楢山節考 深沢七郎 (医者たちの身勝手さ その4)

我々は、戦前まで医療とは無縁の世界に生きていて、人間も犬猫などの動物と同じで、死ぬのにそれほど苦しまなかったのではと、かねがね主は思っている。人類が誕生してから、700万年といわれるのだが、医療にアクセスできるようになったのは、わずかこの数十年である。

昭和32年に発表された深沢七郎、42歳の処女作、短編小説「楢山節考」は、中央公論新人賞を受賞したベストセラー小説であり、映画のほうも、木下恵介と、今村昌平が監督をし、後者はカンヌ映画祭でパルムドールを受賞したというあまりにも輝かしいものだ。

ネットでの評に、この映画は「日本では昔、棄老がひろく普通に行われていたとの誤解を招く」といったものがあるが、人類の歴史は、生存のための食料の調達があってこそであり、この物語に出てくる、 棄老や嬰児殺しは、世界中で普遍的に、19世紀ころまであっただろう。だからこそ、誰でも理解できる普遍的なこととして、カンヌ映画祭で捉えられ評価されたと思う。

新潮文庫(発表は昭和32年、中央公論社)

あらすじと感想を取り混ぜて書こう。

山梨県あたりの寒村が舞台だが、時期は書かれていない。「銭屋」という家族の話が出てくるので、江戸末期か明治の初期の話と思われる。この 「銭屋」 は、村では流通しておらず、役に立たない貨幣の「天保銭」を1枚持っているので、村人から「銭屋」と呼ばれているからだ。

なお、本文に説明はないが、この「天保銭」は、8枚で1文になるという値打ちのないもので、「価値のない、役立たず」といった意味も込められているらしい。

主人公は、69歳のおりん、45歳の孝行息子の辰平だが、辰平の子供たち、辰平の後家として隣村から来る玉やん、16歳の長男の嫁の松やん、近隣の村人たちが登場し、村の様子がよくわかる。彼らが住むのは、非常に貧しく、毎年冬になると、その一家が餓死をせずに冬を越せるかどうかが問題になるほどの寒村である。彼らにとって、なにより食料にありつけるかどうかが問題である。

村の習わしとして、老人は、70歳になると口減らしに、信仰の神の山である楢山に捨てられる(「楢山まいり」する)ことになっている。

おりんは、若いときは村一番の器量良しといわれたが、亭主を20年前に亡くし、他の後家のような嫌な噂を立てられることもなく、人にとやかく言われることもなかった。楢山に捨てられるにもしっかりして、模範として捨てられようと、その目標を果たす日を前から心待ちに、準備もしていた。おりんは、次の正月をすぎたら、楢山に行こうと心に思っていたが、ひとつ気がかりなことがあった。それは、年齢に不相応な、丈夫な歯をしていることだった。

おりんは、健康でたくさん食べると人から思われる丈夫な前歯を、火打石で砕き、血を流しながら一つ懸案を片付けた、と満足する。しかし、口からの出血が止まらず、口を開くたびに、口から血を流す老婆を見た子供たちは、わーっと逃げ出し、おりんは「鬼婆(おにばばあ)」と不名誉な称号をもらう。

大人は、小さい子におりんのことを、「食いついたら放さんぞ」「食い殺されるぞ」と吹き込み、泣いている子に「おりんやんのうちにつれていくぞ」と殺し文句に利用したりする。

楢山に捨てられようかという老婆が、丈夫な歯をしていることを恥じて、おりんは歯を砕くのだが、血まみれになり、口から流血する鬼婆になり、周囲を驚かせ、「根っこの鬼婆(おにばばあ)」と陰口を叩かれる。

「『根っこ』の鬼婆(おにばばあ)」の 『根っこ』 というのは、おりんの家の前には、大きな木の切り株があり、人が腰を下ろして一休みしていた。その根っこという場所を指している。お互いの家族は、苗字ではなく、 『根っこ』 とか『銭屋』とか呼んでいた。 

おりんには、気がかりがもう一つあった。息子である辰平の嫁が、去年栗拾いに行って、谷底へ転落して死んでしまっていた。辰平には、4人の子供がおり、16歳の長男のけさ吉を筆頭に男が3人、末が3歳の娘だった。あいにく、適当な後家が見つからず、辰平は再婚できないままだった。

ところが、山一つ隔てた隣村で3日前に亭主と死別したという後家が現れ、その後家を辰平の後妻に迎えてくれという使者がやってきて、辰平は再婚することになる。当時、結婚は当事者同士の意思にかかわりなく、年恰好だけで簡単に決められていた。

おりんが孫たちに、すぐに新しいおっかあがやってきて、お前たちの家事も楽になるというと、孫のけさ吉が、意外なことに辰平が後添えをもらうことに大反対する。

ここのところ、家族の在り方がよく表れていて、非常に面白い。

けさ吉向こう村からおっ母あなん来なくてもいいぞ! 俺が、嫁を貰うから後釜なんいらんぞ。 めしのことがめんどうなら俺の嫁にさせるから黙っていろ。」

おりん「バカヤロー!飯を食うな。」 とけさ吉の顔めがけてはしを投げる。

13歳になる次男の孫「けさあんやんは池の前の松やんを貰うのだぞ」と、けさ吉と松やんが仲の良いと知っていることを皆の前で暴露する。

けさ吉バカー、黙ってろ!」

この村では食料事情が厳しいので、晩婚が奨励されており、そのような歌もでてくる。おりん、辰平は、まだ子供だと思っていた16歳のけさ吉が松やんを嫁に貰うと言い出すほど成長していたことに驚き、それを察しないで、うっかり怒ってしまったことを申し訳なく思いもする。

辰平は、後妻を貰うことに照れていたが、隣村で夫を亡くしたばかりの玉やんが、辰平の後妻としてやってくる。玉やんはよい人柄だった。

けさ吉も松やんと結婚し、家族が増え、ますます食料の確保が問題となるのだが、松やんは大飯ぐらいだった。おりんは、「これでは、松やんは、前の家族から厄介払いをされたも同じだ」と思い、「この子は、あっちの方だけが、達者だ」と思うのだが、それでとくに松やんを否定することなく、そんなものだと受け入れている。

そのころ村で、食料泥棒が発覚する。雨屋(=山に入るたびに雨が降るので雨屋と呼ばれている)の亭主が、隣の焼松(=近くに落雷で焼けた松の木がある)の家の豆のかます(=臭いにおいがする納豆のようなもの)を盗んで家人に見つかり、袋叩きにされ、村中が大騒ぎになる。食料を盗むことは、極悪人である。食料を盗むと、最も重い制裁である「楢山さまに謝る」ということをしなければならない。その制裁は、その家の食料を他の家の者たちにすっかり、奪われてしまうことである。分配にあずかる他の家の者たちが、盗人の現場に駆け付けるときにも、掟があり、必ず裸足で駆けつけないとならない。もし、草鞋を履いて駆けつけると、逆に袋叩きに合うことになっており、駆けつける者たちも死に物狂いである。雨屋の家は、「家探し」をされ、芋が縁の下からぞくぞくと出てきて、一坪ほどの山になった。雨屋の亭主は、半殺しの目にあい息も絶え絶えだが、その家族はその横で泣き喚くばかりである。

その3日後の夜遅く、雨屋の家族12人は、裏山の方向に消える。

雨屋の家族が村から消えた興奮が冷めやらぬまま、松やんのお腹が目立って大きくなり始まる。おりんのような老婆が、ネズミっこ(ひ孫)を見るのは、性欲にまみれた一家だと思われ、おりんは早い楢山参りを望む。玉やんは、「ネズミっこが生まれたら、わしが赤子を捨ててやる」と明るく、言う。こんどは、けさ吉が「コバカー、俺が捨ちゃってくらァ、わきゃァねえ」と応じ、松やんが「ああ、ふんとに、たのんだぞ」という。

12月末、いよいよ、おりんは楢山参りを決心する。それまで蓄えてきた食材や振舞酒で、村の重役たちをもてなし、重役たちは言い伝えである楢山参りの注意事項をおりんと、辰平に伝える。順番に要点が伝えられるのだが、このとき、誰も何も喋ることは許されない。重役たちが、順に発言するのみである。

次の夜、辰平は、おりんを背板に乗せ、楢山に向かって出発する。村の重役たちが言ったとおりの光景が順におこる。 最後の楢山の頂では、多くの骸が転がり、カラスが大勢舞っていた。辰平はちょうどよい窪みを見つけ、おりんを下ろす。おりんは、辰平の手を堅く握りしめるのだが、辰平の背をどーんと押した。大粒の涙を流しながらよろよろと山を下っていく辰平。

村へ戻ろうとする辰平だが、やがて、雪が降ってくる。雪は、楢山参りで、吉兆とされていたし、おりんの望みでもあった。辰平は、おりんのところへ戻り、「雪が降ってきた!」とひとこと言いたくて、村の掟にそむいて戻る。再び、戻れと手ぶりをするおりん。

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おりんは、村の掟のとおり70歳で死ぬのだが、それは名誉を保ったまま家族の犠牲になることであり、最愛の息子の手によって殺されるのであり、死ぬこと自体は恐ろしいにせよ、嬉しいことだろう。山へ捨てられ、空腹と寒さがやがて意識を遠のかせ、知らずに死んでしまうだろう。 人間が死ぬ瞬間には、β(ベータ)エンドルフィンという幸福ホルモンが放出されるという。

もちろん、今は、昔とあらゆる面で事情が違い、生きること自体はこうまで過酷ではなくなった。しかし、このような過酷な時代でも、人々は淡々と、シンプルで最低限の道徳と、自分たちの生活をしっかり守って生きていた。

いまはどうか。いろいろ知恵はつき、食料事情は改善したが、それがかならずしも生きる幸福に役立っていない。失ったことが、かなり多いのではないか。もちろん母親を背中に背負って山に捨てに行く、嬰児を河原に捨てに行くわけにいかない。

老人が、具合悪くなったら、きっと救急車を呼べ、介護施設に入れろと言われるだろう。しかし、うっかりしていると、ここに大きな落とし穴がある。

楽に静かに穏やかに死ねる、チャンスを逃しているのではないか?

現代は、年老いて、具合が悪くなってもすぐに死ぬことは減ったという言い方ができるのかもしれない。しかし、救命したが、その後、延命措置されています、というのでは意味はない。もとどおりの元気にならないで、胃ろうや人工呼吸器をつけられると、苦しいばかりで、死ぬ間際にこうした幸福ホルモンはきっと出ないに違いない。

おしまい

追記: WIKIPEDIAを読んでいたら、深沢七郎の小説・「楢山節考」とパルムドールを受賞した今村昌平監督の映画では筋が違っているようだ。

映画では、深沢七郎の他の作品も使い、次男以降は、結婚もできないとか、父親の遺言で、セックスできない次男以降とセックスさせられる娘が出てきたり、さらに過激で、こうしたシーンが上手に筋に加えられているらしい。

それで、下のポスターのコピー、「人間の大らかな『生と性』を謳う今村節 笑い・感動・愛・衝撃」ということになるのだろう。

余談だが、1983年のカンヌ映画祭でのパルムドール受賞は、今村昌平監督・「楢山節考」ではなく、大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」が大本命だろうと言われていた。ところが、この圧倒的な大方の予想を覆して「楢山節考」が受賞したのだった。

「戦場のメリークリスマス」4K修復版を大規模劇場公開から

医者たちの身勝手さ その3(こういうちゃんとしたことを云う医者もいる)

おばあさんが笑いながら森の中で死んでいる?

森田洋之さんという医師が書いた本、世の常識とは違う「うらやましい孤独死」(フォレスト出版)を紹介したい。

森田洋之 さんのことは、ツイッターで知った。投稿におおいに共感したからである。

本を買う前に経歴を読み、惹かれるものがあった。

この本の背表紙で、この森田洋之氏が一橋大学経済学部を卒業してから、宮崎医科大学(国立)へ入りなおし、医師になったということを知る。

氏の出身の宮崎医科大学は、2003年に宮崎大学医学部に統合された。国立で授業料も安いのだろうが、林真理子の週刊誌小説「下流の宴」(2009年~)に宮崎大学医学部が出てくる。この小説は、自分は上流だと考えるある母親の、フリーターの息子とやはりフリーターのヒロインがつき合い始める話だ。母親は、このヒロインにさんざん冷たくあたるのだが、いろいろと苦難があって、ヒロインは医者を目指すことになる。そこへカリスマ塾講師が登場し、国立大の医学部の一番入りやすいところとして、宮崎大学医学部が出てくる。

また主の現役時代の経験談をすると、健康管理室という部署で勤務したことがある。その法人は、海外関係の仕事をしており、人員を多勢海外に派遣しており、産業医(顧問医)を何人も雇い、時に、医師を医療事情の良くない国へ出張させ、顧問医に現地の日本人関係者を診てもらっていた。そうした関係で、昼食を顧問医ととったり、出張もよく一緒に行き、医者の世界には、出身大学による強いヒエラルキーがあること、上の教授、助教授連中からみると、下の者はほぼ発言権がないことなどを、薄々感じた。

読みすすめると、やはり思ったとおり、この森田さんは、メジャーな医療、一般的に日本で行われている医療に幻滅し、標準治療からドロップアウトした医師だった。

まず、この著者が医師になった経緯を書くと、次のようなものだ。 一橋大学に在籍していたが勉強に身が入らず、ちょうど起こった阪神大震災のボランティア活動で、周囲の人たちに役立ったと思えたのが、きっかけのようだ。まじめなタイプなのだろう。普通に卒業する気になれず、再び学びなおして、赤ひげ先生のような世に役に立つ医者になろうと決心する。

宮崎大学を卒業し、地元で研修医を終了する。最初の2年間の初期研修で、内科、小児科、外科、産婦人科などを回り、のちの3年間の後期研修で、「認定内科医」を取得し、一人前の医師としてスタートする。

しかし、その内科医の後期研修中に、療養病院の大部屋に、ただただ天井を見つめたままの高齢者がずらっと並んで、胃ろうから栄養を入れられている日本の標準医療の光景を見たときに、学んできた医療技術や医療知識が「善」とは思えなくなってしまう。

徐々に日本の医療のあり方に懐疑心を抱いてた森田医師だが、やがて確信となり、彼は、ちょうど募集があった財政破綻で再建中の夕張市立診療所の医師に応募する。 誰もが知っているとおり、夕張市は財政破綻をして、他の市のような行政サービスを提供できず、病院も例外でなく、規模を大幅に縮小していた。しかし、この窮地にやってきた前任の医師、村上智彦医師は、標準的な病院医療に頼らず、予防医療や終末期医療に重点をおいた地域医療を実践、成果を上げているのを知ったからだ。

そこへ赴任した森田医師は、さまざまな目からウロコの経験をする。

夕張豊生会のHPから

病院がなくなってからの夕張を、素人の主は、大変だろうと思うのだが、実際は真逆のことが起こる。マスコミでは無視されているが、住民の健康レベルが以前より上がったのだ。こうしたことを発表すると嫌がられ、炎上したりすることもあったようだ。

  • ▶夕張市の総病床数が171床から19床に激減した。
  • ▶高齢化率は50%を超えた。(市としては、日本一)
  • ▶それにもかかわらず、夕張市民の総死亡率は変わらなかった。
  • ▶病死は減った。その代わり老衰死が増えた。
  • ▶救急出動が半減した。
  • ▶一人あたり高齢者医療費も減った。

つまり、端的に言ってしまえば、市民の意識が病院に頼るより、天命を受け入れるように徐々に変わってきた。おまけに、病院がなくなると、入院も減るのだが、死亡率は変わらないという、驚くべき変化が起きる。老人たちは、自然で幸福な死を迎える。本人も周りの家族もみんな生き生き。こういう種類の本で、主は、はじめて涙を流した。主は、自分の子供たちにもこの本を読まそうと思う。結局、死ぬ間際には医療がなければ、苦しまずに死ねる。世界中の人間は、そうして最近まで死んでいた。死ぬときは、一人で死んでも何の問題もない。それまで、元気なときに、他者と関係性がありさえすればばよい。

ところが現代では、医療無しで死のうとすると、周囲の家族たちの理解が必須だ。そうでなければ、救急車で運ばれ、医者たちの手でさまざまな延命措置が自動的に始まる。

もちろん、医療は若者や元気が残っている人には有効な場合が多いかもしれない。しかし、平均寿命に近いようなケースでは、余計なお世話だ。たしかに、骨折などの怪我や、心筋梗塞などのつまり物を取り出せば元気になるケースもあるので、一概に言えないし、また、何十年か後には、根本的に治療法が変わって200歳まで生きるのかもしれないが、少なくとも現状の延命措置は不要だ。

個人的な話になってしまうが、主が医療に疑問を持ったきっかけは、母が風呂場で倒れ、父が救急車を呼んだときに始まる。地元の高度医療ができる救急病院に運ばれ、認知症の父は頼りにならず、主は東京から新幹線で駆け付け、主治医と治療方針の相談をした。母は人工呼吸のマスクをつけられ、ほぼ意識がなかった。医師は、喉を切開して人工呼吸器をつけたいという。素人目にも、もしそうしても、元に戻るようには見えないし、医師も戻る可能性はゼロではないが、ほぼないと認める。それで、躊躇っていたのだが、医師は、「救急車で運ばれてきて、何もしないわけにはいかないんですよ。これだけはさせてください。」と懇願するようにいうのだ。

そうなのかよ、身勝手な話だなあと思うが、結局、ゆっくり考える暇もなく、家族全員が狼狽えていることもあり手術に同意する。その高度医療設備を整えたその救急病院には、次々と患者が運び込まれるので、1週間程度で退院させられ、長期療養病院へ転院した。そこの医師は、延命させるだけなら、様々な方法があると言う。濃い血液のようなものを注入すると何年も生きるという。勿論、回復するわけはない。 これでは、医者の儲けために、患者が生きているのも同然だ。

暗い話になってしまい、いつまで立っても、落ちないが、昔、人間は苦しむことなく死んでいた。なまじ、病院に行くと死なせてもらえない。・・・やっぱり、落ちないなあ!!

次回は、深沢七郎の映画にもなり、カンヌ映画祭でパルム・ドール最高賞を受賞した「楢山節考」という小説を取り上げよう。この小説は、単に、貧しいがゆえの悲しい小説ではない。死のうとする老婆の側に、家族に対する愛情と決意があり、家族にも深い愛情があるからこそ、長男が、母親の婆さんを背板に乗せ、泣きながら山へ捨てに行くのだ。 こんどは落ちたかな。

その3 おしまい

ナチュラルガットの寿命をのばす!! テニスガット用 潤滑剤 呉工業 ドライファストルブ

こんな風にガットがたわみませんか

(2022/8/18 追記)この潤滑剤ですが、寿命を延ばすということに焦点をあてて書いていますが、ボールを打った時に狙ったところへ飛ぶコントロールも良くなると思います。というのは、ボールを打った後に、写真のようにガットがたわんでいることがないでしょうか。もし、このようにたわんでしまうときは、ボールのコントロールが悪くなるように感じます。

つまり、潤滑剤を塗ることで一瞬ガットがたわむのですが、スピンが掛かってすぐに元に戻るようです。これがすぐに戻らないと、ボールが「どこへ飛ぶのやら、ボールに聞いて。」となるような気がします。

—————————-(ここから前に書いた記事です)—————————-

ナチュラルガットは、パワフルで弾きがよく、テンション維持性能が良いので基本的に切れるまで使える。おまけに、いちばん体への負担が少ないと、いいことずくめなのだが、値段が高くて切れやすいという最大の欠点がある。

このため主は、ナチュラルガットを切らずに、長く使える方法がないかと探してきた。ガットが切れる原因は、打球のたびに縦横のガットが摩擦で擦れ、その部分がやがて切断に至る。要するに、打ち方にもより、スピンをかけるようにこすり上げる撃ち方をして、テンションを上げ、ハードヒットするといちばん切れやすい。

GUTLIVEのHPから

これを緩和する製品がいろいろと市販されている。いちばん最後に写真をアップした。しかし、これらはテニス専用品なので、けっこう割高で、類似品を使っている人が口コミなどでおられることを知り、いまは下の汎用品にたどり着いた。汎用品であれば、もっと色々種類が売られている。別に主は、この会社の回し者ではないのだが、さしあたり、呉工業のフッ素樹脂配合のドライファストルブ(600円程度)という製品を使っている。

実際のラケット面への塗布方法だが、ラケット面の全体に向けて噴射すると、スプレーは、ほとんどがガットのない部分に噴射されてしまう。そこで、ガットの後ろに化粧品用のコットンパフを2枚重ねて、スプレーを受け止めるようにして、反対側から添付の細いストロー状のチューブを使って噴射している。 そうすると、余分な潤滑剤がコットンパフに吸い込まれ、再びこれをまんべんなくガットに塗ることが出来るので、無駄がない(と思われる)。

これを使ってまだ2週間ほどしか使っていないのだが、効果はかなり驚異的で、ナチュラルガットにほとんど劣化がない。ほぼ連日使っているのだが、張ったときの状態をキープしている!! この効用については、またレポートしたい。

こちらは、テニス用の市販品である。他にも色々売られている。下から、ガットライブ(3000円弱)。ストリンググライド(2000円弱)。プリンスのスピンプラス(3000円弱)である。(写真をクリックしてもらうと、よく分かると思います)値段も書いたとおり高いし、入っている容量も少ない。

主が実際に使ったのは、ガットライブなのだが、上部についているフッ素樹脂を塗る部分でガット表面を押さえると、液体がドバッと出て来て、液体の量をコントロールできず、すぐに使えなくなってしまった。 一方、ドライファストルブであれば、300ml入っていることもあり、結構な回数使える。

なお、プリンスのスピンプラスは、成分が水溶性シリコンと書かれており、シリコン製の汎用品も多数市販されている、こちらは、フッ素樹脂製よりも安く、約半分の値段で売られている。そのうち、こちらも試してみようと考えている。

ガットライブ
ストリンググライド
スピンプラス

もし、この記事が少しでも、テニスフリークのお役に立てれば嬉しい限りです。

——- 2021/7/8追記 ——-

フッ素樹脂を含んだ「ドライファストルブ」のあと、シリコン樹脂を使った同じく呉工業の「シリコンスプレー」を使ってみた。こちらはたっぷりと420ml入っていながら、約300円程度とさらに安い。

問題の使い勝手は、すこし、脂っぽい感じがするが、実用的に問題はない。

300円ほど

——- 2022/11/8追記 ——-

こちらの「シリコンスプレー」は、価格の点で安いのだが、「ドライファストルブ」に比べると、かなりべたつきがある。このため、ニューボールを使ってプレーすると、ボールが汚く汚れる場合がある。もし使うなら、十分に余分なべたつきを拭う必要がありそうだ。こうしてみると、「ドライファストルブ」の方が問題がないようである。

おしまい

医者たちの身勝手さ その2(まやかしの数字を使う)

今回のコロナ禍でも痛感するが、医療関係の表現は非常に紛らわしい。誤解を招くのが狙いとかしか思えない。例えば、・・・

報道では、たとえば「どこどこ(南アフリカ型)の変異ウイルスは、1.7倍の感染力がある」とかという表現がある。「2倍死ぬ」とかとの表現も一般になされる。このような表現をテレビなどで聞くと、「うわっ怖い!!」と素人が思うようにアナウンサーは喋っている。しかし、こうした表現には、非常なまやかしがある。つまり医療機関の発表する数字は、いつも変化率を言っており、母数を考慮から除外した表現である。

例えば、下の表は、新型コロナの今年3月23日現在の各国の感染者数と死者数である。これを見ると、何よりまず、日本が欧米と比べると何十分の1という、少ない数字でありながら、禄に金銭的な補償もしないまま、欧米と同じような制限を社会に加えているのには驚くが、それはここでは脇におく。

つまり、ここで言いたい何倍とかいう表現だが、表を見ると日本では100万人あたり感染者が3626.1人、死亡者が70.4人であるので、日本の人口を1億2千万人とすると、全体の感染者が、435,132人、死亡者が8,448人となる。 つまり、もし感染力が1.7倍になると、739,724人になるのだが、人口に対して0.36%の感染率だったものが、0.6%になるということだ。死亡率に至っては、0.007%が、仮に倍になったとしても0.014%になるという話だ。つまり、圧倒的にコロナにかかっていない人が大多数(99.5%)で、死ぬ人はさらに少ないと数字は語っている。 しかも、この死亡者数は、厚労省の通達が出ており、交通事故で死んだ人でも、がんで死んだ人でもPCR検査で陽性ならばコロナ死にカウントされ、相当水増しされている。 

おまけによく指摘されることだが、この感染者数は、PCR検査で、陽性になった者のことを指しており、健康で無症状の者が含まれている。しかし、この無症状者は、従来の概念では、治療の必要がないので感染者に含まれなかったものであり、除外するなら感染率はさらに下がる。

主が思うのは、このコロナの被害者の多くは既往症のある高齢者なので、この人達に重点をおいた対策をすべきだ。それも、隔離というようなQOLが下がる方法ではなく、屋外の公園を散歩するなど、免疫が上がるような配慮をすべきだ。そして、若者や健常者は通常通りの社会生活を認めるべきだ。そうでないなら、100%の生活保障を政府はまずするべきだ。

札幌医科大学医学部 附属フロンティア医学研究所 ゲノム医科学部門のHPから引用
札幌医科大学医学部 附属フロンティア医学研究所 ゲノム医科学部門のHPから引用

その2 おしまい その3へ続く

医者たちの身勝手さ その1

————– 2021.7.7 Rewrite ————

主は、多くの医者たちはとんでもない存在だと思っている。そして、「そうだ、自分もそうだ」と考える医者たちが確実に増えている。

主は、近藤誠さんを始めとするとする、日本の医療を激しく批判する著作をけっこうたくさん読んだ。この近藤さんに続く医者たちが増えているのは確実だ。

アマゾンから

もし興味をお持ちになられたなら、何といってもご自身のQOL(Quality of life = 生活の質)にかかわる大きな問題なので、是非読んで下さい。

穏やかな死に医療はいらない (朝日新書)」を書かれた萬田緑平さんは、在宅緩和ケア医として終末期医療に献身されている。その萬田さんが、現在のコロナ対策が間違っているという小林よしのり氏との「コロナ論2」の対談中次のように語っておられる。

小林よしのり「テレビにいい加減な学者ばかりが登場するわけだ・・・」

萬田緑平「医者だけではありません。感染症の専門家や研究者も『コロナは怖い』という空気を醸成するのに加担している。前にも述べたように、彼らにとって新型コロナは恐いウイルスでなければならない。普段、風邪の研究なんてまったく注目されず、脚光を浴びるのは死をもたらすがんなどの恐い病気の研究ばかり。死にそうな病気を治す研究でなければ、学者としてのステータスは上がらない。感染症の研究者にすれば、新型コロナが死をもたらすウイルスであった方が都合がいいんです。同じ理由で、コロナが恐いことを示す実験データしか表には出てきません。」

小林よしのり「私利私欲のために、こんなことをしているのか?」

萬田緑平というより、医者ってみんなすごく頑張るんですよ。世間の抱くイメージのように、頭が良いから医者になるわけではなく、頑張るから医者なんです。論文の執筆なんて本当に大変。僕はもう書きたくないけど(苦笑)。」

コロナ論2 扶桑社

主は、萬田さんの発言の趣旨とは少し違うが、こうして異常なほど頑張ってきた人たちにとって、無意識のうちに、犠牲にした対価を求めたくなるのが、自然のなりゆきだろうと思う。

同時に、これまで脚光を浴びることがなかった感染症医が、コロナで脚光を浴び、悪気なく異常にハッスルし、知らないことまで知っているかのように断言し、世間を余分に自粛させようとしているとよく指摘される。人間の性(さが)として、よく知っているつもりのことを問われると、自分を権威付け、必要以上の啓もうをしようとするということだ。

医者は、医者になるために、医者になってからも、大きな犠牲を払っている。医者になるために、小中高と青春時代に大きな犠牲を何年間も払い、暗黒の我慢の時期を過ごしている。また、医者になってからも、臨床医の中で、出身校や、外科か内科か、麻酔医か、街中の開業医か、大学病院の教授かといったヒエラルキー争い、論文競争がある。そういうずっと競争意識の中で人生を過ごすとどうなるか。ここには主の偏見やヒガミが大いに交じるが、その後の人生において、我慢に見合う対価を得られないと満足できない人間が出来あがる。少なくとも、周囲に対して威張り散らしても許されるという潜在意識ができる。

主は、医者ほどコミュニケーションが下手にもかかわらず、周囲から奉られている職業を知らない。

昔、産業医を契約していた大学病院の助教授の医師とよく話をする機会あった。この人と話していると、彼は、自分のことを「科学者」と考えていた。一般人から見ると、臨床医は「科学者」には入らないだろう。しかし、臨床医たちは「科学者である」と思っているし、町医者であれば「かつて科学者であった」と思っているのではないか。

そうした専門家を自認する傾向は、程度の差こそあれ、エリートと思っている弁護士、有名大学を出たキャリア官僚、ジャーナリストなどにも通ずるものがあるだろう。 

ところが、暗い時期を過ごして、医学部に入学し、医師になった時、あるいは、エリートの地位を獲得したとき、大いにはじけて成功を謳歌するものの、人間はそれほど単純ではない。仮に異性にモテたとしても、「それはぼくが医師だからだ、成功したからだ。彼女が、素の僕を好きになってくれた訳じゃない。地位がなくなったら、ぼくはない。」というひがみ根性は一生抜けない。日に影に姿を現して、彼を苦しめる。

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医療に対する批判本を大量に書かれている近藤誠医師によると、女性の乳がんのかなりの割合は「がんもどき」で、治療が必要ないという。

過去に、近藤医師は、少なくとも女性の乳がんについて、アメリカの論文を日本に紹介し、全摘手術をした場合と患部のみをとった場合で生存率に変わりがないとずっと言い続けていた。しかし、日本の執刀医たちは聞く耳を持たなかった。このため、治療法が14年間変わらず、女性の乳房が全摘され、おまけに胸筋まで切り取るので、腕も上がらくなり苦しんだ女性がずっと出続けた。要するに、執刀医たちが間違いを改めるためには、執刀医の世代交代が終わるまで、改まらなかった。

一方で、そうした暗い過去と現在を持つ異常なほど頑張る大半の医師たちは、患者にサディスティックな復讐をする。同級生が異性と楽しく遊んでいた時期に、「ネクラ」と陰口を叩かれながら勉強をつづけた彼、「がんもどき」など存在しないとする標準治療の僕(しもべ)の彼は、あいかわらず不要な乳房切除術に励む。乳房の切除は肉の部分を多少多めに取っても生死に影響しづらいので、よい練習台になる。切除した後は、再建術がセットになっており、医者は、不要で多額の出費を患者に強いることができる。 

また、高齢者の前立腺治療も、前立腺がんの進行が寿命と同じくらい遅いこと、排尿障害の懸念などを考えると、やらない方が良い。しかし、これに類することが日本の医療では横行している。 要は、医者は患者が死にさえしなければ、QOLより、患部を取りきることが大好きなのだ。

付け加えると、標準治療を謳う医師たちと近藤誠さんは、お互いにエビデンスを出せと言い合い、どちらも出せないジレンマの中にいる。つまり、がんの手術をした患者が、しなかった場合にどうなったかというエビデンスは、出しようがないからである。

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日本の医療システムは、健康保険制度がどんとあり、自由診療は美容整形や歯科治療などに限られ、自由診療だけでは医師が評価されないので、患者が集まらない。

ところが、この健康保険制度は、多くの患者を診察しないと儲からない仕組みになっており、医者の側は、常に多くの患者が必要である。さもなくば、高収入・安定収入は望めない。そのため、収入を上げやすい高齢者に必要以上の措置を施すことが、安定的に高収入を得るための方策になる。つまり、余命が尽きかかっている高齢患者に対して、胃ろうや人工呼吸、透析などの延命措置を行ない、長く治療するのである。患者の心臓は動いているのだが、寝たきりであり、QOLゼロである。日本人の8割が病院で亡くなるのだが、これは非常に痛ましい。日本の医療は、延命さえすれば成功と考えている。 ところが、海外では死ねば天国へ行くという宗教の教えがあることもあり、日本のような天国へ行くのを邪魔する延命治療は、海外では「虐待」になる。

分かりやすい現象が今年(2021年)見られた。日本の医療制度では、本人が3割負担するのだが、75歳以上はこれまで1割負担だった。これを政府は改正して、一定の収入がある場合2割負担にしたのだが、負担率の増加に医師会は、患者が病院に来なくなると言って反対したのである。 日本の健康保険制度は、皆保険といえば聞こえがいいが、医療費を支払う老人にすれば安すぎ、医療側のコストである診療報酬と薬価も異常な安価に設定されているために、需要と供給が歪んで、財政的にも、死生観的にも世界とかけ離れた老人医療問題を引き起こしている。

主は、延命を希望する老人は、10割負担にすべきだと思うし、コロナのテレビ報道を見ていると日本の老人は、自身の不死身を希望しているように見えてしまう。

ちょっと観点が変わるが、各地の自治体で行われている子供の医療費無料制度も同じである。補助金(助成)を広くあまねくばらまくと当然ながら医療のマーケットは歪み、医療産業の成長にも良くない。うまく、貧困家庭に限定するとか、無料にせずに少額の料金は取るべきである。

話を戻すと、老人医療にたいする反省は、一部の良心的な医師たちの発言と、医療費の異常な膨張の危惧により、徐々に白日のもとにさらされるようになってきた。もちろん、医療が人類に貢献したのは間違いないが、医療より食糧事情と衛生環境の改善や運動の導入の方が大きい。医療で成功したのは一部の感染症などに限定され、がんや糖尿病などの加齢現象は、病巣を取り除いても、すべての場合に有効ではない。むしろ、高齢者などに対しては、望まない治療をして延命させても、QOLゼロな治療に注力してきただけだと、医者自身がとうの昔に気付き始めている。そこで疑問を感じた良心的な医者たちが、大勢転向し始めている。 

コロナは、それを逆回転させて、医者のステータスを再度、上げようとする悪あがきだ。医者たちも、特に日本の医者たちは、生気のない老人をベットに横たえ、胃ろうや人工呼吸で生かしておくことが非人間的だと、疑問を感じだした。そこで、ウイルスによる新型コロナの登場により、この恐怖を煽ることで、医療に対するマインドを根本から変えさせ、ワクチンを毎年打たせ、違った活路を見出そうとしているように見える。

つまり、各国の権力者たちにとっても、1本5,000円と言われるワクチンを何十億人にも打つビジネスは、自国民を恐怖に陥れ、従順に接種させることが、医者たちの利害とも一致する。自国が、ワクチンを開発する側に回ろうが、購入する側に回ろうが、製薬会社が手にする何兆円もの利益のおこぼれにあずかれる。そのためには、怖いウイルスであると何かと都合がいい。

その1 おしまい その2へ続く

ストリングマシンを買った! ストリンギング、ストリングスの話

凝り性の主は、テニスのストリングマシンを買って、ストリングスを自分で張りはじめた。この機械が鉄の塊で非常に重い! 

こんな感じの機械です

ネットであれこれ調べると、ストリンギングに関する記事もさることながら、YOUTUBEの動画も数多くアップされており、非常に参考になる。昔、インターネットやYOUTUBEが一般的でなかった時期に、ストリンギングを始めたという友人は、簡単な説明書しかなく、苦労して張り始めたという。 そういう意味では、今はありがたい時代だ。

赤枠の中、うっすらマーカーしたのが目飛ばし

しかしながら、このストリンギング、結構難しくて、何回も上の写真のように目飛ばしをしてしまう。目飛ばしというのは、ガットの目が上下に交互にならず、同じ目を繰り返すことをいう。自分は器用だと思っていたのに情けない。メガネを外しても、昔のように目が見えていないと感じられ、目が交互になっていない部分ができてしまう。(とほほ)

ノットがうまく行かなかった!

また、最後に結ぶ(タイオフ)のだが、これも結構難しい。上の写真は、結び目(ノット)に失敗、あわてて力技で上から再度結んだところである。こうなると、直前に張ったストリングスが緩んでしまう。スポーツ量販店などでは、さまざまなストリンガーさんが張られておられるものの、技量がこの域に達するのはなかなか大変である。(とほほほ)

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さて本題のストリンギングとストリングスである。

ラケットのストリングスは、縦(メイン)と横(クロス)からなり、必ず縦を先に張り始める。これは、横から張り始めると、張力でラケットが壊れてしまうというこだ。

ストリングスの張り方にはいろいろな種類があるのだが、一般的には、縦を張り終わってから横を張ることになる。中には、ぐるっと縦糸と横糸の一番外側の周りを張らずに、最後に張るアラウンド・ザ・ワールドと名付けられた張り方もある。

YOUTUBEでストリンギングの動画をたくさん見せてもらったTTOさんという方の理論をもとに、主なりのストリンギングの考えを整理したものを要約する。YOUTUBEには、多くのストリンガーさんの動画がアップされているのだが、横ガットのテンションなどは企業秘密にしていることが多いと感じる。その点、このTTOさんはその当たりのノウハウをオープンにしてくださっているように感じ非常にありがたい。

http://taibowto.cocolog-nifty.com/blog/ ←TTOさんのブログ

① ラケットは、縦を張り上げた段階では、上下に縮んで、左右に膨らんでいる。この左右のふくらみを横のストリングスを張ることでもとの姿に戻すのが、ストリンギングのプロセスである。また、ラケットは、形状や剛性などの特性がモデルによって様々なのだが、上部が固く(剛性が高い)、下部はしなる構造のため軟らかい(剛性が低い)のは、共通している。

② また、縦、横とも、ストリングスを張り進めていくにつれ、最初に張った部分は、後から張られた部分により、さらに圧縮が進むため、テンション(引っ張り強度)が下がる。この下がったテンションで、ラケットの一番幅広の部分である中央部分が、スイートスポットになる。

一般的には、ラケットの中央部分が縦横とも長さが長く、したがって、テンションは低いため、柔らかい打感のスイートスポットになる。ただし、スイートスポットが上の方にある方が、ラケットをスイングした際に、遠心力をもっと利用できる。このため、スイートスポットを上に持ってくる張り方などがある。

③ 前述したように、剛性(ラケットの固さ)が上部と下部で違うため、横のストリングスは、上から張った場合と、下から張った場合では、違う張り方をする必要がある。つまり、上から張った場合に、同じテンションで下まで張ると、下の部分で強く引っ張りすぎになるため(ラケット下部が細りすぎる)、下の方を張る際にはテンションを下げる必要がある。 逆に下から張ると、最初に張った下の部分は、自動的に細ってテンションが下がるため、同じテンションで張っても問題はあまり生じない。

下の写真は、ラケットの横ストリングスだけを切ったものを通常のラケットに重ねてみたものである。上の縦ストリングスしか残っていないラケットは、上が下に短く、左右に長いように見える。同じものであるが、2枚目は少し拡大しながら撮ったものだ。 これらを見ると、縦ストリングスだけを残した状態では、たしかに歪んでいる。(写真をクリックすると拡大されます。)

上のラケット 横ストリングスを外したところ。
同じ。少し拡大した。

次に、ストリングスだが、種類がいろいろあり、それぞれに特性がちがう。

素材としては、牛の腸を使った「ナチュラル」と、「ナイロン」「ポリ(ポリエステル)」の3種類がある。さらに、ナイロンには細かい繊維を束ねた「ナイロンマルチ」と、丸く太い「ナイロンモノ」の2種類に分かれる。これらは、それぞれに違いがある。 簡単に言ってしまうと、性能が高いが、値段が高く切れやすいナチュラル。ナチュラルの打感を目指して開発されたナイロン。近年よく使われる、なかなか切れないポリである。

主がブラジルにいたころ、グーガ(GUGA)の愛称で呼ばれるグスタボ・クエルテンという大英雄の選手がいた。彼は、1997年の全仏オープンにランキングの下位で出場し、ラケットを2本しか持っていなかった!のだが、優勝する。優勝したコートに大きなハートマークを描き、その中で寝転んで喜びを表し、ブラジル中が大騒ぎになった。 その彼が使っていたのが、まだ当時誰も使っていなかったポリのストリングスである。このポリのストリングスを使い、ボールを潰す新しい打法で、彗星のように現れた。これが、ポリが注目を浴びたきっかけである。

全仏を3度優勝したブラジルの英雄グーガ

プロ選手の場合は、試合中に何度もラケットを交換する。試合では、最初7ゲーム、後に9ゲームごとにニュー・ボールに交換する。このタイミングでラケットを交換する選手が多い。これは、スピード、威力の出るニュー・ボールに負けない状態にしたいというケースもあるだろうが、基本的に、ストリングスは張った直後が一番性能を発揮するからだ、と言われる。

ところが、アマチュアの世界では、ストリングスの張り替えはお金がかかるので切れるまで使う、というのが一般的だ。

だが、主は、正しいスイングをしているのに、打ったボールがネットの白帯に際どく引ってしまう場合、多くはストリングスのせいではないかと睨んでいる。際どいアウトも同じだ。

プレイヤーは、状況に応じ、過去の経験に基づいてラケットを振り回しており、それは結構正確だと思う。しかし、ストリングスの経年劣化や、気候や気温の変化により、望ましいストリングスの状態から遠ざかっていることも多いだろう。プロのよう簡単にストリングス、テンションをアマチュアは選べないないが、あまりに頓着していない気がする。

主が考えるアマチュアの問題点は、次のとおりだ。

① 前に書いたが、ストリングスは、本来、張った直後が一番性能がよく、打感が良いはずのものだ。ストリングスは、張った直後からテンションが落ち始める。1球打つごとにテンションが下がると言っていいくらいだ。 テンションの落下率は、ナチュラルがもっとも少なく、ナイロン、ポリの順に大きくなる。特にポリのテンション落ちは激しく、1週間ほどで何割も下がる。 完全に伸び切ってこれ以上伸びないガットは、弾力性を完全に失い、弾力のないトランポリンのようで、腕力だけで打つことになる。

このため、ポリの寿命は非常に短く、長く見積もって1ヶ月。ナイロンであれば、寿命は3ヶ月。一方、ナチュラルは切れるまでOKである。

素人が、性能の落ちたなかなか切れないポリを使い続けるというのが、一番の問題だと主は思う。プロであれば、ポリはひと試合限りだし、腕力のある体育会の学生なら、ラケットを振り回してストリングスを切り、1週間程度で交換するためのものである。 しかし、ボールをこすって打つタイプの素人が、ストリングスの交換を嫌って、切れにくいポリを選んで使い続けていることが多い。

体育会の学生がするテニスのレベルと素人のウイークエンドプレイヤーではスイング速度が違い、ストリングスも選び方が違ってくる。例えば、スイングスピードの非常に速い大坂なおみ選手や腕力のあるナダル選手は、ポリを愛用しているのだが、多くのプロ選手は、ナチュラルを主体にしている。

しかし、素人が、クエルテンや大坂やナダルのように、ボールを潰すような打ち方をするのは難しい。素人にとっては、価格の点と体への負担の点から、ナイロンを選ぶことが多いと思うが、できればナチュラルを選ぶことが、最後まで性能が落ちないことと、体への負担がもっとも少ないので、最良の選択肢になると思う。

② ストリングスは、気温によっても結構左右される。真夏はストリングスも緩みがちになるので、テンションを上げる必要がある。冬場でも、日差しのある暖かい日と日差しのない酷寒の日ではかなり違ってくる。昨日調子が良かったストリングスでも、今日は具合が悪いということがある。 また、体調によって違ってくる。ラケットを振り回す元気のない日は違う。

③ ストリングスのテンションは、ラケット面の大きさにもよって変わってくる。楽器に張る弦と同じで、同じ50ポンドで張った場合、フェースの大きなラケットでは緩く、小さなラケットでは、強く張り上がる。

つまり、小さなフェースのラケットの打感を大きなフェースで得ようとすると、より高いテンションで張る必要がある。

④ ラケットは、一般的に、縦より横の数が多く、16✕19、18✕20というラケットが多い。しかし、横のほうが少ない16✕15、18✕16などのS(スピン)ラケットもある。

ラケットの形状は、卵型、涙型、YONEXの長細い形といろいろあるが、どれも縦長であり、横のストリング数が多く、縦横似たようなテンションで張ったときに面全体の圧力が正しくなる。しかし、横のほうが少ないS(スピン)ラケットは、数が少ない分、横のテンションを高くしないと面圧が下がることになり、打感が変わってくる。

⑤ ボールは、ナチュラルが一番良く飛び、打感の点で優れているのだが、高価で切れやすいという難点がある。これは、縦横のストリングスが交点で擦れるために起こるのだが、緩和する方策がある。

一つは、ハイブリッドで、縦ストリングスをナチュラル、横のストリングスをナイロンなどを組み合わせると、摩擦が緩和され、弱いナチュラル・ストリングスが切れにくくなる。 プロは横ストリングスをポリにする場合が多いが、彼らのストリングスは、一試合限りを前提にしているので、素人がナチュラルを長く使いたいという趣旨であれば、横にナイロンを張ると、ナチュラルの打感を残したまま、摩擦が減り長持ちする。

もう一つの方法として、ストリングスの滑りを良くする潤滑剤をストリングスに塗るという方法がある。テニス小物を発売する会社から何種類か、発売されている。下は、ガットライブとという製品である。ストリングスの滑りを良くし、寿命を長持ちさせ、さらにスピンがかかりやすくなるスナップバック(「ぱちんと弾く」という意味)の効果があるという。

ガットライブ

主は、上のテニス用品が、結構な値段(約3,000円)するために、同じフッ素樹脂配合の下(約600円)を使っている。こちらは汎用品なのでお安い。

ドライファストルブ

おしまい

 

アメリカ大統領選 コロナ禍 財政均衡論について思うこと

主は、世界中がメチャクチャ、デマで満ち溢れていると思っている。

アメリカ大統領選挙は、インチキだったと思っているし、コロナもそうだ。新型インフルエンザということだが、従来のコロナウイルスとかわらないのに、世界中が大騒ぎだ。この新型コロナについては、日本は被害が欧米の数十分の1なのに、欧米と同様の不安をマスコミが煽り、人気取りに走る政治家が我先に便乗しようとして、誰も例年と変わらない風邪だ、インフルエンザだとは言わない。

もう少し書くと、このコロナは、感染症法の第2類に分類されるのだが、厚労省の通達によりエボラ出血熱、ペストと同じレベルの行政上の扱いがされている。昨年の中頃、安倍首相の退任時、このコロナがひと段落したところで、第2類を普通のインフルエンザ並みの第5類に変更しそうだったのだが、誰も決断せず、うやむやになっている。

世界じゅうも、新型コロナに便乗して、ワクチンの開発と販売で一儲けしようとする勢力と政治家の思惑が一致、そもそも風邪やインフルエンザはずっと特効薬がないのだが、あたかもワクチンが特効薬のようなことが喧伝されている。中国は、無料のワクチンを途上国に提供することで、途上国を自国側に囲い込もうとしているし、ロシアを含む欧米勢は絶好の商機到来で、遅ればせながら日本も何とか食い込みたい。

アメリカ大統領選挙は、こちらはグローバリスト(エスタブリッシュメント)とトランプの反グローバリズム(グローバリズムに痛めつけられてきた人たち)の戦いだった。圧倒的に力のある産業界、政治家、マスコミと、そこから支援されてきた教育、医療などのグローバリズム勢力が、なりふり構わないインチキ郵便投票によってバイデン大統領を勝たせたのだが、負けた被支配階層には声を出す手段がなく、大統領選挙で不正があったと思う4割のアメリカ国民の声は、表に出てこない。

当然これを読まれている方は、不正の証拠を見せろと言われるだろうが、そこはあまりに巨大で、希薄な状況証拠ばかりなので書かない。興味を持たれた方がおられるなら、インターネット(YOUTUBE)では、林千勝氏、ケント・ギルバート氏などの動画を見てください。著作なども多く書かれています.

あと、これもまた世界的な現象なのだが、従来の経済学は、金本位制時代のままの経済観を見直してこなかった。つまり、金本位制は数十年前に廃止され、兌換から不換の管理通貨制度へと代わっている。この変化により、各国の政府は、その国の供給力まで通貨を発行、国民に交付しても、インフレを起こさないことがわかっている。 つまり、日本のようなデフレの国では、国民に毎月10万円手渡しても何の問題もおこらないどころか、国民を救うことなる。 むしろ、今のようなコロナ対策では、バタバタと倒産を引き起こし、そもそもの供給力の喪失を意味する。いったん倒産し供給力を失うと、もとに戻るには何十年もかかる。

今コロナで、欧米の各国政府は、赤字国債を発行して国民に休業補償をしているのだが、日本はお金は出さないが協力してくれという、太平洋戦争のときのようなことをやっている。あの保守的なIMF(国際通貨基金)さえ、「経済を救うために、各国政府は、最大の政府支出をしたうえ、さらに政府支出を上乗せしろ。」といっているのだが、日本ではこのようなことは、財務省の目があり、報復を恐れるマスコミは報道しない。

近い将来、政府支出は国債の暴落と金利の上昇を招くという従来型の経済学が間違っていたことが明らかになるだろうが、ここ数十年で、こうした財政均衡の呪縛に囚われなかった中国は、西側の諸国が果たせなかった経済成長をあっという間に果たした。中国の成功を、これまでの経済学者は、バブルと表現し揶揄していたが、供給力を増やしてきた中国は、バブルではなかった。遅れを取ったのは、日本だ。

供給力(生産力)さえ伴っていれば、財政支出の拡大が国民を救うという事実がやがて世界中で理解されたとき、日本はすでに沈没してるかもしれない。はたして間に合うのか?

おしまい

チェンバロリサイタルは最前列で。 辰巳美納子リサイタル・東京文化会館小ホール

1月29日(金)、東京文化会館小ホールで行われた辰巳美納子のリサイタルへ行ってきた。曲目は、バッハのフランス組曲第5番とゴルトベルク変奏曲の2曲である。

この小ホールは649席ある
開演前、休憩中ともずっと調律している

上の写真が開演前の様子である。コロナの真っ最中で、公演中止を心配していたのだが、無事開かれ、観客席は3分の1くらいが埋まっていた。

チェンバロは、おそらく鍵盤楽器では最古参だろう。金属製の弦を張り、爪が弦を引っ掻いて、音が出る仕組みになっている。鍵盤を強く叩いたからといって大きな音が出るわけではなく、優しく弾いても音量が小さくなるわけでもない。音量も小さい。そのため、楽団と合奏すると埋もれがちだ。 しかし、繊細で美しい音色が最大の魅力の楽器だ。

主は、熱烈なコンサートファンではないので、お好みのプログラムの時に、チケットの値段がほどほどのコンサートに出かけている。オーケストラの場合、S席などより、むしろホールの後ろの方とか二階席の方でも、音響設計が良くされているので問題はないし安いので、こういう席を選んでいる。今回も、足が延ばせるという理由で、中央右側の端っこの席を選んだ。鍵盤楽器の場合、演奏者が舞台に向かって左側に座るので、左側の方が手の動きが見えてよいのだが、左側は人気があり、選択できなかった。

チューニングを聞きながら、「この楽器、これはすぐ近くで聴くに限る。」と思った。大音響が出る楽器は、反響音により後ろの席のほうがよく聞こえるのだが、チェンバロは音自体が繊細で小さく、間近で聴くのが良い。

また、常にチューニングが必要なようで、20分間の休憩の間も、調律師がずっとチューニングをしていた。

そもそもこの楽器は、ヨーロッパの貴族が室内で楽しんだ楽器だ。大きなホールで民主化さとれた大衆どもが聴く楽器ではない。 というわけで、主は、コロナのせいで観客席が空いていたこともあり、休憩を挟んでほぼ最前列に移動して聴いていた。 同じように考えた観客もいるらしく、周囲には何人かステージ近くに移ってきた人がいたようだった。

この日のプログラムは、前半がバッハのフランス組曲第5番、後半がバッハのゴルトベルク変奏曲だった。

バッハは、鍵盤楽器のために有名なところでは、パルティータ集、フランス組曲、イギリス組曲、トッカータをそれぞれ6曲ほど作曲している。トッカータは、1楽章形式で、アドリブ的で奇想的な曲である。パルティータ集、フランス組曲、イギリス組曲が、当時のダンスミュージックである舞曲を何曲も組み合わせて作られた大曲である。

フランス組曲も素晴らしいのだが、やはりパルティータが全体としてのまとまりをよく考えて作られており、さらに大曲という趣がある。

辰巳美奈子のゴルトベルク変奏曲の感想を書いてみる。

何といっても、

① 演奏時間がめちゃ長い。

おそらく、80分間以上演奏していたが、グールドの倍程度になるはずだ。原因は簡単で、おそらく反復を全部しているからだ。グールドは、溌剌とした1955年のデビュー録音が38分、瞑想的な1981年の再録音が51分である。反復は、「1955年にはグールドは一切のくり返しをしなかったが、1981年には、カノン9曲と厳格な対位法の変奏曲4曲で、前半のみを繰り返した。」(「グレン・グールド神秘の探訪」 ケヴィン・バザーナ:サダコ・グエン訳 478頁)と書かれており、この日の演奏はちょっと冗長だ。グールドの2回の録音は、長短あるが、いずれの場合にも、極端に遅い演奏と極端に早い演奏が組み合わさっており、きわめて刺激的だ。

辰巳美納子の演奏も、現代的で明るく楽しい演奏を繰り広げているのだが、古楽器を使って楽譜に忠実に、当時のままに演奏しようとしているのかと思えるフシもあり、強いて言えば、指向性がはっきりしない。おそらく、彼女は、古楽を忠実に演奏するより、現代的で楽しくこの曲を演奏しようと考えているのだろうと思うのだが、さらにメリハリがほしい。冒頭のアリア、最後のアリアなどは極端にゆっくり弾いて欲しいし、疾走するところは疾走して欲しい。

逆に、グールド以前の大御所であるワンダ・ランドフスカ(1879年 – 1959年)の演奏のように、博物館にあるような年代物の演奏を、現代の今やったら、それはそれで面白く値打ちがあるだろうと思う。

要は、その人なりの「狂気」がないと面白くない。グールドは、音高と音価(=楽譜上の音の長さ)は変えていないが、拍子や速度記号を無視し、場合によっては音符も加えている。

② この日のパンフレットに「鋭い感性と自在な表現で全体を支える通奏低音に定評がある」と書かれていた。伴奏ともいえる通奏低音をホメるというのは、パンフレットとして、どうなのかなと思った。しかし、通奏低音のリズム感は安定していて、こういうことなんだと納得する。聞いていて安定していて、とても気持ちが良い。もちろん、他の声部もなかなか良かった。 

③ このゴルトベル変奏曲は、最初と最後のアリアの間に、30曲の変奏曲が挟まるのだが、最後の方に近づくにつれ、クライマックスに近づくのが感じられ、最後の変奏曲、クオドリベット(=宴会などで行う、複数人がそれぞれちがう歌を同時に歌う遊び:Wikipedia)で爆発する、その感じがよく出ていた。

このクオドリベットは、当時の俗謡が2曲入っていて、楽しくてとても聞きやすい。それまでのバッハの小難しさが消えて、すっかり楽天的になる瞬間である。ある意味、この曲はクオドリベットが出てくるまでが辛抱であり、この曲の到来で辛抱から解放され、最終的に、再び静かで美しいアリアの円環に戻る。

そう考えると、アリアに戻るところは、もっとゆっくり、極端にゆっくり、じっくり聴かせたらどうなんだろう。 しかし、終わりよければすべて良し。とても、感動的で、楽しめる演奏だった。観客も大きな拍手を盛大におくっていた。 主は、アンコールになにか、最低もう1曲を弾いて欲しかった。

おしまい

グレン・グールド 夏目漱石「草枕」と出会った経緯など

グレン・グールドは、「草枕」を読んでその芸術観につよく共感する。その経緯を、漱石研究者であるダミアン・フラナガン(Damian Flanagan)が、アラン・ターニーの翻訳による”The Three-Cornered World(草枕)”のペーパーバックの再版のイントロダクションで詳しく書いている。

ダミアン・フラナガンは、イギリス生まれの夏目漱石研究者で、日本とイギリスを往来しながら、日本語、英語の双方で著作や評論を発表されている。彼の書いた評論は、日本人研究者よりよほど核心をついていて、読んでいて納得がいく。非常にお勧めである。

そのダミアン・フラナガンが書いたイントロダクションのうち、グールドが出てくる段落を、拙いが、主が翻訳したものを最後に書いてみた。もし、目を通してもらえると有り難い。

また、そのイントロダクションと重複する部分があるのだが、ざっとした経緯を主も書いてみた。

1967年、35歳のグールドは、すでにコンサートの世界から身を引き、コンサートを開かなくなっていた。

休暇を過ごしたノヴァ・スコシア州アンティゴニッシュ(カナダの最東部にあり、トロントから約2000キロ離れている。)からトロントへもどる列車で、化学の大学教授のウィリアム・フォレイが、グールドが同じ列車に乗っていることに気づき、思い切って話しかける。二人は意気投合し、グールドは別れ際に、前年5月に「音の魔術師」と評される巨匠、ストコフスキー(1882-1977)と録音したばかりのベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番のレコードをプレゼントする。フォレイは、この日話題に上った「草枕(三角の世界)」を返礼として送った。

GoogleMapから 赤丸がアンチゴニッシュ
ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番のレコードジャケット

グールドのお気に入りの本は、トーマス・マンの「魔の山」だった。しかし、アラン・ターニーの翻訳による、”The Three-Cornered World”(三角の世界・「草枕」)を読んでからは、今や彼が愛情を注ぐ本は、「三角の世界・「草枕」」が完全にとって代わった。

夏目漱石が「草枕」を発表したのが、1906年、アラン・ターニーが、27歳の1964年に、”The Three-Cornered World”というタイトルで「草枕」を翻訳した(刊行は1965年)。アラン・ターニー(1938-2006)は、1978年にロンドン大学で日本文学博士号取得、ICU(国際基督教大学)や清泉女子大学教授を務めた人である。

ちなみに、「草枕」の翻訳は、アラン・ターニー版だけではなく、何種類か出ている。夏目漱石の原作は、日本語で読むと、漢語や仏教用語がふんだんに使われ、多くの和歌や俳句、英詩やヨーロッパ文学者への批評も同時に出てきて、漱石の小説の中でももっとも難解で、漱石の知識の深さ広さに圧倒される。注釈を対照しながら読むのだが、腰を落ち着けてそれでも分からない単語をGoogleで調べて読まないと、しっかり理解できない。逆に、英訳のほうが、分かりやすく読み易いという。

グールドは、この本を知った後、従妹のジェシー・グレイグに二晩かけて、電話でこの本全部を朗読して聞かせたという。また、死の前年になるが、1981年に15分間のラジオの朗読番組で、第1章を抜粋して朗読した。この番組の冒頭で、グールドは次のように解説している。「・・・草枕は、いろいろな要素を含んでいますが、とくに思索と行動、無関心と義理、西洋と東洋の価値観といった対立や、『モダニズム』のはらむ危険をあつかっています。私が思うに、これは二十世紀小説の最高傑作のひとつです・・・」と。

さらに、死の直前は「草枕」を使ったドラマ番組を作ろうとしており、死の床には聖書と「草枕」が残されていたという。

この小説を、漱石は脱稿するまで、わずか2週間で書いたというから驚くが、漱石(主人公)の芸術観と、主人公の絵描きの旅行先での出来事(ストーリー)が交互に語られるという珍しいスタイルで作られている。

下の絵は、「草枕」に出てくるシェイクスピアのハムレットの登場人物オフィーリアが、川で溺れる直前、歌を口ずさみながら死にゆく情景を描いたもので、漱石はこの絵を批判的に描写している。

Wikipediaから

主が手にしている、アランターニーによる”The Three-Cornered World”のペーパーバックは、2011年発行のもので、《序論》を書き加えたダミアン・フラナガン(Damian Flanagan)の「天才から天才へ」という段落を引用する。二人の天才というのは、もちろん、夏目漱石とグレン・グールドである。もし誤訳があれば、ご海容願いたい。

(以下の日本語訳文は、以前に書いたブログを改めたものです。)

序論の抜粋《天才から天才へ》(ダミアン・フラナガン)

草枕が、全員が同じく平等だという現代風の考えによって、大いに哄笑される理由となる落日の列車に乗っていると考えると、十分に皮肉なことだが、漱石の折衷的(和洋折衷的であり、過去と現代の折衷的)な傑作に精通したいと考える、おそらく、その小説を西洋でもっとも熱烈に評価する偉大な人物が、その列車に乗っていた。さらには、この熱烈な評価者は、芸術形式と音楽の第一人者であり、その小説のナレーターの音楽の第一人者は、ー おそらくは、すべての他のものの上位にあるこの芸術という形態が、穏やかな超越状態にもっとも到達できると躊躇なく認めるとはいうものの ー (「草枕」のバックボーンを)からきし何も知らないと認めている。

1967年、その世界的に有名なピアニスト、グレングールド(1932-1982)は、ノヴァ・スコシア州のアンティゴニッシュでの休暇から戻る列車旅行をしていた。グールドは22歳で彼の革命的なバッハのゴールドベルグ変奏曲の解釈で名声を獲得し、9年間の間、世界のコンサートホールをピアノ演奏の異端的なスタイルで聴衆を目も眩むような思いにさせてきた。レーナード・バーンスタインのようなクラシック音楽界の巨人たちは、ちゅうちょなく彼を天才と認めた。

グールドは、行動においてだけではなく、思想においても完全に独創的だった。彼は、ショパンとモーツアルトの多くの作品をあざ笑い、モーツアルトが、そのオーストリア人が手早い称賛のために、本質をいつも犠牲にする単に派手で「ぼくを見て」的な子供でありながら、批評家からそのような尊敬を集めたことに驚かされると主張する。グールドは、(楽壇の)支配者層を無視し、彼自身の道を追求することが完全に心地よかった。彼は、彼自身を音楽家だけではなく一人のオールラウンドな創造的な芸術家と見なして、音楽の演奏同様、著述と記述された言葉で演じることに興味を抱いていた。クラシック音楽の世界の尊大さとうぬぼれを揶揄するために、彼は想像上の性格の過度さを生み出し、彼は興味を持っているテーマのラジオ放送に関心を向けた。

1967年に、グールドは列車のラウンジに一人座っている時に、聖フランシス・シャビア大学の化学の教授であるウィリアム・フォレイが気付く。彼は、グールドの音楽の録音物への称賛を表明する勇気を奮い起こし、会話に引き込んだ。二人の男は意気投合し、その会話で、フォレイは最近読んだ「草枕(三角の世界)」と呼ばれる魅力的な本に言及した。二人の男たちが別れる時、グールドは自身のベートーヴェンのピアノ協奏曲「皇帝」の演奏のレコードをフォレイにプレゼントし、そして、後にフォレイは、ピーター・オーウェン版の「草枕」をグールドに送ることで好意に報いた。

行き当たりばったりに出会った本が、それほどのインパクトを読者に与えるのはまれなことだ。「草枕」は、たんにグールドの好きな本になったというだけではなく、彼の人生の残りの15年間で夢中になりとり憑かれたものの一つになった。日本に特別な興味を持っているわけでもなく、その国を訪れたわけでもないのに、最後にはその本の版を4冊所有し、2冊が英語版で、驚くことには2冊はオリジナルの日本語版だった。彼は、他の小説家の手による本よりも多く、書店に並んでいる全ての漱石の売られている小説の翻訳を、購入したと思われる。彼の人生を通じて彼にもっとも近かった人物である、従妹のジェシー・グレイグに、彼は、「草枕」への愛を、電話口でその全部を二晩かけて読むことで表明した。

彼がフォレイから受け取った版に激しく注釈を書き込んだだけではなく(残念なことに、これと、その他の素材は1988年に行われたパリでのグールドの展覧会での運送で失われた)、グールドは実際に37ページの別のノートを小説として生み出した。彼は第1章を凝縮し、それを1981年11月にCBCラジオ「ブックタイム」で、15分のラジオ放送番組として朗読した。(同じ月に、彼は、26年の歳月を経て、ゴールドベルグ変奏曲を改めて解釈し直し再録音した)また、彼は、翌年の死の間際まで、「草枕」に基づくラジオ劇を書き、公演する準備をしていた。彼が亡くなった時に、たった2冊の本しか枕元になかった。1冊は聖書で、もう1冊は「草枕(三角の世界)」だった。

その「草枕(三角の世界)」が1965年に刊行されたとき、その若い翻訳者もその刊行者も、その文学史上の重要性の観点からなんの真の理解をしていなかった。当時のスタイルに適合させるために、その本のカバーは日本に言及されることはなく、上品で最小限主義の黒地に中心を外れた小さな円の絵があった。それは、ピンク・パンサーかゴールド・フィンガーの一連のタイトルと同種なものに見え、その小説は東洋的な作品の一つとして印をつけられ、その著者は世界中の主要な、あるいは主要でない才能の大勢のひとりとして、ひとくくりにされていた。

グールドにとって、それは本当に単純に20世紀のもっとも偉大な大作の一つだった。以前には、グールドのお気に入りの本はトーマス・マンの「魔の山」だったが、今や彼が愛情を注ぐもののなかで、これ「草枕(三角の世界)」が完全にとって代わっていた。実に、グールド自身が指摘したように、多くの親和性が二つの小説の中にあった。マンの小説もせかせか立ち回る資本主義の世界から、穏やかなアルプスの風景への後退を描いているが、漱石の小説のなかの大量殺戮(戦争)の引力同様、ここの若いヒーローのハンス・カストルプが世界大戦を逃れられない。

何がグールドの興味をそれほど漱石の小説が呼び起こしたのか。それは、彼にとって、ほとんど自分のためにだけに書かれた一つの小説がここにあったと思えることに違いない、あるいは、彼自身によるものかと思えるほどに、完全に彼の芸術的な信念を例示していた。グールドは、音楽と芸術が非常に感情主義になっていることに飽き飽きし、悪態をつき、それから自由になることを求めていた。すなわち、彼の願いは個人へ向かい、超越することと静穏さだった。さらに、グールド自身の(従来の観念から)超然としたクラシック音楽の再解釈よりも、漱石の芸術の区分ほど、主題物と単なる雰囲気を定義し明らかにするものはなかった。漱石はいかにすべてものが見られ、再び違って見られるか、聴かれ再び違うように聴かれるか、書かれ再び違うように書かれるかを示し、創造性と芸術は文化的なパースペクティヴと精神的な状態から生まれるだけではなく、たえず、再発明と再解釈されるものだと示した。

実のところ、グールドは、「草枕(三角の世界)」を自分のラジオ劇に書きなおしたいという彼自身のアイデアがあった。もし、ターニーが「草枕」を「三角の世界」へ変えることを決めたのであれば、グールドは他のタイトルを使うことを計画していた。彼が持つその本の表紙と彼が書いた37ページのノートの両方に、グールドは傑出している志保田の娘を描いた。誰もが無慈悲な早すぎる心臓発作が、芸術の天才たちの間のこのもっとも魅力的な衝突の世界を奪ったことを残念に思うだけだ。もし、グールドがさらに長生きしていれば、「三角の世界」が、「カルト・クラシック(少数ながら熱狂的なファンを獲得している過去の有名人)」という評価を打ち壊し、英語圏で受けるべきより高い世界の名声を獲得したと信じられる十分な理由はある。

Introduction by Damian Flanagan
“The Three-Cornered World” by Natsume Soseki Tlanslated by Alan Turney

次回のブログは、このダミアン・フラナガンさんの研究成果をもとにいろいろ書ければと思っている。

おしまい

ブラジル ボアッチの話 その2

ブラジリアにあったボアッチ

「人生の3分の2は嫌らしいことを考えてきた。」とイラストレーターでありエッセイストであるみうらじゅんさんは、かならずこの書き出しで始める。この人に限らず、男はだいたいそうだ。主は、4分の3かもしれない。

アマゾンから

みうらじゅんさんを冒頭に持ってきたが、内容には関りがない。単に、エロから連想しただけなのだが、今回はブラジル、ボアッチネタを取り上げたいと思う。なにしろ、15年前のブラジルの話なので、事情はけっこう変わっているだろうと思うがご容赦を・・。

冒頭の写真が、当時のブラジリアにあったApple Night Clubという昼間のボアッチの写真だ。当然ながら、夜の雰囲気は全く違う。夜には、手前の駐車場が、お客の車で一杯になる。左半分が教会でブラジルらしい。ここのお姉ちゃんと話をしていて、「お客と出かけた後、となりの教会で懺悔するのよ。」という冗談を言っていた。 Googleで検索するとどんな場所でもヒットするので驚く。

こちらは、同じくGoogleで出てきたブラジリアのボアッチの写真。Lago Sul(湖の南)のボアッチの内部写真。夜が更けるにつれて、男女でいっぱいになる。ビートのきいた音楽が大音量で流れている。15年前には、この地域は豪邸の建ち並んだ地域で、ボアッチはなかった。

主がブラジルの首都ブラジリアに赴任した時、日本でボアッチというナイトクラブの存在は聞いていたのだが、どうも風俗系のことを人に聞くのが恥ずかしいタチなので、職場の人に聞けなかった。そのため、ボアッチの存在はかなり長い間よくわからなかった。しかし、さすがに1年を過ぎる辺りから事情が徐々に分かってきた。

ブラジルの法律は、日本の売春防止法のような法律がなく、組織的な売春は違法であるものの、個人が自由恋愛することは禁止されていない。日本も、組織(営業)が絡まない、「援助交際」という名目で個人が自由恋愛している分には問題ないらしいので、細かくは違うだろうが、どちらも似たようなものだと思う。

最近は日本も、途上国化が激しいので、女性の供給は増える一方で、かなりブラジル化していると思うが、ブラジルはやはり何といっても日本以上に格差が大きいので、ボアッチで稼ごうという女性は多い。端的に言ってしまえば、ボアッチ以外でも、道路の特定の場所で、こうした女性が、車のドライバー目当てに客引きをしている場所もある。

また新聞の求人(募集)欄に、こういう種類のお姉ちゃん(お兄ちゃんも?)が、例えば、『混血、美人、大柄。20歳。電話******』とか、広告を載せていた。主は、結構長くブラジルにいたのだが、このことに気づいたのは、かなり時間がたってからだ。ブラジリアの職場の現地スタッフによれば、ブラジルではどんな田舎へ行っても、この種のサービス?、仕事?は必ずあり、お金次第で、超高級なものから長距離トラックの運転手向けのもの、違法な子供が出てくるもの、同性愛向けもあるということだった。

ブラジルの女性は、全般に、日本人のように照れることもなく、フランクだ。ボアッチは、男性が入場料として料金を払うが、女性は無料でやって来ており、お酒を飲みながら、女性と話をすることを目的に来る男性も多い。意気投合すれば、一緒に出ていくこともある。店の女性の管理が厳しくないので、電話番号を教えてもらって、直接電話して、食事に誘ったりすることも可能だ。

おしまい