日経新聞のいい加減さ 真逆へ世論誘導

日本は30年来の経済不況と言われている。この要因は、人口減少、高齢化など様々な要因が言われるが、親爺は《為替レート》が非常に大きな要素だと思っている。

日本は第二次大戦後に目覚ましい復興を遂げるだけでなく、《ジャパン・アズ・ナンバーワン》という本がアメリカで出版されるほど好景気に沸いていた。

逆にアメリカは日本からの輸出に赤字が爆増、テレビでは日本からの輸入車をアメリカ人労働者がハンマーで壊すテレビ映像が連日流されていた。

1985年9月、アメリカは、G5である英国、フランスとともに、日本とやはり経済が好調だったドイツを呼び出し、為替レートの切り上げを要求した。この時の会合がニューヨークのプラザホテルで行われたために《プラザ合意》と言われる。もちろん、輸出産業にとっては、為替レートの切り上げは国際競争力の低下を意味する。

この時、日本の政治家と日銀総裁はアメリカの言うことをすぐに受け入れた。為替の《是正》という表現が使われたが、日本のバカな政治家たちはアメリカにやすやすと屈し、円高を容認し、これを機に日本は円高不況へ突入する。政府は円高不況に対し金利を下げたり不況対策を打つのだが、投資先を失った大量の資金は不動産へと向かい、バブルとなる。やがて、ハードランディングしてバブルは弾け、日本の不況は現在まで30年続くことになる。

この時、ドイツもマルク高の是正を求められたと言われている。しかし、EU創設の機運は1970年代頃から始まり、共通通貨であるユーロの開始以前から、欧州地域内の通貨共同フロート・メカニズムのせいで、ドイツの為替変動の幅は抑制されていた。経済のしわ寄せは、域内のイタリアやスペインなどの弱い国へと向かったが、ドイツは、EU域内で有利な交易条件を保てた。

ウィキペディアから プラザ合意の前後5年間のG5の為替レートの推移

上のチャートは、”Plaza Accord”と書かれた水色の破線が縦に入っているが、プラザ合意の前後5年間の為替レートの推移が示されている。対ドルの表なので、ドルが水平と考えたときに残りの通貨の水準がいくらになるかを示したものだ。 赤線がフランスのフラン、紫が日本の円、水色がドイツのマルク、緑がイギリスのポンドであり、アメリカ・ドルに対する比率を示している。 

見てのとおり、日本だけが4から6の水準にあったものが、2以下になっている。つまり、倍以上の円高になったわけだ。

同じ内容だが、円とマルクの為替レートの推移を下に示す。こちらは、1957年から2023年までの推移を示している。

上が1ドル360円時代から現在の1ドル130円ほどへと変化した日本の為替レートの変化である。日本は、プラザ合意を境に、倍の円高になっている。

下が同じ時期のドイツである。目盛りに注目してもらいたいのだが、そもそも日本と目盛りの幅がドイツとは違う。日本は、8倍の差がある。ドイツは4倍である。

似たような印象の二つのグラフだが、1970年代の水準から見ると、日本は倍の為替レートに上がっているが、ドイツは5割増し位である。しかも、1980年頃には現在と同じ水準の時期がある。つまり、ドイツは日本ほど為替レートが変化をしていない。

こうして日本は、為替レートが倍になり、輸出企業は競争力を半分失った。早い話、日本の政治家と日銀総裁たちは、プラザホテルで判断を誤ったのだが、誰も失敗を認めていない。経済専門紙を自称する日経新聞は、円高が契機で始まった不況だが、円高は円の信認が増した、良いことだとずっと持ち上げてきた。

通貨が高かろうが安かろうが国民にとって何の関係もない。通貨の信認が増し、日本の国が国際的に評価されたから円高が起こるという書き方を日経新聞はするが、信用力が上がったとしても、国民の腹は満たされない。そもそも、国際貿易が普通に決済されているということは、円に信認があるということだ。こうして、30年間、国民が円高を喜んでいたら、日本経済は空洞化した。

日本の製造業は壊滅し、ほどんど国内で売られている製品は、中国製などになった。スーパーで売っているもの、100均で売っているもの、非常に多くの品物が輸入品に置き換わっている。ごく一部の競争力の残っている工業製品や食料品などを除き、ほとんどの品が国際競争に負け日本で作られていない。製品だけでなく、無形資産であるデジタルの分野も、世界から2周遅れと揶揄されるほど悪い。

結局、日本は国力を失ったのである。日経新聞の責任は重い。

おしまい

BBC放送『J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル』ジャニー喜多川氏の罪はなぜ免責されるのか?


この似顔絵は、ジャニー喜多川氏の写真の掲載が許されず、BBCの記者モビーン・アザー氏が書いた。

最初に、ジャニーズ事務所とジャニー喜多川氏の成功の経緯をざっと振り返ってみる。その後に、BBCのドキュメンタリー放送が提起している問題点について考えてみたい。

● (1)ジャニーズ事務所の成功とジュニアに対するジャニー喜多川氏の性的行為の強要

彼は一代で、ジャニーズ事務所を立ち上げ、所属するタレントたちの多くを成功させた。ジャニーズは一大勢力を作り、日本の芸能界はジャニーズ事務所抜きでは考えられないほどに成長した。メディアに登場する芸能人のうち、ジャニーズ出身者は非常に大きなウエイトを占める。世界の芸能マーケットの大きさで、日本はアメリカに次ぐ第二位と言われ、その男性アイドルを使った手法を生み出したジャニー喜多川氏の功績が非常に大きいのは間違いない。

ところが、彼はジャニーズ事務所を始めたときから、デビュー前のティーンエージャー、それも10代前半の何の性的経験もない少年たちに対する性的虐待がずっと噂されてきた。「合宿所」と呼ばれている自宅や、コンサート先のホテルにジュニアのメンバーが宿泊する際、夜中になるとジャニー氏が夜這いをしかけてきて、そのまま肉体関係を強要するのだという記事を、「週刊文春」が1999年から2000年にかけ10回以上におよぶ追及記事を掲載した。これを不服として。名誉棄損でジャニー氏側が裁判を起こした。

この裁判の控訴審の東京高裁は<喜多川が少年らに対しセクハラ行為をしたとの各証言はこれを信用することができ、喜多川が少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの本件記事は、その重要な部分について真実であることの証明があった>と認定した。この判決は上告されたが、最高裁が控訴棄却をしたため高裁の判決が確定している。

ジャニー喜多川氏は、2019年6月すでにに死亡した。経営は姉の藤島メリー泰子氏(代表取締役会長)、その娘の藤島ジュリー景子氏へと経営の実権を引き継ぎ、経営の上層部には、ジャニーズ出身である滝沢秀明副社長(40)が就任したものの退陣し、井ノ原快彦氏(46)へ変わるなどゴタゴタが続いている。

この間、「週刊文春」がこの問題を取り上げたが、日本のテレビや新聞社は後追い報道をしなかった。その傾向は、裁判でジャニー喜多川氏のセクハラ行為が認定された後も、「公然の秘密」だったが、報道されなかった。こうした強いものに対する《忖度》の姿勢は、日本のマスコミの根本的な体質と言われても仕方がないだろう。

● (2)BBCの放送

2023年3月7日、BBCのドキュメンタリー『捕食者(Predator):Jポップの隠れたスキャンダル』が、ジャニー喜多川氏の少年に対するレイプ、性的虐待を、英国で放送した。

プレデター(Predator)が『捕食者』と訳されているので、意味をパッと掴みにくいのだが、このプレデター(Predator)は、『弱みに付け込んで他人を利用する人』とか、『性的に人を食い物にするやつ』というような意味であり、今回のケースは、『少年を対象にした性的倒錯者』というのがストレートでわかりやすいと思う。

かなり大きな反響が、この報道で、日本のYOUTUBEなどで引き起こしている。しかし、放送権の問題があるらしく《全編》をただで見ることができないが、アマゾンプライムで見ることができる。 《要約》が、YOUTUBEに何種類も上がっているので、こちらは簡単に見ることができる。《要約》にも、《全編》から切り取った被害者や街頭インタビューなどが流れるのでだいたい正確にわかる。

https://www.newsweekjapan.jp/joyce/2023/03/bbc-1.php ☜「BBCのジャニー喜多川「性加害」報道が問う、エンタメ界の闇と日本の沈黙」

担当したBBCの記者は、モビーン・アザーである。下がモビーン・アザー氏。彼のTWITTERである。

この番組でモビーン・アザー氏が問いかけたのは、次のことだ。 ジャニー喜多川氏の性的虐待は何十年も前からあった《公然の秘密》であり、名誉棄損(民事)裁判も行われて、被害者や目撃者も証言して、性的虐待の事実があったことが裁判で確定していると説明する。それなのに彼が刑事責任を全てを免れ、非難されることもなく、死後数年がたつ今でも、芸能界の貢献者として崇拝されているのは一体どういうわけか、また、日本のマスコミは口をつぐみ、まったく報道しないのは何故かという点だった。そこには、日本人の性質にどのような欧米人と違ったものがあるのかというような切り口である。

このような青少年に対する大規模なレイプ事件は、日本だけではない。ローマカトリック教会の最高の地位にある聖職者たちが、少年少女を対象に性的虐待を行ったことが、明らかになっており、ジェイソン・モーガンさんが「バチカンの狂気」で詳しく書かれている。

https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-47315445 ☜ 「カトリック教会の性的虐待スキャンダル、法王はどうする バチカンで会議始まる」という記事のリンク

アメリカでも、2017年にハリウッドの大物プロデューサーであるハーヴェイ・ワインスタインが、過去数十年にわたって弱い立場にある女性たちに対して性加害を行なっていたことが告発され、逮捕され、実刑判決が下された。

https://front-row.jp/_ct/17445837  ☜ 「女性俳優たちを襲う「枕営業」強要の闇、勲章を受けた大御所の告発すら否定される」フロントローの記事のリンク 

しかし、こちらは、当然ながら日本のマスコミもまともに報道した。

ところが、このジャニー喜多川氏による少年のレイプ事件は、日本の新聞、テレビ、ごく一部の週刊誌を除きまったく報道されていない。

2023年3月7日に放送されたこの番組で、BBC記者モビーン・アザー氏が被害者にインタビューすると、「(もちろんされたことは、正しい事ではないと思っているが)今でも、ジャニーさんのことを好きですよ。お世話になったし、愛情を持っている。」と被害者は一様に答える。

次に街頭を行く人にインタビューすると、その人たちもやはり口を揃えて、「誰もが知っているけど、さほど悪い事じゃない。」、「追及することじゃない。」、「有名になるのが一番の夢で、『枕営業』は仕方ない。」といった反応を示す。

モビーン・アザー氏の問題意識は、「日本でジャニー喜多川氏の性的虐待は公然の秘密であり、それを取り巻く沈黙もまた恐ろしい。」、「インタビューを受けた人に失礼だが、彼らの言うことを理解できない。」「日本に正義を求める動きはまったく見られない。」「日本には問題に取り組む気がないのだろ。」という。 同時に、彼は日本人のこれら反応が、「予想外」であり、「落ち込んだ」ともいう。

都心に大きなビルが聳え立っているのを見ながら、「これは日本社会が見て見ぬふりをしている結果だ。今回、警察をはじめとして芸能リポーターや音楽プロデューサー、新聞、テレビ局にも取材を依頼したが、すべて拒否された。ジャニー喜多川氏は他界してもなお守られている。」(2019年のお別れ会では国民的英雄として首相から弔電が送られている。)「そして子供を守る必要性は十分に認知されていない。それが何よりも残念なことだ。」

こうした指摘に加えて、グルーミング[1]を指摘する。グルーミングとは、弱い立場にある年齢のいかない少年少女を性的に支配する際、支配する側が、支配される側をそうした行為が精神的に悪いことではないと思わせて支配を続けることを言う。それが今回の事件でもあると指摘する。

● (3)結論

このようにBBCのドキュメンタリー『捕食者:Jポップの隠れたスキャンダル』は、異常な性的犯罪がなぜ日本で見過ごされているのか、日本人のメンタリティーを問う方にウエイトがある。

親爺が思うのは、まったくBBC記者モビーン・アザー氏の言うとおりだと思う。

日本に正義や公正があるのか怪しい。特にマスコミは《報道しない自由》を発揮し、重大で肝心なことを報道せず、どうでもよい芸能人や政治家の不倫報道などやりまくる。そこらじゅうで、力のあるものに《忖度》し、それでも平気のへいざ(「平気の平左衛門」)を決め込んで情けないと思っている。

ただ、一方で、欧米の価値観である《自由》《平等》《民主主義》などが、本当に普遍的なものかどうかという点については、怪しいと親爺は感じている。むしろ、明治以前の日本にある考え方の方が普遍的ではないかと思ったりする。

それら両方を考えても、やはり《今の日本》はおかしい。ジャニー喜多川氏が、刑事責任を追及されなかったのもおかしいし、テレビや新聞社が、影響力の大きさにひるんで報道しないというのは、マスコミの責任や矜持を放棄しているのに等しい。また、日本人全体で見たとき、ジャニー喜多川氏の行為が《公然の秘密》と言いながら、多くのスターを育てた功績の前に、性的虐待が《仕方ない》と街頭インタビューで語るのも、世界的に見れば、異常だというのはよくわかる。海外の目からすれば、「日本人全員が、狂っている。」と見えるだろう。

長いものに巻かれて、それを良しとする国民性ということになると思うが、つまり《負け犬根性》が染みついているということだと思う。

おしまい

[1] グルーミングとは、もともと「(動物の)毛づくろい」という意味だが、性犯罪の文脈においては、子どもへの性的虐待を行おうとする者が、被害者となりうる人物に近づき、親しくなって信頼を得る行為をさす。チャイルドグルーミングとも呼ばれる。グルーミングは、加害者が被害者に性的虐待に同意するよう強要し、逮捕される危険を減らすために用いられる。幼い子どもに対して最も多く用いられるが、10代の若者や、大人も同様な危険に晒されることがある。家族や親しい友人、コミュニティのリーダーなど、被害者と自然に接することのできる関係のある人物がグルーミングの加害者となり得る。https://ideasforgood.jp/glossary/grooming/

《ホス狂い》のトー横キッズたち 若者よ、日本を捨てろ!脱出せよ!

● 日本で生まれた若者のうち、半数以上は希望がない。ひと月働いて、20万円になるかならないかの給料しかもらえず、税金や社会保険料を引かれると、手取りは15万円程度にしかならない。そんな金額では、家賃、食費などの必要経費を払うと、趣味や好きなことに使うお金は全くない。貯金もできない。 大学に行ったとしても、卒業時にに《奨学金》という、実際は借金である《学生ローン》を抱えた卒業生たちが5割に上り、平均300万円のローンを抱えて卒業する。

● この《学生ローン》を抱えた卒業生は、ハンディキャップを抱えて、はるか後方のスタートラインから社会人人生を始めることになる。ローンを抱えた女子学生の大半は、給与が安くて普通に結婚して子供を作るなんてまったく考えられないと言うし、男子学生も恵まれた会社に入れなければ、結婚を考えられないだろう。生涯未婚率は年々増えている。

● 歌舞伎町にはトー横キッズと呼ばれる、ホストクラブでホストに貢ぐお金を稼ごうとする売春目当ての若い少女たちが大量にいて、中高齢の小金を持ったおっさんや風俗スカウト、AVの撮影者たちがその若い肉体を求めて集まってくる。その少女たちは、ごく普通の少女たちなのだが、多くがホストクラブの《底なし沼》にハマった少女たちだという。最初の1回だけ、1000円、2000円でホストクラブへ行けるらしい。そこで代わる代わるイケメンのお兄ちゃんたちと楽しい会話をして、自分をすべて肯定してくれる人生最高の時間を過ごし、舞い上がってしまう。 

● 親爺は思うのだが、日本の若者の《学校教育》は、勉強(成績)第一で、協調性を重んじ、出るくぎは打たれる的な社会全体の雰囲気と画一的な教えで、若者はがんじがらめにされており、一握りの《東大》に入った成績優秀な子だけが認知されるような社会になっている。そうでない子にとっては生きていても楽しくない。特に女子は、家庭的で我慢づよく優しく、男にとって可愛いことを求められる。こんな国は、ほとんどの女子にとってストレスたまり放題だ。そんな彼女たちは、初めて行ったホストクラブで、過去になかった楽しい経験をして、簡単に《ホス狂い》になってしまう。

● 2回目以降に行くホストクラブは、《担当》のホストに貢げる限りのお金を貢ぐことになる。ホストの成績は、売り上げで決まる。ホストの成績を上げるために、シャンパンを入れたりすると、20万円ほどかかる。普段の日常生活では大した給料をもらっていない彼女たちは、軽い決心で風俗へと走り、ホストへ貢ぐお金を稼ごうとする。つまり、《空気を吸うように自然に売春する》ことで、中高年のおっさんたちから数万円の小金を巻き上げ、少女たちがそのお金をホストへ貢ぐ《食物連鎖》が出来上がる。 

●「歌舞伎町と貧困女子」を書いた著者の中村淳彦さんは、Z世代(2000年以降の生まれの若者)の普通の女子が、自ら貧困へと《ホス狂い》に陥る現象が、歌舞伎町で起こっていると書いているが、やがて東京の隣接県へ、地方都市でも起こるだろうと書いている。

「トー横キッズ」の少女を売りさばく歌舞伎町・悪徳スカウトの手口

https://www.news-postseven.com/archives/20211214_1714202.html?DETAIL ☜記事本文

● コロナでアルバイトが出来なかった女子大生のうち、地方から上京してきた多くの女子大生たちは、学校へも行くことが出来なかっただけでなく、田舎へ帰ることすらも出来なかった。それでも授業料はほとんど免除されなかった。景気の良かった時代と違って、親からの仕送りはゼロか、あっても一部分だけだ。そんな彼女たちが生活していくためには体を売るしかない。パパ活、AV出演、デリヘル、ピンサロ、大学がひしめく沿線の待機所は部室のようになったという。

● 男子学生は、闇サイトで見つけた裏バイトの犯罪に走る。マスコミは、毎日あちこちで警察からリークされた犯罪報道を垂れ流している。マスコミは、なぜそういう犯罪が増えているのかという原因を追究する角度からは決して報道せず、不安を煽って、犯罪に引っかからないよう注意を促すだけだ。

● 若い男子は、本来老人を軽々と否定し、乗り越えたいはずだ。ところが、そのような態度をとれば、会社でのポジションが危うくなる。それで必要以上にいい子を演じて、料理も育児も、家事も分担する良い子であることを続ける選択肢をとる。つまり、ヤンキーの居場所がどこにもなくなった。 再度言うが、若者、とくに男子は、年寄りを否定して社会を変革したいはずだ。ところが、そのための勉強を教わっていないので、同じ社会の中で守旧派を演じざるを得ない。

● 自民党をはじめ、野党ですら既成政党の政治家のほとんどが、坊ちゃん、お嬢ちゃん育ちの世襲議員でまったくの世間知らずだ。世襲議員でない場合は、前職が霞が関のキャリア官僚経験者であったり、経営者などの恵まれた環境で育ったボンボンたちばかりだ。当然ながら、多くの若者がお金がなくて体を売ったり、犯罪するしかないなどの状況に追いやられているとは想像力が働かない。かりに、知識として知っていても、若者の投票率は低いから、若者のための政策をしようとは思わない。新しく生まれた政党には、国民のことを考えている政党がいろいろあるが、なにしろ人数が少なすぎるので、何の力も発揮できない。

「仲良く貧乏」を選んだ日本は世界に見放される1人当たりGDPは約20年前の2位から28位へ後退
(東洋経済から)

● 上のチャートが、よく言われる過去30年間の日本の経済政策の失敗の歴史である。これを見ると、日本の経済成長は30年間ほぼゼロである。一人当たりGDPで、韓国に抜かれ、チャートにはないが台湾にも抜かれたという。GDPの合計値で、ドイツに抜かれるのも時間の問題で、世界第4位に転落する日も近いと言われる。結局、この経済政策の失敗が、若者にしわ寄せを起こした。老人は、比較的貯蓄もあり比較的気ままに暮らしているのだが、多くの若者は世界の成長から完全に取り残され、悲惨だ。

ところが、海外で頑張れば・・

● 海外へ行けば、職業によるだろうが、大変な介護や肉体労働などでは月に100万円近く稼げる。下のリンクは、NHKのクローズアップ現代という番組が、日本を脱出した若者が、海外で日本の数倍の給料を手にするだけでなく、《希望》も見つけたという内容だ。

https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4746/ ☜こちら記事のリンク。詳しく読むことができます。

おしまい

オリンピックにかかった経費について考える その2 (組織委員会の情報公開は?)

電通の本社(日経新聞HPから)

●オリンピック組織委員会の全体の調達(契約)額について

東京2020組織員会の2014~2021年度の調達情報が、下の図のとおりオリンピック・パラリンピックの東京都ポータルサイトに掲載されている。

2014年度~2021年度 調達全体の状況(東京都ポータルサイトから)

この表を見ると、総額が6,825億円、うち競争契約したものが2,165億円、随意契約したものが4,660億円である。随意契約が競争契約の倍以上あり、公平性を保って契約したのか知りたいというのが、納税者の気持ちというものだろう。

この競争契約と随意契約の違いの詳細については、後に述べたい。(前回その1のブログに書いた6,400億円と数字が400億円ほど違っているが、おそらくデータの集計方法が微妙に違うのだろう。)

● 一例として、2018年度の調達情報を見てみると

2018年度の調達情報の総括表は次のようになっている。この年度に2,504億円契約し、競争契約が1,364億円、随意契約が1,139億円である。

2018年度 調達全体の状況 (PDF 0.3MB)

この年度のうち、オリンピック委員会が公表している具体的な調達(契約)情報を例を上げて見てみる。

例えば、2018年6月に入札が行われた「テストイベント実施に向けた計画立案及び計画支援業務(5) さいたまスーパーアリーナ」という電通が落札した案件は、次のような形式で公開されている。(この形式で公表しているのは、競争契約に限られる。)

調達(入札結果一覧)から

赤線は、親爺が引いたものだが、技術点と価格点を評価する総合評価落札方式で行われ、「他社より優位と認められた」と書かれているので、応札は複数社あったように見える。

下が、2018年度の案件一覧である。

2018年度 調達案件一覧

● 疑問点を書いてみる

2018年度の調達情報の総括表を見ると「競争入札」という区分に「184件」と書かれており、赤字でアンダーラインを長くひいた案件一覧には当該案件が「競争入札」と書かれているので、「競争入札」には、《総合評価落札方式》と《一般競争(価格のみの競争)》の両方が含まれているようだ。 一覧には、契約金額の記載がないので、両方を照らし合わして見る必要があり、不便である。落札者は書かれているのだが、実際の応札者は、他に誰がいたのか書かれていない。

また、「プロポーザル」が競争契約に分類されているが、「プロポーザル」は、提案を意味し、《価格》を考慮していないと受け取れるので、随意契約に分類すべき可能性がある。

また、「パートナー供給」、「特定契約」の二つは随意契約に分類されているが、金額が非常に大きい。これについては、会計処理規定を参照しながら今後、見ていきたい。

その3へ続

その2 おしまい

オリンピックにかかった経費について考える その1(総合評価落札方式が生まれた経緯となぜ公表義務がないのか)

●問題意識

親爺は例えば、オリエンタルラジオ・中田敦彦さんのYOUTUBEなどを見て、オリンピックの経費の詳細について怪しいなあと思っていても、、オリンピック委員会に情報公開の義務がないために追及の方法がないのはよろしくないと思っていた。 同様に、郷原弁護士の「日本の権力を斬る」という正義感溢れるYOUTUBEを見ながら、東京地検が電通の高橋理事容疑者らを受託収賄罪で捜査、逮捕したことを応援していた。この高橋容疑者の逮捕は、オリンピック組織委員会の理事は「みなし公務員」になるので罪に問われたもので、民間人なら罪に問われないとのことだ。

その事件の背景であるオリンピック組織委員会が発注する契約は実際にどうなっているのか、ネット上にある公開情報を、さらっと、調べてみることにした。これまでのサラリーマン生活の経験で、おそらくオリンピック組織委員会は、様々な調達(契約)に際し、仲間内で仕事を分配していたのではないかという懸念をぬぐえないからである。

その具体的な事例を見る前に、国などの公的機関の調達方法の変遷、《総合評価落札方式》入札という方式が生まれた経緯について、まず触れたい。

2009年から2013年の間続いた民主党政権の直前に、国には埋蔵金があると言い出し、埋蔵金はもちろんなかったのだが、民主党は《随意契約》が無駄の温床だといって、何でも《一般競争入札》にしろといい出した。

なんでも一般競争入札で契約するのは、事務方としては大変な業務であり、応札する側も落札できないとそれまでの努力が無駄になるので、大きな犠牲をはらうことになる。とくに期限が決まっているオリンピックなどの事業の場合は、入札がもし不調になると、工程の遅れに直結する。

ところがこの時、霞が関の官僚たちは、《随意契約》を避けるための知恵を働かせ、「総合評価落札方式一般競争入札」という新手を編み出した。これまで、《一般競争入札》というのは、極めて厳格な仕様書を作成し、価格のみで入札するのが一般競争入札だった。このルールを変えて、《提案書》と《価格》の2本立てで契約できるようにして、これを一般競争入札のカテゴリーに入れた。

この《提案書》は、発注者が提示した案件概要や入札説明書などに従って、応札者がどのように業務を遂行するのかを提案するものだ。この採点には、応札社の過去の類似業務の実績や従事する社員の経歴や経験も評価の対象になる。 同時に、それとは別に《価格》を書いた札も入れる。 この提案書と価格の配点割合は発注者が決め、半々あたりが多いはずだが、価格よりも出来栄えを重視する際には、提案書の評価のウエイトを倍にしたりする。 問題なのは、この提案書の採点を基本、発注者側がすることだ。発注者側の管理職が複数名で当たることが多いだろう。

コンサルタント業務を別に委託している場合や外部の専門家に採点を依頼する場合は、そちらが当たるかもしれないが、コンサルタントは業務を受注している立場であり、外部の専門家の場合は《謝金》を受け取っているはずなので、発注者の意向を働かせることが容易なことが想像される。これらの場合でも、評価者は4名ほどで採点しているはずで、発注者の内部の管理職などが含まれることが多いと思われる。

つまり、受注者を誰かにしようという外圧がもしあった場合、このような定性的な採点では公平性を保った判断ができない。つまり、悪事が背景で働いていても、「信念に従って、正しい判断しました。」と言われれば、それ以上追及のしようがない。

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今回のオリンピックでは、かかった経費が1兆4,200億円と公表されている。見込まれてた1兆6,400億円だったものが、簡素化やコロナによる無観客になったために約2,000億円減ったという。

1兆4,200億円の内訳は、オリンピック組織委員会が6,400億円、東京都が6,000億円、国が1,800億円を使ったと公表されている。

東京都オリンピック・パラリンピック調整部のHPから

●公益財団法人には公表義務がない

この6,400億円を使った一般公益財団法人であるオリンピック組織委員会の情報公開すべき義務は、財務諸表などのみである。そのため、どんな契約を結んだのか、つまり、具体的な契約書や契約のプロセスは、国民の目に明らかにされない。それで、冒頭のような新聞記事が出る。

親爺は、公的な資金が投入された世紀の大事業であるオリンピック事業で、マスコミがもっと積極的にどのようにお金が使われたかを追及すべきだと思っている。ところが、マスコミは、政治をチェックするという本来の機能をまったく果たしていないと感じている。

その2へつづく

その1 おしまい

文芸批評もガラパゴス? 夏目漱石研究者 ダミアン・フラナガン その1

グレン・グールドオタクの親爺は、グールドの人生観や芸術観を知りたいとずっと思ってきた。 というのは、グールドは子供のときから「結婚はしない」と発言したり、「最後の清教徒」と自称したりする人間だった。これがどこまで本気なのか、目くらましの韜晦だったのかを知りたかったわけだ。 同時に、彼が生きた時代は、第二次大戦前の宗教を含めた古い価値観から、1950年代以降の自由奔放で新しい価値観への転換期であり、その価値観の中に、性(セックス)が大きな柱だったのは間違いがない。そして、芸術観についてもプレスリーや、ビートルズ、ロックミュージックなどたくさんのポップミュージックが登場する時代で、グールドはクラシック音楽の芸術性をどう考えるか悩んでいたはずだ。

ダミアン・フラナガンさん 毎日新聞から

そうしたグールドは、夏目漱石の「草枕」を知り、その小説の虜になる。その小説は、世界の芸術を比較考察しながら、どんな芸術が価値があるか、どんな芸術は価値がないのか考えるもので、芸術と向き合う芸術家の心構えをも考察していた。

親爺は、日本人なので、「草枕」を新仮名遣いの日本語で読んでみた。この「草枕」は、日本だけではなく、西洋と中国の芸術に対する夏目漱石の博覧強記ぶりを強烈に示しており、親爺のような凡人が全てを十全に理解するのは難しい。 ただ、何度かこの小説を読むうち、だいたい夏目漱石が言わんとすることが分かってきたような気がする。

他方グールドが読んだ「草枕」は、当然英訳本ということになる。いくつかの解説書などを読むと、日本語版より、英訳版の方がずっと理解しやすいと言われる。つまり、漱石の格調高いが、難解な古語や漢語が平たくわかりやすく表現されているからだ。

親爺は、2種類の「草枕」の英語版を手に取ってみた。英訳を最初にしたのは、アラン・ターニー(1938-2006)版なのだが、KINDLE版には、メリディス・マッキンリーという翻訳者もいる。

アラン・ターニーが翻訳したペーパーバック版は、新装(2011)されており、この本の冒頭に40ページ弱にもわたる非常に充実した内容のイントロダクションが掲載されている。これを書いたのが、ダミアン・フラナガン(1969-)さんという人物だった。

このダミアン・フラナガンは、イギリス人の日本文学研究者なのだが、夏目漱石を読んで感動し、はるばる日本へやって来て日本語で博士号をとり、日英両語で漱石をはじめとする日本文学の研究成果を出版している。

彼は、当然ながらイギリス人であり、縁もゆかりもない日本語をゼロから勉強し、それも古語と言っても良い明治時代の日本語を勉強して、その研究成果を日本語で論文にする労力は、並大抵ではなかっただろう。

その彼の書く日本語の評論は、はるかに他の日本人の書いた評論より、内容の密度が高く、説得力のあるものだ。しかし、日本人の国文学者先生たちのうけは必ずしも良くなかったようだ。

というのは、彼の夏目漱石観は、他の日本人評論家の漱石観とはずいぶん違っており、日本では夏目漱石が、芥川龍之介と並んで国文学を代表する作家であると紹介されているが、それはまったく間違いだと彼は言う。

つまり、明治時代に西洋文明にキャッチアップしようとした知識人である夏目漱石という個人が、個を確立するために苦悩した物語と捉えられることが日本では一般的だが、これは間違いで、夏目漱石は、シェイクスピアに勝るとも劣らない普遍的なテーマを扱った世界的大作家だと言う。

親爺は、日本の文芸批評には詳しくないのだが、このフラナガンの夏目漱石論は日本の文壇でどうやら、完全に賛同を得られているわけではなさそうで、なぜこれだけ説得力のある文芸批評が受け入れられないのか、そこにはやはりガラパゴス化した日本の閉鎖性があるのではないかとつい思ってしまう。

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彼が、日本文学を研究するようになった経緯を紹介する。ケンブリッジ大学に在籍していたフラナガンは、19歳の時、大学の図書館にある翻訳された夏目漱石を読み漁る。「吾輩は猫である」「それから」「彼岸過迄」「坑夫」「それから」「門」「草枕」「三四郎」「坊ちゃん」「行人」「明暗」を読む。彼が言うには、夏目漱石の着眼点に感心したという。

そもそも、彼は17歳の時に、自然科学を学ぼうとケンブリッジ大学に合格、在籍していた。しかし、体験就職と世界各地の旅行を経て、このまま自然科学を学んでも「工場」で実験する日々が続くに過ぎないと思い、専攻を変え、東洋学部日本語学科へ転入する。

それが縁で、日本への旅行と国際基督教大学で1学期を過ごし、東京から京都への自転車旅行などをするうち、生涯を文学の研究に身をささげようと決心する。英国に戻った彼は、まず英文学を専攻するためにケンブリッジ大学へ舞い戻る。今度はここで、ギリシャ悲劇、サルトル、ジョージ・エリオット、ジョセフ・コンラッド、ジョイス、メルヴィル、シェイクスピア、オーデン、英文学ではないが、ドストエフスキー、トーマス・マン、スタンダールなどを読み漁る。

こうして彼は、英国で正統派の英「文学」を学ぶのだが、英「文学」がピンと来ない。むしろ、夏目漱石の方がピンとくる自分に気づく。

こうして世界の文学と夏目漱石の両方を読みふけるフラナガンは、漱石の背後にニーチェの影響があることを確信する。フラナガンは、この夏目漱石がシェイクスピア以上の文豪だと確信し、再来日し、今度は日本語の勉強から始め、神戸大学で夏目漱石を研究し、文学の博士号をとった。 これが大体の経緯である。

次回は、そのフラナガンの夏目漱石観について具体的に触れたい。

その1 おしまい

いま、日本は行く末を左右する剣が峰にある!!

今、われわれは、日本が30年来の不況から成長へと回復できるかどうかの瀬戸際にいる。そして、われわれが持つ金融資産も非常に危うい状態にある。つまり、株や投資信託が暴落する可能性がある。

日本には二つの進行中の大事なトピックがある。一つは、下に引用した国債の60年償還ルールと防衛費増税の問題であり、もう一つは、この4月8日に予定されている日銀総裁交代による金融政策の変更があるかどうかである。

日本経済はもちろん悪い。30年来のじり貧状態が極まっている。 おまけに、コロナで被害を被ったところに、ウクライナで戦争が始まり、グローバリズムは終焉した。つまり、前提である自由貿易が極めて怪しい。

ヨーロッパの経済は大インフレであり、そもそも以前から悪い。アメリカも過去にないほどのインフレが起こっている。この欧米などは、コロナで減税と財政支援を積極的にやってきた。そこへ、ウクライナ戦争が起こって、エネルギーや小麦などの価格が暴騰し、デマンドプル・インフレとコストプッシュ・インフレが同時に起こっている。

デマンドプル・インフレというのは、国民の側に所得アップなどがあり、それが需要を増やしインフレになる、普通というか、望ましいインフレのことだ。他方、コストプッシュ・インフレというのは、戦争や災害などにより供給量が減り、輸入している場合にはそのもののコストのみならず、それらを使った製造費なども上昇して、インフレが起こる。これをコストプッシュ・インフレと言うのだが、戦争や災害は、国民にどうしようも出来ず、従来の経済学では解決不能と言われている。悪性インフレである。

アメリカは急激に金利を上げ、世界中を通貨安に陥れたが、コストプッシュ・インフレに対する利上げは、国民には間違った政策であり、資産家の救済であり、アメリカの不況は長引くだろうと言われている。 

日本で起こっているのは、コストプッシュインフレである。

中国も当然悪い。ゼロコロナ政策で生産が落ち込み、何より、西側諸国からデカップリング(切り離し)政策を取られ、これまでのようにグローバリズムの最大の恩恵を今までのように受けられない。 韓国も通貨安が起こり、不動産バブル崩壊が懸念され悪い。この国はなにより政治が不安定だ。 要するに世界で調子のよい国はどこにもない。

日本が30年間の不況を続けてきた原因が少しづつ理解されてきた。つまり、政府による通貨の供給不足である。

この大問題を解決できるかどうか、大きな試練が瀬戸際まで来ている。日本は、国債60年償還ルールというのを世界で唯一持っており、これを止めれば毎年16兆円以上好きに予算を使えるのだが、これを自民党と政府で見直しの検討をしている。もちろん、バックには大反対する財務省がいる。

もう一つのトピックは日銀総裁の交代で、金融緩和策を見直して、金利を上げるのかどうかである。日銀が昨年12月末、突然、0,25%から0.5%へと長期金利の誘導幅を見直したら、日経平均が1,500円下がった。これで分かるように、日本で金利を上げる(日銀が、政策変更でないと言ったのだが、世間は利上げと受け止めた。)と景気をさらに冷やすので、不景気は続くのだが、金利が上がった方が都合の良い関係者は大勢おり、主流派の経済学者やマスコミがそうだ。

つまり、あまりに問題の多い日本経済なのだが、この二つの行方いかんで、日本はさらに沈没するか、浮上のきっかけをつかめるのかという剣が峰にある。それだけでなく、気を付けていないと、金融資産が暴落して国民が損害を被りかねない状態にある。

防衛費倍増に必要な「5兆円」教育や医療に向ければ何ができる? 自民提言受け考えた(東京新聞)親爺は新聞も不安を煽るだけでなく、もっと勉強して欲しいと思っている。

おしまい

【衝撃的展開!!】なぜニュースにならない?防衛増税問題での党内議論の全貌!財務省が事実上、従来説明を撤回した!(西田昌司ビデオレター 令和5年1月20日)
いよいよ追い込まれた財務省が本気で動いてきました【増税/ニューソク通信/須田慎一郎】

「60年国債償還ルール」見直しへ検討開始!!

自民・世耕氏“国債償還60年ルール”見直しへ検討を 1/11 日テレNEWSから

ブログの前2回で、「60年国債償還ルール」があり、16兆円の予算を圧迫しているという話をした。この「60年国債償還ルール」は、有名無実のルールであり、実際には償還期日がきた国債は、借換債を発行して償還をしていない。また、国債の残高を減らすということは、市中の通貨流通量を減らすことになるので不況になってしまう。

このようなことをブログで書いたつもりだった。

これに対し、自民党の世耕参院幹事長がこのルールの見直しの検討を開始すべきとの考えを1月10日に示した。自民党の「責任ある積極財政を推進する議員連盟」に属する議員たちは、この考えを以前から主張しており、萩生田政調会長をトップとする特命委員会で検討する。

自民・世耕氏“国債償還60年ルール”見直しへ検討を ←YAHOOの記事

そのトピックを語った動画が、下の元自民党衆議院議員・安藤裕さんである。

国債60年償還ルール見直し@andouhiroshi2

動画の要点は次のとおりである。

● 見直し議論を始める。

● このルールは世界中のどこにもない。

● このルールを外すと、16兆円の予算の余裕ができる。

● 国債発行は通貨の発行であり、残高を減らす通貨が消えるので不況を招く。

● こんなルールを作ったのは日本人の生真面目さが原因かもしれない。

● 60年と言うのは適当(いいかげん)である。建物の耐用年数がそれくらいだからである。

● 財務省は警戒している

● 野党は、ほんとうに不勉強である。(除くれいわ新選組)野党は、自民党にこれでリードされると立つ瀬がない。これだけ岸田政権の支持率が下がっているのに、野党は何をしているんだ。

● 「責任ある積極財政を推進する議員連盟」の会長である中村裕之衆議院議員が、「この措置は金利が低い今だから、出来ることだ」という意味の内容を述べているが、これは金利に関係ない。金利に関わらず、国債償還時には借換債を発行するので、償還していない。

おしまい

日本政府の借金は1200兆円。なぜお金を刷って返済しないのか? 60年国債償還ルールは? その2

日本政府が発行した国債の残高は、政府による通貨発行の残高(履歴)の意味しかない。この残高は、経済の発展に必要なものであり、どこの国も年々経済成長するので増えていくのが当たり前だ。ところが、30年間ゼロ成長な日本だけが国債の残高を減らそうとしている。こんなことをしていては、不景気が続くのは当然の結果としか言いようがない。

国債の発行は「子孫につけを残す。」とかいう財務省の宣伝は、このままでは日本を滅ぼす狂気の沙汰である。

つまり、前回のブログで、日本は「60年国債償還ルール」をやっていないのに、ルールがあると書いた。 次の左の円グラフの赤枠で囲んだ「債務償還費167,561億円(16兆7,561億円)」と書かれているのが、2023年度予算に計上されている正体だ。 実際にはこのように歳出で国債残高を消去(償還)していない。だが、これだけ計上しているので、16兆円分、割合で言うと14.6%、他の予算を圧迫している。

14.6%、これだけ他の予算を増やせれば、どれだけのことが出来るか、考えて見ると良い!!

財務省のHPから

次の絵は、財務省が子供向けに作ったHP「キッズコーナーファイナンスランド」とというところにある「ワニの口」の説明である。黒い線が歳出、青い線が歳入で、両者が年々「ワニの口」のように開いているという説明なのだが、こうして財務省は子供たちにも危機感を煽っている。同じように、若者相手に同じ「金融教育」をはじめている。

だが、この図は、毎年の「債務償還費(2023年度は16兆7,561億円)」がなければ、「ワニの口」は平行となり開かない。財務省のでっち上げだ。日本の経済運営に、何の問題もないわけだ。

具体的な「60年国債償還ルール」の説明は、この西田昌司参議院議員の動画を見てもらうと、このことがよくわかる。また、財務省主導の増税案が自民党の中でどのように考えられているのかよくわかる。

「国債償還ルール」見直し議論!『市場の信認』に隠された本質は、国際金融資本によって形成されたルールだ!!(西田昌司ビデオレター 令和5年1月13日)

西田議員は、この動画の後半でさらに、非常に重大な指摘をされている。 というのは、アメリカのFRBやイギリスのイングランド銀行は、民間銀行で、株主はロスチャイルドをはじめとする国際金融資本家であ。その中央銀行が持つ資産から生じる利子や配当などの利益は、株主のものになる。また、この中央銀行は政府から独立をしており、政府が行いたい政策でも、中央銀行が賛成しなければ実現できない、と言われている。

ところが、日本はと言えば、日本銀行も株式会社であるのだが、株式の55%は政府所有であり、日本銀行法により生じた利益は国庫納付(政府のもの)になる。(日銀法第53条)

つまり、国債残高が上がっていくと、財務省は「国債の信認が失われる。」と主張するのだが、誰に信認されるのかと考えると、ステークホルダーである国際金融資本である。ところが、日本の場合は、中央銀行が民間銀行ではない。このために、どれだけ国債発行して通貨発行しても、(供給力の範囲であれば、インフレも起こらず)何の問題もない。「マーケット(国際金融資本)の信認を失うことがない。」と言われている。

ここで大きな疑問が解けた気が親爺はした。

日銀はイールドカーブコントロール(YCC)という金利誘導策で金利をターゲットに固定している。ときどき、外国の投機筋が、日本国債をカラ売りし、国債を暴落させて大儲けを企むということがある。昨年もあったし、今、日銀がターゲットの幅を、0,25%から0.5%へと拡大させ、利上げと解釈したマーケットは、長期金利が上がり始めている。これを見て、海外の投機筋は毎度の失敗に懲りず、再びカラ売りをしており、日銀は過去最高の額の国債の買い入れを週明けもすると宣言したとニュースで言っていた。

昔から海外の投機筋が日本国債の空売りをして、国債を暴落させて利益を上げようと企むんできた。だが、いつもこれは失敗し、未亡人製造機(Widow Maker)と言われてきた。これが繰り返されている。

他方、イギリスでは首相がインフレのさなかに減税を発表し、マーケットで国債売りが殺到、ポンド急落する事態になった。そのため、トラス首相からスナク首相へと交代が起こった。現在は、スナク首相の緊縮政策で落ち着いているのだが、今後どうなるかというところだ。

https://jp.reuters.com/article/sterling-analysis-idJPKBN2QS07Y ←ロイターの記事

だが、親爺は、なぜイングランド銀行は日銀と同じ、YCCをやらないのかと不思議に思っていた。なぜ国債の買い支えをやらないのか。

結局、日銀はほぼほぼ政府と一心同体、ところが、民間銀行の海外は政府と中央銀行の利害が一致していないのではないか?と思う。通貨を発行する中央銀行が、民間であれば、その勢力の利益を第一に考えるだろう。

おしまい

 デフレの30年間に「萎縮」した日本人 その2 《不自然な医療・介護》

日本人の誰もが分かっていながら、当事者たちの困難を放置し、遠巻きに眺めているだけの問題に、老人医療と介護の問題がある。

介護施設や療養型の病院ではかなりの頻度で、老人の患者の殺人が起こる。看護師が、寝たきりの老人に筋弛緩剤を注射して殺したりする。

介護施設では、介護士が老人を深夜、入居者を上階から投げ落とす。こちらは、ちょっと性質が違うかもしれないが、保育園でも、幼児の虐待事件が起こった。 ニュースになるのは一部だろうから、実際はもっと頻繁に起こっていると考えるのが自然だろう。

2018.07. 大口病院の点滴殺人事件の深い闇:アゴラから
相模原施設19人殺害事件、植松被告に死刑判決
2020年3月 BBCニュースから

これらの原因の大半は、報酬が低すぎるからだと親爺は思っている。つまり、幼児保育を含め、老人介護、回復の見込めない療養老人の医療などは、肉体的に非常な重労働であるだけでなく、精神的にも非常な重労働だ。

もし、需要と供給という市場原理で給与が決定されるとすると、倍以上の報酬を受け取っても良い重労働だと思う。

ところが、介護士、看護師の給与は、公定で決められている。介護士の報酬は、介護保険制度の枠の中で決まっているし、看護師報酬も、健康保険制度のなかで、診療報酬が大枠で決まっている。医療・介護のコスト負担が財政分野に重くのしかかっている事情があるので、おのずと、安く設定されていることもある。加えて、世間の物価が上がっても、遅れてしか改訂されない。つまり、賃金の面で、一番報われない職業だ。

2022年8月9日(逮捕・殺人容疑)日テレニュースから

というのは、保育にしろ、介護にしろ、延命のための病気療養にしろ、これらは非常に不自然な仕事という側面がある。

世の中には、「共同幻想」というものが存在する。

「共同幻想」とは、日本では「生命は地球より重い。」とか、「誰しも、孤独死は可哀そうだ。家族に看取られて死ぬべきだ。」とか「個人の意思は尊重されなければならない。」・・・とかいう、社会通念上の縛りだ。 

だが、我々は、資本主義の社会に生きており、自分で勝手に他人の労力に頼らずに何かをするのであれば、それはそれで結構なのだが、他人の手を煩わせるサービスの提供を求めるのであれば、それなりの対価を支払わなければならないというのが、資本主義社会の掟である。

つまり、お金(通貨)が、限りある資源配分を調整する役割をしている。

これは、医療や介護の世界でも同じだ。技術のレベルの制限もあるし、国民の所得レベルにも制限がある。そうした中で、どれだけのサービスを受けれるのが望ましいかと考えるとき、国民全員の希望をすべて、無料で(タダで)満たすのは難しいという言うのはすぐに分かることだろう。

しかし、日本の医療・介護制度はメチャクチャである。保育も、公定で報酬が決められるということであれば、同じである。

こうした労働に対する報酬が、需要と供給だけで決まるのであれば、今より倍や3倍の賃金になっていてもおかしくない。つまり、こうした労働は大変で、肉体的にも精神的にもきつい重労働で、誰しも、高賃金でないと耐えられない。そうした、供給の少ない労働に対する賃金は、価格が自由に動くマーケット(市場、社会)であれば、高い方へ動く。改善が見込めない年寄りの面倒を家族が見てもらいたければ、高い賃金を看護師や介護士に払うしかない。

ところが、予算が崩壊しそうなほど圧迫している医療・介護の世界は、国が大々的に予算を投じ、関与していながら、実施部隊は民間企業(=病院や施設)がやっている。公営の病院や施設もあるが、こちらも独立採算で黒字を求められるので、同じ行動原理で動いている。

この分野は、国の予算を圧迫しているので、診療報酬などサービスの単価は安く抑えられている。そうした中で、永遠の存続が使命の病院や施設の経営者たちは、当然ながら、薄利多売で患者や入居者を集めるという行動を選択する。 つまり、老人たちの囲い込みである。 医者たちは、日本で最も政治力のある団体である。 テレビや雑誌、新聞などで、健康情報を流し、国民の不安を煽る。そうすることで、老人たちが医療にアクセスし続ける。

ヨーロッパでは、医師の身分は基本的に公務員なので、日本のように無駄な治療をしない。アメリカは、貧困者にメディケアがあるが、一般的には民間の高い医療保険に加盟し、治療が無料なのだが、保険会社が診療内容を厳しく査定する。

日本のコロナで、重症患者にはECMOという血液に酸素を送り込む装置をつけて、何歳の老人でも救命措置が取られるようだが、これは1000万円ほど治療費がかかるそうだ。こんなことを1割の本人負担(高額医療制度があるので、もっと安い金額しか本人は負担しないだろう。コロナは無料なのかな?)でやっているのは、日本だけで、儲けているのは病院経営者だけだ。

病院で療養している老人も、日本の場合は、生きているのか死んでいるのか分からない状態で、生かされている。人工呼吸器につながれると麻酔が使われるし、胃ろうや透析も一旦開始すると、回復する確率は極めて低い。これらを老人にするのは、欧米では虐待である

そもそも昔、子供はもっとほっといて自然に成長していた。介護もそうだ。むかし、食事をとれなくなったら、亡くなっていた。療養もそうだ。昔は、人工呼吸器も、胃ろうも透析もなかった。このような延命をさせるということは考えられてなかった。 こうした自然の摂理に反することを人為的に、美名のもとに言い換えても、それは無理というものだ。 そうした行為を日常的に介助者がすることは、大変つらいことだ。

結局のところ、公的資金で健康保険や介護権を維持する制度の実施を、民間事業者に任せてはダメだ。民間の使命は、ずっとその事業を継続することであり、そのためには、無駄であっても儲けを出すことを考える。そうしないためには、医者を、診療した患者数で収益が変わらない公務員にすることだ。

今、死期の近い老人、その家族、看護師、介護士すべてが不幸だ。死期の近い老人は、平穏死、尊厳死、自然死させてもらえない。老人を抱える家族は、「老人を虐待してはならない」という社会の空気に縛られている。看護師、介護士は、医者と同じで「患者、入居者の死は敗北だ。」という考えを教育され、老人を穏やかに死なせる方が自然だということを忘れている。

ただ一つ、こうした背景にありながら、病院経営者、施設経営者たちだけが、国の予算を大量に受け取って儲けているのだが、そのことは黙っている。

おしまい