踏切事故 村田さん

10月1日、踏切内で動けなくなったお年寄りを助けて、自分が亡くなってしまうという痛ましい事故があった。わが身を顧みず人を助けるといことは、なかなかできることではない。政府や自治体も感謝状を出したり、今後は、褒章を与えるということだ。

この事件で感じたのは、この女性の行動もさることながら、お父さんの発言が偉い。事故直後のニュースで、お父さんは「娘はなくなったが、せめてお年寄りが助かったことを励みにします。」との意味のことを言っておられた。この発言を聞き、久しく感じなかった潔さを感じた。その後も、お父さんは「多くの方が娘を悼んでいただき感謝します。」と言っておられる。自分の悲しみを吐露しがちなところ堪え、周囲の人たちへの心配りが先に出てくるところが、最近では少ない立派な方だと感心した。もちろん、娘さんが立派なのだが、お父さんの発言も立派で、世間の共感をこれほど呼んだのだろう。

昨今は、事件や事故の遺族が、いつまで経っても親族の死を風化させまいとする風潮が一般的だ。遺品を横に「心の中では、まだ生きています。」と言う場合が非常に多い。NHKは「風化させない」「忘れない」としきりに報道している。

ブログの主は、昔の日本人は、これほど故人のことを言い続けたのか、とこうした風潮についてかねがね疑問を持っている。当然ながら、故人は帰ってこない。帰ってこない故人のことをいつまでも他人に言われると、同情はできるがどうしようもない。

「水に流す」という言葉があるが、最近、日本人は水に流すという事をしなくなったと感じている。「風化させない」「忘れない」というのは、どこから来た発想だろうか。確かに、教訓を得て今後に生かすことは必要だ。だが、「水に流し」て、また額に汗して働くことが、気持ちよく前進する方法ではないかと思う。また、そうすることで、故人も浮かばれる気がする。読売新聞20131002p37

投稿者: brasileiro365

 ジジイ(時事)ネタも取り上げています。ここ数年、YOUTUBEをよく見るようになって、世の中の見方がすっかり変わってしまいました。   好きな音楽:完全にカナダ人クラシック・ピアニスト、グレン・グールドのおたくです。他はあまり聴かないのですが、クラシック全般とジャズ、ブラジル音楽を聴きます。  2002年から4年間ブラジルに住み、2013年から2年間パプア・ニューギニアに住んでいました。これがブログ名の由来です。  アイコンの写真は、パプア・ニューギニアにいた時、ゴロカという県都で行われた部族の踊りを意味する≪シンシン(Sing Sing)≫のショーで、マッドマン(Mad Man)のお面を被っているところです。  

“踏切事故 村田さん” への 2 件のフィードバック

  1. 私が思うに、家族を亡くした人がみな「いつまでも…」と言うのは、そう言わないと社会が許してくれないと認識しているからだと思います。それを煽っているのがNHKを始めとしたマスコミでしょう。
    お釈迦様の教えからいくと、悲しみをすぐに忘れる人・怒りをすぐに収める人の方が崇高なのですが、世の中反対。世の中バカばかり?

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    1.  基本的には日本の社会が豊かになったから、過去の思い出にいつまでもすがる事が出来るという事かも知れませんが、昔の日本のカルチャー(わびさび、無常観)とは違った風潮のような気がします。
       昔のことを繰り返せば記事が出来上がるので、おっしゃるとおりマスコミが煽っている面はありますね。
       また、マスコミは当たり前のことを書いても売れないので、皮肉っぽい批判的な記事が強迫観念を強いていますね。良いことではないと思います。
       コメントありがとうございました。m(^^)m

       

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