なかなかよい甘利経済再生相

written on 17th November 2014

今日発表された経済成長率(7月から9月へのGDP速報値)が2期連続のマイナスとなり、明日にも安倍首相は増税の先送りと衆院の解散を決めるだろうと言われている。(弾力条項を入れるべきだと主は思う)

だが、今日行われた首相と有識者との点検会合では、予定通り消費増税を行うべきだと述べた人たちが10人中8人をしめたと報道されていた。これを知ると世間の常識がどのあたりにあるかよくわかる。 「消費増税は、景気浮揚効果がある」とまで言った経済学者がいるらしいが、閣僚も同じようなものだ。谷垣幹事長は、早くから消費税を上げるは当然だと言っていたし、麻生財務相は官僚のスポークスマンそのものだ。(逆にリフレ派の早大、若田部昌澄教授は8%の税率を5%に戻すよう主張した。そうだよな)

こうしたなかにあって甘利経済再生相は、「わかっている」人物のように思える。甘利経済再生相は「(2014年4月の)消費増増税は経済を冷やすということを学習した」という旨の発言をしている。昨年から続くTPP交渉では忍耐強く矢面に立ち続けている。

今日CNNは「日本は景気後退(recession)」へ向かっている」と流していた。世界は、「日本経済は底固く復活の途上にある」などと楽観的に見ていない。「景気後退へ向かっている」というのだ。

民主党時代のデフレより、今の状況はずっと望ましい。確かに中間層から下はよくないのは事実だが、森永卓郎が言うように「今は我慢の時なのだ」

村上春樹「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」

2013年4月に発売された村上春樹「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読んだ。村上春樹の作品なので多くの人に読まれているだろう。

主は村上春樹の小説は結構好きだったので、彼の作品の多くを読んだ。最初の2作「風の歌を聴け」(1979)「1973年のピンボール」(1979)は、主が社会人になって早々の頃出版され、その瑞々しさに驚いた記憶がある。「羊をめぐる冒険」「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」「ねじまき鳥クロニクル」の3作は、村上春樹の目玉ともも言える作品で、抽象的、非現実的、SF的な設定と、見事な暗喩と示唆に非常に富んだ作品だ。

同時に「羊をめぐる冒険」は1982年に出版されたのだが、話中には「誰とでも寝る女の子」(実は記憶になくて、Wikipediaに出てきたことをそのまま書いている。汗;;)や普通の女性である魅力あるコールガールなどが登場し、それ以前の性に対する観念を破るものがあったと思う。(気がする。はっきり内容を覚えていないので断定的に書けない。汗;;)。当時の世相は、テレクラ援助交際のはしりの時期に一致しており、村上春樹の小説も、こうした少女たちを大量生産したのではないか、批判的に主は感じた。

他には「ノルウェイの森」「海辺のカフカ」「1Q84」などもある。

主は反省するのだが、若い時分にはいつも駆け足で小説を読んでしまっていた。もっとじっくりと咀嚼しながら読むべきだったと反省する。(「海辺のカフカ」「1Q84」は比較的最近読んだので、結構覚えているが・・)

村上春樹の小説には、ちょっと社会から距離を置き、社会に迎合しないタイプの主人公が必ず登場する。また、彼は二人以上の魅力的な女性の間で葛藤する。二人の女性は、大体、ちょっと病弱な白雪姫タイプと健康そのものの女性が出て来るパターンが多い。加えて、ちょっと年上で社会からドロップアウトしたような不思議な性格の女性も登場することが多い。登場人物は10代後半から登場し、30過ぎで終わることが多いのではないか。

批判的に書いているが、村上春樹の描写力は半端ではなくて、冒頭にあげた。「羊をめぐる冒険」「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」「ねじまき鳥クロニクル」では、完全に非日常、あり得ない設定にも拘わらず、読者はその説得力に物語へと惹きこまれることになる。また、暗喩のオンパレードで、それがまた気が利いている。たとえば、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」では、始まってすぐに次のようなフレーズが出て来るー「(その四人から遠く離れることで、つくるの感じる痛みは逆に誇張され、より切迫したものになった。)疎外と孤独は何百キロという長さのケーブルとなり、巨大なウィンチがそれをきりきりと絞り上げた。そしてその張り詰めた線を通して、判読困難なメッセージが昼夜の別なく送り届けられてきた。その音は樹間を吹き抜ける疾風のように、強度を変えながら切れ切れに彼の耳を刺激した。」ーこういう文章が随所に出て来るのだが、なかなか書けないと思う。

どんな小説でも、必ず読者が先を読みたくなるような仕掛けが施されている。この仕掛けが気になって読者は読み進むのだ。この仕掛けのことを「推進力」と言うことにしよう。「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の推進力について書いてみたい。

この小説は他の作品と同様、10代の主人公つくるの青春時代から始まる。突然、結束を誇っていた5人のグループから理由も知らずはじき出され、男(赤松、青海)女(白根、黒埜)4人の親友を失う。喪失感から自殺したような状態になるのだが、この拒絶の理由をつくるは明らかにしないまま関係の断絶を受け入れ、その後の人生を生きていく。この理由がわからないことが、この小説を読ませる最大のの推進力になっている。主人公は半年の間の死んだも同然の生活の後、「薄い膜のようなもので感情を幾重にも包み込み、心を空白に留め」めることで、食生活を改善し、体を鍛え上げ生活を立て直す。4人の親友を失った1年後、同じ大学の2年後輩(灰田)と非常に親密な親友関係を築く。この親友とはあまりに親密になるので、同性愛者ではないのかとの疑問がわく。この疑問が第2の推進力になっている。他にも優性遺伝の多指症(6本指)のエピソードや、ピアニスト緑川が言う『知覚の扉』のトークンなど小さい推進力がいくつかある。

つくるは何度かガールフレンドを持つのだが、「心を全開にしなくて済む女性としか交際しなかった」。36歳の時に2歳年上の「心を全開にしたい女性」沙羅と知り合う。二人が親密になる中、沙羅から「あなたの背中に今でも張り付いている人たち」がいて、心の中での過去の清算が済んでいないと言われ、それが解決するまで深い付き合いは出来ないと言われる。つくるは、青春時代の突然の拒絶の理由を明らかにするべく、アカ、アオ、シロ、クロに会いに出かける。この邂逅が読者を種明かしの愉しみを与えてくれる。また、つくるが考えている自己の像と友人が考えているつくるの像もずいぶん違う。簡単に言えば、自己評価は小さく、周囲の評価の方が大きい。第3の推進力としては、沙羅は、中年の男性とも付き合っていることが匂わされる。ここのところは最後まで明らかにせず、余韻を残したところで終わっている。

全体を通しての感じるのは、やはり村上春樹の上手さだろう。同じストーリーでこの小説を違う人が書けば、こういう迫真力は生まれないと思う。陳腐にならないところがすごい。もちろん優劣を付けがたいが、最近主が読んでいる林真理子、百田尚樹が書く小説とは趣が異なっている。芥川賞(村上春樹が芥川賞を受賞していないことが、賞の評価を下げているらしい!)と直木賞の違いなのだろう。表面上はシニカルでそうは見えないが、読者に考えさせ、しかも我々が抱く様様な葛藤を意味あるものとして考え、人生を肯定的に考えさせる。

村上春樹の私生活を知る由はないが、彼は若くして学生結婚し、奥さんの厳しい書評に晒されているようだ。主人公がいろんな女性と簡単にセックスするというストーリーと彼の実生活は、様相がかなり違うような気がする。もちろん、どうでもいい話だが。

 

 

STAP細胞 小保方晴子さん(その2)

STAP細胞論文ねつ造事件。若き美人女性科学者小保方晴子さんは、ES細胞を使って、万能細胞であるSTAP細胞を作ったというインチキをしたのだろうか。ネットでは、偽ベートーヴェン佐村河内守氏と小保方晴子さんが並んだ写真がコラージュされて出ているほどだ。

この事件では、小保方さんの論文作成に大きく力を貸した笹井副センター長が8月5日首つり自殺されるという痛ましい事態が起こっている。彼は再生医学の分野でノーベル賞を受賞した山中伸弥さんと並ぶほど評価の高い科学者だった。この事件が起こった理化学研究所は、筑波の産総研と並ぶ権威ある日本最高の研究機関だ。この事件を契機に、理研のなかでも笹井さん、小保方さんが研究をしていた再生科学総合研究センター(CDB)の解体を求める声が出るほどだ。

2014年7月27日に放送されたNHKスペシャル「STAP細胞不正の深層」はタイトル通り、STAP細胞は存在せず、でっちあげだという放送内容だった。STAP細胞があるかも知れないという観点はゼロだった。見ていて分かり易く、NHKもさすが凄いなあと思わせる。小保方さんが作ったとされるSTAP細胞は、若山教授が提供したマウスを弱酸性の液につけて作ったものではなく、他のマウスのES細胞から作られた万能細胞を若山教授に小保方博士が送り返し、若山教授がその細胞を見て「万能細胞が出来ている。」と判断したというものだ。笹井さんは、科学論文作成の天才といわれるほど論文の書き方には長けており、小保方さんの論文に不足する点の実験データを加えさせていた。こうして作られた論文は共著者に笹井さんなど名の通った科学者が加わることにより、NATUREなどに掲載された。だが、小保方さんが付け加えたデータも、実に7割が、不正を疑われていると放送されていた。

このNスペでは、特許との関係にも触れられていた。今年の春に、ねつ造疑惑が最初に出てきたときに、小保方さんが詳しい説明をしなかった。これは特許取得の前に詳しいレシピを公表することにより、特許が他の人たちに取られてしまうことを危惧したのだろうという憶測があった。だが、これも論文の取り下げで、特許が認められる可能性はなくなった。

理研は、小保方さんを入れてSTAP細胞の再現実験を行い、STAP細胞がやはりないということを明らかにしようとしている。だが、科学者にとってこの「ないということを証明する」のは困難なのだそうだ。池上彰さんが、日経新聞でこの小保方さん事件は、「ブラックスワン(黒い白鳥)がいないことを証明する」ことと同じだと書いている。ある方法でやってみて、うまくいかなかったからといって、ないことを証明したことにはならない。このため良心的な科学者は、ないことが証明できたということには口ごもるのである。

小保方さんは「自己中の虚言壁で病気!」ということだろう。科学者も人の子、インチキしてでも世間に成果を示したいという欲望(誘惑)は理解できる。だが、このインチキに有力な科学者達がまんまと騙されたら、スキャンダルだ。

 

林真理子「星に願いを」

林真理子の小説「星に願いを」(1984年)を読んだ。林真理子は、主と同じ1954年生まれ。この本は発刊されてちょうど30年が経っているので、内容的に古く、今となっては当たり前なことが書かれていると思われるだろう。バブルは1980年代後半から1990年代初頭と言われる。この本が発刊された1984年は、日本経済が好調に坂を上っている真っ最中で、この頃は賃上げが毎年二ケタあったように思う。就職できない主人公キリコが、植毛をする医院へ転職し、月給が12万円へと倍増、この増えた給料をどのように使うか「うれしい誤算」の様子が描かれている。今の若者には実感できないような、昔の話だ。

文庫本の裏カバーには次のように書かれている。簡単なあらすじにもなっているので、引用しよう。「冴えない女子大生キリコは就職試験に失敗し、アルバイトに明け暮れている。ひょんなことからコピーライターを目指した彼女に成功の女神が微笑む。一夜にして「マスコミの寵児」となったキリコ。世間を知り、男を知り、成功を知り、女の子は女になっていく ──。全女性に贈る自伝的デビュー小説。」

率直なことろ、主は林真理子を読もうとは思わなかった。写真やテレビで見ると美人ではなかったからだ。

不美人の作者がそれをテーマにしながら小説にしているが、普通に考えると、女性には辛い行為だろうと思える。それに性描写は非常に露骨だ。帯には自伝的とあるが、ほぼ真実なのではないかと疑ってしまう。それほどにリアルなのだが、ユーモアに満ちている。しかし、出来上がった小説は、普遍的な内容になっており、すごい。

Wikipediaで「林真理子」を検索すると、「林の功績は、 1980年代以降において、『ねたみ・そねみ・しっとを解放』したことであるとも評される。」と書かれ、斎藤美奈子・『文壇アイドル論』(2002年、岩波書店)と注釈されている。たしかに、人に言いたくないようなコンプレックスでも、これを客観的に表現してしまえば、そうしたコンプレックスから逃げれるようになる。

すなわち、林真理子の小説は、本人が持っている弱点も他の点で価値があれば、弱点が相対的で、まるでなかったように社会の認識が変わることを示唆している。

「ねたみ・そねみ・しっと」は、もちろん、他でも起こる感情だ。自分より成功している者に対して「ねたみ・そねみ・しっと」する。自分の持っていないものをもっている他人へ投映し「ねたみ・そねみ・しっと」するなど。だが、こうした感情は冷静に分析できれば、解放できるということだろう。(そのうち、『文壇アイドル論』を読んで、真偽のほどを書きたい。)

だが、コンプレックスを逆転するほどの優位性を自分に見つけられない場合、どうなんだろうという疑問は残る。要は、本人の受け取り方次第なんだろう。

小説の働きは、こうした認識の変化を起こすことなのだと思う。さまざまな固定観念、社会常識やタブーをひっくり返し、社会の共同幻想が変化する、そうしたきっかけになるのが良い小説の役割なのだと思う。

 

 

 

 

林真理子「不機嫌な果実」「下流の宴」 ストーリーの作り方

林真理子の小説に「不機嫌な果実」(1996年)がある。帯に「夫以外の男とのセックスは、どうしてこんなに楽しいのだろうか。衝撃の問題作!」と刺激的なコピーが書かれているらしい。(らしいというのは、主はブック・オフで108円で買ったのでこの帯はなかった。)テレビドラマや映画にもなっている。書かれた時期はバブル崩壊後だが、背景はかなりバブリーだ主人公麻也子は、ブランド品を持ち、高級レストランで食事。見栄やら嫉妬、鬱屈もしているが世間体には過剰に敏感だ。 登場人物が連絡に固定電話を使っている時代で、そのころはそうだったなあと思い出した。同じ林真理子の話題作「下流の宴」(2009年)は、高校中退しネットカフェでバイトする息子に業を煮やす母親の姿が描かれており、流行作家は上手に世相を反映するのだろう。

「不機嫌な果実」で描かれているのは、(子供のいない)結婚生活の倦怠感。「結婚は人生の墓場」というが、まさにどの夫婦にも起こる、熱が冷めた後の日常の空虚感が描かれている。結婚後6年、夫は妻の誕生日プレゼントを選ぶのが億劫になり、妻にカードで好きなものを買うようにいう。妻は夫の罰に高額なスーツを買って復讐する。結婚前の楽しかった思いは消えてしまう。妻は徐々に浮気に生きがいを求め始める。赤裸々な性描写。林真理子の小説は、単純だが納得できる。話は刺激的に急展開していくのだが、常に納得させられる。人生がリアルに描かれている。主人公は常に計算しながら、男を天秤にかけ、最も自分が満足できるように生きている。

この小説を読んで感じたことだが、結局、この小説は「論理」の積み上げなのだ。奇抜な展開で、麻也子が衝動的な性行動をとったように見えるが、そうした行動を引き起こす原因が手前にあり、作者は説明している。そうしてみると、この本のストーリーは、一般常識が積み上がっている。そのために、違和感がなく、そうだよなとなる。興味を失わず、どんどん前に進みたくなる。話のオチは、・・・これから先はネタバレなので、この本をこれから読みたい人はここでストップしてください。

不倫の果て、麻也子は夫と離婚し、独身の音楽評論家と結婚する。母親の援助おかげで彼は「高等遊民」になりたいというほど恵まれた環境にあったのだが、母親は息子が離婚したバツイチと結婚すると知り、息子への援助を打ち切ってしまう。平凡な生活へと追い込まれる二人。浮気にも飽きた麻也子は、自分に欠けているものは何か考え、「子供だ」と結論を出す。前の不倫相手が今の夫と同じ血液型であることを知っていた麻也子は、排卵誘発剤を飲みながらこの男と避妊せず不倫する。

男女の関係に飽きた女が、子供を欲しくなる時、子供は自分の子供でありさえすればよい、どの男の子供でも構わない、というオチをまず作者は思いついたのではないか。自分の遺伝子を持った子供、誰の子であろうと夫が気づかなければ良い。これはショッキングだが、説得力がある。男にとっては、子供が自分の子だという確証はない。逆に自分と同じ血液型の子どもだったら、それだけで自分の子供だと信じるだろう。このアイデアがスタートだ。

これを思いついた作者は逆算を始める。この結末に違和感のない筋をバックしながら作っていったに違いない。

そういえば、「下流の宴」も似たような終わり方だ。これは高校を中退してネットカフェでアルバイトする息子翔と沖縄の離島からやってきた珠緒が同棲を始め、結婚しようとする。母の由美子は、死亡しているが医者の父を持っておりプライドが高い。二人が社会の底辺から抜け出せるわけがないと結婚に反対、珠緒を責める。珠緒は「そんなに医者が偉いなら、医者になってやる!」と言い、実際に医者になってしまう。普通に読んでいるとサクセスストーリーだ。ところが、珠緒が医学部入学を果たしたとき、翔は珠緒が自分とは違う人間になったといい、別れてしまう。これがオチだ。

ダメな二人が周囲からさんざんに言われ、片方の一人が猛烈に努力して成功したとき、ダメな方は成功した方を心から祝福して、結婚できるだろうか? と作者は考えたのだろう。

 

主の政治観(中国、韓国、アメリカ、日本)

政治への批評は、個人的なブログに書いてもたいした意味がなく、読者の気分を害することがあるだろう。だが、世の中はミスリーディングな言い回しに溢れている(と思っている)。ついては、個人的な意見を述べてみたい。興味のある人に読んでいただければ幸いだ。

【中国について】

日中の最大の問題はやはり、外交問題だろう。尖閣諸島の領土問題などは、経済成長でGDPが世界第2位になるほど成長した最近の出来事だ。経済成長を果たす前、中国は地域の主権の主張をしていなかった。近年の覇権主義をきっかけに、資源の賦存量の大きさから主権を主張するようになった。南沙諸島でも似たようなことがベトナムとの間でも起こっているようだ。 「中国人には個人のレベルでは善い人が大勢いるのだが、共産党が前面に出てくると様相が変わってくる」という話をよく耳にする。 チベットの少数民族に対しても、共産党は愛国主義を醸成するためといいながら、弾圧する。自衛隊機への異常接近やベトナム艦船との衝突でも、自分の非は全く認めようとしない。このような国に対しては、日本の正当性を面倒がらずにずっと主張し続けることが必要だ。

戦後50年を機に戦争責任を認めた村山談話を日本政府は表明したが、このような表明は過去を清算するどころか逆に火に油を注ぐような事態を招いている。日本のマスコミにも進歩派を自認し、南京大虐殺などを大きく取り上げる新聞があるが、どれほど本当のことだったのか。これまでの中途半端な平和主義、自虐的な左派の歴史観が招いた結果のように思えて仕方がない。

日本国内の歴史観には、対立するさまざまな見方が存在している。しかし今となっては、敗戦国のバイアスがない客観的な歴史観の獲得と発信を、地道にやるより仕方がないのではと思う。つまり、敗戦後の日本の思想史においては、勝戦国アメリカが推し進めた民主思想や戦争遂行の全否定をベースにした左派思想がある。それらは当然評価すべきだが、行き過ぎた面があり、事実ではないこと、誇大に言われていることが多いのではないかと思う。当時の歴史において、日本だけが特殊な行動をとってはいないと思う。(ドイツのホロコーストとは違うと思う。)

【韓国について】

韓国では大勢の高校生が乗った船が沈没するという痛ましい事故が起こった。しかし、背景に監督官庁と民間企業の癒着があり、同種の事故が何度起こっても一向に改善されないことに対し国民の怒りが向けられているようだ。財閥系企業のサムスンやLG、現代などが好調で、韓国経済が一見好調のように思われがちだが、利益はこれらの企業に出資する欧米企業が享受し、韓国国民には恩恵がさほど行っていないと言われる。こうした中で、韓国民は苦悩しているように見えるが、人口が少なく市場規模が小さいため、輸出に依存せざるを得ないという事情があるようにも思う。 慰安婦問題などでは、日本政府は過去に河野談話を発表しているが、こちらも中国同様、このことが足をすくわれる結果をもたらしたように思う。談話発表の背景にある日本政府の韓国政府に対する配慮が逆手に取られ、誇張され過ぎているのではないか。

外交で、安易に謝罪するというやり方が如何にまずいかということを示していると思う。相手国から非難され続けて、それにこたえる形で反省を口にすると、今度はそれを口実にされさらに非難がエスカレートするという構図だ。

【アメリカについて】

アメリカはブッシュ大統領の時代にアフガン侵攻、イラク戦争を行い、世界の警察を標榜していた。オバマ大統領になり、この方向性が変わるかと期待したが、根っこのところは変わらないようだ。民主党も共和党におとらず根っこのところは、一部の金持ちを優遇するようだ。ただし、アメリカのどの政権も表面上金持ち優遇とは言わず、自由競争、グローバリズムを旗印にして公平を装っている。

アメリカの経済状況は、独占禁止法を緩めたり、金融分野の自由化すら進めた結果、過去30年間にわたり富は1%の金持ちに集中し、99%は貧しくなっている。こうしてアメリカンドリームなど全くない状況になっているのに、国民は多くはいまだにアメリカンドリームを信じている。上手く金持ちの宣伝に乗せられているのだ。レーガン政権以降にはトリクルダウン(trickle down)という、金持ちがさらに金持ちになることでその下の大衆は、水がこぼれてくるおこぼれ(トリクルダウン)にあずかるということが真面目に言われていたくらいだ。

ウクライナ危機だが、アメリカをはじめとする西側諸国はロシアを非難している。しかし、これはロシアにしてみれば、西側の勢力をバックにしたクーデターと映っており、180度とらえ方が違っている。ただ、西側が結束してロシアを非難すればするほど、孤立するロシアは中国と接近する。これは世界を分断し、経済のためによくないのは明らかだ。

【日本について】

日本は、経済の立て直しが間に合うかどうかが最大のポイントだ。高齢化、人口減少、20年間続いたたデフレ。これらで特に地方は壊滅的な状況にある。地方に限らず、弱者ほど過去にない厳しい状況にある。東京に住み、貯えもあり、安定した職業についているとデフレは困らないのだが、地方在住、非正規社員、シングルマザー、就職できない若年層、貧困のサイクルに取り込まれた者にとってデフレは、賃金低下による地獄だ。アベノミクスで回復の兆しが少し見えるが、財務省、マスコミ、御用経済学者は、相変わらず財政赤字への警鐘を国民に発信し続けている。財政赤字の解消は、景気が回復してから考えればよいのだ。景気回復が先、財政赤字はその後に解消すればよい。赤字のレベルも一定の水準まで下げれば、必ずしも解消しなくともよいのだ。政府の赤字と家計の赤字は意味が違う。

この経済の立ち直りには、なんといっても円安が重要だ。相対的に世界を見ると、今のところ、日本の状況は悪くない。(日本の財政赤字の債務残高は、円建てで日本国内で大半が消化されており、財務省が言うほどマーケットは不安視していない。)このため、ヨーロッパの通貨危機、中国経済の減速、ウクライナ危機などの不安材料が生じるたび、円は買われ、円高になる傾向がある。黒田日銀は登場の時に、「異次元の金融緩和」を行ったが、その後はまったく音沙汰がない。幸い、今のところ消費増税の落ち込みを乗り越えられそうであるが、105円まで下がった円は、現在101円台にまで上昇し、それに伴って株価も上昇できないでいる。製造業の一部には、アベノミクスの円安により生産拠点を日本に戻す動きがあるという。こうしたトレンドを定着させるためには、今以上の円安になることが望ましい。リーマンショックの前の水準は120円ほどだったはずだ。このくらいの水準になると、日本の競争力は十分に余裕をもって発揮できる。

中韓との外交は先に述べたとおりだが、安倍首相はウクライナ危機の前、ロシアのプーチン大統領とは良好な関係を築き、北方領土の返還がまとまるかも知れないというところまで来ていた。だがこの危機で踏み絵を踏まされ、早々にアメリカなど西側諸国に同調し、ロシアを非難する側に回ってしまった。アメリカは、中韓、北朝鮮などとの外交に必要なパートナーであることは確かだが、日本が常に尻尾を振ってアメリカについていく必要があるのかは考えるべきだろう。もっと、中間的なポジションをとれなかったのだろうか。TPP交渉ではオバマ大統領が訪日する中、日米が最後まで譲らず決裂したが、この交渉は見ごたえがあった。この交渉のようにアメリカ追従ではなく、日本の国益を重視しロシアと協調、北方諸島の返還と天然ガスの輸入を勝ち取ってほしかった。

また、民主党政権の前の第1次安倍政権でホワイトカラーエグゼンプションという制度を導入しようとしていた。ホワイトカラーエグゼンプションというのは、労働の対価を、時間ではなく成果で測ろうとするもので、「成果を出せば会社に来なくていいですよ。ただし、逆に時間がいくらかかろうとも残業代は払いませんよ。」というものだ。この第1次安倍内閣の時にこの案は世間から総スカンを受けたのだが、これを再びテーブルに乗せようとしている。やはり、労働コストを下げたい財界などの圧力があるのだろう。このままではいただけない。

 

STAP細胞 小保方晴子さん

誰もが、好奇の目で見ている小保方博士。STAP細胞の論文発表で脚光を浴びた後、一転してねつ造疑惑で涙の記者会見。

ねつ造疑惑が出てきたとき、同僚の看護師(女性)は小保方博士の博士号について「彼女が可愛いから、おじいちゃん先生が甘い審査で博士号を与えちゃったのよ。」と早々に指摘していた。そのとき主は「いくらなんでも、そんな単純な話がありなの?」とツッコミを入れていた。しかしその後も疑惑はどんどん大きくなり、理化学研究所から論文の取り下げ勧告が行われるまでになる。小保方博士はずっと姿を現すことがなかったのだが、弁護士に伴われて記者会見をおこなった。彼女は、ばっちりメークし、髪形も美容院から出てきたばかりのようだ。服装も記者会見に合わせたのか隙がない。彼女は、記者会見の途中で涙を見せるのであるが、計算していたのかのように、マスカラが涙で黒くなるという事がない。これを見た先の看護師は「自己中の虚言壁で病気!」と一刀両断した。本当にそうなのか? 日本最高レベルの研究機関で、三面記事的な動機が原因で、「オオカミ少女」の極めてお粗末な話が起こったのだろうか? そうした疑問が浮かぶのだが、小保方博士は本質的な疑問を解消しようとせず、見ている側も「本当なの?」と思ってしまう。つまるところ、彼女(看護師)の観察が正解なんだという感じがしてしまう。職業がらか、女性だからか、直観力は鋭い。

一番迷惑したのは、何より他に真剣に実験に取り組んできた大多数のリケジョだろう。ちょっと変わった目で見られ、ある種のリスペクトが含まれるリケジョの危機だ。リケジョの中に、お色気フリフリが混じっていた!

今回はの事件が、定性的な文系の議論、たとえば、『集団的自衛権』の議論と同じような性質のものだったとすると、いくら議論を続けても白黒はっきりしない。しかし幸い、これは白黒がはっきりと出せる科学の世界の話だ。もし、小保方さんの話が事実と立証されたら世間の評価は180度様変わり。ノーベル賞学者の理化学研究所理事長野依良治さんは、こんどは何というのだろうか?

外野席で野球を観戦するように今回の事件の行方を見る無責任な観客としてではあるが、世界中を騒がせたことだし、小保方さんが200回成功したという実験とは何だったのか、他に実験を成功させたというインデペンデントは本当にいるのか、あるいは、誰なのか、上手に真実を説明することが必要なのではないかと思う。(この種の「オオカミ少年」の話って、そこらじゅうにある話なんだとだんだん思えてきた。つまらん。やっぱり、もう一度再逆転すると面白いのになあと思ってしまう。)

 

刺さる動画 — 3.11

『祈りにも悲鳴にも異なる声をあげて、今すべてが止まるようにと願いを心から言った』http://dout.jp/305

Face Bookを通じて知人にこの『刺さる動画』を教えてもらった。3年目となる3.11の映像なのだが、いまさらながらあまりの悲惨さに言葉がない。合掌。

ただ、思うところが一つあった。このリンクをクリックして是非実際に見て貰いたいのだが、多くの写真に人が写っている。亡くなった人の手足だったり、救助する自衛隊員や消防隊員、幸い生き延びる事が出来た人が、とても現実とは思えない背景のうちに写っている。人が写っていることで、被災した人、自衛隊員、消防隊員が見たであろう惨状が目に浮かぶ写真がある。おかげでこれを見て、初めてこの災害が我がこととして実感できたような気がした。

何故なんだろう?『刺さる動画』に刺さったのか。

前から気になっていたのだが、日本のマスコミの自主規制のせいだ。日本のテレビ局の報道では、死体や血の流れる映像は削除されて報道される。当然ながら、その分リアリティが失われる。瓦礫の山だけをいくら流しても、人間が写っていなければ他人事だ。人間が写っていて初めて自分のこととして共感する。

なお、こういうリンクの仕方がアリなのかよく分からないのだが、うまくTweet出来なかったので、このようになってしまった。

3.11

薬剤師という職業 & 医療費の膨張

ブログの主は、処方薬を買う薬局でたいてい憤慨してしまう。

医者に行ったあと、処方箋にしたがって薬局の薬剤師が処方薬を販売するのだが、薬を渡す際に「調子はいかがですか?」「前回と違う薬ですが大丈夫ですか?」的なことを聞いてくる。ここで彼らを専門家だと思って、薬について質問したりしてはダメだ。知識があっても、無難なことしか言わない。

医師の診察でじっくりと話を聞けることは少ないので、薬剤師から病状などを質問されると、ついこちらも質問してしまうのだが、結局のところ素人とたいして変わらない無難なことを言うだけだ。当然だが、医師の診察分野は、細分化されている。その細分化された分野で医師が処方した薬について、薬剤師がそれ以上の詳しい知識を持っているはずがないし、慢性病の場合は患者もそれなりに詳しくなっている。それでもし薬剤師に聞けば、最終的に「相談は医師にしてください。」となる。

主はアレルギー体質で、長年アトピー性皮膚炎を患っている。大学病院の皮膚科の教授から「アイピーディーという薬を体質改善のために2,3年飲みましょう。」と言われたことがあった。その後、大学病院へ行きつづけるのは大変で、町医者に通っている。このように長く飲む薬というのは、どのように評価したらよいのか(効果の判断がわからない、どうなったらやめるのか?)疑問に思ったので薬剤師に質問すると、大学病院の医師に聞いてくれと言われる。このような時、せめて次回までに調べてくれてもよさそうに思う。それぐらいの勉強はしているはずだ。

医療費は、診察より薬剤費のほうが何倍も高い。薬剤以外に、薬局にかかる費用もあるはずだ。薬を受け取る際には、薬の説明書などや、「お薬手帳」に貼るシールなどを受け取るが、これらは調剤基本料や薬学管理料として上乗せされている。医薬分業になって久しいが、医薬分業の狙いは、薬価差(昔、医院は薬を処方する際に、薬代の仕入値と患者が支払う差額で儲けを出していると言われていた。)をなくすことだった。これが院外処方により医療費の削減につながったかというと、薬剤師は医師の処方通り調剤するのみで、そのような効果は上がっていない。むしろ、医薬分業により調剤コストは増えており、節減には薬価基準の引き下げが大きい。

この調剤薬局の多くは、MR(Medical Representative=製薬会社の営業社員)が起業したものなのだそうだ。MRは、自社の製薬会社のために営業活動で医院を回っている。この営業で生まれる医師とのコネクションを生かし、医院の門前薬局という形で調剤薬局を開店する。 

薬剤師の働きぶりを見ていると、6年間勉強する割には、せっせと薬を棚から取り出し、詰めているだけだ。混ぜ薬も少なくなっているし、処方箋の内容どおり正しく薬を詰めるだけなら、機械でも可能だ。テレビの報道では、実際にコンピューター制御された機械が、薬を多くの棚からピックアップするところがあるらしい。なんで、薬局にはあんなに多勢薬剤師が働いているのか。薬局は、コンビニより数が多いという。

また、最近薬学部は、4年制から6年制へと変更されたが、薬剤師の供給過剰が背景にあるのだろう。多くの薬剤師は、専門家であるという幻想をすでに抱いていなさそうに見えるが、専門的なことを言わないのであれば、矛盾が多い、おかしな職業だと思う。

また、こうして見ると、医療費が高い原因が透けて見えてくる。

日本の薬の値段は、世界水準では異常に安いという。つまり、医療費が老人医療のせいで膨張し、その膨張を抑えるため、政府は診療報酬と薬価を上げないばかりか、むしろ、下げて、医療費を抑制しようとする。しかし、国民皆保険制度は、75歳以上の老人は基本的に1割負担である。こうした助成は、確実にマーケットの需給を歪ませる。 つまり、必要がないのに医者へ行く患者が多数現れ、医療費を膨張させる

こうした老人を優遇する医療制度と、生きてさえいれば成功とする医師の条件反射のような救命マインド。安楽死を否定する司法の判断。延命を常に唱えるマスコミの報道。一般大衆は、いつまでも生き続けたいという無理な願望を持つように洗脳されているのではないか。

そして、必要がないのに医者へ行って治療を始め老人たちは、やがて死期が近づいても、体中にチューブをつけられて生かされる。天井を向いて、生きているのか死んでいるのかわからない老人がチューブにつながれて碌に意識もない、というのは本人も望まない、尊厳を踏みにじる虐待でしかない。

おしまい

 

部活

日本の学生は、クラブ活動に参加していることが多い。勿論、小学校、中学校、高校、大学と年齢的な差があるが、高校、大学あたりのクラブ活動への参加の仕方がその後の人生への取り組み方に大いに関係してくるように思う。

ブログの主は、残念ながらちゃんとしたクラブ活動をやってこなかった。

これまで海外生活は、ブラジルとパプアニューギニアだが、どちらの国もクラブ活動などが広く行われているようには思われない。ブラジルはサッカーが人気だが、サッカー選手は学校のクラブ活動でサッカーがうまい選手ではなくて、プロの二軍チームから選抜されている。パプアニューギニアでは、就学率が低いという事もあるが、小学校に20歳を超えた人物が通っていたり、クラブ活動をしている余裕は全般にないと思う。

日本の場合は全国津々浦々、学校のクラブ活動は盛んで、体育系、文科系いずれも熱が入っていてレベルも高い。そうしたところでは、おのずと部長になったり、副部長になったり、マネージャーになったりして、人間関係に苦労しながら一つの目標に向かって進む困難を克服する術を自然に身に付けることになる。

文部科学省を賛美するつもりはないが、日本の学校のクラブ活動が、日本人の協調性や、団結力、問題を解決する力を大きく育てていることは間違いない。個人を見ても、実際にクラブ活動に熱心に取り組んだ者は、その後の人生においても問題解決力が大きいだろう。こうした日本のクラブ活動の広がりが、これまでの日本を築いた一因だと主は思っている。

有名大学卒でクラブ活動をやっていた者が、就職戦線で企業に一番人気があるというのは、将来的にこうした人材が会社で頑張ってくれると思われているからだろう。

もちろん、こうした見方は一面的で、大事なことは協調性や地道な努力の積み上げというよりむしろ、他に大事なことがある場合もある。それは、独創性であったり、大局観であったり、ある種の独裁が必要な場合があるのかもしれない。ただ、言えるのは、クラブ活動など全くせずに予備校にせっせと通い、有名大学を出て役人になったという人物は、ダメだろう。バブルがはじけてよく聞くサクセスストーリーは、元パートの主婦が店長に抜擢され、業績を目覚ましく回復するというものだ。この主婦は、昔クラブ活動を熱心にやっていたに違いない。(^^)