日本へ パプア・ニューギニアから帰国!

この3月に日本へ帰国する。パプア・ニューギニアには都合2年弱住んでいた。

主は、10年前にブラジルで暮らしていた。ブラジルと違ってパプアは、生活状況が良くない。生活状況が良くない国の生活は、日本人同士の付き合いが全ての面で近くなり、べったりとなる。もう少し詳しく説明すると、ブラジルのような生活に不自由のない国では、日本人同士がべったり付き合わなくとも、単独行動で好きなところへ出歩ける。こういう国では、日本人同士の関係が希薄でも十分に生活できる。ところが、パプアでは治安状況が悪いために単独で街を動き回るということはできない。また、動き回わって楽しいところがないという事情もある。そうした背景から、日本人同士が群れる。群れて、酒を飲んだり、食事をしたり、一緒に運動したり、生活が日本人同士でべったりとなったほうが、さしあたり、充実した生活を送ることが出来る。

ところが主は最後の約半年、周囲の日本人と没交渉になり、私生活ではほとんど独りで暮らしていた。同僚の多数は遅くまで残業しているのだが、主は勤務時間終了とともにさっさと帰ったし、食事を一緒にするということもなくなった。一緒に運動することもほとんどなくなった。

もちろん、周囲の日本人と別段なりたくて没交渉になったわけではない。だが、周囲の同僚とのジェネレーションギャップや、主が基本的に下戸なため長い時間酒席に付き合えないということで、どこかで歯車が狂ってしまい、なかなかもとには戻らなかった。大人の付き合いは、子供のように簡単に仲直りをするという方向に向かわないようだ。一度歯車が狂ってしまうと、疎遠な状態がそのまま続いてしまった。

この一番大きな理由は、「億劫さ」にあるように思える。関係修復するためにエネルギーを出すのが面倒くさい。主はそうだったし、相手もそうだろうと思う。無理してまで、関係修復するエネルギーを出そうとしないのだ。その小さなエネルギーを出しさえすれば「来る者拒まず、去る者追わず」、相互の関係は修復されるのだろうが。

 

夏目漱石「草枕」とグレン・グールド

グレン・グールドは、夏目漱石の「草枕」を異常なほどに高く評価していた。もともとこの小説は、1906年(明治39年)に発表されたのだが、英語版は1965年(昭和40年)に「The three cornered world(三角の世界)」という名前で発表されたものだ。グールドは、20世紀最高の小説とまで言い、死の前年である1981年にラジオの朗読番組を作り、死の床には、さんざんに書き込まれたこの翻訳書があったという。

kusamakura

「山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。」で始まり、「智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」さらに「住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る。」と続く。

「草枕」というタイトルなら、英訳は「 The grass pillow」などとなりそうなものだが、翻訳したアラン・ターニーは、「The three cornered world」と訳した。これは、本書の中に「して見ると四角な世界から常識と名のつく、一角を磨滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう」と書かれた一節があるからだ。この箇所が内容を最も端的に表していると考えたのだろう。四角四面な浮世において、常識にとらわれない三角な世界に住むのが、芸術家であるということだろうか。

主も明治時代に書かれた「草枕」を実際に読んでみた。実際に漱石が書いた「草枕」は漢語がふんだんに使われ、難解で注釈なしでは読めない。また、変転する筋らしい筋もなく、核となるのは漱石の芸術観だが、簡単に読めるというものではない。また、明治という時代背景のせいだと思うが、現代の今となっては新味に欠ける事柄を新発見したような書き振りのところも多い。また、漱石らしいユーモアが魅力だが、芸術家と市井の人との差異や知識人としてのエリート意識を強く感じる。

この小説では、魅力のある出戻りの「那美」という名前の女性の絵を、「余」がなかなか描けないというのが一つのモチーフになっている。画を書こうとするのだが何かが足りない。だが、最後に「那美」の前に別れた亭主が現れ「憐れ」が一面に浮かぶ。それで、初めて画が描ける、といって話は終わる。漱石の芸術観は「情」に溺れることなく「理」の世界を是とするものの、「情」をなくすことはできないし、「情」なしに芸術は成り立たないということのように読める。

漱石の「草枕」には古色蒼然としている部分があるのだが、グールドが読んだ「The three cornered world」は、ネットでググると外国人にとって非常に読みやすく、日本版とはかなり趣が違うようだ。また、翻訳された1965年にはベトナム戦争がすでに始まっており、ヒッピーなどの新しい文化や価値観が生まれた時代だが、グールドがこの本の朗読をした1981年は、ヒッピーやユートピアを単純に肯定するだけではもちろんすまない。保守、反動、さまざまな価値観がせめぎあった時代だ。

グールドは漱石の芸術観に強く共鳴したのだろう。敬虔なキリスト教徒の両親の教育のもと、グールドは古い時代の価値観を根底に持ちながら大戦後の民主主義や大衆主義が高まる幸福な時代を生きた人だが、漱石の芸術観、何かと棲むのが面倒な浮世から、芸術が常識に囚われない三角の世界へ誘うという考えに強く共鳴したのだろう。

おしまい

 

 

グレン・グールド 神秘の探訪 ケヴィン・バザーナ

「グレン・グールド 神秘の探訪」(ケヴィン・バザーナ サダコグ・エン訳 白水社)

ケヴィン・バザーナは、カリフォルニア大学で音楽史の博士号を持つフリーランスのライター、編集者であり、グールド研究の第一人者だ。「グレン・グールド 神秘の探訪」は大判の単行本でありながら500ページ以上ある大著だ。グールドの両親が結婚する以前から書きはじめられ、微細な調査をもとに、非常に良く書かれている。

唯一書かれていないのは、他の本もそうだが女性関係だ。これがすっぽり抜け落ちている。これは、如何にグールドが細心の注意を払ってプライバシーを守り抜いたかがわかる。

これまで読んだ2冊の伝記「グールド伝ー天才の悲劇とエクスタシー」(ピーター・F・オストウォルド)「グレン・グールドの生涯」(オットー・フリードリック)も深く考察されていたので、グールドの人物像がどのように作られたのか徐々に分かってきたように思う。

当たり前だが、天才は凡人とは全く違う。グールドはなるべくして天才グールドになった。幼児期から他の子供と遊ぶということがなく、母親の教える音楽の世界にはまり込み、言葉を話せる前に楽譜を読めるほどになり、その後も音楽以外の世界を知らない。幼児期から友人と遊ぶことがまったくないまま、音楽の世界の奥深くへつき進んでいく。他人との付き合いについて、次のように語っている。「私は6歳までに重要な発見をしました。つまり自分が人間より動物たちとずっと仲良くできるということです」人間づきあいがまったくできないといっていい。

グールドのことを現代における音楽だけを愛した「最後の清教徒」で聖人君子というイメージを抱いていた。しかし、音楽を愛したというところはそのとおりだが、それ以外のところは全く様相が違う。

あらゆる面で普通ではないのだ。不安症。エディプスコンプレックス。大衆に対する恐怖。ナルシスト。死ぬまで価値観が変わらない。偏執症。他人を理解できない。10代からの薬物依存。潔癖症。運動をしない。抑うつ症。スーパーナルシスト。昼夜の逆転。もちろんそれらに匹敵する美点も多いが、もしグールドから音楽を除いたら何も残らない。

何かわかった気がするパプアニューギニア人 Part3

主がよく行く日本人経営で唯一の日本食レストランでは、結構な数のウエイトレス(メリー)が雇われている。日本の店ではありえないことだが、彼女たちはしょっちゅう行く主(に限らず誰でも)に非常に愛想がいい。お互いなかなか通じない英語で会話するのだが、「独身?」「彼はいるの?」「家族は?」といったストレートな質問をしても屈託なく正直に答えてくれる。これと同じことを日本のファミレスの若い女性にしたら間違いなくヒンシュクを買うだろう。若い女性に限らず、60歳の親爺がこのような質問はなかなかできない。

Photo0013

独立記念日にシンシンの格好をしたメリー

小さな子供たちと目が合った時にこちらから手を振ると、どんな場所でも、実に嬉しそうに手を振り返してくれる。大人でもそうだ。下は道路端で野菜を売っていたおじさん。服装も若いが子供のような屈託のないポーズ。

おじさん

どうもここの人たちはピュア、純真なんだと思う。すれていない、裏表がないという表現もできそうだ。そして、結構誇り高い。下はマンションの入り口の警備員だ。住人が出はいりする際には必ず挨拶をお互いする。現実にはしょっちゅう泥棒が現れる訳ではないので手動で扉を開け閉めするだけだが、彼らは仕事に強い誇りを持っている。

警備員

おしまい

 

何かわかった気がするパプアニューギニア人 Part2

パプアニューギニア(以下PNG)には今なお800以上の部族がおり、それぞれの言語を持っている。PNGでは、一般にピジン語が話されていると思われがちだが、ピジン語は欧米との接触後に作られ、大洋州で広く使われる言語である。ゆえに、各村では今でも800に分かれた昔からの言語がある。例えば、ポートモレスビーでは「モツ語」がここの言葉だ。モツ語はポートモレスビーだけで話される。ポートモレスビーでは、モツ語とピジン語によるラジオ放送局の2種類がある。現地の言葉とピジン語の違いだが、現地スタッフの村では2進法で数を数えており、10進法のピジン語とはまったく違う。ピジン語は言ってみれば第1外国語であり、英語は第2外国語なのだ。

現地スタッフに家族(family)の概念とワントクについての違いを聞いてみた。まず家族。家族には3種類あり、第1(nuclear)は日本で言う家族である配偶者、子供。第2(joint)は田舎に住む親、兄弟が入る。第3(extend)は日本で言う親類の概念であり、配偶者の親、兄弟やその子供たちを含む。一般に高地族は一夫多妻なので、母親は複数あることも多い。彼の場合、第3までのカテゴリーの家族は30人ほどになるそうだ。このカテゴリーまでの家族は、養育が困難になった場合などは面倒を見て、面倒を見てもらった方は豚などで対価を払ったりしてギブアンドテイクの関係になる。一方、ワントクはone talkのことなので、本来は同じ言葉を話す同郷の人を指す。だが、ワントクと言っても、ワントクが故郷以外で出会う場合は、拡大解釈される。例えば、首都ポートモレスビーで暮らすオンボさんにとっては、出身の村だけではなく、出身の村が属する州の出身者がワントクに含まれる。もし、海外でPNG人に出会うと、PNG人全部がワントクとなる。ワントクの場合は、仲間であるが困窮したからと言って生活の面倒までをみるかといえば、そういうことはない。

当たり前といってしまえば当たり前なのだが、ワントクだからといって生活の面倒を見る訳ではない。生活の面倒を見るのは家族までなのだ。家族の概念が今の日本より広く、家族の概念は日本の親戚までが範囲だ。こういう言い方もできるだろう。昔の日本もそうだったのだ、家族の概念は広かった。戦前までは、困窮したものがあれば親類縁者で支えあっていたはずだ。日本における家族の概念が、近年小さくなったのではないか。

こちらでは、「養子」にしたり、親戚の子供を育てているということがしょっちゅうあるようだ。それとて、無料奉仕でしている訳でなく、ギブアンドテイクで子供を預けている方の親は義理を感じているようだ。日本もかつてはそうだったのだと思う。

つづく

何かわかった気がするパプアニューギニア人 Part1

主はすでに60歳になっている。このため来年3月で定年となる。パプアニューギニアに来て1年半が経ち、少しは彼らがわかったような気がするので、書き留めてみたい。

まずは、簡単にこちらポートモレスビーの日常をさらっとおさらいをすると、次のようなる。こちらは、ラスカルという強盗(少年のグループが多いのだ)が、自動車を止めてピストルやブッシュナイフ(長い刃物)で強奪するということがまま起こる。街中では喧嘩がしょっちゅう起こっており、我々外国人は獲物として巻き込まれる可能性が高い。そのために二重に警備されたスーパーマーケットやレストランへ車をピンポイントに使って移動する。目と鼻の先の目的地に歩いていくときには、ガードマンを伴って歩く。そんなわけで、日没後やセトルメントと言われるスラムへは近づかないようにして暮らしている。

とは言っても、主が住むマンションの周りはセトルメントが混在していて、パプアニューギニアには高級住宅地で安全というエリアはない。土地の所有権は部族の共有になっており、マンションの建つ土地は借地であり、どうしても虫食い状態になるのだ。

こうした日常の不便さから、勤め先では半年に1回、安全に関する講習会をやっている。主は、この場で日本語を喋れる現地スタッフとトークを行った。

分かったようで分からないパプアニューギニア人。ワントクというシステムがあり、仲間を大切にするが、他の部族とは少し前までは殺戮しあっていた!そんなイメージを持っていた。

現地スタッフは今年50歳になるわが社で一番の高給取り。高校を卒業して日本の国際基督教大学(ICU)を卒業した日本通である。だが、それも昔の話、普段は英語とピジン語を話しているので「大分忘れた東京弁」でトークを行った。

つづく

 

なかなかよい甘利経済再生相

written on 17th November 2014

今日発表された経済成長率(7月から9月へのGDP速報値)が2期連続のマイナスとなり、明日にも安倍首相は増税の先送りと衆院の解散を決めるだろうと言われている。(弾力条項を入れるべきだと主は思う)

だが、今日行われた首相と有識者との点検会合では、予定通り消費増税を行うべきだと述べた人たちが10人中8人をしめたと報道されていた。これを知ると世間の常識がどのあたりにあるかよくわかる。 「消費増税は、景気浮揚効果がある」とまで言った経済学者がいるらしいが、閣僚も同じようなものだ。谷垣幹事長は、早くから消費税を上げるは当然だと言っていたし、麻生財務相は官僚のスポークスマンそのものだ。(逆にリフレ派の早大、若田部昌澄教授は8%の税率を5%に戻すよう主張した。そうだよな)

こうしたなかにあって甘利経済再生相は、「わかっている」人物のように思える。甘利経済再生相は「(2014年4月の)消費増増税は経済を冷やすということを学習した」という旨の発言をしている。昨年から続くTPP交渉では忍耐強く矢面に立ち続けている。

今日CNNは「日本は景気後退(recession)」へ向かっている」と流していた。世界は、「日本経済は底固く復活の途上にある」などと楽観的に見ていない。「景気後退へ向かっている」というのだ。

民主党時代のデフレより、今の状況はずっと望ましい。確かに中間層から下はよくないのは事実だが、森永卓郎が言うように「今は我慢の時なのだ」

上げるのか上げないのか 消費税

written on 2014年11月12日

「消費税を上げるのは既定路線だ」いう感じだったマスコミの報道が、1週間ほど前から「上げるべきではないとの声がある」と両方の意見を言うようになってきた。

そして、急に「阿部首相が、来年10月の消費税アップはしないという判断をして、衆議院を解散する」という声が数日前から出てきた。最初に言い出したのは「週刊文春」のようだ。

中国にいる首相がインタビューで質問を受けた際にも「解散についてコメントしたことはない」と言ったが、「解散しない」とは言わなかったことで、その報道は急激に大きくなった。

各報道機関がこれだけこぞって言うのだから、実際に消費税上げを見送って、解散になるのだろう。主のブログでも消費税を今上げるのは間違った判断だと書いた。安倍首相は「嗅覚が優れている」といった知人がいるが、そのとおりだと思う。財務省の宣伝に踊らされ、自分の頭で考えない人たちの多さを考えると違いは際立つ。

先日、アメリカが金融緩和を止めると発表した翌日(前からすでにアメリカの金融引き締めは知られていたので、誰も驚かなかった)日銀がサプライズの追加金融緩和を発表し、円安が進行、株価が急上昇した。

ただ、円安、株価の上昇は長期的には日本の経済には望ましいのだが、短期的な円安は、消費者や一般の人にとっては所得が増えない段階において、購買力の低下を招くため、NHKなどマスコミはむしろマイナス面を強調した。

今日(11月12日)の株価の動きは、興味深かった。「阿部首相は消費税を上げないで解散する」という発言と「消費税を上げない選択はあり得ない」を言う発言を、立場の違う代議士たちが発言するたび株価が上下した。もちろん消費税上げを見送るという有力者の発言があると株価が上がり、消費税は上がるという発言があると下がったのだ。

このようにたちどころに上下するのは外国のファンドが多額のマネーを日本株につぎ込んだり引き上げたりすることが理由だろう。この株価の動きを見ていると、首相が実際に消費税を上げないと決断すれば株価がさらに上がることが見えてくる。

もちろん、そうした資産効果は一般の消費者に恩恵が直ちに行くものではないし、しばらくは我慢をする時間は必要だろう。もし民主党が言うように「アベノミクスは間違っており、今の金融政策をやめる」とすると、不況を脱することができず、庶民は苦しむだけだ。今の不況を抜け出す道はアベノミクス以外にない。

話は別だが、代議士たちの戦(選挙)好きは傍目に興味深い。彼らは国民のことを考えているということより、勢力争いが好きなだけのように映る。

 

グレン・グールド伝ー天才の悲劇とエクスタシー P・F・オストウォルド

「グレン・グールド伝ー天才の悲劇とエクスタシー」(ピーター・F・オストウォルド 宮澤淳一訳 筑摩書房)

オストウォルド(1928-1996)は、グールドの4歳年上のカリフォルニア大学サンフランシスコ校の精神科医であり、公演芸術家(パフォーミングアーティスト)の精神治療を研究、特に芸術家の天才と狂気を探求した。同時に、セミプロ級のヴァイオリニストでもあった。二人が知り合ったきっかけは、グールドの治療をしたわけではなく、グールドが24歳の時(1957年)にカリフォルニアでの演奏会のあと、オストウォルドが演奏の素晴らしさに魅せられ楽屋を訪ねる。オストウォルドの賛辞にグールドも打ち解け、その夜、他の音楽家たちとともに明け方までバッハ、ベートーヴェンを合奏をする。それが二人の出会いである。

グールドは電話魔で有名で、オストウォルドも親友としてそのリストに入るのだが、1959年グールドは演奏会をキャンセルし、その賠償を逃れるためにオストウォルドに診断書を書くように依頼する。診察をせずに診断書を書けないとオストウォルドが断ると、グールドからの連絡は途絶える。

この本では、グールドの生い立ちから始まり、天才ぶりを発揮する一方で、まったく社会性のない子供が大きくなり、アスペルガー症候群(自閉症の一種)が疑われ、強度の不安症、ヒコポンデリー(病気でないのに病気だと思い込む)、スーパーナルシストとグールドを分析している。オストウォルドは精神科医、特に芸術家の天才と狂気を研究した人で説得力がある。

ただ、グールドは精神科医を受診することは自分のイメージを傷つけると考えたのだろう。あれだけの鎮静剤などを常用しながら、女性関係同様、このことは生涯ひた隠しにしている。 グールドを描いた映画「エクスタシス」で音楽評論家のクロード・ジャングラが「人心操作の天才だ」と言うのだが、主はずっと意味が分からなかった。 しかし、グールドの伝記などを多く読むようになって、今は分かる。グールドはどんな情報が受け手(世間)に喜ばれ、また、自分のイメージを損ねるか生涯にわたって気づいていたし、またこのマイナスイメージに十分に注意をはらっていた。それが天才の「人心操作の天才」と言われる所以だろう。 

夏でもコートにマフラー、手袋をし、マスクをすることは受ける。だが、この時代、精神科にかかることは狂人を意味しイメージを傷つける。女性関係は(家庭的な禁忌もあるのだが)「清教徒」を標榜する身にとって望ましくない。

グールドは、株でも才覚があった。周囲が株でみなが損失を被っている時、彼一人が石油の株でもうけを出したという。映画「グレングールドをめぐる32章」の「秘密の情報」というチャプターでこう描かれている。

彼はソーテックスという名の小企業の株で儲ける。周囲にこう言っていた。「空港でヤマニ(石油相の名前)のボディガードから聞いた。」「何の話です?」「これはここだけの話だよ」「ソーテックス?聞いたことない」「ここに採掘権を与えるそうだ」他の人にも電話をかけ言う。「ここだけの話だよ。他言は無用だ」「ソーテックス?(名鑑を調べ)あった」次に皆が言い始める。「ソーテックスのことは?」「ソーテックス 2万株だ」と皆が注文を出し始める「北に油田が見つかったんだよ。ロマーニが興味を持ってるらしい」と話に尾ひれがついて行く。当時、株価暴落が起こる中で、ソーテックスの株だけが上がり、グールドは高値で売り一人儲ける。株屋は言う「グレン、うちのクライアントで儲けたのは君だけだ。音楽活動を止めて株式に専念しろよ。『ヴィルトゥオーゾ』め!それじゃあな」電話を切って独りごちる。「ピアニストか。(なんてこった)」

 

 

 

グレン・グールド考 (なぜモーツアルトピアノソナタを奇矯に弾くのか)

グレン・グールドとフリードリヒ・グルダのモーツアルトピアノソナタの比較をしてみた。

フリードリヒ・グルダのモーツアルトピアノソナタ14番は、「Mozart no End」というライブアルバムがあり、グルダ晩年の最高の演奏で何とも言えず美しい。

フリードリヒ・グルダを簡単に紹介すると、オーストリアで1930年生まれ(グールドは1932年生まれ)、グールドよりちょうど20年長生きで、2000年に亡くなっている(グールドは1982年に亡くなっている)二人は同世代だ。グルダは、根っからのウィーン正統派なのだが、ステージに真っ裸で登場したり、ジャズに走り、変装してジャズボーカルを歌うなどの奇行もあり、正当な評価を受けなかった。いくら道を外れても、ウィーンという町に育ったせいで、クラシック音楽の神髄が体の中に自然と身についている。

グールドもそうだが、演奏はやはり晩年のものが聴きごたえがある。死後になって、生前には発売されていなかった(本人が許可しなかった)録音が発売されているが、やはり、全般に良い演奏とは思えない。

グレン・グールドは、普通に弾けばそれでも十分にうまいのにといわれる。本人も言っているが、グールドのモーツアルトは奇をてらっている。これは何故なのか考察してみたい。

まずは、グールドの演奏スタイルが他のピアニストとどのように違っているかを考えてみよう。

第一に昔からの演奏と同じ解釈をするのは、意味がないと考えていた。彼の関心は、先入観にとらわれることなく、独創性を持つことだ。楽譜を完全に暗譜し、自分のものにし、作曲家すら考えなかったような奏法の可能性を検討する。録音前2週間ほどはまったくピアノを弾かず、頭の中で音楽を鳴らす。スタジオには10種類以上の奏法のアイデアを持って入る。このため、作曲家が指定する速度や強弱の指定は守らない。スタジオに入ってから、これらのアイデアをいくつものテイクをとって試してみる。こうして何十、何百と取り直しながら、また、良いパーツを切り張りしながら、やっと気に入った演奏に仕上げる。

第二にグールドは対位法を用いた曲を好んだ。ところが、モーツアルトの曲は対位法的要素が少ない。美しい単一のメロディーを楽しむのが普通なのだが、グールドはこれを意図的に複線にする。楽譜に音符を加えることで、対旋律(ポリフォニー)を作り出す。このことで「再作曲家」といわれる。

第三にタッチの問題がある。グールドの弾き方は、師ゲレーロから教育されたもので、フィンガータッピングといわれ、驚くほど低い椅子に座り、手首と指を平行にして指を滑らすように弾く。このフィンガータッピングは、鍵盤を押したときに自然に指が戻る動きを高度に訓練したものだ。このため、決して指先を鍵盤上から叩きつけるような弾き方をしない。高い姿勢から腕を振り下りすような弾き方をすれば爆発するようなフォルティシモを出すことができる。グールドの奏法は鍵盤を叩きつけないので、段丘状にフォルテを表現している。

こうしたことから、グールドの演奏は普通から非常に遠く離れたものになっている。極端な速さで弾く。耳の方がついて行けないくらいに早いこともある。遅いものは極端に遅かったりする。グルダは、オーソドックスに常に一つのメロディーを浮き上がらせ、聴く方もそのメロディーを追っていく。グールドは、伴奏の低音部の方を強調したり、メロディーの裏で違うメロディーを歌わせる。モーツアルトのように美しい一つのメロディーの流れを楽しむとき、他の旋律が被さってくるのは、煩わしく感じることもある。また、先ほどのフィンガータッピングでは、爆発するようなフォルティシモを出せない。このために曲の強弱は、グルダの方が大きい。グルダは、高温のメロディをフォルティシモで弾く時に鍵盤を明らかに叩いており、「キン」という鋭い音を出してるが、グールドの弾き方ではこのようなダイナミックな音は出せない。現代の高性能のピアノでは大きい音はより大きく、小さい音はより小さく弾くことによってダイナミズムを出しており、当時のフォルテピアノとは性能が比べ物にならない。そういう意味で、グルダの演奏は、モーツアルトの美しいメロディーと緊迫感に浸ることができるが、グールドの演奏では浸ることは出来ずに、覚醒させられる。 

ここで疑問がわいてくる。グールドは、奏法の制約から爆発的なフォルティシモを出せなかった。それ故に、普通の演奏をせずに、人とは違うアプローチを取らざるを得なかったのではないか?

モーツアルトは古典に分類されるが、それ以降のロマン派の作曲者たちは、対位法を離れ、メロディーと伴奏による曲作りをしている。グールドは、このロマン派の曲を全然弾いていない。対位法の要素がないから興味を持てなかったというのもあるだろう。だが、爆発的なフォルティシモを出せなかったので弾かなかったのではないか。

かくして、グレン・グルールドのモーツアルトのピアノソナタは従来の演奏のアンチテーゼとなる。