信用創造(通貨発行)の仕組みを全然理解していない 日本の主流派経済学者、小林慶一郎氏

新型コロナの政府諮問委員会の委員でもある日本の主流派経済学者の小林慶一郎氏が評論家の加谷珪一と、文芸春秋の「MMTは理論的に破綻している?」というタイトルで、YOUTUBEで対談されている。 小林慶一郎氏は「オオカミ少年と言われても毎年1冊は財政危機の本を出していくつもりです」と、自分の経済予測が的中してこなかったことを自虐的に日経新聞に語る正直な経済学者である。

小林慶一郎氏 コロナの政府諮問委員会委員 東京財団政策研究所研究主幹/慶應義塾大学客員教授

この番組はMMTの理論がどのように正しくないのかを考察する内容である。しかし、あまりにも誤解されている。ちゃんとMMTを理解しないで、批判している。 こんなにちゃんとMMTを理解しないで偉い学者の先生がしゃべっているかと思うと情けなくなってくる。 あんたら主流派の経済学者が、MMTを知りもしないで批判するから、いつまでたっても財政支出が増えず、日本は世界で一番成長できず先進国から途上国に転落しそうなところまでなっている。この責任がどれだけ重いか肝に銘じながら、発言をしてもらいたいところだ。

是非、小林慶一郎氏、(他の主流派の経済学者のみなさんも)エゴサーチするなりしてこの親父の説明に耳を傾けてくれ。


テーマは、《ハイパーインフレは絶対に起きない!?『MMT』を検証する》となっている。

冒頭の部分でMC役の加谷氏から、MMT理論にどのような印象をお持ちでしょうかと問われて、小林氏はこう答える。

「MMTはテクニカルに正しいところもある。貨幣を発行して、政府が債務を発行したらそれは誰が持つことになるのかと言う様なことを、バランスシートの行き先が誰になるのかということを説明していることは決して間違いではないですが、ただ、その結果として、一般の物価水準にどういう影響を与えるだろうかという経済理論の部分はあまり考えられていないような印象ですね。表面的な数字のやり取りだけを考えているという印象をもちましたですね。」

これを親父が聞いて思った。この小林先生、簿記のことをまったく勉強することなくしゃべっている。これでは、ふわーとした感想にしかすぎない。とらえどころがないので、反論のしようがない。また、物価水準にどういう影響を与えるかということは、供給力の範囲内で、通貨発行してもインフレにならないとMMTは通貨発行とは別のところで語っている。 もし、親父ならこう言う。

「MMTの通貨発行理論は正しい。日銀が日銀の中にあるA市中銀行の日銀当座預金口座に対し、100億円という通貨発行(信用創造)をするという取引を考えると、日銀は、100億円の「貸付金」という「資産」と、同額の「日銀当座預金」という「負債」を持つ。A市中銀行は、100億円の「日銀当座預金」という「資産」と、同額の「借入金」という「負債」をもつ。つまり、通貨発行と言いながら、A銀行に対し、100億円をくれてやるのではなく、A銀行は、日銀に返済の義務がある。ただし、この段階では、A銀行にベースマネーである「日銀当座預金」が《ブタ積み》になっている状態に過ぎない。 つぎに、政府が「国債」を100億円発行しするケースを考えると、A銀行は、「日銀当座預金」を使って「国債」を購入する。政府の国債発行の消化はこのように「日銀当座預金」を使って行われる。このため、市中の通貨の流通量、マネーストックには影響を及ぼさない。したがって、金利が上がるクラウディングアウトはない。 なお、変動相場制で自国建て通貨による国債発行は、供給力の範囲であればインフレを引き起こさない。むしろ、国債発行による財政支出が不足すると、日本のようなデフレをひき起こす。」

MCの加屋氏が、主流派の経済学の教科書は、信用創造を説明する際に本源預金のうち、流動性を準備率を10%とすれば、残りの額を貸し付けることで10倍の乗数効果が働くと説明されるとしたうえで、再び小林氏にコメントを求めた。小林氏はこう答えている。

「ぼくは実は説明の仕方を変えただけで、MMTが言っている信用創造のメカニズムと普通の経済学の教科書に書いてあるメカニズムと本質的には実はそんなに違いはないと思っています。 手順が違うだけです。普通の教科書に書いてあるように、銀行が預金をまず預かって集めました。貸し出します。それがまた返ってくる。ということの繰り返しでマネーが創造されていくことなんですけど。 MMTが言っている信用通貨論はまず銀行が貸し出しをします。貸し出しをすると貸し出したお金を、企業の預金口座に記帳すると。それは全然、現金は入ってない訳ですよね。単に貸し出しが100万円、その企業の預金口座に100万円入金したと記帳されるだけ。それがいくらでも増やせるじゃないか、とおっしゃるんですが、ただ最後には何が起きるかというと貸した企業の預金口座から企業が現金を引き出すかも知れない。現金を何らかの形で用意しなければならないということは同じなんですよね。だから結局、信用乗数が10倍位だとすると預金1万円に対し、10万円の信用創造ができるということは、結果として預金を集めて貸し出すというやり方であっても、先に貸し出しがあってその後支払いの準備に1万円を調達するというやり方であっても、結果として起きている信用創造は同じなんです。 だから、信用創造の仕方が違うというだけであって、言っている内容は、本質的な革命的な違いはある訳ではない、という風に理解した方がいいと思いますね。」

これはまったくMMT理論を正しく理解されていない。根本的に《金本位制度》の時代の説明が変わっていない。今は、通貨発行に際し、《金》の保有高という制約はない。小林氏は、順番を変えたら同じだと言うのだが、ここまでMMTを理解しないで批判するとは、無責任極まりないと親父は思う。 まず、信用創造には2種類ある。1つ目は、日銀が日銀の中で、日銀当座預金を市中銀行をあてにする信用創造がある。2つ目は、市中銀行が国民や企業に対し、貸付実行による信用創造をする。 なお、日銀の中にある日銀当座預金は、市中の流通通貨の決済には用いられない。日々の日銀・市中銀行間の決済、現金の融通、準備預金に使われる。小林氏は、現金を要求されたら、準備金を現金で用意する必要性を言われているが、この必要な現金は、日銀当座預金残高を使って、市中銀行は調達できる。 また、マネーが乗数効果で増えるみたいな言い方をされているが、当然ながら銀行の通貨発行は、借り手に与信力があるとき、かつ、借り手が借金をしようとするときにしか、マネーは生み出されない。日本のようなデフレの状態では、多くの企業や個人は借り手になろうとしない。なお、準備預金制度は、異次元の量的緩和により、日銀当座預金残高が何百兆円と莫大になり有名無実化している。 親父なら、こう言うだろう。

経済学の教科書に書いてある信用創造とMMTの信用創造はまったく違います。教科書に書いてあるメカニズムで、どの国も通貨発行していません。MMTは、現実に行われている取引を説明しているだけです。中央銀行の通貨発行は、「貸付金」という資産を得ると同時に、「通貨(=日銀当座預金)」という負債を抱えることと、中央銀行の中に口座を持つ市中の金融機関は、発行された「通貨(=日銀当座預金)」という資産と「借入金」という負債を抱えることが、同時に起こる取引である。 同じように、市中の金融機関は、取引相手の企業や個人の与信力を判定し、返済能力があると判断すれば、通貨発行(信用創造)できる。政府と市中の金融機関との関係と同様に、貸し手である市中の金融機関は、「貸付金」という資産を得ると同時に、「銀行預金」という負債を抱えることと、取引相手の企業や個人は、発行された「銀行預金」という資産と「借入金」という負債を抱える取引を同時におこなう。 政府と市中の金融機関の間で使われる「日銀当座預金」は、日銀のフリーハンドで増やし減らしたりできる。これに対し、市中の金融機関と取引相手である企業や個人との信用創造で生み出された預金は、返済されるとこの世界から消える。また、債権債務は、義務を伴うので、返済が滞ると、金融機関が返済の肩代わりをする必要がある。」

うっかりする人がいるかもしれませんが、「預金」は、普通は資産科目ですが、銀行にとっては立場が逆なので負債科目になります。

また、この動画は全編を見ようとすると有料のようでした。親父はお金を払っていませんので、無料で見れる20分ほどの範囲でこのブログを書いています。

おしまい

とても分かりやすい動画 《国と企業がお金を出し渋り、国民の財布が空になる》

ワニの口(NHKのHPより)

この動画ですが、結構わかりやすくて非常に説得力があります。 

昨年、財務事務次官の‎矢野康治氏が、日本はタイタニック号のように氷山にぶつかって沈没すると警鐘を鳴らしました。この《矢野論文》の中で、「ワニの口が広がり続けている」と税収が横ばいなのに、歳出だけが上の方向に伸びて広がっている、このままだと日本沈没だといったのです。

しかしこの動画は、「ワニの口」どころか「ワニ」そのものがいなかった、というものです。

動画の内容を親父流ですが、要約してみます。

  • 1.「ワニの口」の歳入には、税外収入や社会保障費の資金余剰などが除かれているのに対し、歳出には、他国にない「国債償還費」が含まれている。つまり、口が広がるように操作されている。(「国債償還費」については、詳細は後述)
  • 2.政府と企業がお金を使わないと、国民の財布にお金が回らず、国民は貯金を取り崩すしかない。(「ネットの資金需要」という表現が出てきます。政府と企業を合わせて、マイナス5%ほどの状態が、インフレにならず、かつ、国民にお金が回る状態になる。このマイナスが大きすぎるとインフレや金利上昇が起こる。今のアメリカがそうです。)
  • 3.1990年代のバブル崩壊以前は、政府と企業がお金をじゃんじゃん使ってマイナスにしていたので、国民に潤沢にお金が回っていた。
  • 4.1990年代のバブル崩壊以降になると、企業はバブル崩壊により投資を減らし、政府は財政危機宣言を出し、緊縮財政政策をはじめたことで、国民へお金が回らなくなった。
  • 5.高度成長期に、日本は世界一というほど高い貯蓄率を誇っていた。ところが、バブル崩壊以後、貯蓄率が低下した。この低下を、エコノミストは高齢化と人口減少が原因だと説明してきたが、それは間違いで、政府と企業がお金を使わなくなったからである。
  • 6.近年、企業の内部留保の増加傾向が定着したとことが、ますます国民の財布を苦しくしている。
  • 7.日本には、他の先進国にはない「国債の60年償還」というルールがある。このため、毎年の予算編成において、予算の15%以上を「国債償還費」に計上している。このようなことをしている国は日本以外にない。
  • 8.「国債の60年償還」というルールは、日本ですら有名無実化しており、現実に60年で償還していない。他の先進国と同様、償還時期が到来すると「借換債」と発行して、償還を繰り延べている。
  • 9.アメリカの現在の高インフレは、政府の財政支出を非常な高率で行ったのが原因である。会田卓司さんによると、政府と企業を合わせて5%くらいのマイナスが良いところを、コロナ対策でマイナス17%になるまで、財政支出をしたために現在のインフレを招いた。
  • 10.日本は、2000年以降、政府と企業の支出がゼロの時代が長く続き、コロナ対策で政府支出を増やしたものの、額が少なすぎる。

(なお、この対談は合計3回あります。冒頭に埋め込んだのは3回目で、上の要約につきましては、過去2回の内容が一部入っています。ご了承ください。)

おしまい

グールド 他にない 《J.S.バッハ ヴァイオリンソナタとチェロソナタ》

グレングールドは、バッハのヴァイオリンソナタ全6曲をハイメ・ラレードととチェロソナタ全3曲をレーナード・ローズと正規録音で残している。

これらの曲が他の演奏者とまったく違う。普通であれば、ヴァイオリンソナタであればヴァイオリンが主役、チェロソナタであればチェロが主役で、ピアノは伴奏であり、脇に控え小さな音で独奏楽器の引き立て役をするのだが、グールドの残したこれらの曲は、ピアノの存在感の方が大きく、対等どころかそれ以上に目立っている。

たしか、グールドより年長でキャリアも十分なレナード・ローズは、どこだか思い出せないので申し訳ないのだが、どこかでこの録音を「マニア向けの特殊な演奏」という風な意味のことを言っていたと思う。この意味は、これらの曲は本来、ヴァイオリンやチェロのための曲なのに、グールドはあたかもピアノを加えた曲全体へ公平に光を当てようとしている実験的な演奏、というような意味なんだろうと思う。

グールドは、他の曲の場合でも曲全体にスポットをあてているのだが、これらの曲を聴いていると実に面白い。基本的には、主旋律を担当するヴァイオリンやチェロのメロディーが目立つので、親父の耳はこれを追っているのだが、グールドの弾くピアノのメロディーが対等に割って入る。ときに、そのメロディーの方に耳が行ってしまい、ピアノを聞いているのか、ヴァイオリンを聞いているのか錯覚することがまま起こる。弦楽器と、ピアノのソプラノ、アルト、バスがそれぞれ入れ替わりながら、メロディーを奏でる。変化があり、飽きさせない。

また、ピアノの方は、たいてい3声(あるいは4声?)で書かれているので、ソプラノのメロディーを聞いているうちに、アルトのメロディーが出てきたり、バスのメロディーに交代したりして、弦楽奏者と合わせて4人の合奏のように聞こえたりもする。

グールドのリズム感があまりに正確ではっきりしているので、弦楽器奏者の方は、勝手にリズムを崩せないということもあると思う。また、楽器の特性上、ピアノは鍵盤を叩いたときに一番大きな音が出るのに対し、弦楽器は一番大きな音が出るのは、弓で弦をこすった瞬間ではないので、リズムがぼんやりしがちということもあるだろう。

こうして、ハイメ・ラレードとレナード・ローズは、グールドと主役が入れ替わった演奏に決して甘んじているいるわけではないが、名人芸を披露するという機会を取り上げられ、ピアノと弦楽器が一体になった穏やかでゆったりとした演奏をしている。

下が、ハイメラレードと演奏したヴァイオリンソナタである。(このあと、自己主張を譲らなかったユーディ・メニューインと比較してほしいのですが、ヴァイオリンソナタ第4番は47分21秒から始まります。)

ここではYOUTUBEを張り付けていますが、なるべくならリマスターされたCDなどを聴くのが音的には良いと思います。

さて、共演者が変わって、大人気の巨匠ユーディ・メニューインとも、グールドはヴァイオリンソナタの第4番を録音している。こちらのユーディ・メニューインは、名人らしく緊張感のある美しい演奏をする。グールドのピアノにイニシアティブを取られまいとして、これはこれで丁々発止で火花が散るような演奏で、違った聴きごたえがある。

こちらがその演奏である。

こちらが、レナード・ローズと録音したバッハのチェロソナタ(原曲は、チェンバロとビオラ・ダ・ガンバ用の曲である。)である。レーナ―ド・ローズは、「しかたないなあ。ひとつ、グールドの言うとおりにやってやるか」と言う感じで、付き合ってるに違いない。しかし、実際に出来上がったものは、お互いの楽器が最高のバランスで、最高に美しく穏やかなメロディが、手を変え品を変え奏でられる。

グールドは、ゴルトベルク変奏曲のアメリカ録音以前から、ストラトフォード音楽祭で、レーナ―ド・ローズと音楽祭を主宰する側をやっていた。このストラトフォード音楽祭は、実験的な演奏が許される場でもあり、《拍手禁止計画》(正確には、「拍手喝采およびあらゆる種類の示威行為を廃止するためのグールド計画」(グレン・グールド著作集2))を実行したりしたこともある。

おしまい

なぜグールドにハマったか その2HEREAFTER(時の向こうへ/来世)

グールドの映画に《HEREAFTER(時の向こうへ/来世)》という映画がある。

2006年に公開されたものだが、ブルーノ・モンサンジョンが未公開映像を交えながら、グールドの生涯と作品を振り返ったものだ。プロのヴァイオリニストでもある映像作家のブルーノ・モンサンジョンは、グールドが1982年に亡くなる直前に、グールドとバッハの演奏(ヤマハのピアノを使って録音したゴルトベルク変奏曲や、フーガの技法など)を残しているグールドの良き理解者である。晩年のグールドに若いときの勢いは影を潜め、思索的、瞑想的な演奏へとウエイトが移り親父は大好きだ。

日本のイメージに使われた竹林

この映画の中には、1970年代に日本の女性ファンがグールドに書いた手紙に対する返事を、グールド研究の第一人者である宮澤淳一氏がその女性に届けるというシーンが出てくる。この手紙を出したファンというのは、写された手紙の名前と、《グレングールド書簡集(みすず書房・宮澤淳一訳)》から推測すると、どうやらチェンバロ、シンセサイザー奏者の岡田和子さんらしい。この《書簡集》には、他にも日本人のファンに対するグールドの返信がいくつか掲載されていて、グールドはファンレターに返信していたらしい。また、こういうシーンに日本人が出てくると、ぐっと身近に感じられる。

その《HEREAFTER(時の向こうへ/来世)》から、いくつかエピソードを紹介したい。

この美しい女性は、1982年のゴルトベルク変奏曲の再録音を聴いてグールドのファンになり、カナダの街角で、グールド作曲の弦楽四重奏曲のテーマの4音をモチーフにしたデザインを入れ墨に彫った。彼女の語りが素晴らしい。

「私はグールドについて全く何も知りませんでした。彼が1982年に録音した音楽を聴いてその魅力に夢中になりました。私は、以前から闇に包まれたような音楽に惹かれていました。瞑想にふけるような1982年の録音は、まさに最高の録音だったということもあるし、それからいくつかのカノンは極端にゆっくりしていて本当に驚くべき美しさをもっています。特に、その緩慢なリズムはグールドの生涯では遅い時期に生まれています。 同時に彼のハミングが聞こえてくる。私の先生は、ある人たちにはうるさく聞こえるかもしれないこのハミングを、ピアノを演奏する人間が感じられて力強い、と言っていました。」

「この四重奏曲は私の中に大きな跡を残しました。トロントまでグレン・グールドが生きた場所の巡礼に行ったとき、偶然街角の店の前で小さなプレートを見かけたのです。その時私は、『この4つの音はすごい力を持っている!』と思いました。このモチーフは伝記に載っていたものです。私はレコード屋で働いていたボブという男性にこのモチーフをコピーしてほしい、と頼みました。彼ははじめTシャツ用だと思ったみたいです。翌日Tシャツをめくって「さあ、始めて!」と私が言ったら、ボブははじめショックを受けていましたが、その後は、彼の悪魔的な部分が目覚めたのか、なかなかクールじゃないか、と思ったみたいです。ふつう入れ墨されるのは、ヘビーメタルのグループ名ですが、これはクラシック音楽の演奏家のためでしたから。」 

背中に彫られた入れ墨・グールドが作曲した弦楽四重奏曲の冒頭の4音

下の女性は、病気で生きる望みを失っていたのだが、グールドを知り、生きる希望を取り戻した。彼女は、知人たちにグールドを知らせる活動を始め、この活動を「グールドする」と命名した。知らされた人は、グールドの演奏と写真を知人に伝えなければならないと言う。親父も、おそらくその使命を帯びた一人のような気がする。皆さんも是非、「グールドして」くださいね! (^^);;

この映画の最後にドイツ人の音楽学者、作曲家で作家のミヒャエル・シュテゲマン(Michael Stegemann)が登場する。この人は、グールドの映像をどんな風に加工しているのか、ウィットが効いていて、あたかも対話するような動画を作っている人物である。この人が作った3枚組のSACD/CDハイブリッドの《Glenn Gould Trilogy》という作品が別にあるのだが、これも面白い。すべて英語なので、親父の耳には荷が重いのだが、グールドの生涯が伝記風に、グールドの音楽に乗せてグールド自身と関係者の声で語られる。SACD/CDハイブリッドなので音質も良く、とても良いです。

おしまい

なぜグールドにハマったか 口コミの威力はデカい!(その1)

親父がグレン・グールドにハマった原因を一言で言えば、やはり映画だろう。おそらく、身近な人たちが映像に登場して話をすることのない、CDやストリーミングの音楽だけを聴いていたのであれば、このようなオタクにならなかった気がする。

もともとは、TSUTAYAのレンタル映画で、「グレン・グールド~アルケミスト(錬金術師)」と「グレン・グールド エクスタシス」という2つを借りて、パソコンにコピーし、なかなかいいなあと思いながら何度か観たことがあった。(一般に、レンタル映画をパソコンにコピーしたりはしないものだと思うが、親父はパソコンオタクでもあり、音楽CDも映画もパソコンに取り込んで鑑賞している。)

エクスタシス
錬金術師

しかし、本格的にハマったのは、渋谷道玄坂の映画館ユーロスペースで2011年10月に公開された、「グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独」を観たのがおそらく契機だと思う。

その時の映画館で流されるグールドの演奏が素晴らしかっただけではなく、流れる音楽の音質も素晴らしかった。デカい画面と広い空間でとても良い音がした。グールドは1982年に亡くなっているので、親父がCDなどで持っているメディアと、音源は同一だと思った。それなのに、これだけ自然な本物の音がする。オーディオの性能を上げれば、ここまで良い音で聴けるはずだと確信し、オーディオに投資するようになったきっかけでもある。

 ところで、親父はこの映画を見た後で、ブルーレイ版のこの映画を買ったのだが、中古品販売サイトで当時の価格の約2倍ほどの値段で販売されている。グールドの人気がいつまで経っても衰えないのがわかってもらえると思う。


左が、この時の「グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独」のポスター、上が、YOUTUBEで見られる予告編である。

肝心の筋の方なのだが、この映画なかなかよくできていて、グールドの演奏が全編に流れる。音楽映画の良いところは、シーンに合わせて選曲された、素晴らしい曲のハイライトというべき部分が流れることだ。前に言ったが、出てくる人、出てくる人が、口々にグールドを絶賛する。そのセリフに実に説得力がある。そうして徐々に親父の頭が洗脳されたような気がする。

映画で語られるグールドを絶賛する皆さんのセリフを、以下にコピーしてみた。なお、字幕の監修はグールド研究家の第1人者の宮澤淳一さんである。映画のセリフは、映画の制約上限られた文字数で翻訳されているが、実際の語り口はもっと長いと思って見ていただけたら幸いである。 

最初に紹介するのは、映画冒頭の部分である。カナダの美しい自然の場面が流れた後、ベートーヴェンのピアノ編曲された交響曲第6番「田園」の第1楽章の演奏風景が流れる。

  • コーネリア・フォス(作曲家ルーカス・フォスの奥さんでグールドと不倫関係にあった)「彼の知性と傲慢さに心を奪われたの。それに何といってもハンサムだったし」
  • レイ・ロバーツ(晩年のグールドのアシスタント)「死後すでに25年が過ぎた。だが今も注目を集めるグレンのように語り継がれる人間は決して多くない。」

映画は、タイトルクレジットが流れ、本編が始まる。バッハのゴルトベルク変奏曲の録音風景が写されている。

  • ハイメ・ラレード(ヴァイオリニスト)「これまでに演奏されたバッハとまるで違っていた。とにかく圧倒されたよ。天才だと思った。」
  • ウラジミール・アシュケナージ(指揮者・ロシア出身のピアニスト)「私もバッハはよく演奏した。皆それぞれの解釈でバッハを弾いていたが、彼の演奏には驚いた。自然で明快なバッハだった。」
  • フレッド・シェリー(チェリスト)「『いったい何者だ』と思ったよ。音の粒立ちがよく左右の手が自在に動く。まるで1人で連弾しているようだった。彼のピアノには本当に驚いた。人間離れしたすばらしい演奏だった。」

グールドがバッハのゴルトベルク変奏曲で一流ピアニストの仲間入りした後、1957年に冷戦真っ最中のソ連へ演奏ツアーに行く。このとき、大成功を収めたときのものだ。最初誰もグールドを知らないということと、バッハは人気がなかったため会場は閑散としているのだが、いざ演奏が始まると、40分間ある休憩の間に知人を誘い、後半には会場が満員になった。画面にはバッハのフーガの技法がかなり使われている。

  • ウラジミール・アシュケナージ(指揮者・ロシア出身のピアニスト)「誰もグールドを知らないから会場は閑散としてた。バッハは尊敬されていたが、バッハの演奏会は人気がなかった。」
  • P.L.ロバーツ(長年の友人)「そのうち聴衆は外に出て知人に電話をかけ始めた。『すごい演奏だ。彼は天才だ。』と相手を誘った。後半、会場は満員さ。」
  • ウラジミール・アシュケナージ「完璧な演奏だった。すばらしい演奏技術だったよ。彼の奏でる音は完璧にコントロールされていた。こんなバッハは始めてだと皆が思った。」
  • ジェイムズ・ライト(グールド研究者)「ソ連の聴衆に感想を聞いたら、まるで宇宙人だと言っただろう。この天才の演奏と高い芸術性は、ソ連の人びとの感性に訴え大きな衝撃を与えた。」
  • ウラジミール・アシュケナージ「私たちは隔絶され価値尺度は制限されていた。グールドの演奏が高く評価されたのは若い彼の個性が際立っていたからに違いない。私たちは心の深い部分でそれを理解していた。」
  • ジェイムズ・ライト「グールドの音楽には超越性があったと思う。現実の問題から私たちを引き離し、穏やかな陶酔の世界を見せてくれる。グールドは音楽の持つ力を知っていたし、それは1957年のソ連ツアーで特に歓迎された。」
  • P.L.ロバーツ「彼が求めたのは拍手喝采ではなく、音楽が聴く人の心に響くことだった。彼の究極の願いは、人びとの心の糧になる音楽を届けることだった。」
  • フレッド・シェリー(チェリスト)「いつの時代も演奏形態は多様だ。グールドが演奏をはじめた頃は多くの巨匠がいた。ホロヴィッツ、ゼルキン、ルービンシュタイン、偉大な音楽家がひしめいていた。しかし、グールドだけが作品と作曲家の内面に侵入し、その反対側に突き出た。作曲者に対する共感を通り越し、作品を完全に乗っ取っていたと思う。自分の個性に塗り替えたんだ。」

次に紹介するのは、グールドが亡くなる直前にゴルトベルク変奏曲を再録音し、カナダの大きな教会で葬儀が営まれる場面で流れる。

  • フレッド・シェリー(チェリスト)「グールドは『ゴルトベルク変奏曲』の再録音に取り組んだ。デビュー盤以上に極端な演奏だと評された。これがあのグールドなのかと人びとは驚いた。異常な別人の演奏に聞こえたのだ。若さと高度な技術がある種の思慮深さに変わった。エキセントリックな演奏だが美しさは増した。グールドはあらゆる面からこの曲の可能性を検討した。そしてその深奥を極めた。」
  • PL.ロバーツ「グレンは考えていた。自分が取り上げる音楽には、最良の光を当てたいと、そうすることで聴く人の心に訴えたかったのだろう。それが彼の願いだった。たくさんのファンレターが届いたが、孤独で苦寓にあるファンのものも多かった。不幸に耐えながら感謝の気持ちを綴っていた。『あなたの音楽に救われた。』こうした手紙は彼の心を癒し、満ち足りたものにした。」
  • ジェイムズ・ライト「天才を語る言葉は多くあるが、グールドの本質は謎のままだ。理解したと思ってもまたすぐに分からなくなる。その不可解さがグールドの魅力だ。心の安らぎを得られる場所を得られるかどうかが人生には大切だ。グールドは演奏にのみ安らぎを感じていた。」
  • ケヴィン・バザーナ(グールド研究者)「グールドは単なるピアニストではない。ピアニストとして大成したが、演奏の陰にある彼の哲学を見過ごすことは出来ない。彼はそれを示したかった。創造性にも注目して欲しかったのだろう。作品の解釈において独創性を発揮し、ルネサンス的な『万能の人』となった。」
  • ローン・トーク(録音エンジニア)「この世界を良い方向に導いた。それが彼の功績だ。」
  • ハイメ・ラレード(ヴァイオリニスト)「400年後に地球が存在するとしても、グールドの名前は残るだろう。彼の演奏は永遠だ。価値は失われない。

次はボーナストラックからである。別れてしまったが、結婚するところまでいった、コーネリア・フォスの話である。

  • コーネリア・フォス「自分に酔うことと自我を超越することは矛盾しない。それどころか相乗効果がある。自分に陶酔すればするほど自我を超越したいと思うものよ。当然の事ね。演奏中のグレンは超越していた。個人としての欲求や恐れなど世俗的な感情を忘れ去ってしまうの。自分自身を森羅万象と融合させることができた。自分を取り巻く宇宙と一体化して、人間としての存在を深めていくことができるの。バイオリニストやチェリストでも同じ、偉大な演奏家ならではの神秘的な境地ね。演奏技術の問題でなく大きな力が働くの。 ある日グレンが、帰ってくるなり息せき切って話し始めた。『大変だよ』『なんなの?』と尋ねたわ。『《グレングールドの精神》という講座がトロント大学で開かれている』というの。彼は身をよじって笑っていた。おかしくてたまらなかったのね。『聴講しなきゃならないよ』『うまく変装して行こう』『最後列に座ればいい』『勉強になるぞ』言うまでもなく2人とも行かなかったわ。だからグレンの精神は分からない。」

おなじく、ボーナストラックから研究者のジェイムズ・ライトの言葉である。

  • ジェイムズ・ライト「グールドはいつも言っていた。『既存のレコードと同じ演奏をするなら改めてレコーディングする必要はない。』道理だね。この主張の意味は、クラシック音楽界への批判だ。ある時点から楽譜どおりの精緻な演奏が主流になった。技術的には見事だが変わり映えがしない。確かに聴く価値はあるだろう。だがグールドが重視したのは楽譜の細部にこだわらず新たな視点を持ち込むことだった。実は作曲家本人は楽譜の細部に必要以上に執着しない。カナダの音楽家はグールドのこの姿勢を受け継いでいる。」

つづく

おしまい

「医者に殺されない47の心得」 近藤誠さん死去

医療界から総スカンを食らっていた近藤誠さんが8月13日、虚血性心不全で亡くなられた。ほっとした医者も多いと思う。ご冥福をお祈りする。

近藤誠さんが、有名なのは乳ガンの温存療法だろう。アメリカにも留学して、日本のガン治療に疑問をもつ。つまり、欧米ではすでに病巣だけを取る「乳房温存療法」が当たり前だったが、日本では治癒率が同じなのに無残にも乳房が丸ごと切り取られていた。これを1988年、月刊『文芸春秋』に発表、日本は十何年か遅れて全摘をやめ温存するようになったという話だ。

じじいは、氏の本を何冊も読むファンだった。ガン放置療法は、近藤さんも言うように誰にでも適合するものではないかもしれない。しかし、実際問題として、多くの医者がガンを見つけるとすぐに切ってしまうので、切らなくても良いガン(ガンもどき)まで切っているという感じは非常にする。欧米でガンの死亡率は下がっていると言われるのに、日本はそうでないのは、健康診断やら人間ドックでガンをせっせと見つけ出すのが主因だろうと思う。

とくに高齢になると自然と体力が衰えるので、手術や抗がん剤治療などをすると、延命したとしても、QOL(生活の質)は確実に低下する。

医者は基本的に患者が死なず、延命さえできれば治療は成功だと考えているが、患者は元の健康状態に回復するのが成功だと考えているので、両者の思いの間にはそもそも大きな隔たりがある。 

本当のガンでも、高齢者は「知らぬが仏」で医者へ行かず生活し、具合が悪くなってはじめて医者へ行って「病を得た」ことを知り、もしそのとき痛みが激しく出るなら、緩和療法でモルヒネなどで痛みを取ってもらいながら、のこりの普段の生活を続けるのが、最後まで人間本来の暮らしをする道のような気がするし、本を読んでいると、最後まで痛みが出ず、枯れるように自然死することも多いと書かれている。なまじ治療をするから、生体反応で痛い思いをするというのはアルアルな気がする。

加えて問題は、高齢者の治療費は原則1割負担だが、のこり9割は公的なお金が投入されている。医者の方は簡単に治療しましょうと言うが、患者の方は、もし10割負担であれば、簡単に「治療します」とは言わないだろう。自分の懐は痛まないが、国民の懐は確実に痛んでいる。

日本の医療は民間病院が中心で、公的な病院も独立採算制で、儲けを出さないと存続できない仕組みになっている以上、医者の方には患者をどんどん捌きたいという動機がつねに働いている。今の健康保険制度が、医者にとっていくら薄利で提供されるとしても、多売で儲けを出すことで、国全体で見た無駄は減らないだろう。

MMT的観点から言えば、こうした高齢の患者は1割の負担で気軽に医療を受けられ、医者にとっては、9割の公的負担と合わせた10割のお金が入ることは、医療業界の需要を拡大し繁栄につながっているという良い面はたしかにある。だが、患者にガマンを強いる治療はアダ花だとしか言いようがない。医療分野とは違う、もっと他の分野で公的なお金を投入すべき分野はたくさんあると思う。

以下の二つは、じじいが過去に近藤誠さんに触れたブログだ。よかったら、読んでもらえれば嬉しい。

おしまい(合掌)

「第三次世界大戦はもう始まっている」エマニュエル・トッド

やっぱりそうか、と思わせるこのタイトル、エマニュエル・トッドの新刊が出ている。じじいは、エマニュエル・トッドの炯眼にかねがね感服しており、文春新書で出版されている氏のシリーズのファンである。おそらく彼の本は7~8冊あるかと思う。

アマゾンから

それらの本のうち、ムハンマドの風刺画を掲載してイスラム教徒の原理主義者に襲撃された新聞社シャルリ・エブド事件をテーマにした「シャルリとは誰か?人種差別と没落する西欧」(2016年)だけが、エマニュエル・トッドが、実際にフランス語で書いた本の翻訳で、この本は字も小さく、内容も濃く骨が折れる。そのためじじいは読むのを挫折した。

じじいが氏を最初に知った「グローバリズムが世界を滅ぼす」(2014年)は、じじいが非常に共感した本であり、藤井聡、中野剛志、柴山圭太、ハジュン・チャン、堀茂樹の座談会の発言を取りまとめた本である。「『ドイツ帝国』が世界を破滅させる」、「グローバリズム以後」、「問題は英国ではない、EUなのだ」、「トランプは世界をどう変えるか?」、「老人支配国家日本の危機」は何れも、対談や聞き書きである。このため、スラスラ読める。

「第三次世界大戦はもう始まっている」は、ウクライナ戦争が始まった今年、3月下旬に文芸春秋が取材してきたものだ。今このブログを書いているのが、8月下旬だが、戦争は長期戦の様相を呈し、EUは支援疲れしてきたとか言われ、トッドが3月に話した内容と齟齬がないだけでも、凄いことだ。

というわけで、この本の内容から、じじいが刮目したトピックを何回かに分けて、備忘的に取り上げたい。


まずはアマゾン・文春新書のコピーは下のとおりである。コピーの次にじじいがそうだな、面白いなと思ったトピックを書きたい。

ロシアによるウクライナ侵攻を受けての緊急出版。
戦争を仕掛けたのは、プーチンでなく、米国とNATOだ。
「プーチンは、かつてのソ連やロシア帝国の復活を目論んでいて、東欧全体を支配しようとしている。ウクライナで終わりではない。その後は、ポーランドやバルト三国に侵攻する。ゆえにウクライナ問題でプーチンと交渉し、妥協することは、融和的態度で結局ヒトラーの暴走を許した1938年のミュンヘン会議の二の舞になる」――西側メディアでは、日々こう語られているが、「ウクライナのNATO入りは絶対に許さない」とロシアは明確な警告を発してきたのにもかかわらず、西側がこれを無視したことが、今回の戦争の要因だ。
ウクライナは正式にはNATOに加盟していないが、ロシアの侵攻が始まる前の段階で、ウクライナは「NATOの〝事実上〟の加盟国」になっていた。米英が、高性能の兵器を大量に送り、軍事顧問団も派遣して、ウクライナを「武装化」していたからだ。現在、ロシア軍の攻勢を止めるほどの力を見せているのは、米英によって効果的に増強されていたからだ。
ロシアが看過できなかったのは、この「武装化」がクリミアとドンバス地方の奪還を目指すものだったからだ。「我々はスターリンの誤りを繰り返してはいけない。手遅れになる前に行動しなければならない」とプーチンは発言していた。つまり、軍事上、今回のロシアの侵攻の目的は、何よりも日増しに強くなるウクライナ軍を手遅れになる前に破壊することにあった。
ウクライナ問題は、元来は、国境の修正という「ローカルな問題」だったが、米国はウクライナを「武装化」して「NATOの事実上の加盟国」としていたわけで、この米国の政策によって、ウクライナ問題は「グローバル化=世界戦争化」した。
いま人々は「世界は第三次世界大戦に向かっている」と話しているが、むしろ「すでに第三次世界大戦は始まった」。ウクライナ軍は米英によってつくられ、米国の軍事衛星に支えられた軍隊で、その意味で、ロシアと米国はすでに軍事的に衝突しているからだ。ただ、米国は、自国民の死者を出したくないだけだ。
ウクライナ人は、「米国や英国が自分たちを守ってくれる」と思っていたのに、そこまでではなかったことに驚いているはずだ。ロシアの侵攻が始まると、米英の軍事顧問団は、大量の武器だけ置いてポーランドに逃げてしまった。米国はウクライナ人を〝人間の盾〟にしてロシアと戦っているのだ。


1.「共産主義が、アメリカの『社会民主主義』を崩壊させる前に、その誕生に貢献していたというパラドクス」

まず、アメリカとロシアの価値観がどこから生まれたのかという問いに、トッドは家族制度の違いが、資本主義と共産主義の違いをもたらしたと説明する。つまり、アメリカは、絶対的核家族で「自由」と「非平等」なシステムであり、ロシアは、「兄弟間の平等」と「ほぼ無制限の父親の強い権威」を併せ持ち、かつての農村の家族構造(外婚制共同体家族)から生まれたという。この違いが、アメリカをはじめとする西側陣営に競争社会といえる資本主義を生み、ロシアと中国(中国もロシアと同じ家族制度である)に平等を重視する共産主義を生んだ。

この両大国のアメリカとソ連は第二次世界大戦後、左右の陣営に分かれて覇権を争う冷戦が続き、ソ連崩壊で西側の資本主義陣営が完全勝利したと思われている。しかし、トッドは、米ソは補完し合っていて、アメリカはロシアを「成長」へ向かわせ、ロシアはアメリカを「平等」へと向かわせた。つまり、両陣営は、相手に打ち克つために最大の努力をし、1950年から1960年にかけて、西側の先進諸国は「福祉国家」へと進んだという。共産主義に打ち勝とうとする意志が、完全雇用をはじめとする福祉国家化を促し、ヨーロッパを復興させるマーシャルプランを始めとする帝国主義的であると同時に責任あるアメリカの対外政策を促したという。

やがて、冷戦はソ連の崩壊で西側の勝利に終わったかのように言われるが、西側も実は内部崩壊をしていたというのがトッドの見立てである。 この内部崩壊とは何かと説明するとこうなる。

アメリカは、冷戦時代を通じて「万人の平等」を目指したが、これは核家族制度のなかにそもそも欠落する思想である。アメリカ型の個人主義的家族制度は、兄弟間の不平等を許すシステムだからである。

アメリカは、黒人差別に目をつぶり、「白人間の平等」を掲げてきた歴史を持つ。しかし、「黒人も平等」という思想が、「白人間の平等」という共同意識を壊した。(「自由」と「平等」は、制限を加えず、野放しにしていると両立しがたい。)また、強力な労働組合のもとで、アメリカの労働者階級が解放され、彼らは中産階級になったが、企業の利益率は劇的に低下した。「黒人は(白人より)劣る」という思想が禁じられ「黒人も平等」となれば、「白人同士の平等」という感情が崩れ、経済的な不平等が許容されはじめた。

さらに、アメリカの文化的危機に関わる要因として、ベトナム戦争での敗北の屈辱がある。アメリカは、アフガニスタンやイラクで不誠実で残虐な戦争を起こしているので忘れがちだが、ベトナムでは正真正銘、共産主義に敗北し、モラルの崩壊を招いた。

次の点は、ロシアとは無関係だが、トッドは普遍的なこととして高等教育の普及を上げている。識字率の向上で形成された平等主義的な文化は、大学進学率が25%を超えたところで、「平等」の意識が失われ、上層部の人は自らを「新たなエリート」と認識するようになるという。アメリカで大学進学率が25%を超えたのは1960年から1965年であり、この時期は黒人運動まっさかりで、「白人の平等」は、大学進学率と「黒人も平等」という両輪でつぶされ、消えてなくなる。

これが、冷戦で負ったアメリカの代償(=アメリカも敗北した)であり、この共産主義の重しがなくなった後、その反動で核家族を中心に据えた、「非平等」を内在するアメリカ型の「自由」の世界へ回帰し、「平等」がない「自由」だけが尊重される「新自由主義」がはじまったわけだ。

トッドは言う。「『黒人の解放』が『白人の集団感情』を打ち砕いたのです。『新自由主義』という革命は、人種主義の圧力から誕生しました。私に言わせれば、人類学的な無意識にずっと潜んでいた『非平等』への衝動が抑えられなくなった結果に他なりません。」

人種問題はアメリカに付きまとっており、この白人の集団感情の崩壊が、効率的な集団行動を阻んでいる。共和党と民主党の二極化は、人種的な分離に根差し、これを永続化させている。黒人の90%の票は、高学歴層、超富裕層と連動し、民主党の「傭兵」のような存在になっている。これが政治システムの「寡頭制」を生き永らえさせている。一方、共和党は、優位性を失いつつある白人アイデンティティから逃れることが出来ずにいる。

人種主義、「人種」へのこだわりがアメリカの白人の民主主義を可能にしたわけだが、オバマ以降は、「多人種」を夢見ながら「寡頭制」を持続させている。「民主制」から「寡頭制」への移行は、ロシアとの対立によって形づくられ、「黒人の解放」を迫ったのもロシアだ。

加えると、家族構造の歴史から見ると、西洋社会は「もっとも原始的」で、父権性が強く権威主義的社会を形づくっている共同体家族こそ「もっとも新しい」ということだ。

ほぼほぼ、トッドの言うことをコピーしてきた。他にも、おもしろいトピックはいくつかあるのでまた紹介するつもりだ。

おしまい

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たらい回しにされろ! 岸田首相コロナになる

日本経済がこれだけ悪いのに何もしない岸田首相。いつも「検討します!」と言うだけで何もしないので、「遣唐使」と揶揄される。

その首相が、新型コロナに感染した。是非、あちこちの病院に電話して、どこの病院でも見てもらえずたらい回しになって布団の中で苦しんでもらいた。

そうすれば、国民の多数が、熱が出て喉の痛い病気になっても、病院にかかれない辛さがわかるだろう。病院の事を心配するより、まず国民の事を心配して欲しい。

おしまい

出版の話 《YOUTUBE》青汁王子・三崎雄太と幻冬舎・箕輪厚介の対談

じじいの《紹介》欄にも書いたが、地上波のテレビに見るところはないが、YOUTUBEやニコニコ動画などを見ていると知らなかったことがたくさんあり、時間がいくらあっても足りず、見飽きない。

今回は、青汁王子と呼ばれる三崎雄太さんのチャンネルから、箕輪厚介さんとの対談を紹介する。

この対談を通じて思うのは、三崎雄太氏、箕輪厚介氏どちらも、こせこせしたサラリーマンと比べると、振り切れていて雑念がない。人へ責任転嫁することなく、目的地へわき目も振らず疾走する人物の潔さがある。

ウィキペディアによると、青汁王子は高校卒業後、アフィリエイト(ブログなどで商品を紹介し販売した時に一定の報酬をもらったりする仕組み)で儲け、アプリを作ったりする会社を経営したりして、インターネットで美容通信販売の後に青汁を売って大成功する。ところが、脱税により逮捕され、世間からバッシングを受け転落。その転落を契機に、焼き鳥屋になったり、彼女に振られたりの一部始終を公開し反響を呼んだ。また、NO1ホストになったり紆余曲折をへて、単に会社経営で金儲けするより、世間に言いたいことを言うほうが楽しいと言って、ユーチューバーをして成功。ガーシーやホリエモン、ヒカルなどと活動している。

一方の箕輪厚介氏は、幻冬舎のカリスマ編集者で、幻冬舎自体が見城社長という強烈な個性のもとで、わずかな時間で大成長した会社である。氏はその幻冬舎で、何冊もベストセラーを生み出した。その本を売ることに関しての彼の語り口は、極めて明快だ。ただ話を聞いていると、例えばホリエモンであれば、ホリエモン自身は1文字も書いていないらしく、氏がゴーストライターの役目をしている場合もありそうだ。

そんなで、青汁王子こと三崎裕太氏が、角川から出版した「時を稼ぐ男」が重版されたのを機に、10万部を越え、さらにもっと売るための戦略を箕輪厚介氏に相談するというのが内容だ。

これに対する箕輪厚介さんの回答の要約はおおむねこんな感じである。

  • ジャンルごとに「池」の大きさが決まっていて、《健康》なら100万部、《神社》なら7000部、《お金のビジネス書》は30万部。本の中身の良し悪しに関係なく、これが上限。
  • 売り上げを増やそうとすれば、著者のコミュニティ(三崎雄太氏であれば、ホリエモンやヒカルなどの著名人)とコラボし、対談したり帯に推薦文を書いてもらう。そうすることで、対談した人のフォロワーにもリーチできる。
  • 本屋さんへドブ板営業する。イベントやったりサイン会やったりする。
  • 広告を異常なレベルでやる。中途半端では効果がない。 新聞広告の大きなものをやる。電車の中づり広告のジャックをする。電車の動画広告を1日中流す。タクシー広告をやる。広告は、ユーチューバーの三崎雄太には、認知を上げるのでムダ金にはならない。
三崎優太 青汁王子

箕輪厚介氏がいうのは、最初に火をつけられる(1~2万部売れる)のは実力があるからこそという。火がついたものを大きくする方法はある。火がつかない本を売ろうとしても、お金の力で本は売れない。

さらに興味深い、納得するようなことをビシバシいろいろ言われている。

  • 頭おかしい人、ネジがぶっ飛んでいる人でないと本は売れない。
  • 本を出したいと思っている時点でダメ。側から「本を出してください」と頼まれるほど、新しい考えなどがないとダメ。
  • SNSでバズっている。バズる兆しがある。SNSで話題にならないものが本で売れるわけがない。
  • アナログの本屋で売れるのは奇跡。ほとんどの人が本屋へ行かない。それほど難しい。いいタネを持っていないとダメ。

ここからは、おまけである。

前提条件として、YOUTUBEにしろTWITTERにしろ、SNSのプラットフォームというものは本来、誰に対しても平等に開かれているからこそ、プラットフォームと呼ばれるのだが、現実は違っていて特定の権力に反発するようなものは、バン(禁止、アカウント停止)され、公表の機会は奪われている。 具体的に説明すると、コロナで反ワクチンの主張やWHOや政府に異議を唱えるとBANされる。小林よしのり氏や尼崎の長尾医師などが該当する。また、参議院議員に当選したガーシーチャンネルは、楽天の社長や官房副長官を名指しで批判していたのだが、選挙の終盤戦にいつアカウントがバンされるか、投票日まで見れるか競争になってスリリングだった。また、もう一つ上げると、トランプ元大統領はそこらじゅうのSNSでバンされて、対抗措置として自分でSNS、《TRUTH SOCIAL》というものを立ち上げて発信している。

つまり、既存のSNSは、政治的に無色透明なプラットフォームではなくかなりなバイアスがかかっている。

とはいえ、いまのところYOUTUBEは、操作性もいいし、ユーチューバーにとって多くの視聴者を稼げるので、誰もが力を入れておりさまざまな新発見ができる。

おしまい

第7章 マネージャー、ホンバーガー

14歳のグールドが初めて、トロント交響楽団と共演した1947年1月のベートーヴェンの『ピアノ協奏曲』第4番を、22歳のウォルター・ホンバーガー(1924-2019)が聴き、「これは凄い少年が現れた。」とグールドの才能を確信する。そして、「興行主としての音楽マネージャーになりたい」とすぐに両親に申し出た。

ドイツ生まれのホンバーガーは、恰幅がよく、上品で落ち着いた紳士だった。一方、いつまでたってもドイツ訛りのアクセントがぬけず、のちにグールドがよくするものまね、ドイツ語訛りでしゃべる奇人の発音のモデルにしていた。

かれは、ドイツ、カールスルーエで私立銀行を営む家庭で生まれた。音楽経験はなかったが、周囲を優れた音楽家[1]に囲まれ、興行主を志していた。第二次世界大戦のまえにナチスから逃れ、イギリスへわたり、1940年カナダへ亡命、1942年に市民権を与えられていた。しかし、敵国からの亡命者にとっては苦しい時代で、大戦が終わる1945年まで隔離され厳しい監視下にあり、移動するにも仕事の認可を得るにも厳しい規制を受けなければならなかった。

かれは優れた実業家であり、グールドがコンサートから身を引く1964年まで、興行主としてマネージャーを務め良好な関係を続けた。つねにグールドを尊重しかばったからである。グールドは演奏の姿勢などで常に批判を浴びていたが、ホンバーガーはこういうのだった。

[2]ステージ・マナーについてグレンが批判されたときの私の答えは決まっていました。『あなたは音楽を聴くために演奏会へ行くのでしょう?でしたら目を閉じて聴いてください。彼を見たくなかったら、目の前から追い出せばいいんですよ』と。」

グールドは後に成功してから、ユーモアでホンバーガーをこう評している。

[3]ギャラ、ピアノの選択、衣装、プログラム、スケジュール、そして僕のプレスへの態度以外ならば僕とマネージャーの意見が食い違うことはまったくない。」

ゲレーロと別れたグールドにとって、ホンバーガーは新しい父親だった。

なおかれは、1962年から25年間、トロント交響楽団の興行主をつとめている。

日本の小澤征爾は、1964年から4年間トロント交響楽団の常任指揮者を務めていたので、グールド、ホンバーガーとも交友があった。

グールドの両親は、ホンバーガーのマネージャーの申し出を最終的に「神童として酷使しないこと」を条件に承諾する。

ホンバーガーとグールドの両親は、居間のソファに座り話し合っていた。

「おとうさん、おかあさん。息子さんの演奏を聴いて、ぼくは跳びあがりました。すごいです、あの年齢で、あんなに表現力があって感動的な演奏をするなんて、信じられません。小さい音で演奏する時には胸を締めつけられる気がしましたし、クライマックスでは興奮して、心臓がバクバクしました。まったく自由自在じゃないですか!まだ、14歳ですよね。ぜひ、ぼくをマネージャーにしてください。興行的に成功させてみせます。ちゃんと、かれを育てますから」

「先日は、トロント交響楽団との協演でしたが、昨年は同じ曲を、ピアノのゲレーロ先生がオーケストラのパートを連弾で伴奏してくださいました。この先生についてから、グレンは、どんどん成長しはじめて、わたしたちがどうしたらよいのか、わからないくらいになりました。遠いところに行ってしまうようで、怖いくらいです。わたしたちは、ふたりとも音楽好きで、母親が10歳までピアノを教えてきました。わたしはヴァイオリンを弾いていましたし、夫婦で讃美歌をうたい、グレンが伴奏をして聴衆の人たちから喝采をもらったこともありました」

「わたしは、声楽の教師をずっとしていたので、グレンにピアノを弾きながら歌うように言ってきかせました。そのせいで、かれのステージで歌う癖は、抜けなくなりました。グレンの上達ぶりは、ふたりとももちろんうれしいのですが、とまどいもあるのが正直なところです。かれは、まるで、わたしたちの平凡な家庭の裏庭に突然山脈が隆起して現れた[4]ようなものです。わたしたちの手に負えなくなってきたのです。わたしたちも、そういっていただくのは嬉しいのですが、どうしたらよいのかわかないところがあります。」

「神童とか天才とかいわれながら、大人になってだめになってしまう演奏家は大勢いますし、かれはまだ声変わりもしてしない子供にすぎません。我が家では「神童」とか「天才」という言葉に加えて、「モーツァルト」と軽々しくいうのも禁句なのです。かれは金魚に「モーツァルト」と名前をつけていますけどね。わたしたちは、幼いころから大勢の大人を喜ばせる、見世物にしたくないと思っていました。彼を、まずは親として、ちゃんとした人間に成長するのを見届ける義務があると思っています」

「わかりました。わたしは、音楽家ではありませんし、楽譜も読めません。しかし、ビジネスには自信があります。弱みもあるのでしょうが、強みもあるはずです。おっしゃるように、かれの意思に反して酷使するようなまねはしません。もちろん、親御さんの心配は分かります。ですが、かれには他にない才能があり、それを埋もれさせずに、開花させてあげる役目もあるのではないでしょうか。どうか息子さんを、わたしにあずけてもらえませんか」

その話し合いをしている居間のピアノの横にはフラシ天(ビロードに似た高級布地)の長椅子が置かれ、グレン少年は、ほぼ水平といえるほどのだらけた格好で寝転んでいた。母親が言った。

「グレン、背を伸ばして。いい加減にきちんと座ってちょうだい、お願いだから。この話、あなたはどうなの。ホンバーガーさんに、マネージャーをお願いするということは、ピアニストになってそれで身を立てることになるのよ」

グールドは、だらけた姿勢をほとんどかえずに答えた。

「ピアニストだけじゃないよ。ぼくは作曲家になるんだ。作曲家になる前に、まずコンサート・ピアニストになるんだけどね」

最終的に、両親はホンバーガーが興行主となって取り仕切ることを了承し、翌1947年10月20日にデビュー・コンサートを1回のみのおこなう旨の「紙切れ1枚」の契約を1947年3月13日に交わし[5]た。興業主になるにはアメリカだ、カナダで興行主として成功するはずはないと周囲からいわれたホンバーガーだったが、かれには自信があった。

この年の契約の後、グールドは、トロント王立音楽院で初の単独リサイタル、教会ではオルガンによるリサイタルを開いた。この二つのリサイタルがホンバーガーの手によらなかったのは、グールドの父バートが、マネージャーの役をなかなか手放さなかったということがある。バートはずっと、グールドの公演の話があると、相手先との交渉や手配、旅行の支度や空港までの送迎などを献身的にずっとしていた。

10月20日、ついにホンバーガーの手腕が発揮された商業リサイタルが初開催された。グールドは、15歳でプロデビューした。

グールドの写真が写されたポスターやプログラムで宣伝された。曲目は、スカルラッティ[6]のソナタ5曲、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第17番ニ短調作品31第2「テンペスト」、クープラン[7]のパッサカリア、ショパンのワルツ第5番変イ長調作品42、即興曲第2番嬰へ長調作品36、リストの《泉のほとりで》、メンデルスゾーンのアンダンテとロンド・カプリチオーソだった。

トロントの主要3紙がそろって批評記事を載せた。いずれの新聞もグールドの演奏を高く評価し、《グローブ・アンド・メイル》紙は「この演奏家は楽章や作品全体をひとつのまとまりとして捉えた。しかも細部は全体の構造を示すべく計算されていた」と書いた。グールド、両親、ホンバーガーの全員が、この成功に満足した。

なお、グールドは初期ロマン派といわれるショパン、リスト、メンデルスゾーンを嫌悪し、やがてこれらの曲を弾かなくなるのだが、15歳のこのときはそうではなかった。

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[1] 優れた音楽家 ヴァイオリニストのカール・フレッシュを師とするヘンリク・シェリング、ゲアハルト・カンダー、イダ・ヘンデルがホンバーガーの友人だった。いずれも有名なヴァイオリニストである。

[2] 「神秘の探訪:バザーナ」第9章孤立 P117

[3] 「ギャラ、ピアノ・・」映画《HereAfter/来世》ブリュノ・モンサンジョン2007年 この映画にトロントのグールド像に語り掛けるご夫人との架空の対話で出てくる。

[4] 山脈が隆起 1983年、グールドへの追悼文集を集めた《Glenn Gould Variations, John McGreevy》《1986年日本語版 グレン・グールド変奏曲 訳:木村博江 東京創元社》が発刊され、この中で、子供時代から20歳前半までのグールドの唯一といっていい友人として過ごした《Saturday Night》誌編集者のロバート・フルフォードが、「育ち盛りのグールド」というタイトルで寄稿している。

[5] 《神秘の探訪:バザーナ 117頁》

[6]  スカルラッティ(1685-1757) イタリア出身の作曲家。同年にJ.S.バッハ、ヘンデルのバロック時代の代表的作曲家が生まれている。

[7]  クープラン (1668-1733)は、バロック時代のフランスの作曲家。