グレン・グールド・ギャザリング その4 宮澤淳一さんのトークショー

12月15日(金)に行われたグレン・グールド・ギャザリング(Glenn Gould Gathering = GGG)の一環で行われた宮澤淳一さんのトークショーのことを書いてみたい。宮澤さんは、ライブに先立ち、13日~14日にカナダ大使館で上映されたグールドに関連する映画5本すべての解説をされた。ご自身でも、吉田秀和賞を受賞した「グレン・グールド論」(2004年 春秋社)を書かれている。また、今年でグレン・グールドに関する書物は、85冊が刊行されているとのことだが、日本語に翻訳されたものの半分は、宮澤さんが翻訳されていると思う。また映画など映像の字幕の翻訳は、ほぼすべて宮澤さんが監修されているのではないか。日本のグールド研究の第一人者であるだけではなく、世界の第一人者だ。

では、メインイベントの宮澤さんから伺ったお話の主なところを紹介しよう。下が、トークショーが行われた会場の様子だが、開始時には満席になっていた。

まず最初に、おっしゃっていたのは、クラシック音楽の特殊性あるいは伝統のことだ。つまり、クラシック音楽は、ずっと作曲者が一番偉くて、演奏者は下。聴衆はさらに下という歴史があった。(この言い方は、ちょっとデフォルメがあると思うが、喩えとしては分かりやすい)。作曲者が王で、演奏者は家来、聴衆は臣民という位置づけで、仮に作曲者がなくなっても、演奏者は作曲家のことを尊重するのは自明のことだ。(そういう教育が音楽大学でずっと行われてきたはずだ)。それが、曲の言い表し方に端的に表れている。クラシックでは、誰が演奏しようと作曲者と曲名が表記される。例えば、「ベートーヴェンの交響曲第5番」と言われる。付随的に、バーンスタイン指揮、ニューヨークフィルというのが説明的に出てくるが、曲名はあくまで「ベートーヴェンの交響曲第5番」だ。これが、ポピュラーやジャズ、歌謡曲であれば、「マイルス・デイヴィスのカインド・オブ・ブルー」がタイトルになり、そのものズバリである。

ところが、グレン・グールドは正統的なクラシックの演奏家とはまったく違った。ケヴィン・バザーナが「グレン・グールド演奏術」で明らかにしているように、グールドは音程と長さは守っているものの、それ以外のテンポ、強弱、アーティキュレーション(フレーズの作り方)、装飾音、反復記号など、作曲家の指示があっても自分の考えを優先し、囚われていない。さらには、モーツァルトのピアノソナタなどで低音部に音符を足して、低音部に別のメロディーラインを作っている。これが、「再」作曲家と言われる所以だ。

映画「グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独」で、不倫関係にあったコーネリア・フォスが、グールドのバッハ演奏を次のようにいう。 : 「グレンの演奏は、いわば楽曲を組みなおした感じね。分解した時計を元どおりでなく別の形にしたのよ。時計は動くけど全く異質のものになった。音楽に対する前例のない画期的なアプローチだったわ。私はあまり好きじゃない。バッハの良さが台無しだと思った。でも音楽家は衝撃を受けたでしょうね。演奏技術はすばらしかったわ。見事だった」

同じ映画でチェリストのフレッド・シェリーはいう。 : 「作品と作曲家の内面に侵入し、その反対側に突き出た。作曲者に対する共感を通り越し、作品を完全に乗っ取っていたと思う。自分の個性に塗り替えたんだ」

グールドが、このような演奏態度をとった理由をいくつか宮澤さんは上げられていた。そのうちの大きなものとして、グールドは作曲家でもあったことを指摘されている。すなわち、グールドがニューヨークでデビューし、コロンビアレコードと専属契約した1955年は当時22歳で、「ゴールドベルグ変奏曲」を録音した時期でもあるが、「作品1番 弦楽四重奏曲」を完成した時期でもあった。こうした彼は、他の作曲家が書いた楽譜を作曲家である自分の目で見ていた。こうした態度をとるクラシックの演奏家は、他にまったくいないわけではないが、ここまで徹底した態度をとり、それが説得力を持ったのはグレン・グールドだけだろう。

そうしたグールドは、レコードが爆発的に売れ、一夜にして世界一流のピアニストになった。そのため、世界中を演奏旅行する期間が1964年(32歳)まであった。その後は、よく知られているようにスタジオから自分の「再」作曲家としての試みで挑戦を続け、彼本来の作曲活動は、結果的に十分にできなかった。

こう言われると、彼の特異な演奏については「やっぱり、そうだったんだ!!具体的な証拠があるのね!」という風に感じる。

ところで、カナダ大使館は巨大だった。上の3枚の写真は、カナダ大使館の外側から撮ったもの、4階のロビーへ向かうエスカレータ、地下2階にある、GGGの映画が上映されたオスカー・ピーターソンホールの入り口受付の写真だ。カナダ大使館は実にでかい!欧米の大使館は、ずいぶん立派だと思う。日本の海外の大使館と、比べ物にならない。いろいろ税金を使っている関係で、あれこれ言われるのだろうが、この大使館をみていると日本ももう少し頑張ってもいいような気がする。

おしまい

グレン・グールド・ギャザリング その1 ローン・トークとエドクィスト

12月13日(水)、建国150周年を記念したカナダ大使館で、5日間の日程でグレン・グールド・ギャザリングという催しが始まった。グールドはそれほどカナダにとって、偉大な有名人なのだ。この催しは、青山通りに面したカナダ大使館と公園をはさんで隣接する草月会館の2か所で行われている。このグレン・グールド・ギャザリング(Glenn Gould Gathering = GGG)の主催は、朝日新聞社なのだが、カナダ大使館が特別協力し、大使館で無料映画の上映やミニライブなども行われる。メインは、12月15日(金)~12月17日(日)の3日間、草月会館で行われるライブと関連の深い人たちによるトークショーだ。なお、キュレーター(展覧会を企画する人)は、坂本龍一氏である。

下の写真は、12月13日(水)に草月会館で撮ったものだ。主は、カナダ大使館の地下ホールで上映されたグールド研究の第一人者の宮澤淳一さんの解説による、無料映画を2本見てきた。この2本の映画の上映の合間に時間があり、草月会館の2階(下の写真)で流されていた「グレン・グールドについて」(2017年11月トロントにて)という映像(インタビュー映画)を見ることができた。

このインタビュー映画は、グールドの仕事を支えてきた二人の裏方である録音エンジニアのローン・トークと調律師のヴァ―ン・エドクィストのインタビューからなっている。グールドは、1982年に50歳の生涯を閉じ、今年は没後35年にあたる。そのため、現在存命する周囲の友人や関係者たちは、かなりの高齢であり、このインタビューは今年の11月に撮られたもののようだが、登場する二人は、ともにお爺さんだ。だが、生きて証言してくれるだけでファンにはありがたい。配られていたリーフレットには、このインタビュー映画の説明が次のように書かれている。

「CBC(カナダ放送協会)の録音エンジニアで、グールドの仕事も多数手がけた友人でもあったLorne Tulk(ローン・トーク)とトロント・オーディトリアムでの録音セッションでトークとともに仕事を担当した調律師のVerne Edquist(ヴァ―ン・エドクィスト)。グールドの活動を影で支えた2名の最新インタビュー。」(2本で50分)

まず、エドクィスト(86才):下がの写真が調律師のエドクィストだ。彼は「グレン・グールドのピアノ」(筑摩書房 ケイティ・ハフナー 訳:鈴木圭介)という本に、主な登場人物として出てくる。視力が極端に弱かったので、盲学校で調律を学んだのち、調律師になる。若くして実力を認められる。映像の中で、エドクィストは調律に慣れてくると一日に10件(軒)はこなせるようになり、それは完璧なチューニングではなく、おおざっぱに基本的な部分を押さえただけだけのチューニングだという。グールドの場合は、毎回、二時間かけて完璧にやっていたという。

グールドはずっと専属契約を結んだスタンウェイのピアノを使っていたのだが、彼はピアノの選択には非常にこだわっていた。タッチの浅い、アクションの敏感なピアノを好んだ。グールドはCD318というスタンウェイのピアノを好んで使っていて、アメリカ公演の際にはそのピアノをわざわざ運搬していた。また、望むタッチを実現するために、アクションにさまざまな改良を繰り返した。こうした時にエドクィストは、大いに働いたはずだ。だが、このCD318は最終的に、輸送中の事故で壊れてしまう。その後は、既存のピアノのを探し求め、改造を試みるのだが、なかなか気に入ったものにならない。そうしたときにも、エドクィストは腕を振るったはずだ。

ところで、最晩年の「ゴールドベルグ変奏曲」の再録音には、YAMAHA のコンサートグランドを使ったのだが、YAMAHA という文字が見えないようにするためだと思うのだが、鍵盤の先にある饗板を外していた。しかし、こうすると弦がむき出しになっているのが見え、かなり異形ともいえる姿だ。ただ、主は日本製のピアノが使われたと知って嬉しいということはある。

エドクィストは次のように言う。

グールドは、444HzのAの音が好きだったのは知っていたので、そのように調律していた。彼は完璧主義者だったが、レコードになっているものの中には完璧に調律されていないものがあり、よく聞くと唸りが聞こえるものがある。

録音作業を終えて、イートン・オーディトリウムを出る際にグールドが、鍵が見つからないと言い出したことがあり、結局、最終的に見つかるのだが、グールドは本当のところ、鍵のありかを知っていてそういうことを言っていたかも知れない。

私が、出身の田舎を話題にする定番のジョークを言ったら、グールドはすぐに察して笑ってくれた。職場はジョークを言い合って、楽しい雰囲気だった。ただ、グールドが言うことに対して私は反論はせず、グールドが言いたいことは言わせておいた。

次に、ローン・トーク(78才)。なお、写真のセリフは、グールドを語る際によく話題になるテープの切り貼りを話している場面だ。

グールドは、人間より動物の方が好きだった。

仕事を通じて親友になった私に、義理の弟になって欲しいというグールドが言い出した。この発言は2~3年間続いた。私はずっとあいまいな返事をし続けていた。最後にいよいよグールドが本気になって、弁護士に相談したり、役所へ行こうというので、私は兄弟の了解をとらないとならないと返事し、彼はようやく諦め、その後その件は何も言わなくなった。

録音作業は、第1楽章を録音したあと、何か月かのちに第2楽章を録音するといったことをしょっちゅうしていた。このため、マイクの位置を決めるのにグールドとずいぶん試行錯誤したが、いったん場所を決めるとその位置を動かすといことは一切しなかった。おかげで、録音されたものについてはマイクの位置の問題は起こらなかった。

前述のCD318でバッハの「インベンションとシンフォニア」という曲集を録音するのだが、CD318のメカニズムをそれ以前にさんざんチューニングしていた。グールドはレスポンスが改善され、改良が気に入るのだが、これを録音する際「しゃっくり音」が良く起こった。しゃっくりのような余分な音が入ってしまうのだ。しかし、グールドは、その「しゃっくり音」がどこの場面で起こったか、正確に完璧に覚えていた。このため、その前後の小節だけを再び演奏して、私がテープを差し替える作業をした。

グールドの記憶力に関して、私が「ある本のどこどこに、こう書いてあった」とかいうと、グールドは「ああ、何ページの上の方に書いてあったね」という風に答えを返した。実際にそれが正しいかあとで確認すると、そのとおりの場所に書かれており、もっと驚かされた。

グールドは、絶対にピアノに楽譜を置かなかった。モニタールームで楽譜を見ていることはあったが、モニタールームを出るときに楽譜はそこに残し、ピアノは必ず暗譜で弾いていた。恍惚となって弾いているように見えるが、頭の中では、極端に演奏に集中しているというより、漠然と虚空を見ていたんだと思う。

おしまい