「世界が日本経済をうらやむ日」浜田宏一

written on 2015年6月21日

結構時間がたってしまったが、2015年1月にタイトルの本「世界が日本経済をうらやむ日」が浜田宏一・安達誠司さんの共著で出された。この本を読んで数か月たってしまったが、感想などを書いておきたい。

2012年11月の衆議院解散から一気に、円安・株高が起こった。その選挙で安倍首相がアベノミクスを声高に表明、マーケットは経済政策の転換を予想、すぐさま反応したのだ。

それから2年半が経過し、日経平均株価は2万円を超え、失業率は3.5%を下回り、企業収益の改善から2年続きの賃上げが春闘で行われ、実質賃金が物価上昇率をわずかだが上回るほど改善するようになった。氷河期と言われていた若者の就職事情は劇的に改善し、数十年ぶりの売り手市場に変貌した。為替レートが円安をキープしていることで、生産拠点を海外に移していた企業が国内回帰する現象もはっきりしてきた。

これほど明確に浜田さんたちリフレ派が進めた金融政策は成功しているのだが、他の既存の経済学者たちが宗旨替えするということは全くない。町の書店で経済関係の本の見出しを眺めてみると、あいかわらずほとんどが現在の金融政策に警鐘を鳴らすものばかりなのだ。

「超」整理法で有名で時々マスコミにも登場する野口悠紀雄は、日銀の異次元緩和を批判(「金融政策の死」)し、現在の金融緩和を続けることはやがて国債価格が暴落、ハイパーインフレに陥ると主張する。日刊ゲンダイで1ドル=1万円という円安になるとまで言っている。

民主党政権時代で円高であった2011年1月に『1ドル50円時代を生き抜く日本経済』を出版した浜矩子は、アベノミクスを「アホノミクス」と批判してはばからない。民主党政権の時代の円高を見て、1ドル50円時代をまじめに予想しただけでも信頼性が疑われ、その後も相変わらず物事が見えないようだが、マスコミから干されるということはない。

昔から書店で多くの書籍を目にする藤巻健史(維新の党所属の参議院議員でもある)は、現在の金融政策を批判、ハイパーインフレが起こり1ドル=10万円になりかねない、財政悪化が太平洋戦争前と同じ状態だとまで言っている。書店には、読者の不安をあおるキャッチーなタイトルの本が多く並べられている。

アベノミクスが万能だというつもりはないが、こうした考えとは全く違う経済学者が幅を利かせて存在するという事実はやはりよくない。第一に「経済学」というからには、科学であってほしいと思うし、訳知り顔の素人の強弁と変わらない状況は、余分な不安を社会にまき散らす。第二にアベノミクスが成功するかどうかは、これが最後のチャンスだろう。日本は15年とも20年ともいわれる長い不況に手をこまねいてきた。その長いデフレの間に、賃金は下がり、共稼ぎをせざるを得なくなり、出生率が下がり、地方は存続の危機にある。こうした最悪の状況から、再び日本が復活できるかどうかという瀬戸際だ。財務省は財政赤字を強調し、マスコミも同調する。いま大事なのは財政赤字の解消ではない。まずは、経済成長が先だ。経済が成長するのにともなって財政赤字は自然に軽減される。消費増税で経済の腰を折っては何もならない。第三に短期の問題と長期の問題が混同されている。短期の問題は、金融の量的緩和とインフレ期待により実質成長力と潜在成長力のギャップを埋めることだ。これまでの日本はヒト・モノ・カネが十分に働いていなかった。その遊休を解消することが先決だ。第三の矢である成長戦略はこのギャップが埋まった時に、さらに成長力の限界そのものを高めるための方策であり、長期の問題だ。

アベノミクスを批判する側は、これまで国債の暴落、金利の急上昇が起こらず、経済の好循環が生まれつつある事実を客観的に見なければならないだろう。円安で輸入価格が上がり、価格転嫁をできない中小企業が困っているとか、格差が拡大したと言われることがあるが、民主党政権時代と比べてみるがよい。長く続いた自民党時代のデフレはもちろん悪いが、3年間の民主党政権時代はどうだったか。デフレスパイラルの深みにどっぷりはまり、極端な円高で日本の製造業は競争力を失い空洞化、雇用も長期の悪化(リストラの嵐)、非正規雇用の切り捨てなどが起こる。リーマンショックはアメリカ発なのに、いち早くアメリカは経済を立て直し、一番被害が少なかったはずの日本がいつまでも不況から脱することが出来なかった。(リーマンショックが起きた際アメリカは、日本が何も対策を取らず長い期間デフレに陥ったことを反面教師にし、すぐさま金融の量的緩和を行ったといわれている)

アベノミクスが始まってから事態は、これまでと比べずっと改善しているのだ。焦ってはいけないし、楽観はできないが、少なくとも間違ったデマで国民をミスリードする愚は犯してもらいたくない。

思わず主の強い主観の表明となった。しかし、この本を読めばいかに経済学の世界が、とりわけ日本の主流派といわれる人たちの経済学の世界が、間違ったバイアスから抜け出せていないと理解することができる。

ちなみに、最後の章で世界の経済を見る目を養って株で儲けを出せるかどうかということがトピックになっているところもあり、それだけを読んでみても値打ちがあるだろう。

 

 

 

 

ハイレゾとSACD購入

最近、CD-S3000を使って普通のCDを再生している。これが非常にいい音がする。これまで、CDはリッピングしてパソコンを使いDAC経由で再生していたが、このCD-S3000、さすがに高級機だけあって、そういう手間が必要ない。もちろん、SACDはさらに良い音がする。

CDを1枚ごとに再生した場合、PCオーディオと比べると、曲間の時間が正確なようだ。PCオーディオでは、すべての曲間の無音の時間が同じだが、CD再生では、第1楽章と第2楽章の間の無音の時間より、1曲目と2曲目の無音の時間の長さのほうが長くとられているようだ。ちょっとしたことだが、使い勝手が良い。リッピングの仕方が悪いのかもしれないが。(2015/10/21追記)

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SACDとSACDプレイヤーは世間にあまり流通していないので、ずっと買うまいと思っていたのだが、グレン・グールドの10種類ほど発売されているSACDディスクを聴きたいという欲望に負けて買ってしまった。

さすがにSACD、ハイレゾだけあって良い音がする。グレン・グールドのアナログで録音されたマスターテープを音源にしてSACDは作られているのだが、自然な音の厚みがある。 CDに録音された交響曲など大編成のものは、どんなに立派なオーディオ装置を使っても実際のコンサートホールの演奏にはまったく及ばないとかねがね主は思っている。だが、SACDであれば、代替が可能かもしれないと思わせるほどの違いはある。

                                                                                                                             SACDディスクとプレイヤーは非常に微妙な位置にあるオーディオだ。SACDはかなり前(1999年)にできた高音質を謳う規格だが、記憶容量ではDVDに近い。CDの10倍ほどのデータが入っている。このため、CDとの互換性がなく、世間に広がることなく今に至っている。また、SACDには強力なコピープロテクトがかかっており、CDのようにパソコンへ書き出しができない。この結果、売れない、ソフトがないという悪循環にはまっていた。だが、最近のハイレゾブームで音の良さが見直されるということが起きた。

SACDは高音質なのだが、CDと比べて音が良いと感じられるには、それなりに高価な再生装置を使わないと実感できない。安物のステレオでは、CDもSACDも差が感じられないのだ。そうした事情もあって、SACDディスクで売られているのは、ジャズかクラシックだけでポピュラーはほぼ販売されていない。また、販売されているのは過去の巨匠の演奏の焼き直しが多く、最近の録音は少ない。要するに、レコード会社は新譜を発売しても、売り上げを見込めないために冒険をせず、今では博物館に入っているような伝説の名演をSACDへデジタル化し、一部のマニア相手に売れればよいと観念していると思えるほどマーケットは小さい。

ところが、最近は円盤(ディスク)を使わず、インターネットから高品位なデータをダウンロードして聴くPCオーディオという方法が注目されるようになった。この方式では、SACDよりもさらに高品位(データ量が多い)なものも売られている。ダウンロードであれば、プレイヤーのような回転装置が不要になり音質面、価格面でも有利だ。

グレン・グールドの演奏の音源の権利は、カナダ放送協会(CBCが所有するごく一部のものを除き、ほぼすべてをソニーが持っている。したがって、ソニーは権利のある音源のすべてをCDで発売し(100枚程度)、そのうち主要な曲SACD11種類をSACDで発売している

だが、不調と言われるソニーは、ここでも「ソニーよ、どこを目指すのか?!」という事態が生じている。CDはデータをパソコンに取り込める、だが、SACDはパソコンに取り込むことが出来ない。ディスクをプレイヤーで再生するしか方法がない。このため、CDを超える現在のハイレゾ音源は、インターネットからダウンロードして得ることになる。一方で、ソニーは、mora(モーラ)というインターネットを使ったダウンロードサイトを運営している。このmoraにおいてグレン・グールドの演奏は、CD規格の音質のもののみを配信しており、SACDのインターネット版であるDSDは配信していない。唯一、バッハの「インベンションとシンフォニア」をPCMという規格でハイレゾ配信しているのみだ。

ここで、疑問が生じる。ソニーはSACDのコンテンツの販売を拡充しようとしているのか。それともmoraで今後はSACDで販売しているコンテンツを含めハイレゾ配信するつもりなのだろうか。それとも、SACDディスクを購入したユーザーに遠慮して、SACDをインターネット配信するつもりはないのだろうか。その辺の方向が見えないし、中途半端でスピード感がない。

–以下2015/6/7追記–

上のように書いていたのだが、グールドの全集がDSD録音をもとにCDとUSBメモリーに入ったハイレゾファイルがこの秋に発売されるようだ。SONY MUSIC SHOPというから海外からの輸入のようだ。アマゾンやタワーレコードなどでも予約を受け付けている。以下が記事のリンクだ。上記の疑問の回答になろうが、おそらく将来は mora などで配信するようになるのだろう。

http://www.cinra.net/news/20150529-glenngould

日本へ  “unexpected”(思いがけない)な国からの帰国!

パプア・ニューギニアを形容する言葉の一つに”unexpected”(思いがけない)がある。とにかくとんでもないことが起こり、最後まで安心できないのだ。

日本へ帰国する直前に3泊するつもりでホテルへ移動してきた。ともあれ、明日のフライトで日本へ帰る。仕事はとうとう終わった!!

移動してきたホテルは、ポートモレスビーの中でも三本の指に入る高級ホテルで、1泊が2万5千円程する。(家賃も異常に高い)ところが、ホテルの造りもがっかりだが、冷房が故障している。全館で冷房が止まっており、食堂では窓を開けて大型の扇風機をブンブン回していた。最初の日の夜は、まだ比較的冷気が出ており、食堂での飲食を4000円まで無料にするという案内がドアの下に入っていた。2日目、3日目の夜は宿泊料を無料にするという案内が入っていた。3日目の今日は、会社に電話があり、引き続きとどまるか他のホテルへ移るかという問い合わせがあった。他へ移るかといわれても、こちらは自動車を売り払い足もなく、荷造りを再度することも大変なので引き続きとどまることにした。

明日支払いをするのだが、割引額はいったいいくらなのだろう?1泊分の料金だけで済むのだろうか。

ホテルでは、NHKはもちろん映らない。見れるのはCNNなどの放送。あと、マンションから持ってきたパソコンと接続するスピーカーだけだ。このスピーカーはホテルを出るときに身軽にするため捨てるつもりでいる。マンションではケーブルテレビとインターネットを今週の月曜日に解約し、火曜日まで音楽を聴くことだけしかできなかったのだが、いかにテレビとインターネット中毒になっているかを痛感した。きっと、刑務所につながれると頭の中が空白になってしまうだろう。

ところで、主が泊まっているこのホテル、冷蔵庫に入れたペットボトルの水が氷るのだ。二晩目あたりまでは、半分くらいの氷り方だったが、今晩は完全に凍ってしまい肝心の水が飲めない。

今日、自動車を手放し、最後の勤務を終え、4時30分に会社の運転手にホテルまで送ってもらった。

時間がたっぷりあるので、小銭入れに現金を移し、その他の貴重品は部屋に置いて、隣にあるさらに高級なホテルで背中のマッサージを30分間受けた。次に、徒歩で行けるインド料理屋で食事をした。この時点でようやく夜7時前になる。ホテルのキャッシュディスペンサーで現金を補充し、キャッシュカードは再び部屋に置いて、隣のホテルで再びマッサージ、今度はフットマッサージを30分間してもらった。この国の娯楽らしい娯楽はマッサージしかないのだが、内容はお金をドブに捨てるに等しいほど虚しい。マッサージ師はツボを全く理解しておらず、痛くない程度に撫でまわすだけだ。

それでも、受付にいたちょっとイケメン風のインドネシア人青年に「社長さん!」と日本語で冷やかされたりする。フットマッサージがはじまりしばらくすると、主の隣で太ったPNG人女性がこのインドネシア人青年にフットマッサージしてもらっていた。この青年もマッサージ師だった。若いインドネシア人青年が太ったおばさんのPNG人女性の足をマッサージしているのは違和感があったが、これは明らかに人種的偏見だろう。

8時前、隣のホテルから自分のホテルへと戻る、わずか100メートルほどの道を夜歩くのが、気が進まないなあと思っていた。だが、ちょうど出口のところに複数の警備員がおり、「一緒に歩いてくれ」と言ったら、当然の如くにたちどころに了解して、隣のホテルまでエスコートしてくれた。

まもなく帰国 日本は遠い!

3月28日のフライトで日本へ帰国する。辞令はすでに出ている。今日は3月25日で、残すところ3日間だ。 しかし、この3月という時期は、経理担当者にとって何もなくても決算があるため繁忙だ。それにくわえて引継ぎと引っ越しを同時にしなければならない。やってきた後任者は、公募で選ばれた50歳の独身女性。パプアは治安が悪いので、どこへ行くにも自動車を運転する必要がある。こちらに来て最初のうちは、地理に不案内で、交通事情にも慣れていないので、生活の面倒も見る必要がある。

引継ぎを始めてみると、あれもこれもけっこう詰問調で、先日受けていた会計検査がいまだに続いているような感じがする。また、後任者は今後のことを考えて、主をまるでクリンチする感じがしないでもない。

自宅の方もそのまま後任者に引き継ぐ予定だったが、話が急展開し、不動産屋に依頼して専門業者が清掃をしたあと引き継ぐことになり、今日ホテルに移動してきた。この清掃費用やホテル代は自腹を切らなければならない。家財道具もそのまま引き継ぐつもりだったが、二日かけて清掃をすることになったために部屋をまったく空にしなければならなくなった。

この部屋を専門業者に清掃させようと後任者に吹き込んだのは、別の50代半ばの女性だ。夫は外国人で外国で暮らし、成人した子供は日本で暮らし、単身赴任をしている。部屋を掃除するということにくわえ、携帯電話を早く引き継げと注文が多い。

わしは引っ越しでややこしいので、引越しが済むまで待てっちゅうねん!

どうも、オバタリアンの扱いは難しい。とほほ。

「白蓮れんれん」『性交こそは男と女の何より堅い約束』林真理子

 

2014年に放送されたNHKの朝ドラ「花子とアン」は、翻訳家の村岡花子が主人公だが、蓮子(歌人として「白蓮」を名乗る)の存在を抜きにすることはできない。

「花子とアン」の「白蓮」の存在が面白いので、林真理子「白蓮れんれん」を読むことにした。 文庫本の裏に書かれた紹介文を引用すると「「筑紫の女王」と呼ばれた美しき歌人・柳原白蓮が、年下の恋人、宮崎龍介と駆け落ちをした、世に名高い「白蓮事件」。華族と平民という階級を超え、愛を貫いたふたりの、いのちを懸けた恋ーー。門外不出とされてきた七百余通の恋文を史料に得て、愛に翻弄され、時代に抗いながら、真実に生きようとする、大正の女たちを描き出す伝記小説の傑作。第八回柴田錬三郎賞受賞作。」 また、文庫本の帯に「花子とアン」の脚本家・中園ミホが「朝ドラでは描けない白蓮の真実がここに書いてあります」とコピーを書いている。

「花子とアン」は「白蓮」が重要な位置を占めているが、逆に「白蓮れんれん」に「村岡花子」はたった一言でてくるだけだ。

東京帝大出身の龍介が婚姻届をを持参し、二人が印を押す下り、こんな風に書かれている。「しかし二人の前には多くの障害が待ち受けていた。龍介の健康のこともあったし、燁子(あきこ=白蓮)との結婚が宮内省に受理されるのにどのくらいの時間がかかるのかもわからぬ。それよりも燁子と龍介を決して一緒にさせまいとする世論があった。雑誌や新聞で平塚らいてう、村岡花子など好意的な意見もあったが、たいていの女性文化人も燁子に厳しい。未だに多くの特集が組まれ、燁子を弾劾しようとするのだ。・・」わずかここだけ。

林真理子が書く小説は、男女の愛憎が常に話の推進力になっている。あけすけな性を語りながら、男女の打算、見栄、渇望、さまざまな思いが説得力を持って語られる。燁子は最初の結婚生活に敗れた20台、40ちかく年の離れた伝右衛門と再婚する。伝右衛門は、妾を囲い、女中に子供を産ませる好色で身勝手な男である。伝右衛門は若い華族の燁子を珍しい生き物でも見るような好色な目で見ながら、妻に娶る。当然ながら、伝右衛門との愛情のない夫婦生活に燁子は絶望し、目の前に現れた年下で帝大出身の龍介との恋に真実を知る。

この本の中に印象に残るフレーズがあった。結婚を目前にした龍介が燁子が交わるとき、林は「性交こそは男と女の何より堅い約束」と書く

もちろん、燁子は伝右衛門との間に性交渉がない訳ではない。だが、まるで娼婦のようなわが身を思ったあまり、妻の立場にありながら伝右衛門に別な若い妾を与え、娼婦の役目をさせる。こうした欺瞞に満ちた生活に、ようやく龍介という真実の光明が訪れる。だが、伝右衛門の乱脈な性行為にも、それなりの真実があり、相手の女性との間に「男と女の何より堅い約束」をかわしていると気づく。

結局のところこの本は、悲劇のヒロインだった燁子が苦闘の末に、自分の幸せを見つけることが出来た恵まれた人生のストーリーなのだ。

 

 

 

日本へ パプア・ニューギニアから帰国!

この3月に日本へ帰国する。パプア・ニューギニアには都合2年弱住んでいた。

主は、10年前にブラジルで暮らしていた。ブラジルと違ってパプアは、生活状況が良くない。生活状況が良くない国の生活は、日本人同士の付き合いが全ての面で近くなり、べったりとなる。もう少し詳しく説明すると、ブラジルのような生活に不自由のない国では、日本人同士がべったり付き合わなくとも、単独行動で好きなところへ出歩ける。こういう国では、日本人同士の関係が希薄でも十分に生活できる。ところが、パプアでは治安状況が悪いために単独で街を動き回るということはできない。また、動き回わって楽しいところがないという事情もある。そうした背景から、日本人同士が群れる。群れて、酒を飲んだり、食事をしたり、一緒に運動したり、生活が日本人同士でべったりとなったほうが、さしあたり、充実した生活を送ることが出来る。

ところが主は最後の約半年、周囲の日本人と没交渉になり、私生活ではほとんど独りで暮らしていた。同僚の多数は遅くまで残業しているのだが、主は勤務時間終了とともにさっさと帰ったし、食事を一緒にするということもなくなった。一緒に運動することもほとんどなくなった。

もちろん、周囲の日本人と別段なりたくて没交渉になったわけではない。だが、周囲の同僚とのジェネレーションギャップや、主が基本的に下戸なため長い時間酒席に付き合えないということで、どこかで歯車が狂ってしまい、なかなかもとには戻らなかった。大人の付き合いは、子供のように簡単に仲直りをするという方向に向かわないようだ。一度歯車が狂ってしまうと、疎遠な状態がそのまま続いてしまった。

この一番大きな理由は、「億劫さ」にあるように思える。関係修復するためにエネルギーを出すのが面倒くさい。主はそうだったし、相手もそうだろうと思う。無理してまで、関係修復するエネルギーを出そうとしないのだ。その小さなエネルギーを出しさえすれば「来る者拒まず、去る者追わず」、相互の関係は修復されるのだろうが。

 

夏目漱石「草枕」とグレン・グールド

グレン・グールドは、夏目漱石の「草枕」を異常なほどに高く評価していた。もともとこの小説は、1906年(明治39年)に発表されたのだが、英語版は1965年(昭和40年)に「The three cornered world(三角の世界)」という名前で発表されたものだ。グールドは、20世紀最高の小説とまで言い、死の前年である1981年にラジオの朗読番組を作り、死の床には、さんざんに書き込まれたこの翻訳書があったという。

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「山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。」で始まり、「智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」さらに「住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る。」と続く。

「草枕」というタイトルなら、英訳は「 The grass pillow」などとなりそうなものだが、翻訳したアラン・ターニーは、「The three cornered world」と訳した。これは、本書の中に「して見ると四角な世界から常識と名のつく、一角を磨滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう」と書かれた一節があるからだ。この箇所が内容を最も端的に表していると考えたのだろう。四角四面な浮世において、常識にとらわれない三角な世界に住むのが、芸術家であるということだろうか。

主も明治時代に書かれた「草枕」を実際に読んでみた。実際に漱石が書いた「草枕」は漢語がふんだんに使われ、難解で注釈なしでは読めない。また、変転する筋らしい筋もなく、核となるのは漱石の芸術観だが、簡単に読めるというものではない。また、明治という時代背景のせいだと思うが、現代の今となっては新味に欠ける事柄を新発見したような書き振りのところも多い。また、漱石らしいユーモアが魅力だが、芸術家と市井の人との差異や知識人としてのエリート意識を強く感じる。

この小説では、魅力のある出戻りの「那美」という名前の女性の絵を、「余」がなかなか描けないというのが一つのモチーフになっている。画を書こうとするのだが何かが足りない。だが、最後に「那美」の前に別れた亭主が現れ「憐れ」が一面に浮かぶ。それで、初めて画が描ける、といって話は終わる。漱石の芸術観は「情」に溺れることなく「理」の世界を是とするものの、「情」をなくすことはできないし、「情」なしに芸術は成り立たないということのように読める。

漱石の「草枕」には古色蒼然としている部分があるのだが、グールドが読んだ「The three cornered world」は、ネットでググると外国人にとって非常に読みやすく、日本版とはかなり趣が違うようだ。また、翻訳された1965年にはベトナム戦争がすでに始まっており、ヒッピーなどの新しい文化や価値観が生まれた時代だが、グールドがこの本の朗読をした1981年は、ヒッピーやユートピアを単純に肯定するだけではもちろんすまない。保守、反動、さまざまな価値観がせめぎあった時代だ。

グールドは漱石の芸術観に強く共鳴したのだろう。敬虔なキリスト教徒の両親の教育のもと、グールドは古い時代の価値観を根底に持ちながら大戦後の民主主義や大衆主義が高まる幸福な時代を生きた人だが、漱石の芸術観、何かと棲むのが面倒な浮世から、芸術が常識に囚われない三角の世界へ誘うという考えに強く共鳴したのだろう。

おしまい

 

 

グレン・グールド 神秘の探訪 ケヴィン・バザーナ

「グレン・グールド 神秘の探訪」(ケヴィン・バザーナ サダコグ・エン訳 白水社)

ケヴィン・バザーナは、カリフォルニア大学で音楽史の博士号を持つフリーランスのライター、編集者であり、グールド研究の第一人者だ。「グレン・グールド 神秘の探訪」は大判の単行本でありながら500ページ以上ある大著だ。グールドの両親が結婚する以前から書きはじめられ、微細な調査をもとに、非常に良く書かれている。

唯一書かれていないのは、他の本もそうだが女性関係だ。これがすっぽり抜け落ちている。これは、如何にグールドが細心の注意を払ってプライバシーを守り抜いたかがわかる。

これまで読んだ2冊の伝記「グールド伝ー天才の悲劇とエクスタシー」(ピーター・F・オストウォルド)「グレン・グールドの生涯」(オットー・フリードリック)も深く考察されていたので、グールドの人物像がどのように作られたのか徐々に分かってきたように思う。

当たり前だが、天才は凡人とは全く違う。グールドはなるべくして天才グールドになった。幼児期から他の子供と遊ぶということがなく、母親の教える音楽の世界にはまり込み、言葉を話せる前に楽譜を読めるほどになり、その後も音楽以外の世界を知らない。幼児期から友人と遊ぶことがまったくないまま、音楽の世界の奥深くへつき進んでいく。他人との付き合いについて、次のように語っている。「私は6歳までに重要な発見をしました。つまり自分が人間より動物たちとずっと仲良くできるということです」人間づきあいがまったくできないといっていい。

グールドのことを現代における音楽だけを愛した「最後の清教徒」で聖人君子というイメージを抱いていた。しかし、音楽を愛したというところはそのとおりだが、それ以外のところは全く様相が違う。

あらゆる面で普通ではないのだ。不安症。エディプスコンプレックス。大衆に対する恐怖。ナルシスト。死ぬまで価値観が変わらない。偏執症。他人を理解できない。10代からの薬物依存。潔癖症。運動をしない。抑うつ症。スーパーナルシスト。昼夜の逆転。もちろんそれらに匹敵する美点も多いが、もしグールドから音楽を除いたら何も残らない。

何かわかった気がするパプアニューギニア人 Part3

主がよく行く日本人経営で唯一の日本食レストランでは、結構な数のウエイトレス(メリー)が雇われている。日本の店ではありえないことだが、彼女たちはしょっちゅう行く主(に限らず誰でも)に非常に愛想がいい。お互いなかなか通じない英語で会話するのだが、「独身?」「彼はいるの?」「家族は?」といったストレートな質問をしても屈託なく正直に答えてくれる。これと同じことを日本のファミレスの若い女性にしたら間違いなくヒンシュクを買うだろう。若い女性に限らず、60歳の親爺がこのような質問はなかなかできない。

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独立記念日にシンシンの格好をしたメリー

小さな子供たちと目が合った時にこちらから手を振ると、どんな場所でも、実に嬉しそうに手を振り返してくれる。大人でもそうだ。下は道路端で野菜を売っていたおじさん。服装も若いが子供のような屈託のないポーズ。

おじさん

どうもここの人たちはピュア、純真なんだと思う。すれていない、裏表がないという表現もできそうだ。そして、結構誇り高い。下はマンションの入り口の警備員だ。住人が出はいりする際には必ず挨拶をお互いする。現実にはしょっちゅう泥棒が現れる訳ではないので手動で扉を開け閉めするだけだが、彼らは仕事に強い誇りを持っている。

警備員

おしまい

 

何かわかった気がするパプアニューギニア人 Part2

パプアニューギニア(以下PNG)には今なお800以上の部族がおり、それぞれの言語を持っている。PNGでは、一般にピジン語が話されていると思われがちだが、ピジン語は欧米との接触後に作られ、大洋州で広く使われる言語である。ゆえに、各村では今でも800に分かれた昔からの言語がある。例えば、ポートモレスビーでは「モツ語」がここの言葉だ。モツ語はポートモレスビーだけで話される。ポートモレスビーでは、モツ語とピジン語によるラジオ放送局の2種類がある。現地の言葉とピジン語の違いだが、現地スタッフの村では2進法で数を数えており、10進法のピジン語とはまったく違う。ピジン語は言ってみれば第1外国語であり、英語は第2外国語なのだ。

現地スタッフに家族(family)の概念とワントクについての違いを聞いてみた。まず家族。家族には3種類あり、第1(nuclear)は日本で言う家族である配偶者、子供。第2(joint)は田舎に住む親、兄弟が入る。第3(extend)は日本で言う親類の概念であり、配偶者の親、兄弟やその子供たちを含む。一般に高地族は一夫多妻なので、母親は複数あることも多い。彼の場合、第3までのカテゴリーの家族は30人ほどになるそうだ。このカテゴリーまでの家族は、養育が困難になった場合などは面倒を見て、面倒を見てもらった方は豚などで対価を払ったりしてギブアンドテイクの関係になる。一方、ワントクはone talkのことなので、本来は同じ言葉を話す同郷の人を指す。だが、ワントクと言っても、ワントクが故郷以外で出会う場合は、拡大解釈される。例えば、首都ポートモレスビーで暮らすオンボさんにとっては、出身の村だけではなく、出身の村が属する州の出身者がワントクに含まれる。もし、海外でPNG人に出会うと、PNG人全部がワントクとなる。ワントクの場合は、仲間であるが困窮したからと言って生活の面倒までをみるかといえば、そういうことはない。

当たり前といってしまえば当たり前なのだが、ワントクだからといって生活の面倒を見る訳ではない。生活の面倒を見るのは家族までなのだ。家族の概念が今の日本より広く、家族の概念は日本の親戚までが範囲だ。こういう言い方もできるだろう。昔の日本もそうだったのだ、家族の概念は広かった。戦前までは、困窮したものがあれば親類縁者で支えあっていたはずだ。日本における家族の概念が、近年小さくなったのではないか。

こちらでは、「養子」にしたり、親戚の子供を育てているということがしょっちゅうあるようだ。それとて、無料奉仕でしている訳でなく、ギブアンドテイクで子供を預けている方の親は義理を感じているようだ。日本もかつてはそうだったのだと思う。

つづく