グレン・グールド考 再No.3(天才の育て方)

グレン・グールド伝(ピーター・F・オスとウォルド)を読んでいる。まだ、途中なのだが、面白い逸話がたくさん出て来るので、天才がどのようにして生まれるのかを考えてみたい。

グレンの母フローラ、父バートともに敬虔なキリスト教徒だったが、ともに音楽が大きな比重を占めていた。フローラは声楽と器楽を学んでおり、教会のオルガニストでピアノ教師でもあった。バートはフローラより9歳年下だったが、音楽を通して二人は知り合った。二人とも合唱にも加わるほど、歌がうまかった。バートはヴァイオリンも弾いた。フローラは、何度か流産を繰り返したのちに40歳でグールドを出産する。

妊娠中から、フローラは胎児に良い影響を与えるためピアノを弾き、歌い、ラジオやレコードの音楽を聴かせていた。彼の意識に音楽が浸透していくと信じていたし、もちろんグレンが生まれると音楽に関するものなら、知るものすべてを教えようと思っていた。彼女は人への接し方が冷淡だといわれるが、音楽は非常に大きなウエイトを占めていた。ー『フローラはグレンが「特別な子供」となり、将来、音楽を通して世界に多大な貢献をすることを常に願っていた。』(前掲書より)

やがて、実際に特別な子が生まれる。息子は言葉を話せる前に、楽譜を読めるようになる。絶対音感を持っていることもわかった。フローラはピアノを厳しく教えた。父親バートの存在は薄い。

グレンの音楽に対する才能は、目覚ましく伸びていく。

一方で、グレンは生まれながらに普通の子供ではなかったし、その程度は年齢を経るにつれて顕著になっていく。父親が、1986年(グレンの没後4年)にフランスで行われたグールド展のパンフレットに次のように書いている。『祖母の膝に乗ってピアノに向かえるようになるや、大抵の子供は手全体でいくつものキーを一度に無造作に叩いてしまうものだが、グレンは必ずひとつのキーだけを押さえ、出てきた音が完全に聞こえなくなるまで指を離さなかった。』(前掲書より)グレンが8歳になり、パブリックスクールに通うようになった時期、学校で一番苦手だったのは授業よりも休み時間、昼食の時間で、周囲の粗暴な同級生たちとはうまく付き合えなかった。一番苦手だった科目は、音楽だ!音楽教師(ミス・ウインチェスター)の指導にしたがって生徒たちが簡単なカノンを揃って歌うとき、わざと『半音階的興趣』を加えて歌う。これに怒った女教師は、彼の頭の上にチョークの粉を降りかけた。

子供の頃から処方薬を手放さず、アスペルガー症候群といわれる。長じては、不安症、心気症、パラノイアといわれ、栄養剤、抗不安薬、睡眠剤に頼った昼夜が逆転した生活を当然のように送る。食事や服装には全く興味がない、

グレンは10代に入って20歳までプロのピアニスト(チリ人ピアニストのアルベルト・ゲレーロ)の指導を受けるようになり、バッハなどとともにシェーンベルクなどの現代曲も身に付けていく。母フローラの価値観には、現代曲がない。だが、自我が目覚め始めたこの時期、母を否定する形で二人は衝突する。父親たちと行ったボート釣りで、グレンが魚を逃がそうとし、みんなにグレンは揶揄される。それを機にグレンは動物愛護を主張し、父親が好きだった趣味釣りを止めさせてしまう。周囲からは、両親がグレンを尊敬しているように見えたといわれるまでになる。

一方で、音楽は、すべての曲を暗譜で弾き、一度聞いた曲は正確に再現できる。彼の演奏に魅入られないものはいない。即興演奏の名手。ピアノを弾くことが、心休まる唯一の彼の居場所だった。

 

つづく
 

ヴァリラタ国立公園

2014年9月13日ポートモレスビーから車で山道を走ること1時間(約30キロメートル)、ヴァリラタ国立公園の方へ行ってきた。標高が1000メートル近くあり、下界よりかなり涼しい。下は、国立公園から西のポートモレスビー方向へ向かって撮った写真である。雲がかかっているが、主は正面方向の遙か彼方に住んでいる。 Varirata National Park 下の写真が国立公園の入口看板。バスで来る人はバス1台50キナ(日本円で2000円)、外人は一人5キナ(200円)とある。「足跡以外は残すな。写真以外は取るな」と注意書きされている。 Varirata National Park_看板 下はオワーズコーナー(OWERS CORNER)というところから始まるココダトレイルのゲート。太平洋戦争の時、日本軍とオーストラリア軍がこのココダトレイルで戦ったのだ。日本軍は山の向こうからスタンレー山脈を陸路越でポートモレスビーの連合軍を背後から攻めようとした。このゲートはじめ、この場所はオーストラリア軍の戦勝記念碑的施設になっている。 KOKODA Trail 下の写真は、近くにあるシリヌム湖だ。ポートモレスビーの水源でもある。かなりの大きさがあった。 Sirinumu Dam放水口 下の写真は、ダム(湖)の反対側にある放水口である。 Sirinumu Dam 下の写真、だが、なぜだか枝に運動靴がひっかかっている。理由は分からないが、そういえば、靴を放り投げ高い枝にひっかかっているのをときどき見かける。こうすることで、幸運が訪れるおまじないなのだろうか。 ズック靴

グールドが100回見たという「砂の女」(阿部公房)

グールドが100回見たという映画「砂の女」を主が3回見た後で、阿部公房の原作「砂の女」を読んだ。忘れないうちに、ブログに書いておこう。

小説「砂の女」のあらすじは次のようなものだ。

同僚との関係に倦み、家庭にも倦んだ大学で昆虫を研究する教師が、行方も告げずに、真夏の砂丘へと昆虫採集に出かける。シュールなのだが、そこで、村人に騙され囚われの身となる。宿と言われた海辺の家は、砂を20メートルほどの穴を掘った底にあった。その家は防風林の役割を果たしていおり、家が壊れないよう落ちて来る砂を毎晩砂かきをして、砂を外へ出さなければならない。その男はそこで囚われてしまうのだ。その家には、女が独りで住んでいた。男はありとあらゆる方法で脱出しようと試みるのだが、蟻地獄のような砂の底の家から脱出することができない。外界から全く遮断された生活。砂の底の家から外の景色をも見ることができない生活。やがて、男は脱出することをあきらめ、男と女は交わるようになり、砂かきに協力するようになる。8か月たったころ、女は子宮外妊娠による激しい腹痛をおこし、村人に布団にくるまれモッコに乗せられ病院へ連れていかれる。縄梯子が残されたままになっており、男はその梯子を上り約1年ぶりに外の海の様子を見る。だが、「逃げるのはいつでもできる」と、穴の底へ戻っていく。その後、7年経ち、家庭裁判所が失踪者としての審判を下し、とうとう、その男が戻らなかったことが読者にわかる。

この小説で描かれているのは、誰もが求める自由とはどんなものなのかを考えさせるものだ。家庭と職場を行き来し、電車に乗り、新聞を読み、あれこれ批評する自由。それがいったいどういう価値のあるものなのか。男は自由を奪われ、囚われた男が言う『サルでもできる』砂かきを行う。空を見上げることができるだけだ。そうした中で、砂の下で毛細管現象により水が貯留する現象が起こることを発見するのだが、これを最初に報告するのにふさわしいのは、ここの村人たちだと考える。価値観が徐々に変わっていくさまがうまく表されている。

映画の方は1964年に公開され、カンヌ映画祭で審査員特別賞を受賞している。主人公仁木順平を岡田英次、女を岸田今日子が演じており、いわゆる不条理劇なのだが、エロチシズムをはらみながらリアリティのある作品だ。原作の方も英訳が1964年に行われたのをはじめ、20数か国語に翻訳されている。

また、この映画の音楽は作曲家・武満徹が作っており、オリジナルな現代音楽で、場面にふさわしい、場面にすっかり溶け込んだ魅力に溢れている。グレン・グールドはこの映画を100回見て、プロットのすべてを理解したといわれるが、武満徹の音楽の素晴らしさもあったのは間違いない。

アマゾンのDVDのジャケット

砂の女

グレン・グールドの映画「ヒアアフター(時の向うへ)」で、次のように語るくだりがある。

「僕は刑務所の囚人になってみたい。もちろん潔白の身であることを条件にしてだ。なぜならアルコールの消費やすべての競争を拒む清教徒として、西洋では優越視されている自由の概念に僕は賛成できないから。ある運動が自由を得た時、しばしば無益な大騒ぎになり、社会から容認された言論の暴力に終結する。だから禁錮は自己の内部の可動性を測るのに適している。とはいえ、魂が自由に呼吸できるように、僕は看守にいくつか注文をつける:独房の壁の色は灰色に塗ること、煖房と換気のシステムは僕自身が調節できること。僕は気管支炎にかかりやすいから」

グールドは大衆が嫌いだといっている。アスペルガー症候群で他人の心が理解できなかったのかもしれない。大勢でいると居心地が悪くなり、二人を好んだ。また、直接話すことより、電話で話す方が好きだった。芸術家の特権は、世俗と距離を置けることにあるとも言っている。

おそらく彼は大衆が好む『自由』は、無益な大騒ぎをするだけの値打ちしかなく、言論の暴力に向かうのみで、何も生み出していないと看破していたのではないか。逆説的だが、自由を奪われた時にこそ、どのような精神的活動ができるのかはっきりとわかると考えていたのだろう。

 

 

 

円安と株高について

アベノミクスが始まってすぐに円安と株高がおこり、株高の資産効果で大手企業は業績が回復し、デフレから脱出できるかどうかという正念場にきている。円安の水準も2週間ほど前までは102円程度だったのが、109円へと大きく円安に変わってきた。(経済にうとい人のために説明を加えると、1円当たりのドルの値打ちが下がっているので数字が大きくなると円安だ)

ここへきての円安は、アメリカが金融の量的緩和を止め、やがて金利をアップすると発表したからだ。世界のお金は、基本的に安全で利回りの良い通貨が買われ、その結果、その通貨は上昇する。アメリカが景気回復し、金利が上がるとなると投資家は円を選好するよりドルを選好する。金利だけではなく、政府が弱体化すると投資家の不安心理が働くので売られる。ロシアがウクライナの旅客機墜落以降、西欧社会から切り離された。このような状態になるとロシアのルーブルは売られて安くなる。日本にとってもこうした原理は同じだが、地勢的な不安が少ないこと、財政状態は悪いものの国債が国内で消化されており、世界全体を見渡せば相対的に大きな問題が少ない。

このためにややもすると円高になってしまうのだが、アベノミクスが量的緩和により円をマーケットに大量に供給しはじめたので円安が起こった。これは民主党政権時代に80円以下までに上昇した局面に比べると50%の円安であり、国際競争力が50%アップしたと考えてもいい。実際は、これまでの円高にたいする対処策として生産拠点を海外に移した企業も多いので、それほどストレートではない。しかし、全体として見れば円安は日本の国際競争力を増すと考えるべきだ。また、逆にリーマンショック前の水準である120円程度まで円安が安定的に進めば、海外に生産拠点を移した企業の日本本土への回帰現象が起こるだろう。そうなると日本の地方でも雇用の場が復活し、競争力もアップし、いいことづくめだ。

ところが、相変わらず日経新聞などでは円安のネガティブな面ばかり強調し、ポジティブな記事を書くことは少ない。円安は大企業は儲かるが、輸入コスが上がる中小企業は赤字になるとか悲観的に書いている。アベノミクスの狙いは緩やかなインフレであり、そのような状況になれば価格に転嫁し、相応の値上げは望ましいのだ。相変わらず株価の上昇は円安を好感したとか、スコットランドの独立が認められなかったとか的外れなことに要因を求めている。決して、円安になったから株価が上がったとは書かない。

主のブログ「『日経新聞の真実』ーー真実は無視される」でも同じ趣旨のことを書いたが、日本の株価総額の40%は外国人が保有しており、日々の売買高の60%は外国人である。外国人といっても投資ファンドだ。この投資ファンドは世界中の投資先の割合を世界情勢に応じて決めており、例えば2割を日本株、ヨーロッパ市場を何割、アメリカは何割、東南アジアは何割とかポートフォリオを決めている。政治が不安定になれば、その割合(ポートフォリオ)を減らすのだが、日本は特に大きな悪材料がいまのところない。その状態で円高になると、外人投資家にとってみると自動的に利益を得ることになり、日本株を売る。逆に円安になると外国通貨で換算した株価が自動的に下がり、ポートフォリオを一定に保つよう日本株を買う。

この売買は、外人の個人投資家がやっているのではなく、ファンドであり、1秒間に数千回も売買できる高速コンピュータがやっている。コンピュータプログラムが動かしているのだ。

しょせん、世界中どこでも株価は、個人投資家たちが売買して値上がりしたり値下がりしたりするものでは、もはやないのだ。

もちろん、これは日経平均株価をいっているので、個別の銘柄では全体が値下がりしている局面でも値上がりするものはあるだろう。だが、真実に目を向けないのは間違っている。サブプライムローンの時もそうだったが、コンピュータプログラムは振幅を必要以上に増幅する。我々は、瞬時のカタストロフィー(崩壊)の可能性を思うべきだ。たとえば、原理主義イスラムと米欧の対立が行きつくところまでいけば、コンピュータプログラムはいっせいに狼狽(?)売りに走るだろう。

PCオーディオの話 (再)

30年前に決められたCDの規格は44.1KHz、16bitである。これをざっくり説明すると、サンプリングと言うのだが、1秒間を44,100分の1に分割し、65,536(16bit)種類の音、デジタルで表現していることになる。音は波の形で表現できるが、44,100分の1秒ごとに65,536の音色で表現されながら、もとの演奏を再現している。これが、30年前の規格なのだが、600MB(メガバイト)のCDに70分程度の演奏が入る。

ところが、コンピューターの発達の過程そのままに、コンピューター発展の初期段階ではCDの規格を圧縮する技術がもてはやされた。例えばMP3という規格がそうだが、圧縮したり耳に聞こえない成分を捨て去ることで、データのコンパクト化が行われた。こうすることでCD1枚に千曲も入るということになる。(その分、音質は犠牲になっている)

一方、現在ではコンピュータの性能も上がり、インターネットのスピードも格段に向上した。実際の録音の現場では、サンプリングの精度が格段に上がり、192KHz、24bit以上になっている。これは、先ほどと同じ表現をするならば、1秒間を192,000分の1に分割し、16,777,216(24bit)種類の音で表現していることになる。1秒間を分割する割合で4倍強、音の種類で256倍ということになる。それなら、1000倍ほどの情報量になり、データの大きさも1000倍になるかというと、CD(600MB)に入っていたものがDVD(5GB=CD約8枚分)に入る程度で済むようだ。これくらい現在の録音は情報量が違うのだが、30年前の規格であるCDで発売するためには、せっかく良い音質で録音したものをわざわざダウンコンバートしているわけだ。そこで、録音された情報量そのままに聴きたいというのが人情である。そこで最近はやりだしたのが、ハイレゾ(High-Resolution Audio)だ。一般的な入手方法はインターネットからのダウンロードである。

昔と比べてインターネットのスピードも速くなり、ハードディスクやUSBメモリーなどの記憶容量が格段に増えた。これまでの制約がなくなったのだ。

そうした原理的なことに加え、音楽データをパソコンやホームサーバーに入れたり、携帯パッド(スマホなど)にいれ、USB接続、LAN接続、bluettothやWiHiで飛ばし再生するのだが、これには大きなメリットがある。

まず第1にCDプレイヤーが不要になることである。最近ではデジタル出力を備えたCDプレイヤーもあるが、一般的にはCDプレイヤーの出口でアナログ変換がおこなわれ、この段階で音の劣化が始まる。CDプレイヤーの後段に接続するアンプをいくら高級品を使おうと接続に安物のケーブルを使えば、それがボトルネックになる。CDプレイヤーには高級品は数十万円するものがあり、デジタルのままデータを出せば(USB接続、bluetoothやWiHi)、音の劣化がない。第2のメリットはCDのようにいちいちディスクを交換しなくとも、パソコンの画面から簡単に選曲できるし、スマホのような端末ではさらに便利だ。

次のリンクは、再びオーディオの世界へ参入したソニーの製品のリンクだ。残念ながら、超高級品というわけではないが入門機としては十分、手ごろだろう。これまでのアナログの機器とは音が明らかに違う。写真はハイレゾウォークマンだ。近い将来、こうしたウォークマンのような専用機ではなく、スマホでハイレゾを再生できるようになるのは確実だろう。インターネットのクラウドにデータを置き、スマホでハイレゾを楽しむということは、今でも可能だろう。また、パナソニックが昔のブランドであるテクニクスを復活させるというニュースもある。日本はまだだがヨーロッパが先行するようだ。この発表を見ていると、高級品は500万円!、低価格品は50万円というから力の入れ具合が、わかろうというものだ。この高級機とハイレゾを組み合わせると次元の違う音が鳴るのではないか。ソニーとテクニクスでは路線に違いがあるようだが、世界中を席巻してもらいたいものだ。

残念ながら、パプアニューギニアで暮らす身にとっては、YOUTUBEの再生もままならず、当面無理だなのだが。

http://www.sony.jp/system-stereo/lineup/high-reso.html

sony

 

 

この経済状況で消費税を上げようというのは間違った判断だ

アベノミクスが始まって約2年、この経済政策は成果が上がっているといって良いだろう。長年のデフレから抜け出せるかもしれない。アベノミクスのブレーンは、政府で参与をされている浜田宏一氏だ。この先生は、アメリカのコロンビア大学で研究し、金融論(マネタリスト)の分野で最先端を行く研究者だ。

民主党と政権を争った2012年末、安倍晋三が「輪転機をぐるぐる回して、日本銀行に無制限にお札を刷ってもらう」(2012年11月20日朝日新聞)と発言した。主はこの発言を知ったとき、裏にはきっとブレーンがいると感じ、何十年も読んでいない経済学書を改めて読みたいと思った。わかってきたことは、日本の経済学者は世界の先端理論からすでに取り残されており、数学的に考えない昔ながらの観念論主体、旧態依然とした御用学者の集まりになっているということだ。世界の経済学は、ノーベル賞も受賞したクルーグマンやスティグリッツなどアメリカの経済学者が先頭を走っていた。(もちろん、彼らも日本同様、アメリカでもいつまでたっても過ちを認めようとしない学者たちの存在に苛立っている)

クルーグマンは10年以上前に、ちょっと難しい表現だが「日本は『流動性の罠』に嵌っている」といい、その処方箋を述べていた。「流動性の罠」と言うのは、不況の時に政府は景気刺激策として金利を徐々に下げていくのだが、金利は当たり前のことながらゼロ以下にすることができない。日本はその時デフレだったのだが、デフレ下では金利がゼロでも、実質的に手持ちの現金の価値は上昇していくことになる。そのような状態では、お金を使うより、時間が経てば価値を増していく手元の現金を持っている方が有利な判断となる。そのような時(『流動性の罠』の状態)には、通貨の供給量を増やせと言ったのだ。そうすることにより、供給量が増えた通貨のために通貨安(円安)になり、日本の産業が国際競争力を回復し、緩やかなインフレ(インフレ期待)により負のスパイラルから抜け出せるというものだ。

反対論者は、この方法はハイパーインフレが起こり、国債は暴落、金利が急上昇するといって警告することが常である。しかし、こんなことは起こらない。太平洋戦争の時にそうなったからといって、現在の状況は全く違う。通貨供給量も金利も政府が決定することができるのだ。

やがて、浜田宏一氏を知ることになった。安倍首相のブレーンとして金融の量的緩を主張した人物である。日本銀行総裁候補にも上がったが、高齢を理由に固辞された。この浜田氏が、今年4月の消費増税の時に、当然ながら反対論を唱えられていた。消費増税は「風邪で熱のある選手に、体を鍛えるために運動場を走ってこいと言うようなものだ」と主張していた。一方、先のクルーグマンは、もし景気にマイナスの影響を与えず増税したというのであれば、毎年1%ずつ上げる方法もあるともいっていた。しかし、世論は1%ずつ上げるのは技術的に困難といい、税率は5%から8%にあげられた。そして、現在の状況は、今年3月末の駆け込み需要の前の状態に戻らず、あきらかに増税の悪影響が出ている。しかし、マスコミは消費増税だけではなく、夏の気候不順を理由にしたりする始末だ。

この停滞状況で谷垣副総裁をはじめ多くの人が、来年の消費増税の容認発言を始めている。彼らの主張は「日本が増税しないことは、財政再建をしようとしない姿勢であり世界から信用を失う」「求められる社会福祉が実行できなくなる」というものだが、これらはほとんど脅しであり、既得権益を持つ財務省の刷り込み、マスコミの間違ったプロパガンダだ。政府の借金を、家計や企業の赤字と同じように例えるのは間違っている。財政再建は景気が回復してからじっくり取り組めばよいのだ。景気が回復すれば、税収の自然増(実際に2013年度は自然増がかなりあった)があり、緩やかなインフレが起これば過去の借金はその分軽くなるのだから。 過去20年の不況を考えれば、日本政府、日銀は景気を冷やす方法ならいくらでも知っている。(これは皮肉です)

9/16 パプアニューギニア 独立記念日

39年前(1975年)の今日、9月16日にパプアニューギニアはオーストラリアの委任統治から独立した。今日は独立記念日で祝日であり、各地で催しが行われた。

主は、ポートモレスビーにいる同僚など男ばかり6人で、自宅のあるマンションの目の前のエラ・ビーチに出かけることにした。ここは、市内でイベントが数か所あるうちのひとつだ。

ビーチの前の道路を1年以上、毎日車で通勤しているのだが、実は初めて歩く。まずは車をメンバーの合流地点であるビーチの上のホテルの駐車場に入れる。最小の現金と会社が貸与している携帯電話(スマートホンではない)だけを持って、5分ほど歩いてビーチに到着した。下は、会場の人混みの様子である。残念ながら携帯電話のカメラで撮っているのであまり写りは良くないが、込み具合がわかるだろう。

人ごみの外側では、ロープを張ってパプアニューギニアの国旗をあしらった服を吊るして売ったり、地面の敷物の上で、貝で造った民芸品などのアクセサリーなどを売っている人なども大勢いた。下の写真には、子供の服、右のパラソルにもパプアニューギニアの国旗があしらわれている。

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下の2枚が、みんなのお目当てのシンシンの様子である。残念ながら、あまりに人が多すぎて間近まで行くことは出来なかった。草などで作った腰みのをまとって、女性たちが踊っている様子がわかるかも知れない。

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こちらは、会場を見下ろすマンションに住む同僚の家(7F)のベランダから撮影したものだ。マンションは山の上にあるので、会場全体が見渡せる。この方からおいしいコーヒーをご馳走になった。

Photo0014最後は、我々日本人が毎日のように食事をしているレストラン「大黒」のメリーたち。(『メリー』はこちらでは女の子という意味だ。時に奥さんをメリーということもある)普段は、彼女たちがウエイトレスをしてくれる。左の小柄な女の子は、頭がいいのか常にレジを担当している。右の女の子が手に持っているのは、多分、請求書だ。写真を他の男たちもとったのだが、彼女たちははじける笑顔で、実に嬉しそうだった。

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グレン・グールド考 再No.2(PCオーディとお勧め曲)

グールドに熱中するようになったのは、ここ2、3年ほどの事です。私は現在60才ですが、20代の頃は、ピンクフロイド、オールマンブラザーズバンドなどのロック、キースジャレットなどのジャズに熱中していました。1980年代にレコードからCDへとメディアの世代交代があり、ちょうどそのころからクラシックも聴くようになりました。

グールドは、亡くなる直前に録音されグラミー賞も受賞した「ゴールドベルク変奏曲」(1981年発売)を出始めのCDで聴いて、いいなと思っていたのですが、彼の他の録音は1950年代から始まっており、初期のものは、録音状態が悪く敬遠していました。

3年ほど前から(実際はもう少し前だと思います。)、PCオーディオという聴き方が流行ってきました。PCオーディオというのは、CDプレイヤーを使わず、CDの内容をパソコンに書きだし(あるいはインターネット経由でデータをダウンロードして)、デジタル・アナログ・コンバータ(DAC)という機器をつないで聴くのです。この方法ですと、音質の劣化が少なく、安価でも高音質な音楽を楽しめます。もともとCDの規格は30年以上前に定められたもので、かなり以前から、録音時に高音質で録音したデータを、30年前の規格に合うように低品質にダウンコンバートしてCDが売られているのです。

ハイレゾ(High Resolution)という言葉をご存知の方も多いと思います。これはデータ量が多くなり、CDには収まりきらなくなるのですが、インターネットからデータをダウンロードすることで、CDの規格をはるかに超える高音質が手に入ります。ソニーなどはハイレゾウオークマンを発売し、人気が出てきたようです。

このPCオーディオで音楽を聴くと、過去の録音であっても、当時の最高のレベルの機器で再生された音質を簡単に手に入れることができるようになります。安物のステレオ機器の値段で、最高音質の演奏を聴くことができるようになるのです。ざっくり言ってしまうと、録音されたデータとスピーカーから出てくる間には、さまざまなボトルネックが存在するのですが、これらの間をスピーカー以外はデジタル接続することにより、音質の低下を抑えることができるのです。

こうしたことで、「昔の録音でもいい音じゃん!」と思うようになり、グレングールドの音楽の世界に深く足を踏み入れることになりました。昔の録音で、音質が悪くて聴く気がしない、と思っていた音楽も十分に楽しめます。

さて、グールドの魅力の続きです。
普通の音楽はどんなものであれ、主旋律と伴奏という形をとるのが一般的です。クラシックも例外ではありません。ポピュラー音楽もそうですね。かの小澤征爾さんさえ「音楽はメロディー、ハーモニー、リズムから成り立っています」とNHKで言っていました。

ところがジャズやロックを思い浮かべてください。これらの音楽では、異なったミュージシャンが時に主役になったり、脇役になったり、同時に競ったりしています。ジャズやロックは、メロディーもさることながら、この楽器同士(ヴォーカルを含め)の掛け合いが楽しいのだといってよいと思います。

これをグレングールドはクラシックの世界でやってのけた、唯一といっていい人物です。普通ピアノは右手でメロディー、左手は伴奏を受け持ちます。特にモーツアルト以降のロマン派の作品(ショパンやドビッシーなどを思い浮かべてください)はそうなっています。これに対し彼の場合、バッハやベートーヴェンが主なレパートリーですが、10本の指を自在にコントロールしながら、違うパートのメロディーを同時に歌わせるのです。しかもその時、一番重要なメロディーをレガートで強調しつつ、脇役となるメロディーをスタッカートで弾きちょっとコミカルな雰囲気をだしたりします。少しの小節ごとに奏法を変え、音の長さを変え、音量も変えているので聴き飽きるということがなく、常に新発見があります。

この同時に奏でられる複数の旋律のことをポリフォニーといい、ハーモニーとは少し違います。グールドはモーツアルトの曲などでは、主旋律の他に違う旋律(音符)を自分で加えたりしています。このことで『再作曲家』と言われることがあります。また、聴く人を作曲家の気分にしてくれると言われたり、曲の裏側から光をあてたなどと言われます。

では、今回も曲の紹介をしましょう。

1曲目は、バッハの「ゴールドベルグ変奏曲」です。彼はこの曲でデビューし、死の直前にこの曲を再録音しています。まさに「ゴールドベルグ変奏曲」で始まり「ゴールドベルグ変奏曲」で終わったのです。この曲はアリアで始まり、30の変奏曲の後で再びアリアに戻ります。30番目の変奏曲は他の変奏曲とは趣が異なり(クオドリベット)、当時の俗謡が二つ入っていて非常に聴きやすく、終曲直前にふさわしい楽しい曲です。最後のアリアは静かで非常に美しい。
バッハは、この曲をカイザーリンク伯爵が安眠するため作曲したという逸話があります。この逸話は現在否定されているようですが、弟子ゴールドベルグが伯爵の寝室の隣の部屋で伯爵が眠る前に演奏したというのです。

グールドが最初にピアノ録音をリリースするまで、この曲はチェンバロで演奏するのが通例でした。チェンバロはピアノに比べ表現力という点では劣る楽器です。チェンバロは魅力的な音色を持っていますが、音の強弱、音の長さをコントロールできません。これに対してピアノは、全く次元の違う表現力を持っています。バッハの時代になかったピアノの豊かな表現力でこの「ゴールドベルグ変奏曲」を彼が弾き、バッハを生き返らせ、彼に続くピアニストたちがこぞってバッハをピアノで弾くようになったのです。

以下は、バッハの「ゴールドベルグ変奏曲」のYOUTUBEのリンクですが、再生回数がなんと2百万回を超えています!!

https://www.youtube.com/watch?v=N2YMSt3yfko

2曲目は、モーツアルトのピアノ協奏曲24番です。グールドは、モーツアルトの曲に対位法的(ポリフォニーの)要素が少ないので、非常に低い評価をしか与えていませんでした。このため、唯一録音されたピアノコンチェルトです。

ピアノソナタ(ピアノ独奏)の場合、彼は普通のピアニストが弾くような弾き方でも素晴らしい演奏ができたのですが、彼は、旧来と同じ演奏をするなら意味がないと考えており、常に新しい解釈を求めていました。このため、かなりエキセントリックなモーツアルトのピアノソナタばかりです。例えば、最後に「トルコ行進曲」が含まれるK331は、最初まるで近所の子供が弾いているかのようなポツポツとした弾き方で始まり、徐々にスピードを上げ、アダージョの変奏曲をなんと『悪魔的に』アレグレットで弾きます。

さて、肝心のピアノ協奏曲24番はそうしたエキセントリックな演奏ではなく、そういう意味では流麗で、リリカルな、堂々としたノーマルな演奏をしています。(ベートーヴェンのピアノコンチェルトをはじめ、協奏曲を弾くグールドは、全般にノーマルな解釈をしています。彼の頭の中では、ピアノ協奏曲はピアノ伴奏付交響曲であるという考え方があり、ピアニストがオーケストラを凌駕し、圧倒し、ねじ伏せるという昔の考え方ではなく、ピアノを含めたオーケストラ全体が一体となった演奏を望んだのです)ノーマルとはいっても、天才ぶりが十分に発揮された素晴らしい演奏です。

指揮者で、バイセクシャルのレーナード・バーンスタインが、観客がいる演奏会でこの曲を指揮し、第1楽章のカデンツァ(ピアノ協奏曲でオーケストラが休止し、ピアニストが名人芸を披露する独奏部)を聴き、「思わずズボンの中でイキそうになった」とコンサート後のパーティーで打ち明けたという話が伝わっています。(ちょっと下ネタになってしまいました)

以下は、モーツアルトのピアノ協奏曲24番のYOUTUBEのリンクです。この上のリンクはバーンスタイン指揮、ニューヨークフィルとのカーネギーホールでのライブ盤(1959)をリンクしました。こうした録音が今もあることを初めて知りました。下のリンクは、発売されているCDの方で1961年、サスキント指揮、カナダ放送協会交響楽団のものです。録音状態はやはこちらがはるかにいいですね。オーケストラもいいと思います。もし、どちらかひとつだけ聴くなら、下の方をお勧めします。

https://www.youtube.com/watch?v=qV_lnAtLYkU

https://www.youtube.com/watch?v=kNV1icyCTt4

つづく
 

錦織圭 / USオープンベスト4 悲しいNHK海外放送!

錦織圭が2014年全米オープンでベスト4!

衛星のおかげでNHKをパプアニューギニアでも見ることができる。グランドスラムでの錦織の勝利は、やはり他のATPのツアーと比べてずっと大きく報道される。ATPのツアーでは優勝してもニュースのトップに来るということはなかった。

現在続いている、USオープンでは錦織が勝ち進むにつれNHKプレミアムの扱いが徐々に大きくなっていく。とうとう準々決勝で世界ランク第3位のワウリンカに勝利した夜、NHKニュースセンターナイン(NC9)は、トップニュースとしてかなりの時間をあてて錦織勝利を報道した。翌日の準決勝の前のニュースでは、練習風景が放送されていた。

だが、NHKプレミアムは海外のスポーツ報道の大半を見ることができないのだ。海外でのスポーツの動画が始まった途端、静止画に切り替わってしまい、音声だけが流れることになる。NHKは海外から放送権を日本国内向けに買っており、海外に向けては電波を送信できないのだ。日本国内のコンテンツであっても、著作権がNHKがないものも海外で放送できない。

NC9の番組のトップで放送された錦織の勝利は、小学生時代を過ごした故郷松江のテニスコーチや小学生時代の先生へのインタビューがはさまれており、4回にわたってUSオープンの動画が静止画に切り替わっていた。要するに現地USオープンの動画は全く見ることができないのだ。女子ダブルスで勝ち進んでいた伊達公子も同じだ。

実際のプレーをNHKで見たいよう!涙!(^^);; 静止画しか見れないが、日本でも期待が大きく高まっているのは伝わってくる。

幸いなことにパプアニューギニアでもケーブルテレビがありCNNなど多くのチャンネルを見ることができる。EUROSPORTSがUSオープンの放送をしている。今日は土曜日で明日は休みということもあり、深夜2時、ランキング1位ジョコビッチとの試合開始を待っているところだ。祈る、勝利!

 

デタラメ翻訳! 「グレン・グールドシークレットライフ」(書籍について その6)

【グレン・グールドシークレットライフ】マイケル・クラークスン著 岩田佳代子訳 道出版 (3200円税抜)

この本は、デタラメだ。あまりにひどい。しっかり訳していないということもあるし、段落単位で翻訳していないところがある!

ひととおり読んだところで、意味が全く分からない部分がこの本にはあった。54ページ5行目に「興奮した『ゼクエンツ』」と書かれた部分がそうだ。『ゼクエンツ』」とは、なんなのか? 意味が分からなかったので、GOOGLEなどで検索してみたが該当するものがなかった。このため誤植かタイプミスなのだろうかと、その時は思っていた。

その後、原書(英語版)を手に入れ、この部分を日本語版と比べてみた。該当部分がある章は分かっているので、章の頭から比べていった。そうすると、びっくりするような脱落を発見する。段落丸ごと、何十行も翻訳されていない段落があるのだ。原書の28ページ、2番目の段落(16行ある)、29ページの2番目の段落(29行ある)も同様だ。びっくりする!!!!

この章は主に最初のグールドの恋人フラニー・(バッチェン)バローについてページを割いて書かれている。翻訳されていない段落は、トロント音楽院の2歳年上、ソウルメイトのアンジェラ・アディソンについての記述だ。全体の流れを損なわないと考えたのだろうか、バッサリと削られている。

意味が分からなかった「興奮した『ゼクエンツ』」がでてくるところは、原文では、”the jacked-up sequence…”だった。『ゼクエンツ』って何だろうか?と考えてみた。ふと思いついたのが、”sequence”の意味が取れずにカタカナ読みし『ゼクエンツ』と訳したのではないか? と思い至る。

“sequence”を『ゼクエンツ』と訳すのもひどいが、段落を飛ばして販売する、これはあまりに読者を馬鹿にした行為ではないか。グレングールドを聴く人は多いが、さらに踏み込んで書籍を買おうとする人たちは、かなりグールドにハマっている。オタクというのは語弊があろうが、マニアと言ってもいいのではないか。そういう信者たちを騙す、正しい情報が欲しい読者を騙したといわれても仕方ないだろう。

ところが、消息通にいわせると翻訳書にはこうしたことが結構あるそうだ。日本語版を買って、さらに原書にあたろうという人は稀だ。原書で読めるなら、原書を買うからだ。脱力。とほほだ(;一_一)

また、出版社は翻訳の版権を海外から買っているので、他の会社が同じ書籍の翻訳本を出すのは難しいらしい。ますます読者は取り残される。グールドの没後32年、未だに人気の衰えないグールドならではの現象だろう。

 

シークレットライフ