夏目漱石「草枕」とグレン・グールド

グレン・グールドは、夏目漱石の「草枕」を異常なほどに高く評価していた。もともとこの小説は、1906年(明治39年)に発表されたのだが、英語版は1965年(昭和40年)に「The three cornered world(三角の世界)」という名前で発表されたものだ。グールドは、20世紀最高の小説とまで言い、死の前年である1981年にラジオの朗読番組を作り、死の床には、さんざんに書き込まれたこの翻訳書があったという。

kusamakura

「山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。」で始まり、「智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」さらに「住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る。」と続く。

「草枕」というタイトルなら、英訳は「 The grass pillow」などとなりそうなものだが、翻訳したアラン・ターニーは、「The three cornered world」と訳した。これは、本書の中に「して見ると四角な世界から常識と名のつく、一角を磨滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう」と書かれた一節があるからだ。この箇所が内容を最も端的に表していると考えたのだろう。四角四面な浮世において、常識にとらわれない三角な世界に住むのが、芸術家であるということだろうか。

主も明治時代に書かれた「草枕」を実際に読んでみた。実際に漱石が書いた「草枕」は漢語がふんだんに使われ、難解で注釈なしでは読めない。また、変転する筋らしい筋もなく、核となるのは漱石の芸術観だが、簡単に読めるというものではない。また、明治という時代背景のせいだと思うが、現代の今となっては新味に欠ける事柄を新発見したような書き振りのところも多い。また、漱石らしいユーモアが魅力だが、芸術家と市井の人との差異や知識人としてのエリート意識を強く感じる。

この小説では、魅力のある出戻りの「那美」という名前の女性の絵を、「余」がなかなか描けないというのが一つのモチーフになっている。画を書こうとするのだが何かが足りない。だが、最後に「那美」の前に別れた亭主が現れ「憐れ」が一面に浮かぶ。それで、初めて画が描ける、といって話は終わる。漱石の芸術観は「情」に溺れることなく「理」の世界を是とするものの、「情」をなくすことはできないし、「情」なしに芸術は成り立たないということのように読める。

漱石の「草枕」には古色蒼然としている部分があるのだが、グールドが読んだ「The three cornered world」は、ネットでググると外国人にとって非常に読みやすく、日本版とはかなり趣が違うようだ。また、翻訳された1965年にはベトナム戦争がすでに始まっており、ヒッピーなどの新しい文化や価値観が生まれた時代だが、グールドがこの本の朗読をした1981年は、ヒッピーやユートピアを単純に肯定するだけではもちろんすまない。保守、反動、さまざまな価値観がせめぎあった時代だ。

グールドは漱石の芸術観に強く共鳴したのだろう。敬虔なキリスト教徒の両親の教育のもと、グールドは古い時代の価値観を根底に持ちながら大戦後の民主主義や大衆主義が高まる幸福な時代を生きた人だが、漱石の芸術観、何かと棲むのが面倒な浮世から、芸術が常識に囚われない三角の世界へ誘うという考えに強く共鳴したのだろう。

おしまい

 

 

グレン・グールド 神秘の探訪 ケヴィン・バザーナ

「グレン・グールド 神秘の探訪」(ケヴィン・バザーナ サダコグ・エン訳 白水社)

ケヴィン・バザーナは、カリフォルニア大学で音楽史の博士号を持つフリーランスのライター、編集者であり、グールド研究の第一人者だ。「グレン・グールド 神秘の探訪」は大判の単行本でありながら500ページ以上ある大著だ。グールドの両親が結婚する以前から書きはじめられ、微細な調査をもとに、非常に良く書かれている。

唯一書かれていないのは、他の本もそうだが女性関係だ。これがすっぽり抜け落ちている。これは、如何にグールドが細心の注意を払ってプライバシーを守り抜いたかがわかる。

これまで読んだ2冊の伝記「グールド伝ー天才の悲劇とエクスタシー」(ピーター・F・オストウォルド)「グレン・グールドの生涯」(オットー・フリードリック)も深く考察されていたので、グールドの人物像がどのように作られたのか徐々に分かってきたように思う。

当たり前だが、天才は凡人とは全く違う。グールドはなるべくして天才グールドになった。幼児期から他の子供と遊ぶということがなく、母親の教える音楽の世界にはまり込み、言葉を話せる前に楽譜を読めるほどになり、その後も音楽以外の世界を知らない。幼児期から友人と遊ぶことがまったくないまま、音楽の世界の奥深くへつき進んでいく。他人との付き合いについて、次のように語っている。「私は6歳までに重要な発見をしました。つまり自分が人間より動物たちとずっと仲良くできるということです」人間づきあいがまったくできないといっていい。

グールドのことを現代における音楽だけを愛した「最後の清教徒」で聖人君子というイメージを抱いていた。しかし、音楽を愛したというところはそのとおりだが、それ以外のところは全く様相が違う。

あらゆる面で普通ではないのだ。不安症。エディプスコンプレックス。大衆に対する恐怖。ナルシスト。死ぬまで価値観が変わらない。偏執症。他人を理解できない。10代からの薬物依存。潔癖症。運動をしない。抑うつ症。スーパーナルシスト。昼夜の逆転。もちろんそれらに匹敵する美点も多いが、もしグールドから音楽を除いたら何も残らない。

グレン・グールド伝ー天才の悲劇とエクスタシー P・F・オストウォルド

「グレン・グールド伝ー天才の悲劇とエクスタシー」(ピーター・F・オストウォルド 宮澤淳一訳 筑摩書房)

オストウォルド(1928-1996)は、グールドの4歳年上のカリフォルニア大学サンフランシスコ校の精神科医であり、公演芸術家(パフォーミングアーティスト)の精神治療を研究、特に芸術家の天才と狂気を探求した。同時に、セミプロ級のヴァイオリニストでもあった。二人が知り合ったきっかけは、グールドの治療をしたわけではなく、グールドが24歳の時(1957年)にカリフォルニアでの演奏会のあと、オストウォルドが演奏の素晴らしさに魅せられ楽屋を訪ねる。オストウォルドの賛辞にグールドも打ち解け、その夜、他の音楽家たちとともに明け方までバッハ、ベートーヴェンを合奏をする。それが二人の出会いである。

グールドは電話魔で有名で、オストウォルドも親友としてそのリストに入るのだが、1959年グールドは演奏会をキャンセルし、その賠償を逃れるためにオストウォルドに診断書を書くように依頼する。診察をせずに診断書を書けないとオストウォルドが断ると、グールドからの連絡は途絶える。

この本では、グールドの生い立ちから始まり、天才ぶりを発揮する一方で、まったく社会性のない子供が大きくなり、アスペルガー症候群(自閉症の一種)が疑われ、強度の不安症、ヒコポンデリー(病気でないのに病気だと思い込む)、スーパーナルシストとグールドを分析している。オストウォルドは精神科医、特に芸術家の天才と狂気を研究した人で説得力がある。

ただ、グールドは精神科医を受診することは自分のイメージを傷つけると考えたのだろう。あれだけの鎮静剤などを常用しながら、女性関係同様、このことは生涯ひた隠しにしている。 グールドを描いた映画「エクスタシス」で音楽評論家のクロード・ジャングラが「人心操作の天才だ」と言うのだが、主はずっと意味が分からなかった。 しかし、グールドの伝記などを多く読むようになって、今は分かる。グールドはどんな情報が受け手(世間)に喜ばれ、また、自分のイメージを損ねるか生涯にわたって気づいていたし、またこのマイナスイメージに十分に注意をはらっていた。それが天才の「人心操作の天才」と言われる所以だろう。 

夏でもコートにマフラー、手袋をし、マスクをすることは受ける。だが、この時代、精神科にかかることは狂人を意味しイメージを傷つける。女性関係は(家庭的な禁忌もあるのだが)「清教徒」を標榜する身にとって望ましくない。

グールドは、株でも才覚があった。周囲が株でみなが損失を被っている時、彼一人が石油の株でもうけを出したという。映画「グレングールドをめぐる32章」の「秘密の情報」というチャプターでこう描かれている。

彼はソーテックスという名の小企業の株で儲ける。周囲にこう言っていた。「空港でヤマニ(石油相の名前)のボディガードから聞いた。」「何の話です?」「これはここだけの話だよ」「ソーテックス?聞いたことない」「ここに採掘権を与えるそうだ」他の人にも電話をかけ言う。「ここだけの話だよ。他言は無用だ」「ソーテックス?(名鑑を調べ)あった」次に皆が言い始める。「ソーテックスのことは?」「ソーテックス 2万株だ」と皆が注文を出し始める「北に油田が見つかったんだよ。ロマーニが興味を持ってるらしい」と話に尾ひれがついて行く。当時、株価暴落が起こる中で、ソーテックスの株だけが上がり、グールドは高値で売り一人儲ける。株屋は言う「グレン、うちのクライアントで儲けたのは君だけだ。音楽活動を止めて株式に専念しろよ。『ヴィルトゥオーゾ』め!それじゃあな」電話を切って独りごちる。「ピアニストか。(なんてこった)」

 

 

 

グレン・グールド考 (なぜモーツアルトピアノソナタを奇矯に弾くのか)

グレン・グールドとフリードリヒ・グルダのモーツアルトピアノソナタの比較をしてみた。

フリードリヒ・グルダのモーツアルトピアノソナタ14番は、「Mozart no End」というライブアルバムがあり、グルダ晩年の最高の演奏で何とも言えず美しい。

フリードリヒ・グルダを簡単に紹介すると、オーストリアで1930年生まれ(グールドは1932年生まれ)、グールドよりちょうど20年長生きで、2000年に亡くなっている(グールドは1982年に亡くなっている)二人は同世代だ。グルダは、根っからのウィーン正統派なのだが、ステージに真っ裸で登場したり、ジャズに走り、変装してジャズボーカルを歌うなどの奇行もあり、正当な評価を受けなかった。いくら道を外れても、ウィーンという町に育ったせいで、クラシック音楽の神髄が体の中に自然と身についている。

グールドもそうだが、演奏はやはり晩年のものが聴きごたえがある。死後になって、生前には発売されていなかった(本人が許可しなかった)録音が発売されているが、やはり、全般に良い演奏とは思えない。

グレン・グールドは、普通に弾けばそれでも十分にうまいのにといわれる。本人も言っているが、グールドのモーツアルトは奇をてらっている。これは何故なのか考察してみたい。

まずは、グールドの演奏スタイルが他のピアニストとどのように違っているかを考えてみよう。

第一に昔からの演奏と同じ解釈をするのは、意味がないと考えていた。彼の関心は、先入観にとらわれることなく、独創性を持つことだ。楽譜を完全に暗譜し、自分のものにし、作曲家すら考えなかったような奏法の可能性を検討する。録音前2週間ほどはまったくピアノを弾かず、頭の中で音楽を鳴らす。スタジオには10種類以上の奏法のアイデアを持って入る。このため、作曲家が指定する速度や強弱の指定は守らない。スタジオに入ってから、これらのアイデアをいくつものテイクをとって試してみる。こうして何十、何百と取り直しながら、また、良いパーツを切り張りしながら、やっと気に入った演奏に仕上げる。

第二にグールドは対位法を用いた曲を好んだ。ところが、モーツアルトの曲は対位法的要素が少ない。美しい単一のメロディーを楽しむのが普通なのだが、グールドはこれを意図的に複線にする。楽譜に音符を加えることで、対旋律(ポリフォニー)を作り出す。このことで「再作曲家」といわれる。

第三にタッチの問題がある。グールドの弾き方は、師ゲレーロから教育されたもので、フィンガータッピングといわれ、驚くほど低い椅子に座り、手首と指を平行にして指を滑らすように弾く。このフィンガータッピングは、鍵盤を押したときに自然に指が戻る動きを高度に訓練したものだ。このため、決して指先を鍵盤上から叩きつけるような弾き方をしない。高い姿勢から腕を振り下りすような弾き方をすれば爆発するようなフォルティシモを出すことができる。グールドの奏法は鍵盤を叩きつけないので、段丘状にフォルテを表現している。

こうしたことから、グールドの演奏は普通から非常に遠く離れたものになっている。極端な速さで弾く。耳の方がついて行けないくらいに早いこともある。遅いものは極端に遅かったりする。グルダは、オーソドックスに常に一つのメロディーを浮き上がらせ、聴く方もそのメロディーを追っていく。グールドは、伴奏の低音部の方を強調したり、メロディーの裏で違うメロディーを歌わせる。モーツアルトのように美しい一つのメロディーの流れを楽しむとき、他の旋律が被さってくるのは、煩わしく感じることもある。また、先ほどのフィンガータッピングでは、爆発するようなフォルティシモを出せない。このために曲の強弱は、グルダの方が大きい。グルダは、高温のメロディをフォルティシモで弾く時に鍵盤を明らかに叩いており、「キン」という鋭い音を出してるが、グールドの弾き方ではこのようなダイナミックな音は出せない。現代の高性能のピアノでは大きい音はより大きく、小さい音はより小さく弾くことによってダイナミズムを出しており、当時のフォルテピアノとは性能が比べ物にならない。そういう意味で、グルダの演奏は、モーツアルトの美しいメロディーと緊迫感に浸ることができるが、グールドの演奏では浸ることは出来ずに、覚醒させられる。 

ここで疑問がわいてくる。グールドは、奏法の制約から爆発的なフォルティシモを出せなかった。それ故に、普通の演奏をせずに、人とは違うアプローチを取らざるを得なかったのではないか?

モーツアルトは古典に分類されるが、それ以降のロマン派の作曲者たちは、対位法を離れ、メロディーと伴奏による曲作りをしている。グールドは、このロマン派の曲を全然弾いていない。対位法の要素がないから興味を持てなかったというのもあるだろう。だが、爆発的なフォルティシモを出せなかったので弾かなかったのではないか。

かくして、グレン・グルールドのモーツアルトのピアノソナタは従来の演奏のアンチテーゼとなる。
 

グレン・グールド考 再No.3(天才の育て方)

グレン・グールド伝(ピーター・F・オスとウォルド)を読んでいる。まだ、途中なのだが、面白い逸話がたくさん出て来るので、天才がどのようにして生まれるのかを考えてみたい。

グレンの母フローラ、父バートともに敬虔なキリスト教徒だったが、ともに音楽が大きな比重を占めていた。フローラは声楽と器楽を学んでおり、教会のオルガニストでピアノ教師でもあった。バートはフローラより9歳年下だったが、音楽を通して二人は知り合った。二人とも合唱にも加わるほど、歌がうまかった。バートはヴァイオリンも弾いた。フローラは、何度か流産を繰り返したのちに40歳でグールドを出産する。

妊娠中から、フローラは胎児に良い影響を与えるためピアノを弾き、歌い、ラジオやレコードの音楽を聴かせていた。彼の意識に音楽が浸透していくと信じていたし、もちろんグレンが生まれると音楽に関するものなら、知るものすべてを教えようと思っていた。彼女は人への接し方が冷淡だといわれるが、音楽は非常に大きなウエイトを占めていた。ー『フローラはグレンが「特別な子供」となり、将来、音楽を通して世界に多大な貢献をすることを常に願っていた。』(前掲書より)

やがて、実際に特別な子が生まれる。息子は言葉を話せる前に、楽譜を読めるようになる。絶対音感を持っていることもわかった。フローラはピアノを厳しく教えた。父親バートの存在は薄い。

グレンの音楽に対する才能は、目覚ましく伸びていく。

一方で、グレンは生まれながらに普通の子供ではなかったし、その程度は年齢を経るにつれて顕著になっていく。父親が、1986年(グレンの没後4年)にフランスで行われたグールド展のパンフレットに次のように書いている。『祖母の膝に乗ってピアノに向かえるようになるや、大抵の子供は手全体でいくつものキーを一度に無造作に叩いてしまうものだが、グレンは必ずひとつのキーだけを押さえ、出てきた音が完全に聞こえなくなるまで指を離さなかった。』(前掲書より)グレンが8歳になり、パブリックスクールに通うようになった時期、学校で一番苦手だったのは授業よりも休み時間、昼食の時間で、周囲の粗暴な同級生たちとはうまく付き合えなかった。一番苦手だった科目は、音楽だ!音楽教師(ミス・ウインチェスター)の指導にしたがって生徒たちが簡単なカノンを揃って歌うとき、わざと『半音階的興趣』を加えて歌う。これに怒った女教師は、彼の頭の上にチョークの粉を降りかけた。

子供の頃から処方薬を手放さず、アスペルガー症候群といわれる。長じては、不安症、心気症、パラノイアといわれ、栄養剤、抗不安薬、睡眠剤に頼った昼夜が逆転した生活を当然のように送る。食事や服装には全く興味がない、

グレンは10代に入って20歳までプロのピアニスト(チリ人ピアニストのアルベルト・ゲレーロ)の指導を受けるようになり、バッハなどとともにシェーンベルクなどの現代曲も身に付けていく。母フローラの価値観には、現代曲がない。だが、自我が目覚め始めたこの時期、母を否定する形で二人は衝突する。父親たちと行ったボート釣りで、グレンが魚を逃がそうとし、みんなにグレンは揶揄される。それを機にグレンは動物愛護を主張し、父親が好きだった趣味釣りを止めさせてしまう。周囲からは、両親がグレンを尊敬しているように見えたといわれるまでになる。

一方で、音楽は、すべての曲を暗譜で弾き、一度聞いた曲は正確に再現できる。彼の演奏に魅入られないものはいない。即興演奏の名手。ピアノを弾くことが、心休まる唯一の彼の居場所だった。

 

つづく
 

グールドが100回見たという「砂の女」(阿部公房)

グールドが100回見たという映画「砂の女」を主が3回見た後で、阿部公房の原作「砂の女」を読んだ。忘れないうちに、ブログに書いておこう。

小説「砂の女」のあらすじは次のようなものだ。

同僚との関係に倦み、家庭にも倦んだ大学で昆虫を研究する教師が、行方も告げずに、真夏の砂丘へと昆虫採集に出かける。シュールなのだが、そこで、村人に騙され囚われの身となる。宿と言われた海辺の家は、砂を20メートルほどの穴を掘った底にあった。その家は防風林の役割を果たしていおり、家が壊れないよう落ちて来る砂を毎晩砂かきをして、砂を外へ出さなければならない。その男はそこで囚われてしまうのだ。その家には、女が独りで住んでいた。男はありとあらゆる方法で脱出しようと試みるのだが、蟻地獄のような砂の底の家から脱出することができない。外界から全く遮断された生活。砂の底の家から外の景色をも見ることができない生活。やがて、男は脱出することをあきらめ、男と女は交わるようになり、砂かきに協力するようになる。8か月たったころ、女は子宮外妊娠による激しい腹痛をおこし、村人に布団にくるまれモッコに乗せられ病院へ連れていかれる。縄梯子が残されたままになっており、男はその梯子を上り約1年ぶりに外の海の様子を見る。だが、「逃げるのはいつでもできる」と、穴の底へ戻っていく。その後、7年経ち、家庭裁判所が失踪者としての審判を下し、とうとう、その男が戻らなかったことが読者にわかる。

この小説で描かれているのは、誰もが求める自由とはどんなものなのかを考えさせるものだ。家庭と職場を行き来し、電車に乗り、新聞を読み、あれこれ批評する自由。それがいったいどういう価値のあるものなのか。男は自由を奪われ、囚われた男が言う『サルでもできる』砂かきを行う。空を見上げることができるだけだ。そうした中で、砂の下で毛細管現象により水が貯留する現象が起こることを発見するのだが、これを最初に報告するのにふさわしいのは、ここの村人たちだと考える。価値観が徐々に変わっていくさまがうまく表されている。

映画の方は1964年に公開され、カンヌ映画祭で審査員特別賞を受賞している。主人公仁木順平を岡田英次、女を岸田今日子が演じており、いわゆる不条理劇なのだが、エロチシズムをはらみながらリアリティのある作品だ。原作の方も英訳が1964年に行われたのをはじめ、20数か国語に翻訳されている。

また、この映画の音楽は作曲家・武満徹が作っており、オリジナルな現代音楽で、場面にふさわしい、場面にすっかり溶け込んだ魅力に溢れている。グレン・グールドはこの映画を100回見て、プロットのすべてを理解したといわれるが、武満徹の音楽の素晴らしさもあったのは間違いない。

アマゾンのDVDのジャケット

砂の女

グレン・グールドの映画「ヒアアフター(時の向うへ)」で、次のように語るくだりがある。

「僕は刑務所の囚人になってみたい。もちろん潔白の身であることを条件にしてだ。なぜならアルコールの消費やすべての競争を拒む清教徒として、西洋では優越視されている自由の概念に僕は賛成できないから。ある運動が自由を得た時、しばしば無益な大騒ぎになり、社会から容認された言論の暴力に終結する。だから禁錮は自己の内部の可動性を測るのに適している。とはいえ、魂が自由に呼吸できるように、僕は看守にいくつか注文をつける:独房の壁の色は灰色に塗ること、煖房と換気のシステムは僕自身が調節できること。僕は気管支炎にかかりやすいから」

グールドは大衆が嫌いだといっている。アスペルガー症候群で他人の心が理解できなかったのかもしれない。大勢でいると居心地が悪くなり、二人を好んだ。また、直接話すことより、電話で話す方が好きだった。芸術家の特権は、世俗と距離を置けることにあるとも言っている。

おそらく彼は大衆が好む『自由』は、無益な大騒ぎをするだけの値打ちしかなく、言論の暴力に向かうのみで、何も生み出していないと看破していたのではないか。逆説的だが、自由を奪われた時にこそ、どのような精神的活動ができるのかはっきりとわかると考えていたのだろう。

 

 

 

グレン・グールド考 再No.2(PCオーディとお勧め曲)

グールドに熱中するようになったのは、ここ2、3年ほどの事です。私は現在60才ですが、20代の頃は、ピンクフロイド、オールマンブラザーズバンドなどのロック、キースジャレットなどのジャズに熱中していました。1980年代にレコードからCDへとメディアの世代交代があり、ちょうどそのころからクラシックも聴くようになりました。

グールドは、亡くなる直前に録音されグラミー賞も受賞した「ゴールドベルク変奏曲」(1981年発売)を出始めのCDで聴いて、いいなと思っていたのですが、彼の他の録音は1950年代から始まっており、初期のものは、録音状態が悪く敬遠していました。

3年ほど前から(実際はもう少し前だと思います。)、PCオーディオという聴き方が流行ってきました。PCオーディオというのは、CDプレイヤーを使わず、CDの内容をパソコンに書きだし(あるいはインターネット経由でデータをダウンロードして)、デジタル・アナログ・コンバータ(DAC)という機器をつないで聴くのです。この方法ですと、音質の劣化が少なく、安価でも高音質な音楽を楽しめます。もともとCDの規格は30年以上前に定められたもので、かなり以前から、録音時に高音質で録音したデータを、30年前の規格に合うように低品質にダウンコンバートしてCDが売られているのです。

ハイレゾ(High Resolution)という言葉をご存知の方も多いと思います。これはデータ量が多くなり、CDには収まりきらなくなるのですが、インターネットからデータをダウンロードすることで、CDの規格をはるかに超える高音質が手に入ります。ソニーなどはハイレゾウオークマンを発売し、人気が出てきたようです。

このPCオーディオで音楽を聴くと、過去の録音であっても、当時の最高のレベルの機器で再生された音質を簡単に手に入れることができるようになります。安物のステレオ機器の値段で、最高音質の演奏を聴くことができるようになるのです。ざっくり言ってしまうと、録音されたデータとスピーカーから出てくる間には、さまざまなボトルネックが存在するのですが、これらの間をスピーカー以外はデジタル接続することにより、音質の低下を抑えることができるのです。

こうしたことで、「昔の録音でもいい音じゃん!」と思うようになり、グレングールドの音楽の世界に深く足を踏み入れることになりました。昔の録音で、音質が悪くて聴く気がしない、と思っていた音楽も十分に楽しめます。

さて、グールドの魅力の続きです。
普通の音楽はどんなものであれ、主旋律と伴奏という形をとるのが一般的です。クラシックも例外ではありません。ポピュラー音楽もそうですね。かの小澤征爾さんさえ「音楽はメロディー、ハーモニー、リズムから成り立っています」とNHKで言っていました。

ところがジャズやロックを思い浮かべてください。これらの音楽では、異なったミュージシャンが時に主役になったり、脇役になったり、同時に競ったりしています。ジャズやロックは、メロディーもさることながら、この楽器同士(ヴォーカルを含め)の掛け合いが楽しいのだといってよいと思います。

これをグレングールドはクラシックの世界でやってのけた、唯一といっていい人物です。普通ピアノは右手でメロディー、左手は伴奏を受け持ちます。特にモーツアルト以降のロマン派の作品(ショパンやドビッシーなどを思い浮かべてください)はそうなっています。これに対し彼の場合、バッハやベートーヴェンが主なレパートリーですが、10本の指を自在にコントロールしながら、違うパートのメロディーを同時に歌わせるのです。しかもその時、一番重要なメロディーをレガートで強調しつつ、脇役となるメロディーをスタッカートで弾きちょっとコミカルな雰囲気をだしたりします。少しの小節ごとに奏法を変え、音の長さを変え、音量も変えているので聴き飽きるということがなく、常に新発見があります。

この同時に奏でられる複数の旋律のことをポリフォニーといい、ハーモニーとは少し違います。グールドはモーツアルトの曲などでは、主旋律の他に違う旋律(音符)を自分で加えたりしています。このことで『再作曲家』と言われることがあります。また、聴く人を作曲家の気分にしてくれると言われたり、曲の裏側から光をあてたなどと言われます。

では、今回も曲の紹介をしましょう。

1曲目は、バッハの「ゴールドベルグ変奏曲」です。彼はこの曲でデビューし、死の直前にこの曲を再録音しています。まさに「ゴールドベルグ変奏曲」で始まり「ゴールドベルグ変奏曲」で終わったのです。この曲はアリアで始まり、30の変奏曲の後で再びアリアに戻ります。30番目の変奏曲は他の変奏曲とは趣が異なり(クオドリベット)、当時の俗謡が二つ入っていて非常に聴きやすく、終曲直前にふさわしい楽しい曲です。最後のアリアは静かで非常に美しい。
バッハは、この曲をカイザーリンク伯爵が安眠するため作曲したという逸話があります。この逸話は現在否定されているようですが、弟子ゴールドベルグが伯爵の寝室の隣の部屋で伯爵が眠る前に演奏したというのです。

グールドが最初にピアノ録音をリリースするまで、この曲はチェンバロで演奏するのが通例でした。チェンバロはピアノに比べ表現力という点では劣る楽器です。チェンバロは魅力的な音色を持っていますが、音の強弱、音の長さをコントロールできません。これに対してピアノは、全く次元の違う表現力を持っています。バッハの時代になかったピアノの豊かな表現力でこの「ゴールドベルグ変奏曲」を彼が弾き、バッハを生き返らせ、彼に続くピアニストたちがこぞってバッハをピアノで弾くようになったのです。

以下は、バッハの「ゴールドベルグ変奏曲」のYOUTUBEのリンクですが、再生回数がなんと2百万回を超えています!!

https://www.youtube.com/watch?v=N2YMSt3yfko

2曲目は、モーツアルトのピアノ協奏曲24番です。グールドは、モーツアルトの曲に対位法的(ポリフォニーの)要素が少ないので、非常に低い評価をしか与えていませんでした。このため、唯一録音されたピアノコンチェルトです。

ピアノソナタ(ピアノ独奏)の場合、彼は普通のピアニストが弾くような弾き方でも素晴らしい演奏ができたのですが、彼は、旧来と同じ演奏をするなら意味がないと考えており、常に新しい解釈を求めていました。このため、かなりエキセントリックなモーツアルトのピアノソナタばかりです。例えば、最後に「トルコ行進曲」が含まれるK331は、最初まるで近所の子供が弾いているかのようなポツポツとした弾き方で始まり、徐々にスピードを上げ、アダージョの変奏曲をなんと『悪魔的に』アレグレットで弾きます。

さて、肝心のピアノ協奏曲24番はそうしたエキセントリックな演奏ではなく、そういう意味では流麗で、リリカルな、堂々としたノーマルな演奏をしています。(ベートーヴェンのピアノコンチェルトをはじめ、協奏曲を弾くグールドは、全般にノーマルな解釈をしています。彼の頭の中では、ピアノ協奏曲はピアノ伴奏付交響曲であるという考え方があり、ピアニストがオーケストラを凌駕し、圧倒し、ねじ伏せるという昔の考え方ではなく、ピアノを含めたオーケストラ全体が一体となった演奏を望んだのです)ノーマルとはいっても、天才ぶりが十分に発揮された素晴らしい演奏です。

指揮者で、バイセクシャルのレーナード・バーンスタインが、観客がいる演奏会でこの曲を指揮し、第1楽章のカデンツァ(ピアノ協奏曲でオーケストラが休止し、ピアニストが名人芸を披露する独奏部)を聴き、「思わずズボンの中でイキそうになった」とコンサート後のパーティーで打ち明けたという話が伝わっています。(ちょっと下ネタになってしまいました)

以下は、モーツアルトのピアノ協奏曲24番のYOUTUBEのリンクです。この上のリンクはバーンスタイン指揮、ニューヨークフィルとのカーネギーホールでのライブ盤(1959)をリンクしました。こうした録音が今もあることを初めて知りました。下のリンクは、発売されているCDの方で1961年、サスキント指揮、カナダ放送協会交響楽団のものです。録音状態はやはこちらがはるかにいいですね。オーケストラもいいと思います。もし、どちらかひとつだけ聴くなら、下の方をお勧めします。

https://www.youtube.com/watch?v=qV_lnAtLYkU

https://www.youtube.com/watch?v=kNV1icyCTt4

つづく
 

デタラメ翻訳! 「グレン・グールドシークレットライフ」(書籍について その6)

【グレン・グールドシークレットライフ】マイケル・クラークスン著 岩田佳代子訳 道出版 (3200円税抜)

この本は、デタラメだ。あまりにひどい。しっかり訳していないということもあるし、段落単位で翻訳していないところがある!

ひととおり読んだところで、意味が全く分からない部分がこの本にはあった。54ページ5行目に「興奮した『ゼクエンツ』」と書かれた部分がそうだ。『ゼクエンツ』」とは、なんなのか? 意味が分からなかったので、GOOGLEなどで検索してみたが該当するものがなかった。このため誤植かタイプミスなのだろうかと、その時は思っていた。

その後、原書(英語版)を手に入れ、この部分を日本語版と比べてみた。該当部分がある章は分かっているので、章の頭から比べていった。そうすると、びっくりするような脱落を発見する。段落丸ごと、何十行も翻訳されていない段落があるのだ。原書の28ページ、2番目の段落(16行ある)、29ページの2番目の段落(29行ある)も同様だ。びっくりする!!!!

この章は主に最初のグールドの恋人フラニー・(バッチェン)バローについてページを割いて書かれている。翻訳されていない段落は、トロント音楽院の2歳年上、ソウルメイトのアンジェラ・アディソンについての記述だ。全体の流れを損なわないと考えたのだろうか、バッサリと削られている。

意味が分からなかった「興奮した『ゼクエンツ』」がでてくるところは、原文では、”the jacked-up sequence…”だった。『ゼクエンツ』って何だろうか?と考えてみた。ふと思いついたのが、”sequence”の意味が取れずにカタカナ読みし『ゼクエンツ』と訳したのではないか? と思い至る。

“sequence”を『ゼクエンツ』と訳すのもひどいが、段落を飛ばして販売する、これはあまりに読者を馬鹿にした行為ではないか。グレングールドを聴く人は多いが、さらに踏み込んで書籍を買おうとする人たちは、かなりグールドにハマっている。オタクというのは語弊があろうが、マニアと言ってもいいのではないか。そういう信者たちを騙す、正しい情報が欲しい読者を騙したといわれても仕方ないだろう。

ところが、消息通にいわせると翻訳書にはこうしたことが結構あるそうだ。日本語版を買って、さらに原書にあたろうという人は稀だ。原書で読めるなら、原書を買うからだ。脱力。とほほだ(;一_一)

また、出版社は翻訳の版権を海外から買っているので、他の会社が同じ書籍の翻訳本を出すのは難しいらしい。ますます読者は取り残される。グールドの没後32年、未だに人気の衰えないグールドならではの現象だろう。

 

シークレットライフ

 

グレン・グールド考 再No.1(お勧め曲)


私がここ数年来ハマっているカナダ人クラシック・ピアノ奏者グレン・グールドGlenn Gould(1932-1982)を紹介しましょう。「えっ、グレン・グールドって誰?」と言う人に読んでもらい、もし聴いてみたいと思ってもらえれば、これほど嬉しいことはありません。


グレン・グールド(以下GGと略記します。)は、今から遡ること何と32年、1982年に亡くなっており、過去の人なのですが、日本のクラシック音楽においては、おそらく今でも一番売れているでしょう。これだけ時間が経っているのに、どこのショップの売場でも、GGの録音、録画がずらりと並んでいます。新録音は増えませんが、組み合わせを変えた企画ものが次々と発売されています。また、彼に関する書籍もたくさんあり、どれも絶版になりませんし、新刊も刊行されています。映画も結構な数が作られており、一番新しいものは、2011年に日本で封切られました。


ご存知ないでしょうか?映画「羊たちの沈黙」(1991)。牢に捕まえられた猟奇殺人者レクター博士が愛聴曲バッハの「ゴールドベルグ変奏曲」(GG演奏)を聴きながら警官を襲撃、脱獄するシーンがあります。狂気の博士とあまりに美しいピアノの対比。博士の異常さを際立てていました。また、知る人が少ないかもしれませんが「スローターハウス5」(1972)という映画では、全編にグールドのピアノが使われていました。


地球人の文化紹介のため1977年に打ち上げられた宇宙探査機ボイジャーにはゴールドディスク(旧式のアナログレコード)が乗せられており、知的生命に地球を紹介するための地球上のさまざまな写真や言語、音声などが記録されています。この中にはGGのバッハ曲演奏が乗っています。(このボイジャーはすでに太陽系を脱出しているそうです。)

GGは、演奏に関して完全に「天才」ですが、演奏の場を離れたGGは、若い時分ハンサムで、ジェームズ・ディーン(1931年生まれ。GGより1年早い。25歳で夭折した美青年の代名詞です。)と並ぶアイドルでした 。

グールド(トクサベ)

           ウィキペディアで利用を許諾されたGG

奇行が有名で、夏でもコートにマフラー、手袋、帽子姿で現れました。極度の潔癖症で、指の怪我を心配し、握手を求められても握手をしませんでした。アスペルガー症候群、心気症だったとも言われます。薬物依存があり、精神安定剤など多種の飲み薬を常に持ち運び、不安になると精神安定剤を口に放り込んでいました。あまりに大量の薬を持ち運んでいるので、怪しんだ係官に国境で没収されたことがあります。レコード会社やマスコミは、こうした彼の一面を格好の材料にして取り上げました。


デビュー後、演奏会で演奏すること自体に批判的で、曲を演奏したあと観客から大喝采を浴びている最中でさえ、「今の演奏にはよくないところがあった。もう一度弾き直したい。」と思っていたといいます。「集団としての聴衆は悪だ」と感じ、ずっと引退したいと公言していたのですが、人気絶頂の31歳の時に演奏会から実際に引退します。この後、もっぱらスタジオ録音を行います。1曲を録音するためにテイクを何十もとり、その録音テープを切り貼りしながら部分的に良いところを集め、曲を仕上げたのです。


彼の演奏時の姿勢は、脚の先端を切った椅子(床から座面まで30センチしかない!)に座り、時に顔を鍵盤に触れそうになるほど近づけ、上半身をぐるぐる旋回させます。椅子が異様に低いので、身長180センチのグールドのお尻より、膝が高い位置に来ます。手首より指が上に来ます。椅子をこれ以上低くすると無理な姿勢になってしなうため、スタジオ録音ではピアノを数センチ持ち上げていました。この椅子はGGのシンボルと言えるほど有名で、GGはこの椅子を亡くなるまで何十年もずっと持ち歩いていました。晩年の演奏時には座面の部分がなくなり、お尻が載るところには木の枠だけが残っていました。録音にはこの椅子の軋む音がかすかに入っています。三本足(ピアノのこと)、マイクを愛した男と書かかれたこともあります。


彼の姿勢は、他のピアニスト達とはまったく反対です。正統派の奏法は、背筋を伸ばし、腕を下にした良い姿勢から、上から大きな腕力を一気に鍵盤にかけ、爆発するような大音量を出すことが可能です。GGはこのような弾き方が出来ないことを認めています。ですが、彼のピアノの音色は非常に美しい。4声あるフーガを10本の指が自在に独立して動き、すべての音がコントロールされ、頭の中にあるイメージが直接音になって表れて来る、そんな演奏です。非常にゆっくり弾いた場合でも超速弾きでもパルスを正確に保てるので、ドライヴ感があると言われます。いったん演奏を始めると、天才的な集中力を発揮し、一瞬のうちにトランス(エクスタシー)状態に入ってしまいます。トランス状態に入り込んでも、冷静さ、明晰さは常に保っています。右手だけで弾ける時は、空いた左手を振り回し指揮をします。右手が空けば、右手です。子供時代から常に歌いながらピアノを弾いていたので、大人になってもこの習性が抜けず、ピアノを弾くと、無意識にハミングしてしまいます。このため、彼の演奏には鼻歌が演奏とともに録音されています。


売り物の録音にはハミングが邪魔なプロデューサーが、スタジオに第二次世界大戦で実際に使われた毒マスクを持ってきて、ハミングが録音されないよう『これを被って演奏したら?!』と半ば本気で言っています。


かたやオーケストラとの共演では、オーケストラが全奏(トッティ)している間、週刊誌を見ている若い時代のGGの衝撃的な写真があります。


SMAPの木村拓哉が、ドラマ「ロングバケーション」でピアニスト志望の役を演じた際にグールドを知り、女性向けの雑誌クレア(96年5月号)へ向けて次のように言っています。「友達が『えーっ、クラシックぅ?ピアノぉ?』って言ってる人にもスンナリ聴けるピアニストを教えてくれたんです。それがグレン・グールドのおっちゃん。あの人って、弾き方もバカにしてるみたいでしょ。猫背で、すごい姿勢も悪くて。それが、いいなあと。」いろんな評論家が様々にGGを評していますが、キムタクの発言が一番うまくGGを表しているでしょう。正統派クラシック音楽をずっと聴いていた人より、興味のなかった層に受け入れられやすいことは間違いないと思います。私もクラシックを聴いているというより、単に音楽を聴いていると思っているだけです。


以下は、実際の曲を集めたYOUTUBEのリンクです。普段クラシックを聴かない人、GGを知らない人でも楽しめる曲を集めてみました。こうしてみるとGGの演奏がYOUTUBEにはいっぱい網羅されていて驚きます。


最初は、ベートーベンンのピアノソナタ「月光」です。非常に有名な曲ですので、どなたもよくご存じだと思います。普通のピアニストは、心の中の激情を秘めながらも、その激情が時々表に出るように、この曲の第1楽章を弾きます。ところが、彼の演奏は、曲のリズムを一定に保ち抑揚を抑えているので、その激情をさらにもっと心の奥底に隠したように、潔癖な感じがします。(YOUTUBEで“Gould moonlight”と検索しても出てきます。)


https://www.youtube.com/watch?v=HoP4lK1drrA

次は、バッハの「マルチェロの主題による協奏曲BWV974」です。協奏曲という名前がついていますが、ピアノ独奏曲です。原曲がバッハではないので、当然バッハらしくないですが、非常に美しく聴きやすい魅力あふれる曲です。第2楽章のアダージョをリンクしていますが、第1楽章、第3楽章と合わせた全曲通しても楽しめます。(YOUTUBEで“Gould 974”と検索しても出てきます。


https://www.youtube.com/watch?v=C2zix8yTY_Y

次は、バッハの「イタリア協奏曲」です。これもバッハらしくなく、軽快、華麗です。気持ちいいです。リンクは最初の1楽章だけですが、2楽章、3楽章は雰囲気が変わり、3楽章は疾走し、GGのテクニック全開でこれまたとても楽しいです。是非聴いてください。(YOUTUBEで“Gould Italia”と検索しても出てきます。

https://www.youtube.com/watch?v=sq1TPi4aJWc

最後は、私がベストだと思っている曲です。バッハの「フーガの技法」の最終曲です。バッハはこの曲を完成せずに死亡しましたので、絶筆です。曲の途中で突然終わるのですが、それでもベストです。おとなしい曲ですので、この曲だけ聴くとちょっと物足りないかもしれません。そのかわり、このリンクはGGが弾いている映像が流れますので、ハミングや体の旋回、低い椅子、エクスタシーの様子がよく分かります。(YOUTUBEで“Gould Art of fugue”と検索しても出てきます。

https://www.youtube.com/watch?v=iDSAXtsDB5k

つづく

 

 

 

GLENN GOULD 中毒 (書籍について その5)

グレン・グールドに関する書籍をさらに読んだ。感想第5弾。

【グレン・グールドシークレットライフ】マイケル・クラークスン著 岩田佳代子訳 道出版 (3200円税抜)

本書は、グレン・グールド(以下GG)の女性関係を追う形で書かれている。GGは、生涯独身を貫き、自分のことを「最後の清教徒」と評しており、ホモセクシュアルが疑われるほど異性関係はまったくないと考えられてきた。GGは、自宅に残された大量の書き物から細心の注意を払って女性関係の手掛かりを完全に消していた。だが、本書でそうした先入観は完全に覆される。

百人を超える人をインタビューをして本書は書かれたとあり、英語名で次々と名前が出て、男性名か女性名かすぐに判別できなかったり、地名にも注意を払わないとならない。このため、細心の注意を払いながら読み進めた。

この本の「はじめに」で、著者は映画”Genius Within : The Inner Life of GG”(日本名:天才ピアニストの愛と孤独 http://www.uplink.co.jp/gould/ )の制作に協力してきたと書いている。また、帯にも「現在、グールド映画の脚本脱稿を目前に控えている。」と書かれている。どうやら、この本はこの映画のネタ本そのものではないのかもしれない。没後30年以上が経ち、別の新しい映画が作られるのであれば嬉しい。

GGは、素晴らしい天才で、音楽そのもののみならず、その背景にある思想や感性はどんなものだったのか主は興味を持っていた。GGの薬物依存や、アスペルガー症候群や心気症、あがり症であったり、対人恐怖であったり。だが、グールドは生涯、私生活を表にすることはなかった。特に女性関係については、生前はもちろん、1982年に没するまで、2007年にコーネリア・フォスがグールドとの恋愛関係を認めるまではそうした女性関係はないものとして語られてきた。だが、実際は違った。

少年期、父母から厳しいキリスト教の教えの元で厳格に育てられた彼だが、ティーンエージャーの最後あたり、トロントで芸術家仲間と奔放な時間をすごし、遅まきながら性に目覚める。GGは、人付き合いや社交性はなかったが、男性よりどちらかといえば女性とは打ち解けることができた。14歳のピアノソロデビュー直後から、カナダ国内では天才と騒がれていたし、23歳でのニューヨークデビューに成功、その翌日にはコロンビアレコードから専属契約を申し込まれ、バッハのゴールドベルク変奏曲の録音で世界一流のピアニストへと駆け上がる。彼の成功は音楽誌だけではなく、一般誌でも取り上げられる熱狂ぶりで、その容姿はジェームズ・ディーンによくたとえられた。精神的に様々な問題を抱えていたものの、その演奏は素晴らしい魅力に満ち溢れており、男女を問わず誰でもその魅力の前には、彼との交際を望み、彼の役に立ちたいと思うのだった。

彼の私生活の中には、エゴイスティックで理不尽な面があるのは事実だ。また、同時に何人もの女性に心惹かれ不実なようにも見える。だが、彼は音楽については、まだまだやりたいことがあり、妥協を許さないワーカホリックだ。そんな彼を女性たちも理解していたのだろう。 

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