re-written on 22th /August /2017
つづき
ちょっと激しい言い方になってしまったかも知れない。ここで、もう一つの要点であるグローバリズム(自由貿易)の根幹をなす思想を書いてみよう。
例えばアメリカが、中国からの安い生産物にマーケットを奪われ、アメリカの労働者が雇用を失うことになったとしても、中国では新しい多くの雇用を生み出しており、地球規模で見れば、中国で多数の労働者が豊かになっており、正しい方向なのだとの説明がなされる。アメリカで職を失った労働者は、比較優位な新しい産業へ転換すればよいと言われる。
また前述したように、グローバリズムによる自由貿易(=資本主義。ちょっと概念が違うが、こう言うことにする)のもとでは、保護主義貿易よりも高い成長が実現する、と言われてきた。
だが、この説明は間違っていることが今では証明されている。日本でも非常に大きく脚光を浴びたフランス人経済学者のトマ・ピケティが、証明して見せた。すなわち、以前の経済学が、第二次世界大戦直後の経済発展の黄金期の1950年代をベースに労働分配について分析していたために、資本主義の発展が、自動的に社会の構成員の経済格差を縮小させると考えていた。だが、ピケティは19世紀以降の膨大な量のデータを集め、1950年代の経済成長とともに格差が縮まったという栄光の時期は例外であり、常に資本主義の下で常に格差が広がってきたことを証明して見せた。
同じことだが、グローバリズムを批判的に捉える韓国人経済学者ハジュン・チャンも、経済成長率を、高成長率や完全雇用があった1950年から1975年までの繁栄の時期とグローバリズムが広がった1980年からの30年間を比べ、保護主義の時代の方が高いことを明らかにしている。この傾向はアフリカ、南米で顕著だが、他の地域でもグローバリズムの時代に入ると成長率が低下している。
要するにグローバリズムにより、社会の格差は縮小し、保護主義より高い経済成長が可能になると言われてきたのだが、この両方ともが間違っていたということだ。
この発見は、資本主義の下で格差は、政策的な手段を打たないと拡大し、経済学は分配を倫理や哲学の問題と捉えるのではなく、経済学自身の本来の解決課題にしなければならなくなったということを意味する。
そもそも、中国からの輸入によりアメリカ人が職を失い困窮化する度合いと、中国労働者の生活の向上度合いを比べて、中国労働者の向上の方が大きいので、アメリカ人は我慢しろというのは異常な暴論だ。ここでアメリカ人と言っているが、アメリカ人全体が我慢するのではない。我慢しなくてはならないのは、中国製品に負けた弱小なアメリカ人工場労働者、その家族だけだ。消費者と資本家、その他の金融業などの恵まれた労働者の幸せ度は上がっているはずだ。
また、中国労働者が向上すると書いたが、その向上は最初の時期はそうなのだが、やがて、アメリカ人労働者の雇用の悪化に伴い、アメリカ国内需要が減退するため、中国労働者の賃金は上昇しなくなる。また、中国も周辺諸国(ヴェトナム、ミャンマーなど)との低賃金競争に巻き込まれるために、労働者が本来得られるもっと高い賃金を得ることがない、といったことを次に述べたいと思う。