「西洋の敗北 日本と世界に何が起きるのか」 エマニュエル・トッド その2

エマニュエル・トッドは、確実に「西洋は敗北」すると予言する。世界は、アメリカがリードする形で、戦後80年が経過した。しかし、アメリカがリードしてきた西洋は、自由と平等、民主主義を価値の中心に置き、この30年間、それを実現する方策はグローバリズムと新自由主義だと言ってきた。しかし、30年が経った今、その価値観は世界のどこでも実現せず、経済格差は以前より激化した。数年前、世界のトップ8人の所得が、地球全体の6割の人口の所得に等しいと言われていたが、格差はさらに拡大している。世界の紛争・戦争は亡くならならない。そうした反省から、グローバリズムが失敗だったという勢力と、相変わらずグローバリズムを続けたい勢力の戦いが、アメリカの大統領選挙だった。 今や、世界全体は、日本、韓国を含む西洋とそれ以外の国々に分かれ、中近東のイスラム国や、インドネシアがBRICSに入るようになっている。

そこで、エマニュエル・トッドは、この西洋の側が敗北するだろうと予言する。トランプ大統領は、果たしてどこまでこの敗北を阻止できるのか、というのが現下の最大の関心事である。 以下は、この本からの引用である。

2-1「ガス抜きをして米国経済の虚飾を正す」

「2023年1月から6月にかけて、ウクライナが必要とする兵器をアメリカが生産できないでいることを多くの研究者が明らかにした。これらの研究は、クレムリンに近い小団体などではなく、アメリカ国防総省や国務省から資金提供を受けているさまざまなシンクタンクが公表したものである。世界一の大国が、なぜこれほど馬鹿げた状態に陥ってしまったのか。・・・・」

「徹底的な批判を始める前に、公平さを保つためにまずアメリカ経済の議論の余地のない強みを指摘しておこう。近年、最も重要な技術革新がシリコンバレーからもたらされたことは論を俟たない。・・・これも近年のことだが、アメリカの石油、特に天然ガスの生産国としての復活も私たちは目の当たりにした。1940年に日量400万バレルだったアメリカの石油生産量は、1970年には960万バレルまで上昇し、2008年には500万バレルに落ち込んだが、戦争直前の2019年には、水圧破砕技術のおかげで1220万バレルまで達している。主要輸出国ではないが、アメリカは石油の純輸入国ではなくなったのである。 ・・天然ガスも同様で、アメリカはロシアに次ぐ天然ガスの輸出国である。・・

「戦争のおかげで、特にロシアからの天然ガス供給を突然遮断されたヨーロッパの同盟諸国に供給できるようになったアメリカは、世界最大の液化天然ガスの輸出国となった。エネルギー分野は、この戦争の明らかな不条理の一つを浮き彫りにしている。アメリカの目的は、ウクライナを守ることなのか。あるいはヨーロッパと東アジアの同盟国を支配し、搾取する事なのか。

「GAFA、天然ガス、シリコンバレー、テキサスというアメリカ経済の強みは、人間の活動範囲の両極端に位置している。プログラミングのコードは「抽象化」に向かうが、エネルギー資源は「原材料」である。この両端の間にこそ、アメリカ経済の弱みと困難さがが存在する。つまり、モノの製造、伝統的な意味での「工業」に当たる部分である。NATOの標準兵器である155ミリ砲弾すら十分に生産できないという極めて陳腐な事態を通じて、この戦争が明らかにしたのは、アメリカに産業基盤が欠落していることである。さらに種類を問わず、いかなるミサイルも十分に生産できなくなっていることが少しずつ明らかになった。」

「物事の正体を暴く戦争は、私たちの(そしてアメリカ自身の)アメリカに対する認識とアメリカの真の実力とのギャップを明らかにしたのである。2022年、ロシアのGDPは、アメリカのGDPの8.8%(ベラルーシと合算すると、西洋陣営のGDPの3.3%)でしかなかった。GDPで見れば、ロシア側をこれほど圧倒していたにもかかわらず、なぜアメリカはウクライナが必要とする砲弾すら生産できなくなってしまったのか。

2-2「米国産業の消滅」

「アメリカ自身によって進められたグローバル化が、アメリカの産業覇権を根底から覆した。1998年、アメリカの工業生産高は世界の44.8%を占めていた。しかし2019年には、16.8%に落ち込んだ。同時期にイギリスは、9.3%から1.8%に減少した。・・・中国は、2020年に28.7%まで増加。ロシアに関する比較可能な統計の少なさを鑑みると、アメリカのある種の航空機が獲得しようとしている「ステルス性能」をこの国の産業が手にしてしまったかのようだ。ロシアはアメリカに対する究極の武器「ステルス産業」なるものを作り上げ、不意打ちを喰らわせたと言えるのではないか。

「グローバル化した世界における「物理的」なパワーバランスをよりよく評価するために、「工業の中の工業」としての工作機械の生産を見てみよう。2018年、中国は世界の工作機械の24.8%を製造し、ドイツ語圏は21.1%、日本は15.6%、イタリアは7.8%、アメリカはわずか6.6%、韓国は5.6%、台湾は5.0%、インドは1.4%、ブラジルは1.1%、フランスは0.9%、イギリスは0.8%だった。わたしは統計の中にロシアを探すことは諦めざるを得なかった。「ロシアが見えない」ことは、想像以上の数値を疑わせるのに十分である。

「モノの製造におけるアメリカの衰退は農業にも見られる。メキシコとカナダとの北米自由貿易協定(NAFTA)が1994年に発効されて以降、アメリカの農業は「集中」、「専門化」、「衰退」のプロセスをたどった。第1章では小麦の生産に言及したが、ロシアは2012年に3700万トンだったのが、2022年には8000万トンに達したのに対し、アメリカは1980年に6500万トンだったのが、2022年には4700万トンに減少した。全体としてみれば、かつてアメリカは農産物の一大(純)輸出国だったが、現在はかろうじて輸出入の均衡を保っているにすぎず、むしろ赤字に傾きかけている。今後も人口増加が見込まれることから、10年から20年以内に輸入国に転落するのはほぼ確実だろう。」

2-3 虚飾のGDPという指標(「米国のRDP(国内実質生産)」から)

「アメリカのGDPは、効率性、さらには有用性の不確かな「対人サービス」がその大半を占めている。医者(オピオイド(麻薬)の件では殺人者となる)、法外な高給取りの弁護士、略奪的な金融業者、刑務所の守衛、インテリジェンス関係者などがそこに含まれる。2020年アメリカのGDPは、この国の1万5140人もの経済学者の仕事を付加価値として計上していたが、そのほとんどが虚偽の伝道者であるのに、平均年棒は12万1000ドル(=1900万円)にも達している。真の富の生産にはつながらない。このような寄生集団の活動を取り除いた場合、アメリカのGDPは果たしてどの程度になるのか。」

ここで、トッドは、GDPから生産されない金額を除くRDP(Real Domestic Product)の思考実験をしている。GDPから、なに物も生産しないウォール街の金融業者の報酬、高額な弁護士収入、役に立たない経済学者の給料、アメリカ国民の平均余命が低下しており、過大評価されている医療費などを減じると、一人当たりRDPは、西ヨーロッパ並みの40,000ドルになるという。これは乳幼児死亡率の順位と一致し、ドイツが1位、アメリカが最下位になるという。

トッドの指摘は、つづきます。 

おしまい

経済学者も国債買入に日銀当座預金が使われると理解していない 国債を応札しているのは外国企業だ 《森永卓郎×土居丈朗「財政均衡主義」はカルトか》の論争から

東スポの記事から(安藤裕さんの説明をお聞きします。)

1.経済学者にはどんな流派があるか

親爺が理解している経済学の流派はこんな感じである。

ヘリコプターマネーの思考実験で経済の拡大を提唱したミルトン・フリードマンを源流とし、新自由主義を旗印にするのが、新古典派といわれる《主流派経済学者》である。主流派ではないが、他の流派にはケインズの流れを汲む《ポストケインジアン》と、アベノミクスを裏でささえた金融政策を重視する《リフレ派》もほぼ主流派といっていいだろう。最近は、行動経済学という名前もよく聞く。最後が、管理通貨制度へ変わることで、通貨発行(信用創造)のパラダイムが変わったという《MMT派》(現代貨幣理論)である。

MMTは、債権・債務を発生させない通貨の所有権移転はないと考える。よって、ヘリコプターマネーはできないという立場である。もし本当にヘリコプターからお金を撒いたら、撒いた人に損失が発生し、拾った人には利益が発生する。損失は資産を取り崩して埋めたり、処理する必要がある。言い換えると、ヘリマネは、サステナブルではない。

経済学は、もともと学者の数だけ経済学があるともいわれ、混とんとしていると言えるかもしれない。

2.主流派経済学者は、国債の購入が『日銀当座預金』を使って行われることを理解していない。

ここずっと30年にわたる日本のデフレについて、財政拡大派と財政均衡派の意見が衝突し、まったく噛み合わない。このブログに登場しないが、新型コロナウイルス感染症対策分科会メンバーを務めた主流派経済学者の代表格の小林慶一郎さんも、「『オオカミ少年』とずっと言われてきたが、それでも政府債務膨張への警告を発することを止めない。」とおっしゃる。こうした主流派の経済学者たちは、国債発行残高が増えると、国債価格の暴落や金利の暴騰が起こるとなぜ危惧するのか、その理由を親爺も述べたい。

今回は、下の記事をとりあげた。雑誌、東洋経済にのった森永卓郎さんと土居丈朗さんの討論記事である。森永さんが『ザイム真理教』を発刊し、やはり主流派経済学者の代表格の土居さんと議論されている。

https://toyokeizai.net/articles/-/721495?page=3  ☜ こちら記事のリンク


この主流派の経済学者たちの間違った主張が、次の土居さんの発言に端的に表れている。

  • 「(過去に)財政赤字を出しても、日銀が国債を買えたので国債暴落が起きなかっただけだ。しかし今後はインフレが起きうる状況となっており、これまでと同様にはいかない。日銀も国債をずっと持ち続けることはできなくなる。物価高対策で、いずれは市中に事実上売らざるをえない。・・・インフレ期に、日銀が国債を買って通貨供給を増やせば、インフレをあおることにならないか。」と言われている。

「日銀が国債を買えたので国債暴落が起きなかった」と土居さんはこうおっしゃるが、そもそも日銀が異次元の量的緩和で、日銀当座預金という通貨を生みだし、それを原資に市中銀行が国債を購入していることを理解していない。同じように、日銀が国債を市中銀行から買い入れる時にも、日銀当座預金を使って行う。(とうぜん、債権債務がやりとりされる。)くりかえすが、この原資である日銀当座預金は、日銀が通貨発行して生み出したものだ。そして、この日銀当座預金は日銀の行内だけでの取引であるから、市中に影響がない。ここのところを、主流派経済学者の土居さんは理解していない。市中銀行が新発債の国債を買い入れするときも同様である。

つまり、日銀が既発債である国債を市中銀行から買うのは、《日銀当座預金》という日本銀行の中でしか使われていない通貨で行われていることを理解していないから、市中の取引、マーケットの預金流通量を減らして、金利上昇が起こると考えている。

なお、市中銀行が新発債の国債を必ず買うのも、日銀当座預金である。主流派の経済学者たちは、市中で流通している通貨(個人や企業の預金)で、国債が消化(買い取り)されていると思っている。(これは、最後に述べる。)

これらの取引は、国民生活に影響しない。政府が発行する国債を買うのは市中銀行である。市中銀行は、日銀から通貨発行された資産である日銀当座預金(裏には《借入金》という負債を負っている。)を原資にして、国債を買い入れる。つまり、市中銀行が手にしている日銀当座預金という資産が、国債という資産に振りかわっただけだ。市中銀行は日銀当座預金を持っていても基本的に利子がつかないので、少しでも利子がつく国債を必ず購入する。このように、日銀と市中銀行のあいだで、お互いに日銀当座預金と国債の残高を増やしただけでは、市中、つまり国民生活に直接の影響はない。日銀のなかにある政府口座のお金を、政府が予算執行するまで市中、国民生活になにも影響はない。政府が予算を使ってはじめて、国民の財布は豊かになる。もちろん、民間企業が使っても国民(と政府)の財布は豊かになるのだが、今のデフレ状況では、民間企業にそれを期待できない。

つまり、誰か(政府か企業のどちらか)が負債を負わないと、国民(消費者)の財布は豊かにならない。高度成長期は、企業が莫大な借金を抱えて経済のパイが成長したから、政府支出を増やさずとも、国民の財布は豊かだった。いま企業も政府も負債を負うことをしなかったら、国民の財布は空っぽなままだ。

主流派経済学者の財政均衡を主張する理由のほとんどは、国債がどんどん増発されると、やがて引き受け手が無くなり、国債価格の低下をもたらし金利が上昇し、ついにコントロールできなくなるというものだ。土居さんが、『日銀も国債をずっと持ち続けることはできなくなる。物価高対策で、いずれは市中に事実上売らざるをえない』と言うのは意味不明だが、もし日銀の持っている国債を売って、政府の予算執行に使う日が来るというのであれば、バカかといいたい。通貨を発行しているのは日銀だぞといいたい。 

黒田日銀の異次元の量的緩和(QE)を、何年も続け、日本は、特段の弊害を生じることなく、国債価格も金利も日銀はコントロールできた。成長できなかった理由は、量的緩和の失敗ではなく、財政支出が足りなかったのが明らかだ。欧米諸国は、日本の量的緩和を見て、何の悪影響もなかったと分かって、このコロナの時に追随した。欧米は、量的緩和をするだけでなく、財政支出も急拡大させた。(やりすぎて、烈しいインフレになったが・・。)

下の動画で、前衆議院議員で公認会計士の安藤裕さんが解説をされている。5分15秒のところを、ぜひ見てください。「日銀が国債を買っても市中にお金は回りませんから」「日銀当座預金が積みあがるだけで、日銀当座預金は一般の人が手に入れることができないお金なので、市中の通貨供給量は増えないんです」と言われている。

主流派経済学者の皆様、お願いします。なんとか考えを改めてください。あなた方と財務省の考えが、30年間、日本中を席巻しているから、マスコミもあなた方に忖度し、国民の大多数が、日本は借金で首が回らないと思っています。日銀がやっている実務を見てください!!

冒頭にも写真を掲げた安藤裕さんは、自民党時代に積極財政を訴えていたが、不倫報道があり再出馬を断念された。現在は、YOUTUBEに積極財政の動画を上げ、財政拡大を訴えるため「赤字黒字」というコンビで、漫才師の登竜門であるM1グランプリにも出場されている。

3.国債はどのようなプロセスで発行され、保有されているか

親爺は、以前実際に国債を買っていた時期があった。それでは国債は市中のお金を使って買われているのだろうか? その答えは、ごくごく一部にあるという答えになる。

下がの図が国債を誰が保有しているかというチャートだ。これを見ると、日銀当座預金を使える立場にある、日本銀行、市中銀行、証券会社等の割合は、58.8%である。保険・年金基金と公的年金を足すと23.74%になる。両方足すと82.54%になる。ここにある保険・年金基金と公的年金は、事業の性格上、顧客から得た資金の運用にリスクの最も少ない運用先として国債を選んでいると考えられる。ネットで見ると、これら法人は、証券や銀行などの日銀に口座のある金融機関から購入しているようだ。

つまり、日銀当座預金で国債を購入できる市中銀行(市中銀行と証券会社等)が、国債を引き受け、市中に売っている。それらを買うのは、保険、年金基金、公的年金など消費者保護のために法律で資金運用に制限がある法人である。日本国債は利率も、銀行の定期預金と同じほど現状は低いので、大した魅力はない。つまり、金融機関や保険、年金を扱う会社にとって、国債は安全で、現金で持つよりは、少しは金利が付くから選択されているにすぎない。

外人が13.14%保有しているのだが、昨年あたり、日本国債をカラ売りして暴落したところで買い戻して大儲けしようとしていた外国ファンドの存在が報道された。これは、過去ずっとこのような馬鹿な外国ファンド「未亡人製造機」がいるのが不思議なのだが、変動相場制度を採用しており自国通貨で国債を刷れる国相手にやっても無駄だということが分かっていないとしか思えない。(ジョージ・ソロスが、固定相場を守ろうとする英国相手に、国債のカラ売りをして大儲けしたことがある。)現在は、諸外国の金利がずっと高いので、日本国債は安全だという以外に投資先として魅力がない。

4.なんと!!日本国債の入札参加社の半数以上が外国企業だ!!

ここで親爺は、国債の発行プロセスを調べながら、違うことを知ってしまい驚いた。日銀当座預金を使って日本国債を買っている金融機関の多数が外国企業になっている!!

下の表は、財務省が国債発行の際の手続きを改めた平成16年の「国債市場特別参加者の指定等について」で、国債入札への応札・落札等に関する一定の責任を果たす者を「国債市場特別参加者」として指定した者のリストだ。

こんなことでいいの?外国企業がこんなところで儲けているのよ!!

おしまい

リフレ派の間違い 浜田宏一氏、黒田日銀総裁など

ELLEから 真ん中がオカシオ・コルテス

主は、安倍政権の登場以来ずっとリフレ派といわれる経済学者を支持して、ブログを書いたりしてきたのだが、いつまでたっても一向に景気が回復せず、今年、MMT(Modern Monetary Theory=現代貨幣理論です。)を知って、リフレ派のどこが間違っていたのかがようやく分かるようになった。

主流派経済学者の中にリフレ派といわれるグループがあり、浜田宏一さん、若田部昌澄さん、安達誠司さんなどがおり、黒田日銀総裁もその中に入れて間違いがないだろう。

彼らは、量的緩和による金融政策で、市中に通貨を大量に供給し、金利を下げることで経済を刺激することでデフレを脱出しようと考える人たちである。具体的には、銀行などの民間が保有する国債を日銀が大量に買い取り、通貨を市中に供給すれば、投資に回りやすいだろうというのが目論見である。

しかし、このリフレ派の量的緩和は、リフレ派以外の主流派経済学者から、この方策はカンフル注射見たいものなので、いつまでもやるべきでない、出口戦略を練るべきだと当初から評判が悪かった。

ここで注意したいのは、このリフレ派、リフレ派以外のどちらも、新自由主義、新古典派と言われる主流派の経済学者である。(詳しくは書かないが、グローバリズム、自由貿易、小さな政府などが理論の中心になります。)

一方、非主流派(だが、正しい!)のMMTは、主流派経済学と貨幣観のところが全く違う。

主流派経済学の貨幣観は、昔、希少な貝殻を貨幣の代わりに使っていたことを起源とし、やがてアメリカで金本位制が導入されたように、貨幣は「金」との交換を約束する証書であり、政府は「金」がなければ貨幣を発行できなかった。大戦後、「金」と交換しない不換紙幣、管理通貨制度(政府の裁量で通貨が発行できる)の時代になるのだが、主流派は、従来の貨幣観をアップデートしなかった。ここに間違いがある。

つまり、MMTは、現代の主権国家(変動相場制のものとで自国通貨建てで国債を発行できる。)である、日本、アメリカ、イギリスなどは、インフレにならない限り国債を、いくらでも発行可能だという。

そして、発行した国債を元手に政府がお金を手にして、民間企業や国民に公共事業や年金給付などでお金を使うと、企業や国民の資産が増える。

また、通貨のうちの1万円などの紙幣は、2割程度の流通量にすぎず、残り8割は銀行預金なのだが、この銀行預金は、いくらでも元手なしに銀行が発行できる。すなわち、ソフトバンクがみずほ銀行から1兆円融資を受けるとしよう。そのとき、みずほ銀行は、ソフトバンクの口座に、1兆円とデータを入力するだけである。それで、1兆円の通貨が増え、ソフトバンクが手にする。

こうして考えると、浜田宏一さんや黒田日銀総裁のやってきた(異次元の)量的緩和というのは、国債を銀行から買い集めただけで、売却代金を手にした銀行にとって、ほとんど運用先がない、借り手がいないブタ積みになっているだけなので、たいした効果がない。

このように書くと、「政府がいくらでも国債を発行できるなら、税金を取る必要がない」という意見が出るだろうが、① 政府が税金を取り納税の手段として認めることで、通貨を人々が求めるようになる効果と、② 景気の調整、不公平の是正の手段として、税金は非常に重要である。

しかし一方で、このようなバラ色のMMTが、なぜ世間で認知されないのかという問題がある。

このMMTの理論は難しいものではないし、経済に興味がある人には、雑誌でもYOUTUBEでも見る機会はいっぱいあり、財務省の役人も国会で追及されているので、十分に知っているはずだ。しかし、国債を財源に国民にお金をバラまいたり、消費税を廃止して景気が良くなったら、主流派経済学者や財務省、マスコミのメンツは丸つぶれだ。20年以上続いた不景気で、苦しい人生を歩んだ人は限りなく大勢いるだろう。

そんなところで「王様は裸だ!」とバラしても、権力者たちは簡単に認めるわけにはいかない。

ただし、世界中でコロナ禍で、各国政府が財政支出を拡大している現状がある。

日本も、第3次補正予算が議論にあがり、100兆円程度の支出になるかもしれない。これは、2年分の予算になる。バカなことを素面でいう池上彰氏や、小林慶一郎氏をはじめとする主流派経済学者のバカな連中が、コロナが終わったら増税だと言っているようだが、まず、自身の非を認めるか、発言を控えてもらいたい。まず、マインドチェンジが必要だ。この100兆円の支出を行っても、国債は暴落せず、金利も上昇しない、主流派が説明できない事態が続く。

アメリカでは、カマラ・ハリス(=医者と大学教授の娘、夫は弁護士で、けっこうエスタブリッシュ。)が、副大統領になる可能性があるが、もう一人人気のある下院議員オカシオ・コルテス(ブロンクス生まれ、本当の貧乏人育ち。)がおり、主は、バーニー・サンダースともどもこちらを好んでいる。オカシオ・コルテス、バーニー・サンダースともに、MMTをバックグラウンドにしている。

さらに白状すると、グローバリズムにたった一人で反対を唱えているトランプ大統領の支持者でもある。

アメリカ民主党の人気女性議員、ELLE : カマラ・ハリス&オカシオ・コルテスを徹底比較

おまけ

下が、MMTの重鎮、ニューヨーク州立大学ステファニー・ケルトン教授。オカシオ・コルテス、ステファニー・ケルトンと美人ぞろいで、ブログの趣旨が変わってしまったかな。

ステファニー・ケルトン WIKIPEDIAから

おしまい

グローバリズムのどこが悪いのか エマニュエル・トッド Part 2

re-written on 22th /August /2017

つづき

ちょっと激しい言い方になってしまったかも知れない。ここで、もう一つの要点であるグローバリズム(自由貿易)の根幹をなす思想を書いてみよう。

例えばアメリカが、中国からの安い生産物にマーケットを奪われ、アメリカの労働者が雇用を失うことになったとしても、中国では新しい多くの雇用を生み出しており、地球規模で見れば、中国で多数の労働者が豊かになっており、正しい方向なのだとの説明がなされる。アメリカで職を失った労働者は、比較優位な新しい産業へ転換すればよいと言われる。

また前述したように、グローバリズムによる自由貿易(=資本主義。ちょっと概念が違うが、こう言うことにする)のもとでは、保護主義貿易よりも高い成長が実現する、と言われてきた。

だが、この説明は間違っていることが今では証明されている。日本でも非常に大きく脚光を浴びたフランス人経済学者のトマ・ピケティが、証明して見せた。すなわち、以前の経済学が、第二次世界大戦直後の経済発展の黄金期の1950年代をベースに労働分配について分析していたために、資本主義の発展が、自動的に社会の構成員の経済格差を縮小させると考えていた。だが、ピケティは19世紀以降の膨大な量のデータを集め、1950年代の経済成長とともに格差が縮まったという栄光の時期は例外であり、常に資本主義の下で常に格差が広がってきたことを証明して見せた。

同じことだが、グローバリズムを批判的に捉える韓国人経済学者ハジュン・チャンも、経済成長率を、高成長率や完全雇用があった1950年から1975年までの繁栄の時期とグローバリズムが広がった1980年からの30年間を比べ、保護主義の時代の方が高いことを明らかにしている。この傾向はアフリカ、南米で顕著だが、他の地域でもグローバリズムの時代に入ると成長率が低下している。

要するにグローバリズムにより、社会の格差は縮小し、保護主義より高い経済成長が可能になると言われてきたのだが、この両方ともが間違っていたということだ。

この発見は、資本主義の下で格差は、政策的な手段を打たないと拡大し、経済学は分配を倫理や哲学の問題と捉えるのではなく、経済学自身の本来の解決課題にしなければならなくなったということを意味する。

そもそも、中国からの輸入によりアメリカ人が職を失い困窮化する度合いと、中国労働者の生活の向上度合いを比べて、中国労働者の向上の方が大きいので、アメリカ人は我慢しろというのは異常な暴論だ。ここでアメリカ人と言っているが、アメリカ人全体が我慢するのではない。我慢しなくてはならないのは、中国製品に負けた弱小なアメリカ人工場労働者、その家族だけだ。消費者と資本家、その他の金融業などの恵まれた労働者の幸せ度は上がっているはずだ。

また、中国労働者が向上すると書いたが、その向上は最初の時期はそうなのだが、やがて、アメリカ人労働者の雇用の悪化に伴い、アメリカ国内需要が減退するため、中国労働者の賃金は上昇しなくなる。また、中国も周辺諸国(ヴェトナム、ミャンマーなど)との低賃金競争に巻き込まれるために、労働者が本来得られるもっと高い賃金を得ることがない、といったことを次に述べたいと思う。

つづく

グローバリズムのどこが悪いのか エマニュエル・トッド Part 1

re-written on 22th /August /2017

”グローバリズム”と”自由貿易”は譲れない絶対的なものだと考えている人が圧倒的だ。日本のマスコミはもちろんそうだし、アメリカのマスコミもそうだ。なぜならトランプ大統領が出てくるまで、ずっとこの二つを合唱してきたからだ。トランプ批判は非常に大きいので、その声は逆に強くなった感がある。

だが、現実のグローバリズムがもたらしたものは、巨大な格差だ。世界で最も裕福な8人が保有する資産は、世界の人口のうち経済的に恵まれない下から半分にあたる約36億人が保有する資産とほぼ同じだと言われる。グローバリズムが始まって30年、1%の金持ちはさらに莫大な大金持ちになったが、99%は貧しくなるか、長期停滞に甘んじている。

簡単に昔を振り返ってみると、グローバリズムが始まる1980年代以前、日本は高度成長を謳歌した時代で、当時は「一億総中流時代」と言われていた。国民のほとんどが中流意識を持っていた。ところが今はどうだろう、「総中流」は影も形もなくなった。中流層が減少し、多くの貧乏人とわずかな金持ちに分かれてしまった。この傾向は世界中どこでも一緒だ。

ところで、マスコミについて注意しなければいけないのは、この「一億総中流時代」と称される幸せな時代においても、建設的なことは言わず、センチメンタルな批判(目先の財政支出への批判、ハコモノ投資への批判など)ばかりしていた。売るためには批判記事が好まれるということがあり、手っ取り早いのだろうが、めくらまし的であり、国民のリテラシーが向上するのではなく、さまざまな分野で誤解・曲解が広く信じられるようになった。

話を元に戻すと、グローバリズムの30年で、世界中で格差が広がった結果、グローバリズムに疲れて(Globalism Fatigue)グローバリズムの終焉が始まっているという人物がいる。それが、フランス人のエマニュエル・トッドという人物だ。このエマニュエル・トッドは、家族人類学者、人口学者だが、歴史学者でもある。家族制度や識字率、出生率などの指標を使って、現代政治や社会を国ごと、地域ごとに非常に小さなメッシュに細分化することにより分析し、ソ連崩壊、アラブの春、英国EU離脱、トランプ勝利を予言していた。

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写真はアマゾンから

ここで、グローバリズムについておさらいをしよう。グローバリズムは1980年代、イギリスのサッチャー首相、アメリカのレーガン大統領が始めたと言われる。グローバリズムは、「新自由主義」(Neoliberalism)と同時に世界を席巻した概念である。Wikipediaは「新自由主義」を「1930年以降、社会的市場経済に対して個人の自由や市場原理を再評価し、政府による個人や市場への介入は最低限とすべきと提唱する。」と書いている。

ちょっと慣れない言葉が出てきたかもしれない。ほとんどの人は経済学を勉強したわけではないだろう。そのため、主がざっくりとかみ砕いて説明したい。

まずは、「市場(しじょう、いちばと読まないんですね。マーケットともよく言われる。)」という言葉から説明しよう。

この「市場」という言葉は、経済学では非常に重要な言葉だ。経済学の始祖と言われるイギリス人のアダム・スミス(1723-1790)が「国富論」の中で「まるで見えざる手に導かれるように、・・・各人が自分の利益を追求することが、一般にとってよいことを促進する」と言った。この考えが、現代の経済学でも大きな位置を占めている。ざっくり言うと、我々が物品を売買する時、売り手と買い手がおり、その価格は「市場」で調整され、自動的に社会の構成員全員にとって望ましいように資源(労働や原材料、貨幣)が使われる、言い換えると、物が高く売れれば作り手が増え、そうすると販売価格が下がり買い手が増える、その時に「市場」において、構成員全員の幸せの総量を最大にする「見えざる手」が働くとスミスは言ったのだ。その後の新古典派の経済学が、これを数学的に証明してみせた。(因みに、主は「新古典派の経済学」を40年前に大学で習った。その後ほとんど忘れていたのだが、パプアニューギニアに赴任した時に時間があり、アベノミクスに興味を持ち、経済学の本を買うようになった。)

誰かの幸せ度を下げずに、誰かの幸せ度を上げることができない状態のことを–ちょっと専門的だが–「パレート最適」という。人間が合理的に行動さえすれば、そのような状態が「市場」を通じて実現されることが、数学的に証明されたのだ。

これに対して、「そんな単純じゃないだろう!!」と思った人は、鋭いし正しい! 

このとき、問題は二つある。

一つ目。この新古典派の経済学でも、アダム・スミスの市場がもたらした『自由市場の均衡を傷つけかねないいくつかの要因を認識している。その要因には、ある人物の行動により直接他人が影響を受けるような経済活動が含まれる(「外部性」と呼ばれる)。またよくない所得分配も含まれる。だから経済学者たちは、こうした阻害要因がない限り自由市場の働きに介入したがるのはバカだと考えるのが通例だ。そしてもちろん、経済学者たちは昔から、規模の大きい企業が市場を完全に競争的にしないかもしれないという点も認識してきた。』(『』書きは、「不道徳な見えざる手」(アカロフ/シラー)から引用)阻害要因はあるものの、要は、市場の働きに介入したがるのはバカだと考えているんですね。61W-lAubY3L._SX341_BO1,204,203,200_

二つ目。新古典派の経済学者が前提においている「人間が合理的に行動するならば」というところに、疑問を投げかける新古典派以外の学者が実に多い。新古典派の経済学では、大学に入ったばかりの新入生に、スーパーでオレンジとリンゴを買うときにさまざまな組み合わせと価格で購入する例を使って教え始める。オレンジとリンゴなら問題ないのだが、圧倒的に多い他の財の購入では、広告やマーケティング、社会通念(例えば、結婚式や葬式には多額の金がかかって当然、と我々は刷り込まれている)、資生堂の高級化粧品や高須クリニックの整形手術、上野クリニックの包茎手術など、実際の価値を、みんなに幻想を植え付けることで価値をもっと高く見積もらせ、渇望させるというバイアスをかけることで、消費者を消費へと駆り立てる。こうしたことは、むしろ経済学者以外で当然と実感している点だ。また、新古典派の経済学を批判するスティグリッツは、「情報の非対称性」で、ノーベル賞を受賞した。アダム・スミスの発想には売り手と買い手が対等で同等の情報を持っていることが、暗黙の前提になっている。しかし、現実に我々が金融機関から融資を受けるとき、双方が同じ情報を正しく持っているだろうか?きっと、金融機関は難しい約款や契約書で自分を守り、我々の方は何もわからずハンコを押しているはずだ。このような情報の非対称性はあちこちにある。

ここまでで、「グローバリズム」、「新自由主義」、「新古典派経済学」という言葉が出てきたが、どれも一緒と考えてもらって構わない。

上述したような場合に、「市場」は正しい資源配分をするという機能を果たせない。だが、この「市場(=マーケット)に任せよ!」、「政府は何もするな!」という声は、金持ちや特権階級に今なお強い。

このような根拠が薄弱な単純化された”信念”が、グローバリズムへ、「新自由主義」へとつながっている。「新自由主義」によると、経済は自律的にコントロールされるため、貿易を自由化し政府の規制(介入)を最小限にすることが、資源の最適配分と、最大の成長率、富の最大化を達成する道だと言われる。もちろん、実際の経済はこのような単純なものではなく、現実にはあり得ない理論上のモデルにすぎない。だが、市場は有効であり、市場に介入しないことが必要だとの考えが、特に資本家や政治的リーダー、従来型の経済学者の世界で趨勢を占めてきた。

だが、ここで大きな問題の存在がある。だがグローバリズムが有効に機能するとき、徐々に格差は拡大するのだろうか?それとも経済のパイが大きくなるにつれ、時の経過とともに、格差は縮小するのだろうか。政策の分かれ目となる最大のポイントだ。

これに対する従来の答えは、経済のパイが大きくなれば格差は自動的に縮小する、貧乏人の取り分の方が多い、というのが従来の経済学の立場だった。

これが大きな間違いだった。この前提に立つと、所得を金持ちから貧乏人に再分配(経済学では、金持ちから貧乏人へ所得を移転することを「分配」や「再分配」という言葉を使う。)する是非を考える必要はないことになる。時間とともに経済成長が達成されれば、問題(格差)が自然に解決するからだ。

このことが経済学で大きな問題を生じさせてしまった。つまり、経済成長により、金持ちよりも貧乏人の方が早く豊かになるのであれば、金持ちが貧乏にお金を回す必要がないことになると先に書いたとおりだ。このように考えた前提を置いたために、グローバリズム、「新自由主義」以降の経済学は、「分配」を経済学の問題ではなく、倫理や道徳の問題として避けてきた経緯がある。このため、主流派の経済学者は、貧富の格差がこれほど大きくなっても、なかなか自分の研究対象にしようとない。大金持ちが、「貧乏人が貧乏なのは努力が足りなかったためで、自己責任だ!俺の金を貧乏人に使われたくない」と平然と言うことが許される原因にもなった。

つづく