

ここのところ境界性パーソナリティー障害やアスペルガー症候群などの精神疾患に関する本をけっこう読んできた。

そこで思うようになった。グールドは不安症や薬物依存といった症状に苦しむのだが、背景に母フローラ、父バートの影響がある。

グールドは一人っ子で溺愛され過保護に育ったと言っているが、フローラ、バートともに境界性パーソナリティー障害(BPD Boarderline Personality Disorder)だろう。この障害によるプレッシャーが、グールドという天才を生んだのだ。もちろんこれは、主の憶測でしかない。だが、グールドが音楽で成功したにもかかわらず、私生活では心気症や不安症が生涯解決できなかったことを考えると、親の代からのBPDが天才を生み、同時にその子を追い詰めたからだと思う。

過保護で心配性の母親フローラは、自分の価値観を、必要以上にグールドに押し付けながら育てた。価値観の中で大きなウエイトを占める「音楽」をグールドに伝えることには成功したが、子供の成長に必要な社会性を育てることはまったくできなかった。

父バートは、妻フローラのコントロールの中から出ようとせず、息子グールドを見る時間が少なく、勤勉に仕事に励むのみで父親としての役割を果たせなかった。10歳以降のグールドにピアノを教えたチリ人ピアニストのゲレーロが、父親代わりの存在になり本物の父バートは影が薄い。

境界性パーソナリティー障害を持つ母親を持つ子供は、「ダメな子供」か「完璧な子供」のいずれかになりがちだが、いずれの場合も子供時代の抑圧が原因で、大人になっても心が引き裂かれており、不安から逃れられない。同じことだが、母親の不安感や混乱が子供に投影され、子供の成長を妨げてしまい、大人になってもこの不安が親子の間で拮抗、葛藤するのだが、解決には長い時間がかかる。解決しないこともある。

ところがだ、10歳を過ぎたグールドは「完璧な子供」となり、音楽の分野では親の希望を凌駕、突き抜けてしまう。また、グールド自身が親の価値観を否定し、親を乗り越え始める。だがそれは、音楽の世界での話。人間全体を見渡すと、普通の子供のように精神的な安定を獲得しているわけではなく、きわめて不安定なところがずっと抜けない。

この音楽の世界にかぎっては、世界が完結しているので、ここでは自己を超越し、解放するすることができた。同時に、周囲から称賛されることが当たり前になったグールドは、自己愛性パーソナリティ障害になったのだろう。

ここで、似たような症状を示すアスペルガー症候群との関係を考えたい。アスペルガー症候群とパーソナリティー障害との一番大きな差は、アスペルガー症候群が生まれながらの先天性であるのに対し、パーソナリティー障害は後天的であり、ある段階でパーソナリティー障害になるというところにある。また、アスペルガー症候群の特徴には、常人とは違い一つのことに高い集中を続けることができるという性質があるが、グールドの場合は、対位法的人間であり、複数のことに同時に高い集中力を見せていた。このため、生まれながらのアスペルガー症候群というより、自己愛性パーソナリティ障害が良く合致すると思う。

以下で、グールドの性格が垣間見れる関係者の発言を取り上げる。

「どんな形であれ音楽家を自認するなら、独創性がなければならない。オリジナリティが前提だ。音楽のない生活など考えられない。音楽は私を世俗から守ってくれる。現代の芸術家に与えられた唯一の特権は世俗から距離をおけることだ。私の活動はメディアのない19世紀では難しかった。」(映画「グレン・グールド天才ピアニストの愛と孤独」:グールド)

「こうして僕はハワード・ヒューズのように、神秘的な存在でいたい、という夢にたどり着く。僕はとても私的な人間で、ほとんど独りで時を過ごす。だからスタジオには音楽を生み出す雰囲気を必要とするのだ。僕の私生活を、スタジオとスタジオの行列的な安全さから引き離すことは不可能だ。僕は夜通し起きていて、朝6時前に眠りにつくことは珍しい。コンサート活動をしていた頃は、コンサートの前日には早く寝ることに、そしてコンサートの後ならば夜更かしをしていた。こうして僕は夜型の人間になった。」

「グレンは孤独だった。電話をかける相手ならたくさんいた。だが、真の友人となると別だ。彼は自分の見せたい一面を、あるいは、見せられる面を相手に見せた。だが、他人に見せない面を彼は確かに持っていたと思う。本人も気づいていた。」(映画「グレン・グールド天才ピアニストの愛と孤独」:P.L.ロバーツ)

グールドは私生活を明らかにせず、何か秘密があるのではないかと思わせた。禁欲的なイメージが持たれるようになった。彼はそのイメージを誇張した。しかし、現実には彼は女性関係においてはごく普通の男だった。」(同:ケヴィン・バザーナ)

 

B&W 805D3 購入!

主は、下の写真のB&W CM8というスピーカーを2年ほど使っていた。B&Wというのはイギリスの会社である。秋葉原のヨドバシカメラに高級スピーカーを並べた部屋があり、やはり高級アンプ、高級CDプレイヤーの試聴をする際のリファンレンススピーカーとして店員が勧めていたのがこのB&W CM8だった。店員のこの話を聞き、これを買ったのだが結構気に入っていた。

B&W
B&W CM8

ところが、主がふだん行っているテニスクラブに、やはりクラシック好きでオーディオマニアの爺さんがいる。もちろん主も爺さんだが、このご仁は東京国際フォーラムで行われるオーディオフェアへ毎年欠かさず出かけるという筋金入りだ。

80歳の少し手前で、気の毒なことに現在は心臓病を発病し、いまはテニスを休んでいるのだが、秋には復帰できるらしい。この年齢だが、エドバーグ(この名前を知っている人は昔からのテニスファンですね)が使っていたようなフェース面積の小さい(85インチ!)こだわりのラケットをずっと愛用している。

音楽/オーディオの方は、チェロのミーシャ・マイスキーのファンだがジャズも聴くというオーディオマニアで、主はテニスクラブで音楽談義に話を咲かせていた。次の写真が、彼が持っているスピーカーだ。このスピーカーは1980年代に発売され、その後も大ヒットを続けた。

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B&W 801Matrix

B&Wのこのスピーカーのシリーズはその後も改良され、高い人気を保ち続けるのだが、昨年の秋にもモデルチェンジをし、主はその評判を耳にしていた。このB&Wの最高位のラインナップは800シリーズといい、主が購入したのは下の写真の805D3だ。最初は、評判を知っていたが、価格ゆえに躊躇していた。だが、普段聞いているグレン・グールドの協奏曲物とピアノソロ、ちょっと録音が古く音質が良くないものなど取り混ぜて、何度かヨドバシカメラへ持って行き試聴はさせてもらっていた。

B&W_805D3
B&W 805D3

試聴すると、表現される内容の次元が、これまで使っていたスピーカーとは違う。これまでは朦朧として気が付かなかったのだが、例えば、グールドのベートーヴェンピアノ協奏曲3番(指揮:バーンスタイン)は、1959年の演奏(グールド27歳、バーンスタイン41歳)でステレオ録音が始まった時期のものだが、オーケストラの音色、金管楽器と弦楽器がフォルテで全奏するところなど、古式蒼然とした音色だということに気が付く。大仰といってもいいし、歴史的録音という表現もできるだろう。それに、グールドのピアノのトラックが、真ん中に非常に大きな音で強調されており、今の録音ならこう極端なことはしないよなと今更ながらに思う。

主は、これまで器楽曲や室内楽といった小編成のものばかりを聴いてきた。というのは、オーケストラなどを聴くと、普通のスピーカーでは解像力が劣るために、音が混じってしまいいまいち好きになれないのだ。ところが、この805D3ではオーケストラが、オーバーな言い方だが、コンサートホールではこのように聞こえるだろうという再現性を見せる。さらに、このスピーカーに替えて気が付いたのは、チェンバロの音の美しさだ。特に録音が古いチェンバロ、例えばグスタフ・レオンハルトのもの(1972年の録音だった)などはあまり聴きこんでいなかったが、初めてその価値に気づいた。音が正確に表現されると違って聞こえるのだ。レオンハルトおそるべし。

チェンバロに限らず、「このCDには、こんな音が入っていたんだ!」と思うこともたびたびある。(おかげで、ジャズのマイルス・デイヴィスもよく聴くようになった)

この800シリーズのラインナップは次の4種類あるのだが値段がすごい。一番左が、802D3 で¥3,400,000、左から二番目が803D3で¥2,700,000、左から三番目が804D3で ¥1,460,000、右端が主が購入した805D3で¥880,000である。この805D3はブックシェルフ型なのだが、写真の純正スタンドは¥140,000する。

B&W800series

このヨドバシカメラでの試聴の際に、顔見知りになった店員に小声で「ここだけの話ですぜ。即決するなら、スピーカー2台で6万円まけます」と言われるのだ。ここで、最近の円高で輸入品の仕入れ値は下がっているはずだから、値下げされないかなと思っていた主の心は揺れる。ぐらぐら。とりあえず、名刺をもらって帰る。

そこで、奥さんに反対されない方便を考える。前から考えていたのは、古いスピーカを息子に譲り、有効活用を図る。これなら仕方なく認めてくれるかもしれない。

結局、ヨドバシカメラと自宅で同じ音が再現できたか? それは残念ながら、ヨドバシカメラの方が良いようだ。なぜなら、ヨドバシカメラでは純正のスタンドを使い、スピーカーケーブルは最高のものを使っている。アンプも相当、高級品だ。エージング(暖機運転を十分にすること)も十分だ。

オーディオの世界は、壁の電気コンセントとアンプなどの電気機器をつなぐケーブル(電線)や電気コードを差し込むタップに、10万円以上するものが売られているほどキリのない世界なのだ。オーディオにどんどん凝っていくと、究極は、電力会社にオーディオ専用の電柱を立ててもらうところまで行く。間違ってもそういう世界に入らないように、気を付けながら愉しもうと思っている今日である。

 

バッハ「平均律クラヴィーア曲集第1巻」小佐野圭 ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第2番」アルゲリッチ

2016年3月5日(土)小佐野圭さんのバッハ「平均律クラヴィーア曲集第1巻全曲」のコンサートへ行ってきた。小佐野さんは1958年生まれの58歳、玉川大学教授でもある。会場は銀座のヤマハホール。収容人員が333人のホールで、自由席だったので、良い席に座ることができ、演奏者がよく見えた。同時に、ピアノという楽器が大音量を出すことにいまさらながらに驚いた。アコースティックな響きがとても心地よい。

小佐野さんの演奏は、全ての曲を楽譜をガン見しながら弾くもので、演奏しながら楽譜のページをめくる様子にちょっとハラハラさせられる。グールドは基本的にどの曲を弾くにも暗譜で弾いていたのだが、小佐野さんは音楽大学の教授なのだが、それでも楽譜なしでは弾かないようだ。もちろん楽譜を見ながら弾くのが劣るというつもりはない。だが、グールドはモンサンジョンとの映画の中では、一つの曲を、解説しながらいろいろな弾き方をして見せ、こうした芸当をもし楽譜を見ながらするのであれば、かなり制約を受けるだろうと思う。暗譜で弾いた方が極端な弾き方がいろいろとできる気がする。

およそ60年前の話であるが、グールドの演奏を生で聴けた人は幸運だとつくづく思う。もっとも、彼がコンサートで弾いた時期は、1955年のアメリカデビューのあと、1964年には公演から引退してしまったのでわずか9年間しかない。おまけに、彼が弾く曲は、バッハ、ベートーヴェン、ギボンズ、スウェーリンク、ヴェーベルン、ベルクなどといったある種風変わりなプログラムに限定されていた。しかし、ニューヨークデビューの翌日契約を申し出たコロンビアレコードの重役オッペンハイムの言葉を借りれば「グレンの演奏は宗教的な雰囲気を醸し出していて、思わず聴き入ってしまいました。….私は驚喜しましたよ」ということだ。

肝心の演奏の方は、かっちりとした正統的なバッハを聴くことができた。なんといっても、バッハの「平均律クラヴィーア曲集第1巻」の原曲の魅力は絶大だ。曲自身の構造がしっかりしているので、誰が演奏しても崩れることがない。ジャズでも演奏されるくらいだから。来年は第2巻の演奏が予定されている。また、是非行きたいと思う。

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次に、2016年5月17日(火)アルゲリッチのコンサートへ行ってきた。       アルゲリッチは1941年生まれのアルゼンチン人ピアニストで、今では75歳になってしまったが、クラシックファンなら誰でも知っている有名人だ。デビュー当時には賞を総なめにしており、プゾーニ国際ピアノコンクール、ジュネーブ国際音楽コンクール、ショパン国際ピアノコンクールで優勝している。

1960年代、主が中学生の頃、親父がアルゲリッチのLPレコードを持っていた。レコードジャケットには20代のアルゲリッチが写っており「えらい美人やな!!」と主は動揺したことを覚えている。白人で若くて美人、これは日本人が圧倒される要素だと思う。 そんなこんなで、その後の彼女の私生活を調べてみると、3人の音楽家と結婚と離婚を繰り返し、それぞれに夫が違う娘を3人産んでいる。細部は知らないが、波乱万丈な人生のようだ。下は若いころのレコードジャケットである。

アルゲリッチ

この日のオーケストラは、高関健指揮の紀尾井シンフォニエッタ東京。初台にあるオペラシティのホールは1632人収容の大きなホールだ。

第一部はモーツアルトのディヴェルティメントニ長調K136と交響曲40番。第二部で武満徹の映画音楽から「ワルツ」、最後にアルゲリッチとの協演によるベートーヴェン「ピアノ協奏曲第二番」である。第二部の冒頭から美智子妃が会場に来られ、大喝采で迎えられた。

演奏された曲はどれも馴染みのある曲ばかりだった。アルゲリッチのピアノは、最初リズムの取り方がグールドのように正確ではなく「違和感があるなあ?!」と思っていたが、曲が進むにつれて耳が馴染んでくるのか、それなりに楽しむことができた。

アンコールにスカルラッティのソナタニ短調K141という曲が演奏された。スカルラッティは、イタリアナポリで1685年に生まれたJ.S.バッハと同時代の作曲家だ。この日のアルゲリッチのスカルラッティの演奏は、バッハと同時代の音楽の感じがせず、ロマン派の曲かと思ったほど崩れた感じがした。下のYOUTUBEのリンクはアルゲリッチの同じ曲の2009年の演奏だが、むしろこちらの方がうまいと感じる。

https://www.youtube.com/watch?v=Gh9WX7TKfkI ←こちらアルゲリッチ2009年

以下は、たまたま開いたチェンバロのJean Rondeauの演奏。こちらの方がバロックらしく感じられ、主の好みだ。(YOUTUBEのリンク)

 

 

 

グールドが否定したコンサートへ行く 福田進一 禁じられた遊び

2016年2月17日(水)13時30分開演、「楽器の秘密 第3回ギター~禁じられた遊び~」というタイトルのコンサートへ行ってきた。まず驚いたのは、聴衆のほとんどが高齢者であるということだ。平均年齢は70歳くらいだろうか。平日の昼間、普通の勤め人は来ることができないのだと納得する。

ギターの福田進一さんは、今年1月、還暦記念リサイタルでJ.S.バッハのリュート組曲全曲演奏をした日本のクラシックギター界の第一人者だ。主は、バッハ・無伴奏ヴァイオリンパルティータ第2番の有名なシャコンヌが入ったCDを1枚持っている。

ところでこのシャコンヌ、調弦を「落ち着いた音色を求めるために通常のA=442Hzより低めのA=439Hzに下げて演奏」されているのだが、やはり、意外と違和感がある。

この日のコンサートは副題のようなものがついており「楽器の秘密 第3回ギター」となっているように、ステージの福田さんが、演奏の間にギターにまつわる話をするという趣向で、もちろん演奏が良かったのだが、専門家による話は刺激的でなかなか楽しかった。福田進一

では、グールドにちなんだトピックへ行こう。

第1ばんめ。グールドはコンサートへ来る観衆が、自分を安全な場所に身を置き、まるでコロッセオで行われる猛獣と戦う剣闘士を見るように、演奏者を見ていると考えていた。「集団としての観衆は悪だ」と言い、そして「コンサートは死んだ」とも言っては、コンサートを否定していた。彼が31歳の1964年以降は、コンサート会場で実際に弾くことはなかった。グールドがコンサートを否定する理由の一つには、彼の完璧主義があるだろう。彼はコンサートでの演奏の後、観衆の大喝采を受けている最中に「今の演奏には気に入らないところがあった。もう一度演奏をやり直したい」と思っていたという。他にグールドがコンサートに出たくない理由として、コンサートツアーで飛行機に乗ったり、列車で長距離を移動したり、快適とは言えないホテルに宿泊したり、行く先々で慣れないピアノを弾かされるといったことが嫌で仕方なかったという現実は当然ある。

心気症でもあったグールドは、コンサートの会場へ親しい知人が来ることにも強い拒否反応を起こした。グールドが26歳から29歳のころ、恋人であるヴァーナ・サンダーコック(グールドのマネージャーであるウォルター・ホンバーガーの秘書)は、コンサートへ行かないという内容の誓約書を書かされている。グールドにとって聴衆は、邪魔な存在だった。多くの音楽家にとって、神がかり的で素晴らしい演奏をするためには聴衆が必要なことを考えると、グールドは珍しいタイプと言えるだろう。

グールドは、20世紀中にはコンサートは録音メディアにとって代わられ、なくなるだろうと予言していた。この予言は当たらなかったと言わざるを得ないだろう。クラシック音楽のコンサートは、今も毎日のようにどこがで開かれている。しかし、クラシックのコンサートの地位は、紛れなく低下している

また、グールドは、クラシック音楽の演奏の一部がキットとして流通し、リスナーが好きな演奏を組み合わせて、自分の好きな演奏を組み立てるようになるだろうとも予言していた。「いくつかの異なる演奏のレコードを売って、聴き手にどれが一番好きか選ばせたい。そして好きなように組み合わせて、聴き手が自分の演奏を作るのです。聴き手に異なるテンポと異なる強弱で演奏されたあらゆる部分とあらゆるスプライス(切り貼り)を与え、自分が本当に楽しめるような組み合わせをさせればよい。ー この程度まで演奏に参加させるのです」と言っている。もちろん、音楽の断片が、このようにキットとして販売されるということは聞いたことがないが、今やパソコン上で同じことをしているマニアはたくさんいる。

クラシック音楽を考えると、世界中でそうだと思うが、ゴールデンタイムにテレビでクラシック番組を放送するというようなことは、1900年代と比べると明らかに減っている。クラシック音楽を聴く人の数そのものが減っていると思う。CDショップでは、往年の巨匠たちの演奏の焼き直しばかりが相変わらず売られているし、家庭へのアコースティックピアノの普及率も下がっているのではないか。昔と比べると、クラシック音楽で身を立てるというのも難しいはずだ。それはとりもなおさず、現在のクラシック音楽自身は徐々に世間から顧みられなくなりつつある。

クラシック音楽の業界の中だけで、クラシック音楽を有難がっているようではだめだ。

第2ばんめ福田進一さんの話に戻るが、第1曲をフェルナンド・ソルの「モーツァルト『魔笛』の主題による変奏曲」で始めたのだが、1曲目ということかかなりミスタッチが目立っていた。ギターは左手でフレットを押さえ右手で弦をはじくのだが、右手で弦をはじく前に左手の準備ができていないとかすれた音が出る。この曲は、最初にテーマがあり、変奏曲が続くのだが、変奏が進むにつれ同じ拍の中の音の数が増え、曲の進行につれかなりの速度になる。ここでうまく音が出ず、荒っぽい演奏となる。この日のミスタッチは、曲目をこなすにつれてなくなっていったように思う。 ここで、グールドのテープのスプライス(切り貼り)を思い出した。当然、福田さんがスタジオ録音を行う際には、気に入らない部分をスプライスするのだろう。録音されたCDにそのようなミスタッチは当然ない。

ただ、1932年に生まれたグールドは、ミスタッチの少ない演奏家だったにも拘わらず、この切り貼りの先駆者であったのは間違いない。当時、15年以上レコーディングプロデューサーを務めたアンドルー・カズディンの書いた「アットワーク」を読んでいると、グールドは、ミスタッチを消すためにスプライスをしたのではないことがわかる。彼は音楽の細部と全体の両方を深く理解しており、全体を完全なものに仕上げるために、細部についても妥協しなかった。細部にフォーカスを当てていながら、同時に、全体を見通す(見失わない)というのは常人にはかなり困難なことだと思うが、グールドはこれができた。

グールドがブリュノ・モンサンジョンと作ったバッハシリーズのビデオは、そのあたりがよく出ている。グールドがバッハを曲の構造をディープに解説しながら同時に弾いてみせるのだが、喋る方と弾く方どちらも破綻することなく実に見事なものだ。

 

本当の姿がわかる「グレン・グールド アットワーク」アンドルー・カズディン

「グレン・グールド アットワーク/創造の内幕」(アンドルー・カズディン/石井晋訳 音楽の友社)

アットワーク_

写真はアマゾンから

本書は、1989年にアメリカとカナダで同時に出版されたものを、1993年に日本語訳で出版したものだ。すでに新刊は絶版となっているので、中古を買うしかない。日本語の副題は「創造の内幕」となっているが、英語では”Creative Lying”であり、直訳すれば「創造的な嘘つき」ということになり、書かれている内容が端的にわかると思う。翻訳は品質が高く、非常に読みやすかった。訳者のレベルにより、原書の内容が正確に読者に伝わるかどうかが左右されるが、この訳者のように訳していればとつい嘆きたくなる本もなかにはある。

それはともかく、グールドが亡くなったのは、1982年10月4日で、死後たくさんの書物がさまざまな角度から出版された。しかし、グールドと実際に長く身近に接した人物が描いたものは極めて少ない。ほとんどの本は、直接取材して聞き取ったものと言うより、グールドの演奏や、発言、著作を元にまとめられている。しかし、この本は、1965年から1979年までレコード・プロデューサーを務めたアンドルー・カズディンが書いているため、他の本にはない説得力のある、臨場感のあるものだ。

グールドは親しくなった友人であっても、異性関係を尋ねられるといった些細なことや、演奏に批判めいたことを言われるだけで、直ちに関係を断ってしまうのが常だった。このため、生涯孤独と言っていいほど親友がいなかった。そうしたグールドの性癖により、プロデューサーが何人も交代している中、アンドルー・カズディンは15年もの長い間40枚を優に超えるレコードをプロデュースしていた。だが、やはり、1979年にあっさり、それまでの関係を切られてしまう。15年も一緒に仕事をしてきた仲間は、「ありがとう」の一言もなしに関係を終わらせてしまう。

この本を読んでいると、「グールド伝説」や「グールド神話」は、グールド自身の演出だったと気付かされる。グールドは、自分のイメージが望む内容になるように、世間に流す情報をコントロールし、きわめて選択的に発信していた。彼はサンタヤーナの小説「最後の清教徒」の主人公に自分を重ね、「最後の清教徒」だとよくいっていたが、実際の彼は自己愛の強いのナルシストと言うべきで、「清教徒」のように自分を見てもらいたかったと考えるのがよさそうだ。

靴下の話も興味深い。カズディンはこの本の中で、グールドが必ず片方は濃紺で、もう一方は灰色か黒の靴下を履いていたことを指摘している。色が同じかどうかをよく見もしないでそのまま履いてしまうというより、確率を考えると二回に一回は揃いの色になって然るべきだと述べ、わざと違う色の靴下を履いていたのではないかとの疑問を呈する。

ただ、一方でこの本は、グールドの天才(異才)ぶりも具体的に記述している。ここでは一つだけだが、絶対音感にまつわる話を紹介しよう。 グールドが自分の車を運転しながらラジオを聴こうとしてスイッチを入れると音楽をやっていたという。少し聴いただけでその音楽はよく耳にする馴染みの曲だと気付いたのだが、誰の何という曲だったかはどうしても思い出せない。そうして悪戦苦闘しているうちに演奏が終わってしまった。そしてラジオのアナウンサーが曲名と作曲者を言ったとき、理由がはっきりする。その日ラジオで流されていた演奏はその曲をアレンジしたもので、しかも調性が原曲とは違っていたのだ。カズディンは次のように書いている。「こうしたことは『普通の』音楽家なら、仮にグールドと同じ経験をしたとしても、第一に曲名だってちゃんと分かっただろうし、ただ楽しんでいただけだろうから、別の調性で演奏されていることにはたぶん気づかなかったと思う。つまりは、問題など起こるはずもなく、ショックを受けることもなかっただろう。そう考えると、この話はなかなか興味深い」