ポートモレスビー バルニ・ダンプサイト(ごみ処分場)

機会がありポートモレスビーの郊外にあるごみ処分場に行く事が出来た。街の中心部から北へ20分程度車で走ったところにある。処分場は、山の谷にあり、廃棄物で谷を埋立て、平地を作り出す計画のようだ。車でダンプサイトへ侵入しようとすると、最奥地に到着するまでにかなり距離がある。

最初の写真は入口から入った途中の光景を車内から撮ったもの。所々で火災が起こって白煙が充満している。処分場の中でごみをあさっている人たちがいる。新しくダンプカーがごみを降ろすたび、ごみの中から役立つものを探しているようだ。探している人の周囲のごみは色が白っぽく見える。

ごみ処分場1現場は非常に蒸し暑い。もともと熱帯の日中は非常に熱いのに、おまけに火災が起こっているのだ。2枚目の写真には、警察車両と現地の女性が写っている。エスコートなしで現地に行くのは危険が伴うため、警察車両の同行を依頼していた。現地の女性たちは、何があったのかと思って集まってきたのだ。他にも大勢このごみ処分場で暮らす人たちが集まってきたのだが、こちらは肖像権を配慮して割愛。

ごみ処分場23枚目に写真は現場を去るときに車中から取った写真。ドラム缶を柱にして、上に板を乗せて家にしている。このような家は多数あり、多くの人が生活している。

バルニダンプサイト1

日本人皆が誤解 「熱帯夜」

「熱帯夜」と言う言葉が天気予報やニュースで普通に使われている。最低気温が一晩中25度以下にならない夜のことを「熱帯夜」と言う。

ところが、これは実際の「熱帯」では起こらない現象で、「熱帯」地方に非常に失礼な言い方だ。熱帯では夜の間に必ず25度以下になる。ポートモレスビーに住んでいる感じでは、日中30度を超えて暑いが、夜は快適で、夜明け直前が最低気温になるようだ。この「熱帯夜」という現象は、温帯特有の現象である。(日本は一年の気温の差が大きいので、「年較差」が大きい。一方、熱帯は「年較差」が小さく、一日の温度差「日較差」が大きい。)

ところが日本では夏になると「熱帯夜」と言う表現が、天気予報やニュースで連発して報道される、おかげで、日本国民の間で、「熱帯」は一日中暑いと思われている。実際の熱帯地方では朝晩は快適なのだ。

あと、日本では四季が美しいことになっていて、桜と紅葉が日本の専売特許のように宣伝される。実際、京都名刹の紅葉や名所の桜が見事なのは事実だが、狂騒曲っぽいと主は思っている。常寂光寺常寂光寺の紅葉。ここは見事だ!

http://homepage2.nifty.com/cub/niwa/jojakoji.htm

如何に死ぬか 「大往生したけりゃ医療とかかわるな」中村仁一

中村仁一さん(73歳)というお医者さんが『大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ (幻冬舎新書)』という本を書かれている。(「年に1度棺桶に入って、横たわって見なさい」とうことを言われています。)

アマゾンからキャッチをコピーをすると — 3人に1人はがんで死ぬといわれているが、医者の手にかからずに死ねる人はごくわずか。中でもがんは治療をしなければ痛まないのに医者や家族に治療を勧められ、拷問のような苦しみを味わった挙句、やっと息を引きとれる人が大半だ。現役医師である著者の持論は、「死ぬのはがんに限る」。実際に最後まで点滴注射も酸素吸入もいっさいしない数百例の「自然死」を見届けてきた。なぜ子孫を残す役目を終えたら、「がん死」がお勧めなのか。自分の死に時を自分で決めることを提案した、画期的な書。大往生今は、昔と違う。昔はみなあっけなく死んでいった。殺されたり、自刃したり、病に倒れたり、飢えで死ぬこともあっただろう。元気な人しか生きていなかったはずだ。

ところが、現在。死ぬのは大変だ。母は、間質性肺炎がもとで亡くなった。幸い、救急車で中核病院の高度医療施設で治療を受ける事が出来、人工呼吸器を取り付け、一命をとりとめた。人工呼吸器は患者にとって非常に苦しく麻酔を併用するため、意志を表す事が出来なくなる。その高度医療施設で容体は安定するのだが、他の患者に対応する必要があるため、2週間ほどで転院を求められた。転院した先の病院では、「意識がないままの状態になるが、人工呼吸器と高濃度の点滴でずっと生かせることができます」と医師から治療コースを松竹梅の中から選ぶようなことを言われた。

最初の高度医療施設の支払いは、150万円程の治療費に対して支払った額は、確か5万円程度。転院した先の病院の方は、詳しく覚えていないがやはり100万円以上の治療費に対して負担した額は10万円程度だったと思う。患者の家族は、治療費が安いことは有難い。だが、残りの大半の額は社会全体で負担しているはずだ。

父は、母をなくす少し前から認知症の傾向があった。そのころ、新聞が大好きだった父から新聞を止めたと聞かされたが、ブログの主も認知症のサインだとは気づかなかった。その認知症の始まりのころ、よく「いつ死んでもええんや」と言う意味のことばかり言っていた。その後、認知症の症状はどんどん進み、いまでは家族のこともわからない。介護付き老人ホームのお世話になっているが、社会の負担は大きい。ホームの料金は20万円程だが、別に介護保険を15万円、他に医療費が毎月10万円ほどかかっている。1か月45万円。介護保険、医療保険の本人負担は1割。本人が負担しているのはホームの費用と保険の1割で、20万円ほど。

医者と治療方針を相談したが、医者は絶対に治療を諦めない。治療を続け、呆けた状態であっても、寿命が尽きるまで穏やかに生かせるのが家族にとっても、医者にとっても、老人ホームにとっても最良だそうだ。父はもう「いつ死んでもええ」とは言わなくなった。「食事は美味しい」と言っている。確かに家族にとっては、父が穏やかに生きていることは嬉しい。だが、おとなしく文句も言わず手のかからない老人の存在は、老人ホームの収益に貢献しているし、医者も毎月収入を得ているのは間違いないだろう。

こうしたことはなかなか語られない。だが、コストはだれが負担しているのだろう?

このような高負担に社会が耐えられなくなってきているのは、間違いないだろう。ブログの主は60歳を過ぎたら健康診断を受けないつもりだ。気が付いたら手遅れ、これが理想だろう。(ただし、実際の主は医者へ足しげく通っており、医者マニアかなと思うほどだ。汗。(^^);;)

テニス 今どきのグリップ

テニスのグリップは今や昔とは様変わりをしている。昔はイースタングリップと言い、ラケットを握手するように握りボールを運ぶように前方にフォロースルーしていた。

昔、サーブアンドボレーは上級者だけのプレースタイルだったが、ラケットが進歩し、今では誰もができる。ラケットの進歩に合わせ、日本の軟式テニスで使われていたウエスタングリップが、硬式テニスでも可能になった。ウエスタングリップは、地面に置いたラケットをそのままの状態で掴むのだが、フォロースルーの方向は前方ではなく、上にすることで、ボールに順回転(トップスピン)が簡単にかかる。トップスピンがかかるという事は、力いっぱい打ったボールが相手コート内に落ちることを意味する。そのウエスタングリップもフェデラーあたりまでで、現在の主流はさらに厚いグリップになっているようだ。

錦織圭と伊達公子の2枚の写真を見ると、グリップの違いがよく分かる。伊達公子はイースタングリップで握っているようだ。錦織圭は、ウエスタングリップでもない。ウエスタングリップよりも厚いエクストリームウエスタンとの中間なのだそうだ。エクストリームウエスタンは、ブログの主がテニスを始めたころに流行ったコンチネンタルグリップの反対側の面を使う。フォロースルーは上と言うより、円を描きながら後ろに振っているように見える。昔と比べると面の角度が180度変わったのだ!!

http://www.tennis-navi.jp/news/images/2013-10-10T001318Z_1_CTYE99900M800_RTROPTP_3_L4N0I000K-TENNIS-NISHIKORI.JPG (テニスナビから)

テニス=上海マスターズ、第12シードの錦織が3回戦進出http://f.hatena.ne.jp/cobayan/20080505061453 (2008年カンガルー国際から)imagesCA4HS8EHエクストリームウエスタン(主は左利き)エクストリームウエスタン

クラシック音楽の愉しみ

ブログの主は、カナダ人ピアニスト、グレン・グールドの熱心なファンだが、彼の演奏を聴いていて、演奏家の演奏だけではなく作曲家に感動することも多くある。

具体的には、ベートーヴェンの曲を聴いているとこんな音が次に鳴るのか、こんな美しい和音をどうして思い浮かべるのか、どうしてこんな美しく転調していくのか、とか彼の才能に感動する。バッハも、当然、尋常ではない。こんな普通のメロディーの中に、予定調和だけではない微妙な音が次々繰り出され、時には時代を超えた音がどんどん出てくる。現代音楽に聞こえることがある。やはり、有名な作曲家の手になる曲は、素晴らしい響きがする。勿論、ロマン派の音楽にその魅力を感じる人も多いだろう。モーツアルトがベストだという人もいるだろう。いや、ショパンだ、ドビッシーだ、ジャズだ、歌謡曲だ・・・どのような曲に、共感するかという事が好みというものかもしれない。

ブログの主は、クラシックギターを20歳前後の時に弾いていた。クラシックギターは豊かな表現力のある楽器で、ベートーヴェンに「小さなオーケストラ」と言われた位だ。しかし、クラシックギターの曲の作曲者には、悲しいかな偉大と言える者は少ない。有名な「アランフェス協奏曲」を作曲したロドリーゴは、一発屋だ。ギター曲をたくさん作曲したソルは、バッハやベートーヴェンなどとは比べるべくもない。「魔笛の主題による変奏曲」と言う名曲があるのだが、原曲がモーツアルトだから(素晴らしい)と言われているくらいだ。このため、クラシックギターの曲は、バッハのバイオリン、チェロ曲の編曲、アルベニスのピアノ曲の編曲などがよく演奏される。(スペインの作曲家アルベニスの曲は、ピアノ版よりギター版の方が原曲と思えるほど馴染んでいる。)

話が脱線したが、音楽を聴くという行為は、響きを楽しむことだろう。他のジャンルはあまり聴かなくなったが、クラシック音楽はやはり素晴らしいと思う。同じ曲を聴いても飽きるという事がない。作曲家が作り出した音の響きに身を任せるとき、感動が訪れる。過去の素晴らしい曲は、人類の遺産だ。

マクラがカビた!

気づいたら、マクラがカビていた!!

どこでどういう風に間違ったのか知らないが、熱帯夜(夜中に25度以下にならない夜のこと)と言われるが、熱帯では最低気温は25度以下になり、そのような現象は起こらない。日本人の多くが、熱帯は一日中暑いものと誤解している。一日中最低気温が25度を下回らないのは、温帯独特の現象なのである。

そういうわけで、ポートモレスビーは、日中は暑いものの、朝晩は結構気温が下がる。一応南半球なので、冬にあたる7,8月頃は、ブランケットの上に布団を二枚重ねにして寝ていた。それでも明け方は寒かった。今は、10月なので夏に向かっている。ブランケットの上に布団が一枚になり、そろそろブランケットだけでも大丈夫な感じがする。ベッドに入るときは結構暑いのだが、夜中に温度が下がり調節が難しいので、思えば汗を盛大にかくことも多かった。

夜は気温下がるので過ごしやすいのだが、湿度が常に85%ある。晴天でもその湿度がある。乾燥機で乾燥させた衣類を置いていると、そのうちしっとりと湿気を帯びてくる。乾燥したパジャマに着替えたいのだが、なかなかそのような状況にはならない。こちらに来て、5か月。スーツ、ネクタイ、セーターがカビたのだが、気が付いたらマクラもカビていた。使っていない革のベルトもカビていた。知らなかった。トホホ(^^);;

マクラのカビ1マクラのカビ2

踏切事故 村田さん

10月1日、踏切内で動けなくなったお年寄りを助けて、自分が亡くなってしまうという痛ましい事故があった。わが身を顧みず人を助けるといことは、なかなかできることではない。政府や自治体も感謝状を出したり、今後は、褒章を与えるということだ。

この事件で感じたのは、この女性の行動もさることながら、お父さんの発言が偉い。事故直後のニュースで、お父さんは「娘はなくなったが、せめてお年寄りが助かったことを励みにします。」との意味のことを言っておられた。この発言を聞き、久しく感じなかった潔さを感じた。その後も、お父さんは「多くの方が娘を悼んでいただき感謝します。」と言っておられる。自分の悲しみを吐露しがちなところ堪え、周囲の人たちへの心配りが先に出てくるところが、最近では少ない立派な方だと感心した。もちろん、娘さんが立派なのだが、お父さんの発言も立派で、世間の共感をこれほど呼んだのだろう。

昨今は、事件や事故の遺族が、いつまで経っても親族の死を風化させまいとする風潮が一般的だ。遺品を横に「心の中では、まだ生きています。」と言う場合が非常に多い。NHKは「風化させない」「忘れない」としきりに報道している。

ブログの主は、昔の日本人は、これほど故人のことを言い続けたのか、とこうした風潮についてかねがね疑問を持っている。当然ながら、故人は帰ってこない。帰ってこない故人のことをいつまでも他人に言われると、同情はできるがどうしようもない。

「水に流す」という言葉があるが、最近、日本人は水に流すという事をしなくなったと感じている。「風化させない」「忘れない」というのは、どこから来た発想だろうか。確かに、教訓を得て今後に生かすことは必要だ。だが、「水に流し」て、また額に汗して働くことが、気持ちよく前進する方法ではないかと思う。また、そうすることで、故人も浮かばれる気がする。読売新聞20131002p37

なぜはまったか!(グレングールド(1932年~1982年)考4)

TOWER RECORDなどに行くとカナダ人ピアニストのグレン・グールドのCDやDVDが大量に販売されている。没後31年になるが、様々にリメークされて発売されおり、人気は衰えない。また、今では値段も安くなって買いやすい。(コンプリートバッハコレクションは、CD,DVD合わせて80枚ほど入っているが、わずか1万円少しで買える。昔、レコードからCDへの移行期、CD1枚3000円以上したと思う。)同様に、書籍も多数販売されており、未だに出版点数は増えている。

グールドは、1955年録音の「ゴールドベルグ変奏曲」でデビュー、名声を獲得するのだが、1982年に50歳で亡くなっている。死の前年に再録音した「ゴールドベルグ変奏曲」が遺作である。この時には、すでに多くの演奏家がこの曲を録音しており、ピアノ、チェンバロ、ギター、ジャズなどもあった。主の音楽CDの棚には、何種類もの「ゴールドベルグ変奏曲」があった。主は、特にクラシック音楽が大好きというわけではなく、音楽は静寂が恨めしい時、この恨めしさをを紛らわせるために流していた。

そうしたゆるいクラシックファンだった主だが、2年ほど前にレンタルで借りた二本の映画DVD「エクスタシス」と「アルケミスト(錬金術師)」をきっかけにして、グールドが音楽鑑賞の唯一の対象となった。ちょうどそのころ「天才ピアニストの愛と孤独」が日本でも封切られ、渋谷の映画館で見て感動した。

これらのドキュメンタリー形式の映画は、グールドの演奏のハイライトともいえる部分をバックで聴かせながら、いろんな人がグールドの印象について語り、出演者全員がグールドを絶賛する。このため、映画を見て、CDを聴く、これを繰り返すたびに彼の価値を、再発見することになる。

徐々に気づいたことは、音楽は耳を澄まして集中して聴くものということだ。音楽は勉強しながら聴くものでもなく、家事をしながら聴くものでもない、車を運転しながら聴くものでもない。耳を澄まして集中しながら聴いた時に感動するし、興奮もする。(そんなこと当たり前と言われそうだが、音楽に集中しつづけることは結構困難だ。)

後に知ったことだが、グールドは6歳の時に同級生と遊ぶことはやめ、対位法を勉強しようと決心する。10代には楽譜を読むことに没頭した時期がある。デビューし、コンサートピアニストとしての名声がピークの時に、コンサート会場でピアノを弾く事をやめ(コンサートドロップアウト)、スタジオを活動拠点にする。この時には、脚本を書き、4人の登場人物の映像と声を重ねるという実験的な対位法的ラジオ≪「孤独」三部作≫、対位法的テレビ≪北の理念≫という番組を作っている。

グールドの関心は和音ではなく、時間に沿って流れる複数(3声から4声)の旋律を、主役を時には並立させながら、また、時には交代させながら全曲を通じて弾くことにある。普通のピアニストは、主旋律だけを強調して弾く。もちろん、主旋律以外も意識しているが、あくまで短い時間だけだ。グールドだけが、対位法の分析しつつ曲全体を再構成して弾いている。頭の中で楽譜を再作曲した人なのだ。時には、作曲者ですら知らなかった良さを聴かせてくれる場合もある。

また、対位法と言えばバッハ。バッハ弾きと言われる所以もここにある。

ブラジル人 vs パプアニューギニア・高地人 何を大切にしているか?

ブログの主は、ブラジルに住んでしばらく経ったころ、『「自分の価値は、他人に優しく出来ることだ。」とブラジル人は考えていますよね?』と日系人のポルトガル語の先生に質問したことがある。その先生は、「確かにそれはあります。」と答えてくれた。ブラジル人は、自分の寛容さを他人に示す機会が好きだ。だから、住んでいても非常に快適だった。

サルバドールの市内を走るバスの中の光景。車を持っている人はバスに乗らないので、バスに乗っている人は、基本的に中流以下の生活をしている市民だ。そのバスに半身が不自由な人や、家族が病気でお金に困っているからカンパをして欲しいと書いたプラカードを持った人が乗り込んできたりする。この人たちは、後ろ扉の方から乗ってきて、他の乗客をかき分けて徐々に前の方に進んできて、停留所二つ位で降りていく。この時、バスの運転手は、この困っている人たちに運賃を請求するという無粋なことをしない。また、乗客も批判めいた声を上げることなく、小銭を出している。カンパされる側も手作りの小物のカードだったり些細なものを配って、ただ貰いしているわけではない。金持でない者同士が、お互いに自然に助け合っている姿を見て、感動した。

同じことについて、PNG人について少しわかってきた気がする。ただし、ハイランドに住む男性に限ってという事か。(PNGは一括りに出来ないので、今後印象は変わるだろうが・・)

ゴロカショーの旅行の際に、アイヴァンさんという現地人ガイドと二日一緒に歩いた。アイヴァンさんは冷静沈着で有能なガイドだった。別れ際に彼の家族の話になり、女房がゴロカに娘を置いて故郷のマダン(ゴロカは高地だが、マダンは海に面している。)に帰ってしまった。PNGでは「女性は男のところで暮らすしきたり」なので女房をマダンへ取り返しに行ったそうだ。そうすると屈強な親戚の男たちが5人出てきてケンカになったそうだ。相手の攻撃を防ぐときにできた左腕の傷を見せてくれた。その傷は2週間前のものだそうだが、鈍器で殴られるのをかばった際に出来たように見え、皮膚の色がそのあたりだけ白かった。その時の生き生きした彼の表情を見ながら、彼らにとって、強い、負けない男であるということが大事なのだと感じた。

下の写真は、アイヴァンさんの案内でゴロカから車で数十分走った村で我々を迎えてくれたサイモンさん。ツーリストが来るたびサイモンさんは、この格好になる。ディズニーランドのアトラクションみたいなものだ。 この洞窟は、入口がわかりづらい場所にありる。また、先祖代々の神聖な隠れ家で、村にやってくる敵をここで隠れて待ち伏せし、相手を不意打ちする。数十年前まで、実際に相手と殺しあったようだ。人肉を食ったこともあるかも知れない。山の山頂では、誇らしげに自分の土地の境界を説明してくれた。

同じ日に行ったマッカーシー博物館では、彼らの遺跡(というよりごく最近までに実際に使っていた品々。驚くことに、あるのは石器までで鉄器や銅器は一切ない。石で造られた斧や、海岸から持ってこられた装飾品・貨幣代わりの貝殻など。)が展示されていた。また同時に、太平洋戦争当時の日米双方の機関銃などの武器や写真が展示されている。ここを案内してくれた現地人が「日本軍は我々を尊敬してくれた。だから、我々も日本人を尊敬する。」と言っていた。

主は、ポートモレスビーでPNG人に英語を習っている。彼は、日本に留学したこともある優秀な人間なのだが、自己紹介の段階で、漢字で自分を「下の人間」だと紙に書いて説明した。(この言葉がどのように彼にインプットされたのか、今の段階では謎。) 彼は、日系の旅行会社に勤めている。英語教師はアルバイトなのだ。(収入の7割が家のローンに消えるという事だ!) 日本のテレビ局がPNGへ取材に来ることがあり、日本語が通じ現地のことがわかっている旅行代理店が必要なため、彼の会社も使われることがある。この取材陣に通訳や手伝いとして同行することが彼の自慢だ。 その彼が、「今日はバス代がないので教えに行けない!」と悲痛なメールを寄越すのだが、その冒頭「私はあなたを尊敬している。」とある。(このメールの前には、「私の携帯電話に200円分チャージしてくれないか」と言うメールが来ていた。勿論、無視したが。) この男、プライドが非常に高いのだと思う。

我々外国人は、街が危険なので警備が厳重なマンションに住んでいる。敷地内には、扉を開ける役目の警備員や新築工事の作業員が、大勢雇用されている。彼らとすれ違う時、車の中から手を挙げて挨拶すると、必ずまったく同じように彼らも手を挙げて挨拶を返してくる。まるで、「俺とおまえは、仲間(one talk =ワントク)だぞ」と確認するようだ。「俺は扉を開ける役目だが、ガードマンの役目をきっちりやっているんだ」と言わんばかりに。

こうした関係は、当然の帰結なのだと思う。彼らは、石器時代に生きていたところ、突然現代社会と出会い、自分の生活環境の激変に困惑している。最近まで、男になるための厳しいイニシエーションを経て、敵の部族を石器で殴り殺し、自分の土地とワントクを守ってきたのだ。そんな彼らが都会でできる仕事は、扉を開け閉めする仕事位しかない。複雑な仕事はできない。これまでと仕事の内容が180度変わったのだ。

仕事の内容が変わっても、依然、彼らが大事にしているものは、強い男であり尊敬されることに見える。女性はどうなんだろう?と思う。

サイモン(洞窟)サイモン(山頂2)マイカーとガードマン

ハイパーマーケット

ポートモレスビーには、巨大なスーパーマーケットが何か所かある。

今回は、ビジョンシティと言う名のスーパーを紹介しよう。1階に売り場やらフードコートがあり、2階には電気屋などの専門店が入っており、3階には映画館がある。

売り場の様子は写真の感じ。大量に商品が並んであるが、日本のような品ぞろえの豊富さはなく同じものが大量に並んでいる。それでも、大概のものは揃う。写真は豚肉と魚の切り身の様子。肉は、日本のような薄いスライスは基本的にない。結構厚い塊である。魚は、写真ではわかりにくいかもしれないが、丸ごと一匹を輪切り(縦切り)にして売っている。肉はまだしも魚を輪切りにして売られていると、さすがにびっくりする。こちらには焼いて食べるという以外の調理法がないのだろう。表示も「魚ステーキ」となっている。現地職員に生魚を食べるか聞くと「そんな恐ろしい(terrible)ことはしない。」との答えだった。

商品は、殆どが輸入品。PNG産は、バナナ、ココヤシ、ヤムイモ、タロイモ、コーヒーぐらい。レタスも、キャベツも輸入品である。輸入品は、中国産、オーストラリア産、ニュージーランド産など。中国産の食品は、調味料、麺類など大きな棚を占めている。おそらく、中華系の人口が多いのだろう。

ビジョンシティ売り場豚肉魚