小説グレン・グールド「はじめに」をリライトしました

はじめに

クラシック音楽の世界に、グレン・グールドという多くの音楽評論家が《異端》で《エキセントリック(変人)》というピアニストがいた。ときに作曲家が書いた楽譜に手をくわえ、しばしば書かれた音楽記号を無視した演奏をして、身なりも振る舞いも非常に変わっていた。

彼は、カナダ、トロントに生まれたピアニストで1932年に生まれ、1982年に没した。生まれて92年、亡くなってから42年が過ぎた。

1932年といえば、第二次大戦へ向かう世界恐慌のさなかで、職を失い食事にもありつけない人々が世界中に溢れた時期だった。だがカナダは戦争の影響はすくなく、彼の家は裕福だったので影響はほとんどうけなかった。第二次大戦が終わった1945年から、彼が死んだ1982年までといえば、世界中が民主主義を謳い、自由と平等へと全速力で走り、人類が一番幸せな時期だった。もちろん資本主義と共産主義のふたつの陣営が対立し、人種差別もはげしかった。いっぽうでプレスリーやビートルズがでてきてそれまでのかたくるしい既成概念を破壊し、人々の生活はまえより格段に向上し、人々は希望をいだいていた。若者が社会をリードした”Love and Peace”の時代だった。

グールドには、べつに進行するものごとを同時並行的に把握するという、一般の人にはない特殊な才能があった。グールド研究家のケヴィン・バザーナは、「グレン・グールド神秘の探訪」[1]で、こう書いている。

「グールドの脳は日常生活においても対位法的[2]な調子で動いていた。レストランやその他の場所で、グールドは他の客たちのそれぞれの会話を同時に盗み聞きするのが好きだった。また、原稿を書き、そして音楽を聞きながら、電話で話をすることがあったが、その3つの行為を同時に完璧にこなすことができるのだった。」

彼の不倫相手だった画家のコーネリアは、映画「グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独」[3]のなかで、グールドがテレビドラマを見ながら楽譜を覚えていたエピソードを語っている。

「テレビドラマも子どもたちと楽しんだ。テレビを見ているときも、グレンは、楽譜を広げていた。観ながら覚えてしまうの。一緒にドラマを観たあと腑に落ちない点をグレンに尋ねたものよ。ドラマの展開のことをね。グレンは、テレビの内容もすっかり頭に入っていて答えてくれた。そのあいだに楽譜もすっかり覚えていた。とても驚いたわ。」

グールド自身も、一番楽譜をよく勉強できるのは、テレビをつけ、ラジオでニュースを流しているときだと言い、3つを同時に理解していた。

グールドは、ピアノを弾くとき、弦楽四重奏を奏でる4人を頭の中にイメージしていた。ソプラノである第1ヴァイオリン、アルトの第2ヴァイオリン、テノールのヴィオラ、バスのチェロ奏者が、頭の中で演奏していると思いながら指を動かしていた。

このような彼の演奏には、いくつかの特徴があった。

多くのピアニストは、バッハがポリフォニー[4]で書いた曲を演奏しても、高音のメロディーとバスの音だけがずっと鳴っていることがある。というのは、現代の音楽は、基本的にメロディーと伴奏の和声のからなるホモフォニー[5]といわれる。このホモフォニーで書かれた音楽をまず身につけようとピアノを学習し、過去の音楽様式ともいえるポリフォニーは学習機会がすくない。

いっぽうバッハの音楽は、ポリフォニーからホモフォニーへの過渡期にあった。ポリフォニーとは、複数の旋律がどうじに進行する。グールドは、高音と低音の中間にある《内声》にもスポットライトをあて、その旋律も浮かび上がらせた。まるでふたりで連弾しているかのように弾き、高音、内声、低音どれも交代させながら主役の座につけた。たとえば、ソプラノのメロディーからアルトのメロディーへと、テノールからソプラノへと、また、他のピアニストとくらべると、足でバスのメロディーを弾くオルガンを習っていた経験をしていたので、バスの旋律をピアノでも強調し、旋律が喧嘩しないよう調和をとりながら、自分の考える強調したい声部が応答するように弾いた。

また、彼の演奏の基本は、音を短く区切るノンレガート(スタッカート)にあった。ピアノ学習者は、ピアノはレガートに弾く楽器だと教わる。「音はポツポツ切って鳴らしてはダメです、音符のつながりを意識して、なめらかに音をつなぎなさい」と教わる。しかし、レガートだけの演奏では、表現のバリエーションがかぎられる。変化をだすためには、小さい音で弾くか大きい音で弾くか、速く弾くか遅く弾くかしかない。もし聴くものを圧倒して感動させたかったら、大音量で弾くか、高速度で弾くという方法しかない。

彼はレガートを《緊張》であり、ノンレガートを《弛緩》であり《透明感》だと考えた。楽譜どおりに鳴らされるノンレガートの音は、音が実際に繋がっていなくとも、繋がっているように聴こえる。レガートは、ここぞという美しく緊張感のある場面に取っておいた。[6]

彼が、聴くものを圧倒するには音量も速度も必要なかった。静かに遅く弾いても圧倒できた。それは、圧倒的に正確で、どんなに、速く弾いてもおそく弾いても崩れない自由自在のリズム感があるからだった。

こうして彼は、10本しかない指でソプラノ、アルト、テノール、バスのメロディーを同時に弾き分けながら、しかもレガートとノンレガートを使い分け、引き立たせたいメロディーを変えていた。

この彼のテクニックが良くあらわれている演奏に、もっとも高い評価をしたJ.S.バッハが18世紀半ばに作曲した「フーガの技法」という曲がある。グールドは、18世紀に作曲された曲の中で、ふつう、最高の曲はその世紀にいちばん流行ったスタイルで書かれた曲のなかにあるが、この曲は当時の流行に背をむけていたと評していた。バッハが、流行が、メロディーと伴奏の和声を重視するホモフォニーへと移りつつあるなか、流行に背を向けて人気が廃れたポリフォニーの終着点であるフーガにこだわっていたといっていた。

しかし、彼はピアノで正規録音をだすことは、最晩年までひどく怖がっていた。なぜなら、この曲を録音するのが恐ろしかったから[7]である。

まだグールドがまだツアーをしていた1962年、オルガンで「フーガの技法」の前半部分だけを愉悦にあふれ軽快で、やはりノンレガートで弾いた正規録音を残した。やはり、新しい解釈の素晴らしい演奏だったが、批評家はこの演奏をオルガンらしくないといって酷評した。ところが、グールドは、コンサート・ツアーではピアノを使い、オルガンとは180度ちがった演奏をしてみせ、シュヴァイツァーがいう「『静寂で厳粛な世界、荒涼とした色も光も動きもない世界』を描いていた[8]

アマゾンから

この曲の弾き方にグールドの技術がよく現れている。テーマである第1曲の4声のフーガは、アルトで始まり、5小節目からソプラノ、9小節目からバスが入ってくる。どんなピアニストでも、曲の冒頭部分では、自分の技量をじゅうぶんわかってもらい、観客のこころを掴みたい。そのために最善をつくして弾きたいと思うので、ほとんどのピアニストがアルトの4小節を左手で弾きはじめ、ソプラノの4小節を右手で弾きはじめる。ところが、グールドは、8小節のアルトとソプラノの両方を右手で弾き、空いた左手は右手の指揮をし、9小節目になってやっと両手で弾きはじめた。

「フーガの技法」の第1曲(対位法1番)グールドは、8小節まで右手だけで弾いた。

また、多くのピアニストは音を長く延ばすためには、指で鍵盤を抑え続けるより、すぐにペダルを踏む。それが簡単だからだ。グールドはペダルをほとんど使わず指を持ち替えながら弾く。このため音が混じらず、クリアで非常に美しい。

そうした違いに加え、最大の違いは、楽譜に手を加えることをためらわないことだ。彼の演奏は楽譜に書かれた音高と音長は変えないとしても、それ以外は楽譜に囚われない。どうしたらその曲の最善を引きだせるかを、自分の頭で考える。クラシック音楽界の伝統は、作曲家の意図をできる限り忠実に再現することを最重要視する。ところが、ベストな演奏にするために再作曲をする。そんな彼の演奏は、例えばベートーヴェンの『月光ソナタ』や、美しいアルペジオで始まるバッハの『平均律クラヴィーア集第1巻第1番前奏曲』といった誰もが知っているような有名な曲であるほど、誰もやらない奇抜な演奏をした。これはあまりに挑発的で、評論家や音楽界の重鎮だけでなく、リスナーの度肝も抜いた。これをもっとも徹底的にやったのが、「死ぬのが早すぎたのではなく、遅すぎた」と彼がいうモーツァルトのピアノ・ソナタの演奏だった。彼は、モーツァルトが書いた美しいピアノ・ソナタ全曲に、新しい旋律の声部を書き足し、「曲が良くなったかはともかく、ビタミン剤を注入した」と言ってはばからなかった。そうした彼の強い主張は、もちろん音楽界の重鎮や音楽評論家たちとのあいだに衝突をひき起こしたが、一切の妥協をしようとしなかった。


彼は、椅子の脚を15センチほど切り、ピアノの3本の脚を3センチほどの高さの木製のブロックの上に乗せて演奏した。手首を平らにして指で鍵盤を引っ張るように弾くので、力が抜けた自然で美しくはっきりとした音を出した。爆発するような大音量は出せず、何千人もはいるようなコンサートホールの隅々まで届かないかもしれないが、粒が揃った美しい音色を出した。コンピューターのような明晰なリズムはビート感があり、情感たっぷりで落ち着いた現代的な旋律が、聴く者を魅了した。

鍵盤をうえから体重をかけて叩くのではなく、低い位置でピアノを弾き、すべての音をコントロールしようとしたのには、かるく反応のよい鍵盤のピアノに執着したことも大いに関係がある。グールドの最大の理解者で友人のP.L.ロバーツは、「グレン・グールド発言集」で、グールドから「息を吹きかけてもキーが下がらないピアノは弾きたくないね」[9]というのを聞いている。グールドは、それほど反応の速い、軽いタッチのピアノを求めていた。

もうひとつの演奏の特徴に、《エクスタシー》があった。彼が演奏をはじめると、すぐさま、彼は現世の浮世から離れて、恍惚とした音楽の世界へ行ってしまうように見えた。これをやはり、コーネリアが映画の特典映像「コーネリア・フォスが語るグールドの哲学」で語っている[10]

「自分に酔うことと、自我を超越することは矛盾しない。それどころか相乗効果がある。自分に陶酔すればするほど、自我を超越したいと思うものよ。当然のことね。演奏中のグールドは、超越していた。個人としての欲求や恐れなど世俗的な感情を忘れ去ってしまうの。自分自身を森羅万象と融合させることができた。自分を取り巻く宇宙と一体化して人間としての存在を深めていくことができるの。ヴァイオリニストやチェリストでも同じ。偉大な演奏家ならではの神秘的な境地ね。演奏技術の問題でなく大きな何かが働くの。」

この話には、ふたりのユーモアを示すオチがある。

「ある日、グレンが帰ってくるなり息せき切って話し始めた。『大変だよ。』『なんなの?』と尋ねたわ。『グレン・グールドの精神』という講座がトロント大学で開かれていると言うの。彼は身をよじって笑っていた。おかしくてたまらなかったのね。『聴講しなきゃならないよ。うまく変装して行こう。最後列に座ればいい。勉強になるぞ。』言うまでもなく、2人とも行かなかったわ。だから『グレンの精神』はわからない。」

母親の不安症が原因で、彼は子供のころから薬物に依存していた。向精神薬を飲みすぎて精神に不調を来すまでになったのは自分を守るためだった。その依存症は、年月を経るほどに激しくなり、やがて、幻影や被害妄想に()りつかれるまでになった。音楽に追い詰められ、音楽だけが彼を救うことができる唯一だったのは皮肉だった。

彼は芸術家としての責任をいつも感じていた。見せたい自分を生涯にわたって演じ続け、音楽にすべてをささげていた。音楽で結婚しなかったし、薬物依存になったのもこの強迫観念が原因だった。

彼がデビューしたとき、すばらしくハンサムなジェームズ・ディーン[11]の再来だと音楽誌だけでなく一般誌まで騒いだ。一方で彼は、映画王、航空王で潔癖症だった世界一の大富豪ハワード・ヒューズのように生きたいと公言して、ずっと世間の目を隠してきた。それが原因で、ゲイとかホモとか、ノンセクシャルと言われるのを知っていたが否定しなかった。だが、近年、ゲイどころかプライベートな生活では、実に多くのロマンスがあったことが女性たちへのインタビューでようやく分かった。数々のロマンスが世間に知られなかったのは、グールドが、女性たちをそれぞれ孤立させ口止めをしていたことと、私生活を詮索するような人物がいると、交友をすぐに断ったから周囲の人たちはグールドの私生活を詮索しなかったからだった。そして彼女たちは、グールドに忠誠を誓い、守ろうとしたからだった。

この多くの女性関係を明らかにしたのは、映画「グレン・グールド《天才ピアニストの愛と孤独》[12]」の原作本である「グレン・グールド・シークレットライフ《恋の天才》[13]」を書いたマイケル・クラークソンだった。彼の女性関係は、この原作に基づいている。

グールドは全般に率直な人だったが、本質的な性格は分かりにくい。私生活を隠していたからということもあるが、非常に感受性が強く、才能は一般の人とは比べものにならないほど大きかった。話すことも書くことも核心をついていながら、言い回しは遠回しだった。しかも彼自身ずっと様々なことに格闘していた。親の世代から譲り渡された宗教観や道徳観との葛藤もあったし、自分を真の芸術家だと考えて、芸術家はこうあるべきだという思いも強かった。

グールドに関する伝記や評論は非常に多数ありながら、人物像の核心部分を知るのは難しい。しかし、これまでに書かれた多くの著作を辿ることで、彼の本性に極力近づきたいと思っている。

なぜなら、ひとりでも多くグールドの演奏を聴いて欲しいからである。

おしまい


[1] 「グレン・グールド神秘の探訪」(ケヴィン・バザーナ サダコ・グエン訳 白水社) 第5章「アーティストのポートレート」 P423

[2] 対位法 複数の旋律を、それぞれの独立性を保ちつつ、互いによく調和させて重ね合わせる技法

[3] 映画「グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独」特典映像にでてくる

[4] ポリフォニー・ ポリフォニーは複数の独立した声部(パート)からなる音楽のこと。ただ一つの声部しかないモノフォニーの対義語として、多声音楽を意味する。

[5] ホモフォニー バッハ後盛んになったホモフォニーには、最大の特徴は主旋律と伴奏という概念がある。

[6] グールドは、レガートとノンレガートの奏法について「グールド発言集」、「異才ピアニストの挑発的な洞察」P279で、「私がレガートの旋律よりもスタッカートの旋律が好きなのは、・・・孤立したレガートの瞬間を非常に強烈な体験にしたいからです。実は私は潔癖なものにあこがれる人間でして、デタシェを基本としたタッチを支配的に用いるときに得られるテクスチュアの透明感が大好きなのです。ところが、さらに、デタシェの響き方を支配的に用いるとき、ほぼすべての音が、次の音からの分離をかなえる独自の空間を備えるようになったところでレガートの要素を導入します。するとたいへん感動的なものが生まれます。それはある種の情緒的な流れですが、もし、ピアノはレガートの楽器であり、音はなめらかなほどよいのだ、という通常の仮定をしていたら、音楽に現れようのないものなのです。」と書かれている。

[7] 怖がっていた 「グレン・グールド神秘の探訪」(ケヴィン・バザーナ)で「最後の清教徒」P475に次のように書かれている。《ブリュノ・モンサンジョンが作った「グレン・グールド・プレイズ・バッハ」で、この番組は未完に終わった最後のコントラプンクトゥス(対位法)を弾いて幕を閉じるのだが、グールドはこの作品を「人間がこれまで構想したなかで最も素晴らしい曲」と呼んだ。実はグールドはそれまでこの曲を演奏したことがなく、怖気づいていた。「これまで取り組んだなかで、一番難しいことだ」と述べている。グールドはこの曲についてまったく異なる4通りの解釈を検討したあと、結局は哀調を帯びた、非常に内省的な演奏を選んだ。・・・》

[8] ピアノによる「フーガの技法」の演奏は、モンサンジョンと作った「GGプレイズバッハ」の中でこう語っていた。《「あの未完のフーガは確かに情にも訴える。何しろバッハの絶筆だし[・・・]しかし本当の魅力は平穏さと敬虔さ。本人も圧倒されたはず。このフーガに限らず曲集全体に言えるのは、バッハが当時の音楽の流行全てに背を向けていたことだ。彼の晩年、フーガは流行らなくなっていた。[・・・]フーガでなくメヌエットの時代なのにバッハはきわめて意識的に自分の和声のスタイル変え[・・・]別の地平に達していた。バッハは100年以上さかのぼり、対位法や調性の処理法を借用した。バロック初期の北ドイツやフランドルの作曲家のもので、調性を使いながら鮮やかな色彩を避け、代わりに薄い色合いが無限に続く。私は灰色が好きだ。シュヴァイツァーがいいことを言っている。『静寂で厳粛な世界、荒涼とした色も光も動きもない世界』と」未完のフーガの最後の音を弾いた瞬間、グールドは感電したように左手をさっと持ち上げる。映像は静止し、腕は宙で凍りつく - 「あらゆる音楽の中でこれほど美しい音楽はない。」この未完のフーガを弾くグールドの姿を見た者は、この瞬間の映像を決して忘れることができない。(訳:宮澤淳一)》

[9]「グレン・グールド発言集」(P.L.ロバーツ 宮澤淳一訳 みすず書房)中、「はじめに」で、P5に「息を吹きかけてもキーが下がらないピアノは弾きたくないね」と書かれている。

[10] 映画「グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独」特典映像「コーネリア・フォスが語るグールドの哲学」

[11] ジェームズ・ディーン:(James Dean、1931年- 1955年)は、アメリカの俳優。孤独と苦悩に満ちた生い立ちを、迫真の演技で表現し名声を得たが、デビュー半年後に自動車事故によって24歳の若さでこの世を去った伝説的俳優である。

[12] 映画「グレン・グールド天才ピアニストの愛と孤独」監督:ミシェル・オゼ、ピーター・レイモント 角川書店、2012年発売

[13] 《The Secret Life of Glenn Gould: A Genius in Love》 Michael Clarkson ECW press

グールドの力づよい《ハミング》《鼻歌》は、な、な、なんと、目の前にあった!!

ハミングを止められないグレン・グールドは、ゴルトベルク変奏曲を録音するとき戦争で使われたガスマスクをしてスタジオに現れ、皆を大いに楽しませたという。
(Why would Glenn Gould wear a gas mask in the studio? | CBC Music | Scoopnestから)

グレン・グールドは、歌を歌いながらでないとピアノを弾けなかった。母親が、幼児の頃からピアノを弾くときにメロディーを歌いながら弾くように教えたからだ。この癖は、生涯抜けなかった。また、ピアノを弾くときに非常に低い位置で弾いた。そのために父バートが作ってくれた、4本の脚を約10センチほど切り長さと傾きを微調整できる折り畳み椅子を、何処へでも持ち運び、死ぬまで使った。この2つの逸話は彼の人物を語るうえで一番重要なものかもしれない。

グールドが生涯使い続けた椅子。最晩年には座面がなくなっても、この椅子を前傾するように調整して弾いていた。もちろん、代わりの椅子は作られるのだが、グールドは気に入らなかった。
歌いながら弾くグールド:USB版コンプリートエディションから

今年の春に、清塚信也さんと鈴木愛理さんがMCをされている毎週放送のNHK「クラシックTV」が、グレン・グールドを特集した。(下がその「クラシックTV」を取り上げた親爺のブログです。)この番組で清塚さんは、冒頭にグールドが《エキセントリック》な人物であることを説明するのに、演奏に彼の《ハミング》《鼻歌》が入っているとこのようにいわれていた。

う~、ふぅ~ん、う~んって声が入っているから、子供の頃、グールドのレコードを聴いたとき《心霊現象》だと思った。音程も取らずにう~、ふぅ~ん、う~んってやるから、音楽にはなっていない。歌では、ないんです。・・・・常識が通用しない人なのかなっていう節が、そういうところに見られる。」

ゲストは、ハリー杉山さんである。

この番組で放送された《ハミング》《鼻歌》を、親父のブログを見てくださった方に伝えたところ、「え~っ!、ブラジルさんはグールドのハミング、鼻歌分かっていないんじゃないですか?」と言われてしまった。たしかにそうだよなあ、と納得してしまった。

というのは、グールドの演奏は有名なゴルトベルク変奏曲の録音が1956年であり、当時はモノラル録音で音は良いとはいえなかった。彼が出したレコードのうち最初の正規録音4枚は、モノラル録音である。最近グールドの録音が発掘されて新発売されるが、これらはもっと音の悪いCBCカナダ公共放送のモノラルのラジオ放送が音源のことが多い。要するに、コロンビア・レコードのモノラル録音が当時の最高技術水準だった。

グールドは、2番目の録音に、ヴィルトゥオーソと言われるような老練のピアニストが好んで弾く、ベートーヴェンの最晩年のピアノ・ソナタ30番、31番、32番を『強烈』な演奏で録音した。『強烈』という意味は、楽譜の指示どおりに弾いてないところもあり、正統的、伝統的な演奏とかけ離れたクラシック音楽界への挑戦だった。この曲が入ったCDを親爺は、曲の良し悪しより録音の悪さが気になって正直敬遠していた。親爺は、てっきり雑音だらけだと思っていた。

ところが、指摘を受けて聴き直してみると、録音が悪いというのはあるが、グールドの唸り声がずっと録音されているじゃあありませんか。雑音と唸り声が同じレベルで入っている。

親爺は、グールドにハマって、1950年代のグールドの録音を何とか良い音で聴きたいと思ってオーディオにお金をかけてきた。だが、グールドの唸り声を知らなかった。下の写真のB&Wというイギリスのスピーカーとヘンな格好のヘッドホンは、結構な値段がした。はっきり言って情けない。まあ~、わからなかったものは仕方がないかなあ。

何といっても《ハミング》《ハナウタ(鼻歌)》という表現はかなり商売上の忖度が入った手加減をした表現ではないかと思う。実際はそんな生やさしくキレイなものではない。あれは、清塚さんがいう《心霊現象》である。親爺には《背後霊の呻き声》に聞こえる。だいたい歌のようにながくつづこともなく、なんの意味も持っていない。ピアノの音の背景で、ときどき《妙な声》が瞬間瞬間に入っている。まれにグールドの歌が声楽家のように入っている演奏があるが、長い時間ではない。

1959年録音のバッハのイタリア協奏曲とパルティータの第1番、第2番のLPを、1999年にSACDにしたものには、日本語で書かれた帯がついており、「*一部ノイズはオリジナル・マスターテープに存在するため、ご了承ください。グールド自身の声(ハミング)もございます。」と書かれている。

基本的に、当時の録音技師たちも、グールドの歌声が録音されないように格闘したはずだ。親爺は、ピアノの演奏を録音する際に、音源であるピアノの中にマイクを突っ込み振動する弦の音を取るようになったのは、グールドが出てきたときが最初だったのかもしれないと想像するのだが、どうだろう。

先に書いたように、同じ椅子を彼は生涯つかい続けた。最初は、座面がありクッションがあった。時間の経過とともに、座面の詰め物が飛び出した。やがて、座面のクッションの部分は完全になくなり、木の枠、骨組みだけになった。椅子が軋むようになったので、演奏の際には、音がしないように絨毯が敷かれるようになった。写真を見ると、椅子の傷み具合で、何年頃の演奏なのか見当がつくといわれる。

グールドの凝り性の程度が分かろうというものだが、敷物をおいても骨組み自体がきしむ。この音が、ヘッドホンではわかる。スピーカーではわからない。といいながら、何の曲だったのか探そうと、録音時期の遅いトッカータ集やフランス組曲などを聞いて見たのだが、生憎よくわからなかった。

最後に静かな曲がいいだろうと思って、1981年録音のバッハのフーガの技法の終曲コントラプンクトゥス第14番(未完)を聴いて見た。この曲を聴いているとグールドはずっと大きな声で歌っている。見事にハモっていると言っていいくらいだ。おそらくなのだが、椅子のきしむ音もときどき入っている気がする。曲想が変わる部分で右手だけで長い旋律を弾くところがわかりやすいと思う。書物などのページを繰るような、ピアノでもないグールドの声でもない、雑音らしきものがする。

テニス・クラブの仲間に言われたことがある。「ピアニストの演奏する椅子が軋む音を聴いて、喜んでいても仕方ないんじゃない?」

そりゃそうだ。おっしゃるとおりです。返す言葉がありません。

ところが一方で、グールドのいろんな曲を聴きながら、あらためて「やっぱり、グールドの演奏はどれも凄い、素晴らしすぎる!」と思ってしまった。

おしまい

グレン・グールドのSACDハイブリッド バッハ全集が出ました!!

Tower RecordのHPから

昨年から順次、生誕40年、没後90年を迎えたグレン・グールドのリマスターされた録音物が発売されており、SACD規格によるバッハ全集も発売された。

詳しいことは次のTowerRecordの記事を見てください。

https://tower.jp/article/feature_item/2022/10/03/1110

SACD規格というのを簡単に説明すると、これは現段階でもっとも音質が良いとされるハイレゾの規格の一つである。ハイレゾには、CDの録音規格を高規格化したPCM録音という方式と、変調方式の違うDSDがあるのだが、SACDはDSD方式とほぼ同一と言われる。インターネット販売ではどちらも販売されている。

ただし、SACDをこのようなリアルな媒体で買うと、CDのようにコピーすることが出来ない。また、SACDを再生できるプレーヤーが必要である。今回発売されたメディアはハイブリッド盤なので、CD再生機でも再生できるが、CDレベルの音質でしか再生できない。CD再生専用機を使用するのであれば、CD向けにもリマスターされた規格のものが売られているのでそちらを買えばよい。

今回の全集に含まれるバッハ作品のうち、《平均律クラヴィーア曲集》、《インベンションとシンフォニア》、《パルティータ集》、《イギリス組曲》、《フランス組曲》もこの全集に含まれているのだが、これらはSACDで従来から販売されていた。

今回新たにSACD規格で発売されたのは、《1955年録音のゴルトベルク変奏曲》、《フーガの技法(オルガンとピアノ)》、《ヴァイオリンソナタ集》、《チェロソナタ集》、《ピアノ協奏曲集》、それにCBCテレビ局音源、ソ連公演、ザルツブルク音楽祭のリマスターなどである。

グールド・オタクに有難いと思えるのは、ブックレットが充実しており、ライナーノートが日本語でそのまま読めたり、グールド研究の第一人者である宮澤淳一さんの解説だったり翻訳を読める。また、ミヒャエル・ステーゲマンのしっかりした解説も読める。また、ジョン・マックルーアとティム・ペイジの対談CDが含まれているのだが、こちらも完全な日本語訳がついている。至れり尽くせりです。

特に親爺が有難たいと思ったのは、リマスターされていなかったピアノ版の《フーガの技法》が初めてSACD規格でリマスターされたことである。親爺は、この曲が一番好きで、この《14番の未完のフーガ》をしょっちゅう聴いている。

この未完のフーガについて、グールドが映像作家のブリュノ・モンサンジョンに次のように語ったとブックレットにある。

  • 「あの未完のフーガは確かに情にも訴える。何しろバッハの絶筆だし[・・・]しかし本当の魅力は平穏さと敬虔さ。本人も圧倒されたはず。このフーガに限らず曲集全体に言えるのは、バッハが当時の音楽の流行全てに背を向けていたことだ。彼の晩年、フーガは流行らなくなっていた。[・・・]フーガでなくメヌエットの時代なのにバッハはきわめて意識的に自分の和声のスタイル変え[・・・]別の地平に達していた。バッハは100年以上さかのぼり、対位法や調性の処理法を借用した。バロック初期の北ドイツやフランドルの作曲家のもので、調性を使いながら鮮やかな色彩を避け、代わりに薄い色合いが無限に続く。私は灰色が好きだ。シュヴァイツァーがいいことを言っている。『静寂で厳粛な世界、荒涼とした色も光も動きもない世界』と」
  • 未完のフーガの最後の音を弾いた瞬間、グールドは感電したように左手をさっと持ち上げる。映像は静止し、腕は宙で凍りつく ー 「あらゆる音楽の中でこれほど美しい音楽はない。」この未完のフーガを弾くグールドの姿を見た者は、この瞬間の映像を決して忘れることができない。(訳:宮澤淳一)

追加情報なのだが、3月26日(日)にタワレコで宮澤淳一さんによるこのSACD発売トークイベントがあります。まだ間に合います。駆けつけましょう。

https://tower.jp/article/campaign/2023/03/23/02

おしまい

知らなかった!! グールドの90/40 CD・SACD・DVDなどが新発売されてます

グレン・グールド(1932-1982) の生誕90年、没後40年を記念して、かなりの数の録音物と映像が発売されている。親爺はうかつにも昨年の暮れに、渋谷のタワレコで見ていたのだが、知らなかった。これを見ると結構な分量のCDなどが発売されている。

https://tower.jp/site/artist/glenngould ←タワーレコードのリンク

TOWER RECORDのHPから

グレン・グールドは、1982年に亡くなっており、ほぼほぼ彼はアナログのレコードの時代を生きた演奏家だった。ほぼほぼというのは、彼が2回目に録音した、《ゴルトベルク変奏曲》の録音は、デジタルによるCD録音の始まった時期にあたっていた。このため、現在、発売されている彼のCDなどは、当時のアナログテープをデジタルに変換したものが売られている。しかし、録音技術は進歩しているので、昔に変換されたものは、現在と比べると音質がいまいち良くない。

こちらが、正規録音をリマスターしたCD集。《Glenn Gould – Remasterd – The Complete Columbia Album Collection》 81枚組である。

そのため、過去に人気のあった演奏者の演奏は、当時のアナログテープを、現在の最高水準の技術であるハイレゾでリマスターされている。グールドも例外ではなく、ソニー(もとは、コロンビアレコード)から発売されている正規録音のレコードは、すべてが基本、リマスターされてCDで発売されている。このリマスター技術は、CDの規格を超えているため、CDの規格に収まらないものを、インターネットでダウンロードする方法と、SACD(Super Audio CD)というメディア(ハードの盤)で購入するの2つ方法がある。SACDは、高規格のCDにあたるのだが、CDと互換性のない専用の再生装置でしか聴くことが出来ない難点がある。

ソニーは、このリマスターを正規版のアナログレコードすべてに対して最高水準の技術で行ったのだが、全部をその品質で発売している訳ではなかった。つまり、その品質をダウングレードして、従来の再生装置で再生できるリマスター版のCDとして売ってきた。それを今回、その品質のままの製品を一部売り出したということだ。(これでも、1980年頃に、アナログレコードをデジタルCDへ焼き直した録音と比べると、音質はずっと良くなっている。)

余談だが、グールドおたくの親爺は、ソニーのインターネット配信のサイトに何度か、「早くリマスター品質のSACDを売るか、その品質のままのものをダウンロードできるようにして、発売して欲しい。」と要望していた。

ところで、今回の親父のおすすめは何といってもこれです。

『グレン・グールド・プレイズ・バッハ~ブリューノ・モンサンジョン監督三部作』

これは、ブルーレイディスクの映像作品です。プロデューサーは、ブリュノ・モンサンジョンで、2人の魅力的なバッハ談義を挟みながら、グールドの演奏を聴くことが出来ます。

日本語の字幕があるようですので、これがとても良いと思います。日本語のない安価なものも発売されているのですが、二人の会話が分かると非常に楽しいです。

これをお勧めする理由の大きなところは、ピアノで演奏する「フーガの技法」が入っていることです。全曲ではなく、このシリーズには、第1曲、第2曲、第4曲、終曲である第15曲(未完ですが、ハイライトであり大曲です。)しか入っていないのですが、どれも素晴らしい!!

グールドは、この「フーガの技法」を最高の曲だと認めていたようですが、ミヒャエル・シュテーゲマンというグールド研究家が解説書で書いているところでは、どうやら、どのように演奏すれば良いのか大いに悩んでおり、録音する勇気をなかなか出せなかったようです。それで、オルガン版の「フーガの技法」は、あっさりした演奏で前半半分ですが、1962年にさっさと正規版を出しました。しかし、ピアノ版は、コンサートツアーで好んで弾いていたようですが、レコード録音は断片的にしか残しておらず、正規録音はありません。

この映像では非常に素晴らしい演奏を残しています。

バッハ全集(SA-CD ハイブリッド・エディション) [24SACD Hybrid+2CD]<完全生産限定盤>

ちなみに親爺は、こちらを予約しました。値段が4万円とお高いし、半分は既に発売されているSACDを持っているのですが、残り半分は初めてSACDで発売されるものだからです。

水を差すことを言うのかも知れませんが、SACDやハイレゾは、再生装置のスペックを要求すると思います。(おすすめは、高級なヘッドホンを使うことだと思います。)

というのは、ちゃんとした再生装置で再生すると、グールドの鼻歌や、生涯使い続けた父親が作った椅子のきしむ音が録音されているのが分かりますが、普通の再生装置では、なかなか聞き分けることは難しいと思います。

知人に、「鼻歌や椅子の軋みを聞いて喜んでいるようじゃあ。音楽そのものを聴きなさい。」と言われたことがありますが・・・(苦笑)

おしまい

グールド おすすめCD 「坂本龍一コレクション」

今回は、これからグールドを聴きたいと思っている人向けのコンピレーションアルバムを紹介しよう。コンピレーションアルバムとは、ウィキペディアによると「何らかの編集意図によって既発表の音源を集めて作成されたアルバム」と書かれている。

絶対的と言って良いのが、「坂本龍一セレクション」だ。バッハ編とバッハ以外の2種類があり、各々2枚組なので4枚のCDにまとめられている。(厳密に言うと、バッハ以外のセレクションの最後には、「マルチェロのオーボエ協奏曲」をJ.S.バッハが編曲した「協奏曲ニ短調BWV974」が入っている。)

坂本龍一は、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)、映画「戦場のメリークリスマス」、アカデミー賞やゴールデングローブ賞を受賞した作曲家でもあるが、東京芸大大学院の修士課程まで進んでおり、その過程でグレン・グールドの影響を非常に強く受けたと言う。

坂本龍一は、このアルバムを録音時期に沿って選曲しているのだが、広く漏れなく曲を選んでおり、グールドの魅力が網羅されている。バッハ以外では、ベートーヴェン、ブラームス、ウェーベルン、シェーンベルク、バード、スクリャービン、C.P.E.バッハ(息子バッハ)、シューマン、モーツァルト、グリーグ、シベリウス、ヒンデミットと続く。この中には現代曲であるシェーンベルクとヒンデミットの歌曲が3曲含まれている。残念ながら、オーケストラ曲はなく、唯一のアンサンブルがジュリアード弦楽四重奏団とのシューマンのピアノ四重奏曲である。いずれも、数あるグールド映画にもよく使われる素晴らしい演奏がチョイスされている。

バッハ編の選曲について、坂本龍一は「今回この全体を選ぶのに、もちろん、基本的には僕が好きな曲であって、しかもいい演奏だというのが前提なんですけれども、傾向としてはですね、クロマティックなもの、つまり、半音階的なものを、なるべく入れるようにしてみたんです」と語っている。

バッハ編の最後には、ピアノ版の「フーガの技法」から第1曲と終曲の第14番が入っている。第14番は未完、バッハの絶筆であり、唐突に終わる。この突如音楽が終わってしまう違和感を軽減させるため、グールド以外の演奏者は、聴衆へのサービス(?!)なのか、バッハが死の床で口述筆記させたコラール「汝の御座の前に、われいま進み出て」BWV668を多くの場合に付け加えることが多い。だが、グールドはこの14番を未完のまま譜面どおりに演奏し、最後の小節を少し強調して弾き、最後の音が虚空へ消える、余韻、空白感を残す演奏をしている。「フーガの技法」はそうした曲なのだが、最後に持ってきたこの未完の曲のあとに、坂本龍一はゴールドベルグ変奏曲から、3曲しかない短調で半音階的で無調的な響きのある第25変奏で締めくくっている。

グールドは「フーガの技法」のオルガン演奏による第1曲から第9曲までの録音も残しているが、圧倒的にピアノの方が内容が濃い。これは、ピアノの方が楽器としての表現力が高いためだ。オルガンは、鍵盤を押さえている間は音が減衰せず、多声音楽の演奏に適した面があるものの、ピアノのような強弱や微妙は変化は表現できないからだ。

このアルバムには、坂本龍一とグールド研究の第一人者である宮澤淳一の対談、宮澤淳一による曲目解説冊子がついており、こちらも読みごたえがある。その解説冊子の対談の最後で坂本龍一が、面白く刺激的なことを言っているので紹介したい。

- 「僕は、あんまりピアノも上手くなくて、練習もほとんどしなかったので、演奏家にならなくてすんだので良かったんですけども、やっぱりグールドの後に演奏家になる人は本当に大変だろうなと思って。本当に自分にはそういう能力がなくて良かったな思ってますけども。それにあまりにも磁力が強すぎてね、あるいは魅力が強すぎてね、真似したら真似だって言われるだろうし、でもグールドのあとに今さら古典的にね、バックハウスみたいに弾くって訳にもいかないしね。つまり、グールドの魅力を知っちゃったらそれはもう出来ないし、がんじがらめでダブルバインドで、もうどうしようもないですよね。だから、今グールドの後に演奏家になるってのは、ほんとに大変なことだと思いますよ。でも、みんな乗り越えてやってほしいとは思いますけどもね。やっぱり、グールドのような演奏家はなかなか出てこないでしょうね」

なお、発言の中に出てくるバックハウス(1884年 – 1969年)は、グールドよりひと昔前のピアノの巨匠で卓越した技巧の持ち主なのだが、決してストイックで堅苦しくはなく、ロマンティックな人間味あふれる演奏を聴かせた。彼が、1905年のルービンシュタイン・ピアノ国際コンクールで優勝した時、2位になった作曲家のバルトークが、ピアニストの道を断念した逸話があるという。

ところで、YOUTUBEで「坂本龍一 グレン・グールドについて」というのを見つけた。これがとても面白い。

https://www.youtube.com/watch?v=5-LcfWMTDuI

おしまい

 

ジュリアード弦楽四重奏団協演 グールドvsバーンスタイン ピアノ演奏スタイルの違い

グレン・グールドの器楽曲との合奏はそれほど多くない。

正規録音には、バッハは、チェロ・ソナタ集(レナード・ローズ:3曲)、ヴァイオリン・ソナタ全曲集(ハイメ・ラレード:全6曲)が録音されている。他は、シェーンベルク、ヒンデミットやウェーベルンの現代曲がある。

正規録音ではないが、テレビのCBC(カナダ放送局)で放送されたドビュッシーのクラリネットピアノのための第1狂詩曲、ショスタコーヴィチのピアノ五重奏曲などがある。また、有名なヴァイオリニストのユーディ・メニューインと共演したバッハ、ヴァイオリン・ソナタ第4番、シェーンベルク、幻想曲作品47、ベートーヴェン、ヴァイオリン・ソナタ第10番の3曲がある。他に、バッハのチェロ・ソナタ3曲を録音したレナード・ローズが、ベートーヴェンのチェロ・ソナタ第3番を協演している。

言ってしまえば、チェロのレナード・ローズとヴァイオリンのハイメ・ラレードは、グールドの子分のような存在だ。メロディーを奏でるチェロやヴァイオリンがピアノを伴奏者として従えるのが一般的だろうが、グールドの場合は、伴奏しているピアノがリズム感、存在感の両方で大きく、主客が完全に逆転している。

片や、ヴァイオリニストのユーディ・メニューインとの協演は、さすがに一流奏者らしく、簡単に主導権をグールドに渡さない。お互いに丁々発止と譲らず、ずっと緊張感が漲っている。3曲とも名曲というのも作用しているだろう。

グールドは、ロマン派の弦楽器との合奏では、シューマンをジュリアード弦楽四重奏団と協演している。録音されているのは、ピアノ四重奏曲変ホ長調作品47なのだが、このレコードはレナード・バーンスタインが弾いたピアノ五重奏曲変ホ長調作品44がカップリングされている。ディスクガイドを読むと、本来五重奏曲もグールドと共演したものが使われる予定だったが、双方の関係が途中で険悪になり、最後には修復不能までになってしまった。このためバーンスタインの演奏が使われたということだ。

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この2曲のジュリアード弦楽四重奏団の協演が、バーンスタインの場合とグールドの場合でどのように違うのか感じているところを書きたい。

この2つの曲は、同じ調で、同じく4楽章の構成で作曲されており、かなり似た印象を持つ。こっちがバーンスタインだよな、グールドだよなと聴きながらも聞き流していたが、真剣に聴き比べてみた。

バーンスタインは、チェロやバイオリンが主役になるメロディーの場合は、かなり音量が抑え気味で、リズムの崩し方も弦楽器にゆだねている。この場合のピアノは控えめで、弦楽器はのびのび自由に弾いている。曲が進みピアノが主役になるときには、俄然音量を上げ、自分のリズムで演奏し、存在感を急に高める。間違いなく、このように主役が交代しながら、自分のアーティキュレーションで演奏するのはストレスがなく楽しいだろうと思う。しかし、うまく行くときは良いが、ややもすると曲全体の構想が希薄だったり、ベクトルのはっきりしないものになりがちだ。(後で述べるが、たいていこの現象が起こっていると言って過言ではない。)

グールドの場合は、真逆だと言っていいだろう。チェロやヴァイオリンがメロディーを奏でているときでも、バックのピアノがリズムをインテンポで奏で、なおかつ存在感を消さない。このため、弦楽器が崩して演奏したりすることが、全体のバランスが崩れるためにできない。ピアノが足枷となるのだ。弦楽器の裏で、ピアノが小さめの音で伴奏をする場合でも、リズム感に大きな説得力がある。もし、ジュリアード弦楽四重奏団がグールドと違った考えを持つなら、グールドとの協演は大きなストレスになるだろう。

一般に合奏では、主旋律を演奏する者に合わせて、他のメンバーがサポート役に回る。ただ、主旋律は時に違う楽器へと交代するし、同じメロディーをユニゾン(同度の音程)で奏で、音色の違いや緊張感を楽しませることもある。この場合、曲全体をどのように解釈して表現するかはっきりさせ、全員が理解したうえで、意図に沿った演奏ができなければならない。

グールドの頭の中には、常に曲の全体像がある。曲の構造と言ってもいいだろう。それを見失うことがない。だが、その全体像の着想を保ちながら、目の前の演奏の細部を失うこともない。ここが彼の凄いところだと。

同じことをバッハのフーガの技法BWV.1080で説明したい。この曲はグールドがピアノで演奏したものとオルガンで演奏したものと二つある。オルガンも良いが、ピアノ版が空前絶後だ!バッハの遺作で未完の曲なのだが、楽器の指定をしていないこともあって、ピアノの外にもチェンバロ、オルガン、弦楽四重奏、金管楽器、アンサンブルやオーケストラなどで演奏されている。

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第1曲は4声のテーマで、2曲目以降はフーガがさまざまに変形される。第1曲目のテーマだが、グールドの演奏は速度が非常に遅い。もちろん、すべてを聴いたわけではないのだが、グールドの演奏がダントツに遅い。曲を一定以上の遅さで演奏するというのは、非常に難しい。バランスを保つことが難しいからだ。だが、グールドはその遅いスピードで演奏しても破綻しないし、強い緊張感を保っている。4つの声部を弾き分け、最初はどの声部もレガートで弾くのだが、曲が進むと、主旋律をレガートなまま、対旋律をデタッシェ(ノン・レガート)で弾き趣を変える。彼の演奏は、常に時間に沿った横のメロディーが、4声なら4つのメロディーが並行しながら流れていく。ほとんどのピアニストは拍の頭に4つの音が楽譜に書かれていると、4つの音を同時にならす。それでは4声にはならない。鳴るのは和声、和音になってしまう。一人のピアニストでありながら、グールドの頭の中では、あたかも違う楽器を持った4人が演奏しているイメージで演奏している。

そして、テーマの最後に、休符が2度来るのだが、グールドは完全無音の状態を長い時間演奏する。このように完全な無音を奏でた演奏は、フーガの技法を演奏した他の演奏者にはないだろう。グールドがこの曲を録音したのは1974年だが、グールドの死後、1987年にジュリアード弦楽四重奏団がやはりフーガの技法を録音しており、休符を長くとって演奏しているが、グールドほどではない。(グールドは、楽譜どおりに演奏するより、この方がインパクトがあり彼にとって正しいと考えていたのだろう。そのような例は他にもいろいろありそうだ)

そして本題。グールドはこのような対位法で書かれた曲やポリフォニーの曲は、旋律ごとに違う楽器を持った演奏者が演奏している意識でピアノを弾いている。このために、実際の弦楽四重奏団や室内楽団が演奏する場合より、曲の統一感がずっと明確だ。管弦楽団によるフーガの技法で非常に美しく演奏されたもの(シュトゥットガルト室内管弦楽団など)があったりするが、美しいだけで、「それで何が言いたいの?」という感想だけが残る。

いろんな演奏者によるフーガの技法があるが、どれもグールドの演奏にある緊張感、深遠さ、美しさ、無常感、虚無感、統一感、十全さ、ドラマ性、永遠性、宇宙を感じさせる広大さといったものが及ばない。

グールドのポリフォニー的演奏については、「グレン・グールド発言集」(みすず書房 宮澤淳一訳)で自身が述べている。これについては、あらためて述べてみたい。

 

グレン・グールド考 再No.1(お勧め曲)


私がここ数年来ハマっているカナダ人クラシック・ピアノ奏者グレン・グールドGlenn Gould(1932-1982)を紹介しましょう。「えっ、グレン・グールドって誰?」と言う人に読んでもらい、もし聴いてみたいと思ってもらえれば、これほど嬉しいことはありません。


グレン・グールド(以下GGと略記します。)は、今から遡ること何と32年、1982年に亡くなっており、過去の人なのですが、日本のクラシック音楽においては、おそらく今でも一番売れているでしょう。これだけ時間が経っているのに、どこのショップの売場でも、GGの録音、録画がずらりと並んでいます。新録音は増えませんが、組み合わせを変えた企画ものが次々と発売されています。また、彼に関する書籍もたくさんあり、どれも絶版になりませんし、新刊も刊行されています。映画も結構な数が作られており、一番新しいものは、2011年に日本で封切られました。


ご存知ないでしょうか?映画「羊たちの沈黙」(1991)。牢に捕まえられた猟奇殺人者レクター博士が愛聴曲バッハの「ゴールドベルグ変奏曲」(GG演奏)を聴きながら警官を襲撃、脱獄するシーンがあります。狂気の博士とあまりに美しいピアノの対比。博士の異常さを際立てていました。また、知る人が少ないかもしれませんが「スローターハウス5」(1972)という映画では、全編にグールドのピアノが使われていました。


地球人の文化紹介のため1977年に打ち上げられた宇宙探査機ボイジャーにはゴールドディスク(旧式のアナログレコード)が乗せられており、知的生命に地球を紹介するための地球上のさまざまな写真や言語、音声などが記録されています。この中にはGGのバッハ曲演奏が乗っています。(このボイジャーはすでに太陽系を脱出しているそうです。)

GGは、演奏に関して完全に「天才」ですが、演奏の場を離れたGGは、若い時分ハンサムで、ジェームズ・ディーン(1931年生まれ。GGより1年早い。25歳で夭折した美青年の代名詞です。)と並ぶアイドルでした 。

グールド(トクサベ)

           ウィキペディアで利用を許諾されたGG

奇行が有名で、夏でもコートにマフラー、手袋、帽子姿で現れました。極度の潔癖症で、指の怪我を心配し、握手を求められても握手をしませんでした。アスペルガー症候群、心気症だったとも言われます。薬物依存があり、精神安定剤など多種の飲み薬を常に持ち運び、不安になると精神安定剤を口に放り込んでいました。あまりに大量の薬を持ち運んでいるので、怪しんだ係官に国境で没収されたことがあります。レコード会社やマスコミは、こうした彼の一面を格好の材料にして取り上げました。


デビュー後、演奏会で演奏すること自体に批判的で、曲を演奏したあと観客から大喝采を浴びている最中でさえ、「今の演奏にはよくないところがあった。もう一度弾き直したい。」と思っていたといいます。「集団としての聴衆は悪だ」と感じ、ずっと引退したいと公言していたのですが、人気絶頂の31歳の時に演奏会から実際に引退します。この後、もっぱらスタジオ録音を行います。1曲を録音するためにテイクを何十もとり、その録音テープを切り貼りしながら部分的に良いところを集め、曲を仕上げたのです。


彼の演奏時の姿勢は、脚の先端を切った椅子(床から座面まで30センチしかない!)に座り、時に顔を鍵盤に触れそうになるほど近づけ、上半身をぐるぐる旋回させます。椅子が異様に低いので、身長180センチのグールドのお尻より、膝が高い位置に来ます。手首より指が上に来ます。椅子をこれ以上低くすると無理な姿勢になってしなうため、スタジオ録音ではピアノを数センチ持ち上げていました。この椅子はGGのシンボルと言えるほど有名で、GGはこの椅子を亡くなるまで何十年もずっと持ち歩いていました。晩年の演奏時には座面の部分がなくなり、お尻が載るところには木の枠だけが残っていました。録音にはこの椅子の軋む音がかすかに入っています。三本足(ピアノのこと)、マイクを愛した男と書かかれたこともあります。


彼の姿勢は、他のピアニスト達とはまったく反対です。正統派の奏法は、背筋を伸ばし、腕を下にした良い姿勢から、上から大きな腕力を一気に鍵盤にかけ、爆発するような大音量を出すことが可能です。GGはこのような弾き方が出来ないことを認めています。ですが、彼のピアノの音色は非常に美しい。4声あるフーガを10本の指が自在に独立して動き、すべての音がコントロールされ、頭の中にあるイメージが直接音になって表れて来る、そんな演奏です。非常にゆっくり弾いた場合でも超速弾きでもパルスを正確に保てるので、ドライヴ感があると言われます。いったん演奏を始めると、天才的な集中力を発揮し、一瞬のうちにトランス(エクスタシー)状態に入ってしまいます。トランス状態に入り込んでも、冷静さ、明晰さは常に保っています。右手だけで弾ける時は、空いた左手を振り回し指揮をします。右手が空けば、右手です。子供時代から常に歌いながらピアノを弾いていたので、大人になってもこの習性が抜けず、ピアノを弾くと、無意識にハミングしてしまいます。このため、彼の演奏には鼻歌が演奏とともに録音されています。


売り物の録音にはハミングが邪魔なプロデューサーが、スタジオに第二次世界大戦で実際に使われた毒マスクを持ってきて、ハミングが録音されないよう『これを被って演奏したら?!』と半ば本気で言っています。


かたやオーケストラとの共演では、オーケストラが全奏(トッティ)している間、週刊誌を見ている若い時代のGGの衝撃的な写真があります。


SMAPの木村拓哉が、ドラマ「ロングバケーション」でピアニスト志望の役を演じた際にグールドを知り、女性向けの雑誌クレア(96年5月号)へ向けて次のように言っています。「友達が『えーっ、クラシックぅ?ピアノぉ?』って言ってる人にもスンナリ聴けるピアニストを教えてくれたんです。それがグレン・グールドのおっちゃん。あの人って、弾き方もバカにしてるみたいでしょ。猫背で、すごい姿勢も悪くて。それが、いいなあと。」いろんな評論家が様々にGGを評していますが、キムタクの発言が一番うまくGGを表しているでしょう。正統派クラシック音楽をずっと聴いていた人より、興味のなかった層に受け入れられやすいことは間違いないと思います。私もクラシックを聴いているというより、単に音楽を聴いていると思っているだけです。


以下は、実際の曲を集めたYOUTUBEのリンクです。普段クラシックを聴かない人、GGを知らない人でも楽しめる曲を集めてみました。こうしてみるとGGの演奏がYOUTUBEにはいっぱい網羅されていて驚きます。


最初は、ベートーベンンのピアノソナタ「月光」です。非常に有名な曲ですので、どなたもよくご存じだと思います。普通のピアニストは、心の中の激情を秘めながらも、その激情が時々表に出るように、この曲の第1楽章を弾きます。ところが、彼の演奏は、曲のリズムを一定に保ち抑揚を抑えているので、その激情をさらにもっと心の奥底に隠したように、潔癖な感じがします。(YOUTUBEで“Gould moonlight”と検索しても出てきます。)


https://www.youtube.com/watch?v=HoP4lK1drrA

次は、バッハの「マルチェロの主題による協奏曲BWV974」です。協奏曲という名前がついていますが、ピアノ独奏曲です。原曲がバッハではないので、当然バッハらしくないですが、非常に美しく聴きやすい魅力あふれる曲です。第2楽章のアダージョをリンクしていますが、第1楽章、第3楽章と合わせた全曲通しても楽しめます。(YOUTUBEで“Gould 974”と検索しても出てきます。


https://www.youtube.com/watch?v=C2zix8yTY_Y

次は、バッハの「イタリア協奏曲」です。これもバッハらしくなく、軽快、華麗です。気持ちいいです。リンクは最初の1楽章だけですが、2楽章、3楽章は雰囲気が変わり、3楽章は疾走し、GGのテクニック全開でこれまたとても楽しいです。是非聴いてください。(YOUTUBEで“Gould Italia”と検索しても出てきます。

https://www.youtube.com/watch?v=sq1TPi4aJWc

最後は、私がベストだと思っている曲です。バッハの「フーガの技法」の最終曲です。バッハはこの曲を完成せずに死亡しましたので、絶筆です。曲の途中で突然終わるのですが、それでもベストです。おとなしい曲ですので、この曲だけ聴くとちょっと物足りないかもしれません。そのかわり、このリンクはGGが弾いている映像が流れますので、ハミングや体の旋回、低い椅子、エクスタシーの様子がよく分かります。(YOUTUBEで“Gould Art of fugue”と検索しても出てきます。

https://www.youtube.com/watch?v=iDSAXtsDB5k

つづく