何かわかった気がするパプアニューギニア人 Part1

主はすでに60歳になっている。このため来年3月で定年となる。パプアニューギニアに来て1年半が経ち、少しは彼らがわかったような気がするので、書き留めてみたい。

まずは、簡単にこちらポートモレスビーの日常をさらっとおさらいをすると、次のようなる。こちらは、ラスカルという強盗(少年のグループが多いのだ)が、自動車を止めてピストルやブッシュナイフ(長い刃物)で強奪するということがまま起こる。街中では喧嘩がしょっちゅう起こっており、我々外国人は獲物として巻き込まれる可能性が高い。そのために二重に警備されたスーパーマーケットやレストランへ車をピンポイントに使って移動する。目と鼻の先の目的地に歩いていくときには、ガードマンを伴って歩く。そんなわけで、日没後やセトルメントと言われるスラムへは近づかないようにして暮らしている。

とは言っても、主が住むマンションの周りはセトルメントが混在していて、パプアニューギニアには高級住宅地で安全というエリアはない。土地の所有権は部族の共有になっており、マンションの建つ土地は借地であり、どうしても虫食い状態になるのだ。

こうした日常の不便さから、勤め先では半年に1回、安全に関する講習会をやっている。主は、この場で日本語を喋れる現地スタッフとトークを行った。

分かったようで分からないパプアニューギニア人。ワントクというシステムがあり、仲間を大切にするが、他の部族とは少し前までは殺戮しあっていた!そんなイメージを持っていた。

現地スタッフは今年50歳になるわが社で一番の高給取り。高校を卒業して日本の国際基督教大学(ICU)を卒業した日本通である。だが、それも昔の話、普段は英語とピジン語を話しているので「大分忘れた東京弁」でトークを行った。

つづく

 

なかなかよい甘利経済再生相

written on 17th November 2014

今日発表された経済成長率(7月から9月へのGDP速報値)が2期連続のマイナスとなり、明日にも安倍首相は増税の先送りと衆院の解散を決めるだろうと言われている。(弾力条項を入れるべきだと主は思う)

だが、今日行われた首相と有識者との点検会合では、予定通り消費増税を行うべきだと述べた人たちが10人中8人をしめたと報道されていた。これを知ると世間の常識がどのあたりにあるかよくわかる。 「消費増税は、景気浮揚効果がある」とまで言った経済学者がいるらしいが、閣僚も同じようなものだ。谷垣幹事長は、早くから消費税を上げるは当然だと言っていたし、麻生財務相は官僚のスポークスマンそのものだ。(逆にリフレ派の早大、若田部昌澄教授は8%の税率を5%に戻すよう主張した。そうだよな)

こうしたなかにあって甘利経済再生相は、「わかっている」人物のように思える。甘利経済再生相は「(2014年4月の)消費増増税は経済を冷やすということを学習した」という旨の発言をしている。昨年から続くTPP交渉では忍耐強く矢面に立ち続けている。

今日CNNは「日本は景気後退(recession)」へ向かっている」と流していた。世界は、「日本経済は底固く復活の途上にある」などと楽観的に見ていない。「景気後退へ向かっている」というのだ。

民主党時代のデフレより、今の状況はずっと望ましい。確かに中間層から下はよくないのは事実だが、森永卓郎が言うように「今は我慢の時なのだ」

上げるのか上げないのか 消費税

written on 2014年11月12日

「消費税を上げるのは既定路線だ」いう感じだったマスコミの報道が、1週間ほど前から「上げるべきではないとの声がある」と両方の意見を言うようになってきた。

そして、急に「阿部首相が、来年10月の消費税アップはしないという判断をして、衆議院を解散する」という声が数日前から出てきた。最初に言い出したのは「週刊文春」のようだ。

中国にいる首相がインタビューで質問を受けた際にも「解散についてコメントしたことはない」と言ったが、「解散しない」とは言わなかったことで、その報道は急激に大きくなった。

各報道機関がこれだけこぞって言うのだから、実際に消費税上げを見送って、解散になるのだろう。主のブログでも消費税を今上げるのは間違った判断だと書いた。安倍首相は「嗅覚が優れている」といった知人がいるが、そのとおりだと思う。財務省の宣伝に踊らされ、自分の頭で考えない人たちの多さを考えると違いは際立つ。

先日、アメリカが金融緩和を止めると発表した翌日(前からすでにアメリカの金融引き締めは知られていたので、誰も驚かなかった)日銀がサプライズの追加金融緩和を発表し、円安が進行、株価が急上昇した。

ただ、円安、株価の上昇は長期的には日本の経済には望ましいのだが、短期的な円安は、消費者や一般の人にとっては所得が増えない段階において、購買力の低下を招くため、NHKなどマスコミはむしろマイナス面を強調した。

今日(11月12日)の株価の動きは、興味深かった。「阿部首相は消費税を上げないで解散する」という発言と「消費税を上げない選択はあり得ない」を言う発言を、立場の違う代議士たちが発言するたび株価が上下した。もちろん消費税上げを見送るという有力者の発言があると株価が上がり、消費税は上がるという発言があると下がったのだ。

このようにたちどころに上下するのは外国のファンドが多額のマネーを日本株につぎ込んだり引き上げたりすることが理由だろう。この株価の動きを見ていると、首相が実際に消費税を上げないと決断すれば株価がさらに上がることが見えてくる。

もちろん、そうした資産効果は一般の消費者に恩恵が直ちに行くものではないし、しばらくは我慢をする時間は必要だろう。もし民主党が言うように「アベノミクスは間違っており、今の金融政策をやめる」とすると、不況を脱することができず、庶民は苦しむだけだ。今の不況を抜け出す道はアベノミクス以外にない。

話は別だが、代議士たちの戦(選挙)好きは傍目に興味深い。彼らは国民のことを考えているということより、勢力争いが好きなだけのように映る。

 

グレン・グールド伝ー天才の悲劇とエクスタシー P・F・オストウォルド

「グレン・グールド伝ー天才の悲劇とエクスタシー」(ピーター・F・オストウォルド 宮澤淳一訳 筑摩書房)

オストウォルド(1928-1996)は、グールドの4歳年上のカリフォルニア大学サンフランシスコ校の精神科医であり、公演芸術家(パフォーミングアーティスト)の精神治療を研究、特に芸術家の天才と狂気を探求した。同時に、セミプロ級のヴァイオリニストでもあった。二人が知り合ったきっかけは、グールドの治療をしたわけではなく、グールドが24歳の時(1957年)にカリフォルニアでの演奏会のあと、オストウォルドが演奏の素晴らしさに魅せられ楽屋を訪ねる。オストウォルドの賛辞にグールドも打ち解け、その夜、他の音楽家たちとともに明け方までバッハ、ベートーヴェンを合奏をする。それが二人の出会いである。

グールドは電話魔で有名で、オストウォルドも親友としてそのリストに入るのだが、1959年グールドは演奏会をキャンセルし、その賠償を逃れるためにオストウォルドに診断書を書くように依頼する。診察をせずに診断書を書けないとオストウォルドが断ると、グールドからの連絡は途絶える。

この本では、グールドの生い立ちから始まり、天才ぶりを発揮する一方で、まったく社会性のない子供が大きくなり、アスペルガー症候群(自閉症の一種)が疑われ、強度の不安症、ヒコポンデリー(病気でないのに病気だと思い込む)、スーパーナルシストとグールドを分析している。オストウォルドは精神科医、特に芸術家の天才と狂気を研究した人で説得力がある。

ただ、グールドは精神科医を受診することは自分のイメージを傷つけると考えたのだろう。あれだけの鎮静剤などを常用しながら、女性関係同様、このことは生涯ひた隠しにしている。 グールドを描いた映画「エクスタシス」で音楽評論家のクロード・ジャングラが「人心操作の天才だ」と言うのだが、主はずっと意味が分からなかった。 しかし、グールドの伝記などを多く読むようになって、今は分かる。グールドはどんな情報が受け手(世間)に喜ばれ、また、自分のイメージを損ねるか生涯にわたって気づいていたし、またこのマイナスイメージに十分に注意をはらっていた。それが天才の「人心操作の天才」と言われる所以だろう。 

夏でもコートにマフラー、手袋をし、マスクをすることは受ける。だが、この時代、精神科にかかることは狂人を意味しイメージを傷つける。女性関係は(家庭的な禁忌もあるのだが)「清教徒」を標榜する身にとって望ましくない。

グールドは、株でも才覚があった。周囲が株でみなが損失を被っている時、彼一人が石油の株でもうけを出したという。映画「グレングールドをめぐる32章」の「秘密の情報」というチャプターでこう描かれている。

彼はソーテックスという名の小企業の株で儲ける。周囲にこう言っていた。「空港でヤマニ(石油相の名前)のボディガードから聞いた。」「何の話です?」「これはここだけの話だよ」「ソーテックス?聞いたことない」「ここに採掘権を与えるそうだ」他の人にも電話をかけ言う。「ここだけの話だよ。他言は無用だ」「ソーテックス?(名鑑を調べ)あった」次に皆が言い始める。「ソーテックスのことは?」「ソーテックス 2万株だ」と皆が注文を出し始める「北に油田が見つかったんだよ。ロマーニが興味を持ってるらしい」と話に尾ひれがついて行く。当時、株価暴落が起こる中で、ソーテックスの株だけが上がり、グールドは高値で売り一人儲ける。株屋は言う「グレン、うちのクライアントで儲けたのは君だけだ。音楽活動を止めて株式に専念しろよ。『ヴィルトゥオーゾ』め!それじゃあな」電話を切って独りごちる。「ピアニストか。(なんてこった)」

 

 

 

グレン・グールド考 (なぜモーツアルトピアノソナタを奇矯に弾くのか)

グレン・グールドとフリードリヒ・グルダのモーツアルトピアノソナタの比較をしてみた。

フリードリヒ・グルダのモーツアルトピアノソナタ14番は、「Mozart no End」というライブアルバムがあり、グルダ晩年の最高の演奏で何とも言えず美しい。

フリードリヒ・グルダを簡単に紹介すると、オーストリアで1930年生まれ(グールドは1932年生まれ)、グールドよりちょうど20年長生きで、2000年に亡くなっている(グールドは1982年に亡くなっている)二人は同世代だ。グルダは、根っからのウィーン正統派なのだが、ステージに真っ裸で登場したり、ジャズに走り、変装してジャズボーカルを歌うなどの奇行もあり、正当な評価を受けなかった。いくら道を外れても、ウィーンという町に育ったせいで、クラシック音楽の神髄が体の中に自然と身についている。

グールドもそうだが、演奏はやはり晩年のものが聴きごたえがある。死後になって、生前には発売されていなかった(本人が許可しなかった)録音が発売されているが、やはり、全般に良い演奏とは思えない。

グレン・グールドは、普通に弾けばそれでも十分にうまいのにといわれる。本人も言っているが、グールドのモーツアルトは奇をてらっている。これは何故なのか考察してみたい。

まずは、グールドの演奏スタイルが他のピアニストとどのように違っているかを考えてみよう。

第一に昔からの演奏と同じ解釈をするのは、意味がないと考えていた。彼の関心は、先入観にとらわれることなく、独創性を持つことだ。楽譜を完全に暗譜し、自分のものにし、作曲家すら考えなかったような奏法の可能性を検討する。録音前2週間ほどはまったくピアノを弾かず、頭の中で音楽を鳴らす。スタジオには10種類以上の奏法のアイデアを持って入る。このため、作曲家が指定する速度や強弱の指定は守らない。スタジオに入ってから、これらのアイデアをいくつものテイクをとって試してみる。こうして何十、何百と取り直しながら、また、良いパーツを切り張りしながら、やっと気に入った演奏に仕上げる。

第二にグールドは対位法を用いた曲を好んだ。ところが、モーツアルトの曲は対位法的要素が少ない。美しい単一のメロディーを楽しむのが普通なのだが、グールドはこれを意図的に複線にする。楽譜に音符を加えることで、対旋律(ポリフォニー)を作り出す。このことで「再作曲家」といわれる。

第三にタッチの問題がある。グールドの弾き方は、師ゲレーロから教育されたもので、フィンガータッピングといわれ、驚くほど低い椅子に座り、手首と指を平行にして指を滑らすように弾く。このフィンガータッピングは、鍵盤を押したときに自然に指が戻る動きを高度に訓練したものだ。このため、決して指先を鍵盤上から叩きつけるような弾き方をしない。高い姿勢から腕を振り下りすような弾き方をすれば爆発するようなフォルティシモを出すことができる。グールドの奏法は鍵盤を叩きつけないので、段丘状にフォルテを表現している。

こうしたことから、グールドの演奏は普通から非常に遠く離れたものになっている。極端な速さで弾く。耳の方がついて行けないくらいに早いこともある。遅いものは極端に遅かったりする。グルダは、オーソドックスに常に一つのメロディーを浮き上がらせ、聴く方もそのメロディーを追っていく。グールドは、伴奏の低音部の方を強調したり、メロディーの裏で違うメロディーを歌わせる。モーツアルトのように美しい一つのメロディーの流れを楽しむとき、他の旋律が被さってくるのは、煩わしく感じることもある。また、先ほどのフィンガータッピングでは、爆発するようなフォルティシモを出せない。このために曲の強弱は、グルダの方が大きい。グルダは、高温のメロディをフォルティシモで弾く時に鍵盤を明らかに叩いており、「キン」という鋭い音を出してるが、グールドの弾き方ではこのようなダイナミックな音は出せない。現代の高性能のピアノでは大きい音はより大きく、小さい音はより小さく弾くことによってダイナミズムを出しており、当時のフォルテピアノとは性能が比べ物にならない。そういう意味で、グルダの演奏は、モーツアルトの美しいメロディーと緊迫感に浸ることができるが、グールドの演奏では浸ることは出来ずに、覚醒させられる。 

ここで疑問がわいてくる。グールドは、奏法の制約から爆発的なフォルティシモを出せなかった。それ故に、普通の演奏をせずに、人とは違うアプローチを取らざるを得なかったのではないか?

モーツアルトは古典に分類されるが、それ以降のロマン派の作曲者たちは、対位法を離れ、メロディーと伴奏による曲作りをしている。グールドは、このロマン派の曲を全然弾いていない。対位法の要素がないから興味を持てなかったというのもあるだろう。だが、爆発的なフォルティシモを出せなかったので弾かなかったのではないか。

かくして、グレン・グルールドのモーツアルトのピアノソナタは従来の演奏のアンチテーゼとなる。
 

グレン・グールド考 再No.3(天才の育て方)

グレン・グールド伝(ピーター・F・オスとウォルド)を読んでいる。まだ、途中なのだが、面白い逸話がたくさん出て来るので、天才がどのようにして生まれるのかを考えてみたい。

グレンの母フローラ、父バートともに敬虔なキリスト教徒だったが、ともに音楽が大きな比重を占めていた。フローラは声楽と器楽を学んでおり、教会のオルガニストでピアノ教師でもあった。バートはフローラより9歳年下だったが、音楽を通して二人は知り合った。二人とも合唱にも加わるほど、歌がうまかった。バートはヴァイオリンも弾いた。フローラは、何度か流産を繰り返したのちに40歳でグールドを出産する。

妊娠中から、フローラは胎児に良い影響を与えるためピアノを弾き、歌い、ラジオやレコードの音楽を聴かせていた。彼の意識に音楽が浸透していくと信じていたし、もちろんグレンが生まれると音楽に関するものなら、知るものすべてを教えようと思っていた。彼女は人への接し方が冷淡だといわれるが、音楽は非常に大きなウエイトを占めていた。ー『フローラはグレンが「特別な子供」となり、将来、音楽を通して世界に多大な貢献をすることを常に願っていた。』(前掲書より)

やがて、実際に特別な子が生まれる。息子は言葉を話せる前に、楽譜を読めるようになる。絶対音感を持っていることもわかった。フローラはピアノを厳しく教えた。父親バートの存在は薄い。

グレンの音楽に対する才能は、目覚ましく伸びていく。

一方で、グレンは生まれながらに普通の子供ではなかったし、その程度は年齢を経るにつれて顕著になっていく。父親が、1986年(グレンの没後4年)にフランスで行われたグールド展のパンフレットに次のように書いている。『祖母の膝に乗ってピアノに向かえるようになるや、大抵の子供は手全体でいくつものキーを一度に無造作に叩いてしまうものだが、グレンは必ずひとつのキーだけを押さえ、出てきた音が完全に聞こえなくなるまで指を離さなかった。』(前掲書より)グレンが8歳になり、パブリックスクールに通うようになった時期、学校で一番苦手だったのは授業よりも休み時間、昼食の時間で、周囲の粗暴な同級生たちとはうまく付き合えなかった。一番苦手だった科目は、音楽だ!音楽教師(ミス・ウインチェスター)の指導にしたがって生徒たちが簡単なカノンを揃って歌うとき、わざと『半音階的興趣』を加えて歌う。これに怒った女教師は、彼の頭の上にチョークの粉を降りかけた。

子供の頃から処方薬を手放さず、アスペルガー症候群といわれる。長じては、不安症、心気症、パラノイアといわれ、栄養剤、抗不安薬、睡眠剤に頼った昼夜が逆転した生活を当然のように送る。食事や服装には全く興味がない、

グレンは10代に入って20歳までプロのピアニスト(チリ人ピアニストのアルベルト・ゲレーロ)の指導を受けるようになり、バッハなどとともにシェーンベルクなどの現代曲も身に付けていく。母フローラの価値観には、現代曲がない。だが、自我が目覚め始めたこの時期、母を否定する形で二人は衝突する。父親たちと行ったボート釣りで、グレンが魚を逃がそうとし、みんなにグレンは揶揄される。それを機にグレンは動物愛護を主張し、父親が好きだった趣味釣りを止めさせてしまう。周囲からは、両親がグレンを尊敬しているように見えたといわれるまでになる。

一方で、音楽は、すべての曲を暗譜で弾き、一度聞いた曲は正確に再現できる。彼の演奏に魅入られないものはいない。即興演奏の名手。ピアノを弾くことが、心休まる唯一の彼の居場所だった。

 

つづく
 

ヴァリラタ国立公園

2014年9月13日ポートモレスビーから車で山道を走ること1時間(約30キロメートル)、ヴァリラタ国立公園の方へ行ってきた。標高が1000メートル近くあり、下界よりかなり涼しい。下は、国立公園から西のポートモレスビー方向へ向かって撮った写真である。雲がかかっているが、主は正面方向の遙か彼方に住んでいる。 Varirata National Park 下の写真が国立公園の入口看板。バスで来る人はバス1台50キナ(日本円で2000円)、外人は一人5キナ(200円)とある。「足跡以外は残すな。写真以外は取るな」と注意書きされている。 Varirata National Park_看板 下はオワーズコーナー(OWERS CORNER)というところから始まるココダトレイルのゲート。太平洋戦争の時、日本軍とオーストラリア軍がこのココダトレイルで戦ったのだ。日本軍は山の向こうからスタンレー山脈を陸路越でポートモレスビーの連合軍を背後から攻めようとした。このゲートはじめ、この場所はオーストラリア軍の戦勝記念碑的施設になっている。 KOKODA Trail 下の写真は、近くにあるシリヌム湖だ。ポートモレスビーの水源でもある。かなりの大きさがあった。 Sirinumu Dam放水口 下の写真は、ダム(湖)の反対側にある放水口である。 Sirinumu Dam 下の写真、だが、なぜだか枝に運動靴がひっかかっている。理由は分からないが、そういえば、靴を放り投げ高い枝にひっかかっているのをときどき見かける。こうすることで、幸運が訪れるおまじないなのだろうか。 ズック靴

グールドが100回見たという「砂の女」(阿部公房)

グールドが100回見たという映画「砂の女」を主が3回見た後で、阿部公房の原作「砂の女」を読んだ。忘れないうちに、ブログに書いておこう。

小説「砂の女」のあらすじは次のようなものだ。

同僚との関係に倦み、家庭にも倦んだ大学で昆虫を研究する教師が、行方も告げずに、真夏の砂丘へと昆虫採集に出かける。シュールなのだが、そこで、村人に騙され囚われの身となる。宿と言われた海辺の家は、砂を20メートルほどの穴を掘った底にあった。その家は防風林の役割を果たしていおり、家が壊れないよう落ちて来る砂を毎晩砂かきをして、砂を外へ出さなければならない。その男はそこで囚われてしまうのだ。その家には、女が独りで住んでいた。男はありとあらゆる方法で脱出しようと試みるのだが、蟻地獄のような砂の底の家から脱出することができない。外界から全く遮断された生活。砂の底の家から外の景色をも見ることができない生活。やがて、男は脱出することをあきらめ、男と女は交わるようになり、砂かきに協力するようになる。8か月たったころ、女は子宮外妊娠による激しい腹痛をおこし、村人に布団にくるまれモッコに乗せられ病院へ連れていかれる。縄梯子が残されたままになっており、男はその梯子を上り約1年ぶりに外の海の様子を見る。だが、「逃げるのはいつでもできる」と、穴の底へ戻っていく。その後、7年経ち、家庭裁判所が失踪者としての審判を下し、とうとう、その男が戻らなかったことが読者にわかる。

この小説で描かれているのは、誰もが求める自由とはどんなものなのかを考えさせるものだ。家庭と職場を行き来し、電車に乗り、新聞を読み、あれこれ批評する自由。それがいったいどういう価値のあるものなのか。男は自由を奪われ、囚われた男が言う『サルでもできる』砂かきを行う。空を見上げることができるだけだ。そうした中で、砂の下で毛細管現象により水が貯留する現象が起こることを発見するのだが、これを最初に報告するのにふさわしいのは、ここの村人たちだと考える。価値観が徐々に変わっていくさまがうまく表されている。

映画の方は1964年に公開され、カンヌ映画祭で審査員特別賞を受賞している。主人公仁木順平を岡田英次、女を岸田今日子が演じており、いわゆる不条理劇なのだが、エロチシズムをはらみながらリアリティのある作品だ。原作の方も英訳が1964年に行われたのをはじめ、20数か国語に翻訳されている。

また、この映画の音楽は作曲家・武満徹が作っており、オリジナルな現代音楽で、場面にふさわしい、場面にすっかり溶け込んだ魅力に溢れている。グレン・グールドはこの映画を100回見て、プロットのすべてを理解したといわれるが、武満徹の音楽の素晴らしさもあったのは間違いない。

アマゾンのDVDのジャケット

砂の女

グレン・グールドの映画「ヒアアフター(時の向うへ)」で、次のように語るくだりがある。

「僕は刑務所の囚人になってみたい。もちろん潔白の身であることを条件にしてだ。なぜならアルコールの消費やすべての競争を拒む清教徒として、西洋では優越視されている自由の概念に僕は賛成できないから。ある運動が自由を得た時、しばしば無益な大騒ぎになり、社会から容認された言論の暴力に終結する。だから禁錮は自己の内部の可動性を測るのに適している。とはいえ、魂が自由に呼吸できるように、僕は看守にいくつか注文をつける:独房の壁の色は灰色に塗ること、煖房と換気のシステムは僕自身が調節できること。僕は気管支炎にかかりやすいから」

グールドは大衆が嫌いだといっている。アスペルガー症候群で他人の心が理解できなかったのかもしれない。大勢でいると居心地が悪くなり、二人を好んだ。また、直接話すことより、電話で話す方が好きだった。芸術家の特権は、世俗と距離を置けることにあるとも言っている。

おそらく彼は大衆が好む『自由』は、無益な大騒ぎをするだけの値打ちしかなく、言論の暴力に向かうのみで、何も生み出していないと看破していたのではないか。逆説的だが、自由を奪われた時にこそ、どのような精神的活動ができるのかはっきりとわかると考えていたのだろう。

 

 

 

円安と株高について

アベノミクスが始まってすぐに円安と株高がおこり、株高の資産効果で大手企業は業績が回復し、デフレから脱出できるかどうかという正念場にきている。円安の水準も2週間ほど前までは102円程度だったのが、109円へと大きく円安に変わってきた。(経済にうとい人のために説明を加えると、1円当たりのドルの値打ちが下がっているので数字が大きくなると円安だ)

ここへきての円安は、アメリカが金融の量的緩和を止め、やがて金利をアップすると発表したからだ。世界のお金は、基本的に安全で利回りの良い通貨が買われ、その結果、その通貨は上昇する。アメリカが景気回復し、金利が上がるとなると投資家は円を選好するよりドルを選好する。金利だけではなく、政府が弱体化すると投資家の不安心理が働くので売られる。ロシアがウクライナの旅客機墜落以降、西欧社会から切り離された。このような状態になるとロシアのルーブルは売られて安くなる。日本にとってもこうした原理は同じだが、地勢的な不安が少ないこと、財政状態は悪いものの国債が国内で消化されており、世界全体を見渡せば相対的に大きな問題が少ない。

このためにややもすると円高になってしまうのだが、アベノミクスが量的緩和により円をマーケットに大量に供給しはじめたので円安が起こった。これは民主党政権時代に80円以下までに上昇した局面に比べると50%の円安であり、国際競争力が50%アップしたと考えてもいい。実際は、これまでの円高にたいする対処策として生産拠点を海外に移した企業も多いので、それほどストレートではない。しかし、全体として見れば円安は日本の国際競争力を増すと考えるべきだ。また、逆にリーマンショック前の水準である120円程度まで円安が安定的に進めば、海外に生産拠点を移した企業の日本本土への回帰現象が起こるだろう。そうなると日本の地方でも雇用の場が復活し、競争力もアップし、いいことづくめだ。

ところが、相変わらず日経新聞などでは円安のネガティブな面ばかり強調し、ポジティブな記事を書くことは少ない。円安は大企業は儲かるが、輸入コスが上がる中小企業は赤字になるとか悲観的に書いている。アベノミクスの狙いは緩やかなインフレであり、そのような状況になれば価格に転嫁し、相応の値上げは望ましいのだ。相変わらず株価の上昇は円安を好感したとか、スコットランドの独立が認められなかったとか的外れなことに要因を求めている。決して、円安になったから株価が上がったとは書かない。

主のブログ「『日経新聞の真実』ーー真実は無視される」でも同じ趣旨のことを書いたが、日本の株価総額の40%は外国人が保有しており、日々の売買高の60%は外国人である。外国人といっても投資ファンドだ。この投資ファンドは世界中の投資先の割合を世界情勢に応じて決めており、例えば2割を日本株、ヨーロッパ市場を何割、アメリカは何割、東南アジアは何割とかポートフォリオを決めている。政治が不安定になれば、その割合(ポートフォリオ)を減らすのだが、日本は特に大きな悪材料がいまのところない。その状態で円高になると、外人投資家にとってみると自動的に利益を得ることになり、日本株を売る。逆に円安になると外国通貨で換算した株価が自動的に下がり、ポートフォリオを一定に保つよう日本株を買う。

この売買は、外人の個人投資家がやっているのではなく、ファンドであり、1秒間に数千回も売買できる高速コンピュータがやっている。コンピュータプログラムが動かしているのだ。

しょせん、世界中どこでも株価は、個人投資家たちが売買して値上がりしたり値下がりしたりするものでは、もはやないのだ。

もちろん、これは日経平均株価をいっているので、個別の銘柄では全体が値下がりしている局面でも値上がりするものはあるだろう。だが、真実に目を向けないのは間違っている。サブプライムローンの時もそうだったが、コンピュータプログラムは振幅を必要以上に増幅する。我々は、瞬時のカタストロフィー(崩壊)の可能性を思うべきだ。たとえば、原理主義イスラムと米欧の対立が行きつくところまでいけば、コンピュータプログラムはいっせいに狼狽(?)売りに走るだろう。

PCオーディオの話 (再)

30年前に決められたCDの規格は44.1KHz、16bitである。これをざっくり説明すると、サンプリングと言うのだが、1秒間を44,100分の1に分割し、65,536(16bit)種類の音、デジタルで表現していることになる。音は波の形で表現できるが、44,100分の1秒ごとに65,536の音色で表現されながら、もとの演奏を再現している。これが、30年前の規格なのだが、600MB(メガバイト)のCDに70分程度の演奏が入る。

ところが、コンピューターの発達の過程そのままに、コンピューター発展の初期段階ではCDの規格を圧縮する技術がもてはやされた。例えばMP3という規格がそうだが、圧縮したり耳に聞こえない成分を捨て去ることで、データのコンパクト化が行われた。こうすることでCD1枚に千曲も入るということになる。(その分、音質は犠牲になっている)

一方、現在ではコンピュータの性能も上がり、インターネットのスピードも格段に向上した。実際の録音の現場では、サンプリングの精度が格段に上がり、192KHz、24bit以上になっている。これは、先ほどと同じ表現をするならば、1秒間を192,000分の1に分割し、16,777,216(24bit)種類の音で表現していることになる。1秒間を分割する割合で4倍強、音の種類で256倍ということになる。それなら、1000倍ほどの情報量になり、データの大きさも1000倍になるかというと、CD(600MB)に入っていたものがDVD(5GB=CD約8枚分)に入る程度で済むようだ。これくらい現在の録音は情報量が違うのだが、30年前の規格であるCDで発売するためには、せっかく良い音質で録音したものをわざわざダウンコンバートしているわけだ。そこで、録音された情報量そのままに聴きたいというのが人情である。そこで最近はやりだしたのが、ハイレゾ(High-Resolution Audio)だ。一般的な入手方法はインターネットからのダウンロードである。

昔と比べてインターネットのスピードも速くなり、ハードディスクやUSBメモリーなどの記憶容量が格段に増えた。これまでの制約がなくなったのだ。

そうした原理的なことに加え、音楽データをパソコンやホームサーバーに入れたり、携帯パッド(スマホなど)にいれ、USB接続、LAN接続、bluettothやWiHiで飛ばし再生するのだが、これには大きなメリットがある。

まず第1にCDプレイヤーが不要になることである。最近ではデジタル出力を備えたCDプレイヤーもあるが、一般的にはCDプレイヤーの出口でアナログ変換がおこなわれ、この段階で音の劣化が始まる。CDプレイヤーの後段に接続するアンプをいくら高級品を使おうと接続に安物のケーブルを使えば、それがボトルネックになる。CDプレイヤーには高級品は数十万円するものがあり、デジタルのままデータを出せば(USB接続、bluetoothやWiHi)、音の劣化がない。第2のメリットはCDのようにいちいちディスクを交換しなくとも、パソコンの画面から簡単に選曲できるし、スマホのような端末ではさらに便利だ。

次のリンクは、再びオーディオの世界へ参入したソニーの製品のリンクだ。残念ながら、超高級品というわけではないが入門機としては十分、手ごろだろう。これまでのアナログの機器とは音が明らかに違う。写真はハイレゾウォークマンだ。近い将来、こうしたウォークマンのような専用機ではなく、スマホでハイレゾを再生できるようになるのは確実だろう。インターネットのクラウドにデータを置き、スマホでハイレゾを楽しむということは、今でも可能だろう。また、パナソニックが昔のブランドであるテクニクスを復活させるというニュースもある。日本はまだだがヨーロッパが先行するようだ。この発表を見ていると、高級品は500万円!、低価格品は50万円というから力の入れ具合が、わかろうというものだ。この高級機とハイレゾを組み合わせると次元の違う音が鳴るのではないか。ソニーとテクニクスでは路線に違いがあるようだが、世界中を席巻してもらいたいものだ。

残念ながら、パプアニューギニアで暮らす身にとっては、YOUTUBEの再生もままならず、当面無理だなのだが。

http://www.sony.jp/system-stereo/lineup/high-reso.html

sony