ビールじゃんけん

ポートモレスビーには、テニスコートが2か所しかないのだが、一つがAviat sport clubである。ここは名前がスポーツクラブと言うだけあって、スカッシュコートやジム、プール、レストランがあり、テニスコート2面がある、

ここで、土曜日、日曜日の午前中に欧米人、PNG人とプレーする。写真に赤いシャツを着た男が小さく写っているが、この男がボス的存在。日曜日はsocialと言って、会員ならだれでも参加できるのだが、土曜日はこの男が9時から12時までコートを貸し切っている関係でこの男の許可がいる。(もっとも普通にプレーできればOKだ。)

土曜日の夕方には日本人会のテニスを2時間やっている。日本人のテニス会は、わが社の社員や商社などの駐在員、PNG航空会社のパイロット、その家族、子供たちも来るので、賑やかかつ和やかにプレーする。テニスでひと汗流した後、盛り上がるのが、ビヤガーデンのようなスペースでするジャンケン。負けると全員の分をおごるというバトルを毎回やっている。ビールを飲むのは大体、6人~10人程度なので、日本円で、3000円程度をおごることになる。大勢でジャンケンをするとアイコが多くなるので、白熱し、声が大きくなるので、周りの店員や客も注目している。ブログの主はこのジャンケンがからきし弱い。何故なんだ!!

ジャンケンは無意識の場合、パーかグーを出してしまう。とっさに出しやすいからだ。当たり前だが、グーとパーだけならパーが勝つ。だが、パーを出しそうな相手にチョキを出せば、必勝法となるはずだと思うのだが、・・ところが負けてしまうのだ。(くっ)

Aviat正門テニスコート(Aviat)

ゴロカショー シンシン2

欧米人が大勢ゴロカショーを見に来ている。アジア人より、白人が多い。出演者にも白人が一人混じっていた。(毎年マッドマンになりに来る日本人がいるそうだが、今回は残念ながら会えなかった。)そして、誰を見ても大変なシャッターチャンス(全員フォトジェニック!)なので、非常に本格的・高性能なカメラを持って来ている人が多かった。

若い女の子は、さすがに上半身裸と言う子は非常に少なかった。10年前に旅行でこちらに来た人が全員が裸だったと言っていたが、年々、世界のすう勢が押し寄せてきたのだろう。やっぱり他の世界を知ってしまうと、服を着てカメラを持っている人の前で、裸は恥ずかしいかもしれない。

男も女も多いのは、顔・全身にペインティングをした豪華・おどろおどろしい仮装系。まったく人間離れしたものに変身しているグループもある。シンシンは、そもそもハレの日にやるものなので、毎日するものではない。戦いに勝った喜びも含まれるだろう。高揚する部族のしるしだろう。

また、会場にやってくる大勢の現地人観客は、乗り物を使ってやってくるわけではない。多くは何時間もかけて、二日、三日!かかって歩いてくるそうだ。現地の日本人から聞いた話だが、ゴロカにやってきたPNG人が、帰りの飛行機が不定期なので5日歩いて家まで帰ったそうだ。そのとき、ビーチサンダルを履いて帰るのは勿体ないので裸足で帰ったそうだ。girls若者

大群衆2緑人

ゴロカショー シンシン

PNGの独立記念日を含む3連休にゴロカというハイランドの街へ旅行した。

ポートモレスビーからゴロカまでプロペラ機で1時間ちょっと。乗客30人ほどが乗れるプロペラ機は驚きの定時運行!遅れることは当たり前、キャンセルも珍しくないこちらの航空機。何かの禍々しい前兆か?

特に禍々しいことは起こらなかった。ともあれ、写真を。シンシンと言うのは英語のsing singからきた言葉で踊りの意味だ。3枚目の写真は、マッドマンと撮ったもの。マッドマンと言う名前も凄い。独立記念日のこの日、全国各地からシンシングループがゴロカに集合する。ショーは朝10時から始まり、夕方まで続くのだが、12時まではツーリストタイム。我々ツーリストは一般の人の20倍の料金を払ったVIP待遇のため、12時までの間、フェンスの向こうの大群衆をしり目にゆっくり見る事が出来る。

料金の詳細は次のとおり。シンシンショーは3日あり、これをすべてVIP待遇で見ると約1万円。2日の場合は7千5百円。1日の場合は5000円。これに対し、12時から入場できる券は1回、250円。

シンシン2シンシン3MADMAN&soichi

トレッキング中に2人殺害

【2013年9月12日 AFP】(一部更新)
http://kizyo.publog.jp/archives/32886314.html
(ブログの主 注:上記のリンクのまるごとコピーです。)

プアニューギニアでトレッキング中のオーストラリア人とニュージーランド人の観光客グループが、盗賊とみられる男たちに襲われ、同行していたポーター2人がなたで惨殺される事件が起きた。被害に遭った観光客らが12日、首都ポートモレスビー(Port Moresby)で恐怖の体験をメディアに語った。

観光客8人らの一行は10日夕方、ジャングルに囲まれた北部モロベ(Morobe)州にあるトレッキングコース「ブラック・キャット・トラック(Black Cat Track)」で、 設営したテントの中で休んでいたところを槍やなた、ナイフなどで武装した6人の男たちに襲撃された。ポーター2人がなたで切り付けられて死亡。1人は、首がほとんど切り落とされた状態だったという。 槍で脚を突かれるなどしてオーストラリア人4人を含む複数の負傷者が出ており、6人は重傷という。

惨事を生き延びたニック・ベネット(Nick Bennet)さんが豪テレビ「チャンネル・ナイン(Channel Nine)」に語ったところによると、 当時は雨が降り出したため、一行は三々五々テントの中で休んでいた。 突然あたりが騒がしくなったが、「誰かが野生のカンガルーでも見つけたんだろうと思った」という。 「それから、何が起きているんだ?と思ってテントから頭を出したら、強い衝撃を(頭に)受けた。撃たれたんだと思った」とベネットさん。 頭から血を流しながら上を見上げると、覆面をした男がすぐそこに立っており、銃の台尻で殴られたのだと分かったという。 男たちがポーターたちに襲い掛かり、なたで切り刻むのをベネットさんは見ていた。「ぞっとする光景だった。(助かった)僕らは実に幸運だった」 一方、同じく生き延びることができたピーター・スティーブンス(Peter Stevens)さんは豪AAP通信(Australian Associated Press)に対し、 襲撃犯らは一行を地面に伏せさせ、荷物を漁ってパスポートから何から奪っていったと語った。男たちはブッシュナイフを手に襲いかかってきたが、うち2人は明らかに薬物の影響下にある状態だったという。

パプアニューギニアからの報道によれば、襲撃グループのうち3人は脱獄犯とみられる。 襲撃の目的は強盗だったとみられているが、トレッキング人気の高まりが地元社会には恩恵をもたらしていないことに反感が広がっていることも背景にあるのではないかとの報道もある。

 

映画「ヴィニシウス」「オルガ」

(2022/8/25追記しました) Brasileiro365という名のブログなのに、ブラジルの話題がないのはどうかと思いブラジルの映画の話などを書いてみる。

「ヴィニシウス」

ブログの主は、2002年から2006年までブラジルの首都ブラジリアに住んでいた。「ヴィニシウス」は2005年に現地の映画館で見た。ポルトガル語が十分にできなかったので映画館ではあまりわからなかったが、2010年に日本でDVDが発売された。http://www.cinematoday.jp/movie/T0007338

「イパネマの娘」の作詞で有名なヴィニシウス・モライス(1913-1980)のドキュメンタリー映画。ヴィニシウスは、ボサノバの創始者、作詞家だけではなく、詩人、作家、作曲家、翻訳家、外交官、歌手、ジャーナリストと多彩でいずれもが一流だ。リオデジャネイロで恵まれた境遇に生まれ、詩人、外交官として活躍するが、次第に黒人の音楽に魅せられ、「一番黒人に近い白人」を名乗り、アフリカ音楽からボサノバを生む。その生き様は、詩、恋、酒と縦横無尽・自由奔放ながら常に時代を先取りした。

結婚生活では9回!結婚する。67歳で亡くなるのだが、60を過ぎて結婚をするのは自分の孫のような娘。その18歳の娘にはフィアンセがいた!常に真剣に恋をした男だ。9回の結婚・離婚を繰り返す。それも10代の娘と真剣な恋をする。そして、何年か連れ添ったら、やはり、娘か孫のような女と激しい恋に落ちる。無限のエネルギーで放蕩としか言えないような人生である。

映画の中で、確かイパネマの娘の作曲をしたトン・ジョビンたち男で酒盛りをしているときに「やっぱり、ナニはでかい方がいいよなあ!」とか大声で磊落に言うシーンが出てくる。やっぱり、大物だ。

 この映画「ヴィニシウス」で、案内役をブラジルの有名な女優カミラ・モルガドがやっている。なかなか落ち着いていて、いい感じだ。次は、このカミラ・モルガドの「オルガ」を紹介する。

「イパネマの娘」の作詞で有名なヴィニシウス・モライス

「オルガ」

カミラ・モルガドは、2004年に公開された映画「オルガ」のヒロインをしている。「オルガ」は、ドイツとユダヤの実在の女性で、ブラジルで共産党活動をし、軍事政権にとらえられドイツ・ナチスのガス室でなくなったという実話に基づく。ブラジルでも、共産党活動があったんですね。 

ブラジルの美しい風景をバックに同じ共産党員同志との幸せなロマンスで映画はスタートする。活動では、プロペラ飛行機でブラジルを移動するシーンが出てくるのだが、眼下の風景が実に美しい。

大衆の前で堂々と演説をしたりするのもつかの間、オルガと恋人は石造りのヨーロッパのようなリオ(だと思われる)の街を、ファシストで反共産主義の官憲から逃げ回る。しかし、二人は追い詰められていく。捕まったオルガは、頭の髪の毛を剃られ、妊娠してナチスが政権を握るドイツへと輸送船で送り返される。あまりに安っぽいテレビドラマの定石のようなお決まりの進行。だけど、悲しく切なく、ロマンチック。やはり、堂々としたカミラ・モルガドの魅力だ。

ブラジルでは、ノベラと言われるテレビドラマが18時、19時、20時と1時間単位で3本の放送される。ノベラは非常に国民に受け入れられていて、とても人気がある。どれもベタで臭い。だが、そこがいいのだ。グローボと言うブラジル一の放送局がやっており、「オルガ」もグローボの作品で、いかにもグローボという感じがする。

映画「ヴィニシウス」と「オルガ」のカミラ・モルガドhttp://www.interfilmes.com/filme_14874_Olga-(Olga).html

以下は、原作本の解説である。

ドイツ人とユダヤ人のオルガ・ベナリオは、20世紀で最も傑出した共産主義活動家の一人であった。組織作りの才能に恵まれ、美しく、意志の強いオルガは、ナチズムとファシズムという世界的な疫病に対抗するために、世界中を駆け巡り、教育し、軍団を活性化させた。19歳のとき、彼女は当時の恋人であった共産主義者の知識人、オットー・ブラウンを釈放するため、大胆な刑務所襲撃の首謀者となった。二人はモスクワに逃れ、国際的な共産主義運動の中で急速に地位を高めていった。26歳のとき、ブラジルの伝説的な共産主義ゲリラのリーダー、ルイス・カルロス・プレステスの護衛に抜擢された。彼は訓練のためにモスクワに連れて来られ、まもなく彼女の恋人となる。二人は偽名でブラジルに渡り、プレステはファシスト政権に反抗する革命を起こした。しかし、数ヵ月後には、二人は警察に捕まってしまった。ブラジルの刑務所で6カ月間、精力的に活動を続けた後、妊娠7カ月のオルガは、危険人物としてナチス・ドイツに強制送還されることになった。1942年2月、彼女はベルンブルクのガス室で死亡した。本書は、『シティ・オブ・ゴッド』の製作陣による新たな映画化に合わせて再版されたものである。(英語版解説のDeepL訳)

しかしながら、パプアニューギニアと比べてずいぶん違うと実感する。(涙;;)

ブラジル映画には他にもとても素晴らしい映画がいくつもあるので、また紹介したい。

おしまい

百田尚樹 「永遠のゼロ」  ポートモレスビー上空の日米空戦

百田尚樹の「永遠のゼロ」を読んだ。「海賊とよばれた男」に続いて、あっという間に読んでしまった。「海賊とよばれた男」は大正時代から、太平洋戦争をはさみ現代へ続く話だが、「永遠のゼロは」特攻で死んだ祖父の人となりを孫たちがかつての戦友から戦後60年経って探し当てるというものだ。

この2冊を読むと太平洋戦争(当時は大東亜戦争)に巻き込まれた日本人がいかに真剣にこの時代を生きたか、涙なしで読めなかった。

それはさておき、太平洋戦争の舞台にパプアニューギニアも含まれることを漠然と知ってはいたが、日本軍航空隊の主要な基地がラバウルで、ポートモレスビーはアメリカ軍の基地のあったところ。 ガダルカナルに日本軍の設営隊がジャングルを切り開き飛行場を作ったとたん、完成を待っていた米軍に守備力の薄い日本軍は、この飛行場を奪われてしまう。日本軍はこのガダルカナルを取り返すために、最悪な戦法、戦力を小出しに投入する逐次投入をしてしまう。日本軍の被害が拡大し、日米最大の激戦地になる。 主人公は、今見ればおもちゃのようなゼロ戦でラバウルからソロモン・ガダルカナル島まで片道約1000キロを飛び、ガダルカナルでわずかな時間の戦闘を行い、燃料を気にしながらまた1000キロを戻るという大変な戦いをしていたのだ。 またポートモレスビーから4000メートル級のスタンレー山脈を越えたところの都市(ラエ)に日本軍航空隊の基地があった時期もあり、ポートモレスビー上空でもアメリカ軍とゼロ戦が空戦していたのだ。

同時に日本軍はポートモレスビーを攻略するため、この4000メートルある山脈を陸路で越えるという無謀な作戦を立て悲惨な結末を迎える。パプアニューギニアは、日米双方にとって重要な地域であり、あまりに悲惨な死に方をした日本人兵の魂が、今でも浮遊しているのではないかと思う。 戦況の悪化とともに、日本軍は「特攻」しか選択できなくなるが、特攻は志願だったのか命令だったのか、現代のテロの自爆とどう違うかを考えることが出来る。

一方で、当たり前と言えば当たり前だが、フィリピンやインドネシアも戦場だった。サイパンやグアムなども同様だ。勿論、アメリカと戦争を始める前から中国とも戦争をしており、その面積はすざましい。もし戦争に勝っていたら、世界1の面積の国だろう。

なぜ、戦争に負けたかということも書かれている。もちろん欧米列強との国際政治に負けて追い詰められた、戦争するという判断自体が誤っていたと思うが、現在の日本人は、当時の日本人のメンタリティ、スケール感を失ったと思う。

地図

ソロモン ホニアラその2

こちらに来てからはじめて知ったが、ソロモンの首都ホニアラがある島の名前はガダルカナルだった。太平洋戦争の激戦地餓島である。そうしたことから今でもその名残がある。

餓島大砲

上は、市内の中心部に残るものだ。

餓島(沈没船)餓島桟橋

こちらは、ホニアラ市街から少し離れたところだ。日本の沈没した輸送船と桟橋だそうである。 

「海賊とよばれた男」(百田尚樹)は、出光興産を作った出光佐三をモデルにした感動的な小説だ。この時代が背景になっている。日本軍は、開戦直後の半年間は快進撃するが、この快進撃の戦勝気分で気が緩み?!、ミッドウエー沖海戦、ガダルカナル島の戦いで大敗。その後優勢に立つことがなかった。 そもそも、日本は戦前の最大の資源提供国であるアメリカを敵に回した戦争をしていた。そのためアメリカに代わる資源の獲得先が必要であり、マレー半島やボルネオなどの太平洋地域から日本まで資源を運べるということが、戦争遂行の絶対的条件である。しかし、欧米列強をはねのけて、何千キロにも及ぶ地域の制海権、制空権が確保できると考えること自体に無理があったと思う。

パプア・ニューギニア、ソロモンへとジェット機で来て思うが、日本を離れてはるばる来たもんだと思う距離である。この時代の日本人の精神力を考えると圧倒される。しかし今なお、現地人と比べると(こういう比較は良くないかもしれないが)生産性という点では日本人はどこへ行っても通用しそうだ。

ソロモン ホニアラ出張

昨日からソロモンの首都ホニアラに来ている。この国No.2のなかなか立派な日系のホテルがあり、今夜は土曜日の夜だけあるという250ソロモンドル(3500円ほど)という破格値の寿司ブッフェをいただいた。白梅という高級感溢れる店構え。寿司ブッフェというタイトルだが、刺身はマグロのみ。刺身のつまが大根ではなく人参だが贅沢は言えない。

白梅マグロづくしマグロ刺身

そばもあった。デザートもあるぞ。見てくれもいまいちだが食べられるだけ素晴らしい!!

そばデザートお客は日本人というより、韓国やタイなどのアジア人が多いように思える 。ちなみに主。

私

ポートモレスビー/オカマの床屋

ポートモレスビーでどこへ散髪に行くか悩んでいたが、先達が行っているという、ちょっと遠い床屋に行くことにした。フィリピン人のオカマと訊いていたが、一目見るなりそれと分かる兄ちゃん(おねえちゃん)だった。ロングヘア。ばっちり化粧をしており、PNGで濃い化粧をしている人はいない。それで、濃い化粧をしているだけで、普通の人じゃない。

テーブル絵

こういう(テーブル敷を撮影)のは、化粧とは言わないかもしれないが、こういうものならシンシンでよく登場する。

さて、この散髪屋、ブログの主の英語力では「ほんの少しだけ髪を切ってくれ。」というのもなかなか伝わらず「not very short」という一言を彼が言うのだが、ブログの主がもごもごいうものの、毎回大胆に切られてしまう。

この店は奥でマッサージもやっており、1時間約5000円でマッサージを受けられる。この国で1時間5000円も稼げる庶民の仕事は他にきっとない。健全なマッサージだが、結構気持ちが良い。日本のショッピングセンターなどのマッサージ店などよりずっと本格的だ。主は、日本で「ヘルニア」「脊柱管狭窄症」と言われ鍼灸や整形外科のマッサージをよく受けていたが、やはり国家免許を持ったこれらに従事する専門家のマッサージがベスト。

我々外人が行く場所は、この床屋、レストラン、ショッピングセンター、テニスクラブなど必ず二重の鉄柵で囲まれている。敷地の内側に鉄柵を開ける警備員がおり、店の扉の前にも鉄柵があり、警備員が二重にいる。現地のパプアニューギニア人の仕事の仕事のほと  んどはこうした警備員だろう。

「日経新聞の真実」(田村秀男) – 真実は無視される

光文社から田村秀男の「日経新聞の真実」という新書が出版されている。著者は、産経新聞に移籍した元日経新聞記者。いわゆる暴露本である。

前半は当たり前のことが書かれており白けた記憶があるが、後半は読みごたえがあった。(副題に「なぜ御用メディアと言われるのか」と書かれているようにマスコミ、財務省、日本銀行が批判的に描かれている。)発刊は2013年3月である。

大体読まなくても内容は判るという人は多いと思うし、そのとおりだ。

ただ、一つ非常に印象に残ったことがあった。 それは、民主党政権時代に円高と株安が同時に起こったが、日本株の半分を所有する外人投資家からみると、円高になると名目(日本円)の株価が同じでも利益が上がることになる。この外人投資はファンドを通じて購入されており、ファンドごとにアメリカ株、ヨーロッパ株、新興国株、日本株などの配分割合(ポートフォリオ)は一定になるようにコンピュータプログラムされている。円高が進行すれば外国ファンドは儲けをを上げることになる。このため、利益が確定するとプログラムはこの日本株の売却命令を出し、円高と株安が同時に起こったように見える。 

現在ははアベノミクスで大幅な円安となり、全く逆のことが起こっているのは周知のとおり。円安になると、外人投資家にとっては評価額が下がり、ポートフォリオも下がるので、プログラムは購入命令を出し日本の株価は上がるのである。もちろん個別の会社事情や業態、日本の輸出依存の体質などの理由もあるだろう。だが、一番大きな理由であるということは間違いがない。近年のマネーゲームは1秒の何千分の1のスピードを単位にしながら、巨大マネーが様々な判断材料をパラメータにプログラムされ地球上を駆け回っているが、どれも似たようなものだ。

外人投資家が半分を占める日本の株価は、為替レートの変動の影響が非常に大きい。言ってみれば、為替が先、株価が後だ。 だが、日経新聞は相変わらず業績の見込みが改善したから株価が上がったという記事を書いている。なかなか、為替の変動に伴う、株価総額の約半分を占める外国のコンピュータプログラムの売買が、最大の原因とは書かない。

アベノミクスが始まって9か月、誰の目にも明らかな相関関係だが、それを書いてしまうと国内の個人投資家は経済新聞を読む意味を失い、個人投資家は証券会社の投資セミナーなどに出かける動機を失うからだろう。