| アイキャッチ画像は、前回と同じ2013年のゴロカショーで撮ったものです。お祭りでも、この頃には若い女性は乳房を出さなくなることが多くなりましたが、ごらんのとおりある程度の年齢の女性は裸のままのことが多いです。男は腰蓑(こしみの)の下に藁で作った「ペニスケース」(下の写真。飛行場などでお土産で売っています。)に「モノ」を格納しています。このショーを西洋人やアジア人が見ると衝撃を受けますが、裸で暮らす人々の中にも、贈与や交換のルールを現代人以上に守っています。 |
前2回の論考から、おぼろげながら共同体や社会の中で生きている人間は、生活を平和に平穏に過ごすために、人から与えられた恩に対してそれ以上の恩を返そうとする性質が本来的に備わっていると言えると思います。
そして恩を与えられたら恩で返すという人が普通に持っている性質であり、貨幣もそうだと思います。共同体や社会の構成員が多くなると、当然分業するので共通の価値を交換する手段として貨幣が登場します。農業に従事している人と漁業に従事している人、僧侶や坊さんもいるでしょう。王がいて通貨を発行しているかも知れません。そうした人たちが労働(貢献)に応じた対価を得て、それを交換して生活します。これは資本主義と共産主義以前からの話であり、有史以来の話です。
ここからいくぶん難しい経済の話になります。でもほんの入口のところなので大丈夫です。
経済学者が考える通貨、お金は二通りの考え方があります。
一つは、お金そのものに値打ちがある、値打ちがあるものがお金として使われるという考え方です。これは日本の通貨である「享保小判」、「天保小判」などを見ればわかります。幕府が財政に窮し、原料に鉛などを混ぜ、金、銀の含有量を薄めて(改鋳(かいちゅう))して値打ちを下げ、発行量を増やしたと親爺は教科書で習った記憶があります。
同じように通貨自体に値打ちがあるという考えは、「金(=GOLD)」を持ち運ぶのは危険なので、「金」と交換することを保証している紙幣を発行しました。つまり、通貨自体に値打ちがあるのです。この考え方を経済学者のうち、「主流派経済学者」がしています。
主流派経済学者とは「主流派」と括られるとおり、メジャーな勢力で力のある存在です。「主流派」は、ニューディール政策の有効性を見て理論を打ち立てた巨人ケインズを否定し、個人の合理的な行動(利潤の極大)というミクロ的な視点から、数学によって理論化したマクロ理論を説くのですが、ミクロの前提条件が現実に適合していないとよく批判されます。
「主流派経済学者」の通貨に対する考えは、親爺は間違っていると考えています。現代の実情とマッチしていません。昔の考えを改めていないのです。
なぜなら、現代の貨幣の発行は、自国通貨建てで発行する場合、その国の供給力(生産力)の範囲で返済能力があれば、政府と銀行の裁量でできるからです。日本もそうです。
まず、親爺が間違っていると思う「主流派経済学」の貨幣論は、ちょっとむずかしいのですが、「商品貨幣論」と言われます。貨幣そのものに商品と同様の値打ちがあるという考え方です。この商品貨幣論では、値打ちの裏付けとなる「金」との交換が約束されている金兌換(きんだかん)が必要ですが、現在の通貨の流通量はあまりに多く、交換は第二次世界大戦の頃からしていません。正式には、ベトナム戦争の戦費調達ができなくなったニクソン大統領が「金」交換を止めると宣言しました。今では金と交換してくれる通貨はどこにもありません。
もう一つは、「ポスト・ケインズ派(銀行は借り手の信用力さえあれば、貸付金/預金を生み出せるという学派)、MMT派(政府が負債を負って支出すると民間や国民の資産が増えると考える学派)」の考えです。
こちらは簿記で考えます。政府(日銀)が通貨を発行してお金を使うと負債を負います。お金=誰かの負債(=支払い約束)です。他方、受け取った国民側は通貨を手にすると資産が増えます。
政府の赤字は国民の黒字です。国は国債を発行し、日銀は行内の金融機関(日本銀行内には銀行、信用金庫、外国銀行、証券会社などが口座を持っています)にお金を貸すことで通貨発行ができます。
同様に市中銀行(三菱UFJ銀行などです)も顧客にお金を貸すことで、通貨発行できます。
こちらは「信用貨幣論」と言い、①②で紹介した、宝飾品が島々を回る例などとフィットすると思います。お金はだれかの恩(負債:この場合は日銀や銀行の負債)を表したもので、受け取った側は、その分の報酬(資産)をもらえるという考え方です。
このお金の貸し借りに伴う社会的・法的な責任は?
日銀と銀行側はお金を借りた人に負債を負うといいましたが、これは社会に対してこのお金を回収する義務(責任)を負ったということと、貸したお金(貸付金)を回収する権利も同時に持ったという意味があります。
一方、お金を借りた側は、お金という資産を得ると同時に、借金(借入金)という負債、つまり返済義務を負ったのです。このように、簿記はつねに二面的に捉えます。貸した側も借りた側も回収・返済ができないと、社会に対しては、倒産するなり破産するなりして責任を取る必要があります。
この通貨(恩)の貸し借りは、資本主義、共産主義以前の共同体における平和で暮らすための知恵です。
ところが、ここで「利子」「複利」という魔物なんだか発明なんだか、非常にお金の貸し借りに大きな影響を与えるものもあります。こちらについては、後日考えてみたいと思います。
中世には、ユダヤ人は土地を与えられず、一部が仕方なく、卑賤と考えられてきた「金勘定」に従事してきました。ユダヤ教は同胞に利子をつけてはいけない、しかし他宗教徒にはOKとしています。キリスト教やイスラム教は、利子を認めていません。それでユダヤ教徒は他教徒も相手にする金融業を生業(なりわい)にしました。それが今の銀行業を作ってきたと言われます。こうしたことも合わせて考えます。


