MMTの話 その2 《自国通貨建てで国債を発行できる国はどこ?》

「個人向け国債」があるゆえ、国の借金と誤解されやすい。

MMTの主張に、変動相場制を採用する国で、自国通貨建てで国債発行できる国は、いくら国債を発行しても、デフォルトしないというのがある。

つまり、自国通貨建てで、じゃんじゃん国債を発行して、通貨安になったりの影響はあるにしても、その返済期限がきたときに、その国の政府は自国通貨を増刷すれ良いだけなので、デフォルトしないという理屈はわかりやすい。実際にその趣旨のことが、日本銀行のホームページも書かれているということだ。

じゃあ、じっさいにどういう国が該当し、どういう国が該当しないのか調べてみた。

朝日デジタルから

結論を言うと、このように自国通貨建てで国債を発行できる国は、アメリカ(ドル)、日本(円)、イギリス(ポンド)、中国(元)、スイス(フラン)、オーストラリア(豪ドル)あたりで、国ではないがEU(ユーロ)までらしい。これらの国や地域の通貨であれば、準基軸通貨国通貨ということで、信用もあり、広く流通もしているのでOKである。

逆にダメなのが、残りの国ということになる。例えば、アルゼンチンは、何度もデフォルトしているはずだが、こちらもペソ建てで借金するのではなく、ドル建てで借金するからこのような事態になる。現在のアルゼンチンもまた、デフォルトの危機である。

同様に、お隣の韓国の通貨であるウォンは、世界で見ると流通量が少ないため、準基軸通貨ではない。また、韓国は、民間企業がドル建てて借金することが多いらしく、アメリカが金融引き締め(テーパリング)を表明しただけで、ウォン安になり、ドルの外貨準備も少なく、東アジアの通貨危機の再現になるかと危惧されている。

また、ドル以外のペソやウォンといった現地通貨で発行する際には、その国の政府が、簡単に通貨を増刷して返済できるメリットがある。しかし、信用力が落ちるので、その分金利を上げて発行する必要があり、不利になる。

ギリシャは、昔ドラクマという通貨を持っていたのだが、EUに加入した結果、通貨発行権を奪われた。このため、経済危機に陥った時に、EUがなかなか助けてくれず、ギリシャ国民は窮乏生活せざるを得なくなった。

このあたりの事情は、イタリアやスペインでも同じ事情がある。

国債の発行とは関係がないが、逆に、EUでいわれていることは、ドイツだけが一人勝ちしているということだ。ドイツはもともとマルクを使っていた。ところが、EUができて、ユーロを使うようになると、域内で競争力のある自動車をいくら売っても、マルクであればやがてマルク高になって輸出競争力が削がれるのだが、ユーロの場合は、いつまでたってもそのような現象が起こらないので、ドイツの一人勝ちになる。 このような事態が起こっているので、EU全体を見たとき、EUの困難を予想する人は多い。

ただ、注意しなければならないのは、日本が順基軸通貨国の地位にあるのは、過去の経済や、海外に対して最も債権をもっているという結果であり、今のような低成長を四半世紀も続けていると、その地位を失う日は近いだろう。そういう意味で、緊縮財政を止め、財政支出をするという経済政策の転換をただちにすべきだ。

おしまい

MMTの話 その1 《 お金は血液だ!》

MMT( Modern Monetary Theory : 現代通貨論)の話をしたい。MMTが広く世間に認知されるなら、お金が原因になっている問題のほとんどが解決するから。そのためにはまず、なぜ経済学の世界で、MMTがなかなか認知されない事態になっているのか説明するところから始めたいと思う。

《経済学の変遷》

経済学の歴史を見渡すと、『国富論』を書き、経済学の始祖と言われるアダム・スミス(1723年 – 1790年)というイギリス人が最初である。この人物は、現在の経済学で出てくる商品、労働、価格、利子、貨幣、資本など、今ある概念の殆どを提示した。また、市場には「神の手」があると言ったことで有名な人物である。この学派を古典派経済学と言う。

アダムスミス(WIKIPEDIAから)

アダムスミスから100年たって、やはりイギリス人のケインズ(1883年- 1946年)が登場し、1936年に『雇用・利子および貨幣の一般理論』という経済学の一大著作を発表し、ケインズ経済学が主流派の位置を占めるようになる。彼の主張によって、アメリカではニューディール政策、ドイツではアウトバーンの建設が実施され、景気回復に大いに貢献したと言われる。ケインズ経済学の登場はケインズ革命と言われ、また、マクロ経済学とも言われる。

ケインズは、大きな政府を主張し、所得を金持ちから貧乏人に再分配することで、平等を実現できると考えていた。また、科学技術の進歩により、世界の貧困問題は解消され、やがて人間が働かずとも暮らせる時代が来ると予言していた。

ケインズ(WIKIPEDIAから)

ところが、西側諸国では、1970年代にオイルショックに端を発する不況とインフレが同時に起こる、スタグフレーションが起こり、ケインズ経済学ではこの現象に対処できないないと言われ始まる。

同時に、経済学に「限界革命」が起こり、余計な価値判断を含まずに、経済学を数学的に研究することで、客観的な科学になるという新古典派経済学の考えが広がった。

「限界革命」と言うのは大げさな言葉だが、例えば、1杯目のビールは2杯目のビールよりおいしいとか、同じような服が増えてもありがたみは正比例しないとかいうもので、単位当たりの投入数量を増減していくと産出がどのように変化するかを考えるにあたって、微分を使うことで数学的に捉えることができ、扱いやすくなる。同様に、需要と供給がいかに決まるかという主流派経済学の主柱である「均衡論」もここから生れた。また、ミクロな観点から出発するので、ミクロ経済学ともいわれる。

この学派は、ケインズと同時代を生きオーストリア人のハイエク(1899年 – 1992年)が始祖なのだが、後に「選択の自由」というベストセラーを書いたアメリカ人のフリードマン(1912年 – 2006年)の影響が非常に大きい。

  • )ハイエクと言うのは、ケインズと考え方においてライバル関係にあり、ケインズが政府の介入を力説するのに対し、ハイエクは、自由放任を主張した。フリードマンも同様である。フリードマンの貨幣論は、「社会に流通している貨幣の総量とその流通速度が物価の水準を決定している」という経済学の仮説である『貨幣数量説』を蘇らせたと言われる。
  •  この『貨幣数量説』は、社会の貨幣の流通速度を変えることで、経済動向をコントロールできるというもので、金融政策の中心をなしている。しかし、後に述べるMMTの貨幣観と比べると、ずいぶん欠落している部分がある。
  • また、現在の黒田日銀は『貨幣数量説』に従って、マネタリーベース(現金通貨と準備預金の合計)を増やす量的緩和を行うリフレ政策を行っている。しかしながら、デフレ下でいくら通貨を増やしても、通貨は『ブタ積み』の状態になるだけで、誰も借手になろうとしないので、効果は限定的だ。

前述のフリードマンの主張は、政府は、極力マーケットに介入することをせず、市場の働きにより、すべてが解決されるというものだ。つまり、人々が合理的で、好きなように活動すれば、市場がすべて(失業問題や財の配分)を解決するというもので、小さな政府、自由貿易、自己責任と言った価値観が生まれてくる。

これに飛びついたのが、イギリスのサッチャー首相、アメリカのレーガン大統領であり、この時代から、世界は、グローバリズムへと進むことになる。

フリードマン
サッチャー首相
レーガン大統領

《新古典派経済学の貨幣観は》

一部前述したが、この新古典派経済学は、通貨制度に大きな変革があったにもかかわらず、貨幣観を古いままにしていた。

つまり、貨幣の歴史を考えると、物々交換の時代には貝殻などの貴重品(宝飾品)が通貨の役割をはたし、時代が現在に近づくにつれ、金など希少性の高い金属を含む通貨に変わってきたと説明される。やがて通貨は政府が発行する紙幣になるのだが、この紙幣は同じ金額の値打ちの金と交換を約束するものだった。(金本位制、兌換通貨) これを商品貨幣論と言う。

ところが、この金本位制は1930年代から徐々に姿を消し、単なる紙切れである紙幣へと姿が変わっていった。つまり、政府は主体的に通貨を発行できるようになったのだが、経済学の前提をドラマチックに変える必要があったが、経済学者はそれに気がつかなかった。

そうするとどうなるか。政府は民間や個人と同様に、歳出を歳入の範囲で行うというレギュレーションになるだろう。金と交換する必要はないが、むやみに通貨を乱発すれば、政府の信用は失われるだろうとなる。無制限に通貨を発行すると、インフレになり、通貨の信用は失われ通貨安になるとなる。

しかし、この貨幣論は通貨自体に値打ちがあると考える商品貨幣論である。つまり、通貨に値打ちがあるから、万人に値打ちがあると認められているというトートロジー(同語反復)である。

また、新古典派経済学には、政府が、通貨を発行する際に余分に生じる、通貨発行益という概念がある。しかし、この概念は極めて限定的で、国債につく利息だったり、硬貨の発行益だけを指す。ここにもこの主流派経済学の間違いがよく表れていると、一経済フリークとして思う。

《MMTの貨幣観は》

MMTは、通貨が信認される根源は、租税の納入にあると考えている。つまり、政府は国民から徴税する際に、その納付を政府が定めた通貨で納めることを法律で定めている。罰金を払う際にも、政府が認めた通貨で支払うことを定めている。これが、国民が通貨を求める理由であり、信任される理由である。

また、通貨の発行主体を考えると、通貨の発行を行っているのは政府だけではない。一番多い例が、銀行である。つまり、ソフトバンクがみずほ銀行から5000億円融資を受けると、みずほ銀行が5000億円通貨を発行したのと同じである。もし金持ちの個人が、手持ち資金から1億円誰かに貸したなら、1億円分通貨を発行したのと同じである。

後述するが、この5000億円の融資は、みずほ銀行が顧客から集めた預金を原資に、貸出を実行しているものではなく、キーボードマネーと言われるものだ。ここを新古典派の経済学者は誤解している。

これは簿記で考えると理解しやすい。政府が国債を発行して、銀行に国債を買ってもらい、現金を手に入れる場合は、次のようになる。

政府

(借方)現金(貸方)負債(=国債)

銀行

(借方)国債(=資産)(貸方)預金

上記について補足すると、政府と日銀は一体と考えている。また、銀行の預金は、借方と貸方が逆になる。この仕訳を見ると、銀行の預金が増えているように見えるかもしれないが、銀行にとって預金は負債であり、この取引では資産と負債が同時に増えるということだ。

同様に銀行融資の場合を考える。例えば、ソフトバンクが、銀行から借金をする場合は、次のようになる。

ソフトバンク

(借方)現金(貸方)負債(=借入金)

銀行

(借方)貸付金(=資産)(貸方)預金 

つまり、政府は通貨自体の発行主体なので、通貨を生み出すことができるのだが、銀行でも誰でも、借り手の返済能力を信じることができれば、お金をいくらでも貸せ、それは通貨を生み出す。貸した金が返ってこなかったとき、企業・個人は倒産するしかないが、政府は通貨を追加的に発行できるので、倒産しない。

極めておおざっぱな説明であるが、現在では、デジタルで決済が行われるため目の前に現金を積む必要もない。また、政府も、銀行も、企業・個人も同じ通貨である日本円を使っているので、政府以外であっても、通貨を発行したのと同様の事態が起こっている。 この通貨の発行割合であるが、日銀が発行している通貨の残高が、2割程度、残りの8割が銀行の融資残高と言われる。こうした貨幣を負債の一種とみなす学説を、信用貨幣論と言う。

貨幣数量説を信じる新古典派と言われる主流派の経済学者たちは、金本位制度から管理通貨制度に変わった後も、考えを改めず、こうした観点を見落としている。つまり、通貨が企業・国民の手に渡らない間、銀行にいくら残高を増やしても、誰かが借手になって負債を負うか、政府が実際に国民にお金を手渡すまでは、需要を増やす効果はぜんぜん出ない。 

つまり、通貨は社会の血液だ。この血液が、金持ちに偏っているのも問題だが、血液の量自体が少なすぎるのが、もっと問題だ。

長くなっってしまった。次回は、需要と供給の差がインフレになったり、デフレになったりするというMMTの理論について書きたい。

おしまい

アメリカ大統領選 コロナ禍 財政均衡論について思うこと

主は、世界中がメチャクチャ、デマで満ち溢れていると思っている。

アメリカ大統領選挙は、インチキだったと思っているし、コロナもそうだ。新型インフルエンザということだが、従来のコロナウイルスとかわらないのに、世界中が大騒ぎだ。この新型コロナについては、日本は被害が欧米の数十分の1なのに、欧米と同様の不安をマスコミが煽り、人気取りに走る政治家が我先に便乗しようとして、誰も例年と変わらない風邪だ、インフルエンザだとは言わない。

もう少し書くと、このコロナは、感染症法の第2類に分類されるのだが、厚労省の通達によりエボラ出血熱、ペストと同じレベルの行政上の扱いがされている。昨年の中頃、安倍首相の退任時、このコロナがひと段落したところで、第2類を普通のインフルエンザ並みの第5類に変更しそうだったのだが、誰も決断せず、うやむやになっている。

世界じゅうも、新型コロナに便乗して、ワクチンの開発と販売で一儲けしようとする勢力と政治家の思惑が一致、そもそも風邪やインフルエンザはずっと特効薬がないのだが、あたかもワクチンが特効薬のようなことが喧伝されている。中国は、無料のワクチンを途上国に提供することで、途上国を自国側に囲い込もうとしているし、ロシアを含む欧米勢は絶好の商機到来で、遅ればせながら日本も何とか食い込みたい。

アメリカ大統領選挙は、こちらはグローバリスト(エスタブリッシュメント)とトランプの反グローバリズム(グローバリズムに痛めつけられてきた人たち)の戦いだった。圧倒的に力のある産業界、政治家、マスコミと、そこから支援されてきた教育、医療などのグローバリズム勢力が、なりふり構わないインチキ郵便投票によってバイデン大統領を勝たせたのだが、負けた被支配階層には声を出す手段がなく、大統領選挙で不正があったと思う4割のアメリカ国民の声は、表に出てこない。

当然これを読まれている方は、不正の証拠を見せろと言われるだろうが、そこはあまりに巨大で、希薄な状況証拠ばかりなので書かない。興味を持たれた方がおられるなら、インターネット(YOUTUBE)では、林千勝氏、ケント・ギルバート氏などの動画を見てください。著作なども多く書かれています.

あと、これもまた世界的な現象なのだが、従来の経済学は、金本位制時代のままの経済観を見直してこなかった。つまり、金本位制は数十年前に廃止され、兌換から不換の管理通貨制度へと代わっている。この変化により、各国の政府は、その国の供給力まで通貨を発行、国民に交付しても、インフレを起こさないことがわかっている。 つまり、日本のようなデフレの国では、国民に毎月10万円手渡しても何の問題もおこらないどころか、国民を救うことなる。 むしろ、今のようなコロナ対策では、バタバタと倒産を引き起こし、そもそもの供給力の喪失を意味する。いったん倒産し供給力を失うと、もとに戻るには何十年もかかる。

今コロナで、欧米の各国政府は、赤字国債を発行して国民に休業補償をしているのだが、日本はお金は出さないが協力してくれという、太平洋戦争のときのようなことをやっている。あの保守的なIMF(国際通貨基金)さえ、「経済を救うために、各国政府は、最大の政府支出をしたうえ、さらに政府支出を上乗せしろ。」といっているのだが、日本ではこのようなことは、財務省の目があり、報復を恐れるマスコミは報道しない。

近い将来、政府支出は国債の暴落と金利の上昇を招くという従来型の経済学が間違っていたことが明らかになるだろうが、ここ数十年で、こうした財政均衡の呪縛に囚われなかった中国は、西側の諸国が果たせなかった経済成長をあっという間に果たした。中国の成功を、これまでの経済学者は、バブルと表現し揶揄していたが、供給力を増やしてきた中国は、バブルではなかった。遅れを取ったのは、日本だ。

供給力(生産力)さえ伴っていれば、財政支出の拡大が国民を救うという事実がやがて世界中で理解されたとき、日本はすでに沈没してるかもしれない。はたして間に合うのか?

おしまい

リフレ派の間違い 浜田宏一氏、黒田日銀総裁など

ELLEから 真ん中がオカシオ・コルテス

主は、安倍政権の登場以来ずっとリフレ派といわれる経済学者を支持して、ブログを書いたりしてきたのだが、いつまでたっても一向に景気が回復せず、今年、MMT(Modern Monetary Theory=現代貨幣理論です。)を知って、リフレ派のどこが間違っていたのかがようやく分かるようになった。

主流派経済学者の中にリフレ派といわれるグループがあり、浜田宏一さん、若田部昌澄さん、安達誠司さんなどがおり、黒田日銀総裁もその中に入れて間違いがないだろう。

彼らは、量的緩和による金融政策で、市中に通貨を大量に供給し、金利を下げることで経済を刺激することでデフレを脱出しようと考える人たちである。具体的には、銀行などの民間が保有する国債を日銀が大量に買い取り、通貨を市中に供給すれば、投資に回りやすいだろうというのが目論見である。

しかし、このリフレ派の量的緩和は、リフレ派以外の主流派経済学者から、この方策はカンフル注射見たいものなので、いつまでもやるべきでない、出口戦略を練るべきだと当初から評判が悪かった。

ここで注意したいのは、このリフレ派、リフレ派以外のどちらも、新自由主義、新古典派と言われる主流派の経済学者である。(詳しくは書かないが、グローバリズム、自由貿易、小さな政府などが理論の中心になります。)

一方、非主流派(だが、正しい!)のMMTは、主流派経済学と貨幣観のところが全く違う。

主流派経済学の貨幣観は、昔、希少な貝殻を貨幣の代わりに使っていたことを起源とし、やがてアメリカで金本位制が導入されたように、貨幣は「金」との交換を約束する証書であり、政府は「金」がなければ貨幣を発行できなかった。大戦後、「金」と交換しない不換紙幣、管理通貨制度(政府の裁量で通貨が発行できる)の時代になるのだが、主流派は、従来の貨幣観をアップデートしなかった。ここに間違いがある。

つまり、MMTは、現代の主権国家(変動相場制のものとで自国通貨建てで国債を発行できる。)である、日本、アメリカ、イギリスなどは、インフレにならない限り国債を、いくらでも発行可能だという。

そして、発行した国債を元手に政府がお金を手にして、民間企業や国民に公共事業や年金給付などでお金を使うと、企業や国民の資産が増える。

また、通貨のうちの1万円などの紙幣は、2割程度の流通量にすぎず、残り8割は銀行預金なのだが、この銀行預金は、いくらでも元手なしに銀行が発行できる。すなわち、ソフトバンクがみずほ銀行から1兆円融資を受けるとしよう。そのとき、みずほ銀行は、ソフトバンクの口座に、1兆円とデータを入力するだけである。それで、1兆円の通貨が増え、ソフトバンクが手にする。

こうして考えると、浜田宏一さんや黒田日銀総裁のやってきた(異次元の)量的緩和というのは、国債を銀行から買い集めただけで、売却代金を手にした銀行にとって、ほとんど運用先がない、借り手がいないブタ積みになっているだけなので、たいした効果がない。

このように書くと、「政府がいくらでも国債を発行できるなら、税金を取る必要がない」という意見が出るだろうが、① 政府が税金を取り納税の手段として認めることで、通貨を人々が求めるようになる効果と、② 景気の調整、不公平の是正の手段として、税金は非常に重要である。

しかし一方で、このようなバラ色のMMTが、なぜ世間で認知されないのかという問題がある。

このMMTの理論は難しいものではないし、経済に興味がある人には、雑誌でもYOUTUBEでも見る機会はいっぱいあり、財務省の役人も国会で追及されているので、十分に知っているはずだ。しかし、国債を財源に国民にお金をバラまいたり、消費税を廃止して景気が良くなったら、主流派経済学者や財務省、マスコミのメンツは丸つぶれだ。20年以上続いた不景気で、苦しい人生を歩んだ人は限りなく大勢いるだろう。

そんなところで「王様は裸だ!」とバラしても、権力者たちは簡単に認めるわけにはいかない。

ただし、世界中でコロナ禍で、各国政府が財政支出を拡大している現状がある。

日本も、第3次補正予算が議論にあがり、100兆円程度の支出になるかもしれない。これは、2年分の予算になる。バカなことを素面でいう池上彰氏や、小林慶一郎氏をはじめとする主流派経済学者のバカな連中が、コロナが終わったら増税だと言っているようだが、まず、自身の非を認めるか、発言を控えてもらいたい。まず、マインドチェンジが必要だ。この100兆円の支出を行っても、国債は暴落せず、金利も上昇しない、主流派が説明できない事態が続く。

アメリカでは、カマラ・ハリス(=医者と大学教授の娘、夫は弁護士で、けっこうエスタブリッシュ。)が、副大統領になる可能性があるが、もう一人人気のある下院議員オカシオ・コルテス(ブロンクス生まれ、本当の貧乏人育ち。)がおり、主は、バーニー・サンダースともどもこちらを好んでいる。オカシオ・コルテス、バーニー・サンダースともに、MMTをバックグラウンドにしている。

さらに白状すると、グローバリズムにたった一人で反対を唱えているトランプ大統領の支持者でもある。

アメリカ民主党の人気女性議員、ELLE : カマラ・ハリス&オカシオ・コルテスを徹底比較

おまけ

下が、MMTの重鎮、ニューヨーク州立大学ステファニー・ケルトン教授。オカシオ・コルテス、ステファニー・ケルトンと美人ぞろいで、ブログの趣旨が変わってしまったかな。

ステファニー・ケルトン WIKIPEDIAから

おしまい

新古典派経済学とMMT(Modern Monetary Theory)

 1970年代、主が学生時代に習った経済学、それは「近代経済学(=近経)」と呼ばれていた。生憎、まったく不真面目な学生で不勉強だったのだが、当時習ったことが、実は間違っていたという話をしたい。つまり50年間以上、世界中で間違った経済学が教えられているということに等しい。

当時の経済学は、大学のカラーによって「マルクス主義経済学(=マル経)」を教えるところと「近代経済学」を教えるところの2種類があり、学生運動、社会主義運動が盛んだった1970年代は、「マルクス主義経済学」の方が人気があった時代だった。 やがて、1989年にベルリンの壁が崩壊、東西ドイツが統一され冷戦が終結すると、一応、共産主義の敗北ということになる。それに伴い経済学も、「マルクス主義経済学」は人気がなくなり、「近代経済学」が一般的になる。

《1.簡単に経済学史を振り返る》

この近代経済学であるが、現代の主流派経済学の呼び名は、「新古典派経済学」である。なぜ「新古典派」という名前なのかといえば、18世紀、経済学の祖と言われるアダム・スミス時代の「古典派」を源流にして、発展の基礎にしているために「新古典派」という名前がついている。

ところが、近代経済学には、もう一人巨人がおり、それがケインズ(1883~1946)である。名前を聞かれた方は多いだろう。イギリス人で、フルネームは、ジョン・メイナード・ケインズという。

ケインズは、第1次世界大戦と第2次世界大戦の間に起こった世界恐慌に対する処方箋である、ルーズベルト大統領が行ったニューディール政策の理論的支柱として有名だ。アメリカのニューディール政策、ナチス・ドイツのアウトバーンの建設は、経済の復興に大きな貢献を果たした。しかし、有効性が確認されるまでに時間がかかり、政府赤字が積み上がり、政権への評判は必ずしも良くなかった。実際に、この時代の最終的な景気回復は、第二次世界大戦の貢献によるとも言われる。 ケインズは、基本的に「大きな政府(=財政政策重視)」を主張し、完全雇用や分配(所得の再分配=金持ちと貧乏人の間のバランス)を最も重視した。また、ケインズは、経済学を「平和と豊かさ」を実現するための道徳、倫理感を、その思想の根底に置いていた。このケインズに連なる学派を「ケインズ学派」という。

一方、「新古典派経済学」派は、第二次世界大戦後に発達した経済学で、この世界大戦時にケインズが提唱したケインズ経済学を否定した(乗り越えた)経済学である。第二次世界大戦の終結後の1970年代、欧米がインフレに苦しむ時期に、人々が合理的(=エゴイスティック!に)に経済活動するだけで、市場の「見えざる手」の働きで、資源が最適配分されると数学的に証明した。つまり、誰もが自分の損得勘定だけにもとづき、マーケット(市場)で振舞えば、生産資源が最適に活用され、非自発的失業(自発的失業は除く)は起こらず、アダムススミスが言う「神の見えざる手」の働きで商品の価格は、自動的に最適な均衡点に向かい、問題は解決すると言ったのだ。 

《2.新古典派のインチキ》

しかし、「新古典派」が証明したとされるものには、様々な問題がある。そもそも、「人間が合理的に行動する」という最初の前提条件自体がもう問題である。問題点を列挙すると次のようなものになる。

  • ① 人間は損得勘定や合理性で生きていない 
  • ② 売り手、買い手ともに対等な情報が必要だが、一般に買い手側には、十分な情報がない 
  • ③ 広告、デマなどの情報操作が、参加者の判断を歪める 
  • ④ 市場取引になじまない水、空気、安全など様々なものがある 
  • ⑤ 「神の見えざる手」が存在しない 

また、新古典派経済学者は、経済学は科学だといい、数学で説明することに夢中になる。その結果、社会の平等、貧富の格差や、非自発的失業の存在などについて、それらを科学の問題ではなく、倫理や政治の判断の問題だとして、考察の対象外にするのが流儀となる。

新古典派の理論では、市場で各人が合理的に行動しさえすれば、市場が資源を最適配分するので、失業は起こらない、恐慌も起こらない、すべて市場での民間の企業活動に委ねればよいというものであり、そこから一直線に、「小さな政府」、「自己責任」、「グローバリズム」という呪文のようなテーゼが導き出される。これらの経済政策を実際に採用したのが、インフレに苦しんでいたアメリカのレーガン大統領、イギリスのサッチャー首相である。この二人による1980年代の政策が転換点であり、経済学におけるケインズ学派は、完全に新古典派に主流の座を奪われ、今に至っている。

余談であるが、日本はこのころ、絶好調の経済を謳歌していた時期だったが、1985年のプラザ合意により、2倍の円高不況に突入したにも拘わらず、欧米が取ってきたのと同じ反インフレ政策を25年以上続けた。このため、未だにデフレ不況を脱出できていない失政を犯してしまった。

新古典派の失敗は、さきほどの前提条件だけではない。新古典派は、登場以降、経済学は過去の経済恐慌を克服し、経済をコントロールできるので、世界恐慌など起こりえないと大言壮語していた。しかし、2008年のリーマンショックが実際に起こり、エリザベス女王は、経済学者に「あなた、これが起こることがわからなかったの?」と質問したという。新古典派が言うように、経済が制御され、経済危機が起こらないわけではなく、リーマンショック以前にも、東アジア通貨危機など、世界各地で起こっている。 

また、高い理想を掲げて出発したEU(欧州連合)について、統一通貨であるユーロの使用は、加盟国の中で独自の通貨発行ができなくなり、金融政策の選択肢を奪われることを意味し、EUの結束にネガティブな側面をもたらす。実際に自国で対策ができないギリシャ、アイルランド、イタリア、スペインなどで経済危機が起こったが、加盟国間で救済の足並みがそろわず、反対意見が公然と出る。新古典派経済学者は、こうした経済上の問題点を予見することすら出来ず、まったく無力だった。

また、専門用語になってしまうが、新古典派の概念に生産時における「費用逓増」を前提としている概念のバカバカしさがある。「費用逓増」というのは、生産をする際に、いくら投資を追加しても生産がやがて増えなくなるという主張である。つまり、生産量を増大させるにあたって、最初は大した追加費用を投じることなしに、生産を増大させることができるが、やがて、追加費用を極大に増しても、生産量が増えなくなるなどという馬鹿げた前提を新古典派は、置いている。この「費用逓増」の概念は、農業生産などによく当てはまるのだが、工業製品などでは、規模の利益が働く「費用逓減」である。こうした間違った前提の下で、企業は利益を最大化するが、「費用逓減」はすなわち、寡占、独占が起こることを意味し、新古典派にとって都合が悪く、理論が成り立たない。

工業製品のみならず、ましてや現代のソフトウエア提供、映画配信、オンライン図書、音楽配信、通信技術の提供などの産業の非常に大きなポーションで、追加費用ゼロで産出高を増やすことができる事態が生じている。このように新古典派の「費用逓増」という概念は根本的に間違っており、そこから出てくる企業活動の分析、均衡理論は実際の社会には全く当てはまらない。よく、デジタルの世界では「勝者総どり」と言われるが、新古典派の理論では役に立たない。

他にもある。新古典派の理論は、古典派の理論がベースになっていると書いたが、貨幣観がまったくアップデートされていない。彼らの貨幣観は、物々交換の時代に遡ったままだ。つまり、様々な商品の交換に最初、貝殻などの貴重品を使っていたが、やがて、為政者の発行する貴金属を含有する貨幣にかわる、これが通貨の起源というものだ。やがて、時代は進み、通貨は金と交換を約束するものとなる。というか、新古典派の経済理論の中にはまともに貨幣論がないし、政府は、市場原理が働かない部門を担当する、生産性の低い団体としてしか描かれていない。

上記が、新古典派の貨幣観のベースであるが、現代では、金本位制はすでに廃止され、為替レートも固定されていない変動相場制である。事情は変わっているのだが、新古典派は兌換制と固定相場を前提とした理論のままだ。これが原因で、「国債の発行は、子孫へのツケを残す」、「国債の大量発行は、民間の資金需要を政府が奪うため、国債価格の暴落と金利の上昇を引き起こす」など、事実無根のデマが、もっともらしく長年流布されてきた。

《3.MMTの貨幣観》

一方、MMTの貨幣観は、政府が発行した通貨を納税の支払い手段として認めたことにより、通貨が信任を得、通貨は発行者の負債(=受領者の資産)だという。同時に、国には、通貨発行権があり、インフレにならなければ、無限に通貨を発行できる。

また、とくに注目してもらいたい点だが、MMTは、中央銀行が発行した通貨だけでなく、銀行が契約に基づいて資金を貸し付けた瞬間(預金残高に記帳した瞬間)に通貨が生まれるという。この銀行の通貨発行には、金額的な制約はない。制約があるとすれば、契約相手の返済に対する信用だけである。これは、日銀の通貨発行と銀行の与信の合計を示すM2という日銀の統計数値に一致する。このM2の内訳だが、日銀による通貨発行残高が2割程度であり、銀行による通貨創造が8割くらいの割合になる。つまり、例えばソフトバンクがみずほ銀行から5000億円借金をした瞬間、みずほ銀行は5000億円の通貨発行したことになる。

日銀のホームページから

またMMTは、経済活動の分析に簿記の考え方を取り入れているのが特色であり、その考え方は、実社会で経理経験を持つものとして、非常に実感を持てるものである。

おしまい

政府の債務は返さなくてもよい (三菱UFJビジネススクエアSQUET 情報スクエア「五十嵐敬喜の『経済をみる眼』」2015年1月15日より転載)

(三菱UFJビジネススクエアSQUET 情報スクエア「五十嵐敬喜の『経済をみる眼』」2015年1月15日より転載)

◆国債は返済できるのか?
政府の債務残高が1000兆円を超えてしまっており、もはやこの膨大な借金を返済することは不可能ではないかと言われたりすることが多い。その疑問には、自信(?)を持って答えることができる。返済が不可能であるどころか、借金の残高を削減することすらできない。つまり、債務残高が今後も増え続けるのは確実である。

考えてみれば、それは驚くことでも何でもない。一般に借金残高を減らそうとすればフローの収支を黒字にする必要があるから、政府の債務残高を削減するためには、毎年の財政収支を黒字化させなければならない。しかし、それを実現するのはおよそ不可能である。

例えば2015年度の予算は、歳出総額が96.3兆円であるのに対し、税収と税外収入の合計は59.5兆円だ。差額の36.9兆円の赤字を国債の発行で埋める。この国債発行のうち10兆円余りは事実上の借換債なので(満期を迎えた国債を償還する財源。発行して償還に充てるから残高は不変)、国債残高(債務残高)は25兆円程度増えることになる。

したがって債務残高を減らそうとすれば、15年度の予算については25兆円以上収支を改善することが必要である。これを歳入の増加で賄うなら、54.5兆円(14年度比45兆円増)と見込まれる税収を80兆円程度に5割近く増加させる必要がある。歳出の削減だけで実現させようとすれば、72.9兆円の一般歳出(国債費以外の歳出総額)を48兆円程度にまで3分の1強も削減する必要がある。現実には、例えば税収を2割以上増やすとともに、歳出を10兆円以上カットするといったことになろうが、そんなことが実現するとは到底考えられない。

◆国債累増することの問題点
そもそも過去を振り返ってみても、日本の国債は返済されたことがない。満期を迎えた国債は確かに償還されるのだが、その償還原資は借換債の発行だ。満期債が借換債で置き換えられるだけで、国債の発行残高は減らない。借り換えるのに資金は不要だが、借換債では資金調達ができないので、新規債が発行される。結局その分だけ発行残高が増えることになる。これまで国債の発行残高は、一度も減少することなく増加し続けてきた。つまり実質的には返済されたことがないのだ。

しかし、だから問題だとまでは言えない。将来にわたって、ひたすら借り換えし続ければ、今後も返済しなくて済むから、誰の負担にもならない。国債の発行が必ずしも次の世代への負担つけ回しにはならないということだ。

もっとも、・・・・(省略)

◆プライマリーバランスを黒字化する意味
(省略)

◆欠かせない社会保障の改革
(省略)

《三菱UFJビジネススクエアSQUET 情報スクエア「五十嵐敬喜の『経済をみる眼』」2015年1月15日より転載》

おしまい

価値観の転換 コロナ恐慌でグローバリズムは完全に終焉 世界はふたつに分断

トランプ大統領、WHOの拠出金削減を検討「非常に中国寄り」 SANKEIBIZから

新型コロナが引き起こした世界恐慌で、グローバリズムが完全に終焉する。各国は基本的な食料である小麦などを自国を優先し、輸出制限を始めている。その輸出制限は、食糧だけにとどまらない。

新型コロナ拡大で食料生産国 自国優先し輸出制限

コロナが起こる前、次世代の最先端通信技術である5Gの導入で中国が先んじたところ、アメリカのトランプ大統領が、中国を安全保障上の危険と理由づけて排除しようとし、米中対立は、他の諸国も二分する踏み絵のような対立を引き起こしていた。さらにいまでは、より踏み込んで、トランプ大統領は中国抜きでも良いとまで言うようになった。

新型コロナ禍は、世界恐慌をひき起こした。もう元と同じグローバリズムの世界へは戻れないだろう。

日本政府は、ずっと国際協調を謳い、グローバリズムが富をもたらしたと考えて、自由貿易体制を守ろうとしてきた。しかし、その認識は間違いだったと認め、我が国に残ったのは、さまざまな面での荒廃と、格差の拡大だけだったと総括しなければならない。

本文とは関係ありません

グローバリズムは、1980年代に「小さな政府」をもてはやしたイギリスのサッチャー首相、アメリカのレーガン大統領が起源である。それを支えた経済理論は、政府が介入しなくとも、マーケットが「見えざる手」の働きで、自動的に合理的に資源を最適配分してくれるというものである。

「地球主義」という美名は、途上国で生産された安い製品を先進国へ輸出することが、途上国の労働者、先進国の消費者の幸福度を増し、資源利用の観点からも、途上国のキャッチアップにも望ましいと考えられてきた。 

しかし、グローバリズムは現実には途方もない「格差」を生んだ。たしかに中国は何億という国民が貧困を脱し、中産階級に移行したが、先進国の労働者は、GAFAや一部の金持ち、特権階級を別にすると、落ちぶれた。アフリカやイスラム国の多くは、繁栄から取り残され不安定で、多くの移民がヨーロッパへ押し寄せ、世界全体を不安定にした。

この「地球主義」で得をしたのは明らかに中国だ。地球主義の経済理論は、例えば日本やアメリカのマーケットが中国に奪われ、労働者が失業するとしても、生産性の高い違う職種へと移ることで、もっとも望ましい結果をもたらすと主張していた。しかし実際の労働者の流動性は、簡単に工場労働者が、他の業種に移れるほど甘くはなく、賃金が低下したり、失業、貧困を生みだした。

結局「地球主義」で得をしたのは、中国だけで、欧米や日本などは格差が広がって、99%の国民は貧しくなった。

そうしたことを、トランプ大統領はつよく認識し、ヨーロッパの首脳たちもアメリカに追随しようとしているのが、現状である。しかし、日本は相変わらず、自由貿易が日本の富をもたらしたなどと、ピント外れな認識を持っているが、これでは始まらない。Japan as No.1と言われた時代もあった日本だが、グローバリズムの競争の中で、日本は30年間ずっと負けつづけてきた。

それなのに、政府は「日本は世界最大の財政赤字」を均衡させることばかり考え、公共事業を減らし、科学技術費を減らし、教育費まで減らし、先行きが見えないひどい状況にある。その困難は、MMTを経済政策の中心に置けば、すべて解決できる。いつまでも、目をつぶるな。

日本政府はきっぱりと、グローバリズムは失敗だっと認める。そうして、「国際分業」による値段の安さより、国内の雇用確保や、安全保障が優先することが大事だと、自ずと理解しなければならない。

アメリカはバカではない。トランプがバイデンに変わっても同じだ。アメリは、中国との技術競争に負けてしまったと結論づけ、中国の覇権主義の象徴である「一帯一路」に今後やられるだろうと結論づけた。じゃあ、輸出に依存する中国にやられないためには、何があるのか? 中国製品を締め出すのが一番だ、と考えたのだろう。

おしまい

 

今更人に聞けない!「MMT入門講座」藤井聡(京都大学教授)衆議院議員 まつばら仁

安倍首相はアベノミクスを始めるにあたって、周囲のブレーンから多くを教わり、政策をスタートさせた。

ところが、モリカケ問題を財務省にリークされ、消費増税や緊縮財政に走り、腰砕けてしまった。

しかし、財務省と麻生財務相の反対を突破して、ここは再びMMTによる真水100兆円の経済支援(コロナ対策)をやって国民を救ってもらいたい。 

そして、モリカケ事件の責任を詫びて、政権を辞任してもらいたい。
そうする以外に、地に落ちた自身の名誉を回復する方法はない。

おしまい

歯がゆい! この国に金はある!! MMT

このコロナ禍で、休業補償など他国がするのに、日本は財政危機のためそれができないという記事が、まともな知識人からもいっぱい出てくる。例えば、次のような記事、これはAERA.dotのものである。

「この国にもう余力はない」 賃金8割支給がイギリスにできて、日本にできない理由

しかし、実際は違う。MMTという経済理論があり、これが経済学の常識を180度ひっくり返すものだ。これによると、自国通貨で国債発行する国であれば、インフレにならない範囲で国債をいくら発行しても何の問題も起こらないという。 むしろ、このコロナ禍の場合、さらなるデフレが予想され、国債を発行して、困った人に給付したり、休業補償したりすることで、デフレのショックを和らげられるというものだ。

ところが、このMMT、天動説時代の地動説のようなもののため、異端扱いされる。だが、この説が正しいことは、皮肉だが日本の経済状況が一番のサンプルだ。日本は、バブル崩壊後、何度も何度も財政出動(”too late, too smasll”と言われた)したが、一向に景気が回復せず、国債残高が1100兆円を超えたがデフレのままだ。

日本で、MMTを主張するのは、京都大学の藤井聡教授、青木泰樹教授、中野剛志氏、三橋貴明氏などと少なく、国会議員でもれいわ新撰組の山本太郎氏、自民党の安藤裕氏などである。

だが、主は、主流派の経済学を時代遅れの天動説だと思っている。いまのように地動説をバッシングしていると、おおぜいの国民の命が失われる。 今回のコロナ禍で、欧米各国は、赤字を恐れず国債を乱発していち早く経済復活を果たすだろう。しかし、日本が赤字拡大を恐れて国債の発行を渋れば、ますます日本は沈んでいく。 

下の表は、財政支出と成長率の相関を表した表なのでが、見事な相関関係が見て取れる。なお、右上の一番高いところは、中国である。

タマノオヤ @jazz01438195さんのTWITTERから

もう一度言う。この国にはお金は十分にある。これまでどおりの日本に金がないと主張しているのは、生活に困らない裕福な人たちばかりだ。さいごに、藤井教授が紹介するMMT理論の動画を貼り付ける。

《オカネは、銀行で借りて、つくられる [ 誰でもわかるMMT(現代貨幣理論) ] 藤井聡(京都大学大学院教授)|週刊クライテリオン 藤井聡のあるがままラジオ》

おしまい

新型コロナ 国民全員に毎月10万円配っても何の問題もない!

国民は日本が借金まみれで、あまりに借金が多く、1100兆円もあるためにこれ以上、政府を頼るわけにはいかないと思っている。

しかし、これは財務省がマスコミを含めて洗脳をしてきた結果であり、この新型コロナの危機にあたり「国民全員に毎月10万円配っても何の問題もない。」のだ。

その理屈を説明すると、財務省が国民を脅す国債は国の借金であり、この借金は、返す必要があるというが、そうではない。国債は借り換え(償還期限が来れば、新発債を発行して借り換え)ても良いし、本当に償還する場合でも、お札をすればよいだけである。

こうしたお札を刷って借金を返すという技は、国民にも企業にもできない技だ。国民、企業は「入りを量って出ずるを制する」(入ってくるお金以上にお金を使ってはならない)を意識して生活しているが、国の場合には事情が違う。我々は日々、お金を使っているが、これは国が発行したもので、国は経済の成長に合わせてお金を発行している。この国による通貨の発行を「通貨発行権」といい、これは国にだけ認められた権利だ。昔、この通貨発行は、兌換といって、国が所有する「金」の範囲でしか発行できなかった。これを金本位制というのだが、この縛りは昭和の時代になくなっている。

また、国が国債を発行する(国が負債を負う)ということは、国債を買った人や企業ににとっては、資産(債権)の増加になる。

つまり国が負った負債なのだが、これは国には通貨発行権があるので、いつでもチャラにでき、国債を買った側に資産が増えるメリットがある。

ただ、この技が使えない国がある。それは自国通貨で国債を発行できない国、例えば、イタリア、スペインなどはEUに加盟しユーロを使っているので、勝手にユーロを発行できない。同じくギリシャだが、通貨ドラクマを放棄したため、ユーロを使わざるを得なくなって破綻したわけだ。あと、アルゼンチンなどはドル建てで国債を発行しているので、ドルを刷るわけにはいかない。

また、主流派の学者は、終戦直後の日本や、軍事独裁政権時代のブラジルなどをあげ、通貨供給を極端に増やすとハイパーインフレが起こると警鐘をならすのだが、それは政府自体が終戦直後の荒廃した供給力のない時代の話なので、牽強付会(無理なこじつけ)というものだ。

よく大量に国債を発行すると、信認を失い、金利があがるというが、日本は約30年間、1100兆円の国債を発行してきた結果、金利は下がりつづけ今ゼロである。確かにマーケットの信用を失ったギリシャが金利40%をつけて、引き受け手を探したという話があるが、これも日本にとって牽強付会だ。

ただ、お金を配ると言っても限度があるのは当然だ。日本のGDPは530兆円/年ほどだが、ここに毎年200兆円配ればインフレになるだろう。インフレになりそうになった時に初めて、消費税や所得税などをあげれば、経済活動は冷える。今は、経済活動を温めなくてはならない時期だ。

新型コロナの対策で、国民一人当たり10万円を全員に一月配れば12兆円。これを半年やると、72兆円になるが、金持ちに配ると意味がない。ただ、全員に毎月10万円を配って、金持ちも勤労者も確定申告させれば、半分以上は戻ってくるだろう。

低所得者層に30万円を配るという案が当初検討されたたが、このとき負担は20兆円程度とか言われていたので、毎月10万円を6か月配っても、40兆円くらいだろう。当然、家賃や学費などの他の支援も必要である。

GDP530兆円に対し、40兆円を国がだしてもインフレにならないだろう。新型コロナの影響で、日本は20%以上のGDPが減り、間違いなくデフレになるだろう。その状態で、40兆円出しても、デフレだろう。

しかし、当の日本の財務省は、10万円を1回だけ配って終わりにしたいと考えているだろう。そんなことでは、日本で生き延びるのは、議員、地上波のテレビ局と財務省だけだろう。

ちなみに、動画の登場人物をごく簡単に説明すると、藤井教授は最近まで、安倍内閣のブレーンをされていた。安藤議員は、コロナが始まってどんな景気対策をするかという時に、他の議員たちとともに消費税の凍結を首相に進言した人だ。三橋貴明さんは、安倍総理と食事をしながら消費税を上げないようにという話をして、やっと人気が出始めた時に、家庭の夫婦げんかで奥さんにビンタをしてしまい、奥さんが警察に行き、警察に逮捕されたら、その日の夜のニュースに「家庭内DV!!!」という記事がそこら中に載ったという方である。

以上が、2つの動画の内容の主なものだ。

 

おまけ

これらの動画や他の動画を見ると、面白いエピソードがいっぱい出てくる。どうやら、安倍首相も麻生財務大臣も最初は、日本の景気回復にはお札を一杯刷ればよい、消費税は上げない方が良いと思っていたらしい。しかし、徐々に考えが変わっていき、財務省の意向に従っているという。

その原因の一つは、国税庁の存在。また、モリカケ問題の発端は財務省のリークで、泥を財務省が被ることを引き換えにして、政府に消費税を上げさせたのではないかという。

なお、何故、財務省がそれほど財政再建にこだわるかということだが、財務省設置法に「健全な財政の確保」、財政法第四条に、「国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない。但し、公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる。」という言葉が入っているからだと分析する人がいるという。これが本当なら、財務省、法律バカですね。さすが、東大法学部出身者の集まり。すぐに条文自体を、現実に即して改正しなければならない。

他によく言われるのは、もし財政規律をゆるめて日本経済が復活したら、財政規律をうるさく長年言ってきた財務省の掛け声は何だったのか、と問われるのが嫌だという説もある。要は、日本経済が復活して困るのは財務省というわけなんですね。

ところで、マイナンバーはすでに導入済みだし、コンピュータの事情も昔と大違いだ。

国はすでに国民全員にマイナンバーを振っているので、全員の所得を把握している。今回の給付のデータを源泉徴収義務者(企業)に伝えるようにすれば、確定申告ではなく、源泉徴収も可能だ。

今回の新型コロナの対応で、日本はコンピューターの活用がいかに遅れているということがバレてしまったが、この機会に、企業による源泉徴収制度を改め、国がコンピューターシステムを作って税額を計算して、その結果に基づいて、企業は納付だけするようにすればよい。コンピューターの進化は、たとえ1億2千万人の納税計算でも、パソコン1台あれば出来るレベルのシンプルなものにしてしまった。大げさなシステムはまったく必要ない。クラウドでちゃちゃっと作ればよい。時代はもうメチャかわっている。

ハンコ文化も止めればいいですね。

テレビの報道などで、政府の助成金などを求めて、中小企業などの事業者が政策投資銀行やら市中銀行へ出向いている様子が写される。このとき、紙の書類の束が画面に映って、これにも驚く。いつまで、紙の束で仕事をするつもりなのか、時代錯誤でしょ。紙で受け付ければ、もう1回コンピューターに入れる手間が必ずあるでしょ。

おしまい