10月1日、踏切内で動けなくなったお年寄りを助けて、自分が亡くなってしまうという痛ましい事故があった。わが身を顧みず人を助けるといことは、なかなかできることではない。政府や自治体も感謝状を出したり、今後は、褒章を与えるということだ。
この事件で感じたのは、この女性の行動もさることながら、お父さんの発言が偉い。事故直後のニュースで、お父さんは「娘はなくなったが、せめてお年寄りが助かったことを励みにします。」との意味のことを言っておられた。この発言を聞き、久しく感じなかった潔さを感じた。その後も、お父さんは「多くの方が娘を悼んでいただき感謝します。」と言っておられる。自分の悲しみを吐露しがちなところ堪え、周囲の人たちへの心配りが先に出てくるところが、最近では少ない立派な方だと感心した。もちろん、娘さんが立派なのだが、お父さんの発言も立派で、世間の共感をこれほど呼んだのだろう。
昨今は、事件や事故の遺族が、いつまで経っても親族の死を風化させまいとする風潮が一般的だ。遺品を横に「心の中では、まだ生きています。」と言う場合が非常に多い。NHKは「風化させない」「忘れない」としきりに報道している。
ブログの主は、昔の日本人は、これほど故人のことを言い続けたのか、とこうした風潮についてかねがね疑問を持っている。当然ながら、故人は帰ってこない。帰ってこない故人のことをいつまでも他人に言われると、同情はできるがどうしようもない。
「水に流す」という言葉があるが、最近、日本人は水に流すという事をしなくなったと感じている。「風化させない」「忘れない」というのは、どこから来た発想だろうか。確かに、教訓を得て今後に生かすことは必要だ。だが、「水に流し」て、また額に汗して働くことが、気持ちよく前進する方法ではないかと思う。また、そうすることで、故人も浮かばれる気がする。