われわれは、もっと豊かに暮らせるはずだ!! 通貨発行は普通の商取引だ。国債は返済する必要がない。

はじめに

「無から有を生み出す」というような形容をすることのある通貨発行(信用創造)ですが、おそらく多くの人に理解されていないと思います。というのは、日銀(または政府)がお金を発行(印刷)しても問題ないと言うと、「そんな夢みたいなことがあるわけない!わたしは信用しない。」「トンデモない!ウソを言うな!」と返されるのがオチだからです。

日本銀行(ダイヤモンド・オンラインから)

では、世間の誤解がどのようなものかを説明するために、まず、《通貨》(お金)がどのような仕組みで発行されているか、生み出されているかについて説明することからはじめます。

1.2種類の通貨発行(信用創造)

通貨発行には2種類あります。上の図のように日銀が銀行(日銀に口座をもつ市中の銀行などの金融機関をいいます。)に行うもの(黄色い円の部分です。)と、下の図にある銀行が家計や企業に行うものの2種類があります。最初が、日銀が三菱UFJ銀行に行うもので、次が、貴方が三菱UFJ銀行から住宅ローンを借りるのをイメージしてもらうと分かりやすいと思います。なお、『市中』という言葉がよく出てきますが、『世間』とか『世の中』、『マーケット』くらいの意味で使っています。

ちょっと難しい言葉になりますが、この2種類を《マネタリーベース》と《マネーストック》というのですが、マネタリーベースは日本銀行の中で行われるものなので、我々国民は関与できません。

(1)日銀の通貨発行

まず、『日銀が市中の銀行に対する信用創造』(以下、通貨発行といいます。)するプロセスを説明します。

この通貨発行は、日銀による日銀の行内に口座を持つ銀行との取引です。日銀と三菱UFJ銀行とかです。もちろん、これは何の義務もなくタダで、銀行が通貨を手にするものではありません。日銀と銀行の間の賃貸借なので、見たことはないですが、最初に賃貸借の約定(契約書)を交わしているはずです。

簿記を知らない人でも理解できると思いますが、その契約書に基づき、日銀は相手の銀行との取引に、「貸付金」という資産と「日銀当座預金」という負債を入力します。相手の銀行側は「日銀当座預金」という資産と「借入金」という負債を入力し、お互いのコンピュータ上の残高を変更します。 これをもう少し詳しく説明します。まず、一般の方には馴染みのない「日銀当座預金」を説明します。商売をしていたり会計を担当している人なら「当座預金」は、よくご存じでしょう。事業用の決済のための口座で、手形や小切手の決済に使われ、金利がつかず、預金保護制度で全額が保護されています。この「日銀当座預金」は、日銀の行内に口座を持つ金融機関が、日銀や他の金融機関との間の決済に使う口座です。その性質は日銀の外(市中)で使われる「当座預金」と似た性格だと考えてよいと思います。

またこれも補足になりますが、銀行にとっての顧客に対するお金は、顧客の場合と立場が逆になります。つまり、家計や企業などと違って、日本銀行にとって「日銀当座預金」は、お金を貸し付けるのが日銀本来の業務であり、それは日銀が貸し出したお金は将来回収されなくてはならないので「負債」になります。つまり、日銀は銀行へ貸したお金をちゃんと返してもらわないとならない責任を社会に対して背負ったと、宣言したのと同義です。

借りる側の銀行にとっては、「日銀当座預金」は日銀が発行した負債であり、他人から受け取ったお金なので「資産」になります。しかし、そのお金は貰ったものでなく、借りたものですので、同時に「借入金」という負債にもなります。つまり、銀行のほうも返済義務を負ったわけです。

これら両方のセットが日銀の行内で行われる通貨発行です。繰り返しになりますが、この取引の意味は、日銀は銀行に「日銀当座預金」を貸し付けることで、権利を意味する「貸付金」という資産を得ます。銀行は「日銀当座預金」を借り、「日銀当座預金」を自由に使う権利と、「借入金」という負債の返済責任を負ったわけです。

ここで注意すべき点があります。まだこの段階では、企業、家計へお金が渡っていません。お金が生まれただけです。お金が国民に行き渡るためにはどうしなければならないかということは後ほど説明します。

(2)銀行の通貨発行

次に、『銀行が家計や企業に対する信用創造』をするプロセスを説明します。

通貨発行は、日銀の外すなわち市中でも起こり、むしろ、国民の生活により直結する性質のものです。銀行も、家計や企業に対し日銀と同じように通貨発行することが出来ます。三菱UFJ銀行から住宅ローンを借りると考えてもらえばいいです。この場合も、日銀と銀行の場合と同様、借用証書などの書面による契約が先です。コンピューターへの記帳は、先ほどの日銀の場合と同様で、銀行は「貸付金」という資産と「(普通)預金」という負債を入力します。銀行のお金を貸し出すという行為は、もし焦げ付いた場合に社会に対し経済的責任を取らないとならないので、「(普通)預金」の貸出しは負債になります。資金を借りた側は「(普通)預金」という資産を手にすると同時に自由に使う権利を手にし、「借入金」という借金返済の義務である負債を負います。

つまり、通貨発行というものの、日銀の場合も銀行の場合も、借り手との合意に基づきお金の貸し借りが行われ、貸した側は、利息を取りながら(日銀当座預金は利息が原則付きませんが・)、定められた期限で返済してもらう権利を有し(日銀当座預金はおそらく期限がないと思われますが・)、借りた側は、借りたお金を自由に使える代わりに、約定どおりに金利を払いながら返済する義務を負っています。 

「日銀と銀行」、「銀行と企業または家計」のどちらの通貨発行も、結局のところ、契約に基づく通常の商取引と同じです。債権債務が同時に発生し、リスクもありますが、家計や企業が手元にあるお金より大きなお金を動かすことで、金額に見合う大きな成功も得られます。(失敗することもあります。)そうした活動が社会を活性化します。ある意味、資本主義の仕組みともいえるでしょう。

2.日本が貧しくなった理由

次に、今日の日本がなぜ成長できていないかを考えます。成長できない理由は、答えを言えば《需要不足》が起こっているからです。上で説明した通貨発行をしたとはいうものの、国民の懐(ふところ)に届いている絶対額が足りていないのです。

ここで、「需要」を少し説明します。「需要」とは「有効需要」のことで、お金を持っている人が買いたいと思うことです。お金を持っていない人が買いたいと思うのは「需要」に入らず、「潜在需要」です。国民が、十分にお金を持っていないから満足にモノを買えない、生産者が作っても満足な値段で売れないということが起こっているのです。これが「需要」不足です。

日本は高度成長期を経てバブルが崩壊するまで、ざっくり言えば経済はうまく行っていました。ところが、政府はこの30年間経済政策を誤ってきたので、経済は低迷しました。どこで間違えたのかなるべく簡潔に書きたいと思います。

3.「国債は《借金》であり返さないとならない」というのは間違いである

(1)高度成長期は過ぎバブルは弾けた。では、誰が経済をけん引しないとならないのか。

戦後の高度成長期には、企業が莫大な借金をして投資をしました。すなわち、銀行が莫大な通貨発行(信用創造)した結果、家計にもそのおすそ分けが十分に行っていました。企業の設備投資のための銀行からの借り入れが巨額で経済成長できたので、家計にも潤沢にお金が回っていました。このために、政府は懐(ふところ)からお金を出す必要がなく、国債もほとんど発行する必要がありませんでした。

ところが、バブル崩壊とともに歯車が逆回転し、企業はお金を使わなくなりました。企業がお金を使わない、加えて政府もお金を使わないという状況になると、家計へいよいよお金が行かなくなったというのが現状です。企業が借金をしてバカバカ投資をする時代が終わった以上、企業が昔果たしていた役目を再び果たすときまで、政府が代わりを務めなければならないのです。

(2)日銀の狙いは外れた。このあとどうすればよいのか。

最初の説明のとおり、日銀が銀行と賃貸借契約を結び通貨発行することで、日銀当座預金を銀行に渡しました。ところが、銀行の日銀当座預金の口座の残高が増えたとはいえ、国民の口座は増えていなません。お金が行き渡るとは、企業や国民一人一人の口座が増えたり減ったりしないとなりません。

日銀は当初、次のように狙っていました。日銀当座預金を増やし、銀行が貸し出しを増やしやすい環境を作るとともに、金利を低い水準に誘導することで、民間企業がお金を借りやすい環境になることを期待していました。しかし、思惑に反して企業が一向に銀行から借金をして投資をしなくなったので、景気が良くならなかったのです。(同時に、家計へお金が行きませんでした。)

どうしたら国民に行き渡るかという点を次に説明したいと思います。結論をいいますと、政府が国債を発行して、国民にお金を使うしかありません。このプロセスをなるべく簡潔に説明します。

(3)税収は、景気の調整弁だ。国債は返済する必要がない。ただし、発行額には限度がある。

経済を考えるとき、政府、企業、家計、海外の4つに収支に分割して考えることが一般的です。日本の場合、海外は原油価格の高騰などで貿易収支が悪化しているというものの、過去の投資の配当・利子などによる所得収支がプラスなので、全体の経常収支は今のところ、プラスであり問題がありません。そのため、政府、企業、家計の3つで考えます。

家計の収入と支出は、政府と企業のお金の使いっぷりに影響されます。この両方から家計へと流れる(あるいは、政府に吸い上げられた残りの)お金が個人の収入となるからです。企業は、自己資金か、銀行から借金して投資や事業を行い、利益を大きくすることで家計(従業員)の給与も増やします。

政府は、お金(予算)を使うことで必要な事業(政策)を行い、企業と家計から税金を取ることで、市中(世間)に流れているお金を回収します。こうして、税収を増やせば景気を冷やし、税収を減らせば景気を後押しします。税で景気を調整するのです。

こう書くと、きっと、ここは多くの方の反論があるところだと思います。ですが、説明を続けさせてください。世間では、政府が税金を集めて、それを財源にして予算執行しており、すでに国債残高が大きくなったために日本は積極財政が出来ないと言われますが、これは間違っています。

というのは、今世間全体を覆っているこの考えの背後には、政府が発行する国債も、企業が発行する社債と同様に、どこかで儲けを出すなりして、負債は借金であり、返さないとならないという考えが隠れています。

しかし、政府は、企業や家計とは違います。政府は、この二つと違い、現在の変動相場制1と管理通貨制度2の下では、スーパーマンやジョーカーというべき特別な存在で、前述したように通貨を生み出せます。すなわち、税収は予算を使う際の制約条件ではなく、景気の調整弁であり、国民の間の格差是正の手段なのです。

この時に、見落としてはならない非常に重要な注意点があります。それは、日本の国力である国内の生産力に見合った範囲で供給すべきであり、多くても少なくてもダメです。30年来の不況は、政府が国民に対し使う絶対額が足りていなかったからです。

  1. 変動相場制とは、現在のように為替レートがマーケットの需給(買い手と売り手のバランス)で決まり、1ドル140円、明日は145円というように日々変動する制度をいいます。これに対し、戦後しばらくは1ドル360円で固定されていました。これを固定相場といいます。 ↩︎
  2. 管理通貨制度とは、通貨当局が通貨発行量を決めれる制度をいいます。過去は、通貨は「金」と交換を保証する金本位制度でしたが、金兌換(交換)をやめ、管理通貨制度に移行しました。 ↩︎

(4)国債という負債の返済を永久に先延ばしにする。どこの国もやっているし弊害もない。

すなわち、国民にお金を行き渡らせるためには、政府か企業のどちらか、あるいは両方が、しっかりお金を使うことです。しかし、企業がお金を使わないときには、政府が日本国内でお金を使って事業や政策を実行して、企業と家計に払うしかありません。政府が、企業と家計の口座にお金を振り込むことです。減税も同じです。政府には、お金が必要ですが、それは国債を発行することで手に入れることが出来ます。

企業や家計がお金を手にするルートは、銀行から借金をして商売をして儲けたり、給料をもらったりする以外に、政府から給付されるお金を貰うというルートもあります。これには、10万円の給付金をもらうというようなものや、消費税減税、所得減税、コロナの補助金を貰うということなども該当します。日本の不況は30年間続ているといわれます。これは企業の投資が減り、従業員に支払う賃金が増えず、十分にお金が家計に渡っていないことを意味し、その不足分を政府が支出するべきなのに、これをしていないが故の不況です。

「政府の借金は、家計と企業の借金で、子孫がツケを払わなければならない。」ということをテレビやマスコミがよく言いますが、これは間違っています。日本の国力、すなわち供給力の範囲でお金を出しても問題ない。むしろ出して経済をけん引しないとデフレになります。実際にデフレが何年も続きました。

この「政府の国債は借金であり、国民の借金であり、子孫にツケを押し付けている。」という言い方は、最初の通貨発行のプロセスをよく考えると間違いだということが分かります。つまり、通貨発行権を持つ日銀と国債を発行する政府を一体だと考えると、国債を発行して返済時期が来て、買った人にお金を返してくれと言われたら、新たな国債を発行して負債を返せば良いのです。つまり、国債の借り換えをすれば良いのです。

この借り換えは、どこの国もやっていますし、日本もやっています。また、これは現実に民間の取引でも普通に行われていることです。民間の会社でも会社の借金である社債の返還時期が来たら、新たな借金をして返済を繰り延べる(先延ばしにする)ことが行われており、これを《ジャンプ》と言います。

闇金が顧客を生殺しにする方法として、利息だけ受け取り元金を返させない《ジャンプ》のあくどい手法もあるようですが、これとは違います。

こちらは正常な取引で、民間企業が一般にやっている取引とまったく同じです。違う点は、通貨発行権のある日銀をバックにした政府の場合は、民間と違って倒産をする心配がない、絶対の信用力があるということです。

財務省が好きな二宮尊徳(テンミニッツTVから)

先に書いたように、一応、今も政府は、国債を発行して支出に充てています。しかし、絶対額が足りないのです。額が増えない理由は、財務省が、税収と支出の額を一致させる《入るを量りて出を制する》という二宮尊徳!?流の考えを後生大事に持ち、国債を発行することを思いっきり嫌がっているからです。時代錯誤だと言っていいと思います。

政府が国債を発行して、日銀が直接買うことは法律で禁止されています。しかし、これは現実には骨抜きになっています。政府が国債を発行し、銀行が日銀当座預金を使って国債を買っているのですが、その国債を日銀が買っているので、直接ではないだけで同じことなのです。

日銀の購入額は、発行額の半分といわれます。また、金利を下げるためも日銀は市中から無制限に国債を買っています。日銀が国債の買い手になっているのとなんら変わらないのです。しかし、低金利ではもうからないので金融関係者とこれに便乗するマスコミは「正常化しろ。」とうるさくいいます。もちろん、金融関係者が儲けを出しにくいというのは事実ですが、何の弊害もありません。

4.結論

したがって、政府は国債を財源にして、今やっている方式を拡大し、子育て、防衛、教育、科学技術、防災対策、インフラ整備、農牧業・漁業支援、消費税減税、社会保険料低減、年金増額、奨学金返済免除などあらゆることをやれるのです。

ただし、日本の国力である日本の生産力(供給力)の範囲までです。それ以上にやると(アメリカやヨーロッパのように)インフレになります。日本は、景気が回復している、今期は前期と比べて6%成長したと言われますが、これは曲がりなりにもコロナで結構、国債を使ってお金をバラまいたからです。しかし、企業をカバーする日本の政府の支出は、30年間不足していました。コロナでお金を多い目に国民に振舞ったのはわずか2年間ほどの間だけです。残り28年間の不足分が、今なお足りていないのです。

ちょっと難しいですが、《需給ギャップ》という指標があります。大雑把に言うと、生産できる能力と国民全員が手にした所得の差です。コロナで結構いい線の財政支出をしたので幾分戻したというものの、もし普通に、外国のような成長の経過を辿っていれば、日本は2倍額成長していたはずだと言われています。つまり、政府が正しい経済政策を取っていれば、いまごろ、われわれの所得は倍だったはずです。そして、世界中から「日本の物価は異常なほど安い。」などど思われることはなかったのです。

もう一度言います。政府は供給力を増やしながら、国民の所得を増やさないとならない。つまり、企業が元気を取り戻すまでの間、積極財政をして、政府の支出を増やして国民の生活を支える他ないのです。

おしまい

MMTの話 その1 《 お金は血液だ!》

MMT( Modern Monetary Theory : 現代通貨論)の話をしたい。MMTが広く世間に認知されるなら、お金が原因になっている問題のほとんどが解決するから。そのためにはまず、なぜ経済学の世界で、MMTがなかなか認知されない事態になっているのか説明するところから始めたいと思う。

《経済学の変遷》

経済学の歴史を見渡すと、『国富論』を書き、経済学の始祖と言われるアダム・スミス(1723年 – 1790年)というイギリス人が最初である。この人物は、現在の経済学で出てくる商品、労働、価格、利子、貨幣、資本など、今ある概念の殆どを提示した。また、市場には「神の手」があると言ったことで有名な人物である。この学派を古典派経済学と言う。

アダムスミス(WIKIPEDIAから)

アダムスミスから100年たって、やはりイギリス人のケインズ(1883年- 1946年)が登場し、1936年に『雇用・利子および貨幣の一般理論』という経済学の一大著作を発表し、ケインズ経済学が主流派の位置を占めるようになる。彼の主張によって、アメリカではニューディール政策、ドイツではアウトバーンの建設が実施され、景気回復に大いに貢献したと言われる。ケインズ経済学の登場はケインズ革命と言われ、また、マクロ経済学とも言われる。

ケインズは、大きな政府を主張し、所得を金持ちから貧乏人に再分配することで、平等を実現できると考えていた。また、科学技術の進歩により、世界の貧困問題は解消され、やがて人間が働かずとも暮らせる時代が来ると予言していた。

ケインズ(WIKIPEDIAから)

ところが、西側諸国では、1970年代にオイルショックに端を発する不況とインフレが同時に起こる、スタグフレーションが起こり、ケインズ経済学ではこの現象に対処できないないと言われ始まる。

同時に、経済学に「限界革命」が起こり、余計な価値判断を含まずに、経済学を数学的に研究することで、客観的な科学になるという新古典派経済学の考えが広がった。

「限界革命」と言うのは大げさな言葉だが、例えば、1杯目のビールは2杯目のビールよりおいしいとか、同じような服が増えてもありがたみは正比例しないとかいうもので、単位当たりの投入数量を増減していくと産出がどのように変化するかを考えるにあたって、微分を使うことで数学的に捉えることができ、扱いやすくなる。同様に、需要と供給がいかに決まるかという主流派経済学の主柱である「均衡論」もここから生れた。また、ミクロな観点から出発するので、ミクロ経済学ともいわれる。

この学派は、ケインズと同時代を生きオーストリア人のハイエク(1899年 – 1992年)が始祖なのだが、後に「選択の自由」というベストセラーを書いたアメリカ人のフリードマン(1912年 – 2006年)の影響が非常に大きい。

  • )ハイエクと言うのは、ケインズと考え方においてライバル関係にあり、ケインズが政府の介入を力説するのに対し、ハイエクは、自由放任を主張した。フリードマンも同様である。フリードマンの貨幣論は、「社会に流通している貨幣の総量とその流通速度が物価の水準を決定している」という経済学の仮説である『貨幣数量説』を蘇らせたと言われる。
  •  この『貨幣数量説』は、社会の貨幣の流通速度を変えることで、経済動向をコントロールできるというもので、金融政策の中心をなしている。しかし、後に述べるMMTの貨幣観と比べると、ずいぶん欠落している部分がある。
  • また、現在の黒田日銀は『貨幣数量説』に従って、マネタリーベース(現金通貨と準備預金の合計)を増やす量的緩和を行うリフレ政策を行っている。しかしながら、デフレ下でいくら通貨を増やしても、通貨は『ブタ積み』の状態になるだけで、誰も借手になろうとしないので、効果は限定的だ。

前述のフリードマンの主張は、政府は、極力マーケットに介入することをせず、市場の働きにより、すべてが解決されるというものだ。つまり、人々が合理的で、好きなように活動すれば、市場がすべて(失業問題や財の配分)を解決するというもので、小さな政府、自由貿易、自己責任と言った価値観が生まれてくる。

これに飛びついたのが、イギリスのサッチャー首相、アメリカのレーガン大統領であり、この時代から、世界は、グローバリズムへと進むことになる。

フリードマン
サッチャー首相
レーガン大統領

《新古典派経済学の貨幣観は》

一部前述したが、この新古典派経済学は、通貨制度に大きな変革があったにもかかわらず、貨幣観を古いままにしていた。

つまり、貨幣の歴史を考えると、物々交換の時代には貝殻などの貴重品(宝飾品)が通貨の役割をはたし、時代が現在に近づくにつれ、金など希少性の高い金属を含む通貨に変わってきたと説明される。やがて通貨は政府が発行する紙幣になるのだが、この紙幣は同じ金額の値打ちの金と交換を約束するものだった。(金本位制、兌換通貨) これを商品貨幣論と言う。

ところが、この金本位制は1930年代から徐々に姿を消し、単なる紙切れである紙幣へと姿が変わっていった。つまり、政府は主体的に通貨を発行できるようになったのだが、経済学の前提をドラマチックに変える必要があったが、経済学者はそれに気がつかなかった。

そうするとどうなるか。政府は民間や個人と同様に、歳出を歳入の範囲で行うというレギュレーションになるだろう。金と交換する必要はないが、むやみに通貨を乱発すれば、政府の信用は失われるだろうとなる。無制限に通貨を発行すると、インフレになり、通貨の信用は失われ通貨安になるとなる。

しかし、この貨幣論は通貨自体に値打ちがあると考える商品貨幣論である。つまり、通貨に値打ちがあるから、万人に値打ちがあると認められているというトートロジー(同語反復)である。

また、新古典派経済学には、政府が、通貨を発行する際に余分に生じる、通貨発行益という概念がある。しかし、この概念は極めて限定的で、国債につく利息だったり、硬貨の発行益だけを指す。ここにもこの主流派経済学の間違いがよく表れていると、一経済フリークとして思う。

《MMTの貨幣観は》

MMTは、通貨が信認される根源は、租税の納入にあると考えている。つまり、政府は国民から徴税する際に、その納付を政府が定めた通貨で納めることを法律で定めている。罰金を払う際にも、政府が認めた通貨で支払うことを定めている。これが、国民が通貨を求める理由であり、信任される理由である。

また、通貨の発行主体を考えると、通貨の発行を行っているのは政府だけではない。一番多い例が、銀行である。つまり、ソフトバンクがみずほ銀行から5000億円融資を受けると、みずほ銀行が5000億円通貨を発行したのと同じである。もし金持ちの個人が、手持ち資金から1億円誰かに貸したなら、1億円分通貨を発行したのと同じである。

後述するが、この5000億円の融資は、みずほ銀行が顧客から集めた預金を原資に、貸出を実行しているものではなく、キーボードマネーと言われるものだ。ここを新古典派の経済学者は誤解している。

これは簿記で考えると理解しやすい。政府が国債を発行して、銀行に国債を買ってもらい、現金を手に入れる場合は、次のようになる。

政府

(借方)現金(貸方)負債(=国債)

銀行

(借方)国債(=資産)(貸方)預金

上記について補足すると、政府と日銀は一体と考えている。また、銀行の預金は、借方と貸方が逆になる。この仕訳を見ると、銀行の預金が増えているように見えるかもしれないが、銀行にとって預金は負債であり、この取引では資産と負債が同時に増えるということだ。

同様に銀行融資の場合を考える。例えば、ソフトバンクが、銀行から借金をする場合は、次のようになる。

ソフトバンク

(借方)現金(貸方)負債(=借入金)

銀行

(借方)貸付金(=資産)(貸方)預金 

つまり、政府は通貨自体の発行主体なので、通貨を生み出すことができるのだが、銀行でも誰でも、借り手の返済能力を信じることができれば、お金をいくらでも貸せ、それは通貨を生み出す。貸した金が返ってこなかったとき、企業・個人は倒産するしかないが、政府は通貨を追加的に発行できるので、倒産しない。

極めておおざっぱな説明であるが、現在では、デジタルで決済が行われるため目の前に現金を積む必要もない。また、政府も、銀行も、企業・個人も同じ通貨である日本円を使っているので、政府以外であっても、通貨を発行したのと同様の事態が起こっている。 この通貨の発行割合であるが、日銀が発行している通貨の残高が、2割程度、残りの8割が銀行の融資残高と言われる。こうした貨幣を負債の一種とみなす学説を、信用貨幣論と言う。

貨幣数量説を信じる新古典派と言われる主流派の経済学者たちは、金本位制度から管理通貨制度に変わった後も、考えを改めず、こうした観点を見落としている。つまり、通貨が企業・国民の手に渡らない間、銀行にいくら残高を増やしても、誰かが借手になって負債を負うか、政府が実際に国民にお金を手渡すまでは、需要を増やす効果はぜんぜん出ない。 

つまり、通貨は社会の血液だ。この血液が、金持ちに偏っているのも問題だが、血液の量自体が少なすぎるのが、もっと問題だ。

長くなっってしまった。次回は、需要と供給の差がインフレになったり、デフレになったりするというMMTの理論について書きたい。

おしまい