夏目漱石「草枕」に傾倒したグールドの芸術観 その2

主の手元にグールドが愛好した、漱石の「草枕」のアラン・ターニーの英訳本があり、そのイントロダクションの部分にグールドが「草枕」を手にした経緯が書かれていた。かなり長いのだが、概ねこんなもんだろうという翻訳をした。

「草枕」By 夏目漱石 アラン・ターニー訳 イントロダクション(天才から天才へ)から
十分に皮肉なことに、「草枕」が、全員が同じ水準になるという近代の原動力を大いに哄笑しており、落日の列車に乗っていると考えられるが、その列車には、漱石の折衷的な大作に精通したいと願う、たぶんその小説をもっとも賞賛する西洋の熱烈なファンが乗っていた。さらには、この熱烈なファンは、芸術の形式と音楽の第一人者であり、その小説のナレーターは、- おそらくは、すべての人の上に位置する、この芸術という形態だけが、我々に穏やかで超越した状態を達成できるとためらいなくなく認める一方で -「草枕」についてからきし何も知らないことを認めている。
 1967年、その世界的に有名なピアニスト、グレングールド(1932-1982)は、ノヴァ・スコシア州のアンチゴアニッシュでの休暇から戻る列車旅行をしていた。グールドは22歳で彼の革命的なバッハのゴールドベルグ変奏曲の解釈で名声を獲得し、9年間の間、世界のコンサートホールをピアノ演奏の異端的なスタイルでまぶしく幻惑してきた。レーナード・バーンスタインのようなクラシック音楽界の巨人たちは、ちゅうちょなく彼を天才と認めた。
 グールドは、行動においてだけではなく、思想においても完全に独創的だった。彼は、ショパンとモーツアルトの多くの作品をあざ笑い、モーツアルトが、そのオーストリア人が手早い称賛のために本質をいつも犠牲にする単に派手で「ぼくを見て」的な子供でありながら、批評家からそのような尊敬を集めたことに驚かされると主張する。グールドは、その支配者層を無視し、彼自身の道を追求することが完全に心地よかった。彼は、彼自身を音楽家だけではなく一人のオールラウンドな創造的な芸術家と見なして、音楽の演奏同様、著述と記述された言葉を演じることに興味を抱いていた。尊大さとクラシック音楽の世界のうぬぼれを揶揄するために、彼は想像上の性格の過度さを創作し、彼は興味を持っているテーマのラジオ放送に注意を向けた。
 1967年に、グールドは列車のラウンジに一人座っている時に、聖フランシス・シャビア大学の化学の教授であるウィリアム・フォレイに見つかる。彼はグールドの音楽の録音物への彼の称賛を表明する勇気を奮い起こし、会話に引き込んだ。二人の男は、意気投合した話をし、その会話の間に、フォレイは最近読んだ「草枕(三角の世界)」と呼ばれる魅力的な本に言及した。二人の男たちが別れる時、グールドは自身のベートーヴェンのピアノ協奏曲「皇帝」の演奏のレコードをフォレイにプレゼントし、そして、後にフォレイは、ピーター・オーウェン版の「草枕」の版をグールドに送ることで好意に報いた。
 行き当たりばったり出会った本がそれほどのインパクトを読者に与えるのはまれなことだ。「草枕」は、たんにグールドの好きな本になったというだけではなく、彼の人生の残りの15年間で彼が夢中になりとり憑かれたものの一つになった。日本に特別な興味を持っているわけでもなく、その国を訪れたわけでもないのに、最後にはその本の版を4冊所有し、2冊が英語版で、驚くことには2冊はオリジナルの日本語版だった。彼は、他の小説家の手によるものよりも多く彼の書棚に並んでいる、漱石の売られている小説の全ての翻訳を購入したと思われる。彼の従妹のジェシー・グレイグ、彼の人生を通じて彼にもっとも近かった人物へ、彼は、「草枕」への愛を、電話口でその全部を二晩かけて読むことで表明した。
 彼がフォレイから受け取った版に激しく注釈を書き込んだだけではなく(残念なことに、これとその他の素材は1988年に行われたパリでのグールドの展覧会での運送で失われた)、グールドは実際に37ページの別のノートを小説として生み出した。彼は第1章を凝縮し、それを1981年11月にCBCラジオ「ブックタイム」で、15分のラジオ放送番組として朗読した。(同じ月に、彼は、26年の歳月を経て、ゴールドベルグ変奏曲を改めて解釈し直し再録音した)また、彼は、翌年の死の間際まで、「草枕」に基づくラジオ劇を書き、公演する準備をしていた。彼が亡くなった時に、たった2冊の本しか枕元になかった。1冊は聖書で、もう1冊は「草枕(三角の世界)」だった。
 その「草枕(三角の世界)」が1965年に刊行されたとき、その若い翻訳者もその刊行者も、その文学史上の重要性の観点からなんの真の理解をしていなかった。当時のスタイルに適合させるために、その本のカバーは日本に言及されることはなく、上品で最小限主義の黒地に中心を外れた小さな円の絵があった。それは、ピンクパンサーかゴールドフィンガーの一連のタイトルと同種なものに見え、その小説は東洋的な作品の一つとして印をつけられ、その著者は世界中の主要な、あるいは主要でない才能の大勢のひとりとして、ひとくくりにされていた。
 グールドにとって、それは本当に単純に20世紀のもっとも偉大な大作の一つだった。以前には、グールドのお気に入りの本はトーマス・マンの「魔の山」だったが、今や彼が愛情を注ぐもののなかで、これ「草枕(三角の世界)」が完全にとって代わっていた。実に、グールド自身が指摘したように、多くの親和性が二つの小説の中にあった。マンの小説もせかせか立ち回る資本主義の世界から、穏やかなアルプスの風景への後退を描いているが、漱石の小説のなかの大量殺戮の引力同様、ここの若いヒーローのハンス・カストープが世界大戦を逃れられない。
 何がグールドの興味をそれほど漱石の小説が呼び起こしたのか。それは、彼にとってほとんど彼のために書かれた一つの小説がここにあったと見えることに違いない、あるいは、彼によってでさえ、それほど完全に彼の芸術的な信念を例証していた。グールドは、音楽と芸術が非常に感情主義になっていることに飽き飽きし、悪態をつき、それから自由になることを求めていた。すなわち、彼の願いは個人へ向かい、超越することと静穏さだった。さらに、グールド自身の(従来の観念から)切り離したクラシック音楽の再解釈よりも、漱石の芸術の区分以上に、主題物と単なる雰囲気を定義するものはなかった。漱石はいかにすべてものが解釈され、ふたたび違う解釈をされるか、聴かれ再び違うように聴かれるか、書かれ再び違うように書かれるかを示し、創造性と芸術は文化的なパースペクティヴと精神的な状態から生まれるだけではなく、たえず、再発明と再解釈されるものだと示した。
 実のところ、グールドは、「草枕(三角の世界)」を自分のラジオ劇に書きなおしたいという彼自身のアイデアがあった。もし、ターニーが「草枕(Pillow of Grass)」を「三角の世界(Three-Cornered World)」へ変えることを決めたのであれば、グールドは他のタイトルを使うことを計画していた。彼が持つその本の表紙と彼が書いた37ページのノートの両方に、グールドは傑出している志保田の娘を描いた。誰もが無慈悲な早すぎる心臓発作が、芸術の天才たちの間のこのもっとも魅力的な衝突の世界を奪ったことを残念に思うだけだ。もし、グールドがさらに生きたとしたら、「三角の世界」が、カルトなクラシックと高い評価を受けている英語圏の世界の名声の状態を、打ち壊してしまっただろうと信じるに足るかなりの理由はある。END

このように、グールドがこの本に愛情を注いだことについて、3つの理由を考えてみた。

① 漱石は、非人情を重んじた芸術観を持っていた。現世は煩わしいことで満ちているが、これらから距離を置き、突き放した(=「非人情」)ところに芸術があり、芸術の尊さは、「人の世を長閑にし、人の心を豊かにする」「・・・して見ると、四角な世界から常識と名のつく、一角を摩滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう」というと考えていた。「則天去私」(小さな私にとらわれず、身を天地自然にゆだねて生きて行くこと。「則天」は天地自然の法則や普遍的な妥当性に従うこと。「去私」は私心を捨て去ること)との漱石晩年の思想は、グールドの芸術観に一致していた。

ところで、「非人情」を翻訳者のアラン・ターニーは”detachment”と訳しており、グールドも”detach”(切り離す、距離をおく)ということを重要視しており、奏法はデタシェ(フランス語の”detache”)で、ノンレガート、セミスタッカートな奏法を基本にしていた。グールドは、デタシェを用いることで、レガートが生み出す緊張を緩和させると考えていた。レガート奏法は、はクラシックの世界の感情重視の奏法であるが、これを嫌い、理性的な演奏をおこなった。もちろん、理性的とはいえ、むしろエクスタシーが溢れるロマンチックな演奏だったが、感情的ではなかった。

② この小説は、主人公である30歳ほどの画書きの目から見た、自然や西洋の詩、日本、中国の詩歌、彼の芸術観と、出戻りのヒロイン那美と取り巻きのストーリーが交互に語られるという構成になっている。漱石の知識の深さと見識に圧倒されるが、よく読んでみるととても奥深い。

主人公の画描きは、俳句や漢詩を作るばかりで、なかなかヒロインの絵を描くことができない。ヒロインは那美という魅力的な出戻りの女性で、画描きが書いた俳句を添削するほどの知性もあり、突如風呂に入って来て裸体をしめし、完璧な美貌を感じさせ、当時の女性らしからぬ強靭なところもあるのだが、「御那美さんの表情のうちには、この憐れの念が少しも現れておらぬ。そこが物足らぬ」といい、憐れを「憐れは神の知らぬ情で、しかも神に尤も近き人間の情である」という。そのまま話は、最終盤へと進み、御那美さんが、満州の戦場へ志願兵として出兵する従弟の久一をステーションに送り、蒸気機関車が出発する時、三等列車に乗った離縁された前夫が窓から顔を出し、二人が顔を合わせる。御那美さんの顔に、憐れがそこで初めて浮かぶ。それを見て、絵描きの主人公が「それだ!それだ!それが出れば画になりますよ」と那美さんの肩を叩きながら小声で言い、「余が胸中の画面はこの咄嗟の際に成就したのである」と結ぶ。ここに至って、漱石が、非人情だけを重視したのではなく、同情や憐みの大事さも、最重視していたことが読みとれる。

③ 西洋中心ではない価値観が読み取れる。西洋の詩などが中国の漢詩などと対比されながら語られるが、東洋の詩歌には、西洋の価値観を解脱、超越したものがあると読み取れる。西洋文化は「滑った転んだ」ことばかりを問題にするが、東洋の文化は、そうしたことを超越している場合が描かれているのではないかと読める。いつも世界の中心にいると考える西洋人(さらには今の日本人にも)には、これは目新しく感じられるだろう。

最後に、この小説に出てくる「不人情」「非人情」と、「憐れ」という言葉を、アラン・ターニー版、キンドルのメリディス・マッキンニー版の二つで、どのような英単語を使っているのか調べてみよう。

アラン・ターニーは、不人情を “inhuman” との単語を使い、非人情は、”non-human” 、”detachment”、さらには “objective way” 、 “detached manner”と使い分けながら訳している。次のような具合である。「もし世界に非人情な読み方があるとすれば正にこれである。聴く女も固より非人情で聴いている」→ “If there is such a thing as an objective way of reading, then mine was certainly it.The woman too seemed to be listening in a completely detached manner. “ 何通りもの言い方をしているために、英語になっても理解しやすいのではないか。 また、「憐れ」は “compassion”(同情、哀れみ)と訳している。

他方、メリディス・マッキンニー版は、不人情を “un-emotional”、非人情を “non-emotional” で通している。「もし世界に非人情な読み方があるとすれば正にこれである。聴く女も固より非人情で聴いている」は、”If there were ever a “nonemotional” way of reading, this is it, and she too, of course, will be hearing it with a “nonemotional” ear.” と訳している。 なお、「憐れ」は “pitying love”(同情する恋心?)と訳している。

もちろんだが、他の文章をとってもいずれも翻訳者でかなり違っている。

おしまい

グレン・グールド 楽譜の理解の仕方 & ベートーヴェンを弾く前

グールドに関する本を読めば読むほど、グールドって変わった音楽家だったんだと思う。グールドとグールド以外と言っていいくらいに、グールドは違っている。

彼は「再作曲家」と言われることがあるのだが、音高とリズムだけはおおむね守ったものの、それ以外は楽譜を重視しなかったようだ。「グレン・グールド演奏術」(ケヴィン・バザーナ著、サダコ・グエン訳、白水社)に書かれているのは、グールドが「印刷された楽譜のページに記載されたすべてのもの、つまり音符とそれを補足するための音楽用語や記号など、演奏するさい、作品の輪郭をはっきりさせるものすべて」をどのように演奏するかについて、演奏者の自由裁量に委ねられるべきと考えていた。主は、グールドが批判的に考えていたモーツアルトに限ったことだと思っていたが、バッハでも他の作曲家でもそうらしい。グールドは曲(楽譜)を絶対視せず、曲に改善の余地があると考えると積極的に手を加えていた。

そうした彼のエピソードを二つ紹介したい。
一つは音楽を学ぶ学生に向けて語ったもので、もう一つはまだコンサートを開いていた時分、ベートーヴェンのピアノコンチェルトを弾くにあたっての、彼の態度である。

ひとつめ。先に引用した「グレン・グールド演奏術」に、1964年トロントのロイヤル音楽院の卒業生のための講演や、1980年のインタビューで、「お互いの意見や演奏をききあうのは止めなさい」「自分でよく理解し、それなりの見解を持つ前に、あるいは自分の見解をもたずに、同輩の意見や演奏をきくことは、ピアノ演奏の伝統において継続してきた事柄を無反省に受け入れることになってしまうと思う。そして個人としての価値を強く主張するのが困難になるのは確かである」というグールドの発言を紹介している。

おなじく同書で、グールドは「心の耳」(the innner ear of the imagination)ということを言い、「これの『創造のための着想すべて』を生み出す『背景となる、計り知れないほど大きな可能性』の重要さを強調し、演奏者は、知識その他学習によって獲得したものに抑制されぬよう、そして新しい可能性を発見するために、常に現存しないもの、および潜在するものを意識しつづけなければならないと考えていた」と書いている。

バザーナは別のところでこうも言っている。「グールドは、演奏者はスコアに書かれたことに忠実でなければならぬという前提をいとも簡単に拒否したが、それは過去二世紀にわたるクラシック音楽の習慣を支配した価値を拒否したことになるのである」

ふたつめ。「グレン・グールド変奏曲」(ジョン・マクリーヴィ編・木村博江訳、東京創元社)は、グールドの死後間もない1983年に友人たちがグールドの記事を寄せたものだ。このなかに、ニューヨーカー誌のライターであるジョセフ・ロディが、グールドがまだコンサート公演を行っていた1950年代、カーネギーホールで行われたバーンスタインの指揮によるニューヨークフィルとのベートーヴェン・ピアノ協奏曲2番のコンサートの様子を書いている。

ジョセフ・ロディが、午前中のリハーサル後にグールドがホテルへ戻る様子を描いている。「今晩はホールへは9時半近くまで入らないつもりだという。これは演奏予定時刻の数分前であり、コンサートの前半を聴きたくないというのだ。ベートーヴェンのピアノ協奏曲を弾く時には、その前にオーケストラで別の曲は絶対に聴きたくないというのがその理由だった。」「バッハを弾く場合は、その前にシュトラウスでも、フランク、シベリウス、ジュークボックス ― 何でも聴けるんですけどね。でも、ベートーヴェンの前には何もだめです。弾く前に自分を繭(まゆ)みたいなものの中に閉じ込めないと。目隠しをした馬のような感じで出て行くんです。午後は、ベッドで過ごしますよ。風邪をひきそうなんでね」

そして、7時30分、「グールドはベッドから起き上がると、それまで着けていた二組のミトンをはずし、協奏曲の二度目の演奏にとりかかった。部屋にはピアノがあったが、触ろうとはしなかった。その代り、歩き回りながらソロのパートを指で弾き、オーケストラのパートをあごで指揮し、その両方を声高く歌った。これより騒がしくない、手を(お湯に)浸す儀式が8時半頃に始まり、およそ1時間続いた。グールドの出番の1、2分前に、彼はカーネギーホールに着いた。そのいでたちは、まるで北極の氷原を抜けて長期旅行に出かけるようだった。三重、四重のえり巻やコート、毛皮製品の下から現れた彼は、いつものだぶだぶの礼服姿だった。白いチョッキの下に、グールドは分厚い縄編みのセーターを着ていた」

音楽への献身の徹底ぶりは、あまりにも凄いですよね。

おしまい

 

 

 

 

2019年1月 伊豆へ行ってきた

1月14日(月)から1月16日(水)の日程で伊豆へ大人3人の家族旅行をしてきた。行程は、初日が熱川温泉、二日目が修善寺温泉の二泊三日で行ってきた。有難いことにうまい具合に休暇を取ることができ、正月を外して平日に行けば、料金も安くなるだろうという魂胆だった。

車で行ったので、最初は熱海で昼食を取った。一番上は、道路のマンホールのフタを写したものだ。なかなか、マンホールのフタにしてはしゃれている。午後に着いた熱川温泉の旅館では、料理が美味しかった。次の3枚が、伊勢エビ、アワビ、金目鯛の煮つけで、普段食べない豪華なものが出て来て、味もとても良かった。5枚目の写真は、日の出を取ったものだ。熱川温泉は伊豆半島の東側に位置し、オーシャンビューの部屋だと、日の出を見ることができる。けっこう朝日って、すぐに上ってしまうものなんですね。

 

次は翌日行った、旧天城トンネル、浄蓮の滝と旅館の様子である。旧天城トンネルは舗装されていない林道を走って行かないとならないし、トンネルは幅が狭く対向車とすれ違えられないので、ちょっとスリルがあった。そんなに長いトンネルではなく、直線で入り口から出口の明かりが見えていたと思う。次の写真の浄蓮の滝の脇には、静岡名物のワサビを育てている水耕栽培のような畑があり、とても美しい。

われわれ家族が泊まった旅館はスタンダードプランだったのだが、平日の3人客ということが理由だと思うが、今は亡くなられた昭和天皇が、子供時代に来られた時に建造したという特別室に旅館側がアップグレードしてくれた。庭を見ることが出来る部屋で、広く落ち着いており有難かった。料理も凝っていて、美味しかった。

今回感じたのは、熱川は伊豆急行で行けるし、修善寺も伊豆箱根鉄道駿豆線で行ける便の良いことろである。きっと、関東から足が良いので人気のスポットだと思うのだが、伊豆半島は、全体が観光地と言っても良く、その分競争が激しくサービスも良いのかなと思った。旅館で働く女性従業員と話したのだが、大勢の外国人観光客が大きなトランクを持ってくるそうだ。中国人が多いとか言っていた。ホテルでは、安ければ家族でマッサージをしてもらいたかったのだが、どちらのホテルも1時間1万円程度の値段設定で、我が家の予算状況では我慢しなければならなかったのだが、金持ちの中国人ならば安いものなのかもしれない。

おしまい

ボヘミアンラプソディー 見てきた!!

テニスクラブで音楽の話をよくする知人から良かったと聞き、「ボヘミアンラプソディー」を見てきた。音楽が最高だった!!ボーカルのフレディー・マーキュリーがすごい。初めて気づいたのだが、歌詞も抜群にいいのだ。セリフと歌があまりに自然なので、この歌は俳優の地声かと思っていたが、ネットで調べると吹き替えで、本物のフレディ・マーキュリーのものを使っていると書かれていた。ブライアン・メイのギターのソロなどもとても感動的で、クイーンの演奏をかぶせて使っているのだろうが、全然違和感がない。

主は、学生時代にツェッペリン、ピンクフロイド、オールマン・ブラザーズバンドなどに熱中していたが、歌詞はほとんど気にせずに聞いていた。ところが、この映画では素晴らしい歌唱力に加えて、屈折したやるせない思いに溢れる歌詞が字幕に映し出され、これにはシビれた。思わず涙が出てきた。主はジムへ行った帰りに見たのだが、バッグからスポーツタオルを取り出し、音楽が始まるたびに泣きながら見ていた。筋の方は、ベタと言えばベタだが、その分分かり易いし、2時間で過不足なく理解するにはちょうどよい。また、映画のメッセージがわかりやすく、共感を呼ぶのだろうと思う。

映画館では普通、声を出したりできないように注意が流れる。しかし、映画館によっては、客席でスクリーンと一緒歌えるところがあるらしい。そんな仕掛けで、何度も足を運ぶ客が多く、動員数を伸ばしているらしい。

「映画.COM」には、次のように書かれている。- 第91回アカデミー賞で5部門にノミネートされた映画「ボヘミアン・ラプソディ」が、1月22日までに累計興行収入100億4168万7580円、観客動員727万904人に到達した。2018年公開作では唯一、興収100億円という“天井”に穴をあけた作品に。国内の音楽・ミュージカル映画で歴代1位を誇る「美女と野獣」(124億円)を超えるか

主が見た映画のベスト10に入る!

おしまい

メルカリ 、アマゾンどちらも SDXCカードの粗悪品をつかむ!メルカリの対応はヒドイ!

昨年末、メルカリでSDXCカード512GBを見つけ、3000円程度でバカ安だ!と喜んで購入したところ、粗悪品だった。

商品が届き、スマホに挿したら500GBのUSBメモリーとして認識し、「ラッキー!」と思った。512GBと500GBの差はあるものの、ハードディスクでも単位の違いで容量が小さく表示されることがあるので、さっそく「受取評価」してしまった。「受取評価」というのは、購入者がこれをすることで、メルカリでは出品者は代金を受け取ることができ、取引成立となる。

ところが、このSDカードへ音楽データ約400GBをコピーしようとしたら、エラーが起こってコピーできなかった。ネットでググったところ、インチキ品が出回っていることを知る。ネットの記事で見つけたSDカードが本物かどうかを検証するソフト(H2testwとCrystalDiskMark)で、実際に書き込めるか、速度は正常かを試してみた。そうすると「不良品」の可能性が高い(”The media is likely to be defective”)と表示され、速度もこの世代の製品と比べると1/10ほどしか出ていなかった。下のスクリーンコピーでは、リード、ライトとも一桁の速度しか出ていないが、最新のメディアは100MB/sに近いスピードが出るようになっている。表面に印刷されているプリントを見ると、規格などが不鮮明で読めないし、裏面をよく見ると台湾製となっている。HUAWEIは言わずと知れた中国のメーカーである。

 

この旨をメルカリに伝えたところ、「受取評価」後のクレームは売主と買主でまず協議し、協議が不調になったら再度連絡を取ってくれと言われる。ただし、最後の連絡から2週間が過ぎると、連絡できなくなるシステムの仕様になっているという。

返金交渉するためには、相手の氏名や住所を知る必要があり、そのためには当然こちらの氏名、住所を知らせる流れになる。素性を知られた状態で、「偽造品でしょう」とは言う気にならない。

返金は協議が成立し、かつ、売主がメルカリに売上金やポイントを持っている場合だけに、メルカリを介して返金される。そうでない場合は、買主と売主で直接返金してもらうように交渉しなければならない。つまり、メルカリが売主と交渉してまで返金してくれることはしないし、メルカリが返金額をたて替える、あるいは賠償することをしない。さらに、売主と買主が勝手に返金交渉したものは、メルカリの責任の対象外と強調する。

このポリシーは理解しがたい。今回の件で、「買主様(主のこと)がもし法的手段を取られる場合には、メルカリは全面的に当局に協力します」という返事があったのだが、この当事者意識のなさには驚いた。

メルカリのキャッチフレーズに「偽造品追放」「メルカリが補償」とあるのだが、実際にこのように「受取評価」したものは対象にする気がないとしか思えない。今回のようにスマホに挿したら巧妙に500GBと表示されるものの、実は粗悪品というようなケースでは、最初に不具合を見抜くのは難しく、気づく人は少ないだろう。このように「受取評価」した後は自己責任、売買の場所だけ提供しているというスタンスは、顧客志向とは言えないだろう。粗悪品を掴まされた人のコメントを見ると、「大切なデータがなくなった!」と憤慨する一方で、「今後のいい勉強になった」などとその後の交渉を諦めている人が多い。

しかしながら、外国人は日本人のような敗北主義者ばかりではない。メルカリは、海外進出したものの成果が上がっていないらしいが、こうした犯罪的なことで日本人のように簡単に引き下がるはずがなく、こんな基本的なことを海外でおざなりにするのは、商売において大っぴらに無責任を表明しているのと一緒で、逆効果だ。

他方で、主はアマゾンでもメルカリよりも少し早く、同じように512GBのSDカードを購入していた。こちらも相場よりずっと安く、8000円ほどだったのだが、実際に届いた時にアダプターに挿してパソコンに認識させようとしたことろ認識しなかった。

アマゾンはこのような場合、アマゾン自身が販売したもの、マーケットプレイスで販売したものを問わず、1か月までの間、簡単に返品可能だ。購入履歴の返金ボタンを押し、短い理由を書けば、返送用の宛先を印刷することができ、原因が不良によるものであれば、受取人払いで返送することができる。

このSDカードは、(かなり昔に主が購入した)アダプターに挿した際に反応しなかったのだが、実は後になってSDカード自身が世代交代していることに気がついた。512GBはSDXCという新しい規格の製品で、前の世代のSDカードはSDHCという規格で32GBまでである。主は、古いSDHC用のアダプターを使っていおり、SDXCはそもそも認識しないのだ。そのことに気づいたのは、アマゾンに返品手続きをした後だったので、実は動作したのかも知れない。

主はアマゾンを宣伝するつもりはまったくないし、むしろ、アマゾンがやがて日本の小売業を駆逐してしまうのではないかとさえ懸念している。

しかし、アマゾンの顧客志向は徹底している。何回か、問い合わせやクレームしたのだが、速攻で問題を解決する。まずは何といっても、HPのインターフェースがよくできている。例えば、商品を購入しても、発送前であれば気が変わってキャンセルすることも可能で、承認されるプロセスの進み具合が画面でわかる。

PC版 Kindleでは、バージョンアップをした際にバグがあり、単語の訳が表示されなくなったことがあった。この時連絡したら、すぐに一時しのぎとして古いバージョンのプログラムを送ってくれた。

動作可能なノートPCのリストが書かれたUSB3.0のアダプターやLANアダプターを、自作パソコン用に購入した時にうまく動作せず返品したのだが、その後アマゾンのHPの書きぶりが細かく書き改められていた。

メルカリの話に戻ると、今日時点で、SDカードのバカ安い商品の出品はずいぶん減っているようだ。おそらく、メルカリが何らかの対応をしたのだろう。だが、SDカードを購入した人の評価を見ていると、単に不良品を掴ませられた被害だけではなく、コピーが出来ずに大切なデータを大量に失った人の存在が見えて来て、このようなことが起こるとショックの大きさは計り知れないだろうと思う。ご同輩、メルカリの「受取評価」はくれぐれもご注意を。

というか主は、メルカリでテニスボールのニュー缶を購入したのだが、こちらも「気が抜けていた」。確かに新品だったのだが、商店で並んでいるものより弾力がないものだった。缶は開けていないのだが、たぶん、製造後の時間がそうとう経っているのだろう。たいていのアマチュアは気が付かないかもしれないが、主のようなテニスフリークは大事な試合では新品のボールを使い、その弾力の違いを知っている。こういうのは、文句の言いようがないと思う。値段はさほど安くなかったのだが。

おしまい

グールド おすすめCD 「坂本龍一コレクション」

今回は、これからグールドを聴きたいと思っている人向けのコンピレーションアルバムを紹介しよう。コンピレーションアルバムとは、ウィキペディアによると「何らかの編集意図によって既発表の音源を集めて作成されたアルバム」と書かれている。

絶対的と言って良いのが、「坂本龍一セレクション」だ。バッハ編とバッハ以外の2種類があり、各々2枚組なので4枚のCDにまとめられている。(厳密に言うと、バッハ以外のセレクションの最後には、「マルチェロのオーボエ協奏曲」をJ.S.バッハが編曲した「協奏曲ニ短調BWV974」が入っている。)

坂本龍一は、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)、映画「戦場のメリークリスマス」、アカデミー賞やゴールデングローブ賞を受賞した作曲家でもあるが、東京芸大大学院の修士課程まで進んでおり、その過程でグレン・グールドの影響を非常に強く受けたと言う。

坂本龍一は、このアルバムを録音時期に沿って選曲しているのだが、広く漏れなく曲を選んでおり、グールドの魅力が網羅されている。バッハ以外では、ベートーヴェン、ブラームス、ウェーベルン、シェーンベルク、バード、スクリャービン、C.P.E.バッハ(息子バッハ)、シューマン、モーツァルト、グリーグ、シベリウス、ヒンデミットと続く。この中には現代曲であるシェーンベルクとヒンデミットの歌曲が3曲含まれている。残念ながら、オーケストラ曲はなく、唯一のアンサンブルがジュリアード弦楽四重奏団とのシューマンのピアノ四重奏曲である。いずれも、数あるグールド映画にもよく使われる素晴らしい演奏がチョイスされている。

バッハ編の選曲について、坂本龍一は「今回この全体を選ぶのに、もちろん、基本的には僕が好きな曲であって、しかもいい演奏だというのが前提なんですけれども、傾向としてはですね、クロマティックなもの、つまり、半音階的なものを、なるべく入れるようにしてみたんです」と語っている。

バッハ編の最後には、ピアノ版の「フーガの技法」から第1曲と終曲の第14番が入っている。第14番は未完、バッハの絶筆であり、唐突に終わる。この突如音楽が終わってしまう違和感を軽減させるため、グールド以外の演奏者は、聴衆へのサービス(?!)なのか、バッハが死の床で口述筆記させたコラール「汝の御座の前に、われいま進み出て」BWV668を多くの場合に付け加えることが多い。だが、グールドはこの14番を未完のまま譜面どおりに演奏し、最後の小節を少し強調して弾き、最後の音が虚空へ消える、余韻、空白感を残す演奏をしている。「フーガの技法」はそうした曲なのだが、最後に持ってきたこの未完の曲のあとに、坂本龍一はゴールドベルグ変奏曲から、3曲しかない短調で半音階的で無調的な響きのある第25変奏で締めくくっている。

グールドは「フーガの技法」のオルガン演奏による第1曲から第9曲までの録音も残しているが、圧倒的にピアノの方が内容が濃い。これは、ピアノの方が楽器としての表現力が高いためだ。オルガンは、鍵盤を押さえている間は音が減衰せず、多声音楽の演奏に適した面があるものの、ピアノのような強弱や微妙は変化は表現できないからだ。

このアルバムには、坂本龍一とグールド研究の第一人者である宮澤淳一の対談、宮澤淳一による曲目解説冊子がついており、こちらも読みごたえがある。その解説冊子の対談の最後で坂本龍一が、面白く刺激的なことを言っているので紹介したい。

- 「僕は、あんまりピアノも上手くなくて、練習もほとんどしなかったので、演奏家にならなくてすんだので良かったんですけども、やっぱりグールドの後に演奏家になる人は本当に大変だろうなと思って。本当に自分にはそういう能力がなくて良かったな思ってますけども。それにあまりにも磁力が強すぎてね、あるいは魅力が強すぎてね、真似したら真似だって言われるだろうし、でもグールドのあとに今さら古典的にね、バックハウスみたいに弾くって訳にもいかないしね。つまり、グールドの魅力を知っちゃったらそれはもう出来ないし、がんじがらめでダブルバインドで、もうどうしようもないですよね。だから、今グールドの後に演奏家になるってのは、ほんとに大変なことだと思いますよ。でも、みんな乗り越えてやってほしいとは思いますけどもね。やっぱり、グールドのような演奏家はなかなか出てこないでしょうね」

なお、発言の中に出てくるバックハウス(1884年 – 1969年)は、グールドよりひと昔前のピアノの巨匠で卓越した技巧の持ち主なのだが、決してストイックで堅苦しくはなく、ロマンティックな人間味あふれる演奏を聴かせた。彼が、1905年のルービンシュタイン・ピアノ国際コンクールで優勝した時、2位になった作曲家のバルトークが、ピアニストの道を断念した逸話があるという。

ところで、YOUTUBEで「坂本龍一 グレン・グールドについて」というのを見つけた。これがとても面白い。

おしまい

 

シューマン:ジュリアード弦楽四重奏団/ピアノ五重奏曲&ピアノ四重奏曲 グールドvsバーンスタイン

グールドは、ロマン派の曲をあまり演奏しなかったが、シューマン(1810-1856)については1曲だけ残している。ジュリアード弦楽四重奏団とピアノ四重奏曲(変ホ長調作品47・1968/5/8-10録音)で、このレコードはレーナード・バーンスタインがピアノを演奏したピアノ五重奏曲(変ホ長調作品44・1964/4/28録音)がカップリングされている。本来であれば、ピアノ五重奏曲もジュリアード弦楽四重奏団と録音するはずだったが、グールドとジュリアード弦楽四重奏団には演奏をめぐって「ひび」が入ってしまい、2曲目の共演は実現しなかったらしい。このレコードは、1969年11月にコロンビアから発売されていることから、2曲ともグールドの演奏で売り出す予定を、バーンスタインの演奏ですでに録音していたピアノ五重奏曲とのカップリングへと変更したのだろう。

四重奏曲と五重奏曲どちらの曲も、付点音符によるシンコペーションが多用され後拍にアクセントがあり現代的で気持ちよい。同じ変ホ長調なので雰囲気はよく似ているのだが、楽章の中でも旋律や曲想が目覚ましく変化するので、聴いていて飽きない。比べると四重奏曲の方が全般に穏やかで優しく、五重奏曲はより激しく、両方とも最終楽章ではより前衛的な不協和音に近いところが出てきてドキッとさせられる。

主は、このブログを書くために何度もこの曲を聴いたのだが、すっかりシューマンに魅せられてしまった。実際にシューマンは精神的に病み自殺未遂をしたこともあったようなので書きにくいのだが、この2曲には「狂気」が感じられる。音符には不協和音は出てこないが、不協和音に近い淵までは行っている。その淵をもっと長く見せてほしいくらいだが、他の部分も予定調和の音調ばかりではない。主は、クラシック音楽に「狂気」が感じられないものは値打ちがないと思っている。ベートーヴェンに「狂気」があると言われると分りやすいだろう。クラシック音楽の歴史は、過去の音楽様式の超克の歴史であり、発表当時は常にアバンギャルドであり、前衛音楽だったはずだ。

話を戻すと、四重奏曲は、4楽章あり、急(Allegro)、急(Vivace)、緩(Andante)、急(Vivaceo)で構成されている。第3楽章の緩(Andante)のところでは、穏やかで愛らしい韓国ドラマ「冬ソナ」のようなピアノの右手が奏でる美しいメロディーが出てくる。

この曲では、グールドのピアノの存在感がすごい。逆説的だが、存在感がすごいのだが、その存在感が表に出ることはなくて、曲の良さや楽しさ、激しさや穏やかさを引き出すことに徹している。グールドが弦楽器の背景で音量を抑えて低音で伴奏をするときや、小さく高音を弾く時でさえ、耳がそちらに行く。リズムが正確で心地よいことと、強弱のつけ方が上手い。弦楽器が主役の時にはピアノの音量を抑え、ピアノが主役に代わる時には表に出ていく。常に滑らかなのだ。グールドのピアノが、弦楽器の背景で鳴っている時でさえリズムに説得力があるので、ジュリアード弦楽楽団のメンバーはリズムを崩せない。グールドのこのアンサンブルは、次のバーンスタインもそうだが、きわめて正統的でこの曲自体が持つ魅力を十分に気付かせる演奏だ。

バーンスタインによる五重奏曲は4楽章あり、急(Allegro)、緩(Modo)、急(Vivace)、急(Allegro)で構成されている。極端なシンコペーションと徹底した裏打ちのアフタービートが現代的で過激、時代を超えたところがある。バーンスタインはジュリアード弦楽四重奏団をぐいぐい引っ張っていく。弦楽器よりもピアノの方がキレが良く、弦楽器の方が合わせるのに苦労しているように聞こえる。バーンスタインは、指揮者だけではなく、ウエストサイドストーリーの作者としても有名だが、ピアノもこれほど上手いとは思っていなかった。バーンスタインの演奏は、後拍のリズムが徹底していて、その一貫性に確信のようなものが感じられる。グールドの演奏の方がむしろおとなしく、バーンスタインの演奏はアナーキーなところがある。どちらも天才だ。

グールド、バーンスタインの演奏のどちらも、楽団全体のバランスがとても良い。バーンスタインの五重奏曲は、ヴァイオリンが2丁になるのでより激しく動的な感じを受けるのかも知れない。ちなみに下のリンクで、グールドの演奏をYOUTUBEで聴けるはずだ。

https://www.youtube.com/watch?v=iSiwMR3dBUY&list=RDepchw_8tKow&index=3

主は、「ひび」が入ったというのは、グールドが弾く四重奏曲がとても正統的な演奏に思えたので、ジュリアード弦楽四重奏団の要望に折れる形でグールドが妥協したのかと思っていた。それほどにどこにも違和感がないのだ。

ところが、YOUTUBEで他の演奏者のシューマンのピアノ四重奏曲、五重奏曲を聴いてみてわかった。やはり「折れている」のはジュリアードの方だ。いろいろ名演奏があるのだが、アルゲリッチが著名な部類だろう。若い時分のものと最近のお婆さんになった現在のものも聴くことができた。日本の若手のものなどもあった。そういえば、辻井伸行が優勝したヴァン・クライバーン・ピアノコンクールのピアノ五重奏曲の演奏もYOUTUBEにアップされており、短いものだったがなかなか良い雰囲気だった。

若いころのアルゲリッチ。中学生のころに父親が持っていたLPレコードジャケットを見て、あまりの美人ぶりに日本人としてコンプレックスを感じたのを思い出す。

これらを聴くといずれも弦楽器、ピアノともどんなアーティキュレーション(メロディーライン)であってもほどほどルバートしない演奏はない。アルゲリッチでさえ、弦楽器が好きなようにリズムを揺らしながら旋律を歌わせている時には、ピアノは出しゃばらない。かなり音量を抑えて控えめに弾いている。そしてピアノの出番になると、自分もリズムを揺らして感情をこめて弾く。お互いがずっとこの調子で進んでいく。

好みはあるのだろうが、グールドのアプローチは、頭に入っている4人分の楽譜を俯瞰してどのように演奏するのが良いかについて自分の考えがあるところだろう。そのため、グールドのピアノは弦楽器の伴奏に該当する部分でも存在感があり、弦楽器各自が感情をこめてルバートするのを許さなかった。すなわち、グールドとジュリアード弦楽団が対立したのは、グールドが基本的にインテンポ(テンポを変えない。ルバートしない)での演奏を弦楽奏者に求め、楽章ごとにメリハリをつけながら、4楽章全体を見通して考えた構成に合ったドラマを作ろうと考えていたに違いない。こうしたアプローチは、素人の主には当然と思われるのだが、おそらくクラシックの演奏家にとっては違っていて、特に弦楽奏者にとってはルバートしながらリズムを揺らし、思い入れたっぷりな演奏をするのが名人芸なのだと思う。ここで付け加えたいのは、グールドの演奏がインテンポで常にルバートしないとしても、機械的な演奏だとか、冷たい演奏になっているのではなく、彼の演奏には非常に心がこもっている。ペースを守っているのだが、間の取り方がうまく、音量の変化も繊細で、とてもロマンチストなのが良く分かる。常に冷静に計算しながら、恍惚としたエクスタシーの中へ入り込むことが同時にできている。

彼のバッハもそうだ。彼のバッハは普通のバッハではない。非常にロマンティックな演奏だ。バッハにぜんぜん聴こえない。

おしまい 良いお年を!

エブリバディ・ノウズ【日本病】その6 いうのもばかばかしいので最後にします

主は、日本は病気だと思っている。ちょっと前に書いていたのだが、これをシリーズの最後にしようと思う。

一時、KYという言葉が流行った。周囲の「空気を読めない人物」という意味なのだが、思っていることをストレートに口に出すことは、「大人げない」「気配りができない」奴と社会では評価されない。逆に上司を「忖度」することが出世に不可欠な要素である。

主もサラリーマンだったので、その辺はよく理解できるが、今の日本は行き過ぎではないか。誰も上司に意見を言わなくなった。逆に不祥事が起こるたびに委縮し、コンプライアンスが厳しくなる方向に向かい、前に(生産性をあげる方向に)進んでいかない。

1980年以前は、世界中が学生運動と労働運動で騒然としていたが、権力者はこれらの二つの運動を弱体化し抑えただけでなく、こうした運動に参加する価値を無力化する雰囲気づくりに成功した。権力に刃向かうことが、スマートでないという雰囲気が、社会にできた。学生運動は完全に消滅したし、労働運動はカッコよくない、ダサいと見なされるようになった。労働組合の弱体化と労働分配率の低下に相関関係があるという経済学者もいる。むかし、ウーマンリブという言葉があったが、もちろん今では死語となり、女性は意見を言わず可愛らしくあることに高い評価が与えられる。男もそうだ。あれこれ、理屈を言うと嫌われる。日本で「大人になる」とは、意見を表明せず、我慢できるということだ。

こうした風潮は、既存の日本社会に広く蔓延した。マスコミの一部は、存在意義を放棄して政権の犬になっていることを隠さないし、公務員も国民の方を向いていないところを大っぴらに見せる。大手企業の不祥事は後を絶たず、経営者には生産現場が見えていない。見えていても、見えないふりをして自分だけは退職金をもらって逃げ切ろうとする。いたるところで、老害が蔓延している。「出る釘は打たれる」と忖度して、全国民がものごとをうやむやにしてきた結果、日本は世界から取り残されるところまできた。

こうした傾向をテレビの番組から二つ紹介したい。

一つ目。池上彰がトランプ、プーチン、習近平を解説した番組(下のリンク)に、アメリカ、中国、ロシア、日本の高校生が出ていて、日本人の劣化がよく見て取れた。日本以外の高校生たちは、流ちょうな日本語で自分の意見をはっきり主張するのだが、日本の高校生は控えめで穏健な玉虫色の発言で、発言してもしなくても値打ちが変らないことしか言えない。

今の日本のスポーツ選手たちは、マイクを向けられたときに上手に答えられるように子供の時から練習するでの、そつのない受け答えができる。スポーツの世界ならそれでいい。政治や経済を語るときは、全く違わないとおかしい。

NTV:池上彰・加藤綾子が世界を動かす3人のリーダーを解説!

二つ目。この夏(8/15)、NHKスペシャルで「ノモンハン事件 責任なき戦争」が放送された。何が責任がないんだろうと主は疑問に感じたのだが、戦争を遂行した上層部に責任がないということだった。ノモンハン事件を簡単に要約すると、太平洋戦争の前、1939年に満州国を防衛していた関東軍が国境のモンゴルとソ連を越境攻撃した結果、双方が戦争状態になり、日本側は死者2万人を出した。この経緯が番組で紹介されていたのだが、二つに要約できる。① 国際情勢を読み違え、敵の戦力の分析が十分でなく過小評価 ② 軍首脳の中での責任体制が敗戦まで不明(形式的な責任体制はあるものの、作戦失敗の責任は常に現地に負わせていた。冷静な総括ができない)

79年前、モンゴル東部の大草原で、日ソ両軍が激戦を繰り広げたノモンハン事件。ソ連軍が大量投入した近代兵器を前に、日本は2万人に及ぶ死傷者を出した。作家・司馬遼太郎が「日本人であることが嫌になった」と作品化を断念した、この戦争。情報を軽視した楽観的な見通しや、物量より優先される精神主義など、太平洋戦争でも繰り返される“失敗の本質”が凝縮されていた。しかし軍は、現場の将校には自決を強要した一方で、作戦を主導した関東軍のエリート参謀たちをその後復帰させ、同じ失敗を重ね続けた。

NHKスペシャル「ノモンハン 責任なき戦い」

日本でもLINE、ZOZOタウン、メルカリのような新興企業が成功していないわけではないが、既存の企業や社会は、相変わらずガラパゴス化し閉塞している。スタートアップと言われる新興企業自体がアメリカや中国よりはるかに少ない。こんな状況の中で、東京地検特捜部がカルロス・ゴーンを逮捕した。すでに20日近く拘置所に拘留されており、先進国から日本の拘留期間は長すぎる(人質司法)、取り調べに弁護士が同席しないのは後進国、まるで中世のようだと驚かれている。日本の刑事事件の有罪率は99.9%と言われる。有罪に出来る案件しか起訴しているという背景があるようだが、逆に言うとかなり悪質で限りなくクロの事件でも立件しないことが多い、えん罪がかなりの率で含まれていると言われる。例が違うが、電車で痴漢と言われて駅務室へ行き、警察に引き渡されると、裁判で否認しても99.9%有罪にされるし、取り調べ段階で否認すればずっと留置され、罪を認めて和解を勧められるという。こんな司法はあり得ない。 主は見ものだと思っており、先進国から集中砲火をあびて司法制度が変われば良いと思っている。

おしまい

「グレン・グールドは、クラシックの音楽家ではない」宮澤淳一 

青山学院大学教授で日本のグールド研究の第一人者の宮澤淳一氏は、「グレン・グールドはクラシックの音楽家ではない」と言う。http://www.walkingtune.com/gg_07_kangaeruhito.html 氏は、「グールド本人が意識していたかどうかはともかく、彼の演奏はクラシック音楽での解釈の約束事を無視した営為であって、これは作曲家よりも演奏家の創意が重視されるジャンル(ジャズやロック等のポピュラー音楽)でこそ輝く個性である。だから、異端視するよりも、『グールドはクラシック音楽ではない』と考えた方がすっきりする。」と結論づける。 この発言は、もちろんデフォルメした言い方でグールドはクラシックの音楽家なのだが、グールドだけが他の演奏家と比べるとまったく違った考え方をしているという意味で、とても分かりやすい。

昨年12月カナダ大使館で行われたGlennGouldGatheringでの宮澤氏の解説風景

クラシック音楽の世界では、作曲家が王様であり、演奏者は作曲家の家来という構図であり、演奏家は如何に作曲家の意図を忠実に再現することができるかが、この業界の指標となっていた。楽譜に忠実に演奏することに加えて、作曲年代と楽器の制限(例えば、現代のピアノの性能はロマン派の作曲家の時代と性能が異なっている)を考慮する古楽器ブームもある。バッハの時代にピアノはなかったし、モーツアルト、ヴェートーベンの時代のピアノも今のピアノに比べるとちゃちで、当時の楽器で忠実に再現したらという考えは今でもある。音楽を楽しむことより、方法論を優先する、言ってみれば原理主義が幅を利かしている。

時代とともに楽器そのものが変わり、作曲家たちも新しい語法で作曲し、オーケストラの規模は大きくなり続け、行き着いた極限がマーラーだと言われる。

主は、最近読売交響楽団(井上道義指揮)が演奏するそのマーラーの「千人の交響曲」のコンサートへ行ってきた。この「千人の交響曲」はオーケストラ自身の各楽器の構成数が大きいのもあるが、パイプオルガンが使われ、ハープが何台も並び、チェレスタ、トライアングル、マンドリン、ソロ歌手8人に加え、大人の合唱団200人以上、子供の合唱団50人以上が加わる。第1部と第2部を合わせて90分ほどある大曲なのだが、手を変え品を変えさまざまな旋律を楽しむことができ、あっという間の90分で大いに感動した。しかし、感動の仕方が、ピアニッシモとフォルテッシモの落差のスケールに圧倒されるという面が確実にあり、「こりゃあ、一種のスポーツだな。何の哲学も感じられないな」とも思ったし、「やっぱ、ヴェートーベンの方が深いな。シェーンベルクの方がカッコ良いな」とも感じた。当り前だが、音楽は時代を下れば良いものになるとは限らない。

グールドの音楽の演奏態度は、音程以外、どのクラシックの音楽家誰もが金科玉条とする作曲家の指示を守らない。楽譜の強弱記号、速度記号、反復記号を守らない。常に守らないわけではないが、自分の判断を優先する。音符の装飾方法も業界の概念を覆して独自な面があるらしい。和音を和音として同時に打鍵することはほとんどなく、10本しかない指で3声、4声を際立たせる。モーツアルトは「クリシェ」(紋切り型でありきたり、新しいものがない)だと批判して、世間に対して挑戦的になり、「こうしたら面白くなるぞ」と上声のメロディーだけだったところに内声の音符を加えポリフォニックに改変した。グールドには作曲家への指向が常にあり、どの曲もその持つ曲の本来の良さ、作曲家さえ知らなかった良さを、従来の演奏方法・観念に囚われず示そうとした。

音楽家は普通、師匠に師事し師匠の言う事を絶対として受け取り、業界の固定観念の中で生きるのが常だ。有名な音楽家への道は、コンクールで優勝することだ。そうして名を知られ、コンサートツアーへ年に何百日も巡る。コンクールで優勝するためには、多くの審査員からまんべんなく票を得る必要があり、優れた感受性や斬新さよりも、そつなくこなす技術が求められる。当然、曲の解釈も個性的なものより平均的で新味がないものになる。こうしてどんな名曲に対しても、ありきたりで、平均的な演奏をする演奏者が再生産されるシステムが出来上がる。

ところがグールドの両親は、コンクールで優勝するための競争は息子を消耗させると考え、コンクールに息子を極力出さないようにし、グールドは自由に自分の頭で音楽を考えるように育った。グールドは母親に10才までピアノを教わったが、やがて母親が教えることができないレベルになる。案じた母親は、10才から19才までチリ人のピアニスト、アルベルト・ゲレーロが教えるように手配した。ゲレーロは生徒に子供を取らない主義だったが、グールドのレベルの高さにすぐ気づき生徒に取ることを引き受けた。ゲレーロに言わせるとグールドは “Unteachable” な生徒だったという。教えようとすると猛烈に反発するために、答えを自分で発見させるように仕向け、単に教えられるよりも自分で発見させるほうがグールドにとってより活性化できると考えたという。プロデビューを果たした後、ゲレーロから大きく影響を受けたのは明らかだったにも拘わらず、グールドは「ピアノは独学でした」と言い張りゲレーロは落胆したが、「それでいいんだ」と落胆したそぶりを見せなかった。

ピアノは打鍵した後、鍵盤を押さえている間、打鍵された音が減衰しながら続く楽器だ。ピアニスティックとかピアニズムという言い方があり、いかにもピアノらしく響かせるという意味なのだが、メロディーをレガートに音価(音の長さ)一杯に引っ張り、メロディーと伴奏をゴージャスに、流麗に弾くのがピアニスティックな演奏である。ところが、2回目のゴールドベルグ変奏曲の録音に関する1982年のティム・ペイジ(TP)との対談では、グールド(GG)は自分の奏法に関して次のように言っている

(GG)「・・僕が大バッハを扱う時の音のコンセプトは、また例の言葉をあえて使うなら、デタシェ(=音と音がつながらない、隙間がある)なんだ。つまり、ふたつの連続した音の間のノン・レガートの状態そのものや、ノン・レガートの関係、ないしは点描画法的な関係が基本なのであって、これが例外的な奏法ではない。むしろ例外的なのはレガートでつなげることなんだ」

(TP)「もちろん、君の主張がピアノ奏法の大前提を覆すことになる点は承知しているよね!?」

(GG)「うん、結局そうしようとしているんだ」(翻訳:宮澤淳一)


このデタシェという言葉はフランス語なのだが、英語は “Detach”(=de-touch 切り離す、分離させる)、名詞形は “Detachment” である。

この”Detachment” が、夏目漱石の小説「草枕」に出てくる。グールドは、「智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。 住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る」という名文で始まる「草枕」をこよなく愛した。冒頭から芸術と世俗、非人情と人情の対比をして、漱石の「芸術とは何か?」が語られる。「住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、難有(有難)い世界をまのあたりに写すのが詩である。画である。あるは音楽と彫刻である」と言う。人情を「苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世にはつきものだ。余も30年の間それを仕通して、飽き飽きした」と言い、これに対して、超然としているさまを漱石は「非人情」と言い、「非人情」の訳語に翻訳者のアラン・ターニーは “Detachment” を使った。「・・・淵明、王維の詩境を直接に自然から吸収して、少しの間でも非人情の天地に逍遥したいからの願。一つの酔興だ。 勿論、人間の一分子だから、いくら好きでも、非人情はそう長く続く訳には行かぬ」と言う。グールドは「草枕」を二十世紀小説の最高傑作のひとつだと愛してやまず、従妹のジェシーに電話で全文を読み聞かせたり、晩年にはラジオで「草枕」を朗読する番組を作ったほどで、死後グールドの部屋には多くの書き込みがされた何種類もの「草枕」の翻訳本があり、脚本を書こうとしていたという。

このデタシェの点描画法は「非人情の天地に逍遥」することであり、緊張の弛緩、軽妙なユーモアだ。逆に、レガートは緊張を高める。グールドは、複数の旋律があるポリフォニックな曲では、旋律にデタシェとレガートを弾き分けており、時に交代させ飽きさせない。一般的なピアニストの場合はレガートが基本で、美しく緊張を保つものの一本調子となり飽きてくる。

グールドは、ポリフォニックな対位法で書かれた曲を好んだ。また、子供時代にオルガンを学び足でも旋律を弾くことで、和音であっても自然と和音を分解し、別のメロディーとして捉える。ピアノで各声部を弾くとき、あたかも弦楽四重奏を演奏するように別の楽器が鳴っているように演奏していた。

普段の生活でも、コンピュータ用語を使えばマルチタスク人間だった。レストランでは、近くの席の複数のテーブルで交わされる3つか4つの会話を同時に理解できた。テレビでドラマを、ラジオでニュースを流しながら、スコアを頭に入れ、どれも理解できていたという。彼は対位法的ラジオと言われるドキュメンタリーのラジオドラマ、極北で暮らす人々の孤独をテーマにした「北の理念」などの「孤独三部作」を作ったのだが、5人の登場人物が全く違う内容を語る話声をフーガのように合成したもので、誰も話の内容を理解できないとの批判もあったが、グールドは「私たちの大半は、自覚しているよりもはるかに多くの情報を取り入れる耳を持っている」とライナーノーツに書く。後にはこのラジオドラマのTVバージョンも作られる。

グールドは、誰でも知っている有名な曲は、特に確信犯的にこれまでになかった演奏をした。バッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻第1曲のプレリュードは有名で、ググってみたら大和ハウスと資生堂がCMに使っていた。この有名な曲は、どのピアニストも流れるように優しく美しく弾くのが普通だが、グールドはやはりスタッカートで弾き、度肝を抜いた。変っているが、この曲がもつ良さは伝わってくる。 ベートーベンのピアノソナタ「月光」、これも第1楽章は特に有名だろう。(大和ハウスはクラシックが好きなようで、この曲の第3楽章をCMに使っている)こちらは感情を思い切りこめスローテンポでドラマチックに弾くのが普通なところ、グールドはアップテンポで抑揚をつけず淡々と同じリズムで弾きとおす。それが新鮮で、逆に清潔、潔癖、秘めた激情を感じさせる。 モーツアルトで有名な曲と言えば、「トルコ行進曲」だろう。この「トルコ行進曲」はピアノソナタ第11番の最終楽章なのだが、やはりグールドは破天荒な演奏をしている。下の写真は、「グレン・グールド・オン・テレヴィジョン」に収録されている1966年に行われたハンフリーバートンとの対話だ。この番組でグールドは、自分の音楽観を披露しながらピアノを弾く。これが実に刺激的だ。ごく一部だが、YOUTUBEにその様子アップされていたので、再生していただけたら嬉しい。また、「トルコ行進曲」聴き比べというのもあり、ギーゼキング、グールド、グルダ、バックハウス、ホロヴィッツが並んでいるのだが、グールド以外は軽快な元気さだけが伝わってくるくるのみだ。グールドはこの「トルコ行進曲」を断然ゆっくりと、初めは控えめに弾き始め、徐々に抑揚をつけメロディーの音色を変え、変化を楽しませてくれる。伴奏の和音をことさら崩して弾き、やはり抑揚をつけクライマックスを最後に持ってきているのが良く分かる。主は大いに感動してしまった。

1966年BBC向けハンフリーバートンとの対談

ちょっと長くなってしまったが、この番組の中で、他にもグールドは面白いことをいくつか発言している。自分は偏屈だったので、誰でも練習するこのピアノソナタを弾いたことがなく、どのように弾くか1週間前までアイデアが決まらず、スタジオに入ってもまだ確信がなかった。また、すでに立派な演奏が残されているので、それと同じ演奏をするのではなく、違った演奏をするのが演奏家の務めで、それが出来なければ職業を変えるべきだとまで言っており、次回にでも紹介したい。

おしまい

グレン・グールド 二つのフーガの技法

グレン・グールド(1932-1982)は、J.S.バッハ(1685-1750)のフーガの技法をオルガンとピアノの両方で録音している。この曲は、4段のオープンスコアで書かれており、楽器の指定がないために当時あったハープシコードだけではなく、弦楽四重奏をはじめ、オーケストラや金管楽器でさえも演奏されている。アンサンブルではどの演奏者も目の前の楽譜の音を出す義務を果たそうとし、自己主張を捨て去ることがないので、結果として平板な演奏になりがちだなと主は思っている。

グレン・グールドがこの曲を録音した時期は、オルガンが1962年(コントラプンクトゥス(=フーガ)第1番-第9番)、ピアノが1967年(第9、11、13番)と1981年(同第1、2、4、14番)である。あいにく、どちらも全曲を録音しているのではないが、どちらも十分に聴きごたえがある。というか、グールドが愛したバッハの中で最も評価していた曲であり、両方とも他の演奏者の追随を許さず、傑出している。その二つの楽器によるグールドの演奏だが、オルガンとピアノではイメージが180度違う。

まず、オルガンの方は、速いテンポで弾きとおし非常に聴きやすい。また、オルガンは鍵盤を抑えている間は同じ強さの音が継続する楽器であり、音価(音符の長さ)一杯にレガートで演奏するのが一般的なのだが、グールドはデタシェ(ノンレガート、スタッカート)を基調で始め、終盤の山場に差し掛かるにつれてレガートな奏法も使うことで迫力を出している。オルガン曲といえば、バッハの「トッカータとフーガニ短調」を思い浮かべる人が多いだろう。高音部のメロディーで始まり、轟々と鳴り響く低音のペダルの音で圧倒する。そうした演奏とはあまりにかけ離れているので、グールドの1967年のレコードが発売された時は非難轟々だったらしいが、オルガン演奏のスタイルを覆し、曲全体の良さに感動する。グールドは、どの部分部分を聴いても常に良いのだが、全体を聴いた時に違った発見があるように、楽しめる演奏をする。グールドのこのオルガンの演奏は、第1曲から第9曲まで(終曲は第14番で未完である)なのだが、第9曲にここまでの総決算のような趣があり、クライマックスを迎え全曲を聴きとおしたかのような満足感が得られる。

ピアノの方は逆に、非常に遅い。それも他のアンサンブルやアーティストより圧倒的に遅い。グールドより遅い演奏はおそらくないだろう。遅く演奏することは、テンポを保つことが困難になるため早く演奏するより難しい。グールドはそれができる。それだけ遅く演奏すること、また複数の旋律のうち強調するものを入れ替え、レガートとデタシェの両方で歌わせることで、悠久感というか宇宙の広がりのようなものを感じる。特に未完で終わる終曲の第14番は、3つのパートからなるのだが、パートごとに雰囲気が変わり、天上のメロディーともいえる美しいメロディーが出て来たり、倦むことがない。スコアの上で和音になっていても、同時に鳴らすことはまずない。目立たせたい音をわずかに早く弾き、他の音をずらして弾き、なおかつ、レガートで弾くメロディーとデタシェで弾くメロディーを区別しながら線が繋がっていく。

グールドが1963年にディヴィッド・ジョンソンとの対談で次のように語っている。「・・・ピアノでは、ある特定の声部のうちでは絶対的であるにもかかわらず、しかもなお同じ型のデュナーミク(音量の強弱表現)に一致しないといった、そういう関連性によって思考することができるからです。いい換えれば、ソプラノにある一連の動機をしかじかの強さで演奏し、アルトにある別の動機を、ある小節ではソプラノより3分の1だけ少ない強さにして、ソプラノを支えるためにその下に滑り込ませ、次の小節ではその逆をやる、といったことができるわけです。・・・」

人間の指は10本しかない。しかしながら、その10本の指でグールドは4つの旋律を弾き分ける。強さ、長さを区別して4種類の旋律を弾き分ける。

下のYOUTUBEのフーガの技法第1曲(楽譜は最後にある)を見ていて発見したのだが、アルトから始まり5小節目にソプラノが入ってくる。これをグールドは右手一本で弾き、左手はバスが入ってくる9小節目から弾き始める。右手だけで弾いている8小節の間は、いつものように左手は指揮をしている。

これに対して、次のリンクである福間洸太朗の演奏ではアルトで始まる最初の部分を左手で弾き始め、ソプラノが入ってくる5小節目に早くも右手を使い始める。

もちろん、福間洸太朗の演奏も非常にうまいのだが、この曲に限らず進行するにつれて複雑になる。その時、グールドのように片手で二つの旋律を同時に引き分けることができるというのは並大抵なことではない。というか、こんな演奏家は他にいない。

最後にグールドのモットーというかキャッチフレーズ、彼の芸術観を書きたい。「・・・・芸術の目的は、神経を興奮させるアドレナリンを瞬間的に射出させることではなく、むしろ、少しづつ、一生をかけて、わくわくする驚きと落ち着いた静けさの心的状態を構築していくことです」- この「わくわくする驚きと落ち着いた静けさ」は英語の “wonder and serenity” から来ているのだが、一生の目標が単に “serenity” だけでなく”wonder”を伴っているところが、実にグールドらしい。

おしまい

Glenn Gould-J.S. Bach-The Art of Fugue (HD) 広告の音量に注意!

バッハ/フーガの技法 コントラプンクトゥス1・2/演奏:福間 洸太朗

フーガの技法 第1曲