コートが10センチ大きく ネットが3センチ低くなる! ウィルソン Sラケット!?

主は、別にウィルソンの回し者ではないのだが、ラケットを使っていることもあり、ちょっとマニアックな話だが、ウイルソンのラケットの話をしたい。

YOUTUBEにウィルソンのWilsonTV Morningという番組がある。「モーニングコーヒーを飲みながら、聞き流していただく感じで聞いていただきたい、Wilsonテニスに関するいろいろなお話です。 ゆるーい感じで聞いてみてください。」というコピーが書かれていて、お馴染みのお二人(日本法人担当っぽいヨコヤマさんとストリンガーぽいミチバさん?)が登場され、結構な頻度でテニスフリークのための番組をアップされている。

この番組を見ていると、ケガをした錦織選手がラケットのテンションを下げ、今では40ポンド以下で張っているとか、セリーナ・ウィリアムスも65ポンドで張っていたものを、今は一気に20ポンド下げて張っているとか、テニス業界の小ネタを知ることができる。

そうしたウィルソンのラケットに、昔からなのだが、スピンがよくかかるという人気のSラケットというものがある。

テニスのラケットは卵型で縦長のため、縦のガットより、横のガットの本数の方が多いのが一般的であり、縦16本×横19本とか縦18本×横20本である。

ところが、縦より横のガットの本数を減らすと、スナップバック(snapback)が起こりやすくなり、スピンがかかりやすくなるという。スナップバックを辞書で引いてみると「急に元へ戻る、鋭く言い返す 」という意味で、インパクトの瞬間にたわんだガットが、急激に元に戻るのでスピンがかかりやすくなるという。

スナップバックが起こる瞬間

このSシリーズは2013年から始まっており、フェデラーが「このラケット使うとみんなナダルになっちゃうね」と言ったとか言わないとか! あまりにスピンがかかってコートに収まるので、コートが10センチ大きく ネットが3センチ低くなる!とカタログに書いたらしい。この番組は、ゆるーい感じで聞いてほしいとのことなので、???かもしれないが、信じる者は救われるという言葉もあり、要は打ち方次第、本人次第だろう。

ただ、身も蓋もないのだが、人間は横着な生き物なので、ラケットを変えてもしそんな驚く効果があっても、すぐに体の動きが怠けてしまうのが人間の常ような気がしないでもない。

こちらがそのスナップバックを紹介するお二人の動画である。いつもながらだが、テニスをして、ラケットについていろいろトライしているような人にはとても興味深い話が聞ける。

このスピンがよくかかるSラケは、2013年に発売された時の初代ラケットに、フェース面積が105平方インチ、縦16本×横15本の STEAM105S があり、モデルチェンジしながら昨年まで続いていた。フェースが大きいほど、また、ガットの目が粗いほどボールは飛びやすくなる。

しかし、この大きいフェースに目の粗い縦16本×横15本のラケットは、ガットがすぐに切れる欠点がある。スイングするときにこする打ち方をするプレイヤーは、すぐにガットが切れる。極端な場合は、ガットを張ってすぐに切れるくらいだ。

ウイルソンSTEAM105S

そうした欠点を克服するために、ウイルソンの昨年発売された新しいシリーズでは、フェースサイズを100平方インチほどにして、縦18本×横16本で売り出したのだろうと思う。

2020年現在、売られているSラケ、左からクラッシュ100S、ブレード98S、ウルトラ100Sである。

また、ガットが切れるという現象は、縦と横のガットがはげしく摩擦するからであり、縦横のガットの種類を変えてハイブリッドにし、横に摩擦の少ないポリガットを張るなどを推奨している。

下が、テニス365の記事である。こちらも参考にさせていただいた。こちらには、ジョコビッチ選手も市販品より1本横のガットを減らしているとか、ラケットを変形させないために横糸を強く張るとか、さらに興味深いことが書かれている。

ウイルソン】「Sラケの魅力再発見!クラッシュ、ブレード、ウルトラ三つ巴試打」

おしまい

テニスクラブ 猿山に登る猿たちの熾烈な戦い!?

(2023/4/22 修正しました。)

久々にテニスネタを披露したい。

と、いいながらグレン・グールドが、他のクラシックピアニストたちのことを「ジブラルタルの猿[1]だ。」と侮蔑的に評していたのを思い出した。テニスクラブの会員たちも同じようなもんだなと、親爺は思った。(グールドの発言の注釈について、ChatGPTに聞いた答えを次に掲げた。しかし、ChatGPTは、なんか間違っているような気がする。怪しい。)

[1] ChatGPTの答え。「グレン・グールドは、他のピアニストを「ジブラルタルの猿」と表現することで、彼らが自動的で、繰り返し同じことを行う生き物に例えていました。この表現は、彼の1974年に放送されたCBCのドキュメンタリー「On the Record」で語られました。彼はこうした発言を通じて、自分の演奏スタイルが他のピアニストとは異なり、独自の解釈と創造性を持っていることを主張していました。」


グレン・グールドは、他のピアニストを「ジブラルタルの猿」と表現することで、彼らが自動的で、繰り返し同じことを行う生き物に例えていました。この表現は、彼の1974年に放送されたCBCのドキュメンタリー「On the Record」で語られました。彼はこうした発言を通じて、自分の演奏スタイルが他のピアニストとは異なり、独自の解釈と創造性を持っていることを主張していました。

ヨーロッパで唯一、野生の猿が生息する場所として有名なジブラルタルがあり、標高400メートルの「ザ・ロック」に猿たちが暮らしている。(ジブラルタルはスペインの南の端にあり、向かいはアフリカのモロッコである。)

「ザ・ロック」野生の猿

主が所属するテニスクラブは結構規模が大きい方で、テニスコートが約20面あり、そのうちハードコートは4面、残りはオムニコートである。周囲は林に囲まれていて緑も多く、結構恵まれた環境である。

そのため、バブル華やかしころには、プロの下部大会が開かれていた。下部大会には、フューチャーズとチャレンジャーがあり、上位のATPツアー(女子はWTAツアー)を目指す若者が世界を転戦しており、彼らと出くわすことがあった。

錦織選手がお笑い系テニス番組に出たセンターコート

最近では、錦織選手が出演する年末に放送されるお笑い系のテニス番組のロケが行われたことがあり、テニスクラブのメンバーには風呂場で一緒だったという者がいる。

そんなで、規模が大きくメンバーの数も多く、高齢化したメンバーの間で、ジブラルタルの猿山の頂上を目指すシビアなマウンティング合戦が、日々繰り広げられている。

テニスをしない人にはピンとこないかも知れないが、テニスをプレーする場所には、スクールとクラブがあるのだが、日本人選手の活躍で、若者や子供に人気があるのは、スクールの方である。

テニスクラブの方は、テニス人口の絶対数の減少と高齢化による会員数の減少で潰れるクラブが近隣でもかなりある。クラブで相続があると、相続税を払えなくなり、閉鎖する場合もある。

そのような事情で、近隣のテニスクラブが閉鎖されると、市街化調整区域内にある大規模な我がクラブは、ブラックホールのように閉鎖されたテニスクラブのメンバーを吸収してきた。

テニスクラブのメンバーたちの多くが、少なくとも60歳以上の高齢者で、「超」がつくテニスホリックばかりである。彼らは、今の上皇、上皇后さまが、軽井沢でテニスをしていた1960年頃のテニスブームか、天地真理がスコート姿で「恋する夏の日」を歌ってブームになった1980年頃に、テニス歴を開始しており、テニス歴が半世紀ある者もザラである。

アイドルのはしり、天地真理。
「恋する夏の日」は、「あなた~を待つの~、テニス コ~ト」で始まる。メチャクチャヒットしました。

ここの老人たちは、学校の部活の硬式テニスクラブでテニスを習ったわけではなく、大半は自己流である。しかし、キャリア半世紀ともなると、それなりに上達する。ほぼ全員がフォアハンドが大得意である。バックハンドは下手だが、ロブやドロップショットはめっぽう上手い。また、長年のキャリアの蓄積で、相手の下手なところ、人のいないところへ打つ技術も半端ではない。 そのため、若者たちと対戦しても、クラブなどで本格的にやっていなければ、年季に勝る老人たちが勝つことになる。その結果、テニスクラブに気軽に若者が来ないというループが生まれる。

つまり、テニスという競技は不思議なところがあり、年をとっても衰えないどころか、いつまでも練習次第で上達する性質がある。言い方を変えれば、強化ジュニアに在籍する小学生が、大人相手に楽に勝てる競技であり、年寄りも下手な大学生ならばやっつけることができる競技でもある。

サラリーマンなら、現在の定年の年齢は一般的に65歳であるが、以前は60歳だった。この定年を迎えた、時間のたっぷりあるテニスクラブの老人たちは、どうなるか?

当然、他に趣味のない老人たちは、平日もテニスクラブへ通うようになる。そうすると、もともとベテランの彼らは、さらに凡ミスのないボールを自在に操るマウンティング猿への道を歩み始める。

基本的にテニスクラブは、メンバー同士がダブルスの試合を楽しむ場所なので、自然とうまければ尊敬を集める。座布団を積み上げた牢名主の位置に上がることができる。勝てば官軍の世界である。

世の中に上下関係があるように、テニスの技量にもうまい下手があり、大体似たようなレベルの者たちが群れることになる。

人間誰しも、ゲームで負け続けるとめげるし、行きたくなくなる。そのため、ゲームに対する姿勢は真剣だ。爺さん・婆さんたちが、勝敗にこだわってプレーしているのは「いったい何歳になったら煩悩を捨てられるの?!」という話なのだが、勝てばうれしいし、負けると悔しいという精神構造はいつまでも変わらない。むしろ、年齢を重ねるにつ入れて、頑固に、融通が利かなくなるのは間違がなく、感情のコントロールができなくなる。

しばらく前に最高齢の93歳の老猿が辞めたのだが、左右に走るのは得意だったが、前後には全く走れない年齢になっていた。ところが、試合では70歳代の対戦相手がドロップショットをしばしば繰り出していた。「そこまでして勝ちたいか!」と思うのだが、負けたくないのだ、誰も。実際、誰しも弱い相手と試合しても楽しくないし、強い相手に勝った時に最大の満足が得られる。そういう側面があるので、どの試合も真剣勝負になる。

つまり、テニスクラブは楽しみの社交の場ではなく、つまるところ修練・鍛錬の場であるという結論になる。

そうすると暇を持て余した老人たちのテニスの技量が上がるとき、中には技量が上がらない者、加齢により若い時のように体が動かなくなる者もあり、負けが込んできて、やがてクラブを去る者もでてくる。負けが込んできたときに、レベルの低い者たちに混じってプレーする者もあれば、退会してしまう者もある。つまり、誰でも、極端に負けが込まないように注意しつつ、テニスを続けるモチベーションを保とうと四苦八苦しているのは、確かである。

わがテニスクラブが所在するこの県では、年齢別大会、市主催の大会があり、そこでの優勝を目指しているメンバーが結構いる。JOPという5才刻みの全国テニスランキングもあり、このポイント獲得に、国内各地を転戦している者もいる。ベンチで話をしていると、そういう大会で勝つことが最大の目標になるというのが伝わってくる。

しかし、そうした県や市の大会で優勝した場合に得られるのは、自己満足の達成感、同じ価値観を持つ老猿たちの称賛だろう。賞品はせいぜいテニス用品と賞状で、エネルギーの空費なのは間違いない。プロのようなリアルな利得はなんにもない。 それなのに、みな熱い。このエネルギーの空費に、最大の努力を払っている。ジブラルタルの猿山の頂上を目指す戦いを、老猿たちが連日繰り広げている。

おしまい