マクラがカビた!

気づいたら、マクラがカビていた!!

どこでどういう風に間違ったのか知らないが、熱帯夜(夜中に25度以下にならない夜のこと)と言われるが、熱帯では最低気温は25度以下になり、そのような現象は起こらない。日本人の多くが、熱帯は一日中暑いものと誤解している。一日中最低気温が25度を下回らないのは、温帯独特の現象なのである。

そういうわけで、ポートモレスビーは、日中は暑いものの、朝晩は結構気温が下がる。一応南半球なので、冬にあたる7,8月頃は、ブランケットの上に布団を二枚重ねにして寝ていた。それでも明け方は寒かった。今は、10月なので夏に向かっている。ブランケットの上に布団が一枚になり、そろそろブランケットだけでも大丈夫な感じがする。ベッドに入るときは結構暑いのだが、夜中に温度が下がり調節が難しいので、思えば汗を盛大にかくことも多かった。

夜は気温下がるので過ごしやすいのだが、湿度が常に85%ある。晴天でもその湿度がある。乾燥機で乾燥させた衣類を置いていると、そのうちしっとりと湿気を帯びてくる。乾燥したパジャマに着替えたいのだが、なかなかそのような状況にはならない。こちらに来て、5か月。スーツ、ネクタイ、セーターがカビたのだが、気が付いたらマクラもカビていた。使っていない革のベルトもカビていた。知らなかった。トホホ(^^);;

マクラのカビ1マクラのカビ2

踏切事故 村田さん

10月1日、踏切内で動けなくなったお年寄りを助けて、自分が亡くなってしまうという痛ましい事故があった。わが身を顧みず人を助けるといことは、なかなかできることではない。政府や自治体も感謝状を出したり、今後は、褒章を与えるということだ。

この事件で感じたのは、この女性の行動もさることながら、お父さんの発言が偉い。事故直後のニュースで、お父さんは「娘はなくなったが、せめてお年寄りが助かったことを励みにします。」との意味のことを言っておられた。この発言を聞き、久しく感じなかった潔さを感じた。その後も、お父さんは「多くの方が娘を悼んでいただき感謝します。」と言っておられる。自分の悲しみを吐露しがちなところ堪え、周囲の人たちへの心配りが先に出てくるところが、最近では少ない立派な方だと感心した。もちろん、娘さんが立派なのだが、お父さんの発言も立派で、世間の共感をこれほど呼んだのだろう。

昨今は、事件や事故の遺族が、いつまで経っても親族の死を風化させまいとする風潮が一般的だ。遺品を横に「心の中では、まだ生きています。」と言う場合が非常に多い。NHKは「風化させない」「忘れない」としきりに報道している。

ブログの主は、昔の日本人は、これほど故人のことを言い続けたのか、とこうした風潮についてかねがね疑問を持っている。当然ながら、故人は帰ってこない。帰ってこない故人のことをいつまでも他人に言われると、同情はできるがどうしようもない。

「水に流す」という言葉があるが、最近、日本人は水に流すという事をしなくなったと感じている。「風化させない」「忘れない」というのは、どこから来た発想だろうか。確かに、教訓を得て今後に生かすことは必要だ。だが、「水に流し」て、また額に汗して働くことが、気持ちよく前進する方法ではないかと思う。また、そうすることで、故人も浮かばれる気がする。読売新聞20131002p37

なぜはまったか!(グレングールド(1932年~1982年)考4)

TOWER RECORDなどに行くとカナダ人ピアニストのグレン・グールドのCDやDVDが大量に販売されている。没後31年になるが、様々にリメークされて発売されおり、人気は衰えない。また、今では値段も安くなって買いやすい。(コンプリートバッハコレクションは、CD,DVD合わせて80枚ほど入っているが、わずか1万円少しで買える。昔、レコードからCDへの移行期、CD1枚3000円以上したと思う。)同様に、書籍も多数販売されており、未だに出版点数は増えている。

グールドは、1955年録音の「ゴールドベルグ変奏曲」でデビュー、名声を獲得するのだが、1982年に50歳で亡くなっている。死の前年に再録音した「ゴールドベルグ変奏曲」が遺作である。この時には、すでに多くの演奏家がこの曲を録音しており、ピアノ、チェンバロ、ギター、ジャズなどもあった。主の音楽CDの棚には、何種類もの「ゴールドベルグ変奏曲」があった。主は、特にクラシック音楽が大好きというわけではなく、音楽は静寂が恨めしい時、この恨めしさをを紛らわせるために流していた。

そうしたゆるいクラシックファンだった主だが、2年ほど前にレンタルで借りた二本の映画DVD「エクスタシス」と「アルケミスト(錬金術師)」をきっかけにして、グールドが音楽鑑賞の唯一の対象となった。ちょうどそのころ「天才ピアニストの愛と孤独」が日本でも封切られ、渋谷の映画館で見て感動した。

これらのドキュメンタリー形式の映画は、グールドの演奏のハイライトともいえる部分をバックで聴かせながら、いろんな人がグールドの印象について語り、出演者全員がグールドを絶賛する。このため、映画を見て、CDを聴く、これを繰り返すたびに彼の価値を、再発見することになる。

徐々に気づいたことは、音楽は耳を澄まして集中して聴くものということだ。音楽は勉強しながら聴くものでもなく、家事をしながら聴くものでもない、車を運転しながら聴くものでもない。耳を澄まして集中しながら聴いた時に感動するし、興奮もする。(そんなこと当たり前と言われそうだが、音楽に集中しつづけることは結構困難だ。)

後に知ったことだが、グールドは6歳の時に同級生と遊ぶことはやめ、対位法を勉強しようと決心する。10代には楽譜を読むことに没頭した時期がある。デビューし、コンサートピアニストとしての名声がピークの時に、コンサート会場でピアノを弾く事をやめ(コンサートドロップアウト)、スタジオを活動拠点にする。この時には、脚本を書き、4人の登場人物の映像と声を重ねるという実験的な対位法的ラジオ≪「孤独」三部作≫、対位法的テレビ≪北の理念≫という番組を作っている。

グールドの関心は和音ではなく、時間に沿って流れる複数(3声から4声)の旋律を、主役を時には並立させながら、また、時には交代させながら全曲を通じて弾くことにある。普通のピアニストは、主旋律だけを強調して弾く。もちろん、主旋律以外も意識しているが、あくまで短い時間だけだ。グールドだけが、対位法の分析しつつ曲全体を再構成して弾いている。頭の中で楽譜を再作曲した人なのだ。時には、作曲者ですら知らなかった良さを聴かせてくれる場合もある。

また、対位法と言えばバッハ。バッハ弾きと言われる所以もここにある。

ブラジル人 vs パプアニューギニア・高地人 何を大切にしているか?

ブログの主は、ブラジルに住んでしばらく経ったころ、『「自分の価値は、他人に優しく出来ることだ。」とブラジル人は考えていますよね?』と日系人のポルトガル語の先生に質問したことがある。その先生は、「確かにそれはあります。」と答えてくれた。ブラジル人は、自分の寛容さを他人に示す機会が好きだ。だから、住んでいても非常に快適だった。

サルバドールの市内を走るバスの中の光景。車を持っている人はバスに乗らないので、バスに乗っている人は、基本的に中流以下の生活をしている市民だ。そのバスに半身が不自由な人や、家族が病気でお金に困っているからカンパをして欲しいと書いたプラカードを持った人が乗り込んできたりする。この人たちは、後ろ扉の方から乗ってきて、他の乗客をかき分けて徐々に前の方に進んできて、停留所二つ位で降りていく。この時、バスの運転手は、この困っている人たちに運賃を請求するという無粋なことをしない。また、乗客も批判めいた声を上げることなく、小銭を出している。カンパされる側も手作りの小物のカードだったり些細なものを配って、ただ貰いしているわけではない。金持でない者同士が、お互いに自然に助け合っている姿を見て、感動した。

同じことについて、PNG人について少しわかってきた気がする。ただし、ハイランドに住む男性に限ってという事か。(PNGは一括りに出来ないので、今後印象は変わるだろうが・・)

ゴロカショーの旅行の際に、アイヴァンさんという現地人ガイドと二日一緒に歩いた。アイヴァンさんは冷静沈着で有能なガイドだった。別れ際に彼の家族の話になり、女房がゴロカに娘を置いて故郷のマダン(ゴロカは高地だが、マダンは海に面している。)に帰ってしまった。PNGでは「女性は男のところで暮らすしきたり」なので女房をマダンへ取り返しに行ったそうだ。そうすると屈強な親戚の男たちが5人出てきてケンカになったそうだ。相手の攻撃を防ぐときにできた左腕の傷を見せてくれた。その傷は2週間前のものだそうだが、鈍器で殴られるのをかばった際に出来たように見え、皮膚の色がそのあたりだけ白かった。その時の生き生きした彼の表情を見ながら、彼らにとって、強い、負けない男であるということが大事なのだと感じた。

下の写真は、アイヴァンさんの案内でゴロカから車で数十分走った村で我々を迎えてくれたサイモンさん。ツーリストが来るたびサイモンさんは、この格好になる。ディズニーランドのアトラクションみたいなものだ。 この洞窟は、入口がわかりづらい場所にありる。また、先祖代々の神聖な隠れ家で、村にやってくる敵をここで隠れて待ち伏せし、相手を不意打ちする。数十年前まで、実際に相手と殺しあったようだ。人肉を食ったこともあるかも知れない。山の山頂では、誇らしげに自分の土地の境界を説明してくれた。

同じ日に行ったマッカーシー博物館では、彼らの遺跡(というよりごく最近までに実際に使っていた品々。驚くことに、あるのは石器までで鉄器や銅器は一切ない。石で造られた斧や、海岸から持ってこられた装飾品・貨幣代わりの貝殻など。)が展示されていた。また同時に、太平洋戦争当時の日米双方の機関銃などの武器や写真が展示されている。ここを案内してくれた現地人が「日本軍は我々を尊敬してくれた。だから、我々も日本人を尊敬する。」と言っていた。

主は、ポートモレスビーでPNG人に英語を習っている。彼は、日本に留学したこともある優秀な人間なのだが、自己紹介の段階で、漢字で自分を「下の人間」だと紙に書いて説明した。(この言葉がどのように彼にインプットされたのか、今の段階では謎。) 彼は、日系の旅行会社に勤めている。英語教師はアルバイトなのだ。(収入の7割が家のローンに消えるという事だ!) 日本のテレビ局がPNGへ取材に来ることがあり、日本語が通じ現地のことがわかっている旅行代理店が必要なため、彼の会社も使われることがある。この取材陣に通訳や手伝いとして同行することが彼の自慢だ。 その彼が、「今日はバス代がないので教えに行けない!」と悲痛なメールを寄越すのだが、その冒頭「私はあなたを尊敬している。」とある。(このメールの前には、「私の携帯電話に200円分チャージしてくれないか」と言うメールが来ていた。勿論、無視したが。) この男、プライドが非常に高いのだと思う。

我々外国人は、街が危険なので警備が厳重なマンションに住んでいる。敷地内には、扉を開ける役目の警備員や新築工事の作業員が、大勢雇用されている。彼らとすれ違う時、車の中から手を挙げて挨拶すると、必ずまったく同じように彼らも手を挙げて挨拶を返してくる。まるで、「俺とおまえは、仲間(one talk =ワントク)だぞ」と確認するようだ。「俺は扉を開ける役目だが、ガードマンの役目をきっちりやっているんだ」と言わんばかりに。

こうした関係は、当然の帰結なのだと思う。彼らは、石器時代に生きていたところ、突然現代社会と出会い、自分の生活環境の激変に困惑している。最近まで、男になるための厳しいイニシエーションを経て、敵の部族を石器で殴り殺し、自分の土地とワントクを守ってきたのだ。そんな彼らが都会でできる仕事は、扉を開け閉めする仕事位しかない。複雑な仕事はできない。これまでと仕事の内容が180度変わったのだ。

仕事の内容が変わっても、依然、彼らが大事にしているものは、強い男であり尊敬されることに見える。女性はどうなんだろう?と思う。

サイモン(洞窟)サイモン(山頂2)マイカーとガードマン

ハイパーマーケット

ポートモレスビーには、巨大なスーパーマーケットが何か所かある。

今回は、ビジョンシティと言う名のスーパーを紹介しよう。1階に売り場やらフードコートがあり、2階には電気屋などの専門店が入っており、3階には映画館がある。

売り場の様子は写真の感じ。大量に商品が並んであるが、日本のような品ぞろえの豊富さはなく同じものが大量に並んでいる。それでも、大概のものは揃う。写真は豚肉と魚の切り身の様子。肉は、日本のような薄いスライスは基本的にない。結構厚い塊である。魚は、写真ではわかりにくいかもしれないが、丸ごと一匹を輪切り(縦切り)にして売っている。肉はまだしも魚を輪切りにして売られていると、さすがにびっくりする。こちらには焼いて食べるという以外の調理法がないのだろう。表示も「魚ステーキ」となっている。現地職員に生魚を食べるか聞くと「そんな恐ろしい(terrible)ことはしない。」との答えだった。

商品は、殆どが輸入品。PNG産は、バナナ、ココヤシ、ヤムイモ、タロイモ、コーヒーぐらい。レタスも、キャベツも輸入品である。輸入品は、中国産、オーストラリア産、ニュージーランド産など。中国産の食品は、調味料、麺類など大きな棚を占めている。おそらく、中華系の人口が多いのだろう。

ビジョンシティ売り場豚肉魚

ビールじゃんけん

ポートモレスビーには、テニスコートが2か所しかないのだが、一つがAviat sport clubである。ここは名前がスポーツクラブと言うだけあって、スカッシュコートやジム、プール、レストランがあり、テニスコート2面がある、

ここで、土曜日、日曜日の午前中に欧米人、PNG人とプレーする。写真に赤いシャツを着た男が小さく写っているが、この男がボス的存在。日曜日はsocialと言って、会員ならだれでも参加できるのだが、土曜日はこの男が9時から12時までコートを貸し切っている関係でこの男の許可がいる。(もっとも普通にプレーできればOKだ。)

土曜日の夕方には日本人会のテニスを2時間やっている。日本人のテニス会は、わが社の社員や商社などの駐在員、PNG航空会社のパイロット、その家族、子供たちも来るので、賑やかかつ和やかにプレーする。テニスでひと汗流した後、盛り上がるのが、ビヤガーデンのようなスペースでするジャンケン。負けると全員の分をおごるというバトルを毎回やっている。ビールを飲むのは大体、6人~10人程度なので、日本円で、3000円程度をおごることになる。大勢でジャンケンをするとアイコが多くなるので、白熱し、声が大きくなるので、周りの店員や客も注目している。ブログの主はこのジャンケンがからきし弱い。何故なんだ!!

ジャンケンは無意識の場合、パーかグーを出してしまう。とっさに出しやすいからだ。当たり前だが、グーとパーだけならパーが勝つ。だが、パーを出しそうな相手にチョキを出せば、必勝法となるはずだと思うのだが、・・ところが負けてしまうのだ。(くっ)

Aviat正門テニスコート(Aviat)

ゴロカショー シンシン2

欧米人が大勢ゴロカショーを見に来ている。アジア人より、白人が多い。出演者にも白人が一人混じっていた。(毎年マッドマンになりに来る日本人がいるそうだが、今回は残念ながら会えなかった。)そして、誰を見ても大変なシャッターチャンス(全員フォトジェニック!)なので、非常に本格的・高性能なカメラを持って来ている人が多かった。

若い女の子は、さすがに上半身裸と言う子は非常に少なかった。10年前に旅行でこちらに来た人が全員が裸だったと言っていたが、年々、世界のすう勢が押し寄せてきたのだろう。やっぱり他の世界を知ってしまうと、服を着てカメラを持っている人の前で、裸は恥ずかしいかもしれない。

男も女も多いのは、顔・全身にペインティングをした豪華・おどろおどろしい仮装系。まったく人間離れしたものに変身しているグループもある。シンシンは、そもそもハレの日にやるものなので、毎日するものではない。戦いに勝った喜びも含まれるだろう。高揚する部族のしるしだろう。

また、会場にやってくる大勢の現地人観客は、乗り物を使ってやってくるわけではない。多くは何時間もかけて、二日、三日!かかって歩いてくるそうだ。現地の日本人から聞いた話だが、ゴロカにやってきたPNG人が、帰りの飛行機が不定期なので5日歩いて家まで帰ったそうだ。そのとき、ビーチサンダルを履いて帰るのは勿体ないので裸足で帰ったそうだ。girls若者

大群衆2緑人

ゴロカショー シンシン

PNGの独立記念日を含む3連休にゴロカというハイランドの街へ旅行した。

ポートモレスビーからゴロカまでプロペラ機で1時間ちょっと。乗客30人ほどが乗れるプロペラ機は驚きの定時運行!遅れることは当たり前、キャンセルも珍しくないこちらの航空機。何かの禍々しい前兆か?

特に禍々しいことは起こらなかった。ともあれ、写真を。シンシンと言うのは英語のsing singからきた言葉で踊りの意味だ。3枚目の写真は、マッドマンと撮ったもの。マッドマンと言う名前も凄い。独立記念日のこの日、全国各地からシンシングループがゴロカに集合する。ショーは朝10時から始まり、夕方まで続くのだが、12時まではツーリストタイム。我々ツーリストは一般の人の20倍の料金を払ったVIP待遇のため、12時までの間、フェンスの向こうの大群衆をしり目にゆっくり見る事が出来る。

料金の詳細は次のとおり。シンシンショーは3日あり、これをすべてVIP待遇で見ると約1万円。2日の場合は7千5百円。1日の場合は5000円。これに対し、12時から入場できる券は1回、250円。

シンシン2シンシン3MADMAN&soichi

トレッキング中に2人殺害

【2013年9月12日 AFP】(一部更新)
http://kizyo.publog.jp/archives/32886314.html
(ブログの主 注:上記のリンクのまるごとコピーです。)

プアニューギニアでトレッキング中のオーストラリア人とニュージーランド人の観光客グループが、盗賊とみられる男たちに襲われ、同行していたポーター2人がなたで惨殺される事件が起きた。被害に遭った観光客らが12日、首都ポートモレスビー(Port Moresby)で恐怖の体験をメディアに語った。

観光客8人らの一行は10日夕方、ジャングルに囲まれた北部モロベ(Morobe)州にあるトレッキングコース「ブラック・キャット・トラック(Black Cat Track)」で、 設営したテントの中で休んでいたところを槍やなた、ナイフなどで武装した6人の男たちに襲撃された。ポーター2人がなたで切り付けられて死亡。1人は、首がほとんど切り落とされた状態だったという。 槍で脚を突かれるなどしてオーストラリア人4人を含む複数の負傷者が出ており、6人は重傷という。

惨事を生き延びたニック・ベネット(Nick Bennet)さんが豪テレビ「チャンネル・ナイン(Channel Nine)」に語ったところによると、 当時は雨が降り出したため、一行は三々五々テントの中で休んでいた。 突然あたりが騒がしくなったが、「誰かが野生のカンガルーでも見つけたんだろうと思った」という。 「それから、何が起きているんだ?と思ってテントから頭を出したら、強い衝撃を(頭に)受けた。撃たれたんだと思った」とベネットさん。 頭から血を流しながら上を見上げると、覆面をした男がすぐそこに立っており、銃の台尻で殴られたのだと分かったという。 男たちがポーターたちに襲い掛かり、なたで切り刻むのをベネットさんは見ていた。「ぞっとする光景だった。(助かった)僕らは実に幸運だった」 一方、同じく生き延びることができたピーター・スティーブンス(Peter Stevens)さんは豪AAP通信(Australian Associated Press)に対し、 襲撃犯らは一行を地面に伏せさせ、荷物を漁ってパスポートから何から奪っていったと語った。男たちはブッシュナイフを手に襲いかかってきたが、うち2人は明らかに薬物の影響下にある状態だったという。

パプアニューギニアからの報道によれば、襲撃グループのうち3人は脱獄犯とみられる。 襲撃の目的は強盗だったとみられているが、トレッキング人気の高まりが地元社会には恩恵をもたらしていないことに反感が広がっていることも背景にあるのではないかとの報道もある。

 

映画「ヴィニシウス」「オルガ」

(2022/8/25追記しました) Brasileiro365という名のブログなのに、ブラジルの話題がないのはどうかと思いブラジルの映画の話などを書いてみる。

「ヴィニシウス」

ブログの主は、2002年から2006年までブラジルの首都ブラジリアに住んでいた。「ヴィニシウス」は2005年に現地の映画館で見た。ポルトガル語が十分にできなかったので映画館ではあまりわからなかったが、2010年に日本でDVDが発売された。http://www.cinematoday.jp/movie/T0007338

「イパネマの娘」の作詞で有名なヴィニシウス・モライス(1913-1980)のドキュメンタリー映画。ヴィニシウスは、ボサノバの創始者、作詞家だけではなく、詩人、作家、作曲家、翻訳家、外交官、歌手、ジャーナリストと多彩でいずれもが一流だ。リオデジャネイロで恵まれた境遇に生まれ、詩人、外交官として活躍するが、次第に黒人の音楽に魅せられ、「一番黒人に近い白人」を名乗り、アフリカ音楽からボサノバを生む。その生き様は、詩、恋、酒と縦横無尽・自由奔放ながら常に時代を先取りした。

結婚生活では9回!結婚する。67歳で亡くなるのだが、60を過ぎて結婚をするのは自分の孫のような娘。その18歳の娘にはフィアンセがいた!常に真剣に恋をした男だ。9回の結婚・離婚を繰り返す。それも10代の娘と真剣な恋をする。そして、何年か連れ添ったら、やはり、娘か孫のような女と激しい恋に落ちる。無限のエネルギーで放蕩としか言えないような人生である。

映画の中で、確かイパネマの娘の作曲をしたトン・ジョビンたち男で酒盛りをしているときに「やっぱり、ナニはでかい方がいいよなあ!」とか大声で磊落に言うシーンが出てくる。やっぱり、大物だ。

 この映画「ヴィニシウス」で、案内役をブラジルの有名な女優カミラ・モルガドがやっている。なかなか落ち着いていて、いい感じだ。次は、このカミラ・モルガドの「オルガ」を紹介する。

「イパネマの娘」の作詞で有名なヴィニシウス・モライス

「オルガ」

カミラ・モルガドは、2004年に公開された映画「オルガ」のヒロインをしている。「オルガ」は、ドイツとユダヤの実在の女性で、ブラジルで共産党活動をし、軍事政権にとらえられドイツ・ナチスのガス室でなくなったという実話に基づく。ブラジルでも、共産党活動があったんですね。 

ブラジルの美しい風景をバックに同じ共産党員同志との幸せなロマンスで映画はスタートする。活動では、プロペラ飛行機でブラジルを移動するシーンが出てくるのだが、眼下の風景が実に美しい。

大衆の前で堂々と演説をしたりするのもつかの間、オルガと恋人は石造りのヨーロッパのようなリオ(だと思われる)の街を、ファシストで反共産主義の官憲から逃げ回る。しかし、二人は追い詰められていく。捕まったオルガは、頭の髪の毛を剃られ、妊娠してナチスが政権を握るドイツへと輸送船で送り返される。あまりに安っぽいテレビドラマの定石のようなお決まりの進行。だけど、悲しく切なく、ロマンチック。やはり、堂々としたカミラ・モルガドの魅力だ。

ブラジルでは、ノベラと言われるテレビドラマが18時、19時、20時と1時間単位で3本の放送される。ノベラは非常に国民に受け入れられていて、とても人気がある。どれもベタで臭い。だが、そこがいいのだ。グローボと言うブラジル一の放送局がやっており、「オルガ」もグローボの作品で、いかにもグローボという感じがする。

映画「ヴィニシウス」と「オルガ」のカミラ・モルガドhttp://www.interfilmes.com/filme_14874_Olga-(Olga).html

以下は、原作本の解説である。

ドイツ人とユダヤ人のオルガ・ベナリオは、20世紀で最も傑出した共産主義活動家の一人であった。組織作りの才能に恵まれ、美しく、意志の強いオルガは、ナチズムとファシズムという世界的な疫病に対抗するために、世界中を駆け巡り、教育し、軍団を活性化させた。19歳のとき、彼女は当時の恋人であった共産主義者の知識人、オットー・ブラウンを釈放するため、大胆な刑務所襲撃の首謀者となった。二人はモスクワに逃れ、国際的な共産主義運動の中で急速に地位を高めていった。26歳のとき、ブラジルの伝説的な共産主義ゲリラのリーダー、ルイス・カルロス・プレステスの護衛に抜擢された。彼は訓練のためにモスクワに連れて来られ、まもなく彼女の恋人となる。二人は偽名でブラジルに渡り、プレステはファシスト政権に反抗する革命を起こした。しかし、数ヵ月後には、二人は警察に捕まってしまった。ブラジルの刑務所で6カ月間、精力的に活動を続けた後、妊娠7カ月のオルガは、危険人物としてナチス・ドイツに強制送還されることになった。1942年2月、彼女はベルンブルクのガス室で死亡した。本書は、『シティ・オブ・ゴッド』の製作陣による新たな映画化に合わせて再版されたものである。(英語版解説のDeepL訳)

しかしながら、パプアニューギニアと比べてずいぶん違うと実感する。(涙;;)

ブラジル映画には他にもとても素晴らしい映画がいくつもあるので、また紹介したい。

おしまい