新型コロナウイルス すっごい人がいたもんだ! 郷原信郎弁護士、上昌広医師対談

新型コロナウイルス肺炎だが、ますます悪化し、我が道をいく日本は、ますますガラパゴス化して、このジャンルもかよと暗澹たる気持ちになる。

正義の使者、ドン・キホーテなのかともかく、弁護士の郷原信郎さんが、新たにYOU TUBERとなり、「日本の権力を斬る!」という番組を始められた。

このうち、医師の上昌広さんとの対談を転載させていただく。

この新型コロナの問題では、日本がいつまでたってもPCR検査に本腰を入れず、世界と比べるとまったく奇妙な動きをしている。アメリカは、いつまでたっても検査をしない日本では医療をまともに受けられない懸念があるとして、アメリカ人に帰国勧告を出したほどだ。 この日本がPCR検査をしないことについて、上医師は、厚労省と国立感染研究所のムラ社会の医師たちが対処方針を仕切っており、彼らは「日本がPCR検査をしなかったことが、感染爆発を防いだ。クラスターを追うことが成功の原因だ。」と考えているとおっしゃっている。 ところが、実際に起こっていることは、失敗がはっきりしつつあり、いよいよ日本でも感染爆発が起こりそうだ。

たしかに日本では、アメリカや欧米ほど、死者数が出ていないのは観察される。だが、日本では肺炎が原因で死亡する人が年間20万人あり、この2か月に亡くなった3万人の死亡者に、PCR検査をしていない。このため、やはりこの死者数の中には、新型コロナウィルスによる肺炎で死亡した人が含まれているだろうと言われてる。

また、すでに発表されている感染者数には、医療関係者の感染が相当数含まれているのだが、マスコミやコロナ対策をする専門家、政府が、院内感染の危機を十分に伝えていないという。

けっこう長いので、一つだけ見るという方が居られたら、#5 を先に見ていただければよいと思います。

 

 

おまけだが、郷原弁護士は、モリカケ問題の佐川理財局長の指示で自殺したという遺書を残された近畿財務局の赤木俊夫さんの問題にも、問題をわかりやすく語っておられる。

おしまい

新型コロナウイルス

中国発の新型コロナウイルスによる肺炎がとんでもないことになっている。これに対する主の辛口批評を書いてみたい。(2020.3.22)

厚労省のHPから

1.【日本の取り組みが世界と比べて甘く、大丈夫か?】 感染の広がりが世界各国と比べて、日本はどうも遅いようだ。日本人は、ショッピングセンターで買い物をしているし、郊外の観光施設は、道路も混んでいるし普通ににぎわっている。政府は緊急事態宣言を見送ったのだが、これでいいのだろうか? これが正しいのかは、PCR検査をしていないので、真偽が分からないのだが、日本人にある程度免疫が備わっており、世界各国と比べ発症度合いが少ないと言われることがある。本当なら良いのだが、市中感染の広がりは徐々に増えていると思われ、やがて感染爆発(オーバー・シュート)が起こりそうだ。

2.【PCR検査数が少ないこと】 中国の武漢で感染が広がりつつある当初から、中国は、スイスのロシュの検査キットを使って、PCR検査を大々的にやっていた。 一方、日本政府はこの新型肺炎を指定感染症に指定し、治療費を無料にする代わりに、診療機関を限定し、PCR検査も保健所と衛生研究所、感染症研究所のルートに限定し、発熱しても4日間は自宅で我慢させるというのが、今なお変わらない方針である。したがって、街中の一般の内科クリニックには、「保健所」か「帰国者・接触者相談センター」にまず連絡するよう張り紙が掲示されている。この方針は、PCR検査、ワクチン、治療薬の開発を外国のものを使うのではなく、国内でやりたいという思惑が見えていた。端的に言えば、医者の中でも感染研などの医師のうちの研究者グループ、厚生労働省、日本の製薬メーカーが、この機会に勢力を拡大しようと企んだ。しかし、事態の進展は予想以上に急で、クルーズ船への対応を含め、日本だけが世界と違う取り扱いを続けてきたし、今も続けている。ここでは何といっても、隠れた感染者がどれだけいるのか分からないので、はっきりしたことが言えない。死者数もそうだ。3/22現在の死者数は36人にすぎないが、世界各国と比べて異常に少ない数で、これも怪しい。日本ではググると、毎年、肺炎で4万人、風邪で3000人なくなるらしい。これは月平均にすると、3500人くらいになるのだが、これの中にも、新型コロナウイルスの感染者が含まれているのにかかわらず、カウントされていないのではないか。意図的に検査しないのだから、分かりようがない。

3.【日本のコンピューター技術力のなさ】 中国が、10日間で病院を建設したのには驚いたが、QRコードをスマホに配り国民の動きを監視する体制をすぐにとった。台湾でもそうだ。マスク不足が起こるのだが、スマホにマスクの在庫のある近所の薬局が表示され、権利のある購入者がその店でマスクが買える。韓国でも同様で、交通パスの履歴などを使い、国民の動きを追い、実際に自粛しているかどうかチェックしている。 ひるがえって日本であるが、このような報道があっても、プライバシーの観点から肯定的に報道されないし、なにより、こうしたアプリを日本でただちに作れるとは思えない。あれこれ経費のことや、横断する官庁の縄張り、法律の整備などをあげて、前に進まないのが目に見える。また、短期間で安く作るプログラミングの技術力も怪しいと思っている。大手のソフトハウス(NECや富士通など)が何年も何億円もかけて、使いにくいものしかできなそうだ。アナログな口先だけの対策は、実効が上がらないし、間に合わない。

4.【韓国のこと、マスコミのこと】 韓国は、PCR検査に力を入れ、世界からはコロナウイルス克服の成功例と見られているらしい。しかし、日本のマスコミの報道では韓国の実情がよく分からない。妙に正負のバイアスがかかっていて、韓国は危機から立ち直るのか、文政権への国民の支持が続くのか不明だ。 WHOが「すべての国にいう。検査、検査、検査だ」と言ったのは、明らかに日本を念頭に置いている。しかし、マスコミは踏み込んだ論評をしない。結局のところ、オリンピックの延期や近畿財務局の職員の自殺の手記など、他の事象でもそうだが、政権に忖度して、表面的な感情論を表明するだけだ。もっと具体的な根拠を示したうえで、はっきりとした意見を言うべきだ。

5.【ジョンソン首相と橋下徹氏の発想】 イギリス、ジョンソン首相が、橋本徹氏と同じように国民の大半に免疫がつくまで放置しようという方針を一時出したことがある。しかし、国民から猛烈な批判を浴びて、撤回に追い込まれた。若者は保菌者になっても、症状すら出ないという。基礎疾患がある人や、老人には厳しいが、社会が負担する膨大なコストを考えるとどうなんだろう、人間の命は永遠ではないのだし。若者が困窮して、生活苦になるのであれば、それも問題だ。 いずれにしても、政治家は選挙の1票が頭にあるので、老人を切り捨てるとは絶対に言わない。

6.【景気対策のこと】 誰が見ても、不況がやってくる。アメリカは100兆円の経済対策をするという。日本は、盛大にやっても一人10万円の給付。全体で12兆円になる。全員に配るのが技術的に簡単かもしれないが、必要な貧困層に限定して配るべきだ。そうすると、4分の1程度になる。しかし、消費の落ち込みはすさまじいので、消費税をゼロにするのが、消費の喚起には一番良い。しかし、財務省の宣伝が行き届いていて、政治家、官僚、マスコミの賛同は得られそうにない。京都大学の藤井聡教授が消費税ゼロパーセントを力説しており、リフレ派の経済学者は、前から不況期の消費税が、景気へのブレーキの効果を持つことを懸念しているのだが、財務省の経済センスのない官僚は、政府の赤字と家計の赤字を区別できない。 また、デービット・アトキンソン氏が指摘しているのだが、日本が成長できないないのは、中小企業を優遇しているからだというのがある。今回のような経済危機が起こると、政府は必ず中小企業支援と「雇用を守る」という。生産性の低い中小企業が、経済の足を引っ張っているので、淘汰の良いチャンスであり、守るべきは雇用でなく、「生活者を守る」ことが必要なはずだ。 こちらも、選挙の票を意識するので、中小企業を退場してもらうと、政治家は絶対に言わない。 しかし、それではいつまでたっても、経済の長期低迷から脱出できない。アトキンソン氏が言うのは、中小企業が淘汰され、数を減らすことで、労働者が集約後の規模の大きな企業(コンピュータなどの投資も可能な企業)で働くことにより、生産性も上がり獲得する賃金が増えるというものだ。日本は中小企業の数が多すぎるため、過当競争により、値下げ圧力が働いているという。

7.【インフルエンザ対策】 ひとつ根本的に腑に落ちないことがある。新型ウイルスだが、本当にワクチンや治療薬は効果があるのだろうか? 世界中で、新薬や検査キットの開発競争が繰り広げられているが、医師と製薬会社の企みがどの程度入っているのだろう? 近藤誠さんという医師がいて、インフルエンザは昔、「流行性感冒」という名前で、結局のところ対処療法しかない「風邪」であり、数日寝ていて治るのを待つ病気だという。要は、ウイルスは突然変異するので、製薬しても効果がなかなか上がらないらしい。風邪といっても、体力がなかったり、免疫が低かったりすると死亡するのは当然である。 世界中で、医者と製薬会社が企んでいるのではないか。トランプ大統領や日本の総理大臣の発言を聞くとそう感じる。

8.【カタカナ用語】 今回の件で、カタカナが氾濫している。クラスター(集団)、オーバーシュート(患者の急増)、ピークアウト(頂点到達)、ロックダウン(封鎖)、アウトブレイク(突発的発生)などなど。主が知らなかった言葉がたくさんある。これらは、専門家を隠れ蓑にして、「素人は黙ってろ!」と誘導しよとするサインだとしか思えない。

おしまい

 

退職するなら会社都合でしよう!! 失業給付の話

今の労働法では、65歳まで企業側は雇用義務がある中で、定年延長の恩恵にあずかる主は、何も知らず、64歳10か月のところで、契約期間を満了して退職した。この2か月の差により、失業保険で手厚い給付を得ることができた。

詳しく書くならば、主は非常勤の嘱託として週に3日働いていた。もう1年勤める権利があったのだが、今年の年度末で退職した。実際のところは、職場の人間関係に嫌気を指し、即刻辞めようと思ったのだが、有給休暇も使えるし、期間を満了して契約更新しないスタイルの方が、体裁がいいかなと漠然と思ったのだ。

失業保険の仕組みは、退職の年齢、被保険者だった期間と、会社都合の退職か自己都合の退職かの別により、上の表のとおり給付額や給付期間に差が出る仕組みになっている。65歳以上になると、そりゃそうだと思うが、ゼロではないものの、対象外のような扱いとなる。また、自己都合で辞めると、下の表のとおり給付日数が減ることに加え、給付開始までに2か月の猶予期間があるため、金が手元に入るまで時間がかかり、厳しい。

「https://president.jp/articles/-/8804」から

「http://taisyoku.style-space.com/archives/jikotugo.php」から

ネットには、会社都合になる条件などが詳しく出ている。自分の意思で辞めるにしても、ちょっとした知識があれば、不都合を避けられる。自己都合であっても、できるものならば、会社の人事にお願いして、円満に会社都合にしてもらうのが得策だ。

おしまい

厚生年金はどのように計算されるか

主は、厚生年金を受給する年齢となり、何度か年金事務所へ足を運び受給額をシミュレーションしてもらっていたのだが、実際にエクセルをつかって細部を計算してみた。計算方法などは、年金機構のホームページで知った。

サラリーマンの年金である厚生年金は、老齢基礎年金(国民年金)と老齢厚生年金(厚生年金保険)の2種類が支給される。

まず、老齢基礎年金(国民年金)分はシンプルで、20歳から60歳まで480か月分掛けた場合の満額(年額)が、780,100円である。22歳の4月から働き始めた主は、60歳の誕生月まででは、446か月だ。この場合だと、支給額は、780,100×446/480を計算すればよい。(この式では、満額支給されないように思われるのだが、差額は、次の老齢厚生年金の「経過的加算」により支給される)

65歳から支給される老齢厚生年金(厚生年金保険)は、「報酬比例年金額」、「経過的加算」、「加給年金額」の3要素からなる。経過的加算は、前述の国民年金額の不足分に相当し、加給年金額は配偶者手当のようなものなので、説明を省略し、報酬比例年金額だけを書いてみる。

報酬比例年金額を求めるには、働き始めた(保険料を納付しはじめた)時から、現在に至るまでの標準報酬を知る必要がある。これは、年金定期便の詳細バージョンに書かれている。このあたりの詳しい仕組みや経緯を主は知らないが、年期定期便は、ラフなものと根拠が分かる細かいものがあり、ラフなものは計算結果しか表示されていない。年金事務所で、本部へ電話で依頼すると詳細バージョンの最新のものを作ってくれると教えてもらった。ネットのマイページでも、詳細データを見ることはできるが、まとめてデータを書きだすような機能はないようなので、出力依頼する方が確実である。(ただし、3か月ほど待たされるが)

平成15年4月以降、年金保険の掛け金は、ボーナスに対しても納めるように制度が変更になった。また、給料がいくら多くとも、最高の標準報酬月額は62万円に設定されており、それ以上の給与をもらっていても62万円に見合う掛け金しか納付しない。やはり、ボーナスにも上限額があり、一月あたり150万円の設定である。このようなことから、仮に1000万円以上の年収を得ていても、掛け金を納められる上限が決まっているため、支給額は一定のところで頭打ちになる。(もちろん、上限に満たない場合は、報酬に比例して支給額が少なくなる)

実際にエクセルで計算するには、支払い月の標準報酬額に「再評価率」を乗じる必要がある。つまり、過去の給与には、物価の変動や金利の動向などの影響があり、年度ごとの「再評価率」が決められており、これを乗じる必要がある。これを見ていると、世相を反映しているなと思うのだが、昭和の時代を昔へ遡るほど数字は大きくなり、昭和32年の掛け率は14倍である。これは、昭和32年に10万円の給与をもらった場合、140万円として計算することを意味する。この率は、徐々に下がり、平成元年には1.2倍、それ以降はデフレを反映して、掛け率は1を下回る0.9台になっている。

「最評価率」が別ページで開きます

つまり、報酬比例年金額は、過去に働いて納めた掛け金に相応する標準報酬額に再評価率を乗じて求めた加重平均に、さらに被保険者期間の月数を乗じて求める。 ところがこの再評価率は、前述したように、高度成長期に貰った給与は掛け率が高く、平成以降のデフレ期の給与は掛け率が低いので、世代間格差が出てくるのはここに原因がある。トータルで、同じ金額の給与をもらっていたとしても、働いた時期が古いほどもらえるが額が多くなる。

NAVERまとめから

現在のトピックとして、厚生年金で生活しようとすると、生涯で2000万円が不足し、その分の貯金が必要という金融庁の報告に対し、野党などが年金は「100年安心!」と言っていたのではないかと、世間を騒がせている。ほとんどの人は、漠然とにしろ、そのような状態になるだろうと思っていると思われる。実際に主が計算した例でも、昔の世代の勤労者であれば、月額給与上限の62万円に達していたことが多いはずだが、現在では、非正規で働いている人を含め、昔ほどの高給を貰っていない人の比率が高いだろう。その場合、当然ながら、将来もらえる年金額は比例して下がる。

金融庁の思惑は、そのような事態に備えて、個人に投資を進めるところにあったが、これまた、元本自体を目減りさせるリスクが大きい。

無責任な発言かもしれないが、ここは、国民全体でコンセンサスの転換をして、ベーシックインカムの導入を本気で考えるしかないと思う。3000年紀に入り、2000年紀と社会自体が変わってしまっているのだから。また、消費税を計画通り上げそうな気配だが、さらなる不況に陥る可能性が高い。

おしまい

従兄と「元気なうちに」会ってきた 「クラス会」行ってきた

いろいろ書いているが、主もよい年になってきた。定年は4年前に済ませ、再任用だったり、嘱託で4年経過し、3月に退職していよいよ「サンデー毎日」の生活がはじまった。(親父ギャグすいまへん)

昨年より前から、大阪と千葉で離れて30年会っていない従兄と会いたいと話をしていた。主の女房は高校の同級生で、昨年、大阪へ我が家を代表してクラス会に出席していた。それで今年は、従兄の件もあるし、主の出番と思って旅費を払って大阪まで行ってきた。

大阪のクラス会は2年ぶりなのだが、ホテル代が異様に高騰していた。2年前に高いホテルへ泊まろうとした難波の「スイスホテル」のシングルは、2万5千円ほどと倍以上する。他も似たようなもので、アパホテルでさえ場所によって2万円近い。実際に新大阪駅についてみると、おおさか東線というのが開業していた。日本橋で入った地下街で、近鉄線が阪神なんば線を経由して神戸方面とつながっていた。京阪線は、淀屋橋が終着ではなく、中之島まで伸びていた。

定年退職した身、なるべく倹約しようと持っている切符だけで済まそうと、天王寺~難波間、翌日は淀屋橋~難波間を歩いた。この道中で、新世界のあたりも、外人旅行客が多く町もきれいになっていたし、日本橋は、東京の秋葉原のようなメイドカフェが立ち並び、コスプレ姿のメイドと中古のPCショップの客で賑やかだった。戎橋付近では、心斎橋筋のメインストリートより、脇道にそれた方が賑やかで人も多く、大阪を離れて10年ほどになる主は、すっかり方向感覚がなくなっていた。この賑やかさの何割かは、外人旅行客のおかげだろう。

30年ぶりの従兄との再会は、時間を感じさせないくらいに話も盛り上がった。従兄はマメに他のいとことも連絡を取っていたので、親戚の消息を詳しく知ることができた。従兄は78歳、主は64歳なのだが、最近のことはあまりうまく思い出せないくせに、昔のことなら記憶が蘇るものだと感心した。従兄と話をすると、出るわ、出るわ、昔のエピソードである。

クラス会の方も同じで、こちらは「病気自慢」の様相を呈した。主は、言わなくていいこと、むしろ、言わない方がよいことを、いろいろ言ってしまったのだが、いつものことである。

千日前あたりで宮根誠司の番組に使う《街頭インタビュー》を、ADらしき人のよさそうな一人の若者が、カメラを担ぎながら答えてくれる通行人を探していた。彼が放送したい内容は、「平成の失敗トーク」に対するコメントが欲しいようだった。「失敗トーク」には、石田純一の「不倫は文化」、森喜朗の「あの子、大事なときには必ず転ぶ」など20種類あるのだった。

若いADはなかなかインタビューに応じてくれる通行人を見つけられず、困り顔をしていた。酔っ払いである同級生の面々のうち男たちは「わし、宮根誠司、嫌いやねん!」とか「そんなんゆうたら、放送されへんやろ!」言っていたのだが、マドンナたち二人がマイクに向かって、どういう話の文脈かわからないのだが、「べったこでもええねん!頑張っただけで!!」と思いっきり大阪弁で力説するのが主の耳に入り、「ええこというやん!」と、納得したのであった。

おしまい

 

エブリバディ・ノウズ【日本病】その4 日本の医療のすりこみ

日本は病気だと、主は確信している。「日本の医療水準は世界のトップクラスだ。健康保険制度はどこの国より優れている」というのはどうやらそうでもなく、我々は間違った情報を与えられているようだ。

主は、近藤誠さんの「医者に殺されない47の心得」「クスリに殺されない47の心得」の2冊の本を読んだ。近藤誠さんは医師で、元慶応大学医学部の講師、現在は近藤誠がん研究所長である。肩書が定年まで勤めて、慶応大学の講師というのにも医学界における立ち位置が表れている。次がYOUTUBEのご本人の講演で、冒頭を見るだけでどのように過激なのかわかる。

とにかくこの本の内容はすごい。この2作の全編を貫いているのは、日本の医療は、患者不在で、ビジネスを動機にして行われている。様々な医療界で使われるデータは、効能が不明であるにも拘らず、明白で大きな副作用がある。主は、この2点に要約できると思う。結局のところ、我々が抱いている日本の医療のイメージの全否定である。ビデオを見るのが面倒だと言う人のために、この本の「章」タイトルを6個紹介しよう。こういう内容が、2冊の本で94個ある。

  • ① 「とりあえず病院へ」は、医者の”おいしい”お客様
  • ② 医者によく行く人ほど、早死にする
  • ③ 「血圧130で病気」なんてありえない
  • ④ がんほど誤診の多い病気はない
  • ⑤ 「乳がん検診の結果は、すべて忘れないさい」
  • ⑥ ポックリ逝く技術を身につける

もちろん、こんなことを言う近藤医師は、前記のとおり、既存の医学界から総スカンされているのは間違いないわけで、もちろん反論もさまざまある。参考に、2つだけリンクを貼っておく。

ただ、主が両者の主張を比べると、反論は弱く、近藤医師の主張の方に分があるように感じられる。どの反論でも、近藤医師の主張を真っ向から否定していない。否定できているのは部分的であり、かなりの割合で無駄な治療が現実に行われていることが、いずれの論からでも窺える。

話が転換するが、主は母親の死の際に、医療の奇妙さを実感した。死に際になっても、出来る限りの医療措置をするのが、日本社会の社会常識(共同幻想)で、医師はとことん延命させることが役割と思っているようだった。だが、主は腑に落ちなかった。

高齢の母は、ちょっと認知症が始まった父と二人で暮らしをしていたのだが、風呂場で倒れ、呼吸不全を起こし、意識不明になり救急車で救急病院へ運ばれた。主が、千葉から関西の救急病院へ駆けつけたとき、意識がない状態で酸素呼吸のマスク(気管挿管)をされていた。このとき医師は、このあと気管切開して人工呼吸器をつけたいと言った。当然ながら、医師に「前のような生活に戻れるのか?」と聞くと、「そのような可能性はほぼない」という答えがかえってくる。やるせなさはもちろんあるが、母親が元に戻らないというのは素人目にも見てわかる。それならばと積極的な治療に難色を示すと、救急医は「救急車で救急病院へ患者が運ばれてきた以上、我々としては何もしないわけにはいかない。人工呼吸器をつけさせてほしい」と選択の余地がないと説明する。その説明に違和感は感じるものの、母が危篤なのは現実であり、少しでも生かしてやりたいと思う気持ちは当然ある。同意書にサインし、母には気管切開をして人工呼吸器がつけられた。その高度な医療が可能な救急病院は、患者が次つぎと運ばれ、ベッドを回転させる必要があり、1週間ほどで違う病院へ転院させられる。転院した先の病院では、意識が戻らないままでの延命措置はいくらでも可能だと説明を受けた。結局、母は1か月ほどで亡くなったのだが、傍らで見ていて、意識がないといっても、苦しい思いをしているのはわかる。栄養は点滴で注入され、麻酔も含まれているらしいが、意識が全くないわけではなく、無理に生かされている状態で苦しんでいるのが横にいてわかる。

一方で、医者たちは高額の治療報酬を手にし、公的なお金はさらにもっと多く使われたはずだ。こんなことを日本中でしていたら、医療制度が破たんするのは当然だ。それに加えて、それより先に、我々は安らかに死にたいではないか。

つづく

「もやもや病」と診断された!

主には、ここ1年以上顔面けいれんの症状があり、頬がぴくぴくするようになった。それほど不便ではないのだが、人と話をしているとぴくぴくとひきつる感があり、何とかならないかと思っていた。症状も進んでいる気がしたので、脳神経・内科、耳鼻咽喉科、神経内科と1年ほどの間に3か所の医者をわたり歩いてきた。

ようやく最後の神経内科で顔面けいれんが診療内容に入っていて、脳のMRIと脳の血管を調べるMRAという2種類の画像診断を受けた。結局、顔面けいれんの原因は分からなかったのだが、この神経内科で「もやもや病」が疑われるので、専門病院で診てもらった方がいいのでは言われた。この時、主はあまりよく考えず、神経内科の医師の説明が丁寧で好印象を持ったこともあり、勧められるままに、MRAの画像(CD-R)と紹介状を持って、地元にある大学病院へ行ってしまった。

最後に行ったのは、大学病院の脳神経外科である。脳神経外科という専門が細分化され、主が初めて行った診療科の40歳くらいのバリバリ壮年の科長(准教授)から『あなたは「もやもや病」だ』と告げられた。この診断や治療方針の説明には20分以上を要し、3分診療に慣らされている身としては、それだけで何か得をしたような気分になる。これまでに1000例以上の手術経験があり、95%は成功する手術だと言う。痛いとかありますかと聞く主に、医師は「子供でも受けているので、安心しなさい。まずはさらに細かいことが分かる検査をしましょう」と精密検査のための検査入院を勧められる。

その検査の目的なのだが、人間の脳の血流というのはさまざまな事態に対応できるよう、かなりの余裕をもっているらしいのだが、正常な人と比べて、その余裕がどの程度失われているのかを調べることによって、手術が必要か経過観察で済むのか判断がつくという。フムフム。

一応、検査入院には同意して自宅へ帰ってきたのだが、「もやもや病」とはどんな病気なのか、ということをネットでざっと調べてみた。脳へ繋がる血管は、下の図の左側のような状態が正常なのだが、もやもや病の患者の場合は、右側のように太い血管が梗塞(詰まり)して機能が弱くなり、その機能を代替する細い血管が、他のルートから「もやもや」と現れて来るらしい。また、頭蓋骨の外側からも血液が供給される代替ルートができたりもするらしいのだが、いずれも本来のルートに比べると血液の供給量が少なかったり、無理しているので出血する可能性、詰まってしまう(虚血)の可能性が高いらしい。このもやもや病は、東アジアに多く、他の地域では少ない。また、子供から幅広い年代に見られ、男性よりも女性が多い。Wikipediaによると、年間発症率が10万人に0.3人から0.5人である。また、難病指定されている。

名古屋第二赤十字病院のHPから

ここをクリックすると、もやもや病のいろいろな写真が出ます

 

主は、検査入院3泊と聞いて、夜には隣接する公共施設のジムでトレーニングするかとか、新しい経験ができて気分転換になるだろうとか軽く考えていた。しかし、そう甘くはないようだった。病院に3泊するのだが、ネットの体験記などを読むと検査といいながら大変そうだった。

初日は、血液検査、レントゲン撮影、心電図、呼吸器検査(肺活量の測定)、心臓エコー、再度のMRI、認知症のテストなどを行う。二日目は、「核医学」という聞きなれない名前なのだが、脳血流シンチグラフィー検査というらしく、放射性医薬品を2回注射し、2回目には負荷薬剤を加えて注射し、SPECTという機械で撮影するということだ。血流量を見ることができる。この時、頭部を1時間固定しなければならない。三日目は、股の付け根の大腿動脈からカテーテルを刺して、ヨード造影剤を頭の下あたりから放出して、脳内の血管をX線撮影する。麻酔医がつき、検査後4時間固定。二日目、三日目の検査は合併症(トラブル)があるので、同意書に3枚署名する必要がある。

ところで、主は、前に「大往生をしたけりゃ医療とかかわるな」(中村仁一・幻冬舎新書)を読んで「死ぬなら、だんぜん自然死だよね」と思っていた。健康診断は、60歳を過ぎてからは受けていない。どうもこのポリシーに反する気がしてきた。同時に、主は、「医者に殺されない47の心得 医療と薬を遠ざけて、元気に、長生きする方法」(近藤誠・アスコム)を読みはじめた。この本は、中村仁一さんの本よりも、さらに過激だ。この本を読んでいると、感染症以外の病気に、医学は無力ではないのかと思えてくる。これまで、日本の医療は世界の最先端を行き、健康保険制度は極めて優れていると思っていたのだが、間違った刷り込みをされてきたようだ。ただ、出版社の名前が怪しい。「アスコム」、初めて聞く名前だ。医学界から総スカンを喰っているに違いない。

この本の中には、検査の造影撮影1回で、福島原発の事故で避難を余儀なくされている地域の放射線被ばく量の1年分くらいを浴びることになり、これが癌の原因になってもおかしくないとあった。そうだよなあ。それに主は、腰痛(脊柱管狭窄・すべり症)があり、四苦八苦している。こんな体を固定しなければならない検査を何度もしたら、ダメージでQOL(生活の質)が下がるに違いない。

そして、2回目の診察時に入院検査を断ったのだが、医師からはせめて1年後にMRIだけでも受けて、その後の変化を見てはどうかと勧められる。だが、こちらは「知らぬが仏ということもありますし」と言った。医師からは、ありがたいことに「じゃあ、具合が悪くなったら、気持ちが変ったら来てください」と言われた。実際のところどうなるか分からないが、主に脳梗塞や脳出血が起こったら、自分で判断して、救急車に乗らないようにしたいと考えている。

頭部血管造影:岡山大学脳神経外科のHPから
頭部血管造影:岡山大学脳神経外科のHPから

おしまい

 

老親の医療について (その2 父の場合)

主の出身は大阪だ。当然、父母は大阪に住んでいたのだが、母は5年前に83歳で亡くなった。このとき父は85歳で、主と父が一緒に地元の脳神経外科医から聞いた診断では、父はアルツハイマー型の認知症を患っており、普通の人の状態を100点満点とするなら、父の認知能力は35点しかないという説明だった。だが、当時の父の反応は、もちろん頼りない面があちこちにあるものの、当時は一応それなりの反応ができていた。

この脳神経外科医の診察の際、配偶者が直前に亡くなり、息子が東京から父に付き添っていることを説明した。すると医師は父に向って、銀行の預貯金などの管理がどうなっているのか今のうちに息子へ伝えなさいと諭すように言ってくれ非常に助かった。

また、父は内科へも通い、高血圧の薬、睡眠導入剤を貰っており、加えて前立腺癌を患っていた。内科医の説明では、高齢者の前立腺癌は、寿命で死ぬか癌で死ぬかどちらが早いかというくらい進行が遅いとの説明があり、治療の意味がどのようにあるのかと主は疑問を感じたのだが、内科医は「癌なのですよ!!」と主に驚けとばかりに促した。

母の葬儀が済むと、父は大阪のマンションで独り取り残されることになった。だが、認知症に加え、料理・洗濯・掃除などそれまでほとんどやってこなかった男である。主は仕事があり、千葉へ戻らなくてはならない。しかし、父をほったらかしにするのは無理がある。

このため、訪問介護事業者の力を借りることにした。自宅に近い事業者に相談、まず市の介護認定を受けた。認定結果は、要介護1だったように思う。並行して、ヘルパーさんに自宅の訪問をお願いした。この事業者は派遣会社系の事業者だったが、大変お世話になった。非常に親身に対応していただいた。

介護保険の経費面の説明をすれば、受益と負担は、当然、介護度と収入により当然変わってくるが、ざっくり言うなら、その当時は、1か月あたり15万円程度のサービスを1割の負担で受けられた。この制度により、父の場合、週に3~4回程度ヘルパーさんに来てもらい、食事の用意、買い物の同伴、洗濯、掃除などの家事をやってもらい、別に週1回通所のデイケアサービスを受けることができた。

父は大阪でヘルパーさんの力を借りながら、3か月ほど独り暮らしをした。だが、父はすでに85歳で認知症がかなり進んでおり、大阪で独り暮らしをしたまま、千葉の息子が大阪のケアマネージャーと電話で相談しながら進めるのは無理だと感じていた。

このため、まず父を主が住む千葉へ移し、同居をしながら介護付き有料老人ホームを探すのが良いだろうと考えた。ヘルパーさんを通じて千葉への引っ越しをしても構わないかという意向を父に聞いてもらったが、あまり肯定的な返事をしないということだった。このため、父にはヘルパーさん二人から「千葉へ旅行に行って下さい」と騙してもらうようにお願いし、新大阪駅まで見送ってもらい、主が東京駅まで迎えに行くという方法を取った。

父が千葉へ来ても、本人は旅行のつもりなので夕方になると「それでは大阪へ帰ります」と言い出したりする。一方で、父を宥めながら老人ホームの下見に出かけたりした。認知症がある程度進行すると、直前に考えていたことが思い出せなくなる。哀れだが、優しく話をされると何でも肯定的に受け止めてしまう。

父はこのような調子だったが、一方で必要な手続きはいろいろあった。 母の死亡により預貯金が銀行で凍結されてしまった。これを解除するため、相続権のある者の書類を取り寄せ、「遺産分割協議書」を作成して銀行へ提出しなければならなかった。また、父は賃貸マンションに住んでいたのだが、引っ越しをすると家財の処分、原状回復もしなければならない。当然ながら役所の手続きもある。銀行の支払いでどの印鑑が使われているのかわからず、銀行員の好意にすがって印鑑を教えてもらうということも必要だった。母の入院後、父が千葉へやってくるまでの間、主は毎週のように千葉と大阪を往復しなければならなかった。

Bestlife

老人ホームに対して、父はバラ色の幻想を抱いていたようだ。よく「ホームへ入れてくれるか?」と言っており、入居を希望しているように見えた。このため介護付き老人ホーム探しは順調に進み、上の写真のところに入居した。

だが、父が抱いていたイメージと違うことがこのホームに入ってすぐに分かり、他の老人ホームへ移りたいと言い出した。実際に入居してみると入居者同士の会話が全くない。何もすることがない。散歩もさせてもらえない。このあたりが本人が抱いていたイメージとのギャップだと思う。認知症とはいうものの、大阪から突然縁もゆかりもない千葉の老人ホームに入り、周囲は見ず知らずの人ばかりだ。集団生活といいながら、会話もない。(ちなみに、元気な老人の場合は外出も認められていた)

父の意向に従って、他の有料老人ホームの見学を実際にしたのだが、状況は全く同じだった。むしろ、今入居しているホームの方が、毎日の体操(チェアエクササイズ)やお誕生会など入居者同士のコミュニケーションを取ろうとしていた。

ただ、父は何が嫌だと感じたのか、それ自体を忘れてしまう。他の老人ホームの見学に行ったことも覚えていない。無意識の領域に、不快な気持ちがあるのだが意識の端までは上ってこない。そんな状態で、父はこのホームに5年間住んでいた。この間に認知症は非常に進んでしまった。

やがて、父は意識もはっきりせず、意欲も低下していることが外からもわかるようになる。昔趣味にしていたクラシック音楽のことなどは雲散霧消し、朝食が和食か洋食だったかも言えない。家族や親せきの関係も分からなくなり、かろうじて息子である主だけは分かっていたようだが。表情は穏やかだが、昔の気性やはっきりした意識はまったくなくなり、最低限のできることとして食事を取ること、短い距離の歩行ができること、排泄ができるということだけだ。もう生きることに倦んでいたのは、間違いない。

主は見舞いに行き、ホームの近くにある大規模ショッピングセンターによく出かけたのだが、当初、レストランで昼食をとっていた。だが、徐々に食べこぼしが激しくなるにつれて、喫茶店やフードコートでの喫食だけになった。最後は、おしめをするようになるのだが、小便が漏れないかと気にかかる。

入居当時に医者と治療方針を老人ホームへ毎月診察に来る若い内科医と相談する機会があった。このときには、年齢が年齢で昔の面影がすっかり失われており、積極的な治療は希望しない旨を伝えたのだが、それでも約10種類の薬を処方されていた。

また、前立腺がんの権威らしい老教授と相談する機会もあった。この老教授に診察を受けたのは父が85歳の時だったが、「あと5年くらいは生きるでしょう」「(呆けてはいるが)治療を続けて安寧な状態を保つのが、家族、老人ホーム、皆にとって都合がいいだろう」というような意味のことを言った。

どちらの医師も薬を止めたりすることは、毛頭考えないようだった。父にかかるコストは、老人ホームの入居費が月々20万円弱、介護保険の総額が20万円程度、医療費が10万円弱かかっている。介護保険と医療費は本人負担が1割なので、3万円ほどになるため、ホームの入居費と合わせると本人負担は20万円ちょっと超える。だが、コスト全体は月々50万円くらいになるということだ。

今となっては確かめようはないのだが、ホームへ来る若い医師の診察は毎月1回問診がさらっとあるだけなのに、明細を見ると医療費が診療に月3万円程度、薬剤に7万円程度かかっていた。何故そんなに費用がかかるのか疑問だった。

父は、亡くなる直前におむつをしたり徘徊をしたり手がかかる状態になったが、これは亡くなる直前だけだ。それまでは頭がぼけていたが、着替えもできたし排泄もできた。その人物に、毎月50万円の費用がかかり、ホームは介護保険と入居費用の40万を受け取り、医師は月1回の問診で3万円、薬局が7万円受け取る。関係者にとって大きな収入だが、老人の介護費、医療費が大きな問題になるはずだ。

 

 

親を断捨離!「もう親を捨てるしかない」島田裕巳

幻冬舎新書、島田裕巳の「もう親を捨てるしかない」を読んだ。サブタイトルは「介護・葬式、遺産は要らない」である。

親捨て

帯に「親を断捨離!」というきわめて衝撃的なコピーが書かれている。例によって裏表紙を引用する。

『年々、平均寿命が延び続ける日本。超長寿とは言っても認知症、寝たきり老人が膨大に存在する現代、親の介護は地獄だ。過去17年間で少なくとも672件の介護殺人事件が起き、もはや珍しくもなくなった。事件の背後には、時間、金、手間のみならず、重くのしかかる精神的負担に苦しみ、疲れ果てた無数の人々が存在する。現代において、そもそも子は、この地獄を受け入れるほどの恩を親から受けたと言えるのか? 家も家族も完全に弱体化・崩壊し、かつ親がなかなか死なない時代の、本音でラクになる生き方「親捨て」とは?』

実際にこの本を読んでみたところ、上に書かれたことで内容はほぼ網羅されていると思った。興味がそそられるのであれば、買って読めばよいが、概ねこれ以上の目新しいことは書かれていない。とはいうものの、「よく口にした!」「目から鱗」ともいえる側面が確かにあり、ここに書かれている内容はことさらしっかり意識しておくべきだ。

確かにバブルがはじけて20年、長く続いたデフレにより日本人のライフスタイルは完全に変わってしまった。この本では、お金が許せば、親を介護し、葬式を挙げるという従来のスタイルのままやればよいが、そうでなければそうしたものから逃げろと言っている。

さもなければ、子供の側も沈没してしまう。実際に、子供に縁を切られて孤独死する老人もいるが、経済的に無理な状況で親の介護に乗り出して、尊属殺人を犯す子供を親は望んでいない。テレビなどで、親のために介護離職し、わずかばかりの親の年金で生活する人がよく登場するが、これは非常に危険だ。共倒れになる可能性が高い。経済的にゆとりがないなら、それなりの対処をしなければならない。親の介護は義務だという固定観念に囚われ共倒れになるより、親を見捨てることだ。

間は孤独死を「悪」のように言うが、実際に死にゆく老人にとって孤独死は悲劇でも何でもない。穏やかに死ぬだけだ。

寿命が伸びすぎたのだ。昔は生きている人は、みな健康だった。今は、健康でないのに生かされている現実がある。

60歳を過ぎた老人で生殖機能がなくなれば、基本的に人生に未練はない。元気でも、諦観のようなものが横たわっている。

一方で、親にとって子供の存在は、子が大きくなるプロセスで親に十分に楽しい思いをさせており、それにより親に対する恩義はすでに果たしている。

親の方も、子供に老後の面倒を見てもらいたいという期待は、本気で抱いていないはずだ。金持ちの親ならそういうこともあるかも知れない。だが、貧しい親が、経済的に余裕のない子に面倒を見てもらいたいとは思っていないはずだ。

 

 

 

 

老親の医療について (その1 母の場合)

母は、5年前に83歳で亡くなった。歩くことが不自由ということのほかに、間質性肺炎という持病があったのだが、風呂場で倒れているのを父が見つけて救急車で大学病院の救急救命センターへ搬送された。自律呼吸が十分にできずすぐに人工呼吸器がつけられることになった。両親は大阪で住んでいるのだが、主は千葉なので、大阪の郊外に住んでいる妹から連絡を受けて病院へ駆けつけた。父が少し認知症の傾向があり、主が長男ということで医師との治療方針などを決める役回りだった。

5年前のことなので細部は正確ではないかもしれない。だが、救命センターに主が着いた時には母は意識はなかったものの、口にあてるタイプの人工呼吸器をつけていたように思う。ところが、医師は喉を切開して人工呼吸器を装着したいと言った。当然のことながら「病状が回復すれば人工呼吸器を外すことができるのか?もとの状態に戻るのか?」と医師に聞くのだが、「いったん呼吸器を装着すると外せる可能性はほぼない。また、呼吸器をつけているのは苦しいため、麻酔を続けることになる。このため、意識が戻ることもない」という返事だったように思う。子の立場からすると、麻酔をかけられた状態で、人口呼吸器をつけられているのはあまりに痛々しい姿に思え、延命をするのではなく器具を外すことはできないのかと医師に訊ねてみた。しかし、救急センターの担当医は、ここに来た以上治療を続けないわけにはいかない、切開手術をして呼吸器をつけさせて欲しいというのだった。なお、現段階で人工呼吸をやめることは刑事責任を問われかねないのでできないとも言ったように思う。そうして、書類にサインさせられ、回復の見込みがない治療が開始した。

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一方、救急車で運ばれた最新設備の整った救急救命センターは、当然ながら次々と新しい患者が運ばれてくるため、医師に紹介状を書いてもらい1週間ほどで転院させられる。新しく転院した病院は、前の救急医療センターとは大きく異なり、入院病棟の施設は古びていて、如何にも亡くなる直前の患者を多数入院させているため雰囲気も暗いといった病院だった。ここでも最初に治療方針を担当医と確認するのだが、人工呼吸器をつけながらでも(もちろん回復するわけではないが)成分の輸血をするなどの手段を講じることで、延命はいくらでも可能だいう主旨の話になる。松竹梅のコースがあるので選んでくれという感じだった。母に対しては、晩年に十分に楽しい時間をもっと過ごせなかったかとの悔いがあった。しかし、植物人間になってしまっては、それはかなわない。医師には、人工呼吸器を外し元の生活に戻れないのであれば、呼吸器を外すことはできないことは理解するものの、延命のみを目的とする治療は希望しないと伝えた。最終的に、母は転院して約1月後に亡くなった。

ここで主が大きな問題だなあと感じた点を述べよう。それは医療費のことだ。母の場合、救急車で運ばれた救急医療センターの入院・治療費は、総額が130万円ほどだったが、患者の自己負担額はわずかに5万円ほどだった。差額の125万円は、公的なお金が使われるわけだ。健康保険に加えて高額医療に対する補助制度があるからだろうが、こんなことをしていては、国民全体の医療費が赤字になるのが当然な話だ。転院した先の病院の医療費は月額30万円程度だったが、やはり自己負担額は、1割負担のため10分の1だ。10分の9は公的な負担だ。日本中で考えると、このように助かる見込みのない患者の治療に莫大なコストが、かかっているに違いない。おまけに、患者の側が望まない医者の利益のために行われている治療費が、かなりの割合で含まれている。

ところで、麻生太郎副総理兼財務相が2016年6月17日、北海道小樽市で開かれた自民党の集会で、「90になって老後が心配とか、わけのわからないことを言っている人がテレビに出ていたけど、いつまで生きているつもりだよと思いながら見ていた」と発言し、これを複数のメディアが報じたことがあった。

発言の主旨は、老人が個人資産を潤沢に持っていながら、使わないのが問題であるというものだが、主は政治家には珍しいストレートな発言で面白いなと感じた。だが、この麻生大臣の発言に対して、「この物言いは人権侵害だ」と言う人がきっといるのだ。このような分かったような「人権発言」をすることが、日本全体の老人医療の方向性を誤らせ、医療費増大の原因を作っていると主は思っている。

おしまい