経済学者も国債買入に日銀当座預金が使われると理解していない 国債を応札しているのは外国企業だ 《森永卓郎×土居丈朗「財政均衡主義」はカルトか》の論争から

東スポの記事から(安藤裕さんの説明をお聞きします。)

1.経済学者にはどんな流派があるか

親爺が理解している経済学の流派はこんな感じである。

ヘリコプターマネーの思考実験で経済の拡大を提唱したミルトン・フリードマンを源流とし、新自由主義を旗印にするのが、新古典派といわれる《主流派経済学者》である。主流派ではないが、他の流派にはケインズの流れを汲む《ポストケインジアン》と、アベノミクスを裏でささえた金融政策を重視する《リフレ派》もほぼ主流派といっていいだろう。最近は、行動経済学という名前もよく聞く。最後が、管理通貨制度へ変わることで、通貨発行(信用創造)のパラダイムが変わったという《MMT派》(現代貨幣理論)である。

MMTは、債権・債務を発生させない通貨の所有権移転はないと考える。よって、ヘリコプターマネーはできないという立場である。もし本当にヘリコプターからお金を撒いたら、撒いた人に損失が発生し、拾った人には利益が発生する。損失は資産を取り崩して埋めたり、処理する必要がある。言い換えると、ヘリマネは、サステナブルではない。

経済学は、もともと学者の数だけ経済学があるともいわれ、混とんとしていると言えるかもしれない。

2.主流派経済学者は、国債の購入が『日銀当座預金』を使って行われることを理解していない。

ここずっと30年にわたる日本のデフレについて、財政拡大派と財政均衡派の意見が衝突し、まったく噛み合わない。このブログに登場しないが、新型コロナウイルス感染症対策分科会メンバーを務めた主流派経済学者の代表格の小林慶一郎さんも、「『オオカミ少年』とずっと言われてきたが、それでも政府債務膨張への警告を発することを止めない。」とおっしゃる。こうした主流派の経済学者たちは、国債発行残高が増えると、国債価格の暴落や金利の暴騰が起こるとなぜ危惧するのか、その理由を親爺も述べたい。

今回は、下の記事をとりあげた。雑誌、東洋経済にのった森永卓郎さんと土居丈朗さんの討論記事である。森永さんが『ザイム真理教』を発刊し、やはり主流派経済学者の代表格の土居さんと議論されている。

https://toyokeizai.net/articles/-/721495?page=3  ☜ こちら記事のリンク


この主流派の経済学者たちの間違った主張が、次の土居さんの発言に端的に表れている。

  • 「(過去に)財政赤字を出しても、日銀が国債を買えたので国債暴落が起きなかっただけだ。しかし今後はインフレが起きうる状況となっており、これまでと同様にはいかない。日銀も国債をずっと持ち続けることはできなくなる。物価高対策で、いずれは市中に事実上売らざるをえない。・・・インフレ期に、日銀が国債を買って通貨供給を増やせば、インフレをあおることにならないか。」と言われている。

「日銀が国債を買えたので国債暴落が起きなかった」と土居さんはこうおっしゃるが、そもそも日銀が異次元の量的緩和で、日銀当座預金という通貨を生みだし、それを原資に市中銀行が国債を購入していることを理解していない。同じように、日銀が国債を市中銀行から買い入れる時にも、日銀当座預金を使って行う。(とうぜん、債権債務がやりとりされる。)くりかえすが、この原資である日銀当座預金は、日銀が通貨発行して生み出したものだ。そして、この日銀当座預金は日銀の行内だけでの取引であるから、市中に影響がない。ここのところを、主流派経済学者の土居さんは理解していない。市中銀行が新発債の国債を買い入れするときも同様である。

つまり、日銀が既発債である国債を市中銀行から買うのは、《日銀当座預金》という日本銀行の中でしか使われていない通貨で行われていることを理解していないから、市中の取引、マーケットの預金流通量を減らして、金利上昇が起こると考えている。

なお、市中銀行が新発債の国債を必ず買うのも、日銀当座預金である。主流派の経済学者たちは、市中で流通している通貨(個人や企業の預金)で、国債が消化(買い取り)されていると思っている。(これは、最後に述べる。)

これらの取引は、国民生活に影響しない。政府が発行する国債を買うのは市中銀行である。市中銀行は、日銀から通貨発行された資産である日銀当座預金(裏には《借入金》という負債を負っている。)を原資にして、国債を買い入れる。つまり、市中銀行が手にしている日銀当座預金という資産が、国債という資産に振りかわっただけだ。市中銀行は日銀当座預金を持っていても基本的に利子がつかないので、少しでも利子がつく国債を必ず購入する。このように、日銀と市中銀行のあいだで、お互いに日銀当座預金と国債の残高を増やしただけでは、市中、つまり国民生活に直接の影響はない。日銀のなかにある政府口座のお金を、政府が予算執行するまで市中、国民生活になにも影響はない。政府が予算を使ってはじめて、国民の財布は豊かになる。もちろん、民間企業が使っても国民(と政府)の財布は豊かになるのだが、今のデフレ状況では、民間企業にそれを期待できない。

つまり、誰か(政府か企業のどちらか)が負債を負わないと、国民(消費者)の財布は豊かにならない。高度成長期は、企業が莫大な借金を抱えて経済のパイが成長したから、政府支出を増やさずとも、国民の財布は豊かだった。いま企業も政府も負債を負うことをしなかったら、国民の財布は空っぽなままだ。

主流派経済学者の財政均衡を主張する理由のほとんどは、国債がどんどん増発されると、やがて引き受け手が無くなり、国債価格の低下をもたらし金利が上昇し、ついにコントロールできなくなるというものだ。土居さんが、『日銀も国債をずっと持ち続けることはできなくなる。物価高対策で、いずれは市中に事実上売らざるをえない』と言うのは意味不明だが、もし日銀の持っている国債を売って、政府の予算執行に使う日が来るというのであれば、バカかといいたい。通貨を発行しているのは日銀だぞといいたい。 

黒田日銀の異次元の量的緩和(QE)を、何年も続け、日本は、特段の弊害を生じることなく、国債価格も金利も日銀はコントロールできた。成長できなかった理由は、量的緩和の失敗ではなく、財政支出が足りなかったのが明らかだ。欧米諸国は、日本の量的緩和を見て、何の悪影響もなかったと分かって、このコロナの時に追随した。欧米は、量的緩和をするだけでなく、財政支出も急拡大させた。(やりすぎて、烈しいインフレになったが・・。)

下の動画で、前衆議院議員で公認会計士の安藤裕さんが解説をされている。5分15秒のところを、ぜひ見てください。「日銀が国債を買っても市中にお金は回りませんから」「日銀当座預金が積みあがるだけで、日銀当座預金は一般の人が手に入れることができないお金なので、市中の通貨供給量は増えないんです」と言われている。

主流派経済学者の皆様、お願いします。なんとか考えを改めてください。あなた方と財務省の考えが、30年間、日本中を席巻しているから、マスコミもあなた方に忖度し、国民の大多数が、日本は借金で首が回らないと思っています。日銀がやっている実務を見てください!!

冒頭にも写真を掲げた安藤裕さんは、自民党時代に積極財政を訴えていたが、不倫報道があり再出馬を断念された。現在は、YOUTUBEに積極財政の動画を上げ、財政拡大を訴えるため「赤字黒字」というコンビで、漫才師の登竜門であるM1グランプリにも出場されている。

3.国債はどのようなプロセスで発行され、保有されているか

親爺は、以前実際に国債を買っていた時期があった。それでは国債は市中のお金を使って買われているのだろうか? その答えは、ごくごく一部にあるという答えになる。

下がの図が国債を誰が保有しているかというチャートだ。これを見ると、日銀当座預金を使える立場にある、日本銀行、市中銀行、証券会社等の割合は、58.8%である。保険・年金基金と公的年金を足すと23.74%になる。両方足すと82.54%になる。ここにある保険・年金基金と公的年金は、事業の性格上、顧客から得た資金の運用にリスクの最も少ない運用先として国債を選んでいると考えられる。ネットで見ると、これら法人は、証券や銀行などの日銀に口座のある金融機関から購入しているようだ。

つまり、日銀当座預金で国債を購入できる市中銀行(市中銀行と証券会社等)が、国債を引き受け、市中に売っている。それらを買うのは、保険、年金基金、公的年金など消費者保護のために法律で資金運用に制限がある法人である。日本国債は利率も、銀行の定期預金と同じほど現状は低いので、大した魅力はない。つまり、金融機関や保険、年金を扱う会社にとって、国債は安全で、現金で持つよりは、少しは金利が付くから選択されているにすぎない。

外人が13.14%保有しているのだが、昨年あたり、日本国債をカラ売りして暴落したところで買い戻して大儲けしようとしていた外国ファンドの存在が報道された。これは、過去ずっとこのような馬鹿な外国ファンド「未亡人製造機」がいるのが不思議なのだが、変動相場制度を採用しており自国通貨で国債を刷れる国相手にやっても無駄だということが分かっていないとしか思えない。(ジョージ・ソロスが、固定相場を守ろうとする英国相手に、国債のカラ売りをして大儲けしたことがある。)現在は、諸外国の金利がずっと高いので、日本国債は安全だという以外に投資先として魅力がない。

4.なんと!!日本国債の入札参加社の半数以上が外国企業だ!!

ここで親爺は、国債の発行プロセスを調べながら、違うことを知ってしまい驚いた。日銀当座預金を使って日本国債を買っている金融機関の多数が外国企業になっている!!

下の表は、財務省が国債発行の際の手続きを改めた平成16年の「国債市場特別参加者の指定等について」で、国債入札への応札・落札等に関する一定の責任を果たす者を「国債市場特別参加者」として指定した者のリストだ。

こんなことでいいの?外国企業がこんなところで儲けているのよ!!

おしまい

信用創造(通貨発行)の仕組みを全然理解していない 日本の主流派経済学者、小林慶一郎氏

新型コロナの政府諮問委員会の委員でもある日本の主流派経済学者の小林慶一郎氏が評論家の加谷珪一と、文芸春秋の「MMTは理論的に破綻している?」というタイトルで、YOUTUBEで対談されている。 小林慶一郎氏は「オオカミ少年と言われても毎年1冊は財政危機の本を出していくつもりです」と、自分の経済予測が的中してこなかったことを自虐的に日経新聞に語る正直な経済学者である。

小林慶一郎氏 コロナの政府諮問委員会委員 東京財団政策研究所研究主幹/慶應義塾大学客員教授

この番組はMMTの理論がどのように正しくないのかを考察する内容である。しかし、あまりにも誤解されている。ちゃんとMMTを理解しないで、批判している。 こんなにちゃんとMMTを理解しないで偉い学者の先生がしゃべっているかと思うと情けなくなってくる。 あんたら主流派の経済学者が、MMTを知りもしないで批判するから、いつまでたっても財政支出が増えず、日本は世界で一番成長できず先進国から途上国に転落しそうなところまでなっている。この責任がどれだけ重いか肝に銘じながら、発言をしてもらいたいところだ。

是非、小林慶一郎氏、(他の主流派の経済学者のみなさんも)エゴサーチするなりしてこの親父の説明に耳を傾けてくれ。


テーマは、《ハイパーインフレは絶対に起きない!?『MMT』を検証する》となっている。

冒頭の部分でMC役の加谷氏から、MMT理論にどのような印象をお持ちでしょうかと問われて、小林氏はこう答える。

「MMTはテクニカルに正しいところもある。貨幣を発行して、政府が債務を発行したらそれは誰が持つことになるのかと言う様なことを、バランスシートの行き先が誰になるのかということを説明していることは決して間違いではないですが、ただ、その結果として、一般の物価水準にどういう影響を与えるだろうかという経済理論の部分はあまり考えられていないような印象ですね。表面的な数字のやり取りだけを考えているという印象をもちましたですね。」

これを親父が聞いて思った。この小林先生、簿記のことをまったく勉強することなくしゃべっている。これでは、ふわーとした感想にしかすぎない。とらえどころがないので、反論のしようがない。また、物価水準にどういう影響を与えるかということは、供給力の範囲内で、通貨発行してもインフレにならないとMMTは通貨発行とは別のところで語っている。 もし、親父ならこう言う。

「MMTの通貨発行理論は正しい。日銀が日銀の中にあるA市中銀行の日銀当座預金口座に対し、100億円という通貨発行(信用創造)をするという取引を考えると、日銀は、100億円の「貸付金」という「資産」と、同額の「日銀当座預金」という「負債」を持つ。A市中銀行は、100億円の「日銀当座預金」という「資産」と、同額の「借入金」という「負債」をもつ。つまり、通貨発行と言いながら、A銀行に対し、100億円をくれてやるのではなく、A銀行は、日銀に返済の義務がある。ただし、この段階では、A銀行にベースマネーである「日銀当座預金」が《ブタ積み》になっている状態に過ぎない。 つぎに、政府が「国債」を100億円発行しするケースを考えると、A銀行は、「日銀当座預金」を使って「国債」を購入する。政府の国債発行の消化はこのように「日銀当座預金」を使って行われる。このため、市中の通貨の流通量、マネーストックには影響を及ぼさない。したがって、金利が上がるクラウディングアウトはない。 なお、変動相場制で自国建て通貨による国債発行は、供給力の範囲であればインフレを引き起こさない。むしろ、国債発行による財政支出が不足すると、日本のようなデフレをひき起こす。」

MCの加屋氏が、主流派の経済学の教科書は、信用創造を説明する際に本源預金のうち、流動性を準備率を10%とすれば、残りの額を貸し付けることで10倍の乗数効果が働くと説明されるとしたうえで、再び小林氏にコメントを求めた。小林氏はこう答えている。

「ぼくは実は説明の仕方を変えただけで、MMTが言っている信用創造のメカニズムと普通の経済学の教科書に書いてあるメカニズムと本質的には実はそんなに違いはないと思っています。 手順が違うだけです。普通の教科書に書いてあるように、銀行が預金をまず預かって集めました。貸し出します。それがまた返ってくる。ということの繰り返しでマネーが創造されていくことなんですけど。 MMTが言っている信用通貨論はまず銀行が貸し出しをします。貸し出しをすると貸し出したお金を、企業の預金口座に記帳すると。それは全然、現金は入ってない訳ですよね。単に貸し出しが100万円、その企業の預金口座に100万円入金したと記帳されるだけ。それがいくらでも増やせるじゃないか、とおっしゃるんですが、ただ最後には何が起きるかというと貸した企業の預金口座から企業が現金を引き出すかも知れない。現金を何らかの形で用意しなければならないということは同じなんですよね。だから結局、信用乗数が10倍位だとすると預金1万円に対し、10万円の信用創造ができるということは、結果として預金を集めて貸し出すというやり方であっても、先に貸し出しがあってその後支払いの準備に1万円を調達するというやり方であっても、結果として起きている信用創造は同じなんです。 だから、信用創造の仕方が違うというだけであって、言っている内容は、本質的な革命的な違いはある訳ではない、という風に理解した方がいいと思いますね。」

これはまったくMMT理論を正しく理解されていない。根本的に《金本位制度》の時代の説明が変わっていない。今は、通貨発行に際し、《金》の保有高という制約はない。小林氏は、順番を変えたら同じだと言うのだが、ここまでMMTを理解しないで批判するとは、無責任極まりないと親父は思う。 まず、信用創造には2種類ある。1つ目は、日銀が日銀の中で、日銀当座預金を市中銀行をあてにする信用創造がある。2つ目は、市中銀行が国民や企業に対し、貸付実行による信用創造をする。 なお、日銀の中にある日銀当座預金は、市中の流通通貨の決済には用いられない。日々の日銀・市中銀行間の決済、現金の融通、準備預金に使われる。小林氏は、現金を要求されたら、準備金を現金で用意する必要性を言われているが、この必要な現金は、日銀当座預金残高を使って、市中銀行は調達できる。 また、マネーが乗数効果で増えるみたいな言い方をされているが、当然ながら銀行の通貨発行は、借り手に与信力があるとき、かつ、借り手が借金をしようとするときにしか、マネーは生み出されない。日本のようなデフレの状態では、多くの企業や個人は借り手になろうとしない。なお、準備預金制度は、異次元の量的緩和により、日銀当座預金残高が何百兆円と莫大になり有名無実化している。 親父なら、こう言うだろう。

経済学の教科書に書いてある信用創造とMMTの信用創造はまったく違います。教科書に書いてあるメカニズムで、どの国も通貨発行していません。MMTは、現実に行われている取引を説明しているだけです。中央銀行の通貨発行は、「貸付金」という資産を得ると同時に、「通貨(=日銀当座預金)」という負債を抱えることと、中央銀行の中に口座を持つ市中の金融機関は、発行された「通貨(=日銀当座預金)」という資産と「借入金」という負債を抱えることが、同時に起こる取引である。 同じように、市中の金融機関は、取引相手の企業や個人の与信力を判定し、返済能力があると判断すれば、通貨発行(信用創造)できる。政府と市中の金融機関との関係と同様に、貸し手である市中の金融機関は、「貸付金」という資産を得ると同時に、「銀行預金」という負債を抱えることと、取引相手の企業や個人は、発行された「銀行預金」という資産と「借入金」という負債を抱える取引を同時におこなう。 政府と市中の金融機関の間で使われる「日銀当座預金」は、日銀のフリーハンドで増やし減らしたりできる。これに対し、市中の金融機関と取引相手である企業や個人との信用創造で生み出された預金は、返済されるとこの世界から消える。また、債権債務は、義務を伴うので、返済が滞ると、金融機関が返済の肩代わりをする必要がある。」

うっかりする人がいるかもしれませんが、「預金」は、普通は資産科目ですが、銀行にとっては立場が逆なので負債科目になります。

また、この動画は全編を見ようとすると有料のようでした。親父はお金を払っていませんので、無料で見れる20分ほどの範囲でこのブログを書いています。

おしまい

リフレ派の間違い 浜田宏一氏、黒田日銀総裁など

ELLEから 真ん中がオカシオ・コルテス

主は、安倍政権の登場以来ずっとリフレ派といわれる経済学者を支持して、ブログを書いたりしてきたのだが、いつまでたっても一向に景気が回復せず、今年、MMT(Modern Monetary Theory=現代貨幣理論です。)を知って、リフレ派のどこが間違っていたのかがようやく分かるようになった。

主流派経済学者の中にリフレ派といわれるグループがあり、浜田宏一さん、若田部昌澄さん、安達誠司さんなどがおり、黒田日銀総裁もその中に入れて間違いがないだろう。

彼らは、量的緩和による金融政策で、市中に通貨を大量に供給し、金利を下げることで経済を刺激することでデフレを脱出しようと考える人たちである。具体的には、銀行などの民間が保有する国債を日銀が大量に買い取り、通貨を市中に供給すれば、投資に回りやすいだろうというのが目論見である。

しかし、このリフレ派の量的緩和は、リフレ派以外の主流派経済学者から、この方策はカンフル注射見たいものなので、いつまでもやるべきでない、出口戦略を練るべきだと当初から評判が悪かった。

ここで注意したいのは、このリフレ派、リフレ派以外のどちらも、新自由主義、新古典派と言われる主流派の経済学者である。(詳しくは書かないが、グローバリズム、自由貿易、小さな政府などが理論の中心になります。)

一方、非主流派(だが、正しい!)のMMTは、主流派経済学と貨幣観のところが全く違う。

主流派経済学の貨幣観は、昔、希少な貝殻を貨幣の代わりに使っていたことを起源とし、やがてアメリカで金本位制が導入されたように、貨幣は「金」との交換を約束する証書であり、政府は「金」がなければ貨幣を発行できなかった。大戦後、「金」と交換しない不換紙幣、管理通貨制度(政府の裁量で通貨が発行できる)の時代になるのだが、主流派は、従来の貨幣観をアップデートしなかった。ここに間違いがある。

つまり、MMTは、現代の主権国家(変動相場制のものとで自国通貨建てで国債を発行できる。)である、日本、アメリカ、イギリスなどは、インフレにならない限り国債を、いくらでも発行可能だという。

そして、発行した国債を元手に政府がお金を手にして、民間企業や国民に公共事業や年金給付などでお金を使うと、企業や国民の資産が増える。

また、通貨のうちの1万円などの紙幣は、2割程度の流通量にすぎず、残り8割は銀行預金なのだが、この銀行預金は、いくらでも元手なしに銀行が発行できる。すなわち、ソフトバンクがみずほ銀行から1兆円融資を受けるとしよう。そのとき、みずほ銀行は、ソフトバンクの口座に、1兆円とデータを入力するだけである。それで、1兆円の通貨が増え、ソフトバンクが手にする。

こうして考えると、浜田宏一さんや黒田日銀総裁のやってきた(異次元の)量的緩和というのは、国債を銀行から買い集めただけで、売却代金を手にした銀行にとって、ほとんど運用先がない、借り手がいないブタ積みになっているだけなので、たいした効果がない。

このように書くと、「政府がいくらでも国債を発行できるなら、税金を取る必要がない」という意見が出るだろうが、① 政府が税金を取り納税の手段として認めることで、通貨を人々が求めるようになる効果と、② 景気の調整、不公平の是正の手段として、税金は非常に重要である。

しかし一方で、このようなバラ色のMMTが、なぜ世間で認知されないのかという問題がある。

このMMTの理論は難しいものではないし、経済に興味がある人には、雑誌でもYOUTUBEでも見る機会はいっぱいあり、財務省の役人も国会で追及されているので、十分に知っているはずだ。しかし、国債を財源に国民にお金をバラまいたり、消費税を廃止して景気が良くなったら、主流派経済学者や財務省、マスコミのメンツは丸つぶれだ。20年以上続いた不景気で、苦しい人生を歩んだ人は限りなく大勢いるだろう。

そんなところで「王様は裸だ!」とバラしても、権力者たちは簡単に認めるわけにはいかない。

ただし、世界中でコロナ禍で、各国政府が財政支出を拡大している現状がある。

日本も、第3次補正予算が議論にあがり、100兆円程度の支出になるかもしれない。これは、2年分の予算になる。バカなことを素面でいう池上彰氏や、小林慶一郎氏をはじめとする主流派経済学者のバカな連中が、コロナが終わったら増税だと言っているようだが、まず、自身の非を認めるか、発言を控えてもらいたい。まず、マインドチェンジが必要だ。この100兆円の支出を行っても、国債は暴落せず、金利も上昇しない、主流派が説明できない事態が続く。

アメリカでは、カマラ・ハリス(=医者と大学教授の娘、夫は弁護士で、けっこうエスタブリッシュ。)が、副大統領になる可能性があるが、もう一人人気のある下院議員オカシオ・コルテス(ブロンクス生まれ、本当の貧乏人育ち。)がおり、主は、バーニー・サンダースともどもこちらを好んでいる。オカシオ・コルテス、バーニー・サンダースともに、MMTをバックグラウンドにしている。

さらに白状すると、グローバリズムにたった一人で反対を唱えているトランプ大統領の支持者でもある。

アメリカ民主党の人気女性議員、ELLE : カマラ・ハリス&オカシオ・コルテスを徹底比較

おまけ

下が、MMTの重鎮、ニューヨーク州立大学ステファニー・ケルトン教授。オカシオ・コルテス、ステファニー・ケルトンと美人ぞろいで、ブログの趣旨が変わってしまったかな。

ステファニー・ケルトン WIKIPEDIAから

おしまい