カナダ人ピアニスト、グレン・グールド(1932-1982)は、没後33年経つのだが、正規録音78枚のすべてがリマスターされたCD、ハイレゾファイルやLPレコードが、今秋、再発売されたりして人気が衰えない。
彼は、特にバッハにおいて絶対的な評価があるのだが、バッハの他にはベートーヴェンやモーツアルト、ハイドン、ヒンデミット、シェーンベルグ、ブラームス、シュトラウスなどを録音している。しかし、こうしたレパートリーの中には、ロマン派のショパンや印象派のドビュッシーなどの作曲家がほとんど入っていないことでも有名だ。一般的なピアニストのレパートリーには、少なくともショパン、ラフマニノフはかならず入っているだろう。
こうしたショパンやドビュッシーを毛嫌いして弾かなかったグールドであるが、この二人の作曲家の1曲ずつが、レコードという形ではなく、CBC(カナダ放送協会)ラジオとテレビ向けに残している。1970年7月のラジオ放送でショパン「ピアノソナタ第3番ロ短調作品58」を、1974年2月のテレビ放送向けにドビュッシー「クラリネットとピアノのための第1狂詩曲」を残している。グールドは、1964年32歳の時に公開の場で観客に向けて演奏をしなくなり50歳で没するのだが、これらはコンサートドロップアウト後の38歳と42歳の時にラジオとテレビ向けに演奏したものだ。
下はYOUTUBEの二つの曲のリンクだ。ショパンの方は、演奏に合わせて楽譜が画面に表示され、リズムを崩さないのがよくわかる。
https://www.youtube.com/watch?v=arfYFtc7hlw (ショパン)https://www.youtube.com/watch?v=5btcgRcbZ4s (ドビュッシー)
いずれも、普通に演奏されるスタイルとは全く異なった、グールドらしい演奏を聴くことができる。
ドビュッシーやショパンの演奏は、テンポを自由に変えながら、高音部のメロディーを陶然と歌わせるのが普通だ。左手は、あくまで伴奏であり強調しない。だが、グールドはテンポを崩さず一定のリズムを刻みながら右手と左手の旋律を同等に扱う。時に、低音部の伴奏の方が主役になる。正確なリズムは、行進曲を彷彿とさせる。
ドビュッシーの方は、クラリネットのジェームズ・キャンベルとの合奏であるが、他の奏者と比べると、主客が転倒している。クラリネットはひとつの旋律しか出せないが、息の続く限り同じ強さの音を長く出すことができる。音量もピアノより大きい。それにひきかえ、ピアノの音はすぐに減衰してしまう。YOUTUBEで見つけたほかの演奏では、クラリネットがはっきりと主で、ピアノは伴奏だ。ところが、グールドの演奏は、ピアノへの集中度が半端ではない。ピアノの存在感が違う。大きい。
だが、これら二つの演奏が成功しているかというと、グールド自身も認めているように甚だ疑問だ。
グールド研究の第一人者である宮澤淳一が、ショパン「ピアノソナタ第3番ロ短調作品58」が入ったCDのライナーノーツの中で、カナダ人音楽学者のケヴィン・バザーナの見解を次のように引用している。
「グールドがこれまでショパンを避けてきた大きな理由のひとつは、リズムに対する自分の考えがショパンにそぐわないという事実だった。ショパンの音楽はその場で自然にわき起こるものが、つまり自由なリズムやルバート(「自由な速度で」)が求められるのだが、これはリズムの継続性を強く好むグールドの姿勢は、個々の個所においても、楽曲の構造全体のレヴェルにおいても対立するのである。グールドが好むのはオーケストラを指揮するときのようなリズムの捉え方である。ほどんどのピアニストが、殊にロマン派の音楽において、リズムにおける自由をむさぼっているということをグールドは苦々しく思っていた。グールドは自分のピアノ演奏におけるリズムの哲学についてはっきり述べている。”指揮ができなければ、誤りである”と」
また、1981年のティム・ペイジとのインタヴューで、このショパンの演奏を「あまりうまくいかなかった。2度とショパンを弾く気にならない」と言ったと書かれている。
たしかに、グールドの演奏の特徴の一つは、リズムを自由に崩さないという点がある。複雑なポリフォニーをリズムを崩すことなく、まるでコンピューターのような正確なリズムで弾きとおすところに魅力がある。このリズム感に、リスナーはドライヴ感を感じる。
グールドは、楽曲の構造を明らかにすることを主眼に置き、ルバートすることで曲の構造が見えにくくなることを嫌ったのだろう。これは結局のところ、ロマン派の多くの音楽とは相容れないということを意味する。同時に、逆説的だが、グールド自身があまりにロマン派的人間のため、彼も同じように感情のままにリズムを崩し、あまりに強い主観の泥沼を人様に見せることは、選択として初めからなかったのではないかという気がする。
G.グールドへの愛が全編に感じます。グールドはレナード・ローズとのViola de Gamba Sonataでも共演者を完全に喰っていましたね。
興味深く楽しく読ませていただきました。
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ありがとうございます!!最近も相変わらず、グールドばかりです。また、おっしゃるとおり、レナード・ローズとの共演では完全に喰っていますね。バイオリンのハイメ・ラレードもそうですね。著名なバイオリン奏者のユーディ・メニューインは、「負けるもんか!」という感じの丁々発止さで弾いて、あれもいいですね。結局、みんな好きですね(苦笑)
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