バッハ《フーガの技法》第1曲 グールドだけが、アルトとソプラノを右手だけで弾きはじめる!

——- 2023/9/2 タイトルを変えました。——-

グールドは、フーガの技法をオルガンとピアノで演奏したものの2種類を残している。オルガンの方は1962年5月に、この曲の前半半分(1番~9番)をコロンビアレコードから出した。ピアノの方は、グールドの死後である1997年に抜粋(1番、2、4、9、11、,13、14番=未完の終曲)が出されてているが、この2種類の演奏は、趣がまったく違っている。

ソニーの正規録音(発売時はコロンビアレコードだった。)で発売されているのは、オルガンの方で、ピアノの方は、死後に発売された《バッハ・コレクション》のCD34にフーガの技法(抜粋)とユーディ・メニューインとバッハのヴァイオリンソナタ第4番を入れたものや、オルガン版のフーガの技法とピアノ版のフーガの技法を入れたものがある。また、《坂本龍一セレクション》は、さすがに良い曲は網羅されており、オルガン版の演奏はなく、ピアノの第1曲と、未完の終曲の2曲がが収められている。

このオルガンとピアノの違いをさっくり書くと、オルガンは速い速度であっさり弾いている。グールドの友人のジョン・ベックウィズは、この演奏を「車のクラクションで『ゴッド・セイブ・ザ・クイーン』を鳴らす訓練されたアザラシのようなイメージだ」だと評したという。実際に車のクラクションで演奏したYOUTUBEを見つけたので、リンクしてみる。残念ながら、アザラシではなく、人間がホーンを鳴らしていますが。

他方、ピアノの演奏の方は、抑制的で、神秘的、深遠で、静謐、鎮魂的な雰囲気がたっぷりある。

このあたりのことは、親父のブログでも前に書いていたのでよかったら見てください。

前のブログで、いろいろなピアニストによるフーガの技法の演奏が、上の楽譜のとおり、アルトで始まりソプラノが入ってくる第4小節までどのように弾いているのか比べてみた。そうしたところ、グールドだけが、アルトとソプラノを右手1本で弾き、左手で指揮をしながら、バスが入ってくる第9小節まで左手を使っていない。

ブログで書いた福間洸太朗さんをはじめ、他のピアニストは、左手でアルトを弾き、4小節目のソプラノから右手で弾く人が多いようだ。前のブログには書かなかったが、アルトを右手で弾き、ソプラノがは入ってくると、手を持ち替えてソプラノをやはり右手で弾き、アルトを左手で弾く演奏者もおられるようだ。

こうしてみると、グールド以外の演奏者は、二つの声部を片手で弾かず、できるだけ両方の手を使い、とくに浮き立たせたいメロディーは右手で弾きたいように見受けられる。

ところで、逆にフーガの技法を、4手(二人の連弾)で弾かれている演奏を見つけました。この曲は、J.Cegledyという人によってアレンジされているようですが、エンディングのところなど、なかなか迫力があってデモーニッシュで、とても良い演奏だと思います。途中も、オクターブ上のメロディを足したり、かなり音数を増やしたように編曲されているように感じました。

さらにグールドおたくの親爺に言わせれば、グールドの演奏だけが、全体として、異常に思えるほど遅い。みなさん、基本的にさっさか、すたすた演奏するように思われる。遅い演奏をすることで、一音一音の意味が際立ってくるし、また、声部ごとの音量を強調したり、抑えたり、スタッカートで弾いたり、レガートで弾いたりすることで、独特の世界が見えてくる気がします。

また、このフーガの技法のテーマである第1曲で、グールドは他の演奏家が決してやらないことをやっています。最後の部分で、2度、全休止があるのですが、グールドは異常に長い休止をしています。ステレオが壊れたかと思うほどの長さです。こんな演奏をする人は他にいません。

あくまで親爺の意見に過ぎないのですが、音楽家という人種は、一般に『楽天家過ぎる!』と思っています。この弦楽四重奏やある程度の人数による弦楽合奏などの「フーガの技法」の演奏は、どの演奏家も、頑張って大きな音を出そうとしすぎ、存在を控えたり、消さなすぎだと思っています。ずっと、どの楽器も自分の務めを精一杯果たそうと、楽譜に書かれた音を出そうとするので音量を抑えられない。つまるところ、元気で明るい似たような曲ばかりができる。・・・と思います。

グールドと比べてみてください。(こちらのフーガの技法、あいにくちょっと録音の質がどうなんでしょう。)

このバッハの曲、とてもいい曲です、どの方の演奏を聴いても良い。飽きるということが決してありません。

おしまい

グレン・グールド 二つのフーガの技法

グレン・グールド(1932-1982)は、J.S.バッハ(1685-1750)のフーガの技法をオルガンとピアノの両方で録音している。この曲は、4段のオープンスコアで書かれており、楽器の指定がないために当時あったハープシコードだけではなく、弦楽四重奏をはじめ、オーケストラや金管楽器でさえも演奏されている。アンサンブルではどの演奏者も目の前の楽譜の音を出す義務を果たそうとし、自己主張を捨て去ることがないので、結果として平板な演奏になりがちだなと主は思っている。

グレン・グールドがこの曲を録音した時期は、オルガンが1962年(コントラプンクトゥス(=フーガ)第1番-第9番)、ピアノが1967年(第9、11、13番)と1981年(同第1、2、4、14番)である。あいにく、どちらも全曲を録音しているのではないが、どちらも十分に聴きごたえがある。というか、グールドが愛したバッハの中で最も評価していた曲であり、両方とも他の演奏者の追随を許さず、傑出している。その二つの楽器によるグールドの演奏だが、オルガンとピアノではイメージが180度違う。

まず、オルガンの方は、速いテンポで弾きとおし非常に聴きやすい。また、オルガンは鍵盤を抑えている間は同じ強さの音が継続する楽器であり、音価(音符の長さ)一杯にレガートで演奏するのが一般的なのだが、グールドはデタシェ(ノンレガート、スタッカート)を基調で始め、終盤の山場に差し掛かるにつれてレガートな奏法も使うことで迫力を出している。オルガン曲といえば、バッハの「トッカータとフーガニ短調」を思い浮かべる人が多いだろう。高音部のメロディーで始まり、轟々と鳴り響く低音のペダルの音で圧倒する。そうした演奏とはあまりにかけ離れているので、グールドの1967年のレコードが発売された時は非難轟々だったらしいが、オルガン演奏のスタイルを覆し、曲全体の良さに感動する。グールドは、どの部分部分を聴いても常に良いのだが、全体を聴いた時に違った発見があるように、楽しめる演奏をする。グールドのこのオルガンの演奏は、第1曲から第9曲まで(終曲は第14番で未完である)なのだが、第9曲にここまでの総決算のような趣があり、クライマックスを迎え全曲を聴きとおしたかのような満足感が得られる。

ピアノの方は逆に、非常に遅い。それも他のアンサンブルやアーティストより圧倒的に遅い。グールドより遅い演奏はおそらくないだろう。遅く演奏することは、テンポを保つことが困難になるため早く演奏するより難しい。グールドはそれができる。それだけ遅く演奏すること、また複数の旋律のうち強調するものを入れ替え、レガートとデタシェの両方で歌わせることで、悠久感というか宇宙の広がりのようなものを感じる。特に未完で終わる終曲の第14番は、3つのパートからなるのだが、パートごとに雰囲気が変わり、天上のメロディーともいえる美しいメロディーが出て来たり、倦むことがない。スコアの上で和音になっていても、同時に鳴らすことはまずない。目立たせたい音をわずかに早く弾き、他の音をずらして弾き、なおかつ、レガートで弾くメロディーとデタシェで弾くメロディーを区別しながら線が繋がっていく。

グールドが1963年にディヴィッド・ジョンソンとの対談で次のように語っている。「・・・ピアノでは、ある特定の声部のうちでは絶対的であるにもかかわらず、しかもなお同じ型のデュナーミク(音量の強弱表現)に一致しないといった、そういう関連性によって思考することができるからです。いい換えれば、ソプラノにある一連の動機をしかじかの強さで演奏し、アルトにある別の動機を、ある小節ではソプラノより3分の1だけ少ない強さにして、ソプラノを支えるためにその下に滑り込ませ、次の小節ではその逆をやる、といったことができるわけです。・・・」

人間の指は10本しかない。しかしながら、その10本の指でグールドは4つの旋律を弾き分ける。強さ、長さを区別して4種類の旋律を弾き分ける。

下のYOUTUBEのフーガの技法第1曲(楽譜は最後にある)を見ていて発見したのだが、アルトから始まり5小節目にソプラノが入ってくる。これをグールドは右手一本で弾き、左手はバスが入ってくる9小節目から弾き始める。右手だけで弾いている8小節の間は、いつものように左手は指揮をしている。

これに対して、次のリンクである福間洸太朗の演奏ではアルトで始まる最初の部分を左手で弾き始め、ソプラノが入ってくる5小節目に早くも右手を使い始める。

もちろん、福間洸太朗の演奏も非常にうまいのだが、この曲に限らず進行するにつれて複雑になる。その時、グールドのように片手で二つの旋律を同時に引き分けることができるというのは並大抵なことではない。というか、こんな演奏家は他にいない。

最後にグールドのモットーというかキャッチフレーズ、彼の芸術観を書きたい。「・・・・芸術の目的は、神経を興奮させるアドレナリンを瞬間的に射出させることではなく、むしろ、少しづつ、一生をかけて、わくわくする驚きと落ち着いた静けさの心的状態を構築していくことです」- この「わくわくする驚きと落ち着いた静けさ」は英語の “wonder and serenity” から来ているのだが、一生の目標が単に “serenity” だけでなく”wonder”を伴っているところが、実にグールドらしい。

おしまい

Glenn Gould-J.S. Bach-The Art of Fugue (HD) 広告の音量に注意!

バッハ/フーガの技法 コントラプンクトゥス1・2/演奏:福間 洸太朗

フーガの技法 第1曲