この3月に日本へ帰国する。パプア・ニューギニアには都合2年弱住んでいた。
主は、10年前にブラジルで暮らしていた。ブラジルと違ってパプアは、生活状況が良くない。生活状況が良くない国の生活は、日本人同士の付き合いが全ての面で近くなり、べったりとなる。もう少し詳しく説明すると、ブラジルのような生活に不自由のない国では、日本人同士がべったり付き合わなくとも、単独行動で好きなところへ出歩ける。こういう国では、日本人同士の関係が希薄でも十分に生活できる。ところが、パプアでは治安状況が悪いために単独で街を動き回るということはできない。また、動き回わって楽しいところがないという事情もある。そうした背景から、日本人同士が群れる。群れて、酒を飲んだり、食事をしたり、一緒に運動したり、生活が日本人同士でべったりとなったほうが、さしあたり、充実した生活を送ることが出来る。
ところが主は最後の約半年、周囲の日本人と没交渉になり、私生活ではほとんど独りで暮らしていた。同僚の多数は遅くまで残業しているのだが、主は勤務時間終了とともにさっさと帰ったし、食事を一緒にするということもなくなった。一緒に運動することもほとんどなくなった。
もちろん、周囲の日本人と別段なりたくて没交渉になったわけではない。だが、周囲の同僚とのジェネレーションギャップや、主が基本的に下戸なため長い時間酒席に付き合えないということで、どこかで歯車が狂ってしまい、なかなかもとには戻らなかった。大人の付き合いは、子供のように簡単に仲直りをするという方向に向かわないようだ。一度歯車が狂ってしまうと、疎遠な状態がそのまま続いてしまった。
この一番大きな理由は、「億劫さ」にあるように思える。関係修復するためにエネルギーを出すのが面倒くさい。主はそうだったし、相手もそうだろうと思う。無理してまで、関係修復するエネルギーを出そうとしないのだ。その小さなエネルギーを出しさえすれば「来る者拒まず、去る者追わず」、相互の関係は修復されるのだろうが。