成田山で生まれてはじめて座禅をしてきた

もともと周囲の人たちと衝突しがちの親爺は、サラリーマン生活をリタイヤしてからこの傾向が強くなった感がある。歳をとるほど融通が利かなくなるということかもしれない。「焦る気分ををおさえるために、何か《精神修養》のようなものが必要だわい。」と思うようになっていた。

それでネットで《座禅》についてググっていた。座禅をさせてくれるお寺は日本各地にあるのだったが、意外なことに地元と言ってよい《成田山新勝寺》でやっていることを知った。週に1回のペースで教えてくれ、しかも無料である。

この親爺は、完全に無宗教と言ってよく、仏教の知識は皆無であり、写経やそれに類することをしたことがまったくない。四国にいるときに御朱印帳を集めようとしたことがあるがすぐに挫折した。そんなまったく何の知識もない男であるが、参加してきた。

こちらがそのホームページである。

この日の参加者は、定員10名のところ、2名欠員で8名だった。参加者全員がコロナ対策のマスク着用の中、親爺だけがマスクなしだった。指導してくださるお坊さんお二人は、ともマスクをされているので、親爺だけがマスクなしである。こんなところに親爺の周囲との衝突しがちな性質が出ているのかもしれない。

この日の様子を簡単に書くと、申込者が集まったところで、お坊さんに引率され《成田山修法道》へ向かう。こちらは修行専用の建物らしい。部屋に入ると正面に立派な仏さんがおられる。この仏さんの左右の壁が上の写真のようになっており、参加者銘々が掛け軸に向かって、座禅を組み、目をつむって息を数えるというものだ。

この座禅を始める前に、掛け軸に向かって《五体投地》を3回する。《五体投地》というのは、立位でお経を唱えた後、右ひざ、左ひざの順に付き、右ひじ、左ひじを付き、次いで額を畳につけ、親指を内に入れながら掌を上に向けるポーズをとる。

《五体投地》深川不動尊のHPから
座禅布団 (座布)

その後、掛け軸に向かって座禅の用の座布団に座り、楽な姿勢を探りながら右足を左足の上に乗せるように脚を組む。目をつむりながら鼻から息を吸い、少し開いた口から長い息を数を数えながら吐き出す。初心者であるこの日の参加者の座っている時間は、5分間だった。この座禅の作法にもレベルがあるようだし、仏教の宗派によっても違うのだろう。しかし、親爺は詳しくないので残念ながら書けない。

なお、初心者向けということなのだろうか? 背中パチンはなかった

座禅の姿勢を続けられるかが不安だったが、座禅をする際には、座禅専用の座布団があり、この上にお尻を乗せ楽なポジションを探ってから始めるために、意外と足が痛くなるという事はなかった。座布団を使って座ると自然と背中が伸びて良い姿勢になり気持ちがよい。

説明していただいたお坊さんによると、こうすることで、副交感神経が刺激され、余分な緊張感が解けるという。

お坊さんの説明では、コロナの影響で、《成田山新勝寺》ではこの3年間、座禅、写経とも中止をしてきて、ようやく再開をしたばかりだそうである。再開したものの、完全に元どおりと言うわけではなく、今後どのようにしていくか模索をしているということだった。

こうして《禅》のことは何も知らず、訳が分からないままに40分間のプログラムが終了したが、この日の感想としては、《座禅をすれば》とても落ち着く感じがした。よい効果があるような気がした。わずか5分間だけだったが、ネットの記事などを見ていると、日に2回、20分程するのが良いと出てくる。親爺の5分はあっという間に終わった。

お経も意味も分からず唱えていたが、意味が分かれば違ってくるだろう。足の組み方も簡便法でやったが、本格的に組めればそれに越したことはないだろう。

ということで、親爺は早速座禅用の座布団を注文した。心安らかに過ごせることが出来れば、いちばん有難いことのように思える。

おしまい

おまけ

成田山新勝寺は、おそらく誰でも知っているほどの大きなお寺である。そのため境内は広く、散策にも適している。下がその時撮った写真である。また、参道にはさまざな土産物店やレストランなどがある。鰻の蒲焼はとくに有名だ。

再上映「痛くない死に方」「けったいな町医者」見てきた

尼崎に長尾和宏さんという医師がおり、お昼のテレビのワイドショーに出て、コロナの対応方針について熱く語っておられた。今年(2021年)の夏ごろだったと思うが、デルタ株が蔓延しPCR検査で陽性者が多数発生したにもかかわらず、医療施設に収容しきれずに、自宅待機を余儀なくされていた時期と思う。

この長尾さんの主張は、コロナの分類を2類から5類に変更することと、治療薬として、イベルメクチンの使用を認めることの2点だった。イベルメクチンというのは、北里大学大村智さんがノーベル賞をとった薬で、アフリカや南米で広く使われ、動物用にも使われている。

ところが、この発言は日本の『感染症の専門家たち』から完璧に無視され、長尾医師は医者の世界で、完全に孤立した存在になる。

そんなで主は、長尾さんのコロナについてのYOUTUBEを見たりしていたのだが、たくさんの著作とともに、医療をテーマにした映画もあることを知った。

それが、「痛くない死に方」と「けったいな町医者」である。

始まるころには、もう少し増えた。観客の平均年齢は、80歳に近いかも(東京都写真美術館)

だれしも歳を取って高齢になると、死ぬのは仕方がないが痛い思いをしたくない、というのが一般的だろうと思う。また老いぼれて、オシメをして下の世話で、家族に迷惑を掛けたくない、というのも普通だろう。

医者たちが、庶民に手の届かなかった時代、つまり太平洋戦争より前の時代は、便所に行けないような年寄りは、食事介護され食物を口に放り込まれることもなかったはずだ。生命活動が自然に低下した年寄りは、寝たきりとなり、ぼんやりとなって意識が低下して、まもなく死んでいったはずだ。死ぬ間際には、脳内ドラッグ(ホルモン)が出て、幸福な夢を見ながら動物は死ぬ。

臨死体験の謎を解く「脳内ドラッグ」 死の直前30秒間に放出

ところが、この死ぬ間際のまどろみを破るものが出てきた。現代の医者である。医者たちは、患者が死ぬことを敗北と教えられる。患者がオシメをして、ベットで意識を失っていても、それが勝利だという教育を受けている。そして点滴で過剰な栄養を補給するため、患者は最終的に溺死する。溺死では、脳内ドラッグは出ない。

この二つの映画は、そんな話です。

おしまい