バッハの例外 ー イタリア協奏曲

ヨハン・セバスチャン・バッハにイタリア協奏曲という曲がある。協奏曲という名前がついているが、アンサンブルではなく、鍵盤楽器の独奏曲である。ネットで調べたところ、何やらバロック時代の協奏曲に、主題が何度も出てくるリトルネロ形式というものがあり、この形式をとっているために、このような名前になっているとのことだった。

正確にはバッハの時代にはピアノがなかったので、チェンバロ曲ということになる。そのため、バッハを弾くとき、どの楽器を使うかが議論となり、ピアノを使うと邪道と言われることもあるのだが、この曲だけは、単純に天真爛漫な曲なので、こぞって子供たちを含めて大勢が表現力豊かにピアノで弾いている。

下がグールドがピアノで弾くYOUTUBEである。

バッハの書く曲は、「誇張や過度の技法」「自然に反し、くどくどしく理解し難い」と批判されることもある。このためグールドは、バッハを時代に背を向けた偏屈者と評し、存命中に人気があった曲は少なく、このイタリア協奏曲のような作風を維持すれば人気作曲家でいられただろうと言っている。つまり、この曲はバッハには珍しく、軽快で爽やか、愛らしく聴いていてシンプルに非常に楽しい。 バッハは、バロック時代の最後の人物なのだが、こういう曲をロココ調というのかも知れない。

繰り返しになるが、バッハは「誇張や過度の技法」「自然に反し、くどくどしく理解し難い」ところが魅力であり、理性的、知的、数学的なところが時代を超えて愛される理由であり、それが、ジャズやポップスでも取り上げられる所以だろう。ブランデンブルグ協奏曲も同じ路線で、この曲もどこを聞いてもシンプルで非常に美しい。こうした曲は、バッハでは珍しい。

だが、これを聴いていると非常にグールドらしい。第2楽章アンダンテの低音部をスタッカートで、正確に同じリズムでずっと弾き続けるところなど、妙な感動がある。グールドが、この曲を弾いているのは1959年だが、この曲をこのように弾いたのはグールドが最初で、それまではもっと違っていたはずだ。ところが、現代の表現は、グールドが初めて弾いた表現方法と同じだ。

下は、「忘れられていた楽器、チェンバロを20世紀に復活させた」と言われるワンダ・ランドフスカ(1879~1959。ポーランド生まれ、後にアメリカ亡命。)の演奏。これを聴くと大袈裟で、もっさりしているのが良く分かる。グールドが、バッハの表現を一新させたのは間違いない。

ワンダ・ランドフスカ WIKIPEDIAから

おまけ

主が数年前、YOUTUBEで発見したティファニー・プーン。香港だかの中華系なのだが、カナダへ留学していた。とっても、上手! 残念だが、なかなか芽が出ないようで、音楽の世界の競争は厳しいようだ。イタリア協奏曲の第1楽章が聴ける。

おしまい