前回「グールドとジュリアード弦楽四重奏団は、なぜ《亀裂》を生じたのか?」を書いた。一部間違ったことを書いてしまった。また、新たに分かったこともあるので、書いてみようと思う。下がその記事である。
グレン・グールドが、ジュリアード弦楽四重奏団とシューマンのピアノ四重奏曲で共演した際に亀裂が入った経緯について、ピーター・F・オストウォルド(1928-1996)が、「グレン・グールド伝 天才の悲劇とエクスタシー」で詳しく書いていた。このピーター・F・オストウォルドは、プロ並みの腕前を持つヴァイオリニストで、精神科医である。知り合った当初、コンサート終了後などに、個人的にセッションを楽しんでいた。
親爺は、グールドがジュリアードと録音した後、仲違いして、その後バーンスタインと共演したと書いた。しかし正しくは、この曲は、ジュリアードが3つあるシューマンの弦楽四重奏曲を録音した後、バーンスタインとの5重奏曲を録音し、コロンビア・レコード(CBS☜間違い)が残る4重奏曲を他のピアニストとの共演で録ろうとし、グールドが選ばれ、ジュリアード側が「彼がやりたいのだったら、やっても良いですよと答えた。」という経緯だと書かれている。
実際に、「リハーサルはもめた。このピアノ四重奏曲は「交響曲的」(シンフォニック)な様式で演奏するべきだという見解をグレンが譲らなかったからである。」とある。
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具体的にその部分の記述を抜き出す。マン(Robert Mann 1920-2007)と言うのは、ジュリアード弦楽四重奏団創立時の第一ヴァイオリニストである。
オストウォルド 「シューマンやロマン派にかなり懐疑的であったにもかかわらず、グールドがピアノ四重奏曲の録音に同意したのはなぜだと思われますか。」
マン 「音楽を捉えるときの、彼独特の倒錯した自己中心的な考え方にのっとって、どんな演奏が可能なのか、実際に試みてみる甲斐があると考えたのです。」
さらに、マンは答えている。「奇妙なクリスマスカンタータのような《フーガを書いてごらんなさい》と自作の弦楽四重奏曲もわれわれに録ってもらいたがって、うるさかったですよ。」ともいう。
この演奏は、1969年11月に発売されたのだが、その前の8月10日にCBC(カナダの公共放送)のラジオ放送「グレン・グールドの芸術」でこの曲を流した後、グールドはこう説いた。
「古典派時代の弦楽四重奏曲と交響曲の違いは ー いや、ロマン派時代でもそうでしょう ー 純粋にテクスチュア[1]の問題であって、決して形式的な問題ではありません。ですから室内楽を礼賛し、そこにこまごまと神秘的解釈をする立場はとりません。独り善がりの献身的な演奏も、名人芸を披露したいという野心を斥けた無私無欲の自制的な演奏も、室内楽をうまく演奏するには通用しないと思います。・・・」
「私自身の演奏は、交響楽的になり過ぎたし、情け容赦なくアップテンポで進んでいくものだったと述べなくてはならないようです。・・・」
「セッションが終わるまで、みんな何も言葉を交わしませんでした。実に幼稚でした。でもそんな形だったのです。」
[1]テクスチュア 楽曲の全体的な響き、質感、感触
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このグールドとジュリアードのやり取りを見ていると、一向にグールドが上という感じはなく、ジュリアードが上から目線で話をしている。とくに『音楽を捉えるときの、彼独特の倒錯した自己中心的な考え方にのっとって、どんな演奏が可能なのか、実際に試みてみる甲斐があると考えた』という発言は、なかなか強烈である。
そこで、クラシック音楽の世界のことに詳しくないない親爺は、ここで交響曲と室内楽の違いについて調べてみた。

http://uramachblog.sblo.jp/article/46884842.html ☜ 「うらマッハのブログ」さんを引用させてもらいました。
これを読んで交響曲(管弦楽)と室内楽では随分違うんだなと初めて親爺は知った。まず第一は、弦楽器が楽譜を共有するかという点。つまり、管弦楽では複数の奏者が「第1ヴァイオリン群」の楽譜を共有するが、室内楽では1人ずつパート譜がある。管弦楽では大勢で合奏、室内楽では一人一人が親方ですね。また、二つはジャンルがそもそも違うと書かれている。交響曲(管弦楽)は大衆性が強く、人を感動させるのに向いた音楽、一方、室内楽は技巧の追及に向いたジャンルで、趣味的というかオタク的?と書かれている。非常にわかりやすく書かれています。
グールドは、イギリスのクラシック・テレビ番組制作者で、プロデューサーのハンフリー・バートン相手に1966年に「協奏曲は主役が目立てばよいというものではありません。」「われわれは二元論的な考え方を過大に弄んでしまう。オーケストラとソロイスト、個人と大衆、男らしい行動と女らしい行動・・・。これは大変な誤りですよ。」と語っている。このシューマンの曲も同じ考えだったんでしょうね。








