積極財政にも濃淡がある 明日衆院選開票 高市再選で日本は復活できるか?

日本の経済成長は30年来止まり、それ以前の高度成長時代の貯金を使い果たし、G7諸国の中でも低位になってしまった。誰しも人間らしい振る舞いができるには、衣食住足ってこそだ。あまりに貧しいと意に沿わないことでもするしかなく卑屈にならざるを得ない。

明日、2026年2月8日は、過半数割れしている高市政権の評価を問う衆議院選挙の投開票日である。下馬評では、過半数割れした状態から300議席を超える大勝利になるだろうと言われている。

親爺の関心は、ずっと続いてきた財政再建と緊縮財政を止め、国債発行による投資でパイを拡大し、他国並みの成長路線に戻るかどうかにある。

財務省は、国債の発行は、通貨円の信任をさげ、副作用でやがてハイパーインフレになると国民の不安をずっと煽ってきた。ところが、国債は償還期限が来ても、「借換債」という新たな国債を発行し返済していないことを認めている。また、「60年償還ルール」という日本独自の奇妙なルールもある。「借換債」の発行と「60年償還ルール」は、どちらも実際のところ諸外国と同じルールで財務省は運用しているにもかかわらず、国民には国債の残高が諸外国の倍以上で最悪で、危険水域だと説明し、予算編成に際して60年償還ルールで予算から60分の1を償還していることにして、予算書を作っている。利払い費についても同様で、諸外国では入ってくる金利収入を相殺した金額を計上しているにもかかわらず、日本ではグロス(利払い費のみ)の金額を計上している。このような見せかけで、国債費が予算を圧迫していると国民に説明してきた。

下のショート動画は、高市政権の経済ブレーンの会田卓司さんである。会田さんの主張の根幹は、政府と民間企業をあわせて5%程度の借金を抱えている状態が、国民の財布を温めて丁度よいというものにあると親爺は思っている。誰かの赤字は、誰かの黒字だ。バブル崩壊以後、日本の民間企業は借金をして投資をしなくなったので、政府が代わりに借金をしなければならないと説かれている。この論説は、ノーベル経済学賞ものだと親爺は思っている。

繰り返すと、世界各国は国債を発行して経済成長し、国債の残高は返済せず、借り換えしているので残高はどんどん増えている。ところが日本は同じ方式でしているが極めて抑制的なやり方なため、一向に成長せず取り残され、相対的に貧困化している。

高市政権の経済政策「サナエノミクス 2.0」では、従来の財政規律の見直しが中心に据えられ、主なポイントは、単年度ごとのプライマリーバランス(PB)黒字化目標の実質的な撤回(または凍結)と、成長投資を最大化するための予算の複数年度化だ。こうすることで、国債を発行してもそれ以上の経済成長をすれば、国債残高がGDPに比して増加することはない。

この2点が実現できれば非常に素晴らしい。親爺は、生きているうちにこれが実現できる日がくるか訝しがっていた。もし選挙で大勝すれば、財務省や御用学者、御用マスコミの反対を乗り越えられるだろう。

財務省がここまで頑ななのは、明治以来抜本的に改められていない会計法と、戦後GHQによって作られた財政法があるからだ。財務官僚は法律を厳格に守っているだけだからだ。

ただ、国債の考えにはさらにもっとドラスティックな考え方もある。つまり、国債発行をして政府が負債を負うこと(赤字になること)で国民が豊かに(黒字になること)なるという考えである。税金(徴税)は予算の財源ではなく、世間で流通する通貨の回収で、経済を冷やしたり温めたりする手段だという考え方である。もちろん、国の経済の供給力の範囲内に限るのだが、中長期の範囲で世間に撒いた金額以上に成長すれば、年金を増やしても、消費税を廃止しても問題ない。国債はどの国も残高が増えていっても当たり前である。下の写真が、参政党の安藤議員である。この安藤議員は、元自民党衆議院議員で当時からその主張をしていた方だ。

下のショート動画では、会田卓司さんが、財務省に対し早く自分の間違いを認めれば楽になるのに、でも、官僚には無謬性を求める習性があるので難しいのでしょうかと語っておられる。

おしまい

エマニュエル・トッド「共産主義崩壊のような西側諸国の瓦解が始まっている」

グリーンランド情勢に見る西洋の“迷走”

トッドは、著書「西洋の敗北」以降も目覚ましい、目からうろこの落ちるような発言をしている。それが、タイトルの「共産主義崩壊のような西側諸国の瓦解が始まっている」である。

トランプ大統領は、関税で世界の貿易体制を打ち壊し、ベネズエラの大統領を誘拐し、グリーンランドまで欲しいと言い出している、同盟国のヨーロッパと対立して帝国主義を始めている、といった表現で伝えるのが日本のメディアでは一般的だ。トランプは平和で世界をリードする西洋社会に現れた、横暴で暴力的な専制主義者だと捉えられている。

これをトッドがどう見ているのかと言えば、西側諸国が、かつてのソ連中心の共産諸国が崩壊したように、西側諸国も崩壊しようとしている!と分析している。西洋諸国は何も見えていないという。

この記事は、2026.1.26のもので、フランスの新聞・フィガロがトッドにインタビューしたものをクーリエが掲載したものだ。

記事の背景を簡単に書くと、2026年1月、トランプ大統領が、中国とロシアの脅威を防ぐため、NATOのアメリカ軍基地があるグリーンランドの領有と、反対する西欧諸国には10%の関税を課すと表明した。グリーンランドは、人口がわずか6万人弱、面積が216万平米(日本の約6倍)の島で、デンマークの自治領であり、政治経済の根幹的な部分はデンマークに依存している。この広大で人口の空白な島にも中国資本は進出しているが、アメリカのビッグテックにとって様々な実験ができるフロンティアと考えられている。有料記事なので、概略の紹介と親爺の思うところを述べたい。


トランプ発言のあと、ここへ欧州諸国は自国の兵士を派遣した。この事態をトッドは、「西洋諸国は完全に冷静さを失っている。」「『ロシアが攻めてくる!』と恐れを煽っていた西欧諸国が、兵士数十人を送り込んで同盟国の米国からグリーンランドを守ろうとするのは、まるでコメディ映画だ。」という。

西欧諸国の中で、ドイツの前首相ショルツは軍事行動に出るアメリカを抑える役目をしていた。しかし、今のメルツ首相は好戦的な姿勢を示している。

とりわけ深刻なのがアメリカである。アメリカは退化している。若年層で十分に読み書きできない層が増え、識字率が下がっている。農産物が貿易赤字で、工業製品を関税で保護し、国内製造業の回帰を目論んでいたが、有能な技術者やエンジニアが足りず、トランプもそのことを自覚し始め、「生産」するよりも「収奪」することに軸足を移した。トランプは2025年5月ころロシアに軍事で負けたこと、中国にも経済で負けたことを認めざるを得なくなった。その敗北の怒りを同盟国にぶつけている、今は、敗戦を先延ばしにするためウクライナ軍にロシアの石油関連施設をゲリラ攻撃させている。

トッドは、もはや米国が帝国だといっても名ばかりになりつつあると指摘する。「ロシアに対してゲリラ戦を仕掛けて時間稼ぎをするしかできなくなっているわけですからね」と。

トッドは、解釈の困難な将来の政治の行方について結論を出すために、様々な要素の分析を行う。宗教の変遷、とりわけ信仰心の希薄化が及ぼす影響、歴史、人口の様々な指標、家族形態などである。このうちの一つにGDPという指標がある。

GDPは、国家の富や規模を表す指標ととして、その国の生産と消費の規模を貨幣金額であらわすものだ。これがトッドはインチキだという。つまり、アメリカのGDPで言えば、異常に高額な弁護士費用、何万人もいる経済学者の給料、ウォール街で働く金融関係者の給料など、これらはその国の生産力をまったく反映、貢献していないし、豊かさの指標ではないという。そうした実際に生産に関与していない金額は、世間にも貢献していない。そう勘案すると、真のアメリカのGDPははるかに減少する。

中身を吟味すると、アメリカよりもロシアの方が地に足をつけているのかもしれない。

おしまい

ジャンヌ・ダルク高市早苗で日本再生の希望が見えるか?

親爺は、高市早苗がジャンヌ・ダルクになれるかと思っていた。ジャンヌ・ダルクは、英仏の百年戦争で、フランスを勝利に導いた愛国心に燃えた少女である。しかし、彼女はイギリスに囚われ火刑の刑に処された。 ジャンヌ・ダルクではなくサッチャー元首相を手本にしたいという高市早苗は、苦難の末に総理大臣に就任し、今までの菅、岸田、石破内閣とはまったく違う有能な閣僚を揃え、マスコミの記者たちを寄せ付けないレベルの応答をしており、様相が全く違う。高市自身も、公明党が離脱した後、維新との連立を手早く組み、アメリカ大統領、韓国大統領、中国国家主席との会談を大成功させた。

もちろん、反対勢力も足を掬おうと虎視眈々と狙っている。テレビ、新聞はもとより、裏で手をひく財務省がおり、自民党の内部にも権力闘争に敗れた反高市派がいる。社会にはLGBTや多様性のポリコレを声高に主張するウォークの連中もいる。戦争反対を叫び、対話で紛争を解決できると考える『お花畑の住民』もいる。アンタはガンジーか、キング牧師か。

この後、高市がどの程度の成功するのかわからない。しかし、ガソリン税の暫定税率の年内廃止に目途を立て、外交手腕を見て株価が5万2千円ほどになっているのをみるとマーケットも彼女を肯定的に見ているのがわかる。株価は景気の先行指標の性格もある。実体経済が回復し、国民の懐が温かくなるだろうか?日本は復活するか?その観点で、親爺が考えているところを書いてみる。

1.親爺が期待するプライマリバランスの放棄

 彼女の経済に対する主張は、つまるところプライマリバランスの当面の放棄である。プライマリバランスというのは、毎年度の収支(歳入と歳出)を均衡させるというものだ。この基準が日本の経済成長を妨げてきた。 高市も財務大臣の片山さつきも財源が足りなければ国債を発行する、国債発行で経済成長すれば問題はないと言い切っている。また、財務省は日本のGDPと比べた国債残高が外国より高いと危機感をあおるのだが、高市、片山は「それはグロスの話でしょ。ネット(純負債)で考えると問題ない」と考えている。つまり、財務省は負債の絶対額だけを見ているが、負債から資産を引いた額で考えることができるというのだ。このネットの額で負債を見ると、日本は日本はカナダに次ぐ健全財政の国ということになる。

2.親中政策から転換

公明党の存在が、中国に対する遠慮につながっていた(媚中)と言われる。例えば、ウイグルでの人権侵害、日本人がスパイ容疑で拘束されたり、南京事件の日に駐在員の子弟が惨殺されたりしても満足に抗議できなかった。多くの国会議員や記者がハニートラップに引っかかっているともいわれる。公明党の離脱で、遠慮する必要がなくなった。

3.再生エネルギーからの方向転換 

太陽光パネルが山を切り開き自然破壊をしながら敷き詰められている。東京都の小池知事は住宅の新設に合わせて、屋根に太陽光パネルを設置するよう条例を定めた。この太陽光パネルのほどんどは中国製である。最初のうちは日本のメーカーが先行していたが、中国製が価格で圧倒し日本製は太刀打ちできない。このパネルは経年劣化し、年月が来ると産業廃棄物になる。また、発電コストが高く、再エネを推進するために「再エネ賦課金」として電気料金に上乗せされている。こうしたデメリットだらけの太陽光パネル推進を止めようとしている。こうした中国製パネルで儲けている国会議員の名前がネットでは簡単に出てくる。

4.馬鹿げたトランプのノーベル平和賞推薦

高市が、トランプをノーベル平和賞に推薦すると言ったことは、会談での唯一の失敗だろう。ウクライナ戦争にしろ、ガザのハマスとイスラエルの紛争にしろ、原因はそもそもアメリカにある。ウクライナ戦争は、アメリカが約束を破ってNATOを東方拡大させてきたからロシアが危機感を抱いたのが原因だし、ガザは根本的に、選民思想のイスラエルが度を越した暴力主義で領土拡大に走ったものであり、世界中がイスラエルを非難する中、アメリカだけが資金源のイスラエルを是認しているからだ。自分が起こした戦争を止めて、ノーベル平和賞をもらうというのはあまりに虫が良すぎる。恥を知れというレベルの欺瞞だ。(というか、ノーベル平和賞自体が特定のプロパガンダである。ノーベル経済学賞も、主流派経済学者であるフリードマンの系譜の学者しか受賞できないし、・・・。)

5.最終ゴール 消費税の全廃

高市の経済政策の成功により、次のステップとして消費税の廃止をしてもらいたい。今回の総裁選の公約では、消費税の減免について触れていなかった。だが、高市は消費税の減免も検討すると言っているのだから。

おしまい

「西洋の敗北 日本と世界に何が起きるのか」 エマニュエル・トッド その2

エマニュエル・トッドは、確実に「西洋は敗北」すると予言する。世界は、アメリカがリードする形で、戦後80年が経過した。しかし、アメリカがリードしてきた西洋は、自由と平等、民主主義を価値の中心に置き、この30年間、それを実現する方策はグローバリズムと新自由主義だと言ってきた。しかし、30年が経った今、その価値観は世界のどこでも実現せず、経済格差は以前より激化した。数年前、世界のトップ8人の所得が、地球全体の6割の人口の所得に等しいと言われていたが、格差はさらに拡大している。世界の紛争・戦争は亡くならならない。そうした反省から、グローバリズムが失敗だったという勢力と、相変わらずグローバリズムを続けたい勢力の戦いが、アメリカの大統領選挙だった。 今や、世界全体は、日本、韓国を含む西洋とそれ以外の国々に分かれ、中近東のイスラム国や、インドネシアがBRICSに入るようになっている。

そこで、エマニュエル・トッドは、この西洋の側が敗北するだろうと予言する。トランプ大統領は、果たしてどこまでこの敗北を阻止できるのか、というのが現下の最大の関心事である。 以下は、この本からの引用である。

2-1「ガス抜きをして米国経済の虚飾を正す」

「2023年1月から6月にかけて、ウクライナが必要とする兵器をアメリカが生産できないでいることを多くの研究者が明らかにした。これらの研究は、クレムリンに近い小団体などではなく、アメリカ国防総省や国務省から資金提供を受けているさまざまなシンクタンクが公表したものである。世界一の大国が、なぜこれほど馬鹿げた状態に陥ってしまったのか。・・・・」

「徹底的な批判を始める前に、公平さを保つためにまずアメリカ経済の議論の余地のない強みを指摘しておこう。近年、最も重要な技術革新がシリコンバレーからもたらされたことは論を俟たない。・・・これも近年のことだが、アメリカの石油、特に天然ガスの生産国としての復活も私たちは目の当たりにした。1940年に日量400万バレルだったアメリカの石油生産量は、1970年には960万バレルまで上昇し、2008年には500万バレルに落ち込んだが、戦争直前の2019年には、水圧破砕技術のおかげで1220万バレルまで達している。主要輸出国ではないが、アメリカは石油の純輸入国ではなくなったのである。 ・・天然ガスも同様で、アメリカはロシアに次ぐ天然ガスの輸出国である。・・

「戦争のおかげで、特にロシアからの天然ガス供給を突然遮断されたヨーロッパの同盟諸国に供給できるようになったアメリカは、世界最大の液化天然ガスの輸出国となった。エネルギー分野は、この戦争の明らかな不条理の一つを浮き彫りにしている。アメリカの目的は、ウクライナを守ることなのか。あるいはヨーロッパと東アジアの同盟国を支配し、搾取する事なのか。

「GAFA、天然ガス、シリコンバレー、テキサスというアメリカ経済の強みは、人間の活動範囲の両極端に位置している。プログラミングのコードは「抽象化」に向かうが、エネルギー資源は「原材料」である。この両端の間にこそ、アメリカ経済の弱みと困難さがが存在する。つまり、モノの製造、伝統的な意味での「工業」に当たる部分である。NATOの標準兵器である155ミリ砲弾すら十分に生産できないという極めて陳腐な事態を通じて、この戦争が明らかにしたのは、アメリカに産業基盤が欠落していることである。さらに種類を問わず、いかなるミサイルも十分に生産できなくなっていることが少しずつ明らかになった。」

「物事の正体を暴く戦争は、私たちの(そしてアメリカ自身の)アメリカに対する認識とアメリカの真の実力とのギャップを明らかにしたのである。2022年、ロシアのGDPは、アメリカのGDPの8.8%(ベラルーシと合算すると、西洋陣営のGDPの3.3%)でしかなかった。GDPで見れば、ロシア側をこれほど圧倒していたにもかかわらず、なぜアメリカはウクライナが必要とする砲弾すら生産できなくなってしまったのか。

2-2「米国産業の消滅」

「アメリカ自身によって進められたグローバル化が、アメリカの産業覇権を根底から覆した。1998年、アメリカの工業生産高は世界の44.8%を占めていた。しかし2019年には、16.8%に落ち込んだ。同時期にイギリスは、9.3%から1.8%に減少した。・・・中国は、2020年に28.7%まで増加。ロシアに関する比較可能な統計の少なさを鑑みると、アメリカのある種の航空機が獲得しようとしている「ステルス性能」をこの国の産業が手にしてしまったかのようだ。ロシアはアメリカに対する究極の武器「ステルス産業」なるものを作り上げ、不意打ちを喰らわせたと言えるのではないか。

「グローバル化した世界における「物理的」なパワーバランスをよりよく評価するために、「工業の中の工業」としての工作機械の生産を見てみよう。2018年、中国は世界の工作機械の24.8%を製造し、ドイツ語圏は21.1%、日本は15.6%、イタリアは7.8%、アメリカはわずか6.6%、韓国は5.6%、台湾は5.0%、インドは1.4%、ブラジルは1.1%、フランスは0.9%、イギリスは0.8%だった。わたしは統計の中にロシアを探すことは諦めざるを得なかった。「ロシアが見えない」ことは、想像以上の数値を疑わせるのに十分である。

「モノの製造におけるアメリカの衰退は農業にも見られる。メキシコとカナダとの北米自由貿易協定(NAFTA)が1994年に発効されて以降、アメリカの農業は「集中」、「専門化」、「衰退」のプロセスをたどった。第1章では小麦の生産に言及したが、ロシアは2012年に3700万トンだったのが、2022年には8000万トンに達したのに対し、アメリカは1980年に6500万トンだったのが、2022年には4700万トンに減少した。全体としてみれば、かつてアメリカは農産物の一大(純)輸出国だったが、現在はかろうじて輸出入の均衡を保っているにすぎず、むしろ赤字に傾きかけている。今後も人口増加が見込まれることから、10年から20年以内に輸入国に転落するのはほぼ確実だろう。」

2-3 虚飾のGDPという指標(「米国のRDP(国内実質生産)」から)

「アメリカのGDPは、効率性、さらには有用性の不確かな「対人サービス」がその大半を占めている。医者(オピオイド(麻薬)の件では殺人者となる)、法外な高給取りの弁護士、略奪的な金融業者、刑務所の守衛、インテリジェンス関係者などがそこに含まれる。2020年アメリカのGDPは、この国の1万5140人もの経済学者の仕事を付加価値として計上していたが、そのほとんどが虚偽の伝道者であるのに、平均年棒は12万1000ドル(=1900万円)にも達している。真の富の生産にはつながらない。このような寄生集団の活動を取り除いた場合、アメリカのGDPは果たしてどの程度になるのか。」

ここで、トッドは、GDPから生産されない金額を除くRDP(Real Domestic Product)の思考実験をしている。GDPから、なに物も生産しないウォール街の金融業者の報酬、高額な弁護士収入、役に立たない経済学者の給料、アメリカ国民の平均余命が低下しており、過大評価されている医療費などを減じると、一人当たりRDPは、西ヨーロッパ並みの40,000ドルになるという。これは乳幼児死亡率の順位と一致し、ドイツが1位、アメリカが最下位になるという。

トッドの指摘は、つづきます。 

おしまい

これは駄目だろう! アマゾン

「アマゾン、これは駄目だろう」と親爺は思う。レビューが信頼できない。怪しい商品を売っているということを書きたい。

親爺は、最近下の加湿器を2000円ほどで買った。製品登録をすれば、1年間の保証が3年間になると書かれていたので、指示に従ってLINEに製品登録をした。

登録が完了すると、次のメッセージが送られてきた。

「星5レビューで2000円差し上げます。」!!

これはヒドイよね。2000円をもらえるからといって、みんなが星5のレビューをすれば、口コミが歪んで行き、信頼できなくなる。どこの会社の製品か調べてみたら、どうやらやはり中国製らしい。

アマゾンは他にもいい加減な売り方をしている。メルカリなどでも同じような商品を見たことがある。パソコンなどの記録媒体にSSDというものがあるのだが、それが怪しい。下の写真の商品は、正規のメーカー品と比べると数十倍安い。また、メーカー品で、30TBの容量のものが売られているのを親爺は見たことがない。

ちなみに、TBはテラバイトと読み、記憶容量の単位である。1000GB(ギガバイト)が1TBである。ちゃんと動く正規品は、1TBが約1万円というのが現在の相場であり、30TBが5000円で買えるというのは信じがたい。だがレビューを見ると、評価は高く、何千ものレビューがついている。親爺は、この商品が実際にこれだけの記憶容量があるとは思えない。ある程度(数十GB程度)使ったところで、容量が一杯になるインチキ品である。 くれぐれもご用心である。

おしまい

お客も楽団員も演奏の最後で《発散》できれば良いと思っている?? ー コンサート3つへ行って思うこと。 

  • 読響交響楽団  5/31 名曲シリーズ 6/14 定期演奏会
  • 7/3 弦楽3重奏による『ゴルトベルク変奏曲』

最近のことだが、親爺は安いチケットがあるとあちこちのコンサートへ出かけている。最近行った三つのコンサートのうちの二つは、読売交響楽団のサントリーホールの演奏会で、有名な交響曲「新世界」交響詩「フィンランディア」と鳥羽咲音さんのエルガーのチェロ協奏曲、現代曲のウェーベルンとシェーンベルク、ダン・タイ・ソンのモーツアルトピアノ協奏曲である。三つ目は、市ヶ谷ルーテル教会であった弦楽3重奏の「ゴルトベルク変奏曲」である。(後に曲目を貼り付けました)

コンサートホールへ出かけていつも思うのは、生で聴く楽器の音は素晴らしいということである。ピアニッシモからフォルテッシモへと、音がひずむことなく移行する。鳥羽咲音さんのエルガーのチェロ協奏曲を聴きながら、「独奏チェロは、こんな素晴らしい音色で、オーケストラに負けずに演奏するのか!」と思うほど朗々と響いていた。

失敗したのは、ピアノのダン・タイ・ソンである。親爺は、サントリーホールの値段の安い舞台の後ろの席に座っていた。ところが、ピアノは舞台の最前方に置かれ、正面の観客によく聞こえるように屋根を観客席の方に向けてあげていた。このため真後ろの席では、音が小さいのだった。

こうした生演奏を聴いて、いつも思うのは、曲の最初と最後だけは聴衆の心をしっかり掴み、フィナーレで爆音・轟音が鳴り響くトゥッティ(全奏)になり、圧倒された観客が拍手大喝さい、ブラボーの叫びを送るのがお定まりの約束だと思う。言い換えれば、似たような奏法で変化のない長い演奏が続く。曲の中間で多くの観客は退屈している。そして、いよいよクライマックの号砲をさりげなく挟んで、フィナーレが始まる。「終わりよければ全て良し」のポリシーでコンサートは演出されている。 こんなことじゃ、クラシックのコンサートは流行らないよな!

同時に、曲の表現が、音量の変化、耳をそばだてないと聞こえないようなピアニッシモと鼓膜が破れそうになるフォルテッシモの対比を乱用しすぎだ。たしかにフォルテッシモは、観客の度肝を抜くが、何回も繰り返されるので慣れてしまう。もっと、メロディーを引き立たせ、変化をつけないと駄目な気がする。これはメロディーを担当する楽器が頑張るというより、オブリガード(助奏)に回る楽器が、存在のレベルをぐんと下げることだ。両者をバランスよく、楽器が交代しながら響かせる。目立たせたい・強調したい旋律を観客に分かりやすく聴かせる。そして主従をすばやく交代すべきだ。どの楽器も自分の役目を精一杯果たそうと頑張りすぎ、目立とうとし過ぎだ。楽譜通り再現すればいいというものじゃない。演劇を見なさい、映画を見なさい。古典を忠実に再現するより、時代に合わせてリメークし、お客に再発見させることだ。

クラシック音楽のつまらなさの最大の原因は、音楽界の間違った思想にあると親爺は思っている。クラシック音楽界の重鎮たちは、口をそろえて、作曲家の書いた楽譜を忠実に再現しなくてはならぬという。作曲家の時代背景を研究し、当時の楽器を使い、楽器の調音(チューニング)も、平均律でなく純正律でやろうとさえする。こうなると、リスナーを楽しませる観点を失った狂信的な原理主義である。

カラヤン大先生の発言は分かり易い。『演奏者だけが盛り上がって聴衆は冷めているのは三流、 聴衆も同じく興奮して二流、 演奏者は冷静で聴衆が興奮して一流。』ヘ ルベルト・フォン・カラヤン

その点、グールドは音楽の演奏にあたって、楽譜の改変することを含めて、何通りもの演奏を試して、どうしたら最良の演奏になるかを考えていた。つまり、作曲家の思いを忠実に再現しようとすることは、たった一つの最善の演奏を探ることだが、グールドは曲のアプローチは何通りもあると考えていた。また、音楽を学ぶ学生たちに「余計な固定観念を植え付けられてしまうから、曲の練習をする前に、他の演奏者の演奏を聴いてはダメだ。」という意味のことを言っている。

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以下は、実際のコンサートの感想である。

5/31のシベリウスの交響詩「フィンランディア」は、10分足らずの曲で、知っているかなと思っていたが、あっさり終わってしまう。ドボルザークの「新世界から」は耳慣れているというものの、聞き覚えがあるのは、1楽章と最終楽章で、途中は退屈である。エルガーのチェロ協奏曲は、チェロの響きが素晴らしかった。どの曲も、始まりと終楽章だけが耳に残り、クライマックスで盛り上がって観客の拍手大喝さいとなる。

6/14のウェーベルン「夏風の中で」、シェーンベルク「交響詩ペレアスとメリザンド」は、今となっては印象がなにも残っていない。ダン・タイ・ソンがピアノを弾いたモーツアルト「ピアノ協奏曲12番」で観客は大喝さいしていたが、親爺には、ダン・タイ・ソンってこんなものなの?という感じで、拍子抜けである。

7/3の弦楽3重奏による「ゴルトベルク変奏曲」は、80分かけて楽譜どおりの繰り返し(反復)をしているのだろう、グールドは反復を大胆に省略し、旧録、新録とも40分程度で弾いており、旧録は疾走しながら、新録は瞑想、祈るように弾くのだが、ダラダラ繰り返すことなく、凝集されている。

おしまい

羽田空港 《いいかげんな日本のテレビ》海外の報道と衝突炎上事故の犯人さがし

2024年元日に、北陸で震度7の大地震が起こった。2日には、羽田空港の滑走路上で、海上保安庁のプロペラ機が日航のエアバス機と衝突、爆発炎上した。日航機の乗員乗客は、幸い無事に脱出できたが、どちらも悲惨な大災害、大事故であり、被災者の方や死亡者の方には言葉もない。

このどちらも、海外でも大ニュースとして報道されている。親爺が思うには、海外のニュースの取り上げ方は、日本よりはるかに客観的に事実を見て、詳しい。日本のテレビの報道は、あまりに一部だけを切り取って感傷的で漠然としており、延々と繰り返すばかりである。

元日におこった北陸の地震は、未だに被災状況の詳細が分かっていない。

海外の報道の切り口は、現在の建築基準法の耐震基準を満たしていない古い木造住宅でとりわけ倒壊の被害が大きく、冬の寒い中、多くの人々がホームレスになって、救援の手がとどかず人命の危機ではないかと放送している。つまり、日本という国が、どのように対処するのか注目している。

羽田の衝突事故は、日航機の乗客と乗員は無事だったものの、海上保安庁のプロペラ機は乗員5名が死亡、パイロットが重症になるという痛ましい事故だった。こちらも、海外のメディアは盛大にこれをとりあげている。こちらは、エアバスの乗員の活躍で、乗客乗員全員が奇跡的に助かったと称賛しているのは間違いない。

しかし一方で、このような過密ダイヤで、離着陸が難しい空港で、このような「ヒューマンエラー」が原因と思われる大事故が起こったのか、それも先進国といわれた日本でなぜ起こったのか、かなり懐疑的に報道されている向きがある。日航機には、コックピットに3人の操縦士がおり、海保機には操縦士が2人いた。世界各国は他国のことを露骨に非難しないが、日本がどのように対処するのか、注目しているのは間違いない。(現に正月以来の株価は、軟調である。)

France 24から

この航空機事故では、きょう(1月6日)の段階では、テレビは、海上保安庁の機長が、管制塔から誘導路で待機する指示を、滑走路の中で待機すると勘違いしたのが事故の原因で、警察が業務上過失致死で捜査していると報道されていることが多いようだ。

ところが、深田萌絵さんの動画では次のことを指摘されている。

  • ① 実際に管制塔と海保機で交わされた英語(”Taxi to holding points C5”(誘導路C5で待機しろ)と”Taxi into holding points C5”(C5滑走路で待機しろ)という表現は、紛らわしいので、国際的には変更されて使われてない表現である。最新の言い方は、”Hold short of “(~の手前で待て)をつけて言う。
  • ② 海保機には、最新のトランスポンダー(1秒ごとに自機の位置、高度を発信して周囲の航空機に知らせる装置)が装備されていなかった。これがあれば、着陸してくる日航機も滑走路上の海保機に気付く可能性があった。
  • ③ 管制塔にレーダー監視員がいなかった。管制塔のレーダーには滑走路に入った航空機を識別できた。
  • ④ 空港のストップライト(離陸許可が出た航空機に、地面に設置されたライトの列が航空機を滑走路に誘導する装置)が、昨年暮れから故障していたが、修理されていなかった。

同様なことを指摘しながら堀江貴文氏は、この事故を運輸安全委員会ではなく、警察が取り調べを始めていることに、原因が正しく究明できないのではないかと危惧されている。運輸安全委員会では、発言内容が法的に免責されるので正直に話すが、警察の取り調べは、刑事責任を問われる可能性があるため、正直に話さないだろうという。関係者が正直に話して、事故原因を正しく知るということが、犯人捜しより大事なことは言うまでもない。

おしまい

経済学者も国債買入に日銀当座預金が使われると理解していない 国債を応札しているのは外国企業だ 《森永卓郎×土居丈朗「財政均衡主義」はカルトか》の論争から

東スポの記事から(安藤裕さんの説明をお聞きします。)

1.経済学者にはどんな流派があるか

親爺が理解している経済学の流派はこんな感じである。

ヘリコプターマネーの思考実験で経済の拡大を提唱したミルトン・フリードマンを源流とし、新自由主義を旗印にするのが、新古典派といわれる《主流派経済学者》である。主流派ではないが、他の流派にはケインズの流れを汲む《ポストケインジアン》と、アベノミクスを裏でささえた金融政策を重視する《リフレ派》もほぼ主流派といっていいだろう。最近は、行動経済学という名前もよく聞く。最後が、管理通貨制度へ変わることで、通貨発行(信用創造)のパラダイムが変わったという《MMT派》(現代貨幣理論)である。

MMTは、債権・債務を発生させない通貨の所有権移転はないと考える。よって、ヘリコプターマネーはできないという立場である。もし本当にヘリコプターからお金を撒いたら、撒いた人に損失が発生し、拾った人には利益が発生する。損失は資産を取り崩して埋めたり、処理する必要がある。言い換えると、ヘリマネは、サステナブルではない。

経済学は、もともと学者の数だけ経済学があるともいわれ、混とんとしていると言えるかもしれない。

2.主流派経済学者は、国債の購入が『日銀当座預金』を使って行われることを理解していない。

ここずっと30年にわたる日本のデフレについて、財政拡大派と財政均衡派の意見が衝突し、まったく噛み合わない。このブログに登場しないが、新型コロナウイルス感染症対策分科会メンバーを務めた主流派経済学者の代表格の小林慶一郎さんも、「『オオカミ少年』とずっと言われてきたが、それでも政府債務膨張への警告を発することを止めない。」とおっしゃる。こうした主流派の経済学者たちは、国債発行残高が増えると、国債価格の暴落や金利の暴騰が起こるとなぜ危惧するのか、その理由を親爺も述べたい。

今回は、下の記事をとりあげた。雑誌、東洋経済にのった森永卓郎さんと土居丈朗さんの討論記事である。森永さんが『ザイム真理教』を発刊し、やはり主流派経済学者の代表格の土居さんと議論されている。

https://toyokeizai.net/articles/-/721495?page=3  ☜ こちら記事のリンク


この主流派の経済学者たちの間違った主張が、次の土居さんの発言に端的に表れている。

  • 「(過去に)財政赤字を出しても、日銀が国債を買えたので国債暴落が起きなかっただけだ。しかし今後はインフレが起きうる状況となっており、これまでと同様にはいかない。日銀も国債をずっと持ち続けることはできなくなる。物価高対策で、いずれは市中に事実上売らざるをえない。・・・インフレ期に、日銀が国債を買って通貨供給を増やせば、インフレをあおることにならないか。」と言われている。

「日銀が国債を買えたので国債暴落が起きなかった」と土居さんはこうおっしゃるが、そもそも日銀が異次元の量的緩和で、日銀当座預金という通貨を生みだし、それを原資に市中銀行が国債を購入していることを理解していない。同じように、日銀が国債を市中銀行から買い入れる時にも、日銀当座預金を使って行う。(とうぜん、債権債務がやりとりされる。)くりかえすが、この原資である日銀当座預金は、日銀が通貨発行して生み出したものだ。そして、この日銀当座預金は日銀の行内だけでの取引であるから、市中に影響がない。ここのところを、主流派経済学者の土居さんは理解していない。市中銀行が新発債の国債を買い入れするときも同様である。

つまり、日銀が既発債である国債を市中銀行から買うのは、《日銀当座預金》という日本銀行の中でしか使われていない通貨で行われていることを理解していないから、市中の取引、マーケットの預金流通量を減らして、金利上昇が起こると考えている。

なお、市中銀行が新発債の国債を必ず買うのも、日銀当座預金である。主流派の経済学者たちは、市中で流通している通貨(個人や企業の預金)で、国債が消化(買い取り)されていると思っている。(これは、最後に述べる。)

これらの取引は、国民生活に影響しない。政府が発行する国債を買うのは市中銀行である。市中銀行は、日銀から通貨発行された資産である日銀当座預金(裏には《借入金》という負債を負っている。)を原資にして、国債を買い入れる。つまり、市中銀行が手にしている日銀当座預金という資産が、国債という資産に振りかわっただけだ。市中銀行は日銀当座預金を持っていても基本的に利子がつかないので、少しでも利子がつく国債を必ず購入する。このように、日銀と市中銀行のあいだで、お互いに日銀当座預金と国債の残高を増やしただけでは、市中、つまり国民生活に直接の影響はない。日銀のなかにある政府口座のお金を、政府が予算執行するまで市中、国民生活になにも影響はない。政府が予算を使ってはじめて、国民の財布は豊かになる。もちろん、民間企業が使っても国民(と政府)の財布は豊かになるのだが、今のデフレ状況では、民間企業にそれを期待できない。

つまり、誰か(政府か企業のどちらか)が負債を負わないと、国民(消費者)の財布は豊かにならない。高度成長期は、企業が莫大な借金を抱えて経済のパイが成長したから、政府支出を増やさずとも、国民の財布は豊かだった。いま企業も政府も負債を負うことをしなかったら、国民の財布は空っぽなままだ。

主流派経済学者の財政均衡を主張する理由のほとんどは、国債がどんどん増発されると、やがて引き受け手が無くなり、国債価格の低下をもたらし金利が上昇し、ついにコントロールできなくなるというものだ。土居さんが、『日銀も国債をずっと持ち続けることはできなくなる。物価高対策で、いずれは市中に事実上売らざるをえない』と言うのは意味不明だが、もし日銀の持っている国債を売って、政府の予算執行に使う日が来るというのであれば、バカかといいたい。通貨を発行しているのは日銀だぞといいたい。 

黒田日銀の異次元の量的緩和(QE)を、何年も続け、日本は、特段の弊害を生じることなく、国債価格も金利も日銀はコントロールできた。成長できなかった理由は、量的緩和の失敗ではなく、財政支出が足りなかったのが明らかだ。欧米諸国は、日本の量的緩和を見て、何の悪影響もなかったと分かって、このコロナの時に追随した。欧米は、量的緩和をするだけでなく、財政支出も急拡大させた。(やりすぎて、烈しいインフレになったが・・。)

下の動画で、前衆議院議員で公認会計士の安藤裕さんが解説をされている。5分15秒のところを、ぜひ見てください。「日銀が国債を買っても市中にお金は回りませんから」「日銀当座預金が積みあがるだけで、日銀当座預金は一般の人が手に入れることができないお金なので、市中の通貨供給量は増えないんです」と言われている。

主流派経済学者の皆様、お願いします。なんとか考えを改めてください。あなた方と財務省の考えが、30年間、日本中を席巻しているから、マスコミもあなた方に忖度し、国民の大多数が、日本は借金で首が回らないと思っています。日銀がやっている実務を見てください!!

冒頭にも写真を掲げた安藤裕さんは、自民党時代に積極財政を訴えていたが、不倫報道があり再出馬を断念された。現在は、YOUTUBEに積極財政の動画を上げ、財政拡大を訴えるため「赤字黒字」というコンビで、漫才師の登竜門であるM1グランプリにも出場されている。

3.国債はどのようなプロセスで発行され、保有されているか

親爺は、以前実際に国債を買っていた時期があった。それでは国債は市中のお金を使って買われているのだろうか? その答えは、ごくごく一部にあるという答えになる。

下がの図が国債を誰が保有しているかというチャートだ。これを見ると、日銀当座預金を使える立場にある、日本銀行、市中銀行、証券会社等の割合は、58.8%である。保険・年金基金と公的年金を足すと23.74%になる。両方足すと82.54%になる。ここにある保険・年金基金と公的年金は、事業の性格上、顧客から得た資金の運用にリスクの最も少ない運用先として国債を選んでいると考えられる。ネットで見ると、これら法人は、証券や銀行などの日銀に口座のある金融機関から購入しているようだ。

つまり、日銀当座預金で国債を購入できる市中銀行(市中銀行と証券会社等)が、国債を引き受け、市中に売っている。それらを買うのは、保険、年金基金、公的年金など消費者保護のために法律で資金運用に制限がある法人である。日本国債は利率も、銀行の定期預金と同じほど現状は低いので、大した魅力はない。つまり、金融機関や保険、年金を扱う会社にとって、国債は安全で、現金で持つよりは、少しは金利が付くから選択されているにすぎない。

外人が13.14%保有しているのだが、昨年あたり、日本国債をカラ売りして暴落したところで買い戻して大儲けしようとしていた外国ファンドの存在が報道された。これは、過去ずっとこのような馬鹿な外国ファンド「未亡人製造機」がいるのが不思議なのだが、変動相場制度を採用しており自国通貨で国債を刷れる国相手にやっても無駄だということが分かっていないとしか思えない。(ジョージ・ソロスが、固定相場を守ろうとする英国相手に、国債のカラ売りをして大儲けしたことがある。)現在は、諸外国の金利がずっと高いので、日本国債は安全だという以外に投資先として魅力がない。

4.なんと!!日本国債の入札参加社の半数以上が外国企業だ!!

ここで親爺は、国債の発行プロセスを調べながら、違うことを知ってしまい驚いた。日銀当座預金を使って日本国債を買っている金融機関の多数が外国企業になっている!!

下の表は、財務省が国債発行の際の手続きを改めた平成16年の「国債市場特別参加者の指定等について」で、国債入札への応札・落札等に関する一定の責任を果たす者を「国債市場特別参加者」として指定した者のリストだ。

こんなことでいいの?外国企業がこんなところで儲けているのよ!!

おしまい

パーティー券裏金事件 《タッグ 麻生副総理・財務省・特捜検察》再度のどんでん返しはあるか? 

パーティ券裏金問題で、政治がこれ以上ないほど面白いことになっている。自民党が解体してもおかしくない。

神戸学院大学の上脇教授が、政治資金収支報告書を地道に調べ上げ、派閥が開催するためのパーティー券を売りさばく際に、議員が集めてきたお金がキックバックされていたり、割り当て分だけを派閥へ納め、上回った額は毎年、ポケットに入れてきたと告発された。これは何十年も前から行われてきた慣行であり、与野党を問わず、どこの派閥でもやってきたらしい。時効が5年のため、その5年間の額が自民党で1億円だと、最初、報道されていた。ところが、この1億円は、裁判で立証できる金額であり、どうやら実際ははるかに多いということらしい。

現在のところ、マスコミが報道しているのは、自民党の二階派もわずかにあるが、安倍派のみで、他の派閥(麻生派、茂木派、岸田派)は、特捜部が調べているにも拘わらず、そちらはほぼマスコミのニュースに取り上げられていない。マスコミへ検察が安倍派に限ってリークしているからだ。

岸田政権は、ずっと人気が低迷してきた。ここへ来て大臣政務官、副大臣が次々辞任へ追い込まれたが、これは岸田政権を見限った財務省が不祥事のネタをマスコミへリークしたからだと言われている。

つまり、今回の岸田総裁追い落とし騒動も、財務省がシナリオを描き、そのシナリオに従って、茂木さんを総理大臣にしたい、石破さんを担ぎたい二階さんを落としたい、最大派閥の安倍派と二階派を潰したい麻生副総理がそれに乗り、その策略に検察も乗っかっていると言われる。

もちろん、財務省が裏で糸を引くそのようなシナリオを描き、東京地検特捜部が、マスコミにニュースネタを限定的に流しているとまるで小説のようなことが行われていると確信を持って言えることではない。

しかし、自民党の安倍派には、積極財政を唱える議員が多い。安倍派潰しとは、積極財政潰しでもある。財務省は、国債は将来償還しなければならないので子孫にツケを残すというが、実際のところ、国債は償還せずに借り換えているし、このような不景気を脱出するには、積極財政が必須である。

国民も財務省の長年の宣伝を信じているので、一人当たり約1千万円の借金を背負っていると思う人が大半だろう。国会議員の中でも正しい経済観を持っている議員は、数少ない。

親爺が知っている範囲で、現職の国会議員では、国民民主党の玉木雄一郎、立憲民主党の原口一博、自民党の高市早苗、西田昌司、「責任ある積極財政を推進する議員連盟」の代表中村裕之や顧問の城内実ら100人ほどいる。議員連盟に名前がある自民党の議員は安倍派に限らないが、安倍派が多いのは間違いがないだろう。

親爺は思っている。財務省は、警察(検察)権力と密接なだけではなく国税当局とも密接である。国会議員や財界人などの多くの世間で上に立つ人に限らず、多くの庶民も秘密を抱えている。財務省は、気に入らない人物は、警察を使って身辺を調べたり、国税当局を差し向けて税務調査に入るという。

麻生副総理もきっと脛に傷があるだろう。表立って財務省に反旗を翻すことは出来ないかもしれない。だが、こうして日本を鍋をひっくり返すように、有象無象の代議士たちを地獄の底へ落して、芥川龍之介のクモの糸を登ろうとする国会議員が、結局は地獄の底に全員落ちてはじめて、《じつは、麻生副総理は、他力本願ではあるが、日本を新しい社会へ作り変えられるかもしれないと思っている》ことを期待して止まない。

おしまい

次の動画は、国民民主党の玉木雄一郎の動画です。この人の言うことは正常です。正しい経済観をお持ちだと思います。

こちらは、元朝日新聞記者の鮫島浩さん。正しい経済観を持たれているようには思えないので親爺はあまり好きではないのですが、政治分析は大したものだと思います。

こちらは、山口敬之さん。伊藤詩織さんレイプ事件で損害賠償を命じられたので、この人の話は信じられないという人は多いでしょう。親爺もそうです。しかし、鮫島さん同様政治の分析に説得力があります。

『アイスランドのグレン・グールド』 ヴィキングル・オラフソン「ゴルトベルク変奏曲」リサイタル

(2023/12/6 一部修正しました。)

2023年12月3日、サントリーホールでヴィキングル・オラフソンのゴルトベルク変奏曲のリサイタルへ行ってきました。ネットで調べると、オラフソンは、1984年アイスランド生まれで、2008年にジュリアード音楽院を卒業しているそうです。

なかなか良いリサイタルでしたが、親爺は、グールドおたく、グールド推しなので、グールドファンでない人には申し訳ない内容になるとおもいます。天才と比べてどうするんだ、という批判はあるでしょうが感じたことを忖度なしに書いてみたいと思います。

やはり一番は、何と言っても演奏時間がとても長い、長すぎる点です。グールドはゴルトベルグ変奏曲をデビュー時と、亡くなる直前の2回録音をしています。ビートを効かし、みずみずしい演奏をした1回目が38分で、観念的で沈思するように弾いた2回目が51分でした。これに対して、オラフソンは(CDによると)反復を楽譜どおりにして74分かかって弾いていました。1 演奏会場のロビーには、「演奏時間約80分。途中休憩なし。」と掲示されていました。これだけ差があるのは、グールドは、1回目の録音では全曲で反復をしていませんし、2回目の録音では30曲ある変奏曲中の13曲の前半だけを反復しているにすぎないからです。このため、グールドの演奏を聴き慣れた耳には、「何度もリピートしないで!次へ行って。」と思います。

このオラフソンは、29変奏と30変奏『クオドリベット2』のところで盛大なクライマックスを持ってきて、フォルテッシモでガンガン弾き、32番めの(最後の)アリアをソフトペダルで音量をぐっと抑え、静謐で穏やかな印象でこの曲を閉じました。このために、観客に極めて大きな感動を与えることに成功したと思います。

親爺が思うに、このゴルトベルク変奏曲は、終曲のアリアの一つ前の『クオドリベット』が、それまでの格式ばった印象を解き放ち、俗謡「キャベツとかぶ」のメロディーによって気安く楽しい雰囲気へと一気に変わります。そして、最後のアリアで再び、天国のような美しい歌声で終わりました。オルフソン、なかなか良かったです。「終わりよければ全てよし」と満員の観客から感動の大喝采を浴びていました。

ここで、他の演奏家の演奏時間もざっと調べてみましょう。ファジル・サイは79分、ラン・ランは90分、バレンボイムも90分、アンジェラ・ヒューイットの1999年録音は、79分、2015年の録音は82分、親爺が好きなシュ・シャオ-メイは85分、辰巳美納子(チェンバロ)は80分、グスタフ・レオンハルト(チェンバロ)は、79分、カール・リヒター(チェンバロ)は、79分です。親爺が知るなかで唯一、高橋悠治(1938年 -)は、1976年に37分で演奏しています。つまり、高橋悠治を除くピアニストは、楽譜どおりにせっせと反復をしていると思います。高橋悠治の演奏もいいですね。

こうしてみると、グールドはあらゆる演奏において、パイオニアであり、かつ変人だったのは間違いがないとして、繰り返しをしていないピアニスト(兼作曲家)に高橋悠治がいるわけですが、この人はグールドと6歳違いのほぼ同世代で、小澤征爾、武満徹、トロント交響楽団と一緒に活動していた時期があり、おそらく、グールドとも会っていただろうと思います。

グールドは、「コンサートは死んだ」といい、演奏会の価値を否定しましたが、実際に会場で聴く生の音の心地よさを、自宅で再現することはなかなかできないと思います。アコースティックな電気をとおさない響きは、何にも代えがたいと思います。

コンサートの開場の前の、群衆としての観客の多さを見て、グランドピアノというのは、1台でこの2000人以上の観客に音を届けられるんだと感心するだけでなく、ピアニストが、この人たち全員に音が届くように弾くのは、ある種、目の前で弾くのとは違った技術を要求されるだろうと感じました。

開場を待つ観客が集まったところ。こんなにたくさんの人にピアノの音が届くんですね。

オラフソンは、すべてを暗譜で弾いていました。そのため変奏の切れ目で、一音をずっーと伸ばしたまま響かせ、次の変奏へ自然にうつる工夫をしていました。おかげで、楽譜のページをくるインターバルの違和感がなくなったと思います。

どのピアニストもグールドのように弾けないんだなと思うのは、グールドは、どれだけ弱く小さい旋律を弾いていても、一つ一つの音が、はっきり主張しています。早く弾いてもそうです。一音一音が粒のように分離しています。ところが、他のピアニストはスケール(音階)などを速く弾くと、ダラダラっと塊になってしまって、聞き分けられません。

グールドは、デタシェ、ノンレガート、スタッカートとレガートを弾き分けます。デタシェは、ノンレガートと同じで、音を切ることをいいます。スタッカートはもっと速く切ります。

グールドの演奏の基本はノンレガートにあります。ノンレガートには、緊張を和らげる効果やユーモラスな効果があります。レガートは美しく感動を呼びますが、それだけでは、どうしても平板になりがちですし、聞き手の緊張はいつまでも続かないので飽きてきます。グールドは、このノンレガートとレガートをバランスよく弾け分けます。しかも、ソプラノ、アルト、バリトン、バスの声部をレガートとノンレガートを交代させながら弾きます。 しかし、ノンレガートを使って、ずっと弾けるピアニストは、音の粒を揃えるのが難しいために、なかなかいないようです。

オラフソンは、ダンパーペダルを使いまくっています。最初から最後まで、あらゆる場面で細かく、激しくこのペダルを使っています。ピアノ(弱音)の小さい音を表現したい時には、ソフトペダルもずっと踏んでいました。ダンパーペダルを押し下げると、鍵盤から指をはなしても音を伸ばすことが出来ます。

グールドの演奏の特徴は、ペダルをほとんど使わないところにあります。つまり、音を延ばしたいときには指を持ちかえながら、鍵盤を押さえつづけるというピアノ演奏の基本にあります。そうすることで、音が濁らず明晰に聴こえる効果があると思います。

オラフソンは、超速でパッセージを弾くことができ、見事にリズムを保っていました。ただ、前に書きましたが、音がつながって聴こえ明晰ではありません。メロディーも高音ばかりが目立って、ときどき低音や内声のメロディーも聴こえますが、ポリフォニーという感じがせず、声部が交代している感じがしません。グールドは、いつでもつねに声部の対比を楽しませてくれます。

終演後、観客が熱狂的に拍手と歓声を送りました。ですが、オラフソンはアンコールの演奏をしませんでした。何度かステージにでてきた最後に、「日本へきてこのように盛大な拍手をもらえるのはうれしいですが、このような素晴らしい曲を弾いた後に、他の曲を弾くのはできません。」といった意味を言っていました。会場もすぐに明るくなり、観客は帰り支度をしなければなリませんでしたが、アンコール曲の演奏を聴きたかったという人は多いと思います。

サイトから、第1番の変奏だけを聴くことが出来ます。

おまけ

実は、翌日(12月3日)に葛飾シンフォニーホールの公演では、オラフソンのゴルトベルク変奏曲だけでなく、清水靖晃とサキソフォネッツ(5サキソフォンと4コントラバス)によるこの曲の演奏会があったのです。これを親爺は、チケットを買う際にうっかり間違えてしまったのです。もったいないことをしました。(涙、涙)

おまけ2

ファジル・サイのゴルトベルク変奏曲のリサイタルへ行ったときの記事です

おまけ3

辰巳美納子のゴルトベルク変奏曲のリサイタルへ行ったときの記事です

おしまい

  1. グールドは、「1955年には、32曲全曲反復なしのA-B-(なお、1959年のライブ演奏の録音では、A-B-が30曲、AAB-が2曲でした。)でしたが、AAB-は1981年には13曲となり、その分だけでも全体の演奏時間は長くなっています。ちなみに、どちらのグールドの演奏にも、後半の反復をするA-BBあるいはAABBの形式は採用されていません。」(http://wisteriafield.jp/goldberg/#part13ch1325 から引用させてもらいました。) ↩︎
  2. クオドリベット(Quod libet) ラテン語で「好きなものをなんでも」という意味で、大勢で短いメロディの歌を思いつきで歌い合うことです。 ↩︎