第10章 ストラトフォード音楽祭でベートヴェン「幽霊」を演奏する

グールドは、すでに10代の初めからカナダ国内で注目されはじめ、10代の後半から22歳のアメリカ・デビューをする前には、国内の一流オーケストラすべてと共演するまでになっていた。1950年代は、まだラジオの全盛期だったが、ラジオ番組にたびたび登場する最も人気のあるスターになっていた。しかし、その人気はあくまでカナダ国内に限られていた。

1953年、カナダは文学、演劇、音楽の総合的な祭典であるストラトフォード・フェスティヴァルを始めた。

グールドは、開始当初からこのフェスティヴァルに参加し、世界的なピアニストとなってからも、10年以上ずっと参加しつづけた。

1953年、アンサンブルへ1回、リサイタルへ2回出演したグールドは、「隙間だらけの楽屋、ぼくでさえも上着なしで弾いたほどの蒸し暑さ、ひどい楽器、無計画、準備のわるさ」と10年後に回想している。しかし、出演料が127ドル(2023年現在価値で4,165ドル≒58万円)だけだったことには触れていない。

なぜなら、グールドは、この音楽祭を通常のコンサートでは実現できないレパートリー、着想、演奏へのアプローチの探求や実験ができる場だと考え、シェーンベルクなどの現代曲を重点的に取り上げたり、持論である「拍手禁止計画」[1]の実行をした。そうした新しい試みをしたいという思いは、多くの他の出演者たちにも共通だった。

グールドは、22歳の時、CBCテレビ(カナダ国営放送)「サマー・フェスティヴァル」というシリーズの一環で、テレビの録画とラジオでの生放送をする[2]ために、すでに名のとおったヴァイオリン奏者のアレクサンダー・シュナイダーと女性チェロ奏者ザラ・ネルソヴァとの3人で、ベートーヴェンのピアノ三重奏曲ニ長調作品70第1「幽霊」とバッハ、ブラームスの室内楽の作品の演奏をした。

シュナイダーは1908年、リトアニア(旧ロシア帝国)にユダヤ系として生まれ、ハンブルグのオーケストラのコンサート・マスターを務めていた。しかし、ナチスの台頭により解雇され、ブダペスト弦楽四重奏団に加入する。たまたま行った1939年のアメリカ公演の際に、移住許可を得ることができアメリカへ移住していた。

3人が共演したこの年は、46歳でプラド音楽祭、マールボロ音楽祭をすでに成功させて、ヴァイオリン奏者としてだけではなく、指揮にも精通して、評価はすでに高かった。

36歳のチェリスト、ザラ・ネルソヴァはウィニペグ生まれで、フルート奏者だった父の影響でチェロを習い始めた。彼女が生まれた1918年は、歌手を別にすると、女性が演奏する楽器は、ピアノやオルガンなどの鍵盤楽器、ハープやリュートなどに限定され、チェロを女性が演奏するのはまだ珍しい時代だった。このため、ネルソヴァは男性の音楽家から「ああ、あの女のくせにチェロを弾く」[3]などと形容されながら、キャリアを切り拓いてきた。この時、彼女はアメリカ・デビューを果たし、前年にアメリカ市民権を得たばかりだった。

リハーサルを行ったのは7月の午前中だったが、カナダといっても、気温がすでに30℃ある暑い日だった。グールドは、分厚いオーバーコートを着て、マフラー、手袋、帽子といういつもの冬のいでたちで現れた。どこへでも持ち運んでいる折りたたみ椅子[4]、薬が入っているブリーフケースなども運んできた。

椅子は、父親が作ったもので、折りたたむことができ、4本の足を約4インチ(約10センチ)切り、その脚先を真鍮の金具でかこみ、ねじで固定し、そこに引き締めねじ(ターンバックル)の受け側を溶接した。その先にねじを取り付け、ねじを回すことで、足の長さを別個に微調整でき、傾きも変えることができた。椅子を開いた時の座面の高さは、床上35.6センチしかなかった。グールドの身長は180センチで、かれはいつもこの椅子にずり落ちそうな角度をつけて座ると、鍵盤と顔をくっつきそうになるほど近づけ、指先より手首が下にきて、ピアノにぶら下がっているように見え、姿勢の悪さで《オランウータン》だと言われることすらあった。

CD集アウトテイクから・・・・最初は椅子にもちろん座面があった。しかし、グールドはこの椅子を生涯どこでも使い続けこのように座面が無くなってしまった。

その日のグールドは、黄色っぽい顔をして、いかにも具合が悪そうに見えた。とくに午前中のはじめのうち、練習ができる状態でないのは明らかだった。

おまけに、季節に合わないちぐはぐな服装だけでなく、髪の毛も乱れ、どこか汚く見える服装で現れたのだった。

しかし、長身で細身のグールドの髪はゆるくウエーブした濃いブロンドで、ほとんど髭のないつるんとした中性的な肌、綺麗な眉、すっとした鼻梁、きりっとした口元は、ハンサムで美男子であることがすぐにわかる。どこか遠くを見るような目は、青年に達したばかりの若々しさと繊細さの陰に、どこかに確固とした意志を秘めていた。

ネルソヴァがグールドに訊ねた。

「あなた、大丈夫なの?」

「ぼくなら大丈夫ですよ。昨日の晩、徹夜でトルストイを読んでいたんです。古典の小説は、手あたり次第、何でも読みたいと思ってるんですよ。大丈夫です。具合はすぐに回復しますから。」

ちょっと時間を取った後、リハーサルを始めることになった。だがグールドは、演奏するときにピアノ譜を見ようとしなかった。

シュナイダーが驚いていった。

「きみは楽譜を見ないのかね」

「ええ、いつもそうです。ぼくは慣れていますから。楽譜はぜんぶ頭に入っていますよ。ヴァイオリンとチェロの楽譜もわかってます。みなさんは、お好きにしてください」

室内楽の演奏では、楽譜を譜面台において演奏するのが一般的だ。弦楽四重奏や、今回の三重奏などもそうだ。ただし、オーケストラと共演する協奏曲は、大曲ということ、ソリストが名人芸を披露する晴れの場と考えられているので、団員が楽譜を見ながら演奏しても、ソリストは暗譜で演奏するのが通例だ。過去には、名人芸を誇る器楽奏者が、すべて暗譜で演奏する時代もあったが、記憶が飛ぶ不安を頭の片隅に抱えて演奏するより、楽譜を前にして演奏した方が安心して、のびのびとした演奏ができると考えられている。

ただ、3人の奏者の足並みがそろわず、グールドが暗譜でピアノを演奏するのに、シュナイダーとネルソヴァがもし楽譜を前にして演奏すれば、弦楽器奏者のふたりが曲を十分に理解していないように観客に映るだろうという懸念はあった。だが、グールドにそういわれると、それ以上楽譜を譜面台におけとは言いにくいのだった。

「きみの意見はわかったよ。まあ、やってみようじゃないか」

実際に、3人で演奏を始めると、すぐにふたりは、グールドの演奏に驚嘆する。正確なリズムと明確なアーティキュレーション[5]、強弱のつけ方、音色や表情の変化のつけ方、どれをとってもすべてが出色のできで、すべてがコントロールされていた。

もちろん室内楽は、アンサンブルである。ひとりでやるのではない。3人でどのような演奏にするのか、同じ認識をもつことが何よりも大切だ。そのためには、それぞれの楽器が、自制心、駆け引き、慎み、一体感といったものを共有しなければならない。

グールドは、楽譜を読んで自分が演奏したい「幽霊」像を持っていた。それは、シュナイダーが描く像と正反対だった。

ベートーヴェンの「幽霊」に対するシュナイダーの考えは、緩急の幅や、重さと軽さの表現上の違いをしっかりと描き出し、チェロ、ヴァイオリン、ピアノの存在感をおのおのの楽器が十分に出し、小気味い良いユーモア感覚から悲痛な表現までを対比させることで、曲の推進力を生むというものだった。

とくにアレグロの第1楽章とプレストの第3楽章では、旋律の強弱を激しく交代させ、対立させることがこの曲をドラマチックにさせ、ラルゴの第2楽章は、「幽霊」らしく不気味な雰囲気を醸し出すべきだと考えていた。楽器の扱いは、アンサンブルとしての調和よりも、むしろ各楽器が激しく、それぞれが主張すべきだと考えていた。

しかし、グールドの解釈は全体的に見ると「幽霊」という標題にこだわらず、3つの楽器が一つになって穏やかで美しい曲にすべきだ、と主張し譲らなかった。

「ここのパッセージは、ダン、ディー、ディー、ダーという感じでやってみよう。」とシュナイダーは、ふたりに伝える。

「でも、あなたのアクセントは間違った場所におかれていますよ。」とグールドは抗議する。

「ぼくは、心で弾くんだ。頭じゃない!」とイラっとなり噛みつく。

「ぼくは、ベートーヴェンが書いたように演奏します。」

「ああ、わすれていたよ。偉大なグールドさんは、ベートーヴェンとすっかり昵懇だってことをね。」

グールドは、楽譜の分析をするためにリハーサルを止めている。シュナイダーは、その必要はないと言う。

「ぼくは、カザルス[6]と共演しているんだぞ!」と、当時のカリスマともいえる指揮者、作曲家でもあるチェリストの名前をだして、グールドを黙らせようとする。

「ぼくは、あなたが誰と共演していようと気にしません。ぼくは、ぼくのやりかたでやりたいんです。」

そのリハーサルでは、グールドはピアノのパートを弾くだけでなく、ヴァイオリン、チェロのパートをピアノで弾き、自分が望む演奏すべきスタイルをふたりに説明しはじめた。シュナイダーは、自分の演奏するヴァイオリンの旋律に、ピアノ奏者に注文をつけられたのは初めての経験だった。経験の浅い、まして他の器楽奏者から演奏を指図されるのは、最善の演奏は何かをもとめる自然な議論のはずだとしても、自尊心を傷つけられるようで不愉快が先んじた。ところが、グールドの説明は、明確で説得力のあるものだった。

残るネルソヴァは、年齢的にもキャリアの点でも、3人の中間的な立場にあり、従来の伝統的な解釈にこだわるシュナイダーに同調せざるを得なかった。しかし、カナダで一番成功している若者がもつ、まったくあたらしい解釈に驚くとともに、彼の音楽への姿勢にもおおきな魅力を感じていた。

「そんな風に極端にヴァイオリン、チェロ、ピアノがそれぞれ目立とうとするのは反対です。楽器を対立させるような演奏にすると、この楽章の構造自体がわからなくなりますよ。3つの楽器を調和させ、このように進行させるべきです。」

さらに、グールドは続けた。

「ここは、この楽章のハイライトに向けて徐々に盛り上がりが分かるように演奏すべきです。また、楽章の終わりは、音の大小に関係なくつねにクライマックスであり、同時に、次の楽章へ向かうことを暗示すべきです。そして、最終楽章のフィナーレへと演奏全体が向かうのです。」

「私は何度もこの曲を演奏しているんだ。この曲は、各楽器が存在感を発揮することで、その競争関係がダイナミズムを生むのだ。いったい、きみは、この曲を何回演奏したことがあるんだ?」

「3度です。」

「私は、この曲を25年間、何百回も演奏しているよ。」

「回数は問題じゃない。量より質です。ぼくは十分に楽譜を読んで考えてきましたから。」

最後は、シュナイダーがネルソヴァに意見を求めた。陰で「女のくせにチェロを弾く」と言われながら、ようやくこの世界で認められるようになってきたネルソヴァは、シュナイダーについた。

このため、グールドはシュナイダーの考えるこれまでどおりの演奏を余儀なくされる。弦楽器奏者と意見が合わなかったグールドだったが、実際に演奏するとグールドの演奏は見事だった。特に正確なリズムが光り、弦楽器をサポートするところでは、抑え目ながらしっかり存在感をだしてサポートし、自分が前に出るところでは、明確な表現でピアノを十分に歌わせた。常に、3人のバランスは非常に揃っていて、崩れることはなかった。

その夜、グールドはネルソヴァを脇へ呼び出し、声をかけた。

「ザーラ、あなたは去年、アメリカの市民権をとられたんですよね。ウィニペグ生まれのあなたでも、アメリカで成功することが大事だと思われたんでしょうね。まえから、カナダを卒業してアメリカへ行こうと思われていたんでしょう。ぼくが演奏活動をどうやっていくのがいいか、教えてもらえませんか。アメリカで成功するには、どうしたらいいでしょう?」

ネルソヴァは、カナダの若くてハンサムな人気ピアニストから真剣な相談をもちかけられ、少しうれしくなってこたえた。

「そうね。カナダ人は、アメリカン・ドリームを信じていないくせに、アメリカ人を羨んでしまうところがあるわよね。だからよく、『カナダでは自国の才能のある人を認めず、もし認めるとしても、時期を逸してからしぶしぶ認めるか、アメリカで成功してからやっと認める』っていうわよね。もちろん、カナダはとても良いところよ。だけど、いつまでもカナダにとどまって、アメリカを見ているだけでは駄目だわ。アメリカでデビューしないことにははじまらないわ。まずは、アラスカへ演奏旅行をしたら、どうかしら。わたしの親しい友人のピアニストで、そういう演奏旅行の企画が組めるのがいるわ。かれに連絡を取ってみるのはどう?」

グールドはこたえた。

「ありがとうございます。そうして教えてもらえると、とてもありがたいです。」

しかし、グールドには、その時すでに契約したマネージャーがいた。アメリカでのデビュー演奏旅行の計画は、グールド、両親たちと、マネージャーにとって、最大の懸案で、実のところ、かれがネルソヴァにそのようなことを相談する必要はまったくなかった。

フェスティヴァル本番の演奏では、シュナイダーは、舞台に上がる前にグールドに暗譜ではなく、楽譜をピアノの前に置いて演奏するように釘をさしていた。

しかし、グールドは楽譜を持って舞台へ登場したものの、楽譜を椅子の上に置き、その上にお尻をおいて演奏した。

そのかれの演奏スタイルは、目をつぶり、自身の恍惚としたエクスタシーの世界に没入しているとしかいいようがなかった。悪い姿勢で、鍵盤をまともに見ることは一度もなく、音楽に合わせて上体をくるくる旋回させながら、のけぞったかと思うと、鍵盤に鼻がつくかというほど近づけ、もし、片方の手だけで弾く時は、もう一方の手で指揮するように腕をふりまわし、唸り声ともハミングともつかない歌をうたいながら演奏するのだった。

観客の側からは、明かに音楽の深奥のなかに吸い込まれたグールドと、姿勢を正し、楽譜をまえに悪戦苦闘する弦楽奏者が対比しているとしか見えなかった。恍惚となっているグールドにカメラがクローズアップする時、シュナイダーは侮辱されていると感じる。しかし、その3人で行った演奏は、聴衆から大喝采を浴びた。

演奏の後、シュナイダーはネルソヴァに言った。

「実に立派な、グールドの演奏だったね。あの変人は将来、まちがいなく大物になるよ。あいつの才能は本物だね。」

つづく


[1] 「拍手禁止計画」 もっとも古い音楽雑誌《ミュージカル・アメリカ》に、1962年2月、グールドは、「拍手喝采おことわり!」という論考を掲載している。グールドは、もともとコンサート嫌いで、聴衆を「自分は安全なところにいながら、闘牛場の闘牛士を見るように、演奏家が失敗するのを待っている」敵だといい、身近な人が観客席にいることさえ苦痛を感じるタイプだった。この論考は、さまざまな角度から拍手喝采について検討しているのだが、同時にユーモアと韜晦に充ちていて、音楽監督を務めたストラトフォード音楽祭を「こじんまりした雰囲気が喝采ぬき演奏会にうってつけ」と書き、同年7月の音楽祭で「拍手禁止計画」を実行した。

[2] CBCテレビ(カナダ国営放送)「サマー・フェスティヴァル」《神秘の探訪 注:519頁》と《”The Genius who doesn’t want to play, Gladys Shenner,1956.4.28 Maclean’s Magazine”と《グレン・グールドの生涯 巻末放送番組一覧 35頁》

[3]女のくせにチェロを弾く 《チャイコフスキー・コンクール 中村紘子》171頁

[4]折りたたみ椅子 《グールドの生涯》91頁、《グールド変奏曲》の訳者あとがきのバートのインタビュー

[5] アーティキュレーション(articulation) 音楽の演奏技法において、音の形を整え、音と音のつながりに様々な強弱や表情をつけることで旋律などを区分すること。

フレーズより短い単位で使われることが多い。強弱法、スラー、スタッカート、レガートなどの記号やそれによる表現のことを指すこともある。アーティキュレーションの付けかたによって音のつながりに異なる意味を与え、異なる表現をすることができる。(Wikipedia)

[6] カザルス パブロ・カザルス(1976-1973) スペイン生まれのチェロ奏者、指揮者、作曲家。チェロの近代的奏法を確立し、深い精神性を感じさせる演奏において20世紀最大のチェリストとされる。有名な功績として、それまで単なる練習曲と考えられていたヨハン・ゼバスティアン・バッハ作『無伴奏チェロ組曲』(全6曲)の価値を再発見し、広く紹介したことが挙げられる。(Wikipedia)

グールドとジュリアード弦楽四重奏団は、なぜ《亀裂》を生じたのか?

グレン・グールドは、前期ロマン派の曲をたいがい嫌っていた。しかし、1968年にロベルト・シューマン (1810-1856)のピアノ四重奏曲変ホ長調作品47をコロンビアレコードから正規録音でジュリアード弦楽合奏団と残している。シューマン唯一の曲の録音である。これがなかなかいい曲である。

コロンビアレコードの当初の計画では、このピアノ四重奏曲を録音した後に、同じくシューマンのピアノ五重奏曲も録音する予定だった。しかし、ジュリアードと意見が合わず、五重奏曲の方は、バーンスタインがグールドに変わって起用されて、この2曲を入れたレコードが発売された。確執が起こったという発売されたの四重奏曲の演奏は、とても素晴らしくて、とても「亀裂」が入ったとは思えない出来栄えである。

グールド推しである親爺は、カップリングで入っているバーンスタインがピアノを弾いた五重奏曲とともに、他の現代の感情をこめた演奏より、曲の構成に気を配ばり統一感を重視した演奏のこちらの方が好みである。

こちらがそのジャケット

ついては、グールドとジュリアードの間で、何が合わなかったのか、それを考えてみようと思う。それを考えるにあたって、《おしまい》のうしろに二つのユーチューブを張り付けた。最初の方であるレコード盤が写っている方が、上に写真を貼り付けたジャケットに入っているグールドとジュリアードの演奏と同一である。

その後ろのYOUTUBEが、樫本大進さん(ヴァイオリン)が入った合奏団である。樫本大進さんは、最高峰と言われるベルリンフィルハーモニーの主席コンサートマスターである世界的ヴァイオリニストだ。

ここから、グールドとジュリアードの演奏と、現代の豪華メンバーの演奏を比べてみたい。なお、親爺は別に音楽の専門家ではないので、間違っているところもあると思う。その辺をお含み下さい。

また、音楽の曲は何といっても、いくら強弁しても、最後は好き嫌いです。好きだったらそれでよろしい、というのが大前提だと思います。

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グールドとジュリアードの演奏の方は、ピアノに圧倒的な存在感がつねにある。グールドは、全曲を通じて、(存在を消して)控えに専念するということがない。存在感がありながらも、他の楽器を喰ってしまうということもない。曲全体を眺めると、自然でとても楽しい演奏になっている。

グールドは、弦楽器(バイオリン、ビオラ、チェロ)が主旋律を鳴らしているときでも、その背景で、あまりにも正確なタイミングでピアノをポロンとさまざまな音色と音量で鳴らすので、曲のリズムと強弱ががピアノの演奏に制限される。弦楽器奏者に、勝手なリズムと表現を許さない。 

その理由は、楽器の特性が影響していると思える。ピアノは、鍵盤を叩いた瞬間に出る音が最も強く、弦楽器群は、弓をこすりながら音を出すので、音量のピークを自在に変えられる。ピアノは、弦楽器よりリズムに関して、《切れ》がはるかに良い。リズムが明確である。そのため、弦楽器も強音を頭にもってくるのであればそうした弾き方を意識的にする必要がある。 ピアノが弦楽器側に、ピアノと同じように、正確なリズムで演奏するように強要している。

しかも、グールドの弾き方は、コンピューターのようにリズムを崩さないで一音一音を弾ける。速く弾いたときに、《パルス》や《ビート》、《ドライブ感》という表現で言われるグールドの演奏の心地よさを生んでいる。グールドの弾く旋律は、32分音符、64分音符などの音符でも正確に、一音一音刻むことが出来る。アーティキュレーション(旋律のひとかたまり)を弾くときに、字余りだったり、帳尻合わせに、スピードを変えて調整するということがなく気持ちよい。逆に言うなら、他のピアニストは、グールドのように旋律を一音一音はっきり区切りながら弾かずに、ダラダラっとアーティキュレーションの中で一まとめにして弾くのが普通である。

このように、ピアノが一音一音明確に鳴るので、弦楽器もそのような演奏をせざるを得ない。結局、ピアノが全体の曲想を支配しているのだが、ピアノだけが主役という感じはまったくしない。主役のメロディーを鳴らしているのは誰?という感じが往々にする。主役のメロディーが鳴っているときに、その主役が、弦からピアノへ、ピアノから弦へと入れ替わるのはとても快い。

また、グールドの奏法はノンレガートが基本である。ノンレガートは、素人のようにポツポツ弾いただけではだめで、正確なタイミングで弾かなければ逆効果である。ところが、普通のピアニストはレガートが基本である。こちらは、リズムが少々脱線してもアーティキュレーションの中で調整できるので誤魔化しがきく。とうぜん、その分曲想が曖昧になる。

ちょっと話がそれるが、バッハの有名な「イタリア協奏曲*」の第2楽章アンダンテで、バスが同じ音で一定のリズムで出てくるのだが、グールドはノンレガート(スタッカート)奏法でこのバス音を印象的に弾いている。あまりに正確なタイミングで鳴るので、とても説得力があり、コミカルな印象を与えているのだが、これと同じ芸当をする他のピアニストを親爺は知らない。ノンレガートで弾くのも、レガートで弾きなれているピアニストには結構難しい感じがする。

(注)*イタリア協奏曲は、協奏曲と言いながらピアノソロの曲です。なにやら、リトルネロ形式というバロック時代の書風で書かれているので、協奏曲というのだそうです。

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一方、ベルリンフィルのコンマスである樫本大進組は、画面を見ると全員が楽譜を前に演奏している。

ここでまたまた脱線するが!!、グールドは、ザルツブルグ音楽祭でチェリストの大先輩のシュナイダーと共演した際、「オマエ、楽譜をピアノの前に置いて演奏しろ。いいな。」と釘を刺されるのだが、舞台に現れたグールドは、楽譜をお尻に弾いて演奏をはじめたというエピソードを思い起こした。このグールドは、自分のパートを暗譜しているだけでなく、他の楽器のパートも暗譜していて、そうした記憶力は共演者から嫌がられたらしい。

再び、樫本大進組の演奏に話を戻す。 こちらの演奏では、アーティキュレーションの中で、ピアノも小さく速度を変え、抑揚も変えている。それは、弦楽器もおなじである。ピアノは弦楽器が主体的な場面では、音量を控え、リズムも崩し気味である。ピアノの存在がないかのような場面もある。逆に、弦楽器が控えめで、ピアノが主体的な場面では、ピアノが名人芸を披露するのを弦楽器が伴奏にまわってサポートする。個性を尊重するのを良しとしているのか、別個の主張をして、あえて3台の弦楽器が揃わない場面もある。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ピアノがそれぞれ主役をとる場面があり、すべての楽器の音が鳴りながらも、主役が交代していく。その時に、主役の楽器は、かなり感情を込めて個性を出すように演奏し、他の楽器はサポート役に回っている。そして、どの楽器も感情を籠めて自分の役割を最大限に発揮しようとする。それがずっとである。クライマックスを、思いを込めた《緊張感》で表現しているように思える。

(ロマン派の音楽を演奏する際に)一音一音明確に区切るより、ロマンチックに崩すことで、感情たっぷりに歌いたい気持ちがどの演奏家たちの根本にもあるように感じる。

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グールドは、弦楽器の背景に回っても正確なリズムを刻んでいるのが聞こえる。しかも、その背景のピアノの音が、控えめに優しく弾けば、弦楽器は激しく大きな音で弾くわけにはいかない。逆にクレッシェンドしながら、弾けば、弦楽器もそのように弾かざるを得ない。ピアノという楽器は、弾きようだとは思うが、非常に目立つ音を出す楽器だ。グールドは、曲の全体の構成と楽章の構成を考え、どのように演奏するともっとも効果的かを考えているように思える。

そのために、インテンポ(正確なテンポ)を重視し、各自が自由に速度を変えるルバートを排除しようとしているようにみえる。統一感を大事にするからだろう。ルバートすることで、感情の抑揚を表現するのことは、ときとして、頑張りすぎが感動の押し売りになる。名人芸を示したいのかもしれないが、長くこれをやられると、聴く方は疲れる。

おかげで、グールドとジュリアードの演奏は、大きな音で演奏する場合にも、強い主張や《驚き》があっても、《緊張感》はない。

逆に、こうした演奏を強いられるジュリアードの面々は、この不自由さが嫌だったんではないでしょうか。どうですかね?

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親爺は思うのですが、グールドは、ロマン派の音楽を弾くときに感情を排し、バッハなどの古典曲を弾くときにはロマンチックに弾くのがグールドなのかもしれません。そうなら、なかなかの天邪鬼ですね。

おしまい

【以下、YOUTUBEのキャプションから】11,244 回視聴 2021/07/30
グールドが録音したすべての室内楽作品の中で、1968年5月9日と10日にニューヨークで録音されたピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのためのシューマン四重奏曲変ホ長調作品47ほど物議を醸す作品はない。
グールド自身も、この録音の過程で、彼とジュリアード四重奏団の3人のメンバーの間に、ますます深まり、最終的には取り返しのつかない「亀裂」が生じたと認めた。
この歴史的な摩擦にもかかわらず、グールドとジュリアード四重奏団は共に素晴らしい音楽を作りました。
彼らのシューマン四重奏曲はドラマチックで騒がしく、それでいて所々抒情的でもあり、弦楽器とピアノの優しい音色が響きます。
この音楽の中にはかなり速く演奏されるものもあり、グールドの正確なピアニスト能力がこの作品に素晴らしい華やかさと興奮を与えています。
グールドが演奏した唯一のシューマン作品です。
コロンビアは五重奏曲作品 34 も演奏することを計画し、望んでいた。
しかし、それは実現しませんでした。
バーンスタインはレコードの裏側のピアニストでした。
I. ソステヌート・アッサイ – アレグロ・マ・ノン・トロッポ 8’57”
II. スケルツォ・モルト・ヴィヴァーチェ・トリオ I – トリオ II 3’37”
III.Andante cantabile 7’57”
IV. Finale. Vivace 6’59”
ジュリアード弦楽四重奏団のメンバー
ロバート・マン、ヴァイオリン ラファエル・ヒリヤー、ヴィオラ クラウス・アダム、チェロ
【以下、YOUTUBEのキャプションから】417,574 回視聴 2019/02/11
ロベルト・シューマン (1810-1856): ピアノ四重奏曲第 1 番 変ホ長調 op.47 (1786)
樫本大進、ヴァイオリン / ギラッド・カルニ、ヴィオラ / G ガベッタ、チェロ / ネルソン・ゲルナー、
ピアノ ソステヌート・アッサイ – アレグロだがやりすぎない ( 00:12 )
スケルツォ: 元気いっぱいのモルト – トリオ I – トリオ II ( 08:51 )
アンダンテ・カンタービレ ( 12:23 )
フィナーレ: ヴィヴァーチェ ( 19:19 ) )
ソルスベルク音楽祭 201 8 で録音 © HMF Productions フィルム: ヨハネス・バッハマン 音響: ジョエル・コーミエ タグ: ロベルト・シューマン、ピアノ四重奏曲、クラヴィーア四重奏曲、第 1 番、第 1 番、第 1 番、変ホ長調、エス-デュル、作品147、作品47、
樫本大進、ヴァイオリン、ギラッド・カルニ、ヴィオラ、ソル・ガベッタ、チェロ、ネルソン・ゲルナー、ピアノ

シューマン:ジュリアード弦楽四重奏団/ピアノ五重奏曲&ピアノ四重奏曲 グールドvsバーンスタイン

グールドは、ロマン派の曲をあまり演奏しなかったが、シューマン(1810-1856)については1曲だけ残している。ジュリアード弦楽四重奏団とピアノ四重奏曲(変ホ長調作品47・1968/5/8-10録音)で、このレコードはレーナード・バーンスタインがピアノを演奏したピアノ五重奏曲(変ホ長調作品44・1964/4/28録音)がカップリングされている。本来であれば、ピアノ五重奏曲もジュリアード弦楽四重奏団と録音するはずだったが、グールドとジュリアード弦楽四重奏団には演奏をめぐって「ひび」が入ってしまい、2曲目の共演は実現しなかったらしい。このレコードは、1969年11月にコロンビアから発売されていることから、2曲ともグールドの演奏で売り出す予定を、バーンスタインの演奏ですでに録音していたピアノ五重奏曲とのカップリングへと変更したのだろう。

四重奏曲と五重奏曲どちらの曲も、付点音符によるシンコペーションが多用され後拍にアクセントがあり現代的で気持ちよい。同じ変ホ長調なので雰囲気はよく似ているのだが、楽章の中でも旋律や曲想が目覚ましく変化するので、聴いていて飽きない。比べると四重奏曲の方が全般に穏やかで優しく、五重奏曲はより激しく、両方とも最終楽章ではより前衛的な不協和音に近いところが出てきてドキッとさせられる。

主は、このブログを書くために何度もこの曲を聴いたのだが、すっかりシューマンに魅せられてしまった。実際にシューマンは精神的に病み自殺未遂をしたこともあったようなので書きにくいのだが、この2曲には「狂気」が感じられる。音符には不協和音は出てこないが、不協和音に近い淵までは行っている。その淵をもっと長く見せてほしいくらいだが、他の部分も予定調和の音調ばかりではない。主は、クラシック音楽に「狂気」が感じられないものは値打ちがないと思っている。ベートーヴェンに「狂気」があると言われると分りやすいだろう。クラシック音楽の歴史は、過去の音楽様式の超克の歴史であり、発表当時は常にアバンギャルドであり、前衛音楽だったはずだ。

話を戻すと、四重奏曲は、4楽章あり、急(Allegro)、急(Vivace)、緩(Andante)、急(Vivaceo)で構成されている。第3楽章の緩(Andante)のところでは、穏やかで愛らしい韓国ドラマ「冬ソナ」のようなピアノの右手が奏でる美しいメロディーが出てくる。

この曲では、グールドのピアノの存在感がすごい。逆説的だが、存在感がすごいのだが、その存在感が表に出ることはなくて、曲の良さや楽しさ、激しさや穏やかさを引き出すことに徹している。グールドが弦楽器の背景で音量を抑えて低音で伴奏をするときや、小さく高音を弾く時でさえ、耳がそちらに行く。リズムが正確で心地よいことと、強弱のつけ方が上手い。弦楽器が主役の時にはピアノの音量を抑え、ピアノが主役に代わる時には表に出ていく。常に滑らかなのだ。グールドのピアノが、弦楽器の背景で鳴っている時でさえリズムに説得力があるので、ジュリアード弦楽楽団のメンバーはリズムを崩せない。グールドのこのアンサンブルは、次のバーンスタインもそうだが、きわめて正統的でこの曲自体が持つ魅力を十分に気付かせる演奏だ。

バーンスタインによる五重奏曲は4楽章あり、急(Allegro)、緩(Modo)、急(Vivace)、急(Allegro)で構成されている。極端なシンコペーションと徹底した裏打ちのアフタービートが現代的で過激、時代を超えたところがある。バーンスタインはジュリアード弦楽四重奏団をぐいぐい引っ張っていく。弦楽器よりもピアノの方がキレが良く、弦楽器の方が合わせるのに苦労しているように聞こえる。バーンスタインは、指揮者だけではなく、ウエストサイドストーリーの作者としても有名だが、ピアノもこれほど上手いとは思っていなかった。バーンスタインの演奏は、後拍のリズムが徹底していて、その一貫性に確信のようなものが感じられる。グールドの演奏の方がむしろおとなしく、バーンスタインの演奏はアナーキーなところがある。どちらも天才だ。

グールド、バーンスタインの演奏のどちらも、楽団全体のバランスがとても良い。バーンスタインの五重奏曲は、ヴァイオリンが2丁になるのでより激しく動的な感じを受けるのかも知れない。ちなみに下のリンクで、グールドの演奏をYOUTUBEで聴けるはずだ。

https://www.youtube.com/watch?v=iSiwMR3dBUY&list=RDepchw_8tKow&index=3

主は、「ひび」が入ったというのは、グールドが弾く四重奏曲がとても正統的な演奏に思えたので、ジュリアード弦楽四重奏団の要望に折れる形でグールドが妥協したのかと思っていた。それほどにどこにも違和感がないのだ。

ところが、YOUTUBEで他の演奏者のシューマンのピアノ四重奏曲、五重奏曲を聴いてみてわかった。やはり「折れている」のはジュリアードの方だ。いろいろ名演奏があるのだが、アルゲリッチが著名な部類だろう。若い時分のものと最近のお婆さんになった現在のものも聴くことができた。日本の若手のものなどもあった。そういえば、辻井伸行が優勝したヴァン・クライバーン・ピアノコンクールのピアノ五重奏曲の演奏もYOUTUBEにアップされており、短いものだったがなかなか良い雰囲気だった。

若いころのアルゲリッチ。中学生のころに父親が持っていたLPレコードジャケットを見て、あまりの美人ぶりに日本人としてコンプレックスを感じたのを思い出す。

これらを聴くといずれも弦楽器、ピアノともどんなアーティキュレーション(メロディーライン)であってもほどほどルバートしない演奏はない。アルゲリッチでさえ、弦楽器が好きなようにリズムを揺らしながら旋律を歌わせている時には、ピアノは出しゃばらない。かなり音量を抑えて控えめに弾いている。そしてピアノの出番になると、自分もリズムを揺らして感情をこめて弾く。お互いがずっとこの調子で進んでいく。

好みはあるのだろうが、グールドのアプローチは、頭に入っている4人分の楽譜を俯瞰してどのように演奏するのが良いかについて自分の考えがあるところだろう。そのため、グールドのピアノは弦楽器の伴奏に該当する部分でも存在感があり、弦楽器各自が感情をこめてルバートするのを許さなかった。すなわち、グールドとジュリアード弦楽団が対立したのは、グールドが基本的にインテンポ(テンポを変えない。ルバートしない)での演奏を弦楽奏者に求め、楽章ごとにメリハリをつけながら、4楽章全体を見通して考えた構成に合ったドラマを作ろうと考えていたに違いない。こうしたアプローチは、素人の主には当然と思われるのだが、おそらくクラシックの演奏家にとっては違っていて、特に弦楽奏者にとってはルバートしながらリズムを揺らし、思い入れたっぷりな演奏をするのが名人芸なのだと思う。ここで付け加えたいのは、グールドの演奏がインテンポで常にルバートしないとしても、機械的な演奏だとか、冷たい演奏になっているのではなく、彼の演奏には非常に心がこもっている。ペースを守っているのだが、間の取り方がうまく、音量の変化も繊細で、とてもロマンチストなのが良く分かる。常に冷静に計算しながら、恍惚としたエクスタシーの中へ入り込むことが同時にできている。

彼のバッハもそうだ。彼のバッハは普通のバッハではない。非常にロマンティックな演奏だ。バッハにぜんぜん聴こえない。

おしまい 良いお年を!