『ブラックアウト』(キャンディス・オーウェンズ)から《ポリコレ》と《構造主義》を考える

親爺が「今の世の中、何か変だな。」と思うようになって、しばらく経つ。ヨーロッパでは、アフリカの旧植民地だった国から貧しいイスラム系の移民が押し寄せ、受け入れた国で少女をレイプしたり、その国の文化に溶け込むことなく移民同士が住む地域を作り治安が悪化し、元々の住民は歓迎していないのに、政府やマスコミは、差別主義者と呼ばれることを恐れ、多様性やヒューマニズムの看板をいつまでも下ろすことなく、移民対策に本腰を入れようとしない。そのせいで、移民受け入れに反対する右派が勢力を拡大し、国家が分裂しそうな様相を呈している。そのとこについては、前に「西洋の自死」という本を読みブログに書いた。以下をクリックすると出てきます。

クリックしてもらうと、ジャンプします

どうやら、これはアメリカでも同様で、元祖はアメリカなのかもしれないと親爺は思うようになった。

例えば、アメリカ各地の大学などにある建国の英雄たちの像が引き倒されり、真偽のほどを詳しく知らないが、白人が衆人環境の下で、「白人で悪うございました。」と自己批判を迫られたりすることがあるという。実際問題として、国連代表や広報官は黒人だし、政府の広報官もそうだ。勿論人種を理由にした差別は許されないというのは正しいが、「ポリコレ」[1]とも言えそうだ。

人種によって《下駄を履かせて》入試の合格点などを変える制度を『アファーマティブ・アクション』(affirmative action=積極的差別是正措置)というのだが、先日、アメリカの連邦最高裁で、これが憲法違反だという判決が下りた。バイデン大統領は、直ちに反対を表明した。つまり、「逆差別」政策が公然とこれまで取られてきたわけだが、こうした「逆差別」は、正しいのかどうか。公平性をゆがめたり、当事者の能力向上に逆効果だったり、社会の合理性を欠くのではないかという疑問が当然ある。

他方で、LGBTQがアメリカではブームになっているという。アメリカの小学生の子どもたちの多くが、「ぼく(わたし)は、本当に男(女)なんだろうか?」と疑問を持ちながら暮らしているという。

ワシントンに住む国際政治アナリストの伊藤貫さんという方がYOUTUBEで言われているが、第二次大戦前には、LG(レズビアンとゲイ)の比率は1.7%、1945年から1965年のベビーブーマー世代の時期は、2.7%だった。ところが、その比率は8~9%になり、ここ5,6年で2倍になったという。特にひどいのが、UCLA法学部の調査で40%に達すると言われ、CDC(アメリカ疾病予防センター)の調査では、高校生の24%(男約10%、女40%)がLGBTQの問題を抱えていると言われるようになっている。 ここまで《性自認》に対する疑問が高率になると、何かのバイアス(世間の宣伝操作とか)が働いた流行が広がっているとしか思えない。

方やで、学校教育も腐敗しており、アメリカの公立学校では、差別を助長するとして、学生たちの成績をつける試験をしなくなっていると伊藤貫さんは言う。

[1] 「ポリコレ」というのは、”Political Correctness”から来たもので、直訳すると「政治的正しさ」という意味だが、これが行き過ぎている。つまり、アメリカでは「Black(黒人)」と表現していたものを差別感があるので、「African American(アフリカ出身のアメリカ人)」に変えたが、アフリカから来た人たちばかりではないという問題が残っている。他の例として、女性を表す冠詞「Mrs.」と「Miss」が統一され「Ms.」になったり、「看護婦」が「看護士」、「スチュワーデス」が「キャビンアテンダント」になったり、「痴呆症」から「認知症」への用語変更などもそうである。問題は、この「ポリコレ」が行き過ぎ、些細なことや本質と関係ないところを批判され、炎上させる手段として使われることだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

さて、ここからはこの『ブラックアウト』(キャンディス・オーウェンズ)の内容を見ながら、考えたい。東京女子大学学長の森本あんりさんの記事がこの本の内容をうまく要約されている。

https://www.yomiuri.co.jp/culture/book/review/20220620-OYT8T50059/ ☜ 読売新聞(森本あんり(神学者・東京女子大学長))の記事から

  1. 「ブラックアウト」の題名は、普通なら「停電」という意味だが、本書では黒人にリベラルメディアという偽りの灯からの脱出を呼びかける言葉になっている。
  2.  著者によると、アメリカの黒人が直面している問題は、人種差別ではなく家庭の父親不在であり、それを奨励する大きな政府であり、自立と勤勉さを阻害する福祉制度である。
  3.  2016年にトランプが勝利すると、リベラルは投票に行かなかった黒人たちをなじった。ジョンソン政権以来、黒人を便利な無言の票田としか見ていなかったからである。リベラルが黒人を自律的な能力主体とみなさなかったため、格差は増大し、失敗を社会や差別のせいにする安易な被害者意識だけが積み上がった。
  4.  著者は昨今のBLM運動にも手厳しい。黒人が警察官に殺されるより、警察官が黒人に射殺される方がよほど多く、シカゴでは殺人事件の7割が黒人同士によるものという。#MeToo運動も、男らしさや夫への依存を 蔑さげす むリベラルな白人女性のもので、家族と信仰と教会を大切にする黒人の友にはならない。
  5.  今日、父親不在で育つ黒人は75%に上るが、この数字は家族がバラバラに売られた奴隷制時代よりも悪い。政府も、父親のいない家庭だけに貧困給付金を配る。かくて国家予算最大項目の福祉は、父親の役割を期待されない無責任男性を生産し続ける。これが黒人「再奴隷化」の仕組みである、と著者は解説する。
  6.  こんな主張をするのは目立ちたがり屋の例外だ、と言うのは容易である。だが、現在の比率で黒人票が共和党に流れ続ければ、今秋の中間選挙だけでなく、次の大統領選挙も民主党に勝ち目はない。その帰結を、全世界の人々が 否応いやおう なく受け取ることになるのである。我那覇真子訳。

上の文章で、「リベラル」と書かれているのは、民主党あるいは民主党支持者と読んで差し支えない。つまり、民主党の福祉政策によって、長年、黒人が民主党へ投票するシステムが出来上がっているが、これが黒人の置かれている問題の大前提としてある。

その上で、キャンディス・オーウェンズが支持するトランプ前大統領が演台で、過去60年以上にわたる大きな問題の黒人社会における貧困、教育の欠如、家庭崩壊について、次のように語っているという。

「アメリカの黒人が直面している最悪の問題は、白人至上主義ではなく、《堕落してしまった学校制度》であり、警察による人種差別ではなく、《家庭での父親不在》であり、人種差別的な雇用市場ではなく、《勤勉さと自立への道を阻害する福祉制度》である。」

彼女が言うには、黒人は本来、「黒人はお行儀のいい、悪いなんてことに反応しないのです。私たち黒人は、アメリカでも最も《ポリコレ》の真逆をいく集団です。ヒップホップを生み出し、アメリカ文化を堅苦しいものから遠ざけた集団なのです。」

ところが、長年の民主党の政策によって、黒人はずっと被害者の立場に置かれて来たし、黒人は甘んじてきた。おかげで、「黒人社会は、《ポリコレ》によってゆっくりと死を迎えようとしていました。長い間、私たちはオープンで正直な対話よりも、事なかれと見かけを気にした対話をしてきました。私たちは、真実を見つめることによって勝者になることを学ぶよりも、都合のいい噓や被害者であり続けることを受け入れることのほうを学んだのです。・・」

だから、この本の結論は、「黒人は民主党が作った奴隷農場から抜け出さないとならない(ブラックアウト)。」となる。

親爺の結論

この《ポリコレ》の正体を考えるには、現代の思想である哲学の発展があるのではないかと親爺は思っている。つまり、現代哲学をテコにして導き出された《ポリコレ》を使い、発言者を徹底的に批判して社会的生命を奪うことで、対立する勢力を打倒しようする別の勢力があり、彼らは現在主流の哲学を上手に利用しているのではないかと感じている。

この哲学の流れのことは、ごく最近親爺が知ったことで、YOUTUBEはかなり見たが、実際の本を読んだのはごくわずかで、ほぼほぼ親爺の感想というか、想像の域を出ない。あらかじめ断っておきます。

近代へ至る世界史を考えると、西洋人は自分たちだけが世界の中心にいることが許される人種で、黒人や黄色人種は人間ですらないと考えてきた。だから、先住民を皆殺しにして、世界中を植民地にして、アフリカの黒人奴隷を人間のカテゴリーに入れずに西洋諸国は発展したが、反省せずに済ましてきた。 この思想の背景には、西洋思想が他の思想よりも優れ、西洋思想がもたらした科学技術の進歩が、世界の発展をもたらし、西洋人が頂点に立つ資格があるという様なものだ。この考えは、キリスト教(カトリックとプロテスタント)の考えと非常に密接だった。

西洋人は資本主義を作り、フランス革命では、自由、平等と博愛をスローガンに掲げると同時に、ユダヤ人を虐待しながら発展してきた。果たして、自由、平等を謳う民主主義は普遍的価値なのか。資本主義の歴史も長くない。資本主義で商取引をするためにはグローバリズムが必要で、世界が同じ金融のルールに従わなければならない。グローバリズムは格差を生むだけでなく、環境を破壊し、競争が心の平和を失わせるエンジンである。

ところが、こうした西洋を中心とした進歩主義の考えはひっくり返る。否定し「止揚」(=矛盾する諸要素を、対立と闘争の過程を通じて発展的に統一)することで高次の段階へ進むという弁証法を唱えたヘーゲル(1770-1831)。キリスト教を否定し、「神はいない。自分に従って生きよ。」と言ったニーチェ(1844-1900)。「実存は本質に先立つ。」、「社会へ積極的に参加し、自由を自ら拘束していくことが、自由を最も生かす方法だ」という実存主義を唱えた共産主義者のサルトル(1905-1980)がいた。サルトルはベトナム戦争でも反戦を訴え、世界中で非常に大きな影響力があった。ところが、彼の主張は否定された。

レヴィ・ストロースは、「近親相姦のタブー」について、ブラジルの先住民族のフィールド調査を行い、このタブーが人類共通のものであり、それが「弱い遺伝子を持った子供が生まれるから」という従来の説を覆し、人類は、生来、いろんな部族と交流することで知識を獲得する性質を持っており、その具体的な方法として、《娘》の嫁入りにはどの種族にもタブーがあり、この《娘》の嫁入りは、極めて高いレベルの知識を使って行われていることを明らかにした。

構造主義と言われるレヴィ・ストロースらは、これまでのサルトルたちの《主体》を中心にする哲学に対し反駁し論争になる。しかし、サルトルは有効な反論が出来なかった。 文化人類学者で哲学者であるレヴィ・ストロースが、「近親相姦のタブー」[2]を研究し、この新たな発見によって主張したのは、世界を席巻している西洋の進歩主義は、正解ではないということだ。西洋文明も、世界中にある少数民族の文化と同一のレベルに過ぎない。人類の知恵のレベルは、《いわゆる未開》の民族も西洋人のレベルと同じで、彼らはサステナブルで発展可能な世界をつくる知恵を持っていると明らかにした。

その後構造主義は、ポスト構造主義といわれる主張へと変わっていくのだが、根底には、西洋思想が正解ではないといだけにとどまらず。絶対的な正解はないとか、言語や社会構造が、人間の思考そのものや、その人間の責任に帰すことが出来ないさまざまな制約条件になっているといい、既存の価値観をひっくり返した。

西洋が手に入れた『ダーウィンの進化論』を含む科学技術に対する信仰は、西洋を唯一無二の優れた文明だと考える思想から、西洋と他の少数民族の文明の間に優劣はないという構造主義にたどり着いた。それがキリスト教を否定し、先住民虐殺、植民地支配や黒人奴隷への西洋諸国の原罪意識を遅ればせながら生み出した。 そして同じく西洋中心の進歩主義の過ちに気づいた《ポリコレ》は、これを利用した。

テニスフリークの親爺は大坂なおみを批判する気は全くない。

しかし、現状で、実際に起こっていることは、『行き過ぎ』である。この本で言うように、アメリカで起こる殺人事件の7割は、黒人同士の間で起こり、白人警官が黒人に射殺される方が圧倒的に多いにもかかわらず、黒人が白人警官に殺されたという極めて少ない事件がクローズアップされ、過剰に報道される。それがBLM(ブラック・ライブス・マター)の報道であり、LGBTQの報道である。

また、アメリカで強く主張されるのが、《批判的人種理論[3]》(Critical Race Theory)というものである。これは、社会の仕組みが悪いから、黒人が貧困で社会的地位が低いままだというような単純化された理論である。この理論をもとに、小学校で偏向教育が行われ、南部の白人の多い州では「まるで白人が悪者になったような」教育が行われていたりする。こうした批判的人種理論に則った政策は、民主党が推進し、共和党が反対するという構図になっているが、親爺も行き過ぎだろうと思う。

そして、最初に戻って考えると、同じエルサレムで生まれ、同じ神を崇めるユダヤ教もイスラム教も変わらない(ように見える)が、さんざん他民族に暴虐を働いたキリスト教(カトリック、プロテスタント)は大いに変質した。

親爺は思う。《ポリコレ》派は、人間が言語と社会構造から逃れられないという構造主義の思想を使って、差別に苦しむごく少数者の苦しみを大きく取り上げて騒ぐことで、無関係の大多数を巻き込み、社会を分断・対立させ、あげくに多くの人(とくに一般の庶民であるキリスト教徒)を黙らせようとしていると思えてきた。

長くなってすいません。😨

おしまい

[2] 「近親相姦のタブー」 レヴィ=ストロースは、20歳を過ぎほどなく、ブラジルの新設サンパウロ大学で教授となる。休暇を利用して、カデュヴェオ族、ボロロ族の地に足を踏み入れるようになり、その後、ブラジルのナンビクワラ族やトゥピ諸族の現地調査を行うようになった。近親の女性と性交渉(結婚)の禁止は、女性の他集団への移動を促進する。

男性から見て、母方交叉イトコという結婚規則が存在する場合、女性は、A→B→Cという順に、循環的に交換される。(説明省略)

こうした縁組ルールは、女性を他集団へ送りだし、自集団に他集団の女性を迎え入れるという交換である。自集団だけで性交渉(結婚)していたのでは、やがて、集団は閉じてしまう(社会環境は成立しなくなる)。別の集団の間で性交渉(結婚)を行うことは、人類にとって、最も重要な次世代を生み出す女性の確保と交換を行う社会環境を成立させる。「結婚は女性の交換である」。インセスト・タブーは、社会を閉じて消滅させる不利な行為を禁止し、社会環境を人類社会にまで発展させることを可能にした。いいかえれば、インセスト・タブーの原理こそが、人類社会を成立させたのである。家族とは;はじめから交換する主体として家族があるのではない。禁止することによって、交換する主体としての家族がつくり出される。婚姻規則によって組織化されたその出自集団は、近隣の家族・親族集団と友好な関係を結んで、経済的資源の獲得をめぐって起きる争いを未然に回避し、平和的な秩序を維持しようと努める。(立教大学の【第8回】レヴィ=ストロースの縁組理論から)

[3] 批判的人種理論 人種差別は差別的な考え方を持つ個人の「心の問題」以上に、「社会そのものにある」と考え、長年の公民権運動やその後の諸改革にもかかわらず、人種的な差別や格差が根強く残っているのは、制度や構造が生み出しているという見方である。ところが、この理論が授業に持ち込まれ、白人が数的に圧倒的に多い南部や中西部の多くの州の人々は「自分たちがいつの間にか悪者になっている」「白人差別だ」と感じる。保守派のフロリダ州のデサンティス知事の言葉を借りれば「国家公認の白人に対する人種差別」「子供たちに読み方を教えるよりも、お互いを憎むことを教えたがっている」ということになる。(Yahooの上智大教授、前嶋和弘さんの記事から抜粋)

また、BBCが日本を舞台にした『痴漢動画の闇サイトを暴く 売られる性暴力』を配信。 警察は動け、NHKはBBCを見習え!!

親爺は、文化放送のラジオ番組『おはよう寺ちゃん』という番組が好きでよく聞いている。6月12日に流されたこの番組で、イギリス在住の著述家めいろま(谷本真由美)さんが、BBCが『日本の痴漢動画販売の闇を暴く』というドキュメンタリー番組を放送したという話題が、東京とロンドンをつないで取り上げられた。

めいろまさんは、『世界のニュースを日本人は何も知らない』というシリーズがワニブックス新書で大ヒットして、あっという間に、シリーズ4冊目が売られている人気作家である。

そんなで、早速、そのBBCのドキュメンタリー番組を見てみた。

YOUTUBEからのスクリーンショット このバンドが痴漢動画のサイトに深く関わっている

これがあまりにすごい内容だ。ざっくりと内容を書けば、日本に住む中国人の仲間たちが、東アジアの各国(シンガポール、中国、韓国、台湾、日本)から痴漢など性犯罪のビデオを集めたサイトを目ざとく3つ作り、月に何万ドルもの金儲けをしている。それらの動画は《やらせ》ではなく、実際に行われた性犯罪行為の実写である。

この番組は非常によく出来ていて、日本の鉄道警察隊の刑事たちががラッシュアワーの地下鉄の駅でチームを組みながら張り込み、痴漢と思しき犯人に目星をつけ、怪しい動きをする男を確保して事情聴取する様子が実写で出てくる。他にも、列車で痴漢が捕まる場面も流される。ナレーションとともに「毎年、数千人の痴漢が逮捕され、多くは少額の罰金が科される。」との字幕が流れる。

おなじく、番組では日本人と中国人の女性が、それぞれ通学時に毎日痴漢被害に遭遇し、尊厳や自己肯定感を無くしてしまう経験が、悲痛に語られる。日本人女性は泣き寝入りをするのだが、中国人女性は自分で犯人を押さえて警察へ連れて行く。

若い時分に痴漢にあった女性たちが、電車での痴漢を無くす運動をしている様子も、番組は平行しながら取り上げる。

この番組を作ったBBCのメインの記者は、中国広州出身の女性記者である。彼女は、被害にあう女性を取材したり、日本の風俗「痴漢電車」へ取材に行き、その経営者と従業員である風俗嬢たちを取材する。この風俗店では痴漢がアミューズメントとして体験できる、と紹介されている。

やがて、番組はこれらの動画がどこで作られ、どこで流して、誰が儲けているのか追及を始める。このプロセスが、ドラマ並みの迫力で、記者だけでなく、音楽バンドの大物スカウトに扮したBBCの覆面記者が、中国人バンドに接触し、サイトの元締めである主犯人物にアプローチする。

最終的には、この女性記者と覆面記者たちは、主犯人物のマンションを突き止め、突撃し、罪を認めさせようとするのだが、主犯の中国人は逆ギレして、記者たちに暴力を振るう。主犯は、成田空港から出国したということも報道される。

このなかで、BBCは「公共の場で女性が性的に暴行されるのは、世界各地に起きている現象です。けれども日本では社会全体にはびこる問題です。との字幕が流れるのだが、この言説に親爺は共感する。

おっしゃるとおりです。日本はいろんなことが歪んでいるのです。 

おしまい

日経新聞のいい加減さ 真逆へ世論誘導

日本は30年来の経済不況と言われている。この要因は、人口減少、高齢化など様々な要因が言われるが、親爺は《為替レート》が非常に大きな要素だと思っている。

日本は第二次大戦後に目覚ましい復興を遂げるだけでなく、《ジャパン・アズ・ナンバーワン》という本がアメリカで出版されるほど好景気に沸いていた。

逆にアメリカは日本からの輸出に赤字が爆増、テレビでは日本からの輸入車をアメリカ人労働者がハンマーで壊すテレビ映像が連日流されていた。

1985年9月、アメリカは、G5である英国、フランスとともに、日本とやはり経済が好調だったドイツを呼び出し、為替レートの切り上げを要求した。この時の会合がニューヨークのプラザホテルで行われたために《プラザ合意》と言われる。もちろん、輸出産業にとっては、為替レートの切り上げは国際競争力の低下を意味する。

この時、日本の政治家と日銀総裁はアメリカの言うことをすぐに受け入れた。為替の《是正》という表現が使われたが、日本のバカな政治家たちはアメリカにやすやすと屈し、円高を容認し、これを機に日本は円高不況へ突入する。政府は円高不況に対し金利を下げたり不況対策を打つのだが、投資先を失った大量の資金は不動産へと向かい、バブルとなる。やがて、ハードランディングしてバブルは弾け、日本の不況は現在まで30年続くことになる。

この時、ドイツもマルク高の是正を求められたと言われている。しかし、EU創設の機運は1970年代頃から始まり、共通通貨であるユーロの開始以前から、欧州地域内の通貨共同フロート・メカニズムのせいで、ドイツの為替変動の幅は抑制されていた。経済のしわ寄せは、域内のイタリアやスペインなどの弱い国へと向かったが、ドイツは、EU域内で有利な交易条件を保てた。

ウィキペディアから プラザ合意の前後5年間のG5の為替レートの推移

上のチャートは、”Plaza Accord”と書かれた水色の破線が縦に入っているが、プラザ合意の前後5年間の為替レートの推移が示されている。対ドルの表なので、ドルが水平と考えたときに残りの通貨の水準がいくらになるかを示したものだ。 赤線がフランスのフラン、紫が日本の円、水色がドイツのマルク、緑がイギリスのポンドであり、アメリカ・ドルに対する比率を示している。 

見てのとおり、日本だけが4から6の水準にあったものが、2以下になっている。つまり、倍以上の円高になったわけだ。

同じ内容だが、円とマルクの為替レートの推移を下に示す。こちらは、1957年から2023年までの推移を示している。

上が1ドル360円時代から現在の1ドル130円ほどへと変化した日本の為替レートの変化である。日本は、プラザ合意を境に、倍の円高になっている。

下が同じ時期のドイツである。目盛りに注目してもらいたいのだが、そもそも日本と目盛りの幅がドイツとは違う。日本は、8倍の差がある。ドイツは4倍である。

似たような印象の二つのグラフだが、1970年代の水準から見ると、日本は倍の為替レートに上がっているが、ドイツは5割増し位である。しかも、1980年頃には現在と同じ水準の時期がある。つまり、ドイツは日本ほど為替レートが変化をしていない。

こうして日本は、為替レートが倍になり、輸出企業は競争力を半分失った。早い話、日本の政治家と日銀総裁たちは、プラザホテルで判断を誤ったのだが、誰も失敗を認めていない。経済専門紙を自称する日経新聞は、円高が契機で始まった不況だが、円高は円の信認が増した、良いことだとずっと持ち上げてきた。

通貨が高かろうが安かろうが国民にとって何の関係もない。通貨の信認が増し、日本の国が国際的に評価されたから円高が起こるという書き方を日経新聞はするが、信用力が上がったとしても、国民の腹は満たされない。そもそも、国際貿易が普通に決済されているということは、円に信認があるということだ。こうして、30年間、国民が円高を喜んでいたら、日本経済は空洞化した。

日本の製造業は壊滅し、ほどんど国内で売られている製品は、中国製などになった。スーパーで売っているもの、100均で売っているもの、非常に多くの品物が輸入品に置き換わっている。ごく一部の競争力の残っている工業製品や食料品などを除き、ほとんどの品が国際競争に負け日本で作られていない。製品だけでなく、無形資産であるデジタルの分野も、世界から2周遅れと揶揄されるほど悪い。

結局、日本は国力を失ったのである。日経新聞の責任は重い。

おしまい

BBC放送『J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル』ジャニー喜多川氏の罪はなぜ免責されるのか?


この似顔絵は、ジャニー喜多川氏の写真の掲載が許されず、BBCの記者モビーン・アザー氏が書いた。

最初に、ジャニーズ事務所とジャニー喜多川氏の成功の経緯をざっと振り返ってみる。その後に、BBCのドキュメンタリー放送が提起している問題点について考えてみたい。

● (1)ジャニーズ事務所の成功とジュニアに対するジャニー喜多川氏の性的行為の強要

彼は一代で、ジャニーズ事務所を立ち上げ、所属するタレントたちの多くを成功させた。ジャニーズは一大勢力を作り、日本の芸能界はジャニーズ事務所抜きでは考えられないほどに成長した。メディアに登場する芸能人のうち、ジャニーズ出身者は非常に大きなウエイトを占める。世界の芸能マーケットの大きさで、日本はアメリカに次ぐ第二位と言われ、その男性アイドルを使った手法を生み出したジャニー喜多川氏の功績が非常に大きいのは間違いない。

ところが、彼はジャニーズ事務所を始めたときから、デビュー前のティーンエージャー、それも10代前半の何の性的経験もない少年たちに対する性的虐待がずっと噂されてきた。「合宿所」と呼ばれている自宅や、コンサート先のホテルにジュニアのメンバーが宿泊する際、夜中になるとジャニー氏が夜這いをしかけてきて、そのまま肉体関係を強要するのだという記事を、「週刊文春」が1999年から2000年にかけ10回以上におよぶ追及記事を掲載した。これを不服として。名誉棄損でジャニー氏側が裁判を起こした。

この裁判の控訴審の東京高裁は<喜多川が少年らに対しセクハラ行為をしたとの各証言はこれを信用することができ、喜多川が少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの本件記事は、その重要な部分について真実であることの証明があった>と認定した。この判決は上告されたが、最高裁が控訴棄却をしたため高裁の判決が確定している。

ジャニー喜多川氏は、2019年6月すでにに死亡した。経営は姉の藤島メリー泰子氏(代表取締役会長)、その娘の藤島ジュリー景子氏へと経営の実権を引き継ぎ、経営の上層部には、ジャニーズ出身である滝沢秀明副社長(40)が就任したものの退陣し、井ノ原快彦氏(46)へ変わるなどゴタゴタが続いている。

この間、「週刊文春」がこの問題を取り上げたが、日本のテレビや新聞社は後追い報道をしなかった。その傾向は、裁判でジャニー喜多川氏のセクハラ行為が認定された後も、「公然の秘密」だったが、報道されなかった。こうした強いものに対する《忖度》の姿勢は、日本のマスコミの根本的な体質と言われても仕方がないだろう。

● (2)BBCの放送

2023年3月7日、BBCのドキュメンタリー『捕食者(Predator):Jポップの隠れたスキャンダル』が、ジャニー喜多川氏の少年に対するレイプ、性的虐待を、英国で放送した。

プレデター(Predator)が『捕食者』と訳されているので、意味をパッと掴みにくいのだが、このプレデター(Predator)は、『弱みに付け込んで他人を利用する人』とか、『性的に人を食い物にするやつ』というような意味であり、今回のケースは、『少年を対象にした性的倒錯者』というのがストレートでわかりやすいと思う。

かなり大きな反響が、この報道で、日本のYOUTUBEなどで引き起こしている。しかし、放送権の問題があるらしく《全編》をただで見ることができないが、アマゾンプライムで見ることができる。 《要約》が、YOUTUBEに何種類も上がっているので、こちらは簡単に見ることができる。《要約》にも、《全編》から切り取った被害者や街頭インタビューなどが流れるのでだいたい正確にわかる。

https://www.newsweekjapan.jp/joyce/2023/03/bbc-1.php ☜「BBCのジャニー喜多川「性加害」報道が問う、エンタメ界の闇と日本の沈黙」

担当したBBCの記者は、モビーン・アザーである。下がモビーン・アザー氏。彼のTWITTERである。

この番組でモビーン・アザー氏が問いかけたのは、次のことだ。 ジャニー喜多川氏の性的虐待は何十年も前からあった《公然の秘密》であり、名誉棄損(民事)裁判も行われて、被害者や目撃者も証言して、性的虐待の事実があったことが裁判で確定していると説明する。それなのに彼が刑事責任を全てを免れ、非難されることもなく、死後数年がたつ今でも、芸能界の貢献者として崇拝されているのは一体どういうわけか、また、日本のマスコミは口をつぐみ、まったく報道しないのは何故かという点だった。そこには、日本人の性質にどのような欧米人と違ったものがあるのかというような切り口である。

このような青少年に対する大規模なレイプ事件は、日本だけではない。ローマカトリック教会の最高の地位にある聖職者たちが、少年少女を対象に性的虐待を行ったことが、明らかになっており、ジェイソン・モーガンさんが「バチカンの狂気」で詳しく書かれている。

https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-47315445 ☜ 「カトリック教会の性的虐待スキャンダル、法王はどうする バチカンで会議始まる」という記事のリンク

アメリカでも、2017年にハリウッドの大物プロデューサーであるハーヴェイ・ワインスタインが、過去数十年にわたって弱い立場にある女性たちに対して性加害を行なっていたことが告発され、逮捕され、実刑判決が下された。

https://front-row.jp/_ct/17445837  ☜ 「女性俳優たちを襲う「枕営業」強要の闇、勲章を受けた大御所の告発すら否定される」フロントローの記事のリンク 

しかし、こちらは、当然ながら日本のマスコミもまともに報道した。

ところが、このジャニー喜多川氏による少年のレイプ事件は、日本の新聞、テレビ、ごく一部の週刊誌を除きまったく報道されていない。

2023年3月7日に放送されたこの番組で、BBC記者モビーン・アザー氏が被害者にインタビューすると、「(もちろんされたことは、正しい事ではないと思っているが)今でも、ジャニーさんのことを好きですよ。お世話になったし、愛情を持っている。」と被害者は一様に答える。

次に街頭を行く人にインタビューすると、その人たちもやはり口を揃えて、「誰もが知っているけど、さほど悪い事じゃない。」、「追及することじゃない。」、「有名になるのが一番の夢で、『枕営業』は仕方ない。」といった反応を示す。

モビーン・アザー氏の問題意識は、「日本でジャニー喜多川氏の性的虐待は公然の秘密であり、それを取り巻く沈黙もまた恐ろしい。」、「インタビューを受けた人に失礼だが、彼らの言うことを理解できない。」「日本に正義を求める動きはまったく見られない。」「日本には問題に取り組む気がないのだろ。」という。 同時に、彼は日本人のこれら反応が、「予想外」であり、「落ち込んだ」ともいう。

都心に大きなビルが聳え立っているのを見ながら、「これは日本社会が見て見ぬふりをしている結果だ。今回、警察をはじめとして芸能リポーターや音楽プロデューサー、新聞、テレビ局にも取材を依頼したが、すべて拒否された。ジャニー喜多川氏は他界してもなお守られている。」(2019年のお別れ会では国民的英雄として首相から弔電が送られている。)「そして子供を守る必要性は十分に認知されていない。それが何よりも残念なことだ。」

こうした指摘に加えて、グルーミング[1]を指摘する。グルーミングとは、弱い立場にある年齢のいかない少年少女を性的に支配する際、支配する側が、支配される側をそうした行為が精神的に悪いことではないと思わせて支配を続けることを言う。それが今回の事件でもあると指摘する。

● (3)結論

このようにBBCのドキュメンタリー『捕食者:Jポップの隠れたスキャンダル』は、異常な性的犯罪がなぜ日本で見過ごされているのか、日本人のメンタリティーを問う方にウエイトがある。

親爺が思うのは、まったくBBC記者モビーン・アザー氏の言うとおりだと思う。

日本に正義や公正があるのか怪しい。特にマスコミは《報道しない自由》を発揮し、重大で肝心なことを報道せず、どうでもよい芸能人や政治家の不倫報道などやりまくる。そこらじゅうで、力のあるものに《忖度》し、それでも平気のへいざ(「平気の平左衛門」)を決め込んで情けないと思っている。

ただ、一方で、欧米の価値観である《自由》《平等》《民主主義》などが、本当に普遍的なものかどうかという点については、怪しいと親爺は感じている。むしろ、明治以前の日本にある考え方の方が普遍的ではないかと思ったりする。

それら両方を考えても、やはり《今の日本》はおかしい。ジャニー喜多川氏が、刑事責任を追及されなかったのもおかしいし、テレビや新聞社が、影響力の大きさにひるんで報道しないというのは、マスコミの責任や矜持を放棄しているのに等しい。また、日本人全体で見たとき、ジャニー喜多川氏の行為が《公然の秘密》と言いながら、多くのスターを育てた功績の前に、性的虐待が《仕方ない》と街頭インタビューで語るのも、世界的に見れば、異常だというのはよくわかる。海外の目からすれば、「日本人全員が、狂っている。」と見えるだろう。

長いものに巻かれて、それを良しとする国民性ということになると思うが、つまり《負け犬根性》が染みついているということだと思う。

おしまい

[1] グルーミングとは、もともと「(動物の)毛づくろい」という意味だが、性犯罪の文脈においては、子どもへの性的虐待を行おうとする者が、被害者となりうる人物に近づき、親しくなって信頼を得る行為をさす。チャイルドグルーミングとも呼ばれる。グルーミングは、加害者が被害者に性的虐待に同意するよう強要し、逮捕される危険を減らすために用いられる。幼い子どもに対して最も多く用いられるが、10代の若者や、大人も同様な危険に晒されることがある。家族や親しい友人、コミュニティのリーダーなど、被害者と自然に接することのできる関係のある人物がグルーミングの加害者となり得る。https://ideasforgood.jp/glossary/grooming/

《ホス狂い》のトー横キッズたち 若者よ、日本を捨てろ!脱出せよ!

● 日本で生まれた若者のうち、半数以上は希望がない。ひと月働いて、20万円になるかならないかの給料しかもらえず、税金や社会保険料を引かれると、手取りは15万円程度にしかならない。そんな金額では、家賃、食費などの必要経費を払うと、趣味や好きなことに使うお金は全くない。貯金もできない。 大学に行ったとしても、卒業時にに《奨学金》という、実際は借金である《学生ローン》を抱えた卒業生たちが5割に上り、平均300万円のローンを抱えて卒業する。

● この《学生ローン》を抱えた卒業生は、ハンディキャップを抱えて、はるか後方のスタートラインから社会人人生を始めることになる。ローンを抱えた女子学生の大半は、給与が安くて普通に結婚して子供を作るなんてまったく考えられないと言うし、男子学生も恵まれた会社に入れなければ、結婚を考えられないだろう。生涯未婚率は年々増えている。

● 歌舞伎町にはトー横キッズと呼ばれる、ホストクラブでホストに貢ぐお金を稼ごうとする売春目当ての若い少女たちが大量にいて、中高齢の小金を持ったおっさんや風俗スカウト、AVの撮影者たちがその若い肉体を求めて集まってくる。その少女たちは、ごく普通の少女たちなのだが、多くがホストクラブの《底なし沼》にハマった少女たちだという。最初の1回だけ、1000円、2000円でホストクラブへ行けるらしい。そこで代わる代わるイケメンのお兄ちゃんたちと楽しい会話をして、自分をすべて肯定してくれる人生最高の時間を過ごし、舞い上がってしまう。 

● 親爺は思うのだが、日本の若者の《学校教育》は、勉強(成績)第一で、協調性を重んじ、出るくぎは打たれる的な社会全体の雰囲気と画一的な教えで、若者はがんじがらめにされており、一握りの《東大》に入った成績優秀な子だけが認知されるような社会になっている。そうでない子にとっては生きていても楽しくない。特に女子は、家庭的で我慢づよく優しく、男にとって可愛いことを求められる。こんな国は、ほとんどの女子にとってストレスたまり放題だ。そんな彼女たちは、初めて行ったホストクラブで、過去になかった楽しい経験をして、簡単に《ホス狂い》になってしまう。

● 2回目以降に行くホストクラブは、《担当》のホストに貢げる限りのお金を貢ぐことになる。ホストの成績は、売り上げで決まる。ホストの成績を上げるために、シャンパンを入れたりすると、20万円ほどかかる。普段の日常生活では大した給料をもらっていない彼女たちは、軽い決心で風俗へと走り、ホストへ貢ぐお金を稼ごうとする。つまり、《空気を吸うように自然に売春する》ことで、中高年のおっさんたちから数万円の小金を巻き上げ、少女たちがそのお金をホストへ貢ぐ《食物連鎖》が出来上がる。 

●「歌舞伎町と貧困女子」を書いた著者の中村淳彦さんは、Z世代(2000年以降の生まれの若者)の普通の女子が、自ら貧困へと《ホス狂い》に陥る現象が、歌舞伎町で起こっていると書いているが、やがて東京の隣接県へ、地方都市でも起こるだろうと書いている。

「トー横キッズ」の少女を売りさばく歌舞伎町・悪徳スカウトの手口

https://www.news-postseven.com/archives/20211214_1714202.html?DETAIL ☜記事本文

● コロナでアルバイトが出来なかった女子大生のうち、地方から上京してきた多くの女子大生たちは、学校へも行くことが出来なかっただけでなく、田舎へ帰ることすらも出来なかった。それでも授業料はほとんど免除されなかった。景気の良かった時代と違って、親からの仕送りはゼロか、あっても一部分だけだ。そんな彼女たちが生活していくためには体を売るしかない。パパ活、AV出演、デリヘル、ピンサロ、大学がひしめく沿線の待機所は部室のようになったという。

● 男子学生は、闇サイトで見つけた裏バイトの犯罪に走る。マスコミは、毎日あちこちで警察からリークされた犯罪報道を垂れ流している。マスコミは、なぜそういう犯罪が増えているのかという原因を追究する角度からは決して報道せず、不安を煽って、犯罪に引っかからないよう注意を促すだけだ。

● 若い男子は、本来老人を軽々と否定し、乗り越えたいはずだ。ところが、そのような態度をとれば、会社でのポジションが危うくなる。それで必要以上にいい子を演じて、料理も育児も、家事も分担する良い子であることを続ける選択肢をとる。つまり、ヤンキーの居場所がどこにもなくなった。 再度言うが、若者、とくに男子は、年寄りを否定して社会を変革したいはずだ。ところが、そのための勉強を教わっていないので、同じ社会の中で守旧派を演じざるを得ない。

● 自民党をはじめ、野党ですら既成政党の政治家のほとんどが、坊ちゃん、お嬢ちゃん育ちの世襲議員でまったくの世間知らずだ。世襲議員でない場合は、前職が霞が関のキャリア官僚経験者であったり、経営者などの恵まれた環境で育ったボンボンたちばかりだ。当然ながら、多くの若者がお金がなくて体を売ったり、犯罪するしかないなどの状況に追いやられているとは想像力が働かない。かりに、知識として知っていても、若者の投票率は低いから、若者のための政策をしようとは思わない。新しく生まれた政党には、国民のことを考えている政党がいろいろあるが、なにしろ人数が少なすぎるので、何の力も発揮できない。

「仲良く貧乏」を選んだ日本は世界に見放される1人当たりGDPは約20年前の2位から28位へ後退
(東洋経済から)

● 上のチャートが、よく言われる過去30年間の日本の経済政策の失敗の歴史である。これを見ると、日本の経済成長は30年間ほぼゼロである。一人当たりGDPで、韓国に抜かれ、チャートにはないが台湾にも抜かれたという。GDPの合計値で、ドイツに抜かれるのも時間の問題で、世界第4位に転落する日も近いと言われる。結局、この経済政策の失敗が、若者にしわ寄せを起こした。老人は、比較的貯蓄もあり比較的気ままに暮らしているのだが、多くの若者は世界の成長から完全に取り残され、悲惨だ。

ところが、海外で頑張れば・・

● 海外へ行けば、職業によるだろうが、大変な介護や肉体労働などでは月に100万円近く稼げる。下のリンクは、NHKのクローズアップ現代という番組が、日本を脱出した若者が、海外で日本の数倍の給料を手にするだけでなく、《希望》も見つけたという内容だ。

https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4746/ ☜こちら記事のリンク。詳しく読むことができます。

おしまい

オリンピックにかかった経費について考える その2 (組織委員会の情報公開は?)

電通の本社(日経新聞HPから)

●オリンピック組織委員会の全体の調達(契約)額について

東京2020組織員会の2014~2021年度の調達情報が、下の図のとおりオリンピック・パラリンピックの東京都ポータルサイトに掲載されている。

2014年度~2021年度 調達全体の状況(東京都ポータルサイトから)

この表を見ると、総額が6,825億円、うち競争契約したものが2,165億円、随意契約したものが4,660億円である。随意契約が競争契約の倍以上あり、公平性を保って契約したのか知りたいというのが、納税者の気持ちというものだろう。

この競争契約と随意契約の違いの詳細については、後に述べたい。(前回その1のブログに書いた6,400億円と数字が400億円ほど違っているが、おそらくデータの集計方法が微妙に違うのだろう。)

● 一例として、2018年度の調達情報を見てみると

2018年度の調達情報の総括表は次のようになっている。この年度に2,504億円契約し、競争契約が1,364億円、随意契約が1,139億円である。

2018年度 調達全体の状況 (PDF 0.3MB)

この年度のうち、オリンピック委員会が公表している具体的な調達(契約)情報を例を上げて見てみる。

例えば、2018年6月に入札が行われた「テストイベント実施に向けた計画立案及び計画支援業務(5) さいたまスーパーアリーナ」という電通が落札した案件は、次のような形式で公開されている。(この形式で公表しているのは、競争契約に限られる。)

調達(入札結果一覧)から

赤線は、親爺が引いたものだが、技術点と価格点を評価する総合評価落札方式で行われ、「他社より優位と認められた」と書かれているので、応札は複数社あったように見える。

下が、2018年度の案件一覧である。

2018年度 調達案件一覧

● 疑問点を書いてみる

2018年度の調達情報の総括表を見ると「競争入札」という区分に「184件」と書かれており、赤字でアンダーラインを長くひいた案件一覧には当該案件が「競争入札」と書かれているので、「競争入札」には、《総合評価落札方式》と《一般競争(価格のみの競争)》の両方が含まれているようだ。 一覧には、契約金額の記載がないので、両方を照らし合わして見る必要があり、不便である。落札者は書かれているのだが、実際の応札者は、他に誰がいたのか書かれていない。

また、「プロポーザル」が競争契約に分類されているが、「プロポーザル」は、提案を意味し、《価格》を考慮していないと受け取れるので、随意契約に分類すべき可能性がある。

また、「パートナー供給」、「特定契約」の二つは随意契約に分類されているが、金額が非常に大きい。これについては、会計処理規定を参照しながら今後、見ていきたい。

その3へ続

その2 おしまい

オリンピックにかかった経費について考える その1(総合評価落札方式が生まれた経緯となぜ公表義務がないのか)

●問題意識

親爺は例えば、オリエンタルラジオ・中田敦彦さんのYOUTUBEなどを見て、オリンピックの経費の詳細について怪しいなあと思っていても、、オリンピック委員会に情報公開の義務がないために追及の方法がないのはよろしくないと思っていた。 同様に、郷原弁護士の「日本の権力を斬る」という正義感溢れるYOUTUBEを見ながら、東京地検が電通の高橋理事容疑者らを受託収賄罪で捜査、逮捕したことを応援していた。この高橋容疑者の逮捕は、オリンピック組織委員会の理事は「みなし公務員」になるので罪に問われたもので、民間人なら罪に問われないとのことだ。

その事件の背景であるオリンピック組織委員会が発注する契約は実際にどうなっているのか、ネット上にある公開情報を、さらっと、調べてみることにした。これまでのサラリーマン生活の経験で、おそらくオリンピック組織委員会は、様々な調達(契約)に際し、仲間内で仕事を分配していたのではないかという懸念をぬぐえないからである。

その具体的な事例を見る前に、国などの公的機関の調達方法の変遷、《総合評価落札方式》入札という方式が生まれた経緯について、まず触れたい。

2009年から2013年の間続いた民主党政権の直前に、国には埋蔵金があると言い出し、埋蔵金はもちろんなかったのだが、民主党は《随意契約》が無駄の温床だといって、何でも《一般競争入札》にしろといい出した。

なんでも一般競争入札で契約するのは、事務方としては大変な業務であり、応札する側も落札できないとそれまでの努力が無駄になるので、大きな犠牲をはらうことになる。とくに期限が決まっているオリンピックなどの事業の場合は、入札がもし不調になると、工程の遅れに直結する。

ところがこの時、霞が関の官僚たちは、《随意契約》を避けるための知恵を働かせ、「総合評価落札方式一般競争入札」という新手を編み出した。これまで、《一般競争入札》というのは、極めて厳格な仕様書を作成し、価格のみで入札するのが一般競争入札だった。このルールを変えて、《提案書》と《価格》の2本立てで契約できるようにして、これを一般競争入札のカテゴリーに入れた。

この《提案書》は、発注者が提示した案件概要や入札説明書などに従って、応札者がどのように業務を遂行するのかを提案するものだ。この採点には、応札社の過去の類似業務の実績や従事する社員の経歴や経験も評価の対象になる。 同時に、それとは別に《価格》を書いた札も入れる。 この提案書と価格の配点割合は発注者が決め、半々あたりが多いはずだが、価格よりも出来栄えを重視する際には、提案書の評価のウエイトを倍にしたりする。 問題なのは、この提案書の採点を基本、発注者側がすることだ。発注者側の管理職が複数名で当たることが多いだろう。

コンサルタント業務を別に委託している場合や外部の専門家に採点を依頼する場合は、そちらが当たるかもしれないが、コンサルタントは業務を受注している立場であり、外部の専門家の場合は《謝金》を受け取っているはずなので、発注者の意向を働かせることが容易なことが想像される。これらの場合でも、評価者は4名ほどで採点しているはずで、発注者の内部の管理職などが含まれることが多いと思われる。

つまり、受注者を誰かにしようという外圧がもしあった場合、このような定性的な採点では公平性を保った判断ができない。つまり、悪事が背景で働いていても、「信念に従って、正しい判断しました。」と言われれば、それ以上追及のしようがない。

————————————–

今回のオリンピックでは、かかった経費が1兆4,200億円と公表されている。見込まれてた1兆6,400億円だったものが、簡素化やコロナによる無観客になったために約2,000億円減ったという。

1兆4,200億円の内訳は、オリンピック組織委員会が6,400億円、東京都が6,000億円、国が1,800億円を使ったと公表されている。

東京都オリンピック・パラリンピック調整部のHPから

●公益財団法人には公表義務がない

この6,400億円を使った一般公益財団法人であるオリンピック組織委員会の情報公開すべき義務は、財務諸表などのみである。そのため、どんな契約を結んだのか、つまり、具体的な契約書や契約のプロセスは、国民の目に明らかにされない。それで、冒頭のような新聞記事が出る。

親爺は、公的な資金が投入された世紀の大事業であるオリンピック事業で、マスコミがもっと積極的にどのようにお金が使われたかを追及すべきだと思っている。ところが、マスコミは、政治をチェックするという本来の機能をまったく果たしていないと感じている。

その2へつづく

その1 おしまい

文芸批評もガラパゴス? 夏目漱石研究者 ダミアン・フラナガン その1

グレン・グールドオタクの親爺は、グールドの人生観や芸術観を知りたいとずっと思ってきた。 というのは、グールドは子供のときから「結婚はしない」と発言したり、「最後の清教徒」と自称したりする人間だった。これがどこまで本気なのか、目くらましの韜晦だったのかを知りたかったわけだ。 同時に、彼が生きた時代は、第二次大戦前の宗教を含めた古い価値観から、1950年代以降の自由奔放で新しい価値観への転換期であり、その価値観の中に、性(セックス)が大きな柱だったのは間違いがない。そして、芸術観についてもプレスリーや、ビートルズ、ロックミュージックなどたくさんのポップミュージックが登場する時代で、グールドはクラシック音楽の芸術性をどう考えるか悩んでいたはずだ。

ダミアン・フラナガンさん 毎日新聞から

そうしたグールドは、夏目漱石の「草枕」を知り、その小説の虜になる。その小説は、世界の芸術を比較考察しながら、どんな芸術が価値があるか、どんな芸術は価値がないのか考えるもので、芸術と向き合う芸術家の心構えをも考察していた。

親爺は、日本人なので、「草枕」を新仮名遣いの日本語で読んでみた。この「草枕」は、日本だけではなく、西洋と中国の芸術に対する夏目漱石の博覧強記ぶりを強烈に示しており、親爺のような凡人が全てを十全に理解するのは難しい。 ただ、何度かこの小説を読むうち、だいたい夏目漱石が言わんとすることが分かってきたような気がする。

他方グールドが読んだ「草枕」は、当然英訳本ということになる。いくつかの解説書などを読むと、日本語版より、英訳版の方がずっと理解しやすいと言われる。つまり、漱石の格調高いが、難解な古語や漢語が平たくわかりやすく表現されているからだ。

親爺は、2種類の「草枕」の英語版を手に取ってみた。英訳を最初にしたのは、アラン・ターニー(1938-2006)版なのだが、KINDLE版には、メリディス・マッキンリーという翻訳者もいる。

アラン・ターニーが翻訳したペーパーバック版は、新装(2011)されており、この本の冒頭に40ページ弱にもわたる非常に充実した内容のイントロダクションが掲載されている。これを書いたのが、ダミアン・フラナガン(1969-)さんという人物だった。

このダミアン・フラナガンは、イギリス人の日本文学研究者なのだが、夏目漱石を読んで感動し、はるばる日本へやって来て日本語で博士号をとり、日英両語で漱石をはじめとする日本文学の研究成果を出版している。

彼は、当然ながらイギリス人であり、縁もゆかりもない日本語をゼロから勉強し、それも古語と言っても良い明治時代の日本語を勉強して、その研究成果を日本語で論文にする労力は、並大抵ではなかっただろう。

その彼の書く日本語の評論は、はるかに他の日本人の書いた評論より、内容の密度が高く、説得力のあるものだ。しかし、日本人の国文学者先生たちのうけは必ずしも良くなかったようだ。

というのは、彼の夏目漱石観は、他の日本人評論家の漱石観とはずいぶん違っており、日本では夏目漱石が、芥川龍之介と並んで国文学を代表する作家であると紹介されているが、それはまったく間違いだと彼は言う。

つまり、明治時代に西洋文明にキャッチアップしようとした知識人である夏目漱石という個人が、個を確立するために苦悩した物語と捉えられることが日本では一般的だが、これは間違いで、夏目漱石は、シェイクスピアに勝るとも劣らない普遍的なテーマを扱った世界的大作家だと言う。

親爺は、日本の文芸批評には詳しくないのだが、このフラナガンの夏目漱石論は日本の文壇でどうやら、完全に賛同を得られているわけではなさそうで、なぜこれだけ説得力のある文芸批評が受け入れられないのか、そこにはやはりガラパゴス化した日本の閉鎖性があるのではないかとつい思ってしまう。

—————————-

彼が、日本文学を研究するようになった経緯を紹介する。ケンブリッジ大学に在籍していたフラナガンは、19歳の時、大学の図書館にある翻訳された夏目漱石を読み漁る。「吾輩は猫である」「それから」「彼岸過迄」「坑夫」「それから」「門」「草枕」「三四郎」「坊ちゃん」「行人」「明暗」を読む。彼が言うには、夏目漱石の着眼点に感心したという。

そもそも、彼は17歳の時に、自然科学を学ぼうとケンブリッジ大学に合格、在籍していた。しかし、体験就職と世界各地の旅行を経て、このまま自然科学を学んでも「工場」で実験する日々が続くに過ぎないと思い、専攻を変え、東洋学部日本語学科へ転入する。

それが縁で、日本への旅行と国際基督教大学で1学期を過ごし、東京から京都への自転車旅行などをするうち、生涯を文学の研究に身をささげようと決心する。英国に戻った彼は、まず英文学を専攻するためにケンブリッジ大学へ舞い戻る。今度はここで、ギリシャ悲劇、サルトル、ジョージ・エリオット、ジョセフ・コンラッド、ジョイス、メルヴィル、シェイクスピア、オーデン、英文学ではないが、ドストエフスキー、トーマス・マン、スタンダールなどを読み漁る。

こうして彼は、英国で正統派の英「文学」を学ぶのだが、英「文学」がピンと来ない。むしろ、夏目漱石の方がピンとくる自分に気づく。

こうして世界の文学と夏目漱石の両方を読みふけるフラナガンは、漱石の背後にニーチェの影響があることを確信する。フラナガンは、この夏目漱石がシェイクスピア以上の文豪だと確信し、再来日し、今度は日本語の勉強から始め、神戸大学で夏目漱石を研究し、文学の博士号をとった。 これが大体の経緯である。

次回は、そのフラナガンの夏目漱石観について具体的に触れたい。

その1 おしまい

いま、日本は行く末を左右する剣が峰にある!!

今、われわれは、日本が30年来の不況から成長へと回復できるかどうかの瀬戸際にいる。そして、われわれが持つ金融資産も非常に危うい状態にある。つまり、株や投資信託が暴落する可能性がある。

日本には二つの進行中の大事なトピックがある。一つは、下に引用した国債の60年償還ルールと防衛費増税の問題であり、もう一つは、この4月8日に予定されている日銀総裁交代による金融政策の変更があるかどうかである。

日本経済はもちろん悪い。30年来のじり貧状態が極まっている。 おまけに、コロナで被害を被ったところに、ウクライナで戦争が始まり、グローバリズムは終焉した。つまり、前提である自由貿易が極めて怪しい。

ヨーロッパの経済は大インフレであり、そもそも以前から悪い。アメリカも過去にないほどのインフレが起こっている。この欧米などは、コロナで減税と財政支援を積極的にやってきた。そこへ、ウクライナ戦争が起こって、エネルギーや小麦などの価格が暴騰し、デマンドプル・インフレとコストプッシュ・インフレが同時に起こっている。

デマンドプル・インフレというのは、国民の側に所得アップなどがあり、それが需要を増やしインフレになる、普通というか、望ましいインフレのことだ。他方、コストプッシュ・インフレというのは、戦争や災害などにより供給量が減り、輸入している場合にはそのもののコストのみならず、それらを使った製造費なども上昇して、インフレが起こる。これをコストプッシュ・インフレと言うのだが、戦争や災害は、国民にどうしようも出来ず、従来の経済学では解決不能と言われている。悪性インフレである。

アメリカは急激に金利を上げ、世界中を通貨安に陥れたが、コストプッシュ・インフレに対する利上げは、国民には間違った政策であり、資産家の救済であり、アメリカの不況は長引くだろうと言われている。 

日本で起こっているのは、コストプッシュインフレである。

中国も当然悪い。ゼロコロナ政策で生産が落ち込み、何より、西側諸国からデカップリング(切り離し)政策を取られ、これまでのようにグローバリズムの最大の恩恵を今までのように受けられない。 韓国も通貨安が起こり、不動産バブル崩壊が懸念され悪い。この国はなにより政治が不安定だ。 要するに世界で調子のよい国はどこにもない。

日本が30年間の不況を続けてきた原因が少しづつ理解されてきた。つまり、政府による通貨の供給不足である。

この大問題を解決できるかどうか、大きな試練が瀬戸際まで来ている。日本は、国債60年償還ルールというのを世界で唯一持っており、これを止めれば毎年16兆円以上好きに予算を使えるのだが、これを自民党と政府で見直しの検討をしている。もちろん、バックには大反対する財務省がいる。

もう一つのトピックは日銀総裁の交代で、金融緩和策を見直して、金利を上げるのかどうかである。日銀が昨年12月末、突然、0,25%から0.5%へと長期金利の誘導幅を見直したら、日経平均が1,500円下がった。これで分かるように、日本で金利を上げる(日銀が、政策変更でないと言ったのだが、世間は利上げと受け止めた。)と景気をさらに冷やすので、不景気は続くのだが、金利が上がった方が都合の良い関係者は大勢おり、主流派の経済学者やマスコミがそうだ。

つまり、あまりに問題の多い日本経済なのだが、この二つの行方いかんで、日本はさらに沈没するか、浮上のきっかけをつかめるのかという剣が峰にある。それだけでなく、気を付けていないと、金融資産が暴落して国民が損害を被りかねない状態にある。

防衛費倍増に必要な「5兆円」教育や医療に向ければ何ができる? 自民提言受け考えた(東京新聞)親爺は新聞も不安を煽るだけでなく、もっと勉強して欲しいと思っている。

おしまい

【衝撃的展開!!】なぜニュースにならない?防衛増税問題での党内議論の全貌!財務省が事実上、従来説明を撤回した!(西田昌司ビデオレター 令和5年1月20日)
いよいよ追い込まれた財務省が本気で動いてきました【増税/ニューソク通信/須田慎一郎】

「60年国債償還ルール」見直しへ検討開始!!

自民・世耕氏“国債償還60年ルール”見直しへ検討を 1/11 日テレNEWSから

ブログの前2回で、「60年国債償還ルール」があり、16兆円の予算を圧迫しているという話をした。この「60年国債償還ルール」は、有名無実のルールであり、実際には償還期日がきた国債は、借換債を発行して償還をしていない。また、国債の残高を減らすということは、市中の通貨流通量を減らすことになるので不況になってしまう。

このようなことをブログで書いたつもりだった。

これに対し、自民党の世耕参院幹事長がこのルールの見直しの検討を開始すべきとの考えを1月10日に示した。自民党の「責任ある積極財政を推進する議員連盟」に属する議員たちは、この考えを以前から主張しており、萩生田政調会長をトップとする特命委員会で検討する。

自民・世耕氏“国債償還60年ルール”見直しへ検討を ←YAHOOの記事

そのトピックを語った動画が、下の元自民党衆議院議員・安藤裕さんである。

国債60年償還ルール見直し@andouhiroshi2

動画の要点は次のとおりである。

● 見直し議論を始める。

● このルールは世界中のどこにもない。

● このルールを外すと、16兆円の予算の余裕ができる。

● 国債発行は通貨の発行であり、残高を減らす通貨が消えるので不況を招く。

● こんなルールを作ったのは日本人の生真面目さが原因かもしれない。

● 60年と言うのは適当(いいかげん)である。建物の耐用年数がそれくらいだからである。

● 財務省は警戒している

● 野党は、ほんとうに不勉強である。(除くれいわ新選組)野党は、自民党にこれでリードされると立つ瀬がない。これだけ岸田政権の支持率が下がっているのに、野党は何をしているんだ。

● 「責任ある積極財政を推進する議員連盟」の会長である中村裕之衆議院議員が、「この措置は金利が低い今だから、出来ることだ」という意味の内容を述べているが、これは金利に関係ない。金利に関わらず、国債償還時には借換債を発行するので、償還していない。

おしまい