「日本の権力を斬る!」消費税は預り金ではない 郷原信郎弁護士と安藤裕元衆議院議員

日本は不景気が30年続き、賃金が上がらず、とうとう日本「円」の値打ちが世界で下がってしまった。

世界の物価を測るものさしとしてビッグマック指数がある。下が、今年2022年8月に産経新聞が掲載したものだ。ビッグマック1個をドル換算して、各国の値段を調べるのだが、日本は先進国では最下位あたりになっている。 このことは、為替が20%~30%下落しているにしても、明らかに為替以上に差が開いている。つまり、このコロナの3年間の間に、世界の物価はかなり上昇しているのに対し、日本は相変わらず低空飛行を続け、為替以上に差が開いた、つまり、購買力を失ったということに他ならない。 外国と比べると手持ちのお金の値打ちが相当減ったんですね。(涙)

そうした、日本の地位低下の原因に、「消費税」が明らかにある。消費に対する「罰金」である消費税が、税率が上がるにつれて悪影響も大きくなってきた。

これをテーマに、親父が普段楽しみに見ているお二方、郷原信郎弁護士と、安藤裕元衆議院議員が、おなじYOUTUBEで対談されている。

郷原弁護士は、カルロス・ゴーンが逃亡した時に、「『深層』カルロス・ゴーンとの対話」という本を書かれた。この本では、いかに日本の検察が予断を持ち、人質司法といわれる、自白偏重の取り調べをするかが書かれている。 この郷原さんは「日本の権力を斬る!」というYOUTUBEのシリーズをずっと続けられており、親父は楽しみに見ている。

おなじく、安藤裕元衆議院議員は、自民党の中で、西田昌司参議院議員とともに財政拡大派の旗振り役をされて来た方である。当選3回の安藤議員は、残念ながら、週刊誌に事実ではない不倫記事?を書かれ、それがために前回の衆議院議員選挙には出馬されなかった。

その安藤さんは、議員を止めてからも、YOUTUBEで財政拡大を求める活動を続けておられ、「安藤裕チャンネル ひろしの視点」をされている。

最近では、「政府に赤字は、みんなの黒字!」という安藤さんのキャッチフレーズを世間に広めるために、漫才コンクールのM1の予選にも出場されており、信念に圧倒される。

安藤さんも西田さんも、議員の前は公認会計士をされており、簿記の考えがスラスラ解るため、MMT(現代貨幣理論)という通貨発行の仕組みに精通しておられる。財務省の刷り込みがあるために、「国債の発行は、国民の借金である」と一般に信じられているが、大きな間違いである。

実際は、管理通貨制度の下、変動相場制で自国通貨建てによる国債の発行、それによる政府支出は、インフレを起こさない範囲でするならば、何の問題もない。それどころか、逆に経済の成長に見合う国債発行をして、お金を国民に手渡さないと成長を阻害する。

この30年間、経済成長をしなかった日本であるが、その原因はデフレの環境の中で、経済を冷やす政策を続けてきたところにある。最大の問題は、消費税の導入と何度も税率アップを繰り返したことである。

他にも、空港施設の運営や図書館の運営などを外注化するコンセッション、道路公団、住宅公団の民営化、郵政民営化などを繰り返して来たが、デフレ時にこうした政策は逆効果である。

おしまい

あるユダヤ人の懺悔「日本人に謝りたい」  その2

今回は、この本に書かれている帯と、この本を読もうと思った契機を紹介したい。

まず、この本の帯に書かれている推薦文の1人目、馬渕睦夫氏の引用。馬渕氏は元ウクライナ大使である。

「本書が東西冷戦最中の1979年に刊行されたのは、奇跡と言えます。当時ソ連を信奉してやまない日本の左翼とは、ユダヤ思想のエピゴーネン(承継者)であることがばれてしまったからです。本書を読めば、わが国の国体の神髄「君民一体」こそ、最先端の民主主義体制であることに誇りを持てるはずです。」

も一人は、東北大学の田中英道教授である。田中教授は、西洋美術史を研究する歴史学者である。

「戦後、日本を占領したアメリカといいGHQといい、その中核はユダヤ人であることを如実に示した好著である。40年前、この本が出た時、買い求めたが、これを左翼の論壇が抹殺してきた。こうしたユダヤ人の懺悔を聞きたくなかったのだろう。なぜなら、日本の論壇こそ、左翼ユダヤ人たちが支配してきたからだ。」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

次のYOUTUBEは、この本を紹介した西田昌司自民党参議院議員である。この西田議員は、財政再建を唱える議員の多い自民党の中で、財政支出拡大、プライマリーバランス廃止を訴えるリーダーの一人で、財政政策検討本部本部長をされている。

西田議員が主張するのは次のようなことだ。 日本がこの30年間経済成長が出来なかったのは、財政法第4条に赤字国債を発行して通常予算の不足を埋めてはならないと書かれている。それが、憲法9条の武力放棄と合わせ、再び日本に戦争を起こさせないようにしたGHQの策略だと言う。

ここで日本に再び戦争させない、平和国家にすると言えば、非常に聞こえが良いが、内実は、武力を持つような経済力を日本に二度と持たせないという意図が背後にある。

「しかし、日本は敗戦後、朝鮮戦争を契機に高度成長を果たしたではないか?!」という指摘が出るだろう。

これには、アメリカの政策転換があった。当時アメリカは、ドッジラインなど緊縮財政を日本に進め弱体化させようとしていたが、東西冷戦でアメリカが不利になり始めたことにより、アメリカの政策がレッド・パージ(赤狩)へと180度政策転換される。同時に、朝鮮戦争の勃発により日本の景気は回復し始める。この景気回復は、日本の高度成長期へと続いていくのだが、この時の成長は、民間企業が銀行から多額の借金をして大きな設備投資をした。つまり、日本政府は、国債発行を原資に財政支出をする必要がなかった。それでも政府は税収を増やし、経済成長も達成することが出来た。このため、財政法第4条は問題とならなかった。

ところが、バブル崩壊後、日本はデフレに入り政府の財政支出が必要にもかかわらず、赤字国債を発行してはならないというGHQが作った財政法第4条の規定に苦しめられているというのが、この西田議員の主張である。

おしまい その2

あるユダヤ人の懺悔「日本人に謝りたい」 その1

親父は、ここんところキリスト教国が変調しているとずっと感じ始めている。

例えば、ヨーロッパのキリスト教国にイスラム教徒のアフリカ難民が押し寄せ、押し寄せた難民が移住してきた国の社会に一向に溶け込まずに、キリスト教徒の少女をレイプしたりする事件が頻発している。しかし、警察は事件に目をつむり、どのマスコミも政治家たちも、レイシストと非難され、社会生命を失うことを恐れて、たいした問題にしようとしない。

一方、アメリカでは、共和党のトランプと民主党の対立、分断が行き着くところまで行っている。いつ内戦が起こってもおかしくないと言われるほどである。この国のマスコミは、エスタブリッシュメントが支配する民主党にほぼ完全に押さえられており、仮に、もしトランプに投票していると表明すれば、マスコミは軽蔑観をあらわに報道するほどになっている。

同じ流れなのだが、BLM(Black Lives Matter)運動、LGBTQといったマイノリティに対する共感を求める世界的な運動もある。こうした背景には、人種差別の学問的な分野に「批判的人種理論」(Critical Race Theory)がある。この理論は、白人至上主義の遺産が、米社会形成の根幹をなす法律や制度を通じて現代社会になお組み込まれていると主張するものだが、この理論を学校で教えるか否かでアメリカは激しく分裂している。(次が、ウォールストリートジャーナルに掲載された、概要である。申し訳ないですが、一部分しか表示されません。)

https://jp.wsj.com/articles/critical-race-theory-what-it-means-for-america-and-why-it-has-sparked-debate-11625214981

結局のところ、こうした先進国であるキリスト教国のヨーロッパは、その発展過程でアフリカを植民地として収奪してきた。アメリカは、やはりその発展過程でインディアンなどの先住民や、黒人のアフリカ奴隷を人間扱いせずに収奪してきた歴史を持つ「原罪」を背負っているという主張に収斂する。こうした考えは、ずっと前から(第二次大戦後の早い段階から)あったものだが、ここ近年明らかにその認知度や肯定度合いが、欧米社会で高まり、それが日本にも当然のごとく輸入されているように思えてならない。

ここにはいったいどのような力学が働いているのか? という疑問をずっと親父は持っていた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

そこでこの本が出てくる。

要約すれば、4000年の歴史を持つユダヤ人が、ローマ帝国時代、ディアスポラ(民族離散)で、地中海周辺地域に散り散りになった。これが端緒である。このユダヤ人は、国への帰属意識より、ユダヤ教への信心の方が強い。つまり、世界各国に散り散りになったユダヤ人は、その国で虐待され、蔑まれながらも、選民思想が信仰の中心にあるため逆境をものともせず、信仰心を糧に生き延びる。ユダヤ人が正式に許された職業は、キリスト教徒が蔑んだ金融業(高利貸し)だけだった。お金を蓄積するにつれ、ますます蔑まれる度合いが高まった。それが極まったのが、ナチスの民族浄化政策である1933年のホロコーストである。 

他方で、19世紀末からエルサレムのシオンの丘へ祖国を打ち立てようとするシオニスト運動も始まる。

他方、北米大陸に渡ったユダヤ人たちは、石油精製、航空産業、映画産業など新しく勃興した産業で莫大な資産を持つようになる。しかし一方で、それがユダヤ人以外の国民の反感を招くようになる。

金持ちになり、政治力も持つようになったユダヤ人は、国境よりも大事な、自分たちが生きやすい状態を作り出すために策略を巡らせる。「そうだ。自分たち以外に、庶民の敵を作って目を逸らせばいいんだ!!」

最初、ユダヤ人がターゲットにしたのは、ヨーロッパの国民を支配していた国王(君主)たちだった。ユダヤ人は、第1弾として、フランスに「自由」「平等」「博愛」をスローガンに、1789年のフランス革命を成功させる。

フランス革命の成功で、かなり生きやすくなったユダヤ人が次に企んだのが、マルクス主義である! マルクス主義による1917年の共産主義革命よって、ロシアの皇帝ツァーを滅ぼし、ソ連を成立させた!! 日本に1941年に戦争をするように仕向けたルーズベルト大統領と取り巻きの連中は、ユダヤ人で共産主義者だった。

(2022/12/4 一部修正しました。)

その1 お終い 

その2へ

バッハ ピアノ協奏曲第5番 第2楽章 ラルゴ(アリオーソ) グールドとブーニン聴き比べ

2013年、病気で左手が動かなくなったスタにスラフ・ブーニンがリハビリを経て、今年の6月、八ヶ岳高原音楽堂で復帰演奏するまでを特集したNHKの番組があった。この番組の冒頭で、ブーニンが弾く、バッハピアノ協奏曲第5番第2楽章アリオーソが少し流れたのだが、「狂気が感じられる」とても良い演奏だと思った。親父は、クラシック音楽に、楽譜どおりのありきたりの演奏を聴きたいとはぜんぜん思っていない。どこか突き抜けた、日常の世界とは違う世界を見せてほしいとつねづね思っている。

https://tower.jp/article/campaign/2022/10/26/03 ← NHK放送の記事(タワレコより)

ブーニンが弾いたのはアリオーゾという音楽記号で、「歌うように」ということらしい。彼の演奏は、オーケストラが入らないリサイタルのもので、ピアノ単独なので低音の伴奏部もはっきり弾いている。一方、グールドの方は、オーケストラとの協演(1957年放送、CBC交響楽団、ジェフリー・ウォデントン指揮)から第2楽章だけを取り出したものだ。つまり、低音部は弦楽器群が担当し、グールドの左手はほとんど音を出していないようで、右手だけでこの間弾いているように見える。グールドの音楽記号は、ラルゴとなっていて、「幅広く、ゆるやかに、のんびり」というような意味である。

実際に、ブーニンの方がかなりゆっくりと、最大限のアーティキュレーションでレガートで、切なくより歌うように弾いている。

グールドは、この楽章だけを弾いているわけではなくて、抒情的で美しい第2楽章の後に、フィナーレの第3楽章が控えているので、第2楽章で完結してしてしまうわけにはいかない。そのために、余韻を持って次の楽章への準備をしている。

グールドは、ポリフォニー(多声)の演奏がうまいと評価されるのが一般的だが、この曲の演奏を聴いていると、右手一本で弾くメロディーも抒情的でありながらも穏やかで静謐な世界を見せてくれる。彼の演奏には、押しつけがましいところがない様に思う。そのため、真剣に聴いても、BGMのように聞いていも邪魔することがない。

この曲は非常に美しい曲で、映画などにも多数使われている。このためきっとどこかで耳にしたことがあるだろう。3分程と非常に短く、聴きやすいと思います。

おしまい

追記:

親父が好きでよく見ているYOUTUBEに、車田和寿さんという、海外で活躍されているバリトン歌手がおられる。下がそうなのだが、音楽の入門にふさわしいさまざまなトピック、専門的な話題だけではなく、音楽界への批判も同時にあり、納得することが多い。

YOUTUBEのなかで、「芸術とは誇張のことです!」「演奏は、日常的であってはならない」「舞台に出たら、オーラで空間を支配する」「そんな演奏は死ぬほど退屈だ。そんな演奏なんて、オマエがお金を払って聴いてもらうレベルだ」と恩師が言うところは、本当にそうだと思ってしまいます。(苦笑)

本当におしまい

楽天オープン 行ってきました!

10月5日(水)、有明コロシアムの楽天オープンテニス(東京、ハード、ATP500)へ行ってきました。写真はその時のものです。

怪我のため、全米オープンなどずっと公式戦へ出場しなかった錦織選手ですが、楽天オープンから復帰するはずでした。ところが、錦織選手は相変わらずけがの回復が思わしくなく、直前になって不参加を表明し、ちょっと残念でした。

回線を通じて行われたアメリカからインタビューに答える錦織選手

しかしながら、その前の週の韓国の大会(ユジン韓国オープン(韓国/ソウル、ハード、ATP250))で見事優勝を飾ったばかりの世界ランク41位の西岡良仁選手の試合を見ることが出来ました。この韓国の大会で西岡選手は、世界ランク2位のC・ルード(ノルウェー)と、22位のD・シャポバロフ(カナダ)を破って、西岡自身4年ぶり2度目のATP大会優勝を果たしていました。

西岡良仁(テニス365)

この日、西岡良仁選手は、同33位のM・キツマノビッチ(セルビア)に6-2,6-7 (1-7),2-6の逆転で敗れたのですが、とても白熱した見ごたえのある試合でした。非常に惜しいドロップショットがネットに何球もかかったりして、勝敗に影響したと思います。

西岡選手 VS キツマノビッチ選手

シングルスに負けた西岡選手ですが、この直後、内田海智選手と組んでナイトセッションのダブルスに出場し、キリオス/コキナキス組と対戦しました。こちらも見たかったのですが、あいにくチケットはデイセッション用で、ナイトセッションは見れませんでした。 

キリオス(テニス365)

このキリオス選手(27)といえば、テニス界のヒールで名高いのですが、ウィンブルドンで準優勝するなど今シーズン急に成績が上がった選手でもあります。 西岡選手のYOUTUBEを見ていると、キリオス選手の好成績は、恋人のおかげだろうと選手の間で言われているそうです!!

おしまい

信用創造(通貨発行)の仕組みを全然理解していない 日本の主流派経済学者、小林慶一郎氏

新型コロナの政府諮問委員会の委員でもある日本の主流派経済学者の小林慶一郎氏が評論家の加谷珪一と、文芸春秋の「MMTは理論的に破綻している?」というタイトルで、YOUTUBEで対談されている。 小林慶一郎氏は「オオカミ少年と言われても毎年1冊は財政危機の本を出していくつもりです」と、自分の経済予測が的中してこなかったことを自虐的に日経新聞に語る正直な経済学者である。

小林慶一郎氏 コロナの政府諮問委員会委員 東京財団政策研究所研究主幹/慶應義塾大学客員教授

この番組はMMTの理論がどのように正しくないのかを考察する内容である。しかし、あまりにも誤解されている。ちゃんとMMTを理解しないで、批判している。 こんなにちゃんとMMTを理解しないで偉い学者の先生がしゃべっているかと思うと情けなくなってくる。 あんたら主流派の経済学者が、MMTを知りもしないで批判するから、いつまでたっても財政支出が増えず、日本は世界で一番成長できず先進国から途上国に転落しそうなところまでなっている。この責任がどれだけ重いか肝に銘じながら、発言をしてもらいたいところだ。

是非、小林慶一郎氏、(他の主流派の経済学者のみなさんも)エゴサーチするなりしてこの親父の説明に耳を傾けてくれ。


テーマは、《ハイパーインフレは絶対に起きない!?『MMT』を検証する》となっている。

冒頭の部分でMC役の加谷氏から、MMT理論にどのような印象をお持ちでしょうかと問われて、小林氏はこう答える。

「MMTはテクニカルに正しいところもある。貨幣を発行して、政府が債務を発行したらそれは誰が持つことになるのかと言う様なことを、バランスシートの行き先が誰になるのかということを説明していることは決して間違いではないですが、ただ、その結果として、一般の物価水準にどういう影響を与えるだろうかという経済理論の部分はあまり考えられていないような印象ですね。表面的な数字のやり取りだけを考えているという印象をもちましたですね。」

これを親父が聞いて思った。この小林先生、簿記のことをまったく勉強することなくしゃべっている。これでは、ふわーとした感想にしかすぎない。とらえどころがないので、反論のしようがない。また、物価水準にどういう影響を与えるかということは、供給力の範囲内で、通貨発行してもインフレにならないとMMTは通貨発行とは別のところで語っている。 もし、親父ならこう言う。

「MMTの通貨発行理論は正しい。日銀が日銀の中にあるA市中銀行の日銀当座預金口座に対し、100億円という通貨発行(信用創造)をするという取引を考えると、日銀は、100億円の「貸付金」という「資産」と、同額の「日銀当座預金」という「負債」を持つ。A市中銀行は、100億円の「日銀当座預金」という「資産」と、同額の「借入金」という「負債」をもつ。つまり、通貨発行と言いながら、A銀行に対し、100億円をくれてやるのではなく、A銀行は、日銀に返済の義務がある。ただし、この段階では、A銀行にベースマネーである「日銀当座預金」が《ブタ積み》になっている状態に過ぎない。 つぎに、政府が「国債」を100億円発行しするケースを考えると、A銀行は、「日銀当座預金」を使って「国債」を購入する。政府の国債発行の消化はこのように「日銀当座預金」を使って行われる。このため、市中の通貨の流通量、マネーストックには影響を及ぼさない。したがって、金利が上がるクラウディングアウトはない。 なお、変動相場制で自国建て通貨による国債発行は、供給力の範囲であればインフレを引き起こさない。むしろ、国債発行による財政支出が不足すると、日本のようなデフレをひき起こす。」

MCの加屋氏が、主流派の経済学の教科書は、信用創造を説明する際に本源預金のうち、流動性を準備率を10%とすれば、残りの額を貸し付けることで10倍の乗数効果が働くと説明されるとしたうえで、再び小林氏にコメントを求めた。小林氏はこう答えている。

「ぼくは実は説明の仕方を変えただけで、MMTが言っている信用創造のメカニズムと普通の経済学の教科書に書いてあるメカニズムと本質的には実はそんなに違いはないと思っています。 手順が違うだけです。普通の教科書に書いてあるように、銀行が預金をまず預かって集めました。貸し出します。それがまた返ってくる。ということの繰り返しでマネーが創造されていくことなんですけど。 MMTが言っている信用通貨論はまず銀行が貸し出しをします。貸し出しをすると貸し出したお金を、企業の預金口座に記帳すると。それは全然、現金は入ってない訳ですよね。単に貸し出しが100万円、その企業の預金口座に100万円入金したと記帳されるだけ。それがいくらでも増やせるじゃないか、とおっしゃるんですが、ただ最後には何が起きるかというと貸した企業の預金口座から企業が現金を引き出すかも知れない。現金を何らかの形で用意しなければならないということは同じなんですよね。だから結局、信用乗数が10倍位だとすると預金1万円に対し、10万円の信用創造ができるということは、結果として預金を集めて貸し出すというやり方であっても、先に貸し出しがあってその後支払いの準備に1万円を調達するというやり方であっても、結果として起きている信用創造は同じなんです。 だから、信用創造の仕方が違うというだけであって、言っている内容は、本質的な革命的な違いはある訳ではない、という風に理解した方がいいと思いますね。」

これはまったくMMT理論を正しく理解されていない。根本的に《金本位制度》の時代の説明が変わっていない。今は、通貨発行に際し、《金》の保有高という制約はない。小林氏は、順番を変えたら同じだと言うのだが、ここまでMMTを理解しないで批判するとは、無責任極まりないと親父は思う。 まず、信用創造には2種類ある。1つ目は、日銀が日銀の中で、日銀当座預金を市中銀行をあてにする信用創造がある。2つ目は、市中銀行が国民や企業に対し、貸付実行による信用創造をする。 なお、日銀の中にある日銀当座預金は、市中の流通通貨の決済には用いられない。日々の日銀・市中銀行間の決済、現金の融通、準備預金に使われる。小林氏は、現金を要求されたら、準備金を現金で用意する必要性を言われているが、この必要な現金は、日銀当座預金残高を使って、市中銀行は調達できる。 また、マネーが乗数効果で増えるみたいな言い方をされているが、当然ながら銀行の通貨発行は、借り手に与信力があるとき、かつ、借り手が借金をしようとするときにしか、マネーは生み出されない。日本のようなデフレの状態では、多くの企業や個人は借り手になろうとしない。なお、準備預金制度は、異次元の量的緩和により、日銀当座預金残高が何百兆円と莫大になり有名無実化している。 親父なら、こう言うだろう。

経済学の教科書に書いてある信用創造とMMTの信用創造はまったく違います。教科書に書いてあるメカニズムで、どの国も通貨発行していません。MMTは、現実に行われている取引を説明しているだけです。中央銀行の通貨発行は、「貸付金」という資産を得ると同時に、「通貨(=日銀当座預金)」という負債を抱えることと、中央銀行の中に口座を持つ市中の金融機関は、発行された「通貨(=日銀当座預金)」という資産と「借入金」という負債を抱えることが、同時に起こる取引である。 同じように、市中の金融機関は、取引相手の企業や個人の与信力を判定し、返済能力があると判断すれば、通貨発行(信用創造)できる。政府と市中の金融機関との関係と同様に、貸し手である市中の金融機関は、「貸付金」という資産を得ると同時に、「銀行預金」という負債を抱えることと、取引相手の企業や個人は、発行された「銀行預金」という資産と「借入金」という負債を抱える取引を同時におこなう。 政府と市中の金融機関の間で使われる「日銀当座預金」は、日銀のフリーハンドで増やし減らしたりできる。これに対し、市中の金融機関と取引相手である企業や個人との信用創造で生み出された預金は、返済されるとこの世界から消える。また、債権債務は、義務を伴うので、返済が滞ると、金融機関が返済の肩代わりをする必要がある。」

うっかりする人がいるかもしれませんが、「預金」は、普通は資産科目ですが、銀行にとっては立場が逆なので負債科目になります。

また、この動画は全編を見ようとすると有料のようでした。親父はお金を払っていませんので、無料で見れる20分ほどの範囲でこのブログを書いています。

おしまい

とても分かりやすい動画 《国と企業がお金を出し渋り、国民の財布が空になる》

ワニの口(NHKのHPより)

この動画ですが、結構わかりやすくて非常に説得力があります。 

昨年、財務事務次官の‎矢野康治氏が、日本はタイタニック号のように氷山にぶつかって沈没すると警鐘を鳴らしました。この《矢野論文》の中で、「ワニの口が広がり続けている」と税収が横ばいなのに、歳出だけが上の方向に伸びて広がっている、このままだと日本沈没だといったのです。

しかしこの動画は、「ワニの口」どころか「ワニ」そのものがいなかった、というものです。

動画の内容を親父流ですが、要約してみます。

  • 1.「ワニの口」の歳入には、税外収入や社会保障費の資金余剰などが除かれているのに対し、歳出には、他国にない「国債償還費」が含まれている。つまり、口が広がるように操作されている。(「国債償還費」については、詳細は後述)
  • 2.政府と企業がお金を使わないと、国民の財布にお金が回らず、国民は貯金を取り崩すしかない。(「ネットの資金需要」という表現が出てきます。政府と企業を合わせて、マイナス5%ほどの状態が、インフレにならず、かつ、国民にお金が回る状態になる。このマイナスが大きすぎるとインフレや金利上昇が起こる。今のアメリカがそうです。)
  • 3.1990年代のバブル崩壊以前は、政府と企業がお金をじゃんじゃん使ってマイナスにしていたので、国民に潤沢にお金が回っていた。
  • 4.1990年代のバブル崩壊以降になると、企業はバブル崩壊により投資を減らし、政府は財政危機宣言を出し、緊縮財政政策をはじめたことで、国民へお金が回らなくなった。
  • 5.高度成長期に、日本は世界一というほど高い貯蓄率を誇っていた。ところが、バブル崩壊以後、貯蓄率が低下した。この低下を、エコノミストは高齢化と人口減少が原因だと説明してきたが、それは間違いで、政府と企業がお金を使わなくなったからである。
  • 6.近年、企業の内部留保の増加傾向が定着したとことが、ますます国民の財布を苦しくしている。
  • 7.日本には、他の先進国にはない「国債の60年償還」というルールがある。このため、毎年の予算編成において、予算の15%以上を「国債償還費」に計上している。このようなことをしている国は日本以外にない。
  • 8.「国債の60年償還」というルールは、日本ですら有名無実化しており、現実に60年で償還していない。他の先進国と同様、償還時期が到来すると「借換債」と発行して、償還を繰り延べている。
  • 9.アメリカの現在の高インフレは、政府の財政支出を非常な高率で行ったのが原因である。会田卓司さんによると、政府と企業を合わせて5%くらいのマイナスが良いところを、コロナ対策でマイナス17%になるまで、財政支出をしたために現在のインフレを招いた。
  • 10.日本は、2000年以降、政府と企業の支出がゼロの時代が長く続き、コロナ対策で政府支出を増やしたものの、額が少なすぎる。

(なお、この対談は合計3回あります。冒頭に埋め込んだのは3回目で、上の要約につきましては、過去2回の内容が一部入っています。ご了承ください。)

おしまい

グールド 他にない 《J.S.バッハ ヴァイオリンソナタとチェロソナタ》

グレングールドは、バッハのヴァイオリンソナタ全6曲をハイメ・ラレードととチェロソナタ全3曲をレーナード・ローズと正規録音で残している。

これらの曲が他の演奏者とまったく違う。普通であれば、ヴァイオリンソナタであればヴァイオリンが主役、チェロソナタであればチェロが主役で、ピアノは伴奏であり、脇に控え小さな音で独奏楽器の引き立て役をするのだが、グールドの残したこれらの曲は、ピアノの存在感の方が大きく、対等どころかそれ以上に目立っている。

たしか、グールドより年長でキャリアも十分なレナード・ローズは、どこだか思い出せないので申し訳ないのだが、どこかでこの録音を「マニア向けの特殊な演奏」という風な意味のことを言っていたと思う。この意味は、これらの曲は本来、ヴァイオリンやチェロのための曲なのに、グールドはあたかもピアノを加えた曲全体へ公平に光を当てようとしている実験的な演奏、というような意味なんだろうと思う。

グールドは、他の曲の場合でも曲全体にスポットをあてているのだが、これらの曲を聴いていると実に面白い。基本的には、主旋律を担当するヴァイオリンやチェロのメロディーが目立つので、親父の耳はこれを追っているのだが、グールドの弾くピアノのメロディーが対等に割って入る。ときに、そのメロディーの方に耳が行ってしまい、ピアノを聞いているのか、ヴァイオリンを聞いているのか錯覚することがまま起こる。弦楽器と、ピアノのソプラノ、アルト、バスがそれぞれ入れ替わりながら、メロディーを奏でる。変化があり、飽きさせない。

また、ピアノの方は、たいてい3声(あるいは4声?)で書かれているので、ソプラノのメロディーを聞いているうちに、アルトのメロディーが出てきたり、バスのメロディーに交代したりして、弦楽奏者と合わせて4人の合奏のように聞こえたりもする。

グールドのリズム感があまりに正確ではっきりしているので、弦楽器奏者の方は、勝手にリズムを崩せないということもあると思う。また、楽器の特性上、ピアノは鍵盤を叩いたときに一番大きな音が出るのに対し、弦楽器は一番大きな音が出るのは、弓で弦をこすった瞬間ではないので、リズムがぼんやりしがちということもあるだろう。

こうして、ハイメ・ラレードとレナード・ローズは、グールドと主役が入れ替わった演奏に決して甘んじているいるわけではないが、名人芸を披露するという機会を取り上げられ、ピアノと弦楽器が一体になった穏やかでゆったりとした演奏をしている。

下が、ハイメラレードと演奏したヴァイオリンソナタである。(このあと、自己主張を譲らなかったユーディ・メニューインと比較してほしいのですが、ヴァイオリンソナタ第4番は47分21秒から始まります。)

ここではYOUTUBEを張り付けていますが、なるべくならリマスターされたCDなどを聴くのが音的には良いと思います。

さて、共演者が変わって、大人気の巨匠ユーディ・メニューインとも、グールドはヴァイオリンソナタの第4番を録音している。こちらのユーディ・メニューインは、名人らしく緊張感のある美しい演奏をする。グールドのピアノにイニシアティブを取られまいとして、これはこれで丁々発止で火花が散るような演奏で、違った聴きごたえがある。

こちらがその演奏である。

こちらが、レナード・ローズと録音したバッハのチェロソナタ(原曲は、チェンバロとビオラ・ダ・ガンバ用の曲である。)である。レーナ―ド・ローズは、「しかたないなあ。ひとつ、グールドの言うとおりにやってやるか」と言う感じで、付き合ってるに違いない。しかし、実際に出来上がったものは、お互いの楽器が最高のバランスで、最高に美しく穏やかなメロディが、手を変え品を変え奏でられる。

グールドは、ゴルトベルク変奏曲のアメリカ録音以前から、ストラトフォード音楽祭で、レーナ―ド・ローズと音楽祭を主宰する側をやっていた。このストラトフォード音楽祭は、実験的な演奏が許される場でもあり、《拍手禁止計画》(正確には、「拍手喝采およびあらゆる種類の示威行為を廃止するためのグールド計画」(グレン・グールド著作集2))を実行したりしたこともある。

おしまい

なぜグールドにハマったか その2HEREAFTER(時の向こうへ/来世)

グールドの映画に《HEREAFTER(時の向こうへ/来世)》という映画がある。

2006年に公開されたものだが、ブルーノ・モンサンジョンが未公開映像を交えながら、グールドの生涯と作品を振り返ったものだ。プロのヴァイオリニストでもある映像作家のブルーノ・モンサンジョンは、グールドが1982年に亡くなる直前に、グールドとバッハの演奏(ヤマハのピアノを使って録音したゴルトベルク変奏曲や、フーガの技法など)を残しているグールドの良き理解者である。晩年のグールドに若いときの勢いは影を潜め、思索的、瞑想的な演奏へとウエイトが移り親父は大好きだ。

日本のイメージに使われた竹林

この映画の中には、1970年代に日本の女性ファンがグールドに書いた手紙に対する返事を、グールド研究の第一人者である宮澤淳一氏がその女性に届けるというシーンが出てくる。この手紙を出したファンというのは、写された手紙の名前と、《グレングールド書簡集(みすず書房・宮澤淳一訳)》から推測すると、どうやらチェンバロ、シンセサイザー奏者の岡田和子さんらしい。この《書簡集》には、他にも日本人のファンに対するグールドの返信がいくつか掲載されていて、グールドはファンレターに返信していたらしい。また、こういうシーンに日本人が出てくると、ぐっと身近に感じられる。

その《HEREAFTER(時の向こうへ/来世)》から、いくつかエピソードを紹介したい。

この美しい女性は、1982年のゴルトベルク変奏曲の再録音を聴いてグールドのファンになり、カナダの街角で、グールド作曲の弦楽四重奏曲のテーマの4音をモチーフにしたデザインを入れ墨に彫った。彼女の語りが素晴らしい。

「私はグールドについて全く何も知りませんでした。彼が1982年に録音した音楽を聴いてその魅力に夢中になりました。私は、以前から闇に包まれたような音楽に惹かれていました。瞑想にふけるような1982年の録音は、まさに最高の録音だったということもあるし、それからいくつかのカノンは極端にゆっくりしていて本当に驚くべき美しさをもっています。特に、その緩慢なリズムはグールドの生涯では遅い時期に生まれています。 同時に彼のハミングが聞こえてくる。私の先生は、ある人たちにはうるさく聞こえるかもしれないこのハミングを、ピアノを演奏する人間が感じられて力強い、と言っていました。」

「この四重奏曲は私の中に大きな跡を残しました。トロントまでグレン・グールドが生きた場所の巡礼に行ったとき、偶然街角の店の前で小さなプレートを見かけたのです。その時私は、『この4つの音はすごい力を持っている!』と思いました。このモチーフは伝記に載っていたものです。私はレコード屋で働いていたボブという男性にこのモチーフをコピーしてほしい、と頼みました。彼ははじめTシャツ用だと思ったみたいです。翌日Tシャツをめくって「さあ、始めて!」と私が言ったら、ボブははじめショックを受けていましたが、その後は、彼の悪魔的な部分が目覚めたのか、なかなかクールじゃないか、と思ったみたいです。ふつう入れ墨されるのは、ヘビーメタルのグループ名ですが、これはクラシック音楽の演奏家のためでしたから。」 

背中に彫られた入れ墨・グールドが作曲した弦楽四重奏曲の冒頭の4音

下の女性は、病気で生きる望みを失っていたのだが、グールドを知り、生きる希望を取り戻した。彼女は、知人たちにグールドを知らせる活動を始め、この活動を「グールドする」と命名した。知らされた人は、グールドの演奏と写真を知人に伝えなければならないと言う。親父も、おそらくその使命を帯びた一人のような気がする。皆さんも是非、「グールドして」くださいね! (^^);;

この映画の最後にドイツ人の音楽学者、作曲家で作家のミヒャエル・シュテゲマン(Michael Stegemann)が登場する。この人は、グールドの映像をどんな風に加工しているのか、ウィットが効いていて、あたかも対話するような動画を作っている人物である。この人が作った3枚組のSACD/CDハイブリッドの《Glenn Gould Trilogy》という作品が別にあるのだが、これも面白い。すべて英語なので、親父の耳には荷が重いのだが、グールドの生涯が伝記風に、グールドの音楽に乗せてグールド自身と関係者の声で語られる。SACD/CDハイブリッドなので音質も良く、とても良いです。

おしまい

なぜグールドにハマったか 口コミの威力はデカい!(その1)

親父がグレン・グールドにハマった原因を一言で言えば、やはり映画だろう。おそらく、身近な人たちが映像に登場して話をすることのない、CDやストリーミングの音楽だけを聴いていたのであれば、このようなオタクにならなかった気がする。

もともとは、TSUTAYAのレンタル映画で、「グレン・グールド~アルケミスト(錬金術師)」と「グレン・グールド エクスタシス」という2つを借りて、パソコンにコピーし、なかなかいいなあと思いながら何度か観たことがあった。(一般に、レンタル映画をパソコンにコピーしたりはしないものだと思うが、親父はパソコンオタクでもあり、音楽CDも映画もパソコンに取り込んで鑑賞している。)

エクスタシス
錬金術師

しかし、本格的にハマったのは、渋谷道玄坂の映画館ユーロスペースで2011年10月に公開された、「グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独」を観たのがおそらく契機だと思う。

その時の映画館で流されるグールドの演奏が素晴らしかっただけではなく、流れる音楽の音質も素晴らしかった。デカい画面と広い空間でとても良い音がした。グールドは1982年に亡くなっているので、親父がCDなどで持っているメディアと、音源は同一だと思った。それなのに、これだけ自然な本物の音がする。オーディオの性能を上げれば、ここまで良い音で聴けるはずだと確信し、オーディオに投資するようになったきっかけでもある。

 ところで、親父はこの映画を見た後で、ブルーレイ版のこの映画を買ったのだが、中古品販売サイトで当時の価格の約2倍ほどの値段で販売されている。グールドの人気がいつまで経っても衰えないのがわかってもらえると思う。


左が、この時の「グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独」のポスター、上が、YOUTUBEで見られる予告編である。

肝心の筋の方なのだが、この映画なかなかよくできていて、グールドの演奏が全編に流れる。音楽映画の良いところは、シーンに合わせて選曲された、素晴らしい曲のハイライトというべき部分が流れることだ。前に言ったが、出てくる人、出てくる人が、口々にグールドを絶賛する。そのセリフに実に説得力がある。そうして徐々に親父の頭が洗脳されたような気がする。

映画で語られるグールドを絶賛する皆さんのセリフを、以下にコピーしてみた。なお、字幕の監修はグールド研究家の第1人者の宮澤淳一さんである。映画のセリフは、映画の制約上限られた文字数で翻訳されているが、実際の語り口はもっと長いと思って見ていただけたら幸いである。 

最初に紹介するのは、映画冒頭の部分である。カナダの美しい自然の場面が流れた後、ベートーヴェンのピアノ編曲された交響曲第6番「田園」の第1楽章の演奏風景が流れる。

  • コーネリア・フォス(作曲家ルーカス・フォスの奥さんでグールドと不倫関係にあった)「彼の知性と傲慢さに心を奪われたの。それに何といってもハンサムだったし」
  • レイ・ロバーツ(晩年のグールドのアシスタント)「死後すでに25年が過ぎた。だが今も注目を集めるグレンのように語り継がれる人間は決して多くない。」

映画は、タイトルクレジットが流れ、本編が始まる。バッハのゴルトベルク変奏曲の録音風景が写されている。

  • ハイメ・ラレード(ヴァイオリニスト)「これまでに演奏されたバッハとまるで違っていた。とにかく圧倒されたよ。天才だと思った。」
  • ウラジミール・アシュケナージ(指揮者・ロシア出身のピアニスト)「私もバッハはよく演奏した。皆それぞれの解釈でバッハを弾いていたが、彼の演奏には驚いた。自然で明快なバッハだった。」
  • フレッド・シェリー(チェリスト)「『いったい何者だ』と思ったよ。音の粒立ちがよく左右の手が自在に動く。まるで1人で連弾しているようだった。彼のピアノには本当に驚いた。人間離れしたすばらしい演奏だった。」

グールドがバッハのゴルトベルク変奏曲で一流ピアニストの仲間入りした後、1957年に冷戦真っ最中のソ連へ演奏ツアーに行く。このとき、大成功を収めたときのものだ。最初誰もグールドを知らないということと、バッハは人気がなかったため会場は閑散としているのだが、いざ演奏が始まると、40分間ある休憩の間に知人を誘い、後半には会場が満員になった。画面にはバッハのフーガの技法がかなり使われている。

  • ウラジミール・アシュケナージ(指揮者・ロシア出身のピアニスト)「誰もグールドを知らないから会場は閑散としてた。バッハは尊敬されていたが、バッハの演奏会は人気がなかった。」
  • P.L.ロバーツ(長年の友人)「そのうち聴衆は外に出て知人に電話をかけ始めた。『すごい演奏だ。彼は天才だ。』と相手を誘った。後半、会場は満員さ。」
  • ウラジミール・アシュケナージ「完璧な演奏だった。すばらしい演奏技術だったよ。彼の奏でる音は完璧にコントロールされていた。こんなバッハは始めてだと皆が思った。」
  • ジェイムズ・ライト(グールド研究者)「ソ連の聴衆に感想を聞いたら、まるで宇宙人だと言っただろう。この天才の演奏と高い芸術性は、ソ連の人びとの感性に訴え大きな衝撃を与えた。」
  • ウラジミール・アシュケナージ「私たちは隔絶され価値尺度は制限されていた。グールドの演奏が高く評価されたのは若い彼の個性が際立っていたからに違いない。私たちは心の深い部分でそれを理解していた。」
  • ジェイムズ・ライト「グールドの音楽には超越性があったと思う。現実の問題から私たちを引き離し、穏やかな陶酔の世界を見せてくれる。グールドは音楽の持つ力を知っていたし、それは1957年のソ連ツアーで特に歓迎された。」
  • P.L.ロバーツ「彼が求めたのは拍手喝采ではなく、音楽が聴く人の心に響くことだった。彼の究極の願いは、人びとの心の糧になる音楽を届けることだった。」
  • フレッド・シェリー(チェリスト)「いつの時代も演奏形態は多様だ。グールドが演奏をはじめた頃は多くの巨匠がいた。ホロヴィッツ、ゼルキン、ルービンシュタイン、偉大な音楽家がひしめいていた。しかし、グールドだけが作品と作曲家の内面に侵入し、その反対側に突き出た。作曲者に対する共感を通り越し、作品を完全に乗っ取っていたと思う。自分の個性に塗り替えたんだ。」

次に紹介するのは、グールドが亡くなる直前にゴルトベルク変奏曲を再録音し、カナダの大きな教会で葬儀が営まれる場面で流れる。

  • フレッド・シェリー(チェリスト)「グールドは『ゴルトベルク変奏曲』の再録音に取り組んだ。デビュー盤以上に極端な演奏だと評された。これがあのグールドなのかと人びとは驚いた。異常な別人の演奏に聞こえたのだ。若さと高度な技術がある種の思慮深さに変わった。エキセントリックな演奏だが美しさは増した。グールドはあらゆる面からこの曲の可能性を検討した。そしてその深奥を極めた。」
  • PL.ロバーツ「グレンは考えていた。自分が取り上げる音楽には、最良の光を当てたいと、そうすることで聴く人の心に訴えたかったのだろう。それが彼の願いだった。たくさんのファンレターが届いたが、孤独で苦寓にあるファンのものも多かった。不幸に耐えながら感謝の気持ちを綴っていた。『あなたの音楽に救われた。』こうした手紙は彼の心を癒し、満ち足りたものにした。」
  • ジェイムズ・ライト「天才を語る言葉は多くあるが、グールドの本質は謎のままだ。理解したと思ってもまたすぐに分からなくなる。その不可解さがグールドの魅力だ。心の安らぎを得られる場所を得られるかどうかが人生には大切だ。グールドは演奏にのみ安らぎを感じていた。」
  • ケヴィン・バザーナ(グールド研究者)「グールドは単なるピアニストではない。ピアニストとして大成したが、演奏の陰にある彼の哲学を見過ごすことは出来ない。彼はそれを示したかった。創造性にも注目して欲しかったのだろう。作品の解釈において独創性を発揮し、ルネサンス的な『万能の人』となった。」
  • ローン・トーク(録音エンジニア)「この世界を良い方向に導いた。それが彼の功績だ。」
  • ハイメ・ラレード(ヴァイオリニスト)「400年後に地球が存在するとしても、グールドの名前は残るだろう。彼の演奏は永遠だ。価値は失われない。

次はボーナストラックからである。別れてしまったが、結婚するところまでいった、コーネリア・フォスの話である。

  • コーネリア・フォス「自分に酔うことと自我を超越することは矛盾しない。それどころか相乗効果がある。自分に陶酔すればするほど自我を超越したいと思うものよ。当然の事ね。演奏中のグレンは超越していた。個人としての欲求や恐れなど世俗的な感情を忘れ去ってしまうの。自分自身を森羅万象と融合させることができた。自分を取り巻く宇宙と一体化して、人間としての存在を深めていくことができるの。バイオリニストやチェリストでも同じ、偉大な演奏家ならではの神秘的な境地ね。演奏技術の問題でなく大きな力が働くの。 ある日グレンが、帰ってくるなり息せき切って話し始めた。『大変だよ』『なんなの?』と尋ねたわ。『《グレングールドの精神》という講座がトロント大学で開かれている』というの。彼は身をよじって笑っていた。おかしくてたまらなかったのね。『聴講しなきゃならないよ』『うまく変装して行こう』『最後列に座ればいい』『勉強になるぞ』言うまでもなく2人とも行かなかったわ。だからグレンの精神は分からない。」

おなじく、ボーナストラックから研究者のジェイムズ・ライトの言葉である。

  • ジェイムズ・ライト「グールドはいつも言っていた。『既存のレコードと同じ演奏をするなら改めてレコーディングする必要はない。』道理だね。この主張の意味は、クラシック音楽界への批判だ。ある時点から楽譜どおりの精緻な演奏が主流になった。技術的には見事だが変わり映えがしない。確かに聴く価値はあるだろう。だがグールドが重視したのは楽譜の細部にこだわらず新たな視点を持ち込むことだった。実は作曲家本人は楽譜の細部に必要以上に執着しない。カナダの音楽家はグールドのこの姿勢を受け継いでいる。」

つづく

おしまい