バッハ平均律聴き比べ グールド、グルダ、リヒテル

J.S.バッハ(1685-1750)のクラヴィーア曲に、「平均律クラヴィーア曲集」という有名な曲があり、「第1巻」と「第2巻」がある。クラヴィーアというのはチェンバロやクラヴィコードの鍵盤楽器の総称なのだが、当然ながらこの時代には今のようなピアノはまだなかった。

ちょっと、うんちくめいてしまうが、西洋音楽では1オクターヴ上がると音のピッチ(周波数)が倍になるという性質がある。このオクターヴの中には、鍵盤では白鍵7個、黒鍵5個の12個があり、13個目でピッチが倍になる。ところで、音合わせの基準になるA(ラ)の音は、440Hzだが、これもずっと昔から440Hzだったわけではない。 また、「平均律」の意味だが、バッハの時代に初めて1オクターヴにある鍵盤12個にそれぞれ「調」を割り当てることができるようになった。すなわち、それまでは「純正律」といい「調」ごとに調律しなおしていたのだが、オクターヴを12等分することで、「純正律」ほど完全ではないが、激しく転調をしても違和感のない程度の濁った音に定義することで、あらゆる「調」を扱えるようになった。

こうして「平均律クラヴィーア曲集」は前奏曲とフーガからなるのだが、調が12あり、短調と長調があるために48曲からなる。

今回はこの曲集から、小説家の百田尚樹さんおすすめの第1巻最終曲ロ短調の4声のフーガを、3人の巨匠の演奏で聴き比べてみたい。出だしは次の楽譜のとおりなのだが、この主題で12の音すべてが出てくるという現代曲を想起させる曲だ。

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グレン・グールド(カナダ1932-1982) 3分46秒                まず、ラルゴの指定を守らず、モデラートで演奏している。グルダ、リヒテルと比べると軽快だ。ただ、他の二人と比べると明らかに他の対位旋律の弾き分けはレベルが違う。グールドは、まるで二人で連弾しているような明晰さがある。また、4声が絡み合うところで、特定の声部と他の声部が掛け合うように強調して弾かれる時に、ぞくっとする緊張感が生まれる。彼はよく、ある声部をスタッカートで、ある声部をレガートで弾いたり変化をつけるのだが、この曲では普通に弾いている。グールドは、各声部を対等に扱うところが他のピアニストと決定的に違うところだ。

フリードリヒ・グルダ(オーストリア1930-2000) 8分16秒           速度は、指示通りラルゴである。最初は、小さな音で弾き始め、徐々に音量が大きくなる。二つの旋律がメロディーとして聞えてくるが、それ以上の声部は和音としか聞こえない。複雑なメロディーが聞こえないせいか聴きやすい。(2声プラス和音に聞こえる)

スヴャトスラフ・リヒテル(ソ連1915-1997) 7分33秒             録音が素晴らしいという口コミに負けてSACDの平均律全集を買ったのだが、風呂場で弾いたような音響だ。 速度は、指示通りラルゴである。声部の弾き分けは、グルダより明確で4声がしっかり区別されて聞こえてくる。レガートで非常に美しい演奏だが、グールドのような声部の掛け合いという要素は少なく、常に浮き立たせたい声部にフォーカスした弾き方で、聴きやすいが平板という感じ方もあろう。

まとめ                                       最終的には好みということになるのだろう。グルダは右手と左手の旋律の二つで、それ以上は和音だ。リヒテル、グールドは各声部をはっきりと弾き分けているが、声部の性格や場面により、スタッカートにしたり、レガートにしたり、音色、音量を対比させたりしているのはグールドが違うレベルにあると思う。また、グールドの演奏は全般にイン・テンポ(”正確な速度で”)で、「バッハほどスイングする音楽はない」というほどジャズ的であり、その辺が正統的なクラシック好きの人には好まれない理由かもしれない。

 

グレン・グールド 彼の性格

風変わりな性向には事欠かないカナダ人天才ピアニスト、グレン・グールド(1932-1982)の性格を考えてみたい。 最初に彼の性格を示すエピソードをいくつか書いてみよう。

子供時代は、学校で過ごすことが最悪だった。授業時間よりも、休み時間の方が耐えられなかったという。友達もなく、同級生たちと一緒に遊ぶということはなかった。ボールを投げられると手を守るために背中を向けたという。だが、徐々に、学校でもそのピアノの実力により一目置かれるようになる。いじめられるということもなくなってくる。

母親のフローラが潔癖症で心配性だった。ばい菌の感染を心配し、グレンを屋外で遊ばせたり、人ごみへ出そうとはしなかった。このため、グレン自身も早くから心気症で風邪薬や抗生物質を持ち歩くようになる。睡眠薬や向精神薬なども持ち歩き、あまりに大量の薬を携行しているためにカナダとアメリカの国境で没収されたこともある。

生涯、対面して話すことより、電話をかけることを好んだ。対面して話す場合は、相手の目を見ずに喋ったという。電話は、相手の迷惑を考えず深夜でもかけ、長電話だった。話の内容は、交互に話をするというよりも、グールドが思いついたことを一方的に話し続けていた。

グールドは、デビュー作のバッハ「ゴールドベルグ変奏曲」が発売される前の20才の頃、すでにピアノの恩師ゲレーロの元を出、両親と話し合って大学へ進学しないと決め、トロントから車で1時間ほど離れたシムコー湖の湖畔にある別荘で「弦楽四重奏曲作品1」を一人作曲していた。このリヒャルト・シュトラウスを思い起こさせ、現代的だがロマン派の香りが強く漂う、独特の大曲を2年かけて完成させた。彼は4つの音(C,D♭,G,A)が果てしなく展開するこの曲を書くのに非常に苦労し、一晩にわずか数小節しか出来ないこともあった。

このとき、グールドは7年上の恋人であるフラニー・バッチェンに毎夜、深夜に電話で作品の進み具合を嬉々として聞かせていた。グールドは、このころすでに昼夜逆転した生活を送っていたが、相手の都合を考えるという発想はなく、深夜の3時に長電話することも平気だった。フラニーもプロのピアニストを目指していたが、生活のために翌朝にはアルバイトへ出かけなければならなかった。このため、彼女にとって深夜の電話は負担となる。

映画「グレン・グールド天才ピアニストの愛と孤独」の中で、フラニーは2007年にインタヴューを受けている。この時、彼女は82歳なのだが、美人の面影がはっきりとある。(実際若い時代の写真を見るととても魅力的だ)彼女は、「グールドと結婚を考えましたか?」と問われ「もちろん」と即答している。だが、「グールドは、ある意味ロマンチストでしたが、社会性がなく一緒に暮らすのは困難でした」と語っている。(下の写真は、映画「グレン・グールド天才ピアニストの愛と孤独」のHPから)

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最も有名なエピソードが、「コンサートドロップアウト」だろう。1964年、彼が31歳の時に公開演奏からドロップアウトする。つまり、コンサートに出演しなくなる。コンサートピアニストとして名声が高まり絶頂にあったのだが、何年も前から引退を口にし、ツアーではキャンセル魔で有名だった。聴衆を、闘牛を見に来る観客に例え、『集団としての聴衆は悪だ』と言ったり、聴衆に拍手することを禁じる演奏会を開いたりしたこともあった。ドロップアウト後は、もっぱら、スタジオのみで録音・演奏するようになる。

彼は、父親が作った特製の低い椅子を使い続けた。その椅子がボロボロになり、座面がなくなって木組みだけになり、椅子の軋む音がレコードに入るようになっても生涯使い続けた。

彼は、両親にとって待望の子であり、一人っ子で、甘やかされ放題で育っていく。母フローラは、グレンが音楽で身を立て、彼の音楽を聴く人たちに良い影響が与えられるように常に願っていたが、時間が経つにつれ、これが実現するのを目の当たりにする。一方の父バートは毛皮商を手堅く営んでいたが、グレンが小学校に行く頃には動物愛護の精神から父親の仕事に反発していた。こうした影の薄い父バートに対し、父親代わりの存在となったのが、10歳から9年間ピアノを教えたチリ人ピアニストのゲレーロである。グールド家とゲレーロ家とは家族ぐるみでつきあった。

おそらく、グレンはフローラから正しい愛情を受けられなかった。大きな愛情が注がれたのは確実だが、同じ年齢の子供たちと遊ぶことや協調するということはなかったため、社会性が身に着かなかった。フローラ自身が10歳まではピアノを教えるのだが、それを過ぎると彼女の手に余ってしまい、ゲレーロを師として迎えた。これは、音楽の能力の成長には、必要なことであり大いに貢献したが、人間性の成長という意味では、ダメなものはダメと言われる経験がなく、いびつな人間が生まれたといっていいだろう。

ゲレーロは、グレンが全く他人の助言を受け付けず、君の弾き方は違う」と言われると憤慨してしまうので、グレンにピアノを教える時、自分でなんでも見つけさせるようにしむけていた。おかげでグレンは、フローラとゲレーロにピアノを教わったことを忘れて、生涯、「私は独学でピアノを覚えた」と言うようになる。

愛着(愛情)は、子供の成長に必須のもので、十分に正しく与えられれば安定したパーソナリティーが出来上がるのだが、その後は、甘えさせることだけではなく、甘やかしてはいけない時期が来る。この時期に、両親は甘やかしてしまったのだろう。このため、グールドは統制型の愛着障害パーソナリティを持ってしまった。この統制型の愛着障害というのは、何でも自分の思いどおりにならないと気が済まないというもので、親との愛着の不安定な子供が、4~6歳の頃から親をコントロールすることで自身の安定を得ようとする結果と考えられている。自信過剰で自己愛が強いナルシストとも、自分以外が見えず、対人関係を上手く築けない自閉症の一種であるアスペルガー症候群だったと云うこともできるだろう。

だが、彼は凡人とは違う。確かに社会性のなさや、人間関係を普通に築けなかったということはあるだろう。しかし、音楽の世界において凡人を超越していた。その性格がもとで、グレンの音楽性が常人とは違う、類を見ない領域へ達していたのは間違いない。何より、音楽の解釈において、既成概念にとらわれることなく自分自身の考えを透徹したところに、他のピアニストにはない独創性がある。

例えば、モーツアルトのピアノソナタでは、高音部の旋律だけでなく、低音部に音符を自ら加えて対旋律を強調しながら弾いている。また、過去に演奏されたスタイルと同じ録音をするなら意味がないと考えていたので、すべての曲が従来のスタイルとは全く異なった挑発的な演奏である。トルコ行進曲が付いているK331では、出だしをスタッカートでまるで近所の幼児がピアノを弾いているようなスタイルで始め、変奏の度に速度を上げ、アダージョの指定がある変奏をアレグレットで弾く。既成概念に挑戦した演奏と言っていいだろう。既存のクラシック界の常識に従うのではなく、グールドは、「作品と作曲家の内面に侵入し、その反対側に突き出た」「作曲者に対する共感を通り越し、作品を完全に乗っ取っていた」と映画「グレン・グールド/天才ピアニストの愛と孤独」でチェリストのフレッド・シェリーが語っているが、核心を衝いていると思う。

 

グレン・グールド ショパンとドビュッシー

カナダ人ピアニスト、グレン・グールド(1932-1982)は、没後33年経つのだが、正規録音78枚のすべてがリマスターされたCD、ハイレゾファイルLPレコードが、今秋、再発売されたりして人気が衰えない。

彼は、特にバッハにおいて絶対的な評価があるのだが、バッハの他にはベートーヴェンやモーツアルト、ハイドン、ヒンデミット、シェーンベルグ、ブラームス、シュトラウスなどを録音している。しかし、こうしたレパートリーの中には、ロマン派のショパンや印象派のドビュッシーなどの作曲家がほとんど入っていないことでも有名だ。一般的なピアニストのレパートリーには、少なくともショパン、ラフマニノフはかならず入っているだろう。

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こうしたショパンやドビュッシーを毛嫌いして弾かなかったグールドであるが、この二人の作曲家の1曲ずつが、レコードという形ではなく、CBC(カナダ放送協会)ラジオとテレビ向けに残している。1970年7月のラジオ放送でショパン「ピアノソナタ第3番ロ短調作品58」を、1974年2月のテレビ放送向けにドビュッシー「クラリネットとピアノのための第1狂詩曲」を残している。グールドは、1964年32歳の時に公開の場で観客に向けて演奏をしなくなり50歳で没するのだが、これらはコンサートドロップアウト後の38歳と42歳の時にラジオとテレビ向けに演奏したものだ。

下はYOUTUBEの二つの曲のリンクだ。ショパンの方は、演奏に合わせて楽譜が画面に表示され、リズムを崩さないのがよくわかる。

https://www.youtube.com/watch?v=arfYFtc7hlw (ショパン)https://www.youtube.com/watch?v=5btcgRcbZ4s (ドビュッシー)

いずれも、普通に演奏されるスタイルとは全く異なった、グールドらしい演奏を聴くことができる

ドビュッシーやショパンの演奏は、テンポを自由に変えながら、高音部のメロディーを陶然と歌わせるのが普通だ。左手は、あくまで伴奏であり強調しない。だが、グールドはテンポを崩さず一定のリズムを刻みながら右手と左手の旋律を同等に扱う。時に、低音部の伴奏の方が主役になる。正確なリズムは、行進曲を彷彿とさせる。

ドビュッシーの方は、クラリネットのジェームズ・キャンベルとの合奏であるが、他の奏者と比べると、主客が転倒している。クラリネットはひとつの旋律しか出せないが、息の続く限り同じ強さの音を長く出すことができる。音量もピアノより大きい。それにひきかえ、ピアノの音はすぐに減衰してしまう。YOUTUBEで見つけたほかの演奏では、クラリネットがはっきりと主で、ピアノは伴奏だ。ところが、グールドの演奏は、ピアノへの集中度が半端ではない。ピアノの存在感が違う。大きい。

だが、これら二つの演奏が成功しているかというと、グールド自身も認めているように甚だ疑問だ。

グールド研究の第一人者である宮澤淳一が、ショパン「ピアノソナタ第3番ロ短調作品58」が入ったCDのライナーノーツの中で、カナダ人音楽学者のケヴィン・バザーナの見解を次のように引用している。

「グールドがこれまでショパンを避けてきた大きな理由のひとつは、リズムに対する自分の考えがショパンにそぐわないという事実だった。ショパンの音楽はその場で自然にわき起こるものが、つまり自由なリズムやルバート(「自由な速度で」)が求められるのだが、これはリズムの継続性を強く好むグールドの姿勢は、個々の個所においても、楽曲の構造全体のレヴェルにおいても対立するのである。グールドが好むのはオーケストラを指揮するときのようなリズムの捉え方である。ほどんどのピアニストが、殊にロマン派の音楽において、リズムにおける自由をむさぼっているということをグールドは苦々しく思っていた。グールドは自分のピアノ演奏におけるリズムの哲学についてはっきり述べている。”指揮ができなければ、誤りである”と」

また、1981年のティム・ペイジとのインタヴューで、このショパンの演奏を「あまりうまくいかなかった。2度とショパンを弾く気にならない」と言ったと書かれている。

たしかに、グールドの演奏の特徴の一つは、リズムを自由に崩さないという点がある。複雑なポリフォニーをリズムを崩すことなく、まるでコンピューターのような正確なリズムで弾きとおすところに魅力がある。このリズム感に、リスナーはドライヴ感を感じる。

グールドは、楽曲の構造を明らかにすることを主眼に置き、ルバートすることで曲の構造が見えにくくなることを嫌ったのだろう。これは結局のところ、ロマン派の多くの音楽とは相容れないということを意味する。同時に、逆説的だが、グールド自身があまりにロマン派的人間のため、彼も同じように感情のままにリズムを崩し、あまりに強い主観の泥沼を人様に見せることは、選択として初めからなかったのではないかという気がする。

 

 

グールド ハイレゾFLAC リマスターCDよりいくぶん高音質!

リマスターされたCD版とこのUSB版の両方を購入したので、違いなど感想を書いてみよう。


CD版の方は、CD81枚と結構豪華な24cm×24cm大416ページのブックレット(ジャケット写真やライナーノーツ、グールドの写真、解説が入っている。こちらは、グールドとジョン・マックルーアやティム・ペイジとの対話CDなどが含まれており、USB版はCD78枚分と3枚分少ない。(どちらも「早期購入特典付き」のものには、日本語訳された曲目リストや解説が書かれた小冊子がついてくる)

USBピアノに象られた左の写真はUSBメモリーで、上の部分のキャップを外すとパソコンのUSBソケットに差し込むことが出来る。USBメモリーは容量が128GBあり、FLACファイルに約30GB、MP3ファイルに約10GB使われている。

 

ランチャー2それとは別にアプリケーションが入っている。アプリケーションソフトをインストールすると、左のような画面になり、CDの楽曲をパソコン上から選択し、CD版に付属するブックレットをアクロバットリーダーで読める機能もついている。パソコン上で好きな楽曲を再生しながら、解説書も参照でき、なかなか気が利いている。表示言語は英語のみ。物理的なCDと解説書を選ぶか、PCに入れたFLACファイルとPC画面で見るPDF、どちらを選択するかは好みの問題のように思う。

ただ、このソフトは常に全画面表示になるようで、パソコン上で他の作業をすることができない。この点は、使い勝手が悪い。(後程、PDFを表示させる際にタスクバーが現れることに気付き、他の作業をすることができると気付いた)もちろん、foobar2000などで直接FLACファイルを再生できるので、困るということはないが。

さて、肝心の音質であるが、FLACファイルとリマスターCDを比べると、若干、FLACファイルの方が音質は良いように感じる。今回のリマスターは、アナログマスターテープをまずDSDでリマスターしその上で、PCM方式の24bit 44.1KHzへとコンバートしてFLACファイルが作られている。CDの規格は、16bit 44.1KHzなので、大幅に違うとは言えないだろう。ダウンロードサイトの一般的なハイレゾ音源は、DSDを別にして24bit 192KHzというものが多い。それと比べると 16bit が 24bit になった8bit(256倍)の差というのは少し物足りない。とは言うものの、リマスターされる前に発売されたCDを再生するときの、多数の音が同時に発声される際の聞き苦しい混然とした歪感は、はっきりと改善されている。マスターテープに録音されている音が、余すことなく再現される。

しかし、いずれリマスターしたDSDのオリジナルデータが発売されるだろう。また、そうあってほしいものだ。

以下追記(2019/5/18)– 

PCで聴く時は、FLACをDAC経由で聴いており、CDを再生する時には、YAMAHA CD S-3000というプレイヤーで聴いているのだが、どちらも従来のCDより、ずっと良い音がする。これは、上にも書いたが、オリジナルのアナログテープをDSDでリマスターしているからだ。これをFLAC、CDへとダウンコンバートして、売られている。ダウンコンバートされたと言っても、もともとのアナログテープに入っていた内容は余すことなくデジタルでコピーされているということだ。

グールドが録音した時期は、LPレコードの時代で、LPレコードのマスターテープには音楽として十分な情報量が含まれているのだが、これをアナログのまま忠実に再生しようとすると、非常に高額なオーディを機器をそろえる必要があった。ところが、昔のアナログのマスターテープの録音は、最終的にCDの基準へとコンバートされ、気軽に WALKMAN や iPod などで良い音で聴けるようになったのだが、技術は進歩していて、古いものより新しい技術の方が、一般的に良いということだろう。

いずれにしても、DSDでリマスターしたそのものを、SACDなり、ハイレゾ音源として、SONYは発売して欲しい。

おしまい

 

 

 

グールド リマスタード – The Complete Columbia Album Collection

今年9月11日、グレン・グールドのコロンビア時代の正規録音81枚のLPが、リマスターされ、CDで発売された。これが、実に素晴らしい音なのだ。同時に、1955年版と1982年版ゴールドベルグ変奏曲のレコード!が再発売された。また、12月にUSBメモリーに入った24bit、44.1KHzのハイレゾ・バージョンも発売される予定だ。

グールドが亡くなって33年が経つのだが、これらの発売は、彼の人気が如何に未だ衰えないかをよく表している。

このコレクションは、グールドがコロンビアマスターワークス(のちにCBSマスターワークス)に発売を許可した正規録音をすべて含んでいるグールドは、1955年1月のアメリカニューヨーク、タウンホールでのデビューの翌朝!に、コロンビアレコードの重役オッペンハイムに専属契約を申し込まれる。これに従い契約を結ぶのだが、生涯他のレコード会社へ移籍をしなかった。同年にバッハのゴールドベルグ変奏曲を初めて録音してから、2度目のゴールドベルグ変奏曲を再発売すると同時に亡くなる1982年まで、ずっとコロンビアからレコードが発売された。最初の5枚目までは、モノラルのLPレコードだった。若い人のために説明すると、当時のレコードは、直径が30cmの溝が切られた黒いLP(Long Play)と呼ばれる円盤で、ターンテーブル上を1分間に33回転し、レコード針がその溝を擦りながら音を拾い上げるというアナログな仕組みだった。録音技術は徐々に進歩し、6枚目からステレオで録音されるようになり、1980年以降の5枚は、現在のデジタルであるCD規格で録音された。

このリマスターは、レコードを製造するために使用した既存のアナログ・マスターテープを、現在のDSD(Direct Streaming Digital)というデジタル技術で置き換えるものだ。このデータをもとにCD規格に再変換している。同時にリマスターしたデータから、何とLPレコードでも発売された!!最近、先祖返りのブーム(懐古趣味)で、レコードが見直されているのは確かだが、新発売するというのは凄い。

このCD、ハイレゾUSBとアナログレコードの発売だが、前述したとおりアナログ・マスターテープをDSD方式でサンプリングしたものを使っている。DSDというのは、CDの高音質バージョンであるSACDプレイヤーで使われている録音方式だ。今では、この方式にもSACD以上の高品位規格があり、こちらはメディア(円盤)ではなく、インターネットのダウンロードにより、手に入れることになる。12月に発売されるUSBのハイレゾは、ハイレゾと言いながらCDの規格が16bitのところが24bitになっただけで、同じPCM規格であり、非常に良いというわけではない。ところが、DSDは録音方式自体がPCMとは違い、自然に近い音だと言われている。これの意味するところは、今回リマスターされたもっとも高音質なDSDのオリジナルデータは、まだ発売されていないということだ。こちらの発売もやがてあるだろう。早く売れっちゅうねん。

残念なのは、バッハのフーガの技法のピアノ版やイタリア協奏曲の新録音などが含まれていないこと。逆に、CDショップでは手に入らない「20世紀カナダの音楽」と題するモラヴェッツやエテュの作品、R.シュトラウスの≪朗読とピアノ伴奏のドラマ≫「イノック・アーデン」やヒンデミットの「金管とピアノのためのソナタ全集」などこれまで聴いたことがない曲を初めて知ることができた。これら正規レコード81枚分が、良い音で蘇ったというのは非常に大きい。どの曲を聴いても、素晴らしい。びっくりする。やはり、最低限この程度の音で聴かなくては良さが伝わらない。

下が、 CDで発売されたもの。24,000円。CD1枚あたり300円と考えるとバカ安だ。CD81枚だけでなく、24cm×24cm大の立派なブックレットがついており、当時のジャケット写真とライナーノーツと解説(すべて英語)が載っている。早期購入特典ありとなっているものには、日本語の小冊子がついている。また、初めて見るグールドの写真も多く、非常にお買い得だ。

グールドリマスター(CD)

こちらは、12月発売予定のUSBハイレゾ・バージョン。53,000円。FLAC形式のものとMP3形式のもの2種類が入っている。インタビュー3枚分が含まれていないので、78枚分ということになる。

グールドリマスター(USB)こちら2枚がアナログレコードで発売されたゴールドベルグ変奏曲。上が1955年、下が1982年盤である。あー、懐かしい! 昔は、30cm×30cm大のジャケットを眺めたり、ライナーノーツを読みながらレコードを聴いたものだ。(写真はいずれもアマゾンから)

ゴールドベルグ1955(LP)

ゴールドベルグ1981(LP)

 

 

 

クラシックに狂気を聴け

主は、なぜクラシック音楽を聴くか? ほとんどカナダ人ピアニスト、グレン・グールドしか聴いていないが、クラシック音楽を聴いているという意識はない。貴族趣味でクラシックを聴いている意識はもちろんなく、単に音楽を聴いているという意識のみだ。なぜ、グールドのみを聴くかというのは、彼の音楽が、あらゆる音楽の中で最も刺激が強い考えているからだ。

ところで、ブログのタイトル「クラシックに狂気を聴け」は、森本恭正さんの「西洋音楽論」(光文社新書)の副題からとっているのだが、この本はさまざまな観点で示唆に富んでいる。森本さんは、1953年生まれの作曲家・指揮者でヨーロッパで活動されている。

ヨーロッパ音楽であるクラシックは、破壊と創造の超克の長い歴史があるが、今クラシックと呼ばれる音楽も、初演された当時は時代の先端を行くものだったはずだ。中世の音楽に始まり、ルネサンス、バロック、古典派、ロマン派、現代曲へと音楽史は進み、様式は進化していくのだが、その時々において最新曲だった。だが、古い様式が破壊され、新しい様式が創造されるにつれ、古い様式は「クラシック」になっていく。ロマン派には、シューベルトやシューマン、ブラームスなどがいるが、彼らはひとつ前の古典派のモーツアルトやベートーヴェンの音楽の様式を壊し、新しい様式を創造してきた。だが、このロマン派の作曲家は、シェーンベルグなど現代曲の作曲家に乗り越えられる。現代曲は、新しく12音音楽や無調の音楽となって久しい。

この過程を、進歩というのは間違いではない。だが、現代の作曲家にとって、すべて新しいことはやりつくされており、何をやっても新しいものがない、知っているという状況まで辿り着いてしまった。進歩の功罪は半ばし、現代の「クラシック」は停滞してしまい、黄昏ている。コンサート会場では、過去の遺物を繰り返すのみだ。

この本の中で作者の友人の著名ヴァイオリニストが、ブラームスのヴァイオリンコンチェルトを題材に、現代のクラシック音楽の置かれている現状を語るくだりがある。「・・・胸がどきどきして、息苦しく、思わず大きく深呼吸したくなる様な、あの、震える様な興奮を、私達はブラームスの音楽に忘れてきてしまったのではないでしょうか。否、ブラームスだけではありません。現代まで生き残ったクラシックの作品には恐らく、すべてあるのです。信じがたいようなあの興奮が。それらがすっかり忘れ去られて、クラシックといえば、敬老会の為の音楽のようになってしまった。・・・」

そうなのだ。今のクラシックは、本来のみずみずしさを失い、骨とう品を有難がっている敬老会のようなものだ。

森本さんは書いている。音楽史において、フランス革命以前、音楽は、一部貴族のものだった。だが、フランス革命後に女性を含む一般市民の手にも渡った。この端境期を生きた作曲家がベートーヴェンであり、「革命の中から生まれ、旧体制社会の決まり事の殻を叫びながら破いているのが、彼の音楽の本質」だという。ベートーヴェンに続くロマン派の作曲家たちの本質は、「狂気」だという。「今までの規範、世間の常識では計り知れないもの、人智の遠く及ばないもの、想像を超えるほどの狂気」である。ところが、現代の演奏家はこれを表現せず、敬老会の出し物へと骨抜きされている。

話が変わるが、すべての西洋音楽はアフタービート(一拍目に弱拍、二拍目に強拍がくる。ワンツーワンツーで、ツーが強い)だと言っている。一般にジャズやロックがアフタービートといわれるが、クラシックも弱強弱強のアフタービートだというのだ。「スウィングしないクラシックなんてありえない」。日本の音楽教育では、こういう風に教わらないのだが、クラシックもジャズやロック同様、アフタービートであり、これが曲進行の推進力になっているという。

同じようなことだが、ヴァイオリンの弓を例にあげて、すべてのヨーロッパ音楽は、音が出る一瞬前に弓が撓む(たわむ)瞬間があるという。弓を下げながら音を出す一瞬前に、弓を上にあげる動作があり、それを「撓む」というのだ。この一瞬の準備は、日本にはないという。日本では、動と静、或いは静から動への突然の移行がある。しかし、ヨーロッパ音楽では、このような突然の移行はないという。

2010年のショパンコンクールで、審査員が「アジア系の参加者の演奏は音楽を何も感じず、ただ上手に弾いているだけ。頭で考えるのでなく心で感じてほしい」と語った。このコンクールでは81人中17人が日本人で、アジア系といわれたのが誰のことか明白だ。こうしたことは、何十年も前からヨーロッパの音楽大学のレッスン室、演奏コンクールの審査員室で囁かれてきたのであるが、公式の場でとうとう言われてしまったということだ。

たしかに現代の演奏において、技術的なレベルや楽器の性能は高くなっているのだろう。オーケストラもピアニッシモではより繊細な音を出し、フォルテッシモでは爆発的に大きな音を出す。だが、何かがつまらない。オーケストラの団員の多くはあまりの大音響にさらされるため、耳栓をしながら演奏をしているという。きっと何かが、本末転倒している。

ところで、この本を読んで正しいクラシックの聴き方を教えられた。この本には、ロマン派の音楽を聴くなら、それ以降の音楽の存在を忘れることだと書かれている。バッハを聴くなら、モーツアルトやベートーベン以降の存在を忘れること、そうすることで「狂気」が見えてくる。「新発見」がある。

ちょうど今月、グレン・グールドのコロンビア時代(今はソニーレーベル)に出された81枚の正規録音がリマスターされ、発売された。グールドの没後33年にあたるが、人気ぶりがわかる。このリマスターはDSDでサンプリングされており、非常に高音質だ。これを良いステレオ装置を使い、良い音でじっと集中して聴くことだ。音楽に耳を澄ます、それ以外の作業は、勿論何をしてもだめだ。

ただし、グールドなら話は別かも知れない。グールドは「日常生活でも聖徳太子のようなアネクドート(逸話)が伝わっている。人と会話をしながらベートーヴェンの楽譜を勉強し、電話をしながら雑誌を熟読し、シェーンベルグの≪組曲作品23≫を譜読みしながらAMラジオでニュースを、FMラジオで音楽を聞くことができる、等々。」(グレン・グールド 青柳いづみこ)と書かれているくらいの対位法的(マルチタスク)人間なのだから。だが凡人には、主には、とうてい無理だ。

 

 

 

アスペルガー症候群とグレン・グールド

グールドは、さまざまな疾患を生涯にわたって抱えていた。少年期の終わりには、早くも処方薬を手放せなくなり、大人になると薬を山のように飲んでいた。カナダとアメリカの国境で、あまりに大量の薬を持っているために不審がられ、税関で拘束されたくらいだ。確かグールドがデビューしたての頃の映画にも、似たようなシーンがあった。インタビュアーが旅行の時には、薬でトランク一つが一杯になっているそうですね?」と尋ねる。 それに対し、グールドは「トランクは大きすぎるよ。アタッシュケースぐらいなもんだよ」と答える!!

グールドが抱えていた疾患のうち、心気症(ヒポコンデリー)はよく知られているが、不眠や情緒不安定にも悩まされていた。複数の医師にかかり、他の医師の診察を受けていることを隠して、精神障害や情緒障害の処方薬を同時にもらい、大量に飲んでいた。彼の友人の精神科医のピーター・オストウォルドが1996年に書いた伝記を読むと、グールドの根底にある性向として、アスペルガー症候群が強く示唆されている。アスペルガー症候群が広く認知されるようになったのは、1990年代というから、グールドの生前には知られていなかった障害である。アスペルガー症候群は自閉症の一種で、対人関係が不器用で、他人の気持ちや常識を理解しづらいことから、社会に溶け込むことができずさまざまな問題を引き起こす。だが、一方で人並み外れた能力(高度な集中力や深い知識)を持っていることが特徴である。

そうした関心から「アスペルガー症候群」(岡田尊司 幻冬舎新書)を読んでみたのだが、アスペルガー症候群がグールドにまさにぴったりあてはまり、非常に驚いた。

一般にアスペルガー症候群を持つ人は、他人の気持ちを理解できづらいために周囲から疎まれ、それが原因となって、持てる能力を発揮できず、生きづらい生活になってしまう場合が多い。しかし、グールドの場合は、母親をはじめとする周囲のサポートがあったために、生涯をとおして彼が持つ高い能力を音楽の分野で発揮することができた。このため、音楽の才能をどんどん高めることが出来た。演奏のみならず、音楽評論家、作曲家、プロデューサーでもあったが、それらはすべて音楽から出たもので、(株で儲けていたとか、安倍公房原作の映画「砂の女」や夏目漱石の「草枕」に夢中になったりしたという事実などもあるにはあるが・・・)彼は音楽に人生のすべてを、土曜も日曜もなく、朝から晩まで捧げていたと言っても間違いではない。

グールドと同じくアスペルガー症候群を抱えながら功績を残した人物として、アインシュタイン、エジソン、グラハム・ベル、ヒッチ・コック、ダーウィン、西田幾多郎、ディズニー、ビル・ゲイツなど多くの例が上げられている。

以下で、アスペルガー症候群を感じさせるグールドの子供時代を紹介しよう。

グールドの母フローラグリーグ(Grieg 1843-1907、ノルウェーの作曲家)が母親のいとこにあたることを誇りにする声楽教師であり、ピアノ教師でもあった。教会の聖歌隊が縁で10歳年下の父親バートと知り合い1925年に結婚する。二人とも敬虔なプロテスタントで、深く音楽を愛していた。バートは毛皮商を営んでいたが、美声の持ち主でヴァイオリンを弾くこともできた。フローラは、バートとの結婚によりプロの声楽家になることをあきらめる。当時の女性にとって結婚は、主婦に専念することを意味する時代だった。このことが、グールドをプロの音楽家にしたいと考えるきっかけになったかも知れない。

フローラは何度かの流産ののち、1932年40歳で待望の子供グールドに恵まれるのだが、子供がお腹の中にいるときから、歌いながらピアノを弾き、胎児に聞かせていた。この夫婦にとってグールドは「念願の子」であり、一人っ子で甘やかされ過保護に育てられる。

グールドに絶対音感があることをバートが見抜き、フローラは3歳の時にピアノを教え始める。グールドは文字を読むよりも先に、楽譜が読めるようになる。グールドの死後1986年にフランスで催されたグールド展のパンフレットに、バートは赤ん坊のグールドの様子を次のように書いている。「祖母の膝に乗ってピアノに向かえるようになるや、たいていの子供は手全体でいくつものキーを一度に無造作に叩いてしまうものだが、グレンは必ず一つのキーだけを押さえ、出てきた音が完全に聞こえなくなるまで指を離さなかった」音楽の才能は、明らかだった。フローラはピアノで弾くさまざまな和音を、家の離れた場所のグールドに当てさせるというゲームをするのだが、グールドが間違えることはなかった。一方、グールドは、同年齢の子供とまったく遊ばなかった。フローラは音楽を熱心に教えたが、音楽以外の、例えば友達と協調することや我慢することなど、子供に必要なことを上手に教えることができなかった。こうして、グールドは、6歳になった時人間よりずっと動物となかよくできる自分を発見する! 小学校に行く年齢になると、グールドは両親にこう訴える。「6歳の時に両親に言って、なんとか納得させたのは、自分はまれに見る繊細な人間なのだから、同じ年頃の子供たちから受ける粗野な蛮行に曝されるべきではないということでした」その結果、両親は1年弱、自宅で家庭教師を雇う。2年生から仕方なく小学校へ行くようになるのだが、全く教師、同級生と溶け込むことがない。「ぼくは先生たちとほとんどとうまくいかず、生徒のだれとも仲良くすることができなかった。ぼくの性格には児童心理学者のいう集団精神がまったく欠けていたのです」と語っている。ピアノに没頭する、他の子供たちとうまくいかない、ますますピアノに逃避するというサイクルにグールドは入っていた。

他方、グールドは音楽家としての才能は、すぐに母のレベルを追い抜いてしまう。もう、子供へ教えることができないのだ。すると、フローラはしかるべく次の行動に出る。7歳になるとトロント音楽院へ午後通わせるのである。また、グールドの音楽の才能が遥か高みに上ってしまった10歳の時には、高名なチリ人のピアニストのゲレーロに教師を依頼する。ゲレーロは、子供を弟子にとらない主義だったが、グールドの天才をすぐに認め教師になることを承諾する。このときの、教授法が変わっている。グールドの性格を見抜き、教えるのではなく、グールドが正解に気付くようにしむけたのだ。どんどん、正解を見つけ才能を伸ばしていくグールド。

グールドを形作ったのは、明らかにこのゲレーロなのだが、グールドはピアノは独学だったと生涯言い続け、ゲレーロの影響を認めなかった。

おしまい

 

「グレン・グールド 未来のピアニスト」 青柳いづみこ

「グレン・グールド 未来のピアニスト」(青柳いづみこ 筑摩書房)

この本は、筑摩書房というメジャーな出版社から2,200円で売られ、グールドを扱った書籍の多くは専門書扱いで5,000円以上するのに比べると、手に取りやすい価格だ。主は、2年以上前に買っていたのだが、途中で馬鹿らしくなって読むのをやめていた。

ウィキペディアによると、青柳いづみこはドビュッシー研究家で東京芸術大学卒のピアニストでエッセイストと書かれている。1950年生まれというから、現在は65歳である。グールドは、1932年生まれだから、音楽評論家の吉田秀和がグールドを高い評価で日本に紹介したのが1963年なので、彼女がピアニストを目指していた時期に、レコードでグールドのことを知る機会はあっただろう。

青柳いづみこは本書で次のように言っている。「私が芸大のピアノ科の学生だったころは、グールドを認めるか認めないか、もっと端的に言ってしまえば、グールドにハラを立てるかどうかで、まともなオーソドックス路線か、が判定されたものだ。グールドの名はちょうどキリシタンを識別した踏み絵のように、同士を識別する暗号がわりに、ちらっと横目でぬすみ見る視線とともに便利な道具として使われていた。」「私が芸大生だった1970年代、ピアノ科の学生たちの間ではグールド自身が『話題にしないほうがよい存在』だったのだが・・・・」

また、次のようにも言っている。「文筆活動を始めるまでは、グールドの熱心な聴き手でもなかったことを、断っておこう。彼のレパートリーは私のそれとほとんど重なりあっていない。私はごくわずかの例外を除いてバッハを弾かないし、グールドもまたわずかの例外を除いてドビュッシーを弾かない。彼の演奏のあるものは私に非常に親密に聞こえるが、あるものはまたひどく遠く聞こえる。遠く聞こえるものの中には、一般的にはグールドの代表作と見なされている録音も含まれている。」

青柳いづみこは、この本の価値が、「実演家」から見たという一点にしかないのではないかと危惧している。しかし、その危惧どおり、この本の価値は、プロのピアニストの経験から見たグールドとの対比に限られる。名ピアノ教師として有名なパデレフスキが、ピアノの練習について「一日休むと自分にわかり、二日休むと先生にわかり、三日休むと聴衆にわかる」とたとえているが、長じたグールドはそのような練習とは無縁だった。グールド以外の普通のピアニストから見たグールドがどう見えるかという部分が、この本の取り柄だろう。

確かに、著者はグールドの演奏を公平に絶賛している。だが、本心のところはグールド嫌いだ。グールドのトピックは、評論家として求められる変わらぬ需要があり、青柳いづみこはそれに応じているだけだ。

こういうグールド嫌いの人は多いと思うのだが、グールドのどこが気に食わないのだろうか。コンサートドロップアウトしたことが気に食わないのだろうか。テープをスプライスし、完全な曲を作るのが気に食わないのだろうか。挑発的な解釈が気に食わないのだろうか。あるいは、ロマン派の曲が嫌いで、爆発的なフォルテッシモが出せないところが評価できないのだろうか。グールド以外の多くは、右手が旋律、左手は伴奏というスタイルであり、これをはずれて対位法的に声部を分けて弾くことが気に入らないのだろうか。そのあたりのところが、主は相変わらずよくわからない。

おそらく、『オーソドックス』なピアニストは、対位法(ポリフォニー)のような意識を覚醒させるような演奏よりも、流麗なメロディーとハーモニーを紡ぎだす(右手でメロディー、左手で伴奏。ホモフォニー。)ことで観客を陶酔させるような演奏を理想と考えているのだろう。グールドの場合は、明らかにベクトルの向きが違う。グールドは、古典派以前の音楽と、そのあとはロマン派(印象派)がすっぽり抜け、シェーンベルグなどの現代曲に指向性がある。

ここで思いつくのは、パルスのことだ。グールドは、パルスを一定に保ちながら演奏するのが非常にうまい。このことは、バッハなどに非常に重要だ。ベートーヴェン、モーツアルトあたりまでは、もちろん緩急はつけるのだが、基本的なリズム(パルス)がかっちりしている。どんな早い、難しい旋律であっても、このパルスを守れるので、聴き手は心地よい。しかし、その後のロマン派のショパンや、ドビュッシーなどの曲になると、それこそ緩急の変化が、音量(ダイナミズム)の変化とともに基本にあり、一定のパルスが持続しない。逆に、カナダテレビ放送協会CBC)で1974年に放送されたドビュッシーの「クラリネットとピアノのための第1狂詩曲」は、グールドが珍しくロマン派の作品を取り上げているのだが、一定のテンポで演奏され、これはこれで悪くないものの、普通に演奏されるドビュッシーと比べるとかなり違和感がある。こうしてみると、グールドはパルスが乱される曲の演奏には向いていないと感じる。

だが、この異才のピアニストの本質は、ロマンティシズムにある。バッハは、気持ちを込めて弾きバッハでなくなる。現代曲でもそうだ。これほど心をこめて弾けるピアニストは他にいない。

「グレン・グールド論」 宮澤淳一

「グレン・グールド論」(宮澤淳一 春秋社)

宮澤淳一は、グレン・グールドに関する海外で刊行された著作や、LPレコードのライナーノーツなど多くを翻訳をしており、日本のグレン・グールド研究における第一人者である。この「グレン・グールド論」は、2004年に出版され吉田秀和賞を受賞している。(吉田秀和は日本の音楽評論家の草分け的存在だ。)また、この「グレン・グールド論」により博士号を取得し、現在は青山学院大学総合文化政策学部教授である。

グレン・グールドはカナダ人ピアニストだ。それはわかっている。クラシック音楽の中心地ヨーロッパから離れていたことが、グールドを形作った。ただし、カナダ人はアメリカ人とほぼイコールだろう、というくらい単純に主は考えていた。

だが、カナダ人であるということは、アメリカ人とアイデンティティが全く違っていることにこの本を読んで初めて気づいた。カナダ人は、アメリカ人とは違う。カナダ人は、二つのモンスターにはさまれている。自然とアメリカである。カナダの北には北極へと続く広大な自然が広がっているが、日本人が抱く自然観とはほど遠い、厳しい自然である。南にはアメリカンドリームの国アメリカ。カナダ人はアメリカを常に意識しながらも、アメリカを単純に肯定することはない。両者のメンタリティーの差は、『アメリカ人は、どこかに陰謀でもない限りは負けるとは考えない。カナダ人は、気候や距離や歴史によって抑圧されているため、勝つと思っていない。』といわれるくらいに違う。カナダ人は、アメリカ人に対し劣等感を持ちつつも、アメリカ人を賛美することはない。日本人が日本人であることを常に意識しているように、カナダ人はアメリカを過剰に意識しながら、厳しい自然と共存し、サバイバルすることを常に意識してきたというのだ。

そういう意味では、グレン・グールドは典型的なカナダ人だった。アメリカデビューを成功させた後、最初のうちはニューヨークを録音の根拠地とするのだが、やがてトロントへ根拠地を移す。アメリカでの経済的な成功は少しも頭にない。むしろ、カナダへの恩返しがある。

彼は、20歳を過ぎたころから昼夜逆転する生活を送るようになる。太陽を憎み、モノクロの世界を好む。「静寂で厳粛な世界、荒涼として厳しく、色も光も動きもない」世界を理想と考えていた。(この表現は、バッハ「フーガの技法」についてのシュヴァイツアーの表現だ。グールドは、この「フーガの技法」を最高の音楽であると評価していた)

グールドには、彼の発明の「対位法」ラジオ・ドキュメンタリーがある。カナダ独立100周年記念の1967年に放送された「北の理念」がそれだ。4人の登場人物と1人の語り手を用意し、「北」についての意見を対位法のように同時に語らせる。テープを切り貼りし、フェードイン、フェードアウトなどの遠近法を用いながら、鉄道が線路を走る音を背景にさまざまな意見や思いが語られる。その後も10年にわたって、「孤独三部作」といわれる「対位法」ラジオ・ドキュメンタリーを作り続けた。当時は、ラジオの全盛期であり、新しい分野を開いたと評価を受ける。グールドは、リスナーが「同時に喋る言葉を理解できないという理由はない」という。だが、主は、「ラジオで複数の人が同時に喋ったら理解しづらいよな」と思う。普通の人にとって、こうした語り手が同時に喋るという手法の番組を聞くことは、理解が追い付いていけないものだ。だが、どうやらグールドはこういうこと、すなわち、対位法のように複数の旋律、会話を同時に理解することが当たり前のようにできたようだ。

グールドの言う「聴衆」も自分自身が基準になっていた。音楽の面では彼は特殊で、異常なまで高いレベルにいた。普通、語りが三人同時に喋りながらテーマに向けて話をするのを理解できないし、それよりも先に、そのような努力は放棄するだろう。だが、グールドは、それが可能だった。

グールドの考えでは、将来コンサートはなくなるだろうと言っていたし、リスナーは、異なった演奏家の録音の断片を集め、自分で曲を好きなように再構成して、楽しむだろうとまで言っていた。この発言は、グールドの見通しが間違っていたということではなく、聴き手(大衆)のレベルがグールドほど高くないということを示している。

彼自身の対位法的性格をあらわす逸話をいくつかあげよう。グールドは、友人で指揮者/作曲家ルーカス・フォスの奥さんのコーネリア・フォスとの間で、約10年間三角関係にあった。二人の子供たちも一緒に団らんしながらテレビドラマを見ているとき、グールドはピアノの楽譜を暗譜している。コーネリアがドラマの筋をグールドに尋ねたら、しっかりグールドはドラマの筋をすらすら答えたという。また、まだグールドがコンサートに出て演奏をしていた時代、素晴らしい演奏を讃えられるのだが、彼自身コンサートが終わり次第いかに早くタクシーを呼んで帰るかということに演奏しながら策略をめぐらしていたと述懐している。

宮澤のグールド評は正確だ。グールドが世間に向かって標榜していた「清教徒像」と、グールドの見えにくい現実(プライベート)を区別し、混同することがない。グールドは、晩年自分を「最後の清教徒」と言い、周囲に禁欲的イメージを与えることに成功していた。だが実際のところは、女性関係がいろいろあったと今ではわかっているのだが、その内実まではわかっていない。グールドは私生活を詮索されることを極端に嫌い、社会に向けて自分の意図する像を発信していた。

グールドのバッハに対する評価が取り上げられているが、宗教家としてのバッハ像と呼べるものはなく、音楽に限定された一面のみを捉えて評価している。グールドはバッハを時代遅れの頑固者という捉え方をし、宗教家としての評価や、宗教観についてはまったく気に留めていない。

こうしてみると、グールドは常に「結果にこだわっていない」と言えるだろう。「対位法」ラジオ・ドキュメンタリーも、これまでにない新しい手法を編み出してはいるが、何か主義を声高に主張していたり、押し付けようとする意図は全くない。バッハについても、バッハの精神が崇高であったとか言う気はさらさらない。書かれた音楽があくまで、対位法的によくできており、しっかりした構造を持っていたから、シェーンベルグもそうだが、グールドの知的水準にマッチしたのだ。言い換えれば、プロセス重視の人なのだ。 それでも、彼の演奏は神が宿っているようでもある。

ハイレゾとSACD購入

最近、CD-S3000を使って普通のCDを再生している。これが非常にいい音がする。これまで、CDはリッピングしてパソコンを使いDAC経由で再生していたが、このCD-S3000、さすがに高級機だけあって、そういう手間が必要ない。もちろん、SACDはさらに良い音がする。

CDを1枚ごとに再生した場合、PCオーディオと比べると、曲間の時間が正確なようだ。PCオーディオでは、すべての曲間の無音の時間が同じだが、CD再生では、第1楽章と第2楽章の間の無音の時間より、1曲目と2曲目の無音の時間の長さのほうが長くとられているようだ。ちょっとしたことだが、使い勝手が良い。リッピングの仕方が悪いのかもしれないが。(2015/10/21追記)

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SACDとSACDプレイヤーは世間にあまり流通していないので、ずっと買うまいと思っていたのだが、グレン・グールドの10種類ほど発売されているSACDディスクを聴きたいという欲望に負けて買ってしまった。

さすがにSACD、ハイレゾだけあって良い音がする。グレン・グールドのアナログで録音されたマスターテープを音源にしてSACDは作られているのだが、自然な音の厚みがある。 CDに録音された交響曲など大編成のものは、どんなに立派なオーディオ装置を使っても実際のコンサートホールの演奏にはまったく及ばないとかねがね主は思っている。だが、SACDであれば、代替が可能かもしれないと思わせるほどの違いはある。

                                                                                                                             SACDディスクとプレイヤーは非常に微妙な位置にあるオーディオだ。SACDはかなり前(1999年)にできた高音質を謳う規格だが、記憶容量ではDVDに近い。CDの10倍ほどのデータが入っている。このため、CDとの互換性がなく、世間に広がることなく今に至っている。また、SACDには強力なコピープロテクトがかかっており、CDのようにパソコンへ書き出しができない。この結果、売れない、ソフトがないという悪循環にはまっていた。だが、最近のハイレゾブームで音の良さが見直されるということが起きた。

SACDは高音質なのだが、CDと比べて音が良いと感じられるには、それなりに高価な再生装置を使わないと実感できない。安物のステレオでは、CDもSACDも差が感じられないのだ。そうした事情もあって、SACDディスクで売られているのは、ジャズかクラシックだけでポピュラーはほぼ販売されていない。また、販売されているのは過去の巨匠の演奏の焼き直しが多く、最近の録音は少ない。要するに、レコード会社は新譜を発売しても、売り上げを見込めないために冒険をせず、今では博物館に入っているような伝説の名演をSACDへデジタル化し、一部のマニア相手に売れればよいと観念していると思えるほどマーケットは小さい。

ところが、最近は円盤(ディスク)を使わず、インターネットから高品位なデータをダウンロードして聴くPCオーディオという方法が注目されるようになった。この方式では、SACDよりもさらに高品位(データ量が多い)なものも売られている。ダウンロードであれば、プレイヤーのような回転装置が不要になり音質面、価格面でも有利だ。

グレン・グールドの演奏の音源の権利は、カナダ放送協会(CBCが所有するごく一部のものを除き、ほぼすべてをソニーが持っている。したがって、ソニーは権利のある音源のすべてをCDで発売し(100枚程度)、そのうち主要な曲SACD11種類をSACDで発売している

だが、不調と言われるソニーは、ここでも「ソニーよ、どこを目指すのか?!」という事態が生じている。CDはデータをパソコンに取り込める、だが、SACDはパソコンに取り込むことが出来ない。ディスクをプレイヤーで再生するしか方法がない。このため、CDを超える現在のハイレゾ音源は、インターネットからダウンロードして得ることになる。一方で、ソニーは、mora(モーラ)というインターネットを使ったダウンロードサイトを運営している。このmoraにおいてグレン・グールドの演奏は、CD規格の音質のもののみを配信しており、SACDのインターネット版であるDSDは配信していない。唯一、バッハの「インベンションとシンフォニア」をPCMという規格でハイレゾ配信しているのみだ。

ここで、疑問が生じる。ソニーはSACDのコンテンツの販売を拡充しようとしているのか。それともmoraで今後はSACDで販売しているコンテンツを含めハイレゾ配信するつもりなのだろうか。それとも、SACDディスクを購入したユーザーに遠慮して、SACDをインターネット配信するつもりはないのだろうか。その辺の方向が見えないし、中途半端でスピード感がない。

–以下2015/6/7追記–

上のように書いていたのだが、グールドの全集がDSD録音をもとにCDとUSBメモリーに入ったハイレゾファイルがこの秋に発売されるようだ。SONY MUSIC SHOPというから海外からの輸入のようだ。アマゾンやタワーレコードなどでも予約を受け付けている。以下が記事のリンクだ。上記の疑問の回答になろうが、おそらく将来は mora などで配信するようになるのだろう。

http://www.cinra.net/news/20150529-glenngould