小説グレン・グールド「はじめに」をリライトしました

はじめに

クラシック音楽の世界に、グレン・グールドという多くの音楽評論家が《異端》で《エキセントリック(変人)》というピアニストがいた。ときに作曲家が書いた楽譜に手をくわえ、しばしば書かれた音楽記号を無視した演奏をして、身なりも振る舞いも非常に変わっていた。

彼は、カナダ、トロントに生まれたピアニストで1932年に生まれ、1982年に没した。生まれて92年、亡くなってから42年が過ぎた。

1932年といえば、第二次大戦へ向かう世界恐慌のさなかで、職を失い食事にもありつけない人々が世界中に溢れた時期だった。だがカナダは戦争の影響はすくなく、彼の家は裕福だったので影響はほとんどうけなかった。第二次大戦が終わった1945年から、彼が死んだ1982年までといえば、世界中が民主主義を謳い、自由と平等へと全速力で走り、人類が一番幸せな時期だった。もちろん資本主義と共産主義のふたつの陣営が対立し、人種差別もはげしかった。いっぽうでプレスリーやビートルズがでてきてそれまでのかたくるしい既成概念を破壊し、人々の生活はまえより格段に向上し、人々は希望をいだいていた。若者が社会をリードした”Love and Peace”の時代だった。

グールドには、べつに進行するものごとを同時並行的に把握するという、一般の人にはない特殊な才能があった。グールド研究家のケヴィン・バザーナは、「グレン・グールド神秘の探訪」[1]で、こう書いている。

「グールドの脳は日常生活においても対位法的[2]な調子で動いていた。レストランやその他の場所で、グールドは他の客たちのそれぞれの会話を同時に盗み聞きするのが好きだった。また、原稿を書き、そして音楽を聞きながら、電話で話をすることがあったが、その3つの行為を同時に完璧にこなすことができるのだった。」

彼の不倫相手だった画家のコーネリアは、映画「グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独」[3]のなかで、グールドがテレビドラマを見ながら楽譜を覚えていたエピソードを語っている。

「テレビドラマも子どもたちと楽しんだ。テレビを見ているときも、グレンは、楽譜を広げていた。観ながら覚えてしまうの。一緒にドラマを観たあと腑に落ちない点をグレンに尋ねたものよ。ドラマの展開のことをね。グレンは、テレビの内容もすっかり頭に入っていて答えてくれた。そのあいだに楽譜もすっかり覚えていた。とても驚いたわ。」

グールド自身も、一番楽譜をよく勉強できるのは、テレビをつけ、ラジオでニュースを流しているときだと言い、3つを同時に理解していた。

グールドは、ピアノを弾くとき、弦楽四重奏を奏でる4人を頭の中にイメージしていた。ソプラノである第1ヴァイオリン、アルトの第2ヴァイオリン、テノールのヴィオラ、バスのチェロ奏者が、頭の中で演奏していると思いながら指を動かしていた。

このような彼の演奏には、いくつかの特徴があった。

多くのピアニストは、バッハがポリフォニー[4]で書いた曲を演奏しても、高音のメロディーとバスの音だけがずっと鳴っていることがある。というのは、現代の音楽は、基本的にメロディーと伴奏の和声のからなるホモフォニー[5]といわれる。このホモフォニーで書かれた音楽をまず身につけようとピアノを学習し、過去の音楽様式ともいえるポリフォニーは学習機会がすくない。

いっぽうバッハの音楽は、ポリフォニーからホモフォニーへの過渡期にあった。ポリフォニーとは、複数の旋律がどうじに進行する。グールドは、高音と低音の中間にある《内声》にもスポットライトをあて、その旋律も浮かび上がらせた。まるでふたりで連弾しているかのように弾き、高音、内声、低音どれも交代させながら主役の座につけた。たとえば、ソプラノのメロディーからアルトのメロディーへと、テノールからソプラノへと、また、他のピアニストとくらべると、足でバスのメロディーを弾くオルガンを習っていた経験をしていたので、バスの旋律をピアノでも強調し、旋律が喧嘩しないよう調和をとりながら、自分の考える強調したい声部が応答するように弾いた。

また、彼の演奏の基本は、音を短く区切るノンレガート(スタッカート)にあった。ピアノ学習者は、ピアノはレガートに弾く楽器だと教わる。「音はポツポツ切って鳴らしてはダメです、音符のつながりを意識して、なめらかに音をつなぎなさい」と教わる。しかし、レガートだけの演奏では、表現のバリエーションがかぎられる。変化をだすためには、小さい音で弾くか大きい音で弾くか、速く弾くか遅く弾くかしかない。もし聴くものを圧倒して感動させたかったら、大音量で弾くか、高速度で弾くという方法しかない。

彼はレガートを《緊張》であり、ノンレガートを《弛緩》であり《透明感》だと考えた。楽譜どおりに鳴らされるノンレガートの音は、音が実際に繋がっていなくとも、繋がっているように聴こえる。レガートは、ここぞという美しく緊張感のある場面に取っておいた。[6]

彼が、聴くものを圧倒するには音量も速度も必要なかった。静かに遅く弾いても圧倒できた。それは、圧倒的に正確で、どんなに、速く弾いてもおそく弾いても崩れない自由自在のリズム感があるからだった。

こうして彼は、10本しかない指でソプラノ、アルト、テノール、バスのメロディーを同時に弾き分けながら、しかもレガートとノンレガートを使い分け、引き立たせたいメロディーを変えていた。

この彼のテクニックが良くあらわれている演奏に、もっとも高い評価をしたJ.S.バッハが18世紀半ばに作曲した「フーガの技法」という曲がある。グールドは、18世紀に作曲された曲の中で、ふつう、最高の曲はその世紀にいちばん流行ったスタイルで書かれた曲のなかにあるが、この曲は当時の流行に背をむけていたと評していた。バッハが、流行が、メロディーと伴奏の和声を重視するホモフォニーへと移りつつあるなか、流行に背を向けて人気が廃れたポリフォニーの終着点であるフーガにこだわっていたといっていた。

しかし、彼はピアノで正規録音をだすことは、最晩年までひどく怖がっていた。なぜなら、この曲を録音するのが恐ろしかったから[7]である。

まだグールドがまだツアーをしていた1962年、オルガンで「フーガの技法」の前半部分だけを愉悦にあふれ軽快で、やはりノンレガートで弾いた正規録音を残した。やはり、新しい解釈の素晴らしい演奏だったが、批評家はこの演奏をオルガンらしくないといって酷評した。ところが、グールドは、コンサート・ツアーではピアノを使い、オルガンとは180度ちがった演奏をしてみせ、シュヴァイツァーがいう「『静寂で厳粛な世界、荒涼とした色も光も動きもない世界』を描いていた[8]

アマゾンから

この曲の弾き方にグールドの技術がよく現れている。テーマである第1曲の4声のフーガは、アルトで始まり、5小節目からソプラノ、9小節目からバスが入ってくる。どんなピアニストでも、曲の冒頭部分では、自分の技量をじゅうぶんわかってもらい、観客のこころを掴みたい。そのために最善をつくして弾きたいと思うので、ほとんどのピアニストがアルトの4小節を左手で弾きはじめ、ソプラノの4小節を右手で弾きはじめる。ところが、グールドは、8小節のアルトとソプラノの両方を右手で弾き、空いた左手は右手の指揮をし、9小節目になってやっと両手で弾きはじめた。

「フーガの技法」の第1曲(対位法1番)グールドは、8小節まで右手だけで弾いた。

また、多くのピアニストは音を長く延ばすためには、指で鍵盤を抑え続けるより、すぐにペダルを踏む。それが簡単だからだ。グールドはペダルをほとんど使わず指を持ち替えながら弾く。このため音が混じらず、クリアで非常に美しい。

そうした違いに加え、最大の違いは、楽譜に手を加えることをためらわないことだ。彼の演奏は楽譜に書かれた音高と音長は変えないとしても、それ以外は楽譜に囚われない。どうしたらその曲の最善を引きだせるかを、自分の頭で考える。クラシック音楽界の伝統は、作曲家の意図をできる限り忠実に再現することを最重要視する。ところが、ベストな演奏にするために再作曲をする。そんな彼の演奏は、例えばベートーヴェンの『月光ソナタ』や、美しいアルペジオで始まるバッハの『平均律クラヴィーア集第1巻第1番前奏曲』といった誰もが知っているような有名な曲であるほど、誰もやらない奇抜な演奏をした。これはあまりに挑発的で、評論家や音楽界の重鎮だけでなく、リスナーの度肝も抜いた。これをもっとも徹底的にやったのが、「死ぬのが早すぎたのではなく、遅すぎた」と彼がいうモーツァルトのピアノ・ソナタの演奏だった。彼は、モーツァルトが書いた美しいピアノ・ソナタ全曲に、新しい旋律の声部を書き足し、「曲が良くなったかはともかく、ビタミン剤を注入した」と言ってはばからなかった。そうした彼の強い主張は、もちろん音楽界の重鎮や音楽評論家たちとのあいだに衝突をひき起こしたが、一切の妥協をしようとしなかった。


彼は、椅子の脚を15センチほど切り、ピアノの3本の脚を3センチほどの高さの木製のブロックの上に乗せて演奏した。手首を平らにして指で鍵盤を引っ張るように弾くので、力が抜けた自然で美しくはっきりとした音を出した。爆発するような大音量は出せず、何千人もはいるようなコンサートホールの隅々まで届かないかもしれないが、粒が揃った美しい音色を出した。コンピューターのような明晰なリズムはビート感があり、情感たっぷりで落ち着いた現代的な旋律が、聴く者を魅了した。

鍵盤をうえから体重をかけて叩くのではなく、低い位置でピアノを弾き、すべての音をコントロールしようとしたのには、かるく反応のよい鍵盤のピアノに執着したことも大いに関係がある。グールドの最大の理解者で友人のP.L.ロバーツは、「グレン・グールド発言集」で、グールドから「息を吹きかけてもキーが下がらないピアノは弾きたくないね」[9]というのを聞いている。グールドは、それほど反応の速い、軽いタッチのピアノを求めていた。

もうひとつの演奏の特徴に、《エクスタシー》があった。彼が演奏をはじめると、すぐさま、彼は現世の浮世から離れて、恍惚とした音楽の世界へ行ってしまうように見えた。これをやはり、コーネリアが映画の特典映像「コーネリア・フォスが語るグールドの哲学」で語っている[10]

「自分に酔うことと、自我を超越することは矛盾しない。それどころか相乗効果がある。自分に陶酔すればするほど、自我を超越したいと思うものよ。当然のことね。演奏中のグールドは、超越していた。個人としての欲求や恐れなど世俗的な感情を忘れ去ってしまうの。自分自身を森羅万象と融合させることができた。自分を取り巻く宇宙と一体化して人間としての存在を深めていくことができるの。ヴァイオリニストやチェリストでも同じ。偉大な演奏家ならではの神秘的な境地ね。演奏技術の問題でなく大きな何かが働くの。」

この話には、ふたりのユーモアを示すオチがある。

「ある日、グレンが帰ってくるなり息せき切って話し始めた。『大変だよ。』『なんなの?』と尋ねたわ。『グレン・グールドの精神』という講座がトロント大学で開かれていると言うの。彼は身をよじって笑っていた。おかしくてたまらなかったのね。『聴講しなきゃならないよ。うまく変装して行こう。最後列に座ればいい。勉強になるぞ。』言うまでもなく、2人とも行かなかったわ。だから『グレンの精神』はわからない。」

母親の不安症が原因で、彼は子供のころから薬物に依存していた。向精神薬を飲みすぎて精神に不調を来すまでになったのは自分を守るためだった。その依存症は、年月を経るほどに激しくなり、やがて、幻影や被害妄想に()りつかれるまでになった。音楽に追い詰められ、音楽だけが彼を救うことができる唯一だったのは皮肉だった。

彼は芸術家としての責任をいつも感じていた。見せたい自分を生涯にわたって演じ続け、音楽にすべてをささげていた。音楽で結婚しなかったし、薬物依存になったのもこの強迫観念が原因だった。

彼がデビューしたとき、すばらしくハンサムなジェームズ・ディーン[11]の再来だと音楽誌だけでなく一般誌まで騒いだ。一方で彼は、映画王、航空王で潔癖症だった世界一の大富豪ハワード・ヒューズのように生きたいと公言して、ずっと世間の目を隠してきた。それが原因で、ゲイとかホモとか、ノンセクシャルと言われるのを知っていたが否定しなかった。だが、近年、ゲイどころかプライベートな生活では、実に多くのロマンスがあったことが女性たちへのインタビューでようやく分かった。数々のロマンスが世間に知られなかったのは、グールドが、女性たちをそれぞれ孤立させ口止めをしていたことと、私生活を詮索するような人物がいると、交友をすぐに断ったから周囲の人たちはグールドの私生活を詮索しなかったからだった。そして彼女たちは、グールドに忠誠を誓い、守ろうとしたからだった。

この多くの女性関係を明らかにしたのは、映画「グレン・グールド《天才ピアニストの愛と孤独》[12]」の原作本である「グレン・グールド・シークレットライフ《恋の天才》[13]」を書いたマイケル・クラークソンだった。彼の女性関係は、この原作に基づいている。

グールドは全般に率直な人だったが、本質的な性格は分かりにくい。私生活を隠していたからということもあるが、非常に感受性が強く、才能は一般の人とは比べものにならないほど大きかった。話すことも書くことも核心をついていながら、言い回しは遠回しだった。しかも彼自身ずっと様々なことに格闘していた。親の世代から譲り渡された宗教観や道徳観との葛藤もあったし、自分を真の芸術家だと考えて、芸術家はこうあるべきだという思いも強かった。

グールドに関する伝記や評論は非常に多数ありながら、人物像の核心部分を知るのは難しい。しかし、これまでに書かれた多くの著作を辿ることで、彼の本性に極力近づきたいと思っている。

なぜなら、ひとりでも多くグールドの演奏を聴いて欲しいからである。

おしまい


[1] 「グレン・グールド神秘の探訪」(ケヴィン・バザーナ サダコ・グエン訳 白水社) 第5章「アーティストのポートレート」 P423

[2] 対位法 複数の旋律を、それぞれの独立性を保ちつつ、互いによく調和させて重ね合わせる技法

[3] 映画「グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独」特典映像にでてくる

[4] ポリフォニー・ ポリフォニーは複数の独立した声部(パート)からなる音楽のこと。ただ一つの声部しかないモノフォニーの対義語として、多声音楽を意味する。

[5] ホモフォニー バッハ後盛んになったホモフォニーには、最大の特徴は主旋律と伴奏という概念がある。

[6] グールドは、レガートとノンレガートの奏法について「グールド発言集」、「異才ピアニストの挑発的な洞察」P279で、「私がレガートの旋律よりもスタッカートの旋律が好きなのは、・・・孤立したレガートの瞬間を非常に強烈な体験にしたいからです。実は私は潔癖なものにあこがれる人間でして、デタシェを基本としたタッチを支配的に用いるときに得られるテクスチュアの透明感が大好きなのです。ところが、さらに、デタシェの響き方を支配的に用いるとき、ほぼすべての音が、次の音からの分離をかなえる独自の空間を備えるようになったところでレガートの要素を導入します。するとたいへん感動的なものが生まれます。それはある種の情緒的な流れですが、もし、ピアノはレガートの楽器であり、音はなめらかなほどよいのだ、という通常の仮定をしていたら、音楽に現れようのないものなのです。」と書かれている。

[7] 怖がっていた 「グレン・グールド神秘の探訪」(ケヴィン・バザーナ)で「最後の清教徒」P475に次のように書かれている。《ブリュノ・モンサンジョンが作った「グレン・グールド・プレイズ・バッハ」で、この番組は未完に終わった最後のコントラプンクトゥス(対位法)を弾いて幕を閉じるのだが、グールドはこの作品を「人間がこれまで構想したなかで最も素晴らしい曲」と呼んだ。実はグールドはそれまでこの曲を演奏したことがなく、怖気づいていた。「これまで取り組んだなかで、一番難しいことだ」と述べている。グールドはこの曲についてまったく異なる4通りの解釈を検討したあと、結局は哀調を帯びた、非常に内省的な演奏を選んだ。・・・》

[8] ピアノによる「フーガの技法」の演奏は、モンサンジョンと作った「GGプレイズバッハ」の中でこう語っていた。《「あの未完のフーガは確かに情にも訴える。何しろバッハの絶筆だし[・・・]しかし本当の魅力は平穏さと敬虔さ。本人も圧倒されたはず。このフーガに限らず曲集全体に言えるのは、バッハが当時の音楽の流行全てに背を向けていたことだ。彼の晩年、フーガは流行らなくなっていた。[・・・]フーガでなくメヌエットの時代なのにバッハはきわめて意識的に自分の和声のスタイル変え[・・・]別の地平に達していた。バッハは100年以上さかのぼり、対位法や調性の処理法を借用した。バロック初期の北ドイツやフランドルの作曲家のもので、調性を使いながら鮮やかな色彩を避け、代わりに薄い色合いが無限に続く。私は灰色が好きだ。シュヴァイツァーがいいことを言っている。『静寂で厳粛な世界、荒涼とした色も光も動きもない世界』と」未完のフーガの最後の音を弾いた瞬間、グールドは感電したように左手をさっと持ち上げる。映像は静止し、腕は宙で凍りつく - 「あらゆる音楽の中でこれほど美しい音楽はない。」この未完のフーガを弾くグールドの姿を見た者は、この瞬間の映像を決して忘れることができない。(訳:宮澤淳一)》

[9]「グレン・グールド発言集」(P.L.ロバーツ 宮澤淳一訳 みすず書房)中、「はじめに」で、P5に「息を吹きかけてもキーが下がらないピアノは弾きたくないね」と書かれている。

[10] 映画「グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独」特典映像「コーネリア・フォスが語るグールドの哲学」

[11] ジェームズ・ディーン:(James Dean、1931年- 1955年)は、アメリカの俳優。孤独と苦悩に満ちた生い立ちを、迫真の演技で表現し名声を得たが、デビュー半年後に自動車事故によって24歳の若さでこの世を去った伝説的俳優である。

[12] 映画「グレン・グールド天才ピアニストの愛と孤独」監督:ミシェル・オゼ、ピーター・レイモント 角川書店、2012年発売

[13] 《The Secret Life of Glenn Gould: A Genius in Love》 Michael Clarkson ECW press

グールドの力づよい《ハミング》《鼻歌》は、な、な、なんと、目の前にあった!!

ハミングを止められないグレン・グールドは、ゴルトベルク変奏曲を録音するとき戦争で使われたガスマスクをしてスタジオに現れ、皆を大いに楽しませたという。
(Why would Glenn Gould wear a gas mask in the studio? | CBC Music | Scoopnestから)

グレン・グールドは、歌を歌いながらでないとピアノを弾けなかった。母親が、幼児の頃からピアノを弾くときにメロディーを歌いながら弾くように教えたからだ。この癖は、生涯抜けなかった。また、ピアノを弾くときに非常に低い位置で弾いた。そのために父バートが作ってくれた、4本の脚を約10センチほど切り長さと傾きを微調整できる折り畳み椅子を、何処へでも持ち運び、死ぬまで使った。この2つの逸話は彼の人物を語るうえで一番重要なものかもしれない。

グールドが生涯使い続けた椅子。最晩年には座面がなくなっても、この椅子を前傾するように調整して弾いていた。もちろん、代わりの椅子は作られるのだが、グールドは気に入らなかった。
歌いながら弾くグールド:USB版コンプリートエディションから

今年の春に、清塚信也さんと鈴木愛理さんがMCをされている毎週放送のNHK「クラシックTV」が、グレン・グールドを特集した。(下がその「クラシックTV」を取り上げた親爺のブログです。)この番組で清塚さんは、冒頭にグールドが《エキセントリック》な人物であることを説明するのに、演奏に彼の《ハミング》《鼻歌》が入っているとこのようにいわれていた。

う~、ふぅ~ん、う~んって声が入っているから、子供の頃、グールドのレコードを聴いたとき《心霊現象》だと思った。音程も取らずにう~、ふぅ~ん、う~んってやるから、音楽にはなっていない。歌では、ないんです。・・・・常識が通用しない人なのかなっていう節が、そういうところに見られる。」

ゲストは、ハリー杉山さんである。

この番組で放送された《ハミング》《鼻歌》を、親父のブログを見てくださった方に伝えたところ、「え~っ!、ブラジルさんはグールドのハミング、鼻歌分かっていないんじゃないですか?」と言われてしまった。たしかにそうだよなあ、と納得してしまった。

というのは、グールドの演奏は有名なゴルトベルク変奏曲の録音が1956年であり、当時はモノラル録音で音は良いとはいえなかった。彼が出したレコードのうち最初の正規録音4枚は、モノラル録音である。最近グールドの録音が発掘されて新発売されるが、これらはもっと音の悪いCBCカナダ公共放送のモノラルのラジオ放送が音源のことが多い。要するに、コロンビア・レコードのモノラル録音が当時の最高技術水準だった。

グールドは、2番目の録音に、ヴィルトゥオーソと言われるような老練のピアニストが好んで弾く、ベートーヴェンの最晩年のピアノ・ソナタ30番、31番、32番を『強烈』な演奏で録音した。『強烈』という意味は、楽譜の指示どおりに弾いてないところもあり、正統的、伝統的な演奏とかけ離れたクラシック音楽界への挑戦だった。この曲が入ったCDを親爺は、曲の良し悪しより録音の悪さが気になって正直敬遠していた。親爺は、てっきり雑音だらけだと思っていた。

ところが、指摘を受けて聴き直してみると、録音が悪いというのはあるが、グールドの唸り声がずっと録音されているじゃあありませんか。雑音と唸り声が同じレベルで入っている。

親爺は、グールドにハマって、1950年代のグールドの録音を何とか良い音で聴きたいと思ってオーディオにお金をかけてきた。だが、グールドの唸り声を知らなかった。下の写真のB&Wというイギリスのスピーカーとヘンな格好のヘッドホンは、結構な値段がした。はっきり言って情けない。まあ~、わからなかったものは仕方がないかなあ。

何といっても《ハミング》《ハナウタ(鼻歌)》という表現はかなり商売上の忖度が入った手加減をした表現ではないかと思う。実際はそんな生やさしくキレイなものではない。あれは、清塚さんがいう《心霊現象》である。親爺には《背後霊の呻き声》に聞こえる。だいたい歌のようにながくつづこともなく、なんの意味も持っていない。ピアノの音の背景で、ときどき《妙な声》が瞬間瞬間に入っている。まれにグールドの歌が声楽家のように入っている演奏があるが、長い時間ではない。

1959年録音のバッハのイタリア協奏曲とパルティータの第1番、第2番のLPを、1999年にSACDにしたものには、日本語で書かれた帯がついており、「*一部ノイズはオリジナル・マスターテープに存在するため、ご了承ください。グールド自身の声(ハミング)もございます。」と書かれている。

基本的に、当時の録音技師たちも、グールドの歌声が録音されないように格闘したはずだ。親爺は、ピアノの演奏を録音する際に、音源であるピアノの中にマイクを突っ込み振動する弦の音を取るようになったのは、グールドが出てきたときが最初だったのかもしれないと想像するのだが、どうだろう。

先に書いたように、同じ椅子を彼は生涯つかい続けた。最初は、座面がありクッションがあった。時間の経過とともに、座面の詰め物が飛び出した。やがて、座面のクッションの部分は完全になくなり、木の枠、骨組みだけになった。椅子が軋むようになったので、演奏の際には、音がしないように絨毯が敷かれるようになった。写真を見ると、椅子の傷み具合で、何年頃の演奏なのか見当がつくといわれる。

グールドの凝り性の程度が分かろうというものだが、敷物をおいても骨組み自体がきしむ。この音が、ヘッドホンではわかる。スピーカーではわからない。といいながら、何の曲だったのか探そうと、録音時期の遅いトッカータ集やフランス組曲などを聞いて見たのだが、生憎よくわからなかった。

最後に静かな曲がいいだろうと思って、1981年録音のバッハのフーガの技法の終曲コントラプンクトゥス第14番(未完)を聴いて見た。この曲を聴いているとグールドはずっと大きな声で歌っている。見事にハモっていると言っていいくらいだ。おそらくなのだが、椅子のきしむ音もときどき入っている気がする。曲想が変わる部分で右手だけで長い旋律を弾くところがわかりやすいと思う。書物などのページを繰るような、ピアノでもないグールドの声でもない、雑音らしきものがする。

テニス・クラブの仲間に言われたことがある。「ピアニストの演奏する椅子が軋む音を聴いて、喜んでいても仕方ないんじゃない?」

そりゃそうだ。おっしゃるとおりです。返す言葉がありません。

ところが一方で、グールドのいろんな曲を聴きながら、あらためて「やっぱり、グールドの演奏はどれも凄い、素晴らしすぎる!」と思ってしまった。

おしまい

グールドの演奏は、他のピアニストとどう違うのか / クラシックTV「ピアニスト グレン・グールドの世界」から

— 2023/8/11 一部修正しました。—

NHK放送にピアニストの清塚信也さんと歌手でモデルの鈴木愛理さんがMCをつとめる《クラシックTV》という毎週放送の楽しい音楽番組がある。この番組で「ピアニスト グレン・グールドの世界」が放送された。最初は、2022年だったようだが、親爺が見たのは、2023年5月にあった再々放送だった。

NHK・クラシックTVのHPから

https://www.nhk.or.jp/music/classictv/482351.html ☜ こちらが、そのNHKの番組のリンクである。

この番組の呼び物は何といっても、清塚信也さんが実際にピアノを弾きながら、その日の取り上げた音楽を楽しく解説してくれるところにある。ご存じのとおり清塚信也さんは、超売れっ子のピアニストであるだけでなくトークが楽しい、バラエティー番組にも引っ張りだこの方である。

プロのピアニストがピアニストを正面から批評することはなかなかしないものだ。そうすれば、自分の力量と対象のピアニストの力量の差を意識したり、往々にして、嫉妬心などがおこり、はっきり物を言わないのが普通だ。しかし、グールドは没後40年を超えるピアニストでもあるが、清塚さんは極めて率直で公平、説得力のある説明をされており、そこにこの番組の楽しさの秘密があるのだろうと思う。

ところで、クラシック音楽の世界も弱肉強食の世界だなと、しみじみ親爺は思う。というのは、この番組MCの清塚信也さんとクライバーン・コンクールで優勝した盲目のピアニスト辻井伸行さんのお二人は、ほぼほぼコンサートのチケットの宣伝を目にしたことがない。つまり、それは宣伝をしなくてもチケットが売れてしまうのだと思う。

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親爺はこの番組をNHKプラスで録画した。そうであれば、YOUTUBEにアップしてこのブログに張り付ければ、その内容を、一番正確に分かりやすく皆さんに共有できるのだが、それは著作権の問題が生じる。 ついては、申し訳ないですが、このブログに文章にして書きますので、それを読んで判断してください。

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では、ここからその番組の内容を説明する。次の写真は、司会の清塚さんと、ゲストでタレントのハリー杉山さんである。ハリー杉山さんは、お父さんがイギリス人、お母さんが日本人で、子供の頃にチェロをやっていたそうだ。彼が言うには、「オカンがグールドが大好きだった!」ということで、非常に的確なコメントをされる。

1.ノンレガート奏法は、べつに簡単じゃない

この番組の冒頭は、清塚さんがグールドの演奏を真似るようにバッハの平均律クラヴィア曲集第1巻第1曲の有名なプレリュード(前奏曲)を、一音一音、音を区切りながらノンレガート(スタッカート)で弾くシーンから始まった。グールドは、この有名な曲をノンレガートで弾いたのだが、この曲をノンレガートで弾いたプロのピアニストは、他にいないだろう。このノンレガートの演奏方法だけでなく、真夏でもオーバーコートを手放さず厚着をしているとか、食事に関心がなかったとかグールドを特徴づける《エキセントリック》(奇妙、風変わり)というキーワードが、この後、ずっと使われていた。

そもそも、グノーはこのバッハのこの曲を伴奏に用い、有名な歌曲「アヴェ・マリア」を作っているほどで、普通は思いっきりなだらかで滑らかに演奏して、ノンレガートでは演奏しない曲である。

【noboru 1947-3から】バッハの作曲、グノーのアレンジの「アヴェ・マリア」
ヨーヨー・マがチェロを弾いている。とても良いです!(背景で使われているのがバッハの曲である。)

グールドは、この曲をノンレガートでコミカルにさらっと弾き、リスナーを驚かした。しかし、この曲がもつ美しさや穏やかさはまったく失われておらず、非常に新鮮に聴ける。

清塚さんが弾いたノンレガートのこの曲は、ピアニストが普段このような弾き方をすることがないことを窺わせる。つまり、ちょっと批判めいて言いにくいが、音の粒が不揃いで、たどたどしく苦しいものがある。変な表現だが、グールドの弾くノンレガートのこの曲は、ノンレガートなのに滑らかでレガートでもあるように聴こえる。

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ところで、グールドは、世間によく知られた有名な曲ほど、《エキセントリック》に弾いて、音楽好きを挑発したい、あっと言わせたいという傾向があると思う。すぐに思い浮かぶのは、このバッハのこの最初のプレリュードの他に、ベートーヴェンのピアノソナタ第14番「月光」の第1楽章は感傷をまったく抜き、それでも辛さや潔癖さを敢然と感じさせる演奏だ。モーツァルトのトルコ行進曲が含まれるピアノソナタ第11番K331は、隣に住む幼稚園児が弾いているような感じでスタートし、変奏が進むにつれてテンポアップし、最後には、アンダンテの指示がある変奏をアレグレットで弾く。最後のトルコ行進曲も、他のピアニストが決してやらない、なんとも言えない印象的な演奏が聴ける。

もっともモーツァルトのピアノソナタの場合は、どの曲も一般的な演奏から外れた挑発的なものだ。とはいうものの、グールドが《ビタミン剤を注入した演奏》[1]はとても説得力があり、違和感がない。むしろ、オーソドックスな演奏は平板に思えてくるほどだ。


[1] 英国のクラシック音楽テレビの司会者であるハンフリー・バートンとの対談で、グールドは、「モーツァルトのピアノソナタの内声部に、曲が良くなるかどうかは別にして、対位旋律をポリフォニックに加え、《ビタミン剤を注入》することをためらわない。」という意味のことを語っている。

2.清塚さん「腕の力じゃなく体重を乗せて弾くことで、ふくよかできれいなフォルテが出せる。ピアノの基本中の基本です。」

ピアニストがフォルテを弾くときの基本は、「手だけで鍵盤を叩くのではなくて、腕全体に体重を乗せて鍵盤を弾くことで、ふくよかで綺麗なフォルテが出せる。これがピアノを弾くときの基本中の基本です。」と清塚さんは言う。ところがグールドは、この基本中の基本を嫌がり、ピアニストから完全に逸脱している。

彼は、椅子の脚を短く切ったこのピアノ椅子を生涯使い続け、どこへ出かけるにも《愛犬》のようにこの椅子を持ち運んだ言う。このような低い椅子に座り、おまけに椅子をこれ以上に低くすると脚を自由に動かせないので、さらにピアノを数センチ持ち上げて演奏した。この結果、手首が肘より上に来て、ピアノの鍵盤に体重をかけて弾く、普通のピアニストとはまったく違う弾き方(とても褒められない姿勢)になっているという。グールド自身も、この座り方のために本当のフォルテッシモを出せない欠点があると認めている。[2]

清塚さんは、バッハのパルティータ第2番の冒頭のシンフォニアを、思いっきり猫背で顔と鍵盤を近づけ、唸り声も出しながら、グールドを真似つつ弾く。スタジオは、《苦笑》という感じの笑いに包まれる。

清塚さん「(グールドは)強く弾く、大きく弾くという、フォルテというものにあまり興味がなかったのかもしれない。」

ハリー杉山さん「ということは、フォルテというものに彼なりの美しさを感じられなかったということでしょうか。」

清塚さん「そうね、もしくはフォルテと言っても・・・」と言いながら、同じ和音をはるかに小さい音でピアノを鳴らしながら言う。

清塚さん「もっと繊細な音をさらに弱く弾くとか」と言いながら、普通のピアニストより小さい音のフォルテを最大の音の基準にして、「ピアノ、ピアニッシモをもっと小さい音量で表現したのではないか。」と言う。

さらに清塚さん「(グールドの)特徴としては、このような弾き方をすることで、一つ一つの音をはっきり弾き、指でものすごく、この音ソなら、ボリュームの5で弾き、ラの音はボリュームの6で弾く、というように一個づつの音すべてをコントロールしようとしたのではないでしょうか。だから、大雑把にガーっと行く演奏ではなくて、一個づつの音を全部コントロールして、自分のところで支配していたいっていう現れなんじゃないか。」

ハリー杉山さん「まるで譜面以外に、ボリュームの譜面みたいなものが、違う次元で見えているかのように聴こえてきますね。」

[2] 「グレン・グールド発言集」(PL.ロバーツ編・宮澤淳一訳 みすず書房)の1959年「私は自然児です」の対談のなかで、トロントのジャーナリスト、デニス・ブレイスウェイトに語っている。

3. 革命的な演奏スタイル《ポリフォニー》を弾く難しさ

清塚さんは、ポリフォニーについて説明する。

清塚さん「ポリフォニーっていうのは、メロディーに対して伴奏ではなくて、メロディーに対してメロディーがくる。右手がメロディーをやってれば左手もメロディーをやっているという状態のことで、非常に演奏するのが難しい。」

バッハのパルティータ第2番の終曲の第6曲カプリッチョの冒頭部分を弾く。右手の旋律に続いて、左手の旋律が遅れて入ってくる。

清塚さんは、この曲を右手の下降する旋律が始まった後、左手の旋律が上昇しながら入ってくるところを弾き、「これだけ、右手だけ弾いていても凄く難しい。ここで、左手が入ってくる。(左手が)追いかけてくるんですね。左手のクレッシェンドに、右手が一緒に乗っかっていくと、二人で弾いているように聞こえない」

清塚さん「ここを明確に弾くのはすごく難しいんです。右手は下降しながらデクレッシェンドしていき、同時に弾かなければならない左手は上昇していき、クレッシェンドしないといけない。(右手が)一緒にクレッシェンドしちゃうとつられている感じになる。これをバッハだけじゃなくてあらゆる曲にほどこした。」

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ここで親爺は思う。この清塚さんのパルティータを使った説明の例は2声なのだが、グールドが最も好きだったフーガは4声とか、多いものでは5声で書かれた曲が普通である。こうした多声の曲を10本の指しかない一人で、声部を分けながら弾くのは非常に大変である。

グールドは、フーガを弾くときに弦楽四重奏者(第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ビオラ、チェロ)が頭の中で演奏しているようにピアノを弾いていると言っている。しかし現実問題として、フーガであっても4声以上の声部が同時に鳴っているのは少なく、4声の曲でも一つの声部は休止して、実際に同時に鳴っているのは3声ということが多いだろう。逆に、聴く方としても、あまりに多声が同時に鳴るより、声部にメリハリをつけて交代しながら、3声ほどが鳴っている場面の方が聴きやすいということもあるだろう。

ところが、実際の弦楽四重奏団の団員4名がフーガを演奏する場合、どの奏者も自分の義務を十分以上に果たそうとしてずっと音量を下げずに弾き、聴いている方は「暑苦しいなあ」、「ごちゃごちゃしているなあ」と感じがちである。そういう意味では。グールドが自分の解釈で各声部の主役を交代させながら、曲想にも声部にも、メリハリをつけて弾くというのが、非常に聴きやすい。

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ここでグールドが、モーツアルトのピアノソナタの楽譜を書き換えたという話題へと展開していく。グールドが弾く、モーツァルトのピアノソナタ第13番第3楽章が映し出される。ところで、グールドは、『モーツァルトはいかにダメな作曲家になったか』というTV番組をツアー引退後の1968年に作り、それはそれは過激で強烈にモーツァルトをこき下ろしている。その番組は、グールドのこの曲の全曲演奏で締めくくられるのだが、それがまた活力があり楽しく本当に素晴らしい。おそらくグールド自身もうまく弾けたと思っていたんだと思います。

ハリー杉山さん「(普通の演奏と比べて)踊っているというか、ユーフォリア(多幸感:euphoria)の幸福感が増し増しになったような気が・・・・」

清塚さん「だから伴奏じゃなくて、すべてが意味のあるメロディーなんだと、全員が主役のセリフを言っているみたいな雰囲気にモーツァルトをしたかったのかなあという感じもあります。」

4.4人のピアニストのグールド観

(1)ランラン(中国出身の有名なピアニスト・1982年生まれ41歳)

「10歳のとき、グールドが弾くゴルトベルク変奏曲のアリアの映像を見たことを今も覚えています。その美しいサウンドを聴いて、怖がらずに自信を持って自分のイメージを膨らませて演奏すれば良いと教わった気がします。数年前、私なりのゴルトベルクのレコーディングが出来たのも偉大なグレン・グールドのおかげです。最も偉大なグレン・グールド!!(”Greatest Glenn Gould !!”)」

(2)小山実稚恵(1959年生まれ・1982年チャイコフスキー・コンクール3位1985年ショパン・コンクール第4位)

「一番のグールドの音楽の魅力はそこに喜びがあることだと感じています。グールドの体は、グールドが動かしているのかなっていうような、ものに憑かれたような悦楽を感じて演奏している姿がそこにあって、やっぱり、学習と芸術の違いっていうのは、そこに真の喜びがあるかないかという、そこにかかっているのかなと感じています。」

(3)青柳いずみこ(1950年生まれ・東京芸大卒・ピアニスト・エッセイスト・2011年『未来のピアニスト グレン・グールド』発刊)

「とことんゆっくり弾いてみたり、とことん早く弾いてみたり実験をしているんですけれども、どんなにデフォルメしても音楽本来の形が変わらない。崩さないって言うか。普通の才能がそういうことをすると音楽自体ががたがたになってしまうと思うんですけど、正統的な音楽性を持っていてその上でのデフォルメだったということが、素晴らしい指揮者とか演奏家たちには、そのことが分かったんじゃないかなと思います。」

(4)清塚信也(1982年生まれ・桐朋学園大卒・ピアニストだけでなく作曲家、編曲家、俳優でもある。)

同じくMCを務める鈴木愛理さんが、清塚さんにグールドのコメントを求める。

「皆さんおっしゃるには、オーソドックスから離れているという言い方は出来ない。そこで悦楽があると小山実稚恵さんがおっしゃってたけど、そこに喜びがあるからそのまま人に出すっていう怖さを乗り越えた人だと思うんだよね。」

結論 by 親爺 

今のピアニストにとって、ピアノはレガートに弾けば弾くほど良い、3階席の観客までピアニッシモの音も届けるのがピアニストだと考えている間は、グールドのようにポリフォニーを自在に明確に弾き分け、スタッカートとレガートを同居させ、声部ごとに弾き分けるのは、非常に困難だと思う。

グールドを《同業者》と表現し、「練習を1日休むと自分で分かる。2日休むと批評家に分かる。3日休んだら観客に分かる。」と言ったポーランドの有名なピアニスト、パデレフスキの言葉を引用しながら説明をする青柳いずみこさんが告白するように、彼女の指は自在に動かない。それは他のピアニストも大なり小なり同じだ。高い椅子に座って腕を上方から振り降ろし、爆発するようなフォルテで大音響を出し、コンサートホールの観客を圧倒しようと考えるピアニストが、多声の曲の各声部を対等に歌わせる対位法的演奏をすることと、このような爆発的なフォルテを弾くことを両立するのはどうも無理だと思える。

また、グールドは、『ピアノは30分で教えられる』というトピックのインタビューで、「ムカデ[3]は、百本の足の動かし方を考えるのが嫌いです。能力を損なわれるからです。動かし方を考えるとまったく動けなくなるからです。」と言っている。ピアノの練習でも指使いに考えを持っていってはダメだというのだろう。「動作は、円滑かつ自動的に機能しなければならないが、それらに注意をしてはならない。」

また、こうも言っている。「ピアノに向かうよりもたっぷり前から曲目を知り、そして(あるいは)触感を超えた体験をする。そうすればピアノによるあらゆる干渉を抑えられるのです。・・・・完全性は、ピアノから離れてさえいれば理論的には獲得可能です。ピアノに向かった瞬間、触感上の妥協を強いられ、完全性の程度は下がります。そして妥協点を見つけることになりますが、理想を追求した分だけ妥協をしないで済むのです。」 決して、巷間よく言われるように《一生懸命繰り返し練習して、指使いを体に覚えこませる》というような方法で曲を弾こうとしないことだ。

グールドは、あらゆる曲を暗譜で弾いた。抽象的で、暗譜が難しいと言われるシェーンベルクなどの現代曲でも暗譜で弾いた。おまけに一緒に演奏する他の楽器の楽譜も暗譜していた。楽譜にまったく運死(指使い)を書かない。楽譜を見た瞬間に指使いが決まったという。グールド研究者が、楽譜に数字が書かれているのを見つけたら、それは知人の電話番号だったという。ペダルをほとんど踏まないので、ひんぱんに指を持ち替えながら弾く。これらのことは、多くのピアニストがしないことだと親爺は思う。

「グレン・グールド著作集」などの書籍を何冊も出した音楽評論家・編集者であるティム・ペイジは、次のように言っている。 「これまで10本の指を持つ者で、10本の指がそれほどまで見事に独立した生命を持つ者が、誰か今までにいただろうか?」”Has anybody ever possessed ten fingers with ten such marvellously independent lives?”, Tim Page

グールド研究の第1人者である宮澤淳一さんは、グールドは《クラシックの音楽家》ではないと言う。何故なら、王様は作曲家であり、演奏者は家来だと考える音楽界にあって、グールドは自分が王様だと考えているからだという。まったくそのとおりだと思う。

親爺は思う。クラシックの音楽家であろうとなかろうと、リスナーは、演奏される曲が持つ最大の魅力を伝えてくれる最良の演奏を聴いて、感動に浸りたいと思うだけである。

おしまい

[3] ムカデの話:「グレン・グールドは語る」(ジョナサン・コット 宮沢淳一訳 ちくま学芸文庫)の「ピアノは30分で教えられる」でシェーンベルクの言葉として、グールドが語っている。